アキバのみなさんが麻生の命運を握っています
16日からスタートという自民党総裁選の渋谷での街頭演説会に先立って自民党本部で午後2時から行われた立会い演説会の模様を伝えるNHKの一昨夕(07.9.16)7時の「ニュース・セブン」
「急拵えでつくった合意は簡単に崩れます。慌てて纏めた多数派も成立のその瞬間から瓦解への方向に動き出す。我が自由民主党は既にそのことを過去の歴史から学んだはずです。強くて頼りになる指導者をこそ必要としています」
アキバのオタクに超人気だと自認している麻生太郎の演説である。渋くて太い声を一語一語しつこく引きずるような感じの勇ましい力強い語り口調と格調高い言葉遣いで対立候補である福田元官房長官の候補選定の過程を批判したが、如何せん、原稿に目を落としながらの演説であった。
安倍辞任を受けた07年9月13日の『朝日』朝刊≪路線継承か否か≫は、<麻生氏、戦略狂う 禅譲消え逆風に≫の中見出しで、<惨敗の見通しが伝えられた参院選の開票前、麻生氏はいち早く公邸の首相を尋ね、続投を支持。その段階で、幹事長就任は約束されていた。麻生氏が描いていたのは、首相が解散しないまま辞任し、禅譲を受けること、16人の少数派閥を率いるゆえの策だった。>と総理・総裁実現戦略を安倍首相の「禅譲」に置いていたと解説している。
「禅譲」は安倍首相の出身派閥である自民党最大派閥の町村派の容認が前提条件となる。安倍首相自身が派閥の領袖ではないからだ。町村派には影の差配者・前派閥会長の森元首相もいて、派閥運営にそれなりの発言力を確保している。いわば安倍「続投支持」を通して自民党最大派閥の町村派支持を見込み、それをスタート地点として最大派閥の動向が他の派閥の動向に影響を与えることを計算した全体的思惑からの「続投支持」で、その向こう側に町村派やその他の派閥との談合成立を暗黙裡に予定調和していたと言える。
ただ単にそれが成功しなかったから、表に現れなかった派閥談合であって、福田談合と五十歩百歩、どっちがどっちとも言えないのだから、批判も非難もする資格は麻生太郎にはない。ないにも関わらず、自身は談合力学から遠く離れている正義のキャラの如くに装って批判し、非難する。その厭味、鉄面皮なキャラ、破廉恥心は図々しいばかりで如何ともし難い。
所詮派閥とその力(=数)の基盤なくして行動できない他力本願・他律性を行動様式としている日本の政治家なのである。麻生太郎自身、16人の小派閥といえども、派閥という集団形式で群れなければ行動できない派閥依存の似た者体質のキャラの持主なのである。
麻生太郎は上記立会演説会で国民は「強くて頼りになる指導者をこそ必要としています」と言っている。昨9月17日の『朝日』朝刊≪時時刻刻 自民総裁選演説会≫の記事も同じことを伝えている。
<なかでも強調したのが「強さ」だった。
「今ほど日本が危機に臨んで強い指導者を必要としている時はない。安定した指導者ではない」
日本の発する言葉とは、せんじ詰めたところ首相の言葉だ。私は強い言葉を発する首相になりたい」>
「強くて頼りになる指導者をこそ必要としています」、あるいは「今ほど日本が危機に臨んで強い指導者を必要としている時はない」と言い、それは自分だと自己を「強い指導者」像になぞらえ、「強い言葉を発する首相」を目指していることを国民向けの宣言としている。
だがである、無責任にも首相職を途中で投げ出した安倍首相は「強いリーダ-シップ」を謳い、「規律ある凛とした美しい国づくり」、あるいは「戦後レジームからの脱却」と歴史を変えようとする壮大な大風呂敷を広げ、国のために命を投げ捨てた特攻隊を例に出して、「ときには自分の命を投げ打っても守るべき価値が存在する」と個人よりも国家を上の価値とする国家至上主義をぶち上げ、靖国参拝では、「国のリーダーたるもの、国のために戦った人に追悼の念を捧げるのは当然。次の総理もその次の総理も靖国に参拝してほしい」と戦前の日本の戦争を善と把えて自己の歴史認識を絶対視する、そのようにも「強い言葉」を次々と発してきたが、何一つ実現も思想化もできなかったばかりか、実現の取っ掛かりも果たせず、思想化の片鱗も見せることもできず、カラ手形で終わらせている。実現も幻想、思想化も幻想ということは言ってみれば、それぞれに用いた「強い言葉」が詭弁(=こじつけの議論)の範囲にとどまったいたからだろう。
このように安倍首相の「強い言葉」が詭弁の性格を持ったものであったことと、「強い言葉」で掲げてきた政治思想・政策が自民党の参院選総括委員会が大敗の主たる一因に位置づけていたように「民意とズレ」ていたとしていることから判断できることは、問題とすべきは「言葉」の強弱ではなく、自らの「言葉」が国民に対する約束となり得るかどうか(=民意とズレていないかどうか)の合理的・客観的な認識能力と約束したことを実効化し得る実施能力の有無であろう。
そのためには具体性を持った必要性とより明確な成果の見通しを前後に配置した政策の「言葉」を提示・発信すべきで、それができてこそ浜矩子・同志社大教授が言う外国語に翻訳可能ともなり、「知的緊張感」を備え得た「メディ時代の宰相の条件」に当てはまる言語能力ということではないだろうか。
麻生太郎の「今ほど日本が危機に臨んで強い指導者を必要としている時はない。安定した指導者ではない」といった言葉を聞くと、それを必要とする説明も、「強い指導者」であることを限定した可能性(「安定した指導者」には望めない可能性)の説明もなく、前後を省いて必要、必要とのみ言っているように聞こえる。大体が「強さ」だけを求めて、参議院民主党第一党という現実を乗り切ることができるのだろうか。どう見ても参議院の現実を視野に入れていない口先だけで終わる言葉にしか思えない。
安倍首相の言葉と同じ口先だけという運命を辿るのではないかという疑いである。
とすると、安倍首相を継ぐ総理・総裁としての必要資質は小泉・安倍改革が遺産とした各種格差の是正や年金記録問題及び政治とカネの問題等の解決のみにとどまらず、自民党の参院選総括委員会が敗因理由として掲げた「安倍首相の政権運営が国民の目線に沿っていなかった」ことや「安倍首相の政策優先順位が民意とズレていた」とする問題点を教訓として、それを反面教師に自らの政治姿勢を構築することで、安倍首相の二の舞となりかねない「強い言葉」などではないことに気づくべきところを気づいていないとは、安倍内閣で外務大臣・幹事長と要職に就きながら、何も学習していないことを見事に物語っている。
かくも学習能力なき政治家・麻生太郎こそが次の総理・総裁にふさわしいキャラだと確実に言える。
拉致問題でも麻生太郎は安倍首相と同レベルの詭弁を用いている。「圧力がなければ対話に行かないということは経験則でかなり出てきた。日本のこの数年間の対応は決して間違っていなかった」と「圧力と対話」方式でも「圧力」優先を口にしていたが、昨日のテレビでは「拉致された方が帰ってきたが、残念ながらその後の進展がない」とする福田康夫に対して、「拉致被害者が取り残されているが、後退したわけではない」と反論している。
この約1年、対北朝鮮強硬外交の安倍首相のもとで外務大臣を務めていたのだから、自らの職務上否定するわけにはいかない肯定論のぶち上げという側面もあるだろうが、拉致被害者5人が帰国してらほぼ5年が経過している。その家族が帰国してから3年。これは当然の帰結事項で、これさえも解決できなかったなら(人道支援名目の25万トンの食糧及び1000万ドル相当の医薬品の無償供与を手土産の交換条件としている)、日本の外交はあってもなきに等しい無能外交となる。
だが、彼ら以外の拉致被害者に関しては何ら進展状況にない、膠着状態のままだということは、そこに5年の年月の経過を計算に入れると、5年間手をこまねいていたわけではない、5年間外交手段を講じているのである。当然何らかの進展を見ていもいい5年間のはずで、プラス(=進展)があって然るべき5年後の現在の地点から小泉第一次訪朝の02年の地点まで遡って、その間の成果を他の拉致被害者に限ってゼロと見た場合、プラスからゼロへと後退していると見ることができる。いや、外交問題を扱っていた麻生太郎に関して言えば、厳しい目で後退と見なければならないだろう。
5年という時間の流れを見た場合、先に進まず同じ場所にとどまっているということは後退そのものであろう。日本の対北朝鮮外交が如何に無力だったか、そのことの証明以外の何ものでもない。
5年間、あるべき進展から何もない後退状況にありながら、そういったことへの視点もなく、「拉致被害者が取り残されているが後退したわけではない」と成果がないにも関わらず対北朝鮮外交を正当化しているようにも聞こえることを正々堂々と言っている。これを以て詭弁と言わずに何と表現したらいいだろうか。
