安倍晋三が傷つけられたとする「日本の名誉」は日本軍の従軍慰安婦強制連行の事実に関して一切存在せず

2014-09-13 08:27:30 | Weblog



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       日 時:平成26年9月14日(日)9:00~10:50
 
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       ○内政・外交の重要課題について
       ○臨時国会・今後の政局にどう臨むか

 ――朝日新聞の「吉田証言」に基づいた報道は誤報だったとしても、従軍慰安婦強制連行に関わる報道の全てが誤報なのか――

 朝日新聞が従軍慰安婦報道を、日本軍が韓国女性を暴力的に強制連行して従軍慰安婦に仕立てたとするいわゆる「吉田証言」に基いて報道、「吉田証言」が歴史的事実に反することが判明して、その報道の一部について約30年余ぶりに誤報だったと取り消し、謝罪した。

 この件について安倍晋三が9月11日(2014年)ニッポン放送のラジオ番組に出演、物申したという。《首相 朝日新聞記事で日本の名誉傷ついた》NHK NEWS WEB/2014年9月11日 18時43分)

 安倍晋三「個別の報道機関の報道内容の是非に関してコメントすべきではないと思うが、例えば慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言っていいと思う。

 一般論として申し上げれば、報道は国内外に大きな影響を与え、時としてわが国の名誉を傷つけることがある。そういうことも十分に認識しながら、責任ある態度で正確で信用性の高い報道が求められているのではないかと思う」――

 「河野談話」の作成過程検証を行いながら、そのことだけに限って慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討を行わなかったのは、決してフェアな態度とは言えない。後者こそが肝心な問題となっているからだ。

 確かに朝日新聞の「吉田証言」に基づいた報道は、「誤報」と言うことができる。だから言って、従軍慰安婦強制連行に関して全てが誤報だったと切り捨てるわけにはいかない。安部政権は政府発見資料の中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述がないことを以って強制連行否定の根拠にしているが、インドネシアやフィリピン、韓国、中国等の各国の元従軍慰安婦が日本軍による強制連行と強制売春を証言している。

 例えば日本軍によって慰安婦とされたオランダ人女性の声を伝える内容の『おられた花』(マルゲリート・ハーマー著・村岡崇光役/新教出版社)には、戦後オランダ軍の軍事法廷として開廷されたバタビア臨時軍法会議では、日本軍占領下のインドネシア中部ジャワ州の州都スマラン周辺の計4箇所の民間オランダ人抑留所からの少なくとも35人の未成年を含む若い女性が日本軍人によって強制的に連行され、強制売春を強いられたことが明らかにされたとの記述がある。

 〈抑留所から連行された女性たちはある建物に連れていかれ、日本語で書かれた書類に署名させられた。女性たちをが自由意志による志願者であることに仕立てよううというのだった。彼女たちは少人数ごとに小部屋に入れられ、そこで署名させられた。そばには日本兵が立っており、拳銃で脅されたので、署名の拒否はとうていできなかった。署名の「儀式」が終わると、彼女たちはいくつかの売春宿に連れていかれ、日本名をつけられた。〉――

 強制連行から強制売春に従事させるまでのこういった経緯をどのような文書に記録として残すというのだろうか。

 この未成年を含む若い女性の年齢は17歳から28歳だと「Wikipedia」が解説している。

 明治29年4月27日施行の日本の民法は第4条で、〈年齢20歳をもって、成年とする〉と規定している。この規定は戦争中も今日に至っても変わっていない。日本軍は未成年略取まで行っていたのである。軍の記録に克明に残すことができるだろうか。

 このような日本軍人に名誉も品位も元々存在しなかった。このことは韓国や台湾、フィリッピン、その他で女性の強制連行に関わった日本軍人全てに当てはめることができるはずだ。

 2014年1月5日の当ブログ――《日本軍は戦時中のインドネシアで未成年者略取及び誘拐の罪を犯して従軍慰安婦狩りしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》『日本軍に棄てられた少女たち ―インドネシアの慰安婦悲話―』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)を参考にして書いた、そのほんの一例を改めてここに書き出してみる。

 ミンチェ(略取・誘拐された当時14歳)「たとえ相手がどんなに謝罪しても、私を強姦した相手を決して許すことはできません。私はそのとき、『許してほしい、家に返してほしい』と相手の足にすがりつき、足に口づけしてまでお願いをしたのに、その日本兵は私を蹴飛ばしたのです。

 日本兵は突然、大きなトラックでやって来ました。私たちが家の前でケンバ(石を使った子供の遊び)をしているときです。私は14歳でした。(スラウェシ島の)バニュキという村です。日本兵は首のところに日除けのついた帽子をかぶっていました。兵隊たちが飛び降りてくるので、何が起きたのかとびっくりして見ていると、いきなり私たちを捕まえて、トラックの中に放り込むのです。

 一緒にいたのは10人くらいで、みんなトラックに乗せられました。私は大声で泣き叫んで母親を呼ぶと、母が家から飛び出してきて私を取り返そうとしました。しかし日本兵はそれを許しません。すがる母親を銃で殴り、母はよろめいて後ろに下がりました。それを見てトラックから飛び降りて母のところに駆け寄ろうとした私も、銃で殴られたのです。

 トラックに日本兵は8人ぐらい乗っていて、みんな銃を持っていました。トラックの中には既に女の子たちが10人ほど乗せられていて、私たちを入れると20人。みんな泣いていました。本当に辛く、悲しかったのです。そのときの私の気持がどんなものか、わかりますか。思い出すと今も気が狂いそうです。

 ソレカラ、センカンという村に連れて行かれました。タナ・ブギスというところがあります。でも、どのように行ったのかは、トラックに幌がかけていたのでわかりません。着くと部屋に入れられました。木造の高床式の家です。全部で20部屋ありました。周囲の様子は、日本兵が警備していたので、まったく分かりません。捕まった翌日に兵隊たちがやってきて、強姦されました。続けて何人もの兵隊が・・・・・。

 本当に死んだほうがましだと思いました。でも、神様がまだ死ぬことを許してくれなかったのでしょう。だから、こうして生きています。ほぼ6カ月間、私はそこにいました。

 一人が終わったら、また次の日本人がやってくる。どう思いますか。ちょうど15歳になろうとしていたところで、初めてのときはまだ初潮を迎えていなかったのです。そこには日本人の医者(軍医)がいて、検査をしていて、何かあると薬をくれました。料理も日本兵がやっていました。インドネシア人が入って料理をすることは許されません。私たちと会話することを恐れていたのでしょう。部屋にはベッドなんてありません。板の上にマットを敷いていました。あるのはシーツだけです。

 私は日本兵が他の女性と話している隙を見て、裏から逃げ出しました。このまま日本兵に侵され続けるくらいなら、捕まってもいいから逃げようと思ったのです。私自身が過ちを犯したわけではありません。〈神様どうか私を助けてください〉と祈り、近くの家に駆け込みました。

 『おばさん、私をここに匿(かくま)ってください』

 どうしたのかと訝(いぶか)る彼女に。すべてを話しました。

 『日本兵が怖いのです。彼らは私を強姦します。耐えられません。本当に辛いのです』

 彼女は私をかわいそうに思ってくれたのでしょう。『どこに帰るのか』と聞かれたので、『マカッサルへ帰りたい』と言いました。たまたま彼女の息子がトラックの運転手をしていて、彼女に男性の服を着せてもらい、帽子もかぶって、逃げたのです。とても怖かったです。とにかく耐えられなかった。

 トラックで家まで送ってもらい、母親に再会できました。お互いに抱き合って喜んだ。彼女は私が6カ月も戻ってこないので、日本兵に連れて行かれて殺されたと思っていたようです。突然、目の前に死んだはずの私が現れて、母はとても喜んでくれましたが、他の親戚たちは私を受け入れてくれませんでした。嫌ったのです。親族の恥だと言って。

 私が日本人に強姦されたこと話を母から聞いたようです。母にどうしていたのかと尋ねられたので、(慰安所に)連れて行かれたことを話しました。それを母が親戚に話し、みんなに伝わったのです。誰一人として私を受け入れてくれませんでした。ここではこのようなことが起きれば、親戚中が恥ずかしいと感じます。死んだほうがましだと、他の人に聞いてご覧なさい。私のような人が家族にいたらどうするか。『恥だと言って殺す』と答えるでしょう。父親も受け入れてくれませんでした。

 母親だけが私を受け入れてくれました。彼女も日本兵に殴られていたからです。私が戻ったとき、母は病気でした。彼女が3カ月後に亡くなると、家を出ました。親戚の一人が、お前がここに残っていれば殺すと脅したからです。

 私はそれからずっと他人の家で皿を洗ったり洗濯をしたりして生きてきました。結婚もしていません。一人で生きてきました。最初は小学校時代の友人の家にやっかいになりました。彼女の母親が私のことを好いていてくれましたから。本当のことを話すのは恥ずかしかったので、友人には嘘をつきました。

 『私の父親が再婚して、その継母が私に辛く当たるので、一緒にいたくない。だから家を出てきたのだ』と、いつもそのように言い、家を転々としてきました。気に入られたなら、、しばらくいる。嫌われているなと思ったら、すぐに出て行く。そんな暮らしをずっと続けてきました。どれだけの家を移り歩いたのか覚えていません。この歳になるまでずって転々としているのですから。

