ご存知のように、朝日新聞が従軍慰安婦の強制連行に関わる「吉田証言」を虚偽と判断して、証言を用いた記事を取り消したことから、従軍慰安婦強制連行否定派が朝日を国会招致だ何だと勢いづいている。
勿論、国家主義者安倍晋三は否定派の頭目である。安倍晋三の歴史認識を考えているうちに、安倍晋三が2006年7月20日発刊の自著『美しい国へ』の中で、「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」と言っていることの意味に遅まきながら気づいた。
「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」(p24~p27)と題した一節を書き出してみる。
〈大学にはいっても、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった。あいかわらず、マスコミも、学会も論壇も、進歩的文化人に占められていた。
ただこの頃には、保守系の雑誌も出はじめ、新聞には福田恆存氏、江藤淳氏ら保守系言論人が執筆するコーナーができたりして、少しは変化してきたのかな、と感じさせるようになっていた。
かれらの主張には、当時のメインストリームだった考え方や歴史観とは別の見方が提示されていて、私には刺激的であり、新鮮だった。とりわけ現代史においてそれがいえた。
歴史を単純に善悪の二元論で片付けることができるのか。当時のわたしにとって、それは素朴な疑問だった。
例えば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとの一言で片付けられることが多い。しかし、果たしてそうだろうか。
確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか。
百年前の日露戦争のときも同じことが言える。窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金も取れなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金を取るまでねばり強く交渉する気力さえなかったのだ。
だが、不満を募らせた国民は、交渉に当たった外務大臣・小林寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思い込んで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小林も暴徒たちの襲撃にあった。
こうした国民の反応を、いかに愚かだと切って捨てていいものだろうか。民衆の側からすれば、当時国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった。他方、国としても、そうした世論を利用したという側面がなかったとはいえない。民衆の強硬な意見を背景にして有利の交渉をすすめようとするのは外交ではよくつかわれる手法だからだ。歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないからだ。
この国に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。
だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本及び日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。
現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きた人たちにたいしても責任を持つ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたかについて、プルーデント(慎重)な認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神なのではないか、と思っている〉――
安倍晋三は「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」と言いながら、「その時代」から離れて、現代の視点から、「確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある」と、実際はそんなことは思ってもいないのだが、文章のバランス上そういった態度を取って歴史を見つめ直すご都合主義な矛盾を犯している。
「マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していた」、それが当時、「その時代に生きた国民の視点」なのであり、その「視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」ことが正しい歴史認識であり、正しい歴史解釈であると主張している。
つまり後世の人間は歴史をその当時の国民が見たとおり、感じたとおり、行動したとおりに見なければならないし、感じなければならないし、行動したとおりに解釈しなければならないと言っていることになる。
このことを裏返すと、歴史に関しては後世の人間は自らの目を通して眺めてはならないし、感じてはならないし、自身が取るであろう、あるいは取らなければならないとする責任感や義務感に立った行動を起こしてはならないということになる。
要約すると、歴史から何も学ばないということである。あるいは歴史から何も学んではいけないということになる。
日露戦争当時の国民の態度にしても、「民衆の側からすれば、当時国の実態を知らされていなかった」としても、国民が日露戦争の勝利に熱狂し、その勝利に反して賠償金を一銭も取れなかった講和条約に対して熱狂が激高に変じて暴徒化した歴史事実は「国民の視点」によってつくり出された歴史事実なのだから、その「視点」で読み解き、歴史としなければならないということになる。
国家権力によって「国の実態を知らされていなかった」のだから、現在の目で見て国民が暴徒化した「歴史を単純に善悪の二元論で片付けることは」できないし、「歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではない」。
安倍晋三の歴史認識論に従うと、北朝鮮の金三代独裁体制が崩壊し民主化されたとしても、民主化された北朝鮮国民は独裁体制時代の歴史を当時の独裁体制下の北朝鮮国民が公には熱狂して支持した目を通して見つめ、解釈しなければならないことになる。
つまり、学ぶというどのようなプロセスを置いてはいけないことになる。学んで後世の歴史の参考にするというプロセスを置くことも、当然、安倍晋三流歴史認識論としては邪道ということになる。
その結果、北朝鮮ではどのように民主化されたとしても、金日成・金正日・金正恩三代は永遠の英雄として存在することになる。
戦前の日本の国家権力も、国家権力が暴走した戦前の戦争も、マスコミも国民も熱狂して支持したのだから、熱狂して支持した目を通して歴史を見なければならない。
要するに安倍晋三は戦前の国家権力にしても戦前の戦争にしても、その歴史から何も学ばず、戦前のマスコミや国民が熱狂的に支持したのと同じように熱狂的に支持していることになる。
この文脈からしても、常々言っていることだが、靖国神社に参拝して、戦没兵士に対して「お国のために尊い命を捧げた」と称える顕彰は尊い命を捧げることとなった戦前国家と戦前戦争を併せて称え、肯定しているとすることができる。
安倍晋三は「安倍内閣として侵略の事実を否定したことは一度もない」と言っているが、当時のマスコミや国民の目を通した解釈通りに聖戦・自存自衛の戦争と見ていることになるから、「侵略の事実を否定したことは一度もない」は侵略戦争だったと肯定しないためのレトリックに過ぎない。
戦前という歴史を全面的に肯定することは、戦前の国家権力とその戦争の歴史から、国家権力に対する国民の監視の必要性を学分ことを省くことになるし、国家に言いなりになるのではなく、国民の権利の主張の必要性を学ぶことも省くことになる。
何も学ばなくてもいいということはそういうことであろう。
例えば戦前は国家の戦争に反対することは国賊とされ、それが国家による国民に対する正しい断罪だった。戦後、戦争反対のデモを行うにしても、その動機を戦前の戦争に国民が反対せずにズルズルと巻き込まれてその深みにはまっていったことの反省としてはならないことになる。何しろ戦前の国民は戦争を熱狂的に支持したのだから。
歴史から何も学ぶなとすることは国民を愚かしいままにして置けという一種の愚民論に相当する。