日本の暗記教育は日本人の思考様式・行動様式となっている上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性からの派生活動としてある。上に位置する教師の教える知識・情報を下に位置する生徒が上が教えるままに機械的に従ってなぞり、教えた通りの知識・情報として頭に暗記する。
そこには生徒が自ら考える思考プロセスを介在させない。逆に生徒が自ら考える思考作用は暗記教育の阻害要因となる。
これが暗記教育である。
2011年9月17日当ブログ記事――《日本の暗記教育制度から見る大震災大川小学校の悲劇 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、東日本大震災の津波襲来前に宮城県石巻市大川小の教師が子ども避難のために取った行動様式が暗記教育の行動様式であり、権威主義の行動様式であったために児童108名中70名が死亡、4名が行方不明。教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明(Wikipedia/2011年4月9日現在)という犠牲を出したと書いた。
この主張が間違っていないことを証明してくれる記事がある。《避難マニュアルは資料のコピー》(NHK NEWS WEB/2012年2月11日 19時17分)
この記事では大川小の災害時の避難マニュアルが実際には周辺に該当する場所が存在しない『近隣の空き地・公園』となっていたとしている。
要するに避難マニュアルに不備があった。もし学校が実地避難訓練を行っていたら、この不備に気づいたはずだ。不備に気づかずに実地避難訓練を行なっていたとしたら、形式的に行っていたことになり、子どもを預かる学校教師としての役目と責任を果たしていなかったことになる。
いわば単に授業で生徒を教えるだけの機械と化していた。
教師としてのこのような不作為・怠慢は量り知れないことになる。
記事はこの不備から、〈学校や市の教育委員会が「人災の側面もあった」として先月、保護者に謝罪し〉たと書いている。
今更謝られても子供たちは帰ってこないと思った親も相当いたに違いない。
NHKが大川小の避難マニュアルの不備を動機として石巻市内のすべての小学校のマニュアルを調査したところ、石巻市が作成し、10年程前に各学校に配布した参考資料をそのままコピー、学校の立地などの個別の事情を全く反映していないケースが相次いでいたことが判明したという。
しかも1階が浸水した開北小学校の場合はマニュアルに参考資料であることを示す「例」の文字がそのまま残されていたという。
須藤十三男開北小校長「学校ごとに地理的条件や生徒数など違いがあるので、状況に応じて備えるべきだった。反省しなければならない点もずいぶんとあったと思います」
石巻市教育委員会「あってはならないことだ。教育委員会としても各学校のマニュアルの確認を怠っていた結果であり、担当者をすべての学校に派遣してマニュアルの見直しを行った。学校と地域が連携した防災体制の確立を急ぎたい」
校長も教育委員会も、そこに何起きていたのか、何も気づいていない。
市が作成、配布した、それぞれの学校の立地等の地政学的状況、教師対生徒の構成人員等の状況、これらの個別性を全く考慮・反映していない避難マニュアルを各学校ともそのまま自分たちの学校の避難マニュアルとした。
この構造は暗記教育形式・権威主義形式の知識・情報の授受にそっくり相当する。市という上に下の学校がそのままなぞり従ったのである。下の学校が各学校の個別の事情を考慮して自分たちの学校に適した避難マニアルとして整備する、考えるプロセスを省いたということであり、この点に関しても暗記教育の構造にそっくり当てはまる。
大体が「コピー」という動作自体がなぞる行為であって、教師が教える知識・情報を機械的になぞるだけの暗記知識を“コピー知識”と表現できることになる。
上記当ブログに書いた、2000年から段階的導入の『総合学習』が当初は授業が学校の自由裁量に任されるのは画期的だと持て囃されたものの、自由裁量に反して「何を教えていいのか、示して欲しい」と校長会などから文部省に要望が相次いだため、文部省が「体力増進」、「地域の自然や文化に親しむ」等を例示すると、各学校の実践が殆んどこの枠内に収まる右へ倣えの画一化が全国的に起こったことも、自分たちの考える思考作用を省いて下が上に機械的に従う権威主義性からの暗記教育の構造を取った知識・情報授受であり、『総合学習』段階的導入の2000年から10年以上も経っていながら、同じ構造の知識・情報授受が石巻市から市内の小学校へと立場を変えて何らの変化も受けずに滑稽なことに受け継がれていたことになる。