 彼らからお金はもらっていません。だって、お手伝いとして雇われたわけではなく、私が一方的においてもらっているのですから。持ち物は、ナイロン袋に詰めた一枚のサロンと二着の服だけ。荷物と呼べるものはありません。

 私は仕事をしていなければ、あのこと(強姦)を思い出します。だから、いつも体を動かして働いているのです。あの辛さは、いまのいままで忘れたことはありません。そしていま、私の秘密を初めてここでしゃべっています。今日が最初です。他の人には恥ずかしいので話していません。でも、もうこの辛さには耐えられない。そこで私は決心したのです。これからどんどん歳をとって、しゃべれなくなっていきます。話を聞きたいという人がいたから、話すことにしました。私のつらい経験を話してもいいと思ったのです。

 あの日のことは、いつも夢に出てきます。思い出すたびに泣いています。辛い思い出は、とても忘れることはできません。もし忘れられるとしたら、お墓に入ったときでしょう。生きている間は、決して頭から離れることはない。たとえ、その兵隊が自らの行為を悔いて謝罪したとしても、私は決して許しません。本当に日本兵は残酷です。ひどい。

 いつも夢に見ます。いったい、どうしたらいいのか。いつになったら私は幸せを感じることができるのでしょうか。私はこの苦しみから抜け出したい。でも、苦しみは勝手にやってくるのです。どうすることもできません。私がこうなってのは、すべてあのことがあったから。日本兵にこんな目に遭わされなければ、苦しんでなんかいません。お金や謝罪では、消えないでしょう。わたしは、すべては神にゆだねています。人にはそれぞれの運命があります。それはどういうものかわかりません。それに、自分では好きなように変えられない。すべて神の手にゆだねられているのです。

 神が私をかわいそうに思ってくれるのか。それとも、このままの人生を送れというのか。いずれにせよ、私は祈り続けています。私も他の人たちと同じような人生が送れるようにと。

 あなた(作者)が、倒れている私を(話すことに)立ち上がらせてくれたのよ」――

 守るべき日本の名誉など、どこに存在するというのだろう。逆に糾弾して然るべき卑劣な行為の数々と言うことができる。

 2011年に大阪府の所轄署巡査長が200枚前後の下着ドロを重ね逮捕されたが、その一部をポリ袋に小分けにして、被害者の住所を記載していたというが、個人的にはそういった記録を残す例もあるだろうが、女性に対する強制連行は個々の軍人としての行為と言うよりも、軍としての行為であるから、公にはできない未公認の軍行為であることに合わせて記録も残しはしないはずだ。

 よしんば記録を残したとしても、1945年(昭和20年)8月14日の「軍其ノ他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件」の閣議決定を受けて、軍人個人の日記等を含む不都合な書類の数々が処分の名を借りた焼却によって証拠隠滅されたはずだ。誰が未成年の略取・誘拐まで犯した犯罪の記録を残すだろうか。

 虚偽が事実を暴くということもある。虚偽から発して事実に辿り着くということもあるだろう。「嘘から出た実(まこと)」もこの類いであるはずだ。

 虚偽の 「吉田証言」とその証言の朝日の誤報と認めるまでの報道は、内外の多くの人間がそういう事実があると信じた。結果、日本の名誉と品位を傷つけた、どうしてくれるんだと騒いでいる。

 安倍晋三だけではなく、そのごくごく親しいお友達であるの稲田朋美自民党政調会長もその一人である。

 稲田朋美「(朝日新聞は)世界中で失われた日本の名誉と信頼を回復するための措置を講じていただきたい」(MSN産経)――
 
 だが、「吉田証言」と朝日の報道によって注目が集まり、戦前日本軍が占領した各外地で現地の未成年を含む若い女性に対する略取・誘拐同然の強制連行が行われ、従軍慰安婦に仕立てて、性奴隷とした事実が裁判によって明らかにされたことを知るようになったり、歴史発掘者によって被害を受けた女性たちの証言が多く集めらていることを知ることとなった。

 従軍慰安婦問題に関してどこに「日本の名誉と信頼」が存在したというのだろうか。存在したのは卑劣な行為のみで、それを以て「日本の名誉と信頼」とは言えない。存在したのは日本の不名誉と国家や自身の地位に対する裏切りのみである。

 安倍晋三や稲田朋美、その他は戦前日本国家を肯定したいばっかりに従軍慰安婦に関わる日本軍人の不名誉と裏切りを擁護している。事実を事実通りに認めたなら、戦前日本国家肯定の一部が大きく崩されるからだ。

 当然、安倍晋三にしても稲田朋美にしても、その他の同類は日本の名誉と信頼を口にする資格はない。資格はない者が朝日に対して「日本の名誉を傷つけられた」と言うことができるだろうか。

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