第2次安倍改造内閣起用の女性閣僚は「女性の活躍」の看板に添って3人から5人に奮発、2001年の第1次小泉内閣と並んで過去最多だそうだ。だが、その5人のうちの3人は安倍晋三と歴史認識の点でベッドを共にしていると言ってもいい極めて親しいお友達で、その3人とは、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長兼拉致問題担当相、有村治子女性活躍担当兼行政改革担当相の面々である。
高市早苗については今更言うまでもないだろう。
直接的な被爆死はゼロであっても、復興庁2014年5月27 日発表、2014年3月31日現在の震災関連死者は3089人となっている悲惨な影響を無視して、原発再稼働の党方針を強調する意図で、「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」と言い放ったその心境は広島で多くの住民が大規模な土砂災害に見舞われて、被害の様相が悪化の方向に予想されるにも関わらずゴルフをしていた安倍晋三のその当時の心境に共通している。
要するに住民無視の心境である。国民無視・国家優先の国家主義の心性に於いて安倍晋三と常にベッドを共にしているような女である。
このことは高市早苗の靖国神社参拝の常連であるところにも現れている。
高市早苗は2013年5月12日NHK「日曜老論」にNHK福井局スタジオから出演している。
司会「果たして安倍内閣は戦後体制の見直しと言っているのか、東京裁判の結果というものを受け入れてこの国を作ってきた歴代内閣と同じなのか、違うのか。この辺りは如何でしょうか」
高市早苗「国家観・歴史観についてではですね、安倍総理ご自身違った点もあるかとも思います。で、私自身もですね、先程来靖国参拝の話が出ておりますけれども、ここでやめたら、終わりだと思っております。
要は国策に準じて命を捧げた方、いわば公務死された方を如何にお祀りするか、如何に礼をするかというのは国の内政の問題でございます。
中国との間でもですね、1972年、そのとき相互内政不干渉という約束をしておりますし、それから中国が靖国参拝に文句を言い出したのは1985年からです。ですから、後世で、あの戦争が正しかったとか、間違っていたとか、そういった戦争の評価というものとですね、公務に殉じて亡くなった方をどう慰霊するかということは分けて考えなければいけなくて。
じゃあ、例えがアーリントン墓地に日本の閣僚が、総理がですね、花束を捧げに行く。まあ、これはいいのか悪いのかって言い出したあら、あの、東京大空襲、今、私がいますのは福井のスタジオですが、ここも空襲に遭いました。
原爆投下は良かったのか悪かったのか、(ふっと笑いを短く漏らして)すべての国がですね、お互いに謝り謝らないか(という)話になりますね」――
戦争の評価と公務に殉じて亡くなった戦死者を慰霊する問題は分けて考えなければならないと言っているが、戦争の評価と国策に対する評価は相互対応の関係にあるのだから、例え「国策に準じて命を捧げた」としても、それが間違った戦争を生み出した間違った国策であるなら、間違った国策に準じて命を捧げたということになって、戦死者の行為は滑稽なものとなる。
いわば正しい戦争だったが、間違った国策だったということも、逆に間違った戦争だったが、国策は正しかったという相互に異なる評価は不可能であり、戦争の評価と国策に対する評価は正誤いずれかに一致させなければならない対応した関係にあるのだから、「国策に準じて命を捧げた方」と国策を正しいと評価する文脈で言っている以上、高市早苗は安倍晋三と同様に戦前の日本の戦争を侵略とは見做さずに間違っていない戦争と歴史認識としていることになって、安倍晋三と極めて近しい歴史認識お友達と言うことができる。
このような歴史認識はいつの時代の日本国家も常に正しいという考えから来ている。日本民族を絶対視する思想である。
外国との関係に於いて外交上の必要性や経済上の必要性からその国の首脳とニコニコと握手して相互的な友好関係を演出するだろうが、安倍晋三のように日本民族を絶対視する思想を精神の核としている政治家は決してそこに対等性を置かない。多くの国々を上から見ることになるだろう。
高市早苗は安倍晋三に準ずるということである。
女性活躍担当の有村治子を見てみる。
