復興庁発足による復興加速化は縦割り二重行政がその障害として立ちはだかるのか

2012-02-10 11:18:26 | Weblog

 復興庁の今日2月10日発足を各マスコミが伝えている。殆どの記事が、「縦割り」あるいは「縦割り行政」、「縦割り構造」、「二重行政」といった文字を踊らせ、その打破の可能性を、どちらかと言うと疑問符付きで問うている。

 このような報道姿勢を裏返すと、各省庁の意思決定が依然として縦割り構造で行われ、そこから脱することができず、その延長上に復興庁の意思決定を把えていることを示している。

 いわば意思決定に関して既存の他の省庁の縦割りを引きずって、あるいは影響を受けて、同じ二の舞を繰返すのではないかという危惧からの報道姿勢であろう。

 勿論、各記事ともその根拠を具体的に述べている。

 縦割り行政とその弊害は久しく言われてきた。だが、弊害を抱えたまま、縦割り行政から脱することができないでいる。日本の官僚は優秀であると言われていながらの旧弊呪縛という逆説は何を意味するのだろうか。

 復興庁がどのように位置づけられているのか、《復興庁発足へ 迅速対応が課題》NHK NEWS WEB/2012年2月10日 4時28分))から見てみる。

 発足日
 2012年2月10日

 大臣
 平野達男

 設置期間
 今年度から10年間の時限的設置

 所在
 復興庁――東京(本庁)
 復興局――岩手・宮城・福島の各県庁所在地3箇所
 支 所――沿岸部6カ所と水戸市、青森県八戸市

 復興庁権限
 復興予算の一元的所管
 他の省庁よりも上位に位置。
 政策面に於ける勧告権限を他の閣僚に対して保持

 この記事は直接的には「縦割り」という言葉は使っていないが、記事最後で間接的に触れている。

 〈ただ、高台移転など復興に必要な事業を巡っては、ほかの省庁との調整が必要な案件が多く、被災地の要望を踏まえて迅速な対応ができるのかが課題となりそうです。 〉・・・・

 他の省庁との調整に関して縦割りの壁にぶち当たる懸念を伝える文言となっている。

 では、縦割りとその弊害に関わる懸念報道の代表的な記事を一つ取り上げてみる。《二重行政懸念の声=ワンストップ実現に縦割りの壁-復興庁、10日に発足》時事ドットコム/2012/02/08-14:47)

 先ず復興局について。

 〈被災自治体の要望を一元的に受け付けて対応するワンストップサービスの受け皿となる。〉

 野田首相「ワンストップで被災地の要望を受けて迅速に取り組む」

 マスコミの懸念どこ吹く風の発言となっている。これがドジョウのツラにショウベンなのかどうかは暫く様子を見ないことにははっきりとしない。

 被災自治体「他の府省にも陳情しないと予算が付かないのでは」

 〈二重行政を懸念する声が出ている。〉
 
 〈中央省庁の縦割り構造を打破して「市町村の良き相談相手」(平野達男復興担当相)になれるのか、課題を抱えたままのスタートとなる。〉

 宮城県沿岸部の自治体職員(復興局前身の現地対策本部について)「現地本部は東京に伝えるだけ。何も決められない」

 須田善明宮城県女川町長「復興局ができても意思決定は東京となると、被災地の望むテンポに合わない」

 縦割り構造による二重行政の懸念を伝えている。

 財源
 復興交付金――2011年度、12年度併せて計1兆8000億円

 配分権限
 復興庁が国土交通省等5省所管の40事業を束ねて一括配分

 交付金対象事業決定権限
 復興庁になし
 国土交通省等5省が握る

 記事は、〈被災自治体は、申請は復興庁、問い合わせは各省と二度手間を強いられる。〉と書き、次いでこれだけの縦割りにとどまらない危険性を伝えている。

 〈各府省からの出向職員による寄り合い所帯の復興庁は、縦割り行政がそのまま持ち込まれる。同庁は、各府省が実施する復興関連事業の予算配分額を決める「箇所付け」作業を担うが、実態はそれぞれの府省の担当職員が復興庁の箇所付けポストを兼務するだけで現状と変わらない。〉・・・・・

 復興庁がいくら各復興事業を束ねて予算の配分権限も握っていても、自らは復興事業を決定する権限がなく、他の省庁が握っていて決定する関係から、配分する予算規模も他の省庁の決定に対応した配分権限となるということを伝えている。

