安住財務相の原発事故因果関係を忘れた不謹慎・無責任な「死んだ町」発言

2012-02-12 09:23:20 | Weblog

 ベビーギャングとかいう有り難いキャラクター名を賜っているらしい安住財務相が一昨日2月10日(2012年)開催の衆院予算委での発言。

 質問者は内山晃新党きづな議員。福島第1原発事故による放射性物質汚染地の活用方法をめぐる質疑で、長期居住制限の土地利用について。

 安住財務相「使えなくなった土地をどのように使うかということを、今、地元で考えている。
 
 死んだ土地を生き返らせるというか、そういう、いわば逆転の発想でやれるような知恵と工夫を出していきたいNHK NEWS WEB

 同じニュースを扱った「MSN産経」記事は、〈居住できない土地を国が買い上げて太陽光発電基地にするよう提案。〉と書いている。

 多分、福島の土地を「生き返らせる」という思いに重点を置いた発言なのだろう。だとしても不謹慎極まる、無責任そのものの発言である。
 
 決して「死んだ土地」ではない。放射能に汚染させられた土地、被曝させられたのであって、放射能の浸透範囲以下の地下では土地としての従来の命を脈々と生きづかせているはずだ。

 また、「生き返らせる」という言葉は常に死の状態を対象とした蘇生作用を言うわけではない。生の状態にありながら活力を喪失した対象や年齢的に衰退した対象、あるいは稼動状態にあるが、長期に亘る運転によって機械的に劣化した対象を様々に工夫を凝らして生き返らせる蘇生作用に関しても言う。

 だが、安住財務相は表面的に把えて、「死んだ土地」だと、死の状態に貶めた対象を「生き返らせる」蘇生作用に使っている。

 もし「死んだ土地」という表現が許されるとしたなら、国が死なせた土地である。

 決して言葉遣いの問題ではない。原発事故に関わる因果関係を一切抜いている認識不足が招いている誤った表現であろう。
 
 言葉遣いの問題としては、「死んだ土地を生き返らせる」ことを「逆転の発想」と言っているが、死を生に変えることは状態の逆転であって、発想の逆転には当たらない。ごく常識的な当たり前となっている発想を破って別の発想に変えることを言うはずだ。

 これも認識不足が招いている言葉遣いの間違いであろう。

 原発事故の直接的な原因は東日本大震災の津波だろうが、間接的原因は国の原子力政策にある。この後者の原因が招いて原発事故を結果とした因果関係がそこにある以上、国の責任が関わることになって、政府の一員が軽々と「死んだ土地」とは言えないはずだ。

 だが、深い認識もなく因果関係を無視し、国の責任を棚に上げて、「死んだ土地」と表現した。このことを以って不謹慎・無責任と言わずに他に表現しようがない。

 既に当ブログに取り上げたことだが、国の原子力政策が原発事故を招いた因果関係を取り上げてみる。

 1990年(平成2年)8月30日原子力安全委員会決定の「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」には次のような記載がある。

 〈指針27.電源喪失に対する設計上の考慮

長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。

非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい。〉

 国の原子力政策は全電源喪失しても重大事故に至らないから、「全電源喪失」を想定した備えは必要なしとしていたのである。

 だが、東電福島第1原発では全電源喪失が発生して原子炉の冷却が効かなくなり、最終的に高濃度の放射線漏出に至った。

 国の原子力関係者にしても原子力発電所関係者にしてもはこの指針決定後、「全電源喪失」想定必要なしに従って行動した。

 斑目原子力安全委員長は2007年に浜岡原発差し止め訴訟での被告側の証人となっている。いわば浜岡原発の利害を代弁する立場に立っていた。

 斑目委員長「何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある。そういうものを全部組み合わせていったら、モノなんて絶対造れません。だから、どっかで割り切るんです」

 「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」も原子力発電所も現状のままで安全は保証されると証言したのである。

 2010年5月、衆議院経済産業委員会――

 吉井英勝共産党議員「電源も切断されて、あのー、原発停止となった場合には、最悪で見ますと、どういう事態が起きるとお考えになるのか、伺います」

 原子力安全・保安院長「多重防護の考え方に基づいて、その設計がなされまして、それによって安全性を確保しているというところでございます」

 吉井英勝共産党議員「最悪の場合に炉心溶融ですね。最悪のとき」

 原子力安全・保安院長「あの、最悪と言いますか、あの、まあ、それでも(笑いながら)、そういった事態が起こらないように、あの、設計、工学上の設計、あの、殆んどそういうことはあり得ないだろうというぐらいの安全設計をしているところでありますけども」

 吉井議員は全電源が喪失した場合の最悪事態の危険性を想定していた。対して保安院長は原子力安全神話に立っていた。

 2011年3月22日の参議院予算委員会――

 福島瑞穂社民党党首「割り切った結果が今回の事故ではないですか?」

 斑目原子力安全委員会委員長「確かに、あの、割り切らなければ、あの、設計できないというのは事実でございます。で、その割り切った、あ、割り切り方が正しくなかったということも、あのー、えー、我々は十分反省してございます」

 全電源喪失は想定しなくてもよしとしたことをも含めた“割り切り” を正当としながら、過酷事故(シビアアクシデント)が発生してから、「正しくなかった」と言う。

 原子力安全委員会は内閣府に設置されている国家行政機関である。内閣総理大臣を通じて関係行政機関に勧告する権利を持っている。

 その原子力政策に誤りがあり、「原子力安全神話」を打ち立てるに功績があった。すべての本(もと)は国に責任がある。

 要するに安住財務相が「死んだ土地」などと軽々しく不謹慎・無責任に発言できたということは福島原発事故と放射能汚染に関して国に重大な責任があると認識してはいなかった、責任感も痛感していなかった、国が放射能汚染させた福島の土地でもあるという思いも持っていなかったということに尽きるはずである。

 大震災11か月目の前日の発言とは何かの因縁を感じる。復旧・復興の全体を覆っている国の無責任さと好対照をなす安住財務相の無責任さでもあることからの11か月目という節目がもたらした因縁にみえて仕方がない。

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