インターネットで探したことだが、有村治子は2009年5月31日、《生命尊重推進の会 天使のほほえみ》主催の講演に応じている。その要旨の中に次ように発言が記されている。
有村治子「国政の決断で迷いのある時など、一人で靖国神社にお詣りして、英霊にお尋ねする。国難の時に生命を捧げられた英霊が、『最後に守るべき価値観とは何か』をお教え下さるのだと思う」――
言っている意味が分からない。国政の決断に迷ったとき、靖国を参拝すると英霊が「最後に守るべき価値観とは何か」を教えてくれるということなら意味が通じる。「お教え下さるのだと思う」と、確信もない推測を言うことは「国政の決断」という重大さに矛盾する。
英霊たちの「最後に守るべき価値観」は「天皇陛下バンザイ、日本バンザイ」と言って死んでいったのだから、戦前天皇であり、戦前日本国家であった。現代の参拝者たちは英霊たちが守り通した「最後に守るべき価値観」を再確認する儀式として参拝する。勿論、現代の参拝者の「最後に守るべき価値観」は戦前から今に続く天皇であり、今に続く日本国家であって、戦前と戦後に連続性を持たせている。戦前天皇及び戦前日本国家と戦後天皇及び戦後日本国家の架け橋が靖国神社の英霊たちであり、A級その他の戦犯というわけである。
あるいは靖国神社という空間が戦前と戦後をつないでいる場所となっている。
戦前と戦後をつないで「最後に守るべき価値観」としているから、その一つである天皇を国家元首に据えたい衝動を起こす。天皇を元首に据えた日本国家とすることで、「守るべき価値観」を高めることを狙っている。
決して「最後に守るべき価値観」の中に国民を対象としてはいない。
有村治子にしても同じだということである。
最後に守るべき価値観」の「最後」という言葉は「ある物事を推し進めて最後に到達するところ」という意味の“究極”と同じ意味を成す言葉であろう。いわば天皇と日本国家に究極の価値観を置いている。
有村治子「私達がこうして生きて集えるのも、それぞれのご先祖たちが、どんな苦難のときにも、戦塵の中でも、子供を守ろうとがんばってきて下さったからだ。そのお陰で今の私達が存在している。これは、奇跡だ。直系のご先祖の一人でも欠けていたら、私達の命はなかった。この大切な命を次につなげていかなくてはと思う。
『歴史から学べ』とよく言われるが、英雄を追う歴史だけでなく、自らの生存と国の生存が危うい時に、先人たちがどんなに智恵や勇気をもって生命を受け継いできて下さったか、明治維新から、明治、大正、昭和の歴史を皆で謙虚に向き合い、学び取りたいと思う。」――
「直系のご先祖の一人でも欠けていたら、私達の命はなかった」と言っていることは「一人も欠けていない」ことを前提とした言葉であるから、生き長らえた人間だけを対象とした認識ということになる。
実際には子供の頃や若い頃に病気で亡くなったり、中絶の技術がなかっために封建時代から昭和初期まで貧しさ故に生れてから幼児を殺す間引きが農村では頻繁に行われていたというから、欠ける人間がいくらでも存在し、当然、生命を受け継ぐことなく無の存在と化した人間や、あるいは生き長らえることができたなら生命を受け継ぐはずだった誰かが、それが叶わなわずに無の存在のまま推移したケースはいくらでも想像することができる。
この想像は身近な者を亡くした近親者なら理解できるだろう。「生きていたなら、今頃は結婚して子どもを生んでいたはずだ」と思う。「その子どもはどのように育っただろうか」と想像する。だが、目に見える形で存在しない。きっと捉えどころのない空虚感に襲われるに違いない。
靖国神社に眠る戦死者にしても結婚もせず、結婚しても、子どもを設けていなくて、命を受け継がなかった者、命を受け継がれることなく、この世に存在することなく終わった者はいくらでいたはずだ。
靖国神社参拝者でありながら、そういった無を強いられた存在への思い遣りもなく、生き長らえた人間のみを認識して、その生き長らえを奇跡だと先祖に感謝する。
講演で妊娠中絶反対の発言をしているが、これも止むを得ない事情を抜きにした、生き長らえのみに重点を置いた妊娠中絶反対の構造を取っているはずだ。
有村治子「いつから日本は、『子供ができた・できない、作った・作らない、堕す・堕さない』などの言葉を使う国になってしまったのか。その頃から、子が親を殺し、親が子を殺す世相になってしまったのではないか。