民主党が政権交代を果たすためにも、「強い指導者」・「強い言葉を発する首相」を理想の宰相像とする詭弁キャラ・麻生太郎こそ、キャラが立ち過ぎて古い自民党には評判は悪くても、日本の次期総理・総裁に似つかわしい人物とすべきだろう。
学習指導要領改定は子どもの能力欠如の原因の特定から始めるべき
前日のブログ記事≪オシムが言う「即興性・柔軟性・創造性」の欠如からの年金記録回復作業の停滞≫の中で文科省は次期学習指導要領の柱に自分の言葉で物事を的確に表現する「言語力の育成」を据えるとする新聞記事を紹介した。
その中で「自分の言葉で物事を的確に表現する『言語力』の育成は従来の教育がそのことを欠いていたことへの反省に立った政策転換であ」ろうといったことを書いた。
問題としなければならないこととして今まで言われてきた子どもたちの「読解力」や「多角的思考」といった能力の欠如は大人たちのそれら能力の欠如を受けた子どもたちの欠如で、大人たちがそれらの能力を満たしていたなら、子どもたちは自然と受け継ぐものだと以前から主張しているが、当然のこととして「言語力の育成」は日本の大人たちがそれを欠いていることの反映としてある子どもたちの「言語力」の欠如であり、その是正という関係をなす。
「総合的学習」として育もうとした自ら考え、自ら判断して自ら決定するといった主体的判断能力・自己決定能力の育成にしても、そのことを欠いていることからの育成であって、その欠如は日本の大人たちが欠いていることの反映としてある子どもの欠如であろう。
このことを証明する記事が今朝の『朝日』朝刊に載っている。
≪耕論 宰相の条件≫(07.9.16)の中で、浜矩子同志社大教授が「メディア時代の宰相のあり方は」と問われて、次のように答えている。
「言葉を大事にすること。よく考えられた脈絡のある言葉でメディアに訴えかけてほしい。訴えかける窓は、世界に広がっている。翻訳されても意味不明ではなく、きちんとした文章になる言葉で語りかける気構えが必要。メディアをパフォーマンスの場ではなく、有権者とのきずなを形成する場にすることが知的緊張感につながっていく」と答えている。
このような要望は、言葉を大事にしていない、メディアで訴えかけている言葉が十分に考え練った言葉となっていない、きちんとした文章になる言葉で語りかける気構えがそもそもからしてないから、翻訳すると意味不明の言葉となることが多い。メディアをパフォーマンス披露の場としていて、有権者とのきずなを形成する場としていないために、知的緊張感が感じられない「宰相」の姿となっていることからの、その逆を求めた「宰相の条件」の提示であろう。
言っていることの姿を要約すると、誠実さといった人格的要素もさることながら、何よりも「言語力」の欠如を指摘した内容となっている。
ということは、「言語力」の欠如は子どもだけの問題ではなく、日本の大人の問題でもあり、大人たちの欠如の反映としてある子どもたちの欠如だということが分かる。
前日のブログで「脱暗記教育」の立場に立たないと、「言語力」の育成にしても形式化・画一化すると警告したが、「読解力」や「多角的思考」といった能力の欠如にしても、自ら考え、自ら判断して自ら決定するといった主体的判断能力・自己決定能力の欠如にしても、勿論「言語力」の欠如にしても、その原因を私自身は知識伝達がなぞりの形式を取るためにそこにそれぞれの判断の介在を必要としない暗記教育にあるとしているが、私自身のこの指摘が他人によっても正当性を得ることができる原因かどうかは分からない。しかし、少なくと欠如の拠って来る原因を特定しないことには、不足しているから、あるいは欠如しているから育成しようというその場を取り繕うだけの表面的な対症療法に終始することとなり、本質部分を是正する原因療法はいつまでも期待できないことになる。
「ゆとりの時間」にしても「総合的な学習の時間」にしても、原因を特定しないことからの成果なしの画一化・形式化ということもあるに違いない。
日本の教育は暗記教育などではないと主張する向きもあるが、では子どもたちのそれぞれの能力の欠如・不足の原因はどこにあるのだろうか。まず原因を特定することから指導要領の改訂に取り掛かるべきだろう。
07年9月8日の『朝日』朝刊に≪時時刻刻 年金回復ノロノロ≫なる見出しの記事が載っている
内容は、年金記録確認地方第三者委員会が全国各地に発足して1カ月余りだが、肝心の認定作業は停滞気味で、記録訂正を申立てる申請書類は溜まるばかりといった状況を伝えている。その原因として、<事例多様 戸惑う地方委>との中見出しで、<北陸のある地方第三者委員会の事務方は「中央委が示す典型例に合致するようなものは、ほとんどない」と話す。中央で示される先例が少ないのに、持ち込まれる実際の事例が多様。それが判断の遅れにつながっているという解釈だ。(後略)>――
「中央委が示す典型例」とは、記事に書いてあるが、「未納になっていると申し立てている期間が短い」、「申立て期間以外は保険料を収めている」といった記録を訂正してもいいとする「典型例」こと、サンプルとして中央委が示した事例のことで、そういったサンプル事例にそのまま入り切る申込みが殆どなく、判断に時間がかかって訂正作業が捗らないと言うことのようである。
ここで思い出したのが1998(平成10)年学習指導要領第6次改訂、2000年(平成12)4月から一部導入、小・中校は2002年、高校は2003年から全面実施した「総合的な学習の時間」(=「総合学習」)と、その前段階であった1977(昭和52)年の学習指導要領第4次改訂で導入した「ゆとりの時間」で、それを具体化する教科書がないためにどのような内容の授業をしていいのか判断に迷った学校側が文部省に指示を仰いだところ、文部省(あるいは文科省)が総合学習やゆとり教育を「成立させる方法や手引き」といったサンプルを示して授業内容を指示した事実である。
ところが学校側は目の前にぶら下げてもらったエサだけに目を奪われて食らいつく犬さながらに文部省(あるいは文科省)が投げてくれたサンプルをなぞることしかできなかったために、各学校ともサンプルの範囲内で授業が画一化し、形式化してしまったという。
年金記録確認中央第三者委員会が地方委に示した「典型例」が文部省(あるいは文科省)が学校側に示した総合学習やゆとり教育を「成立させる方法や手引き」に相当する。違う点は地方組織である学校側の求めに応じて中央省庁である文部省が与えたのに対して、年金記録訂正の認定のための「典型例」は中央機関である年金記録確認中央第三者委員会が地方機関である年金記録確認地方第三者委員会に示した逆のコースを辿っていることだけで、サンプルがなければ何もできないこととサンプルをなぞるだけで、サンプルから一歩も出ることも、自らの解釈を入れてサンプルを臨機に幅広く応用することもできない姿は両者とも共通している。
常にサンプルを必要とし、与えられたサンプルをなぞることしかできずにそこから一歩も出れない状況は「即興性、柔軟性、創造性」の欠如を物語るものであろう。
文科省が改訂作業を進めている「言語力の育成」が柱だという次期学習指導要領に関しても中央教育審議会が教科ごとの具体例(=サンプル)を出すというのは、政策の徹底化の意図もあるだろうが、徹底化のためには学校側からのサンプル要請の前例を先取りして、その手間を省いて文科省側から前以て配布する必要があったからの動きでもあるに違いない。
具体例の一部がasahi.com記事(07年08月17日)≪全教科を通じ「言語力」育成文科省の有識者会議≫に載っている。
<「身近な地域の観察・調査などで的確に記述し解釈を加えて報告する」(社会、地理歴史、公民)
「観察などで問題意識や見通しをもちながら視点を明確にし、差異点や共通点をとらえて記録・表現する」(小学校中学年理科)
「皆で一つの音楽をつくっていく体験を重視し、表現したいイメージを伝えあったり他者の意図に共感したりする指導を充実」(音楽)>
そして学校が全国的規模で「具体例」を機械的になぞることだけに終始したなら、「ゆとり教育」と「総合学習」で既に演じた形式化・画一化の道を辿り、そのことの再上演ということになる。
常々日本の教育は教師の教えを生徒が機械的になぞるだけの創造性の関与を必要条件としない暗記教育だと言ってきたが、日本人の「創造性」に関してサッカー日本代表監督のオシムが興味ある指摘を行っている。
2003年の言葉だそうだが、「日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。コーチが変わらないと選手は変わらない。そういう指導者からは、創造性に欠ける選手しか生まれない。
文化、教育、世情、社会に左右されることはよくない。サッカーは普遍的なもの。そして常に変わっていくからコーチも常に変わっていく必要がある」
コーチはその殆どが元選手であろう。「日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける」は「即興性、柔軟性、創造性」の欠如が循環していくことの指摘でもある。即興性、柔軟性、創造性が欠けているコーチにサッカー技術を教えられて即興性、柔軟性、創造性が欠けたまま育った選手がコーチとなって即興性、柔軟性、創造性の欠けた技術を次の世代の選手に伝える。そん循環である。
さらに「文化、教育、世情、社会に左右されることはよくない」との指摘で「即興性、柔軟性、創造性の欠如」が日本人全体の傾向としてあることを言い、そこから離れなければ日本サッカーは進歩しないと警告を発している。このことは単に日本人がなぞりを基本能力としたマニュアル人間、横並び人間、指示待ち人間と言われていることの証明でしかない。
日本人サッカー選手の「即興性、柔軟性、創造性」の欠如は一度当ブログで書いたことだが、98年の日本チーム監督の岡田武史氏も言っている。「コーチが言ったとおりのことをするだけではダメで、何をするか分からないというところがなければダメだ」
このことは日本人選手がコーチの指示をなぞるだけの動きしかできないことへの警告であると同時に、コーチの指示から離れた選手個人の瞬間的な判断から生まれる「何をするか分からない」「即興性、柔軟性、創造性」溢れるプレーへの期待を述べたものであろう。
ところが如何せん、即興性、柔軟性、創造性が欠けているコーチが「言ったとおり」の指示をなぞるのみで、選手自らも「即興性、柔軟性、創造性」の欠如を機械的に受け継いだ、その範囲内のプレーしかできない。
当然のこととして、このことは日本の教育についても言える。創造性の欠ける教師からは創造性の欠ける生徒しか育たない。創造性を必要条件としない暗記教育のごく自然な帰結でもある。
このような「即興性、柔軟性、創造性の欠如」の循環の先に年金記録確認中央第三者委員会の「典型例」をなぞるだけで自らの解釈を入れて臨機に幅広く応用し、解決していくことができない全国各地の年金記録確認地方第三者委員会の「即興性、柔軟性、創造性」の欠如した姿があり、そのことが原因となった訂正作業の停滞であり、<年金回復ノロノロ>ということであろう。
次期学習指導要領で教育の柱に据えようとしている教科書や教師などの他人の言葉をなぞったものではない、自分の言葉で物事を的確に表現する「言語力」の育成は従来の教育がそのことを欠いていたことへの反省に立った政策転換であり、当然なぞりを基本とした暗記教育から離れた場所でのみ可能となる。自分の言葉ではなく、他人の言葉をなぞった「言語力」という相矛盾した関係の能力は厳密には存在しないからなのは断るまでもない。
学校・教師が「言語力」の育成を従来の教育の画一化・形式化の弊害を免れて地に足の着いた生きた教育として授業に活用させることができ、そのような生きた「言語力」教育を生きたまま学び取り、自らの能力とした生徒が社会に出て各種職業につき次世代に伝える「言語力」の伝達が自然な循環となったとき、なぞりの呪縛から解き放たれてこれまでの「即興性、柔軟性、創造性の欠如」の循環は終止符を打つこととなる。年金記録回復に於ける「典型例」をなぞるだけの処理といった場面も、サッカーに於ける日本人コーチの「即興性、柔軟性、創造性」を欠いた指導をなぞるだけのプレーといった場面も影を潜めることとなり、当然「即興性、柔軟性、創造性」を欠いたプレーではなく、逆の「即興性、柔軟性、創造性」に溢れたスピード感あるプレーが期待可能となる。
公務員を含めた日本人ホワイトカラーの世界標準に劣る生産性も軌道修正を図ることができるのではないだろうか。
かなりの時間の経過を待たなければならない将来的な可能性だが、出発点は脱暗記教育を絶対条件としなければ、これまでと同じように日本の教育は変わらないことになり、その先に「即興性、柔軟性、創造性」の欠如を原因とした日本社会の非効率性という変わらない姿を変わらないまま見ることになるに違いない。
どっちらにしても「責任」は宙に浮いただろうが
安倍首相が辞任の記者会見を開いた直後の昨日の12日(07.9.)の朝日テレビで民主党の藤井裕久衆議員が民主党としたら続投してもらった方が次の衆議院選挙では戦いやすかったといったことを言っていたが、政権交代を望む有権者の大方の見方ではないだろうか。軽量麻生でも五十歩百歩だろうが。今日13日の朝日朝刊は、麻生禅譲の目が消え、戦略が狂ったことを伝えている。参院選大敗の結果が出る前に続投を支持を打ち出したが、安倍続投が裏目に出たことに伴って麻生の安倍支持も裏目に出ることとなったということなのだろう。
まずは安倍総理辞任記者会見を午後2時のNHKテレビから。
「えー、本日、総理の職を辞するべきだと決意をいたしました。7月29日、参議院の選挙が、結果が出たわけでありますが、大変厳しい結果でございました。厳しい結果を受けて、この改革を止めてはならない。また、戦後レジームからの脱却を、この方向性を変えてはならない。その決意で続投を決意をしたわけであります。ま、今日まで全力で取り組んできたところであります。そしてまた先般シドニーに於きまして、テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、そして高い評価されているこの活動を中断することはあってはならない。何としても継続をしていかなければならない。そのように申し上げました。
国際社会への貢献、これは私が申し上げている主張する外交の収穫でございます。この政策は何としてもやり遂げていく責任が私にはある。この思いの中で私は中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していく、お話をいたしました。そして私は職に決してしがみつくものでもないと申し上げたわけであります。そしてそのためにはあらゆる努力をしなければならない。環境についても、努力をしなければいけない。一身を投げ打つ覚悟で全力で努力すべきだと考えてまいりました。
ま、本日小沢党首に党首会談を、ま、申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと。残念ながら、党首会談については、ま、実質的に断られてしまったわけであります。えー、先般小沢代表は民意を受けていないと批判をしたわけでございますが、大変残念でございました。
今後のテロとの戦いを継続させず(「る」の言い間違いであろう)、上に於いて、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとでテロとの戦いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。来る国連総会にも新しい総理が行くことがむしろ、局面を変えていくには、ま、いいのではないか。また、改革を進めていく、その決意で続投して、内閣改造を行ったわけでございますが、今の状況でなかなか、国民の支持・信頼の上に於いて力強く政策を前に進めていくことは困難な状況である。ここは自らがけじめをつけることによって、局面を打開しなければならないいけないと、判断するに至ったわけでございます。
私といたしましても、私自身の決断が先に延びることによって、国会に於いて困難が大きくなると、その判断から、決断はなるべく早く行わなければならないと、ま、そう判断したところでございます。私からは以上でございます」
改革を止めてはならない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならないと続投を決意した。国際社会から期待されているテロとの戦いも中断させてはならない。これらのことのために職を賭していくとした。そのように述べた続きで、党首会談をテロ特措法に反対している民主党の小沢代表から「実質的に断られてしまった」事情を打ち明け、局面打開のためには新たな総理のもとでテロとの戦いを継続していくことを目指した方がいいとしている。
これを解説すると、党首会談が実現しなかったことをどんな手を打っても民主党の反対の意志を変えることはできないサインと受け止め、局面打開の道が塞がれたと判断して、新しい総理に局面打開を託すことにしたとなる。
与謝野官房長官は記者会見で「総理が記者会見でたった一つ自分の口から言われなかった問題というのはやはり健康状態だろうと。特に東南アジア、にいる、移行された以降、の健康状態っていうのは、えー、ご本人はなかなか告白されませんでしたけど、大変厳しいものがあって、それを誰にも言わないで、じっと耐えてきました――」(NHKテレビ/夜7時のニュース)と安倍辞任理由を病気説としていたが、それが事実だとすると、安倍本人が局面打開を諦め、少なくとも辞任のキッカケと看做した小沢民主党代表に申し入れた党首会談を断られたからとする説明は小沢代表に対する当て付けとなる。最後まで職を賭したいと願っていたが、体調が激務に耐え得ないほどに悪化している。途中で投げ出すことになるが、新しい健康な総理のもとで局面の打開を図ってもらい継続的に政治を進めて貰う方が国民のためにもなると考えて辞意を決意したと正直に話すべきだったろう。
大体が党首会談が実現したとしても、小沢代表の反対の意志を翻意させることはできないことぐらいは前以て理解していなければならないことで、局面打開という点では変わらなかったはずである。申し込むこと自体が頭がどうかしているとしか言いようがない。
辞任記者会見を受けての小沢民主党代表の記者会見(同NHKテレビ)での言い分は安倍首相の言い分と大分違う。
小沢「40年近くの政治生活の中で、過半数を失ってやる、改造し所信表明をし、そして代表質問の前に辞職という例は初めてでございますので、本当にどうなっているのか、私も、総理の心境・思考方法については分かりません」
安倍首相が辞任記者会見で小沢民主党代表との党首会談が実現しなかったことに触れたことについて質問されて。
小沢「今日お昼前に自民党の大島国対委員長から申し入れがあったそうです。総理は一体どういうお考えで、どういう党首会談でお話したいのか、もう少し官邸と話をして、もう少しきちんとした申し入れをしてもらいたいと、そういう趣旨をお話をしたら、いや、ご挨拶だ、ということだったそうでございます。今この時点でご挨拶の党首会談をやるっちゅうのは、ちょっと、という首を傾げる、うー、ような提案だったそうであります。それならばクエスチョンタイムで、党首討論という方法もあるんじゃないでしょうか。ま、それを大島国対委員長、自民党国対委員長がどう官邸に伝えたか、あるいはどう総理が判断したは、アー、分かりませんけれども、私は、アー、今日のこの申し入れ以前に一度も私も、わが党も、党首会談の申し入れは受けておりませんし、従って、イエスもノーも言う機会もないと、なかったと――」
2日前の11日の夜9時からのNHK「ニュースウオッチ」では、安倍首相が党首会談を呼びかける考えを示したことについて小沢氏は次のように述べている。
「会いたいとか会いたくないと言っているのは総理自身が言ったんでしょ?それ総理に聞いてみてください。私が言ったわけじゃないですから。あとは国会の論戦で十分やれるわけですし――」
党首会談に一片の興味すら示さなかっただけではなく、「国会の論戦で十分だ」と冷たく突き放している。安倍首相はこのような経緯を情報として把握していなかったとしたら、指揮官の資格をそれだけで失う。当然局面打開の期待を党首会談に賭けてもムダだと知ったことだろうし、知るべきだった。
さらに言えば、<与謝野官房長官は10日(07.9)の会見で「衆院と参院の意思が分かれた場合、普通のこととして使ってよろしい憲法上の規定だと思っている」>(07.9.11.『朝日』朝刊≪海自派遣新法 衆院の再議決現実味 会期延長は不可避≫)と参院で否決された場合の最後手段として10日の時点で衆院再議決を覚悟の視野に入れていたのである。
最後手段を覚悟していたことと、小沢一郎の党首会談に対する態度から例え党首会談を開いたとしても相手の態度は変わらないという予測等を考え合わせたなら、11日の時点で党首会談は局面打開の解決策から排除されていなければならない。しかし、12日の昼、大島国対委員長を通して党首会談を申し入れた。
カードは衆院再議決という最後手段のみしか手の内に残されていない。そのカードを切るためには安倍首相には自分が悪者になる覚悟が必要になる。再議決で国民の批判が起きたとき、悪者を引き受けて責任を取って辞任する。それだけのことではなかったのではないか。
そこまで覚悟を決めていたが、健康上の理由で首相職をもはや維持できないということなら、そのことを隠して局面打開の悲観的なサインとして党首会談を挙げたとしたら当てつけも当てつけ、覚悟の程が知れる。
「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」
「(年金問題は)すべて私の内閣で解決する」
「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたい、と思います。私の内閣で解決する――」
「すべてですね、先送りされてきた問題がすべて、私の内閣で解決する――」
「(テロ特措法が)国際的な約束となった以上、私には大きな責任がある。(それを果たすために)職を賭して取り組んでいく考えだ」
すべて安倍首相の国民に約束した言葉である。約束宣言と言うこともできる。「約束」には「履行」という責任が伴う。元々「責任」という言葉を軽々しく使い過ぎるから、言葉だけの「責任」、口先だけの「責任」と思っていたが、辞任によって実際に言葉だけの「責任」と化した。
病気なら仕方がないとは言えない。安倍晋三という美しい政治家はその著書『美しい国へ』で、「今日の豊かな日本は、彼ら(特攻隊員ら)がささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれの私たちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためすすんで身を投じた人たちにたいし尊崇の念をあらわしてきただろうか。
たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか」と美しい言葉を美しく紡ぎ出している。
安倍首相にとって大切な命を投げ打っても守るべき価値とは一国の総理大臣として国民に示した約束を果たす「責任」であろう。国民に約束していながら責任を果たさなければ、首相となった意味を失う。
それとも国民に対する約束履行の「責任」など命を投げ打っても守るべき価値の内に入らないとでもいうのだろうか。だとしたら何をかいわんやである。
だが、実際は病気が原因で辞任ということなら、責任を果たすべく命を投げ打つことよりも、健康という「命」を優先して、「守るべき価値」としなければならない国民に約束した「責任」を簡単に反故にしたことになる。
このような経緯は戦前の戦争指導者たちが兵士には「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と「命の投げ打ち」を求めながら、その殆どが「虜囚」同然の逮捕、巣鴨プリズンへの入所を受けながら、自分たちでは「命の投げ打ち」は行わなかったのと同じ線上に立つ美しい自分の命の守りではないだろうか。
特攻隊員の特攻行為に絡めて、命を「なげうっても守るべき価値が存在するのだ」などと言い出さなければ、病気だ何だと言って命の方を優先させても、許される。
まあ、元々ハコモノ、口先だけの政治家である。安倍首相最後の当てつけは中国や韓国の手前我慢に我慢を重ねてきた靖国参拝を10月半ばの秋季例大祭で正々堂々と行う中国・韓国への当てつけではないだろうか。それを次の年の4月下旬の春季例大祭でも行い、当然8月15日の敗戦記念日にも行う。気持ちは日本国内閣総理大臣安倍晋三として。国民の期待に反してこの手の当てつけは美しくとことんやり遂げるに違いない。
片山さつきが小泉再登板を求める声明を発表したと今朝のNHKで放送していたが、都市と地方の格差、所得・生活格差、所得格差を起因とした教育格差等々が政治問題化しているときに、それら格差をつくり出した張本人に再登板を期待するとはどんな神経をしているのだろうか。
所詮、小泉人気を当て込んで再度選挙の顔に仕立て(格差づくり名人が国民的人気を得ているという逆説は国民の利口さのバロメーターにならないだろうか)、衆院選で敗北、政権交代という悪夢を逃れたい自己保身・自己都合意識からの発想だろうが。
政権交代は自民党議員の多数の落選という最悪の悪夢を伴う。
伝統と文化を教えるとはどういうことなのか
最初に「伝統」なる言葉の意味を確認してみる。
<ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。>(『大辞林』三省堂)
<特定の社会集団において、一個人を越えて世代間に伝達、継承され、望ましいものとしての価値判断に支えられている態度・行動様式。望ましさの根拠を伝達の長さに求めるところがあり、その非合理性ゆえに、しばし進歩や創造を求める態度・行動と対立する。>(『社会心理学小事典』有斐閣)
要するに世代を超えて受け継がれるにしても、『社会心理学小事典』が言うように<望ましいものとしての価値判断に支えられ>ることを「伝統」の必須項目としなければならないということだろう。そこに強制の介入はあってはならず、常に個人的自発性を基本としなければならない。少なくとも自由主義社会に於いては。
日本の伝統文化と言うと、華道・茶道・陶芸・剣道・柔道・歌舞伎・古典落語・島国根性と島国根性が原因したケツの穴の小ささ等を挙げることができるが、島国根性以下は<望ましいものとしての価値判断に支えられ>て受け継がれてきたわけのものではなく、日本人を取り巻く国土的風土・環境が日本人の精神に逃れる術もなく自然に作用して形成した伝統的民族性だから、<望ましいものとしての価値判断>を基準とするなら、残念ながら一般的な伝統の内に入らないことになる。
華道・茶道・陶芸・剣道・柔道・歌舞伎・古典落語等は確かに<望ましいものとしての価値判断に支えられ>て時代的継承を経ているが、決して日本人全体の文化ではなく、それぞれに限定された範囲の継承となっている。
さらに華道に対してガーデニング、茶道に対してコーヒーを豆から煎り、粉に挽いてブレンドし、サイフォンでたてる、あるいは布フィルターで漉して独自の味を作り出して味見し合い、お喋りに花を咲かせるコーヒークラッチ、あるいは中国茶を飲み合う小さなパーティ、剣道・柔道に対して野球やサッカー、歌舞伎に対して演劇、オペラ、バレエ、古典落語に対してコミック演劇というふうに西洋の文化が同じくそれぞれに限定された範囲内の継承ではあるが、<望ましいものとしての価値判断に支えられ>て新しい伝統・新しい文化となりつつある。
これら文化・伝統の多様化はそれが個人それぞれの<望ましいものとしての価値判断に支えられ>た自由選択を条件としていることから可能となった多様化であろう。戦争中のジャズ等のアメリカ音楽をレコードで聴くことを禁じ、演奏することを禁じたことに代表されるアメリカ文化の禁止に見ることができるように、強制は多様化の障害としかならない。当然日本の伝統・文化だとする武道(剣道・柔道)の強制は現代社会の価値観の多様性に対する逆の阻害要件としかならない。
それとも、日本の伝統・文化以外は排斥しようとする国家主義的、あるいは国粋主義的衝動が働いている日本の武道(剣道・柔道)への拘りというわけなのだろうか。
剣道・柔道といった日本古来の武道は礼に始まって礼に終わるから規律の育成には役に立つと言うが、例えお辞儀という形式を取らなくても、好ましい対人関係はすべて礼に始まって礼に終わる。相手への敬意なくして好ましい対人関係は成り立たないからだ。お辞儀が単に形だけのもので、そこに敬意が込もっていなければ、いわば形だけで済ませていたなら、意味をなさない。
勿論形だけの態度を取る人間の方が常に悪いとは限らない。敬意を持てない相手というものがどうしようもなく存在するからである。教師の言うことを聞かない生徒にしても、その教師にどうしても敬意を払うことができないというケースもあるだろう。上司に対しては盆暮れの高額の付け届け、同僚・部下にはやたらと飲みに連れて行って影響力を確保する政治力とハッタリで校長にまでのし上がった事情は知らされていなくても、そういった人間には直感的に胡散臭さを感じて敬意の感情がどうしても湧いてこないといった生徒も出てくるものである。
次期学習指導要領は自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」・「論理的な思考力」を全教科で育成していく方針を盛り込むと言うことだが、「自分の考え」とは他人の考えに従うのでもなく、また他人の考えをなぞるのでもなく、自分で考え、自分の考えに従う自発的判断を言う。このような自発的判断の構造に対して<礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙い>(≪中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で≫Sankei Web/07/09/04 21:02)だとする武道必修化に於ける「日本の伝統文化」への執着の構造は自発性を限定するもので、相互に相容れない、前者を阻害する構図を取るものではないだろうか。
「自分の考え」の尊重、自発的判断の尊重は価値観の多様性を肯定する土壌を常に用意しておかなければ機能しない。「論理的な思考力」の発動媒体となる「自分の考え」求めるなら、剣道も柔道も部活次元の活動機会にとどめておくべきではないだろうか。
「日本の伝統文化」だとする武道の剣道をどう把えているか、インターネットで調べてみた。
まず「武道」をWikipediaは次のように解説している。<武道とは、心身を鍛え技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす、伝統日本武術から発展した素手もしくは武器を使用した技術体系。また道の追求という点については、残心などの共通する心構え所作などから茶道や日本舞踊、芸道ともかかわりを持つ>と、心身の鍛錬と人格形成を目的としていることを伝えている。
【残心】「ざんしん・武道に於ける心構え。一つの動作が終わってもなお緊張を解かないこと。剣道では打ち込んだあとの相手の反撃に備える心の構え、弓道では矢を射たあとのその到達点を見極める心の構えを言う。」
剣道そのものに関しては別のHPが<「剣道は、剣の理法の修錬による人間形成の道である」とされ、その理念に基づいて、「剣の理法を全うしつつ、公明正大に試合をする」>と心身の鍛錬と人間形成(=人格形成)が目的であることを伝えている。
その人格形成たるや、さらに別のHPは<剣道は、剣の理法を探求、発見し、自己を向上させる道である。
竹刀を握り、汗を流して発見された剣の理法は、万物に通じる真理であって、この真理はあらゆる思考、発想、判断力の原点となり、精神的支柱となる。
また、道場では、日本古来の「和」の世界に身を置く事により、日常生活の拘束から解放され、本当の自分が浮かび上がってくる。
道場にて、剣の理法を修得する事は、自己を客観的に見つめ直し自己を向上させる最良の道である。 >と高邁な精神性が関わっていると解説している。
「万物に通じる真理」など存在するのだろうか。具体的に説明してもらいたいものである。「万物に通じる真理」となる「剣の理法」は「あらゆる思考、発想、判断力の原点となり、精神的支柱となる」といいこと尽くめである。
人間は絶対善の存在ではない。殆どその正反対の不完全で矛盾に満ちた存在である。ところが「剣の理法」を人間のそのような存在性と相対立する絶対善の価値観で把えている。不完全で矛盾に満ちた、そこから逃れることができない人間存在を絶対善の存在に導くとしている。
何とまあ、欲張った価値づけであることか。この欲張ったいいこと尽くめの言葉通りに「剣の理法」なるものを人間は忠実に体現できるのだろうか。体現できた人間がいたら、お目にかかりたい。一切矛盾のない完璧な、面白くとも何ともない人間ということになるだろう。
安倍晋三が面白くも何ともない人間なのは、もしかしたら日本の伝統武道だという剣道を若いときやっていたからなのだろうか。
剣道の修練だけで生活できる人間は技術的な上達に関わる利害に煩わされることはあっても、それ以外の他者との利害関係から離れていることができるだろうが、一般社会を主たる生存の場所としている人間にとっては様々な利害に曝され、利害損得を基準に行動することを迫られる。いわば利害が「あらゆる思考、発想、判断力の原点」・基準と化す。人間が利害の生きものと言われる所以である。
例え「道場では、日本古来の『和』の世界に身を置く」ことができようと、それが一般社会と境界なく相互往来できる『和』の世界」でなければ意味はない。
大体が「道場」という場所に限ったとしても、「日本古来の『和』の世界」など存在するのか。現在の価値観の中で生きている人間がその価値観を払拭して「日本古来の『和』の」価値観・「世界」に自己を置くことが可能なのか。理想化し過ぎていないか。
