菅直人の原発事故避難指示、自己正当化のための薄汚い情報操作

2012-02-13 09:39:17 | Weblog

 昨2月12日(2012年)「NHK NEWS WEB」記事が、菅が近藤駿介原子力委員会委員長に指示、作成させた、いわゆる「原発事故最悪シナリオ」の内容とその未公表問題について詳しく報道している。《“深刻事態シナリオ”公表せず》(2011年2月12日 19時4分)

 記事を纏めてみる。

●2012年3月22日、菅、近
 藤原子力委員会委員長に最悪事態想定のシナリオ作成要請
●2012年3月22日、近藤原子力委員会委員長、当時の総理大臣補佐官細野原発事故担当大臣に
 提出
●タイトル 「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」
●内容――「今後起こり得る不測の事態とその影響、それらを防ぐためにとるべき対策」
●想定し得る不測事態
 1号機水素爆発発生→原子炉注水不可能→付近の放射線量上昇→作業員退避→4号機燃料プール
 注水不可能→燃料露出と融溶→同時に2号機・3号機注水不可能→格納容器損壊→放射性物質
 の外部大量放出
●不測事態に対する対応措置
  半径170キロ、住民強制的移転 
  半径250キロ、住民任意の移転(福島第1原発~東京220キロ)
●対策
  水素爆発防止のための格納容器への窒素注入
  原子炉冷却手段の多様化、海水注水から淡水注水への切り替え
  水源確保
●提出後の 「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」の扱い

 1.昨年末まで公文書として扱われず、情報公開の対象とされていなかった
 2.総理大臣の任務を補佐する内閣官房や内閣府、文書の存在を把握できず、公文書として管理
   できなかった 
 3.昨年末、情報公開請求をキッカケとして原子力委員会事務局が文書を探した結果、偶然、一
   部見つかり、初めて公文書として扱われる。
 4.内容について菅前仮免が昨年9月、NHKとのインタビューの中で明らかにする。

 関係者の発言。

 細野原発事故担当相今年1月6日記者会見で未公表について)「知っているのは総理と私程度で、そのほかに出していなかった。過度の心配を及ぼす可能性があると考えた」

 内閣官房「総理大臣や補佐官が個人的に受け取った文書については把握しきれず、指示がない場合は管理できない」

 近藤委員長「文書は3月22日に当時の菅総理大臣の要請を受けて作成した。『最悪のシナリオ』を想定するのが目的ではなく、起きうる不測の事態を考え、それを防ぐために検討すべき対策を示すのが目的だった」

 原子力委員会事務局(現在「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」を保管)「委員長が個人的に作成したもので、本来は原子力委員会として保管する文書ではない。今回は偶然事務局で見つかったので保管している」

 「委員長が個人的に作成した」としているが、他の委員に話さずに作成したことを先ず問題としなければならないが、原子力委員会委員長の立場で作成したことと内閣総理大臣の要請ということになれば、政府が関わって作成した文書である以上、公文書の扱いとなるはずである。

 近藤委員長が他の委員の意見も聞かずに一人で作成したということは菅仮免が当初から秘密にしておく意図から、近藤委員長一人の作成としたということなのだろうか。

 国際政治が専門で、政府の公文書管理の実情に詳しいという植村氏の発言。

 植村秀樹流通経済大学教授「公人が公人に提出したもので、本来、内閣官房、原子力委員会の両方で保存すべき公文書だ。アメリカなどでは、このレベルの文書は、出した側、受け取った側の両方が保存している。総理や補佐官に対して提出された文書については、完全な『私信』以外は、すべて公文書であるという認識を持ち、保存・管理してもらいたい」

 記事は昨年9月のNHKとのインタビューで菅仮免がこの文書の内容を明らかにしたことを伝えている。

 だが、当時のNHKインタビュー記事は東電のベント作業の遅れと東電の清水社長との撤退問題についてのみの言及となっている。

 このブログ記事で問題としたいのは住民の避難範囲に関わる指示である。時事通信とのインタビューで菅仮免は触れている。

 その前に細野は2月7日(2012年)の参院予算委で「最悪シナリオ」について荒井広幸新党改革議員の質問に答えている。

 荒井議員「先ずお尋ねいたします。最悪のシナリオ、これについて細野大臣、誰と誰が知っていたんでしょうか」

 細野原発事故担当相「えー、お尋ねのシナリオでございますが、3月25日にですね、えー、菅総理が、えー、近藤原子力委員に対しまして、えー、要請をいたします。それに応える形で提出をされました。

 あのー、この中身でございますが、時間がありませんので、長くは申し上げません。書かれているポイントといたしましては、当面の避難の必要性という意味では、10キロ以上は必要でないと。

 但し、えー、この最悪のシナリオはですね、私の方から近藤委員長に対して、あり得ないと思うようなことを含めて起こってきたという、これまでの経緯がありますから、最悪の最悪は何かということをですね、最悪の最悪ということを考えて、えー、作ってくれということを申し上げました、ので、1号機の原子炉そのものが、そのものの爆発というですね、えー、当時はもう、あのー、誰が見ても、えー、炉が損傷されておりましたから、あり得ないだろうということを、敢えて想定して、作ったものでございました。

 ですので、私が受け取ったとき、一つホッとしましたのは、これだけ最悪のことを想定しても、えー、当面の20キロというところに関しては妥当だという、そういう結果を出したことに関しては、若干ホッとしました。

 しかし一方で、そうなった場合には、えー、4号機についての対応ができなくなると、え、そして時間をかけて、えー、避難をしなければならない範囲が拡大する可能性があるということでございましたので、そのことについては非常に大きな危機感を持ちましたので、そこで、そうならない対応のように全力を尽くしたということでございます。

 え、様々な受動可能性、措置であるとか、万が一に対してきちっと対応できるような備えを含めて、え、そのことを実行する、えー、人間として、総理から馬渕補佐官を任命をしていただいたということでございます。

 従いまして、馬渕大臣補佐官はこのことを承知をされております。ですので、今申し上げました菅総理、そして、え、近藤原子力委員長、馬渕総理補佐官、そして私がこの情報については完全に共有をしておりました。

 そのほか、えー、当時枝野官房長官でしたか、こういうことをしているということについては、シュミレーションとしているということについてはですね、ご報告をしておりましたが、詳しい情報の共有というのはしておりませんので、このようにというのがご答弁になります」

 天下の一大臣である。もう少し簡潔・的確な発言ができないのだろうか。新聞は記事にした場合、発言を纏めるから的確な発言に見えるが、直接接すると、ムダな言葉が目につくことになる。

 言葉は情報伝達の的確性、速度に深く関係してくる。満足な情報伝達が期待できない印象しか浮かばない。

 荒井議員「議事録がない。不都合な真実と言いますか、事実を隠しているのかなと、非常に強く思ってるんです」

 荒井議員は「政府与野党合同実務者会議」の議事録記載問題に質問を変えて、「最悪のシナリオ」に関してはそれ以上の追及はしなかった。

 細野原発担当相は上記「NHK」記事では「最悪のシナリオ」を未公表としたことについて1月6日記者会見で、「過度の心配を及ぼす可能性があると考えた」と言っている。

 だが、この国会答弁では、「私が受け取ったとき、一つホッとしましたのは、これだけ最悪のことを想定しても、えー、当面の20キロというところに関しては妥当だという、そういう結果を出したことに関しては、若干ホッとしました」と言っている。

 当時の避難状況と東電撤退問題を「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」の受領との関係で見てみる。

2011年
 3月11日、第1原発半径3キロ圏内避難指示・3キロ~10キロ圏内屋内退避指示
 3月12日、第1原発半径10キロ圏内避難指示
       第2原発半径3キロ圏内避難指示・3キロ~10キロ圏内屋内退避指示
 3月15日、午前4時過ぎ東電清水社長、首相官邸で菅仮免と撤退問題を話し合う 
 3月15日、午前5時35分東電本社に政府・東電福島事故対策統合対策本部を設置
 3月15日、午前11時00分第1原発半径20キロ~30キロ圏内屋内退避指示

