娘を生活苦から殺した母親が市に相談に来たとき、「生活にお困りですか」と声をかけなかったのだろうか

2014-09-26 08:51:35 | Weblog


千葉県銚子市の県営住宅の母子家庭で43歳の母親が中学生2年生13歳の娘を殺した。母親は警察に「生活が苦しくなって、将来が不安になり、首を絞めた」と話したという。

 一昨年7月から家賃が滞納していた。昨月8月まで、26カ月も滞納していたことになる。

 「NHK NEWS WEB」から経緯を見てみる。《中学生死亡 殺人容疑で母親逮捕》「NHK NEWS WEB」/2014年9月24日 18時47分)

 9月24日、裁判所の職員が部屋の明け渡しを求めるために訪れ、遺体を発見した。警察の検視の結果だろう、約死後1日以内と見られるとのこと。

 銚子市の記録に母親が去年4月、生活保護の窓口に相談に訪れていたことが残されているという。

 記事は、〈このときの相談は「生活保護の制度について知りたい」という内容で、市側は、生活保護を受けたいという申し出ではなかったため、受給に向けた手続きは取らなかった〉と市の対応を伝えている。

 これ以降の相談の記録はなし。

 他の記事によると、「自分も死のうと思った」と母親の言葉を伝えていて、無理心中を図ろうとしたものの、果たせなかったことになる。

 県としては家賃滞納のパターンがおしなべて貯蓄が殆ど無く、その上働いていても、家賃を払う余裕のない給与のために払うことができないか、失業中で、仕事を探していても、仕事が見つからず、収入が無いために払うことができないか、病気で働くことができず収入ゼロのために払うことができないか、あるいは生きる意欲を失っていて、それが労働意欲の減退となって現れて、働きもせず、食べて寝る以外の営みに怠惰な状況に陥っているというパターンもあるはずで、これらのパターンとは真逆で、心身共に健康で貯蓄も収入も十分にありながら、踏み倒す意思から払わないか、等々、ある程度のパターンは前以て把握しているはずである。
 
 県が母親の家賃滞納に対して裁判所に明け渡し請求の法的手続きを取ったのが何カ月前か分からないが、9月24日に裁判所の職員が部屋の明け渡しを求めるために訪れていたことからして、少なくとも20カ月以上も長期に滞納していた時点で取ったと思われる。

 県は前以て世帯構成が母子家庭であることを把握していたはずで、母親の家賃滞納がどのようなパターンからのものか、裁判所への明け渡し請求の法的手続きの前に本人に直接尋ねることをしなかったのだろうか。
 
 もし尋ねて、家賃滞納に正当な理由があるとすることができたなら、その救済は生活保護の支給以外にないはずだ。

 だが、記事には県が生活保護の手続きを取るよう、市に紹介したとは書いてないから、家賃滞納に正当な理由を見い出すことができなかったために裁判所に手続きを取り、裁判所は手続き通りに部屋の明け渡しを正当とする判決を行い、その判決に従って裁判所の職員を部屋の明け渡しのために派遣したのだろう。

 県は明け渡しによって、家賃滞納の解決にしようとしたわけである。と同時に家賃滞納解決策としての部屋の明け渡し要求は明け渡し以後の母子の生活は問題なしと見ていなければならない。

 問題ありと見ていたなら、江戸時代の非道な悪徳商人や悪代官というわけではないのだから、引き渡しを求めることはできなかったろう。

 裁判所にしても、問題なしの見通しに立って明け渡し判決を言い渡したはずだ。

 対して母親は13歳の娘と無理心中を図ることで家賃滞納、その他一切を解決しようとした。結果的に裁判所の職員が部屋の明け渡しを求めるために訪れた日時の24時間以内に娘を殺して、自分は死に切れずに生き残り、逮捕された。その時点に於ける母親なりの一つの解決である。

 この先娘に対する殺人罪の裁判の判決という一つの解決が待っていて、執行猶予付きではない有罪の判決であったなら、刑務所に入所というもう一つの解決が待ち受け、死ぬまで幾重もの様々な解決を経ていかなければならない。

 母親は去年4月、銚子市の生活保護の窓口に相談に訪れた。但し、〈相談は「生活保護の制度について知りたい」という内容で、市側は、生活保護を受けたいという申し出ではなかったため、受給に向けた手続きは取らなかった〉――
 
 そしてそれきりとなった。

 だが、結果として生活苦から母親は無理心中を図って、13歳の娘だけを殺すことになって、自分は生き残ってしまった。

 小学生や中学生、あるいは高校生が勉強のために「生活保護の制度について知りたい」と生活保護の窓口を訪れたわけではない。尤も現代ではインターネットで調べれば、簡単に知ることができるから、そのような理由でわざわざ尋ねる小中高生は少ないだろう。

 中年の女性が訪れたのである。制度を知りたいという裏には本人か誰か知り合いの生活保護の受給に関わる仕組みを知りたい意図があったはずで、訪問の意図を汲み取って、「誰か生活にお困りですか」と一言でも尋ねるべきだったが、尋ねるだけの親切心を発揮せず、〈市側は、生活保護を受けたいという申し出ではなかったため、受給に向けた手続きは取らなかった〉。

 要するに生活保護の窓口を訪れた市民であっても、市の方から訪問の意図や生活状況を積極的に尋ねることはせず、生活保護受給の申し出であるなら、受給可否の手続きを取り、その申し出でなかったら、受給に向けた手続きは取らないシステムとしている。

 余りにも事務的に過ぎないだろうか。

 このような市の事務的な姿勢に生活保護受給者を一人でも増やすまいとする行政側の意図を感じないわけにはいかない。

 県が部屋の明け渡し以後の母子の生活は問題なしと見ていたであろうことが、あるいは市が「誰か生活にお困りですか」と一言声をかけなかったことが、母親が生活苦を解決する手段として無理心中を図って、娘だけを殺してしまった事実を引き出したとする指摘は結果論に過ぎないとしても、県の部屋の明け渡し要求と市の生活保護受給の申し出ではなかったために受給手続きを取らなかったことが母親の残酷な解決につながっていったことは事実として否定できないはずだ。

 政治家はよく「国民に寄り添う」とか、「市民に寄り添う」という言葉を使うが、実態として果して寄り添っているのだろうか。事務処理が事務的であること以外何も見えてこない。記事からは生身の人間であると感じ取れるのは母親とその13歳の娘だけとなっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする