2月14日(2012年)夕方、東京・板橋区の住宅で3歳と5歳の幼い姉妹が焼死する痛ましい火災事故が起きた。両親とも外出中で、21歳の母親が買い物に外出、約40分後に帰宅した間の出来事だったという。
鉄筋コンクリート3階建て住宅の火元と見られる3階居間のコタツの上には灰皿に入ったタバコの吸い殻が20本程残されていたほか、そばの床には子どもでも着火できる旧式のライターが落ちていたという。
親の話では2人は火事の数日前にこのライターで火遊びをしていたとのこと。
ここまでの状況で、子どもが旧式ライターで火遊びしていて火災を起こしたのだということは消防署や警察の鑑識でなくても、誰でも想像がつく。
経産相のHPには、「ライターの規制等に係る経過措置期間の終了について」て次のように知らせている。
〈本件の概要
経済産業省では、使い捨てライターを使用した子供の火遊びによる火災の発生を受け、消費生活用製品安全法施行令の一部を改正し、平成22年(2010年)12月27日よりライターに係る規制を開始しました。
経過措置期間が終了する平成23年(2011年)9月27日以降は、安全基準を満たしてPSCマークを表示したライター以外、販売することができなくなりますので、改めてお知らせします。経済産業省では、経過措置期間の終了に先立ち、消費者庁、警察庁、環境省等の関係省庁と連携し、ライター規制に係るリーフレットを作成・配布し、広く広報・周知を図ることとしています。〉――
●平成22年(2010年)12月27日からライターに係る規制を開始。
●平成23年(2011年)9月27日以降は使い捨てライター等の安全基準を満たしていないライタ
ーの販売禁止。
新たな「安全基準」とは幼い子どもが容易に着火できない仕組みとなっていることをいう。
こういった経過背景は多くがその理由を知っていたはずだ。
平成22年(2010年)2月17日夕方、東京・練馬の木造アパートから出火。焼け跡から3歳の長男と2歳の長女の焼死体を発見。24歳の父親は仕事外出中。同じ24歳の母親は別室で3カ月の幼児(男子)の世話をしていて、火事に気づくのが遅れたという。
焼け方が激しかった押入れ付近からは数個のライターが見つかり、母親が「子供がライターで火遊びをしていたかもしれない」と話している。
そして1カ月半後の平成22年(2010年)4月3日、北海道厚沢部町で24歳の父親が車で実家に戻った際、3歳の長女、2歳の長男、生後7カ月の双子(男児)の計4人が眠っていたので車内に残して自分一人家の中に入っていたほんの30分の間に車が火災、4人とも焼死した。
車内からライターは見つかっていない。
父親「子どもはライターを操作して火を付けることができた。点火するのを見てライターを取り上げたこともあった。
火事の前はタバコは吸っていない。車内にライターはあったと思う」
特に幼い子どもの生命(いのち)を守るための、子どもが容易に着火可能な旧式ライターの販売禁止を目的とした消費生活用製品安全法施行令一部改正であった。
にも関わらず、旧式ライターを子どもの周りに放置している親が未だ存在した。放置し、子どもが火遊びするままに任せて火災を引き起こし、焼死させてしまう。
テレビのワイドショーが散々に取り上げていながら、あるいは国がライター規制に係るリーフレットを作成・配布し、広く広報・周知を図っていながら、それが届かない親が未だ存在した。
子どもたちの死因はライターの火遊びからの火災と言うよりも、法律を一部改正してまで注意喚起の対象としている親の、その注意喚起からも、テレビ・新聞が報道している過去の事故からも何ら学習することもなく応えることができない親の姿がより直接的な原因となっているはずだ。
そのような親の姿が結果的に幼い子供の生命(いのち)を奪ってしまっている。
何と愚かしいことなのだろうか。
夏の暑い盛りに駐車場の車中に幼い子供を残し、自分たち親がパチンコに夢中になっている間に子どもを40度以上から50度近い高温に達した車の中で熱中症で死なせてしまう、何ら学習もなく跡を絶たない親たちに通じる姿でもある。
2月14日の住宅火災では子どもがライターで火遊びしていたのを見ていながら、親は防ぐことができなかった。
このことは何とも言いようのない最悪の事態だが、過去の子どものライターの火遊びからの火災と焼死事故を幼い子どもを持つ親として何ら学習することができていないことが発端となっている最悪の事態であって、そのような親の存在が跡を絶たないところを見ると、再び繰返し起きることの無学習な存在性の示唆にも見えてくる。
だが、親が愚かにも学習できないからといって、親自体がその命を犠牲にするのは一向に構わないが、幼い子供の生命(いのち)を犠牲にしていいわけではないし、決して許せる無学習性ではない。
また、このような事態を防ぐために法律で安全基準を満たさないライターの使用禁止だけでは間に合わっていないことも現実が示している以上、親の無学習な存在性、その許すことのできない愚かしさに直接的に警告を発して、その修正により効果を持たせる必要があるのではないだろうか。
一人の幼い子供の生命(いのち)も犠牲にしてはならないという強い決意が世間一般の通念としてあったなら、このような警告は是非必要になるはずだ。
この文脈からすると、板橋の事故を伝える各マスコミの記事は決意に添う警告を満たしているとは言えない。
記事題名を列挙してみる。
板橋 住宅火災で女児2人死亡(NHK NEWS WEB)
東京・板橋で住宅火災、幼い姉妹が死亡(TBS News)
住宅火災 2女児死亡 5歳、3歳 両親外出中(東京新聞)
火災:姉妹が死亡 5としと3歳、留守番中か--東京・板橋の住宅(毎日jp)
住宅火災、5歳と3歳の女児死亡 東京・板橋(asahi.com)
民家火災で2女児死亡=5歳と3歳の姉妹、両親は留守-東京・板橋(時事ドットコム)
東京・板橋で民家火災 5歳と3歳の姉妹死亡(日経電子版)
姉妹死亡の住宅火災 「子供がいます!」叫ぶ女性(MSN産経)
単に事実を表面的に表現しているに過ぎない。犠牲になった子どもの親は当事者として悲嘆にくれ、後悔しているだろうが、世間一般の幼い子供を抱えた親の中で無学習な親には、その無学習性に警告を発するニュアンスも、一人の幼い子供の生命(いのち)も犠牲にしてはならないという決意も窺うことはできない。
一人の幼い子供の生命(いのち)も犠牲にしてはならないという決意と親の無学習性に対する警告にふさわしい記事題名は次のようなものではないだろうか。
また愚かな親が現れる
過去の類似事故から何も学ぶことのできない親が子どもをまたも犠牲にする
悲嘆にくれている親をムチ打つことになって酷だという意見もあるだろうが、今後同じことを繰返さないとも限らない同列にある無学習な親への前以ての警告であり、一人の幼い子供の生命(いのち)も犠牲にしてはならないという決意の提示である以上、まだ厳しさがなりない表現であるように思える。