菅直人の福島原発事故対応、人柄にふさわしいご都合主義・責任逃れの自己プラス評価

2012-02-29 11:25:45 | Weblog

 東電力福島第一原発事故検証を進めてきた民間の事故調査委員会が昨2月28日(2012年)報告書を公表した。報告書は400ページを超える量だそうだが、民間事故調のHPには非売品として限定部数作成、マスコミ等に配って在庫払底状態、その上で次のように書いている。

 〈「国民の視点からの検証」という報告書の性質上、広く皆さまにお読み頂きたく思っておりますので、なるべくお求めやすい価格での出版や、ウェブでの公開など、様々な方法を現在検討中です。〉・・・・

 今回の原発事故は被害地域を超えて全国的に国民生活に重大な影響を及ぼし、被災住民の自分事(じぶんごと)に劣らない他人事(ひとごと――自分に関係ない事)ではないことを教訓とした。

 脱原発の動きは多分に他人事ではないことの教訓が衝き動かした切迫感からの現況としてあるはずだ。

 国民のこの原発事故は他人事ではないとする強い関心に応えるためにも、また民間事故調の事故調査が「国民の視点からの検証」であるなら、どのような検証結果なのか、原発に対するあるべき危機管理の有り様を学習し、自らの視点とするためにも、「お求めやすい価格」云々は別にして、活字の形としたその情報を簡単に入手できるよう、記者会見と同時併行でWEB等で広く公表すべきだが、そこまでの発想はなかったようだ。

 事故調は菅政権の事故対応を「稚拙で泥縄的な危機管理」と総括し、危機管理を的確・機動的に機能させる能力の欠如を指弾しているらしい。

 対して菅前首相は昨28日夜、コメントを発表している。こういった対応は素早いようだ。《菅前首相“評価ありがたい”》”(NHK NEWS WEB/2012年2月28日 20時4分)

 勿論、「稚拙で泥縄的な危機管理」という評価に対して、「ありがたい」と感謝したわけではない。

 菅直人「今回の原発事故で最も深刻だったのは、3月15日未明からの『東電撤退』を巡る動きだったと考えている。これに関して、私が『東電撤退』を拒否し、政府と東電の統合対策本部を設置したことを公平に評価し、『今回の危機対応における1つのターニングポイント』などと結論づけたことは、大変ありがたい。

 今回の調査報告をはじめとする、さまざまな調査、検証を踏まえ、私としても再発防止にあらゆる力を尽くしていきたい」

 昨夕のNHK「ニュースウオッチ9」でも、菅首相が3月15日に東電本店に政府・東電統合対策本部を設置、情報を一元化したことが事故対応のあり方を大きく改善させたと評価していると報告書の内容を伝え、同時にこの点についての細野豪志首相補佐官(当時)の菅評価を紹介している。

 細野「菅さん以外の人がやっていて、あそこで統合対策室をつくると言い切れるかどうかは分かりません。東京電力から受けていた情報は極めて限定されていましたし、メリットは計り知れなかったと思います」

 絶賛状態である。

 だがである。福島原発事故を受けて3月11日午後7時3分に原子力緊急事態宣言を発出、原子力災害対策本部を首相官邸に設置以後、早い段階で東電との間に設けなければならなかった意思決定一元化・情報一元化の機関であったはずだ。

 だが、そういった手配はしていなかった。細野が「東京電力から受けていた情報は極めて限定されていました」と言っているのと同じく、菅もまた3月12日指揮官自らの福島原発視察の正当化の抗弁として、「首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回は一般的には多分、例外になるから、やらざるを得なかった。つまりは、野党も国会で『将たる者はあそこ(官邸執務室)に座るべきだ』と言っていたが、黙って座っていても何にも情報が来ない。陣頭指揮が一般的にいいのか悪いのかではなく、私は必要だと思ってやった」(時事ドットコム)と言っているが、情報不足を前にして直ちに東電との間の意思決定一元化・情報一元化を図る動きに出なかった。

 代わり直ちに率先して行ったことが上記発言で言っている福島原発事故現場の視察である。

 大体が「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況が何を意味するのか、あるいは自身がそう言うことの矛盾にさえ気づいていない。

 亡くなった親父から散々に「馬鹿は死んでも直らない」とお叱りを受けた身としては「バカ」という言葉はあまり使いたくないが、私のバカを上回るバカとしか言いようがない。

 「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況を裏返すと、陣頭指揮の指揮官でありながら、情報を上げる能力・人を使う能力を欠いていたことの反映としてある状況のはずだ。

 直ちに東電との間に意思決定一元化・情報一元化の機関・組織を設ける考えも浮かばなかったのだから、当然の情報を上げる能力・人を使う能力の欠如ということなのだろう。

 情報を上げることもできない指揮官の指導性とは無能そのもの、倒錯そのものを意味するはずだ。

 いずれにしても管は「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況を補うために震災発生翌日の3月12日朝、視察を敢行した。

 管は昨年の9月になって、視察について次のように話している。《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 菅直人「吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった」