 3月23日、「最悪シナリオ」の作成を近藤原子力委員会委員長に要請
 3月25日、「最悪シナリオ」を細野原発事故相に提出

 4月21日、第1原発半径20キロ圏内警戒区域に設定
       第2原発の避難区域を半径10キロ圏内から8キロ圏内に変更
 
2012年1月6日 
 細野原発事故担当相「知っているのは総理と私程度で、そのほかに出していなかった。過度の心配を及ぼす可能性があると考えた」

 3月25日から4月21日に至る過程で発表があっても然るべきであり、例え警戒を緩める状態でなくても、住民が避難に前以て備えておくためにも3月25日の受領後直ちに発表があって然るべきだったろう。

 備えもなく、住民が知らない最悪想定が実際に最悪事態として突発的に襲来してからではなお一層のパニックを引き起こさない保証はない。

 菅仮免は一国のリーダーとしての情報の扱い・情報共有の的確な方法に無知だったとしか思えない。

 菅前仮免が避難範囲についてインタビューを受けた記事を見てみる。《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 2011年9月17日までのインタビューで、NHKのインタビューは9月11日、時期はほぼ重なる。

 記者「避難区域を半径3キロ、10キロ、20キロと拡大させた対応について」

 菅仮免「複数の原子炉がシビア・アクシデントを起こした経験はどこの国にもない。夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか。逃げられるような段取りを含め、結果として段階的に広げた。間違っていたとは思わない」

 記者「3月16日に『東日本がつぶれる』と発言したと伝えられた。」

 菅仮免「そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う」・・・・

 段階的避難区域拡大とそれぞれの避難範囲設定を正当化する発言となっている。
 
 「いろいろなことをいろいろな人に調べさせた」は主として近藤原子力委員会委員長を指し、そのことによって知り得た知識の出所は「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」であるはずだ。

 繰返しになるが、「最悪シナリオ」に於ける避難範囲については細野原発事故相は2月7日(2012年)の参院予算委で、「一つホッとしましたのは、これだけ最悪のことを想定しても、えー、当面の20キロというところに関しては妥当だという、そういう結果を出したことに関しては、若干ホッとしました」と証言している。

 3月25日以降の時点で、「当面の20キロ」は妥当な避難指示だと言っている。

 但し不測事態に対する対応措置に関して「最悪シナリオ」とした「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」の「半径170キロ、住民強制的移転」、「半径250キロ、住民任意の移転」という想定は、菅仮免が言っているように「(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる」「初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」といった被害の極端な甚大さを否応もなしに想像させ、聞く者をして恐怖させるような大袈裟な表現で示さなければならなかった想定だったろうか。

 断っておくが、3月15日午前5時35分に東電本社に政府・東電福島事故対策統合対策本部を設置した時点で東電の第一福島原発からの撤退問題は解消していたのである。

 そして統合対策本部設置から約5時間半後の3月15日午前11時00分に20キロ~30キロ圏内屋内退避指示を行なっている。

 これは東電の撤退問題が解消したからこそできた20キロ~30キロ圏内屋内退避指示であろう。

 それを9月になってから、「(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら放射能が放出され、200キロも300キロも広がる」と言っている。

 あくまでも3月25日受領の「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」に根拠をおいた、受領以前は何ら根拠もない、にも関わらず、もはやあり得ない東電撤退を持ち出して大袈裟に表現した、「200キロも300キロも広がる」であり、「初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない」であった。

 自身の避難指示を正当化するために情報操作・虚偽情報まで用いたのである。

 避難指示正当化を通して、原発事故全対応のすべてを自己正当化したい衝動を働かせていたはずだ。

 このことは大震災の復旧・復興対策及び原発事故対応に関して実態とかけ離れているにも関わらず、「内閣としてやらなければならないことをやってきた」の強弁を国会答弁の常套句としていたことが証明している。

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