何をやっていようと、それがスポーツであろうと音楽を聴く、楽器を演奏する、遊びに夢中になることであろうと、あるいはそれがセックスであろうと、不倫であろうと、我を忘れて無我夢中で没頭できたなら、そのことを行っている限りに於いては、「日常生活の拘束から解放され」る。だが、その姿はすべてに亘っての「本当の自分」というわけではなく、単なる部分的姿に過ぎない。別のことをしているときは別の姿を取る。剣道に於いても同じであろう。
剣道にしても柔道にしても一般のスポーツと同様に技(=技術)の取得と取得にそれぞれに必要な身体を訓練する機会に過ぎない。技(=技術)の取得と身体訓練を通して、忍耐心や精神力が養われるのは他のスポーツと同じである。
但し、そのように取得した忍耐心や精神力が一般社会に於ける生存機会に役立つかどうかは別問題である。このことは後で証明する。
「日本の伝統文化」であるもう一つの武道である柔道を見てみる。柔術を近代スポーツに変えると同時に講道館は柔道を「精力善用」・「自他共栄」という精神修養の機会としたとインターネットに出ている。「精力善用」とは、道場での乱取り稽古で技をかける動きに力学的な無駄を省き、スムーズな効率のよい流れを仕掛け技に持たせること(=善用)を言い、「自他共栄」は乱取り稽古が自分も相手も相互に技の上達を助け合っている構造を取っていることからの効用をそのように名づけ、これら二つを柔道の理念だとしている。
剣道のいいこと尽くめの理念よりもかなり控え目な柔道の理念となっているが、精神修養と把えている以上、人格形成の役目を持たせているのは武道の理念に添ったものであろう。
だが、<「精力善用」・「自他共栄」なる柔道の理念は人間すべての社会生活のあらゆる分野で適用できる>と考えているとなると、剣道で取得した忍耐心や精神力が一般社会に於ける生存機会に役立つかどうかは別問題であると異議申立てしたように、同じ異議の線上で把えざるを得ない。
ではその証明に移ろう。
日本の警察官は警察学校で警察官となる訓練を受ける。その訓練は身体訓練から「職務倫理」の学習とその学習を通した人格形成、「法学」・「憲法」・「警察行政法」・「刑法」・「刑事訴訟法」・「民法」、さらに警察官という職務従事に必要な「基本実務」を学び、国民の生命・身体・財産の保護、犯罪の予防・捜査、被疑者の逮捕、交通の取締まり等に役立てることのできる知識と能力を身につける。
身体訓練は短期・長期の山岳訓練や日本の伝統武道のうち、剣道か柔道を選択すると言う。当然技の取得を含んだ身体訓練と同時に人格形成も目的に入っていなければならない。
警察学校で警察官にふさわしい人格の形成のために「職務倫理」やその他以外に剣道か柔道を学ぶ。警察学校を卒業して、警察官となってからも勤務署内で剣道もしくは柔道を続けている者もいることだろう。日々人格形成に励んでいるわけである。剣道を通しては<日本古来の「和」の世界に身を置く事により、日常生活の拘束から解放され、本当の自分>を<浮かび上が>らせ<自己を客観的に見つめ直し自己を向上させる最良の道である >鍛錬によって<あらゆる思考、発想、判断力の原点となり、精神的支柱>を形成して<万物に通じる真理>ともなる「剣の理法」の獲得に邁進している。
柔道を通しては<人間すべての社会生活のあらゆる分野で適用できる>「精力善用」・「自他共栄」の理念の獲得、・人格形成に汗を流し、力を振り絞って勤しんでいる。
だが、現実の職業警察官の姿を見ると、剣道・柔道は日本の伝統だ、文化だ、これこれの高邁な理念に支えられているとぶち上げてはいても、教えられる理念を単に耳に入れ、剣道・柔道を嗜んだ、人格形成に役立てましたと言うだけのことで、人格形成に固定的な成果を与えることができていない姿が浮き上がってくる。伝統・文化が何ら役に立たずに終わっている姿が曝されるだけのこととなっている。このことは「理念」が単なるスローガンで終わっていることの証明でしかない。
「剣の理法は、万物に通じる真理であって、この真理はあらゆる思考、発想、判断力の原点となり、精神的支柱となる」が真正の事実であるなら、あるいは柔道の「精力善用」・「自他共栄」の理念が<人間すべての社会生活のあらゆる分野で適用できる>現実的に体現可能な理念であるなら、警察学校で剣道か柔道のいずれかを選択し、ベテランの武道の教官から基礎から訓練を受けて警察官として巣立っていった者の中で痴漢だ、強盗だ、盗撮だ、公金着服だ、自販機荒らしで逮捕された現職巡査部長もいた、2004年には北海道化の30%に当たる3200人の警察官が架空の捜査協力者をデッチ上げて支払ったことにした操作報償費を裏ガネにプール、私的流用したとして処分を受けた、その額は10億だ、操作報償費操作は殆ど全国各地の警察署で慣習としていた、パソコンを通した情報喪失、飲酒運転、婦女強姦、捜査報告書の捏造etc.etc. 跡を絶たないそれぞれの「理念」を真っ向から裏切る不祥事・犯罪・卑しいコジキ行為といった現象は日本の伝統だという武道がその理念を通して役目としている人格形成に何ら機能していないことの物語でしかない。
「礼に始まって礼に終わる」効用にしても、「礼儀や公正な態度など、日本の伝統文化に触れる」(上記Sankei Web)効用にしても、何ら生きていない。
もし理念は正しいが、それを学ぶことができない人間の問題だとするなら、様々な宗教と同じく、人間のあるべき姿の提示を役目とすることのみで終わる。社保庁や自治体職員の年金着服といった倫理意識、それを管理・指導できなかった自治体幹部や社保庁幹部、その上部の厚生省及び厚生大臣の職務上の管理・監督と責任意識が問題となっているように、常に問題となるのは理念が役に立たない人間なのだから、学ぶことができない人間にこそ有効な理念の提示と伝達の方法を創造し、構築すべきだろう。それは決していいこと尽くめの美しい理念ではないはずだ。あまりにも人間の現実の姿から離れ過ぎているからだ。人間の現実の姿を踏まえた実効性を持たせなければ意味をなさない。
人間は美しいばかりの姿を取るわけではない。ときには醜い姿を取ることもあり、狡い姿も取る。ウソもつけば、言い訳もする。ゴマカシもするし卑しさに流されることもある。それが人間の現実の姿である。それを特に「剣の理法は、万物に通じる真理」云々の「理念」はそういった人間の現実の姿から離れた場所に置いて「剣道」のみを絶対とする(絶対的価値を有するとする)独善に身を置いている。
それは日本の武道を日本の善なる伝統・文化と位置づけて、さらに遡って日本そのものを絶対としたい意識がなさしめている民族優越意識からの自己絶対化であろう。「伝統と文化を教える」とはそのことが含まれている。
何かを絶対とする考えは、あるいは絶対としている「伝統と文化を教える」こととは、次期学習指導要領で狙っている「論理的な思考力」の育成の基礎となるそれぞれの「自分の考え」の尊重の否定への力学として働く。絶対価値観と人それぞれが独自に持つ「自分の考え」とは独自性の点で相容れない対立する関係を持つことになるからだ。その対立を解くには絶対価値観への従属のみ、「自分の考え」の抹消である。
剣道・柔道なる日本の伝統・文化が示す理念を額面どおりに受け止めるなら、剣道・柔道のいずれかを学んでいる日本の「警察官は正義の人」を絶対真理としなければならなくなる。
安倍内閣の教育政策は一方で日本の伝統・文化として絶対的価値観を置いている武道(剣道・柔道)の必修化という強制を行い、それと対立関係にある自発的判断によって成り立たせ得る「論理的思考」・「自分の考え」をもう一方で求める矛盾を犯している。
こういったこととは別に、剣道を選択した場合は面や竹刀、剣道着を含めた道具セットが3万から4~5万円とするいうが、親の一方的な負担となるのだろうか。経済的な負担の加減で剣道か柔道か、選択が違ってくる。これも自発性を阻む要因の一つとなるだろう。それともすべて学校で用意するのだろうか。
官邸主導から党主導へ城の引渡し
07年9月8日土曜日の朝日新聞朝刊。≪「永住」覚悟・・1年で帰省 チーム安倍 公募の3参事官≫
<昨9月の安倍政権発足時に、官邸機能の強化策の一環として、各省庁から公募で募った官邸の「特命室」のメンバー10人のうち、3人が出身の役所に戻る人事が7日付で発令された。内閣改造に戻って首相補佐官が減員されたのに続き、「チーム安倍」の縮小が続いている。
戻ったのは環境、防衛、経産各省の内閣参事官。退任した広報担当の世耕弘成、安保担当の小池百合子両前補佐官らのもとで働いていた。