 当然、復興庁は他の省庁の操り人形になりかねない懸念が生じる。

 奥山恵美子仙台市長「復興事業推進のスピードを加速させる役割を果たしてほしい」

 国会議員(復興庁設置法作成に携わっている)「復興局に予算、権限をどれだけ東京から下ろすことができるかが成否のカギ」

 各府省からの出向職員が出身本省の意向を各自反映して縦割り構造に支配されていたなら、本体の復興庁自体が縦割り発信体となって復興局の決定を左右しかねないことになり、縦割り構造は各府省から復興庁を通じて復興局にまで伝染し、蔓延することになる。

 要は平野大臣が他の省庁に対して上位に位置づけられている優越的権限を如何に有効に駆使し、被災自治体の要望を自らの意思に代えて実現に向けた強力な指示を発揮できるかどうかのリーダーシップ(=指導力)にかかってくることになる。

 政府に関しても同じことが言えるが、最終的にはリーダーのリーダーシップ(=指導力)がすべてを決定する。

 管もなし、野田もなし。平野復興相をバックアップする野田首相にリーダーシップ(=指導力)がなければ、平野首相が逆立ちしても縦割りに抗することは難しくなる。

 縦割りに抗し切れずに各省庁の顔も立ててといった馴れ合いを生じせしめた途端に縦割り行政という怪物の活躍の余地を好き勝手につくり出すことになる恐れが出てくる。

 縦割りを構造とした二重行政は時間と手間とカネのムダ遣いを生じせしめる。そこに各省益が絡んできたら、各事業に配分する財源上のムダも加わって、民主党が掲げる「ムダ削減」を有名無実化する。

 このことを裏返すと、縦割り行政の打破、二重行政の解消も「ムダ削減」の対象としなければならないということである。

 だが、打破も解消もできずに生き永らえさせている。

 なぜ縦割り構造、縦割り行政を打破できないのか。日本人の思考様式・行動様式となっている権威主義性から出ている組織構造だからであろうことは、大分前のことになるが、2006年7月29日当ブログ記事――《縦割りとセクショナリズムに寛容であろう - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 〈組織・社会に於いて各権威は常にピラミッド型を形成するが、権威主義を行動原理とした組織・社会の場合は権威関係は上下の一方向により強く働き、そのことが各権威関係間の水平方向への力を弱める。権威主義の上が下を従わせ・下が上に従うメカニズムが上は従わせる下を固定化し、下は従う上を固定化する方向性を支配的とするからだろう。

 権威主義に於けるそのような上下関係の固定化が〝縦割り〟業務となって現れ、意識の面でセクショナリズム(縄張り意識)を生じせしめる。いわば権威主義は〝縦割り〟とセクショナリズムを常に常態化し、両者は相互補完し合う運命共同体の関係にあると言える。

 日本人は歴史・伝統・文化的に権威主義を自らの行動原理としてきた。その関係からして、日本の社会、あるいは各組織が縦割りとセクショナリズムを制度・慣習としているのは何の不思議もないごく当たり前の光景である。権威主義を行動原理としていながら、縦割り・セクショナリズムを組織運営上の習わしとしていなければ、矛盾が生じて日本社会とは言えない。言い換えるなら、縦割り・セクショナリズムは日本人にとってごく自然な血としてある。〉云々・・・・・

 縦割り構造は何も官庁のみではない。民間企業も教育機関も、その他ありとあらゆる日本の組織を支配する構造となっている。同じく権威主義の思考様式・行動様式を基本としているからだ。

 現地アメリカ企業が在米日本企業に商談を持ち込むと、本社に相談の上決めると言われることが多く、在米日本企業には決定権がないことを思い知らされるばかりか、時間がかかることを嘆かなければならないという。

 このことは先に触れた宮城県沿岸部の自治体職員が復興局前身の現地対策本部について言っていた、「現地本部は東京に伝えるだけ。何も決められない」という言葉、須田善明宮城県女川町長が言っていた、「復興局ができても意思決定は東京となると、被災地の望むテンポに合わない」という言葉と重なる二重行政ならぬ縦割り構造の二重決定ということであろう。

 ただ、官公庁よりも民間企業が少しましなのは、同じ縦割りの意思決定構造となっていても、民間は成績という監視が効いているために成績に尻を叩かれて業績だけは上げる点である。

 このことは民間のホワイトカラーよりも公務員の生産性が高いことが証明している。

 意思決定に関して他国に伍していくためには縦割り構造を廃しなければならないはずだ。

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