 国会答弁では何度も次のように発言している。

 菅直人「現場の状況把握は極めて重要だと考えた。第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」

 「コミュニケーションのパイプがつながった」も、一時的な判断に役立ったことで終わったのではなく、「その後の判断に役だった」も共に意思疎通を継続的に図ることができたことを意味し、意思決定一元化・情報一元化の実現を言うはずだ。

 だが、視察による意思決定一元化・情報一元化に関しては事実に反し、何ら役に立たなかったばかりか、意思決定一元化・情報一元化は3月15日政府・東電統合対策本部設置まで待たなければならなかった。

 このあまりにも遅すぎる対応を民間事故調は高く評価した。

 政府・東電統合対策本部設置のキッカケは周知のように清水東電社長からの事故現場からの撤退申し入れである。東電側は原発事故に直接当たる作業員を残した一部撤退であって、全面撤退は申し入れてはいないと否定していたが、民間事故調は「十分な根拠がない」と疑問視し、逆に東電本店に乗り込んで撤退はあり得ないと強く求めたことを「結果的に東電に強い覚悟を迫った」(毎日jp)と、政府・東電統合対策本部設置と同様に評価している。

 この点も、だがである。

 既にブログに取り上げているが、9月17日付の《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)を見ると、違った様相が浮かんでくる。

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」

 菅が清水東電社長を官邸に呼んだのは2011年3月15日午前4時過ぎ。

 この1時間半過ぎの3月15日午前5時半過ぎに東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴った末に統合対策本部設置を決めている。

 管は一国のリーダーの務めとして、あるいは原子力災害対策本部長の務めとして清水東電社長を官邸を呼んだその場でなぜ撤退はとんでもない話だ、あり得ないということを伝え、相手を承知させることができなかったのだろうか。 

 「社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って」、1時間半後に東電本店に乗り込んだ。

 要するに指揮官にあるまじく、あるいは天下の首相でありながら、否定も肯定もしない曖昧な態度を取らせただけで、相手を納得させるだけの力量を備えていなかった。

 この逆説は如何ともし難いが、東電本店に乗り込んで、乗り込んだ勢いで怒鳴ることによって初めて相手を納得させることができた。怪我の功名だったということではないのか。

 昨夕のNHK「ニュースウオッチ9」でも細野が証言している。

 細野「最高指揮官が大きな声を出すと、反論できない人が多い」

 勿論この言葉は東電に乗り込んでいった際の結果オーライを言っているのではなく、一般的な意思疎通の点での弊害として言っている言葉である。

 客観的に見て正しいことを言う場合は結果オーライで反論できなくてもさして問題は起きないかもしれない。だが、番組が民間事故調の報告として「菅総理の強い自己主張は関係者を萎縮させることが多く、混乱や摩擦の原因となったとしている」と伝えていることは弊害の方が上回っていた意思疎通能力、情報伝達と情報収集能力の持ち主であったことを物語っている。

 その結果としてあった「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況であったという側面もあったはずである。

 多分、民間事故調の報告書の中で菅評価は政府・東電統合対策本部設置の一箇所のみだったのだろう。他にあれば、菅は自己正当化のためにコメントで取り上げたはずだ。

 民間事故調の報告書が菅政権の全体的な事故対応を「稚拙で泥縄的な危機管理」と総括している以上、功罪の差引き計算をしたなら、功罪相半ばとするならまだしも、功少なく、罪多しの状況にあるはずだが、その唯一の功(=評価)を以てして(私自身から言わせれば、既に触れたように怪我の功名、結果オーライに過ぎないが)罪との逆転を図って総体的にプラスだとする自己評価はご都合主義・責任逃れの意識を含んでいるはずだ。

 あるいは管のことだから、ご都合主義・責任逃れの意志そのものを含んだコメントであったかもしれない。

 このことは菅直人なる人間は何かマズイことが起きると、自らが責任を引き取るのではなく、部下に当たる人間に責任を押しつけるという評判を取っているが、このような人物像にも表れている都合主義であり、責任逃れであろう。

 このような性格を裏返すと、常に自分をプラスの評価に置こうとする意思の働きを発動させているということになる。

 最後にNHK「ニュースウオッチ9」が取り上げていた民間事故調の有識者委員の一人で、旧日本軍の失敗の原因を分析をした著書があるという野中郁次郎一橋大学名誉教授のコメントを書き記してみる。

 野中名誉教授「極めて限られた関係性の中で、内向きな、まさに危機管理をやったなあと。

 いくらマニアルを整備しても限界があります。多様な人々の知を触発する。そして参画させる、組織の総合力を機動的に発揮するっていうリーダーがやっぱ欠けていたと思います」

 広く意見を聞けと言っている。広く意見を聞く耳、聞く度量を持てということなのだろう。だが、怒鳴り、自分の意見を押し通そうとするばかりだったから、周りが萎縮し、諦め、自分からは進んで意見を言わなくなり、例え意見を求められたとしても、害のない、当たり障りのない意見しか言わなくなった。

 基本的には組織を機能させる能力を持ち合わせていなかった。そんな人間が資格も資質もなく一国のリーダー、首相となった。

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