安倍首相は就任前、自民党総裁選の公開討論会で「一緒に官邸でやっていき、(出身省庁に)戻ることは考えないという決意の人と一緒に仕事をしたい」と発言。公募メンバーを首相周辺から「骨を埋めるつもりでがんばって欲しい」と求められたが、「結局は名ばかりだった」(関係者)との声も出ている。>――
記事は<「チーム安倍」の縮小が続いている。>と伝えているが、より正確に説明するとするなら、<「チーム安倍」のジリ貧状態が続いている。>と表現すべきではなかったろうか。
「官邸主導」を宣言し、何か言うたびに「私の内閣」、「私の内閣」を連発してきた。「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」、同じく年金問題、「すべてですね、先送りされてきた問題がすべて、私の内閣で解決する――」と自らの内閣の万能性をアピールして、「官邸主導」がさも実体的に機能しているかのように見せてきた。
これらすべては参院選で大敗する前の言葉である。ところが参院選の結果がその万能性をことごとく奪ってしまった。いわば実体を伴わなかった万能性であり、言葉で見せた万能性に過ぎなかったことが露見したということだろう。
「首相補佐官の減員」とは、経済財政担当・根本匠、小池百合子が防衛相に任命されてから空席となっていた国家安全保障問題担当、拉致問題担当・中山恭子、教育再生担当・山谷えり子、広報担当・世耕弘成首の各首相補佐官のうち、拉致問題担当・中山恭子と教育再生担当・山谷えり子を残して、残りは廃止されたことを言う。
残された2人がすべて女性なのは、安倍首相を批判しないおとなしく忠実に従うだけの存在と看做したからなのか。世耕広報担当は安倍首相の「美しい国」を批判している。「美しい国」などどここにも存在しなかったし、どこにも存在させることはできないことに今以て気づかないのだから、底なしの単細胞としか言いようがない。特に政治家は権謀術数を便法として自ら利用するケースが多々あるのだから、どんな場合でも「美しい」なる言葉を口にする資格すらないはずである。
小池百合子が防衛相に転任せずに国家安全保障問題担当首相補佐官にとどまっていたなら、留任させて首相を批判しない忠実な僕(しもべ)に加えて3人の女性に取り囲まれ、自己満悦に耽っていた可能性も考えられる。安倍首相には一番似つかわしい成果でもあるに違いないが。
国家安全保障問題担当、経済財政担当、広報担当の各首相補佐官と「特命室」のメンバーの参事官の減員は、「結局は名ばかりだった」(関係者)「私が内閣が」の官邸主導から党主導への転換なのは誰の目にも明らかであり、言ってみれば城の引渡しに当たる。
いわば官邸主導が口先だけの中身はなかった、あるいは中身をつくることができなかった「結局は名ばかりだった」ハコモノであったことの暴露であろう。
その結果の党主導への〝城の引渡し〟なのだが、〝城の引渡し〟を厳密に言うなら、安倍政治、あるいは安倍改革の終焉を意味する。元々ハコモノに過ぎなかった安倍政治・安倍改革であるが、だからこその党主導への城の引渡しなのだろうが、それでも参院選与野党逆転後、安倍首相は「この選挙に於いて私は自民党の総裁として当然責任は私にあるが、反省すべきは反省しながら、総理として今進めている改革をしっかりと実行していくことが大切だと思う」と、城の引き渡しを無視し、安倍政治・安倍改革の終焉を無視して安倍改革の継続を謳うという矛盾を演じている。
体裁上そう言わざるを得ないからの改革継続演技なのだろうが、だからと言って、安倍政治・安倍改革がハコモノであることから脱することができるわけではない。ハコモノで見せるしか手はない安倍首相の口先政治であり、そういった能力の限界を宿命としている。ハコモノの象徴・代表が「美しい国」なのは言うまでもない。
社会的成功者の言葉の信用性を考える
07年9月5日の朝日新聞夕刊。≪人生の贈りもの かけがえのない子ども時代 霊長類学者 河合雅雄(83)≫
<――人間にとって子ども時代って何でしょう?
今も昔も、人生に一度しかないかけがえのない時期だと思いますよ。寿命がどれほど延びたって、子ども時代は延びるわけじゃないからね。
――今の子どもたち、幸せでしょうか。
一概に不幸とは言えないけど、群れて遊ぶことがなくなってしまった。子供同士で遊ぶ中で覚えることがたくさんあるのにね。それと自然と切り離されてしまっているのが残念でね。大人は、子どもたちに自然を返してやる工夫と努力をしてもいいんじゃないかな。
――ご自身も活動を
小6から高3までの子どもたちを連れてボルネオに行く「ジャングルスクール」を、10年ほど続けています。
ジャングルの夜は真の闇だ。子どもたちはショックを受けているけれど、森を出て降るような星に星空に迎えられると歓声を上げる。川では最初は裸になって泳ぐのを恥ずかしがっているが、いつの間にかパンツ一丁ではしゃぎ始める。親元を離れて集団生活をしてるうちに、力強くなっていくのがわかったよ。
僕は今「顧問」なんやけど、つまるところガキ大将やね。先頭に立って遊ぶ体力はさすがにもうないから、心のガキ大将。実際に指導する専門家を手下に従えて全体を仕切ってるんだな。子どもの頃と同じことを、老人になってもやっている。
――子どもは野山で育つ
子どもたちは時に、おそろしく残忍であったりもする。でも生命の尊さに気づくのは自分の残酷さを自覚したときなのだよ。
僕だってひどいことをした。カエルをパチンコで撃つ。ピーンと足を伸ばしてひっくり返るそれがおもしろくて、ふと気づくと、白いおなかを出したカエルが田んぼにずらっと並んでいた。すごくぞっとしてね。
――どこまでが許容の範囲なのでしょうか
確かに、猫を殺して自分の残酷さを悟った、という話を聞いて共感できる人はいないだろうね。このあたりはとても微妙んものを含んでいる。どこまでだったらやっていいか。やっぱり僕みたいな大人のガキ大将が一緒にいて体験させるのが一番いいんだろうなあ。 (聞き手・赤岩なほみ)>
かつて「群れて遊ぶ」んだ。「子供同士で遊ぶ中で」たくさんのことを「覚え」た。我々の子ども時代は「自然と切り離されて」いなかったから、身近にあった自然の中でいつでも好きなときに好きなだけ思う存分に「群れて遊ぶ」ことができた。今の子どもは「自然と切り離されてしまっている」から、自然の中で思う存分に「群れて遊ぶ」こともできないし、「子供同士で遊ぶ中で覚える」べきことを「覚え」ることもできない。
こういったことが人間関係をうまく築けなくて、すぐキレてしまう子や、長時間座っていることができずに、落着きのない態度を取る、自分や他人を大切にしない、基本や義務や責任を軽く見る、規範意識や共同体意識が欠けた子どもをつくり出しているのではないか。
このような主張に多くの人間がその通りだ、言っているとおりだと頷く。子ども時代の「群れて遊ぶ」経験が人格形成と社会性獲得の何よりの重要な条件だとお守り札とすることになる。
この手の主張を正しいとするなら、身近にあった自然の中でいつでも好きなときに好きなだけ思う存分に「群れて遊ぶ」ことができたかつての子どもたちはすべてと言わなくても、その多くが「子供同士で遊ぶ中で」人格形成と社会性に関わるたくさんのことを「覚え」、責任感と社会意識・社会性を備えた自律した大人の社会人として立派に成長していったことになる。
霊長類学者・河合雅雄は83歳となっている。1924年(大正13)生まれであろう。少なく見積もっても河合雅雄以前に生まれ、社会に育った日本人と、河合雅雄と同時代かそれ以降の10年ないし15年の間に生まれ育った日本人は身近な自然に恵まれていただろうし、当然好きなときに好きなだけ思う存分に自然の中でいつでも「群れて遊ぶ」ことができ、人間関係の規律を様々に「覚え」ていくことができた環境にあったと言える。
豊富な美しい自然に恵まれた日本の農村は大日本帝国軍隊の最大の供給源だったと言う。農村の食えない次男・三男が軍隊は食いっぱぐれがないからと食うための駆け込み寺としたからだろうが、豊富な美しい自然とその美しさに反する生活の貧しさという逆説は皮肉である。
だが例え貧しくとも、子供同士で「群れて遊ぶ」ことのできる豊富な美しい自然に恵まれていただろうから、人間関係やら何やら「子供同士で遊ぶ中で覚えることがたくさんあ」ったと見なければならない。
だが、軍隊に入った彼らは古参兵の地位を獲得すると、自分たちも入隊したての新兵時代にその多くが自分たちと同じ農村出身だったに違いない古参兵にしきたりとして加えられた新兵いじめをやはりその多くが自分たちと同じ農村出身だったに違いない次の新兵に順繰りに行ういじめの循環に身を任せた。特に戦争が激しくなって多くの都市労働者や学歴を持ったサラリーマンが赤紙一枚で軍隊に新兵として招集されると、農村出の古参兵は、農村よりも生活が楽な都市出身兵に対する嫉妬と悪意から先輩の地位を利用して、彼らを陰湿ないじめの標的とする傾向があったというが、自然の中で子供同士で「群れて遊ん」で学んだとする社会性や人間関係術は姿を消して何ら助けとはならなかったようである。