ブログにはこう書いた。〈要するに教師自体が第三者に頼らずに(『総合学習』の時間に)何を教えたらいいのか、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力を持ちあわていなかった。考える力がなかった。〉・・・・
それぞれの学校の立地等の地政学的状況、教師対生徒の構成人員等の状況、これらの個別性を各学校が自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する自己決定性を発揮して各学校に適した避難マニアルを作成する能力を持たなかった。
暗記教育の思考様式・行動様式に重なる上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性の思考様式・行動様式のメカニズムに囚われ、災いされたからこそ、避難マニュアルに関わる知識・情報の単なる機械的な授受――市の避難マニュアルをなぞって自分たちの避難マニュアルとするコピーを許すことになったのだろう。
では、同じ権威主義性に侵され、暗記教育を刷り込まれているはずの釜石小学校の子どもたちは津波に襲われながらどうして奇跡と言われている避難を行い得たのだろう。
この経緯は1月17日(2012年)放送のWEB記事「NHKクローズアップ現代/子どもが語る大震災(2)」 が答を出してくれる。
リンクを付けておいたが、一定日時で記事は消去される仕組みになっているようだ。
海から1キロ程度離れた高台にある釜石小は片田敏孝群馬大学大学院教授によって防災教育が徹底していた。そのため最大6メートルの津波想定のところ15メートルの津波が襲ったが、既に下校していて地震直後100人近い子どもたちが津波浸水地域で遊んでいたものの、子どもたち全員が助かった。
その理由は片田教授の防災教育が地元にある「津波てんでんこ、てんでんばらばらに自分で責任を持って逃げなさい」という言葉を徹底させたことにあるとしている。
この「てんでんこ、てんでんばらばら」は自分の命だけが助かることを考える利己主義からの単独行動を意味するのではなく、お互いにお互いが自分の命に責任を持って行動するという、それぞれの責任感が絆となった信頼関係からの単独行動だという。
片田敏孝教授「つまりですね、僕は釜石の子どもたちにも言ってきたんですね。僕はちゃんと逃げるということをお母さんに言う。
そうするとお母さんは、うちの子はちゃんと逃げてるんだから、私も逃げられるんだっていう。こういうてんでんこができるような、てんでんばらばらで逃げることができるような、お互いがお互いの命に責任を持つということを信頼関係で結び合ってること。
これが、てんでんこができるということの背景だと思うんですね」
ここにあるのは『総合学習』が言うところの自分で考え、自分で判断して、自分で行動する自己決定性の教えであり、避難マニュアル(片田教授は避難マニュアルを「ハザードマップ」と表現している)に関わる知識・情報を暗記教育形式に機械的に授受し、行動する無考えの決定性ではない。
このことは次の言葉が証明する。
片田敏孝教授「子どもたちには具体的には、ハザードマップを信じるなとまで言っていたんですね。
行政が出してるハザードマップ、これを信じるなというわけですから、たぶん、子どもたちも混乱する部分、あったと思うんです。
でもその真意を言ったんですね。これはあくまで人間が想像したものであると。相手は自然なんだから、どんなことだってありえるよなって。
だから君がそのときにできる、できるかぎりのことをやれ、こう言っているわけです。だから子どもたちは、ハザードマップ、もちろん知ってました。でもその範囲を越えて、逃げて、逃げて、逃げて。
そして最後まで逃げきってくれた」
暗記知識・情報の授受の否定、自己思考・自己判断の自己決定性のススメとなっている。
いわばハザードマップ(避難マニュアル)に書いてあるとおりをなぞる、あるいはコピーする暗記教育形式の知識・情報の授受を断ち切って、そこに子どもが自ら考え、自ら判断し、自ら決定する思考作用の具体的なプロセスを教え込んだ。
そして釜石小の子どもたちはこの教えに自ら考え、自ら判断し、自ら決定して具体的に応えた。
石巻市の各小学校が石巻市が配布した避難マニュアルを考えもなくそのままコピーして自分たちの学校の避難マニュアルとした暗記教育形式の知識・情報の授受と何と大違いな出来事だろうか。
釜石小の子どもたちは自分で考え、自分で判断し、自分で決定することの大切さを知ったはずだ。
現実に起こった津波避難に関わる子どもたちの知識処理・情報処理のこの大きな経験が教訓となって、学校の授業や他者との人間関係に於ける暗記教育形式の知識・情報の授受にも影響を与え、そこからの脱却に資することになるのではないだろうか。