これからは、『神様から、仏様から、天から、ご先祖から、子供が授かった』という言葉を使いたい。
今日本では年間100万人の子供が生まれている。それに対し、中絶は報告されているだけで、25万人いる。この事を政府は一切言及していないのが、とても悔しい。
ぜひ、生命の重みをしっかり受け止める国にしていきたい」――
要するに諸々の事情を配慮しない、有村治子流の道徳観からのみの妊娠中絶一律反対の主張となっている。
人間は生物学的生きものであると同時に経済的生きものでもあり、立場に応じて社会的生きものとしての制約を受ける。行動の結果に対して法に反しない範囲で個人に責任を置く自由を認めずに生物学的にも経済的にも社会的にも一つの道徳観で一律に律した場合、世の中を息苦しくさせるに違いない。
有村治子はそれを狙っている。
日本国憲法は思想・信条の自由を個人の権利として認めている。有村治子がどのような思想・信条を持とうが誰も反対できない。だが、選択的夫婦別姓制度にも反対していて、有村治子が保守的な家族観・男女観の持ち主であることを認識していなければならない。
有村治子はまた安倍晋三と同様に「河野談話」の日本軍による従軍慰安婦強制連行を否定する立場に立っている。安倍晋三とかくまでも歴史認識お友達となっている。
山谷えり子は慰安婦問題では従軍慰安婦が強制連行されたとする主張を否定する立場を取り、1952年6月9日参議院本会議の「戦犯在所者の釈放等に関する決議」可決と1953年8月3日衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」可決、その他の法律の可決によって国内法上も国際条約上も日本に於いて戦犯は存在せず、故に靖国神社にA級戦犯とされた死者が祀ってあったとしても、首相が参拝しないのは法の正義と秩序に反することとして、首相の靖国神社参拝を求める運動を推進している。
このように山谷えり子と安倍晋三は一見同じ血を分け合った兄弟かと見間違う程に歴史認識お友達の関係にある。
9月3日の安倍晋三の改造後の記者会見で、フィナンシャル・タイムズの記者が質問している。
ソーブル記者「女性閣僚に関して伺いたいのですけれども、今度5人が入閣して過去最多と並びました。女性の数を増やすことによって安倍政権の政策は、具体的にどのように変わるか教えていただきたい。
そして、実際に今回入閣した女性の過去の発言や所属している政治団体を見ますと、例えば、家族構造、女性と仕事、女性の家庭の中の在るべき存在などについて、かなり保守的な意見を持っている方が多くいると思うんですが、これを受けて安倍政権が訴えている女性が輝ける社会というのは、具体的にどのような社会なのか。国民から見てどう理解すればいいのか、説明をお願いします」
安倍晋三は相変わらず余分な発言で水増ししているが、そこは割愛して、ソーブル記者の質問に対する答のみを見てみる。
安倍晋三「第2次安倍政権の2人が少ない、そして改造内閣の5人が多いということではなくて、それぞれ大いに力を発揮していくことによって、社会全体に変革を起こしていくことができると私は確信しています。
そして、女性の閣僚の中で、保守的な考え方を持っているではないかというお話でありますが、私もそういう批判をずっと浴びてきましたが、今、正に私は女性が輝く社会の先頭ランナーに立っていると自負をしているわけでありますし、その女性の閣僚の方々自体が、正に自分の能力を開花させて、それぞれの閣僚のポストに就いたわけであります。そうした結果で、是非見ていただきたいと、このように思います」――
安倍晋三は何も「女性が輝く社会の先頭ランナーに立っている」わけではない。女性が輝く社会実現の政策遂行の先頭ランナーに過ぎない。実際に女性が輝く社会を実現できるかどうかは未だ未知数である。
また、安倍晋三が様々な政策の先頭ランナー足り得たとしても、有村治子が言っている、天皇と日本国家を究極の立場に置いた、戦前から戦後に引き継いでいる「最後に守るべき価値観」に色濃く彩られたその保守思想は子どもに対する国家の立場からの愛国心の涵養や道徳教育の教科化に現れている構造を取っている以上、安倍晋三と歴史認識お友達である3人の女性閣僚の古い価値観を後生大事にしている保守思想にしても各政策に反映しないでは済まないはずだ。
連中は可能な限りの形で戦前日本を取り戻そうとしている。その危険性に気づかなければならない。