このような無意味性は何を物語るのだろうか。軍隊という特殊な組織がなさしめた姿だと言うなら、自然の中で子供同士で「群れて遊ん」で学ぶ規範意識や対人感受性、あるいは人間関係は自分が置かれる環境次第で変わる変数ということになって、実体的にはそうなのだが、子ども時代の「群れて遊ぶ」経験が人格形成と社会性獲得の何よりの重要な条件だとする河合氏の主張は主張としての意味を失う。
勿論新兵いじめは農村出身の古参兵のみの仕業ではなく、都会出身の古参兵も加わった共同作業であったろうことは容易に想像できる。学校のいじめと同じで、加わるべき人間が加わらないと、自分だけいい子になってと憎まれることになるだろうし、あるいは自分が受けたいじめの仕返しを次の新兵で晴らすべく、それが都会出身であろうと農村出身であろうと構わずに積極的に攻撃するといった人間もいたろう。
自然の中で子ども時代に「群れて遊ぶ」ことによって「覚え」ていくはずの人間関係術や社会性が大人になって必ずしも役に立つとは限らない条件付の可能性というだけではなく、子ども時代から条件付きである例として、戦争末期の都会からの集団疎開学童に対する田舎の子のいじめを挙げることができる。
もし田舎の子が「群れて遊ぶ」ことによって対人感受性や社会性を「覚え」つつあったというなら、集団疎開学童に対するいじめは仲間内でしか通用しない、まさに条件付きの対人感受性及び社会性ということになる。
仲間内には通用するが、他処者には通用しない社会性や人間関係術はそれがまだ学習発展途上にある子どもの社会だからで、大人に向かう成長過程で解決する問題だとすると、軍隊内の新兵いじめもそうだが、広い範囲に亘っていた日本の大人たちの戦中・戦後に於ける朝鮮人差別、中国人差別は説明がつかなくなる。そして今もなお、韓国・朝鮮人差別や有色人差別は以前ほど強くはないが、日本人の意識の暗流に生きづいている。
こう見てくると、安倍首相の「かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた。人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきた」と同様に河合雅雄氏の子ども時代に自然の中で「群れて遊ぶ」経験が人格形成や社会性獲得の何よりの重要な条件だとする主張が根拠のないものに思えてくる。
こういうことではないのだろうか。誰にとっても思い出し可能な社会性獲得の入口となっている子ども時代を社会人の出発点としていることから、社会的成功者たちはその成功の出発点にしても自然の中で子どもたち同士で「群れて遊」んだことに置くことになり、そういった社会的成功者が新聞やテレビ等のマスメディアに応じてそのことを発言した場合、少なくとも表面的にはそれなりの社会性を獲得し、それなりの人格形成を果たしていると世間に認知されていることから、言っていることになる程なと思わせてしまう力が働くのではないだろうか。
少なくとも自然の中で子どもたち同士で「群れて遊」んだ子どもたちすべてが規範意識や社会性を獲得するわけではないことがその証明となる。
河合氏は「子どもたちを連れてボルネオに行く『ジャングルスクール』」の「顧問」を務めているということだが、どんなスクールなのかインターネットで調べてみると、期間は1週間前後、費用は20万円前後だそうだ。
自然の中で子どもたち同士が「群れて遊ぶ」ことで社会性その他を「覚え」ていくという河合氏の主張が正しいとしても、1週間前後の自然体験で追いつく社会性その他なのだろうか。
また20万円前後という費用は出せる家庭ばかりではないから、もし追いつく社会性その他ということなら、今の時代、社会性獲得もカネ次第ということになりかねない。
河合氏は学者でありながら、子どもたちを取り囲む今の社会の矛盾を言いながら、新たな矛盾をつくり出していないだろうか。「ジャングルの夜は真の闇だ。子どもたちはショックを受けているけれど、森を出て降るような星に星空に迎えられると歓声を上げる。川では最初は裸になって泳ぐのを恥ずかしがっているが、いつの間にかパンツ一丁ではしゃぎ始める。親元を離れて集団生活をしてるうちに、力強くなっていくのがわかったよ」と「ジャングルスクール」を自賛しているが、ボルネオのジャングルが身近では体験できない全く異質の環境であっても、大人たちがお膳立てした環境であることに変わりはなく、1週間という期間を考え併せると、お膳立てされた環境での社会性の獲得という形式は「パンツ一丁ではしゃぎ始める」といったその環境に慣れる成果は期待できても、自覚的社会性の獲得にまでいかないのではないだろうか。
河合氏は「大人は、子どもたちに自然を返してやる工夫と努力をしてもいいんじゃないかな」と元の昔に戻らないことを無視して言っているが、人間もその一員となっている霊長類学者なのだから、「自然の中で」ではなく〝学校社会の中で〟子供同士で「群れて遊ぶ」社会性・人間関係術を育む処方箋をこそ示すべきではないだろうか。
9月4日(07年)、NHK「ニュースウオッチ9」。年金保険料着服問題で厚生労働省での朝10時の桝添厚労相の記者会見。
桝添「こんなこと許される?ないですよ。泥棒でしょ?盗っ人なわけですよ。そういう人が抜けぬけと、また、どの役場で仕事していていいですか?」
解説によると、新たに明らかになった年金保険料の横領や着服、その額3億4千万円余り。そのうち社会保険庁職員による昭和37年度から昨平成18年度まで50件。被害総額1億4200万円。50件のうち26件は社会保険庁が自ら公表はしていなかった。さらに保険料の着服は市区町村の職員の間でも行われていたと。例として、岡崎県旧寄島町は昭和50年度から56年度にかけて6240万円余りを着服。昭和36年度から平成13年度まで市区町村は国民年金保険料の収納業務を委託されていて、全国23の都道府県で49件、2億77万円余りが着服されていた。49件の事案のうち、12件はまったく公表されていなかった。すべての事案でどのような処分が行われたかは不明。
再び桝添厚労相「全部洗いざらいどういう職員がどういう着服をして、それはどういう処分をやってんのかね?やっていなくて、宙ぶらりんになったら、ちゃんとその、首長(くびちょう)さんが告発しなさいと。まあ、そういうことを法務大臣に至急申し入れようと思っています。法に反して国民の税金をかすみ取った人間はきちっと厳正なる法の処分に従うんだってことがないと、我々、あの、命がけでやってるんだから、徹底的に膿を出してやらないといけないと思っています」
日本にはかつて支配階級に位置していた日本人の美しい振舞いを称える「斬り取り強盗は武士の習い」という諺があったが、「横領・着服は役人・官僚の習い」と言い替えて、現在の日本の社会的上位者たる役人・官僚の美しい習性として後世に伝えるべきではないだろうか。
勿論国会議員だって、その例に漏れない。「事務所費の架空・付け替え・二重計上は国会議員の習い」とすることができる。
江戸時代から明治・大正・戦前昭和を飛び越えて戦後昭和に現れた習性とは考え難いから、明治・大正・戦前昭和の時代もきっちりと受け継いできたに違いない「横領・着服」であろう。いわば江戸時代の武士の「切り取り強盗」の習性を受け継いだ今に始まった現象ではない現在の官僚・役人の「横領・着服」の伝統的習性と言えるだろうから、当然言い替え可能となる。伝統=文化である。
単細胞な保守政治家は戦後アメリカ文化が移入され日本人がアメリカナイズされた結果、自分さえよければいいという個人主義・利己主義が蔓延するようになったと言い、さも戦前の日本には悪しき個人主義・利己主義の類が存在しなかったかのように言うが、この言葉を信じるとしたら、「横領・着服」は日本の伝統文化ではないことになる。
『国体の本義』ではさらに遡って<個人の自由なる営利活動の結果に対して、国家の繁栄を期待するところに、西洋に於ける近代自由主義経済の濫觴(らんしょう・物事の始まり)がある。西洋に発達した近代の産業組織が我が国に輸入せられた場合も、国利民福といふ精神が強く人心を支配してゐた間は、個人の溌剌たる自由活動は著しく国富の増進に寄与し得たのであるけれども、その後、個人主義・自由主義思想の普及と共に、漸く経済運営に於て利己主義が公然正当化せられるが如き傾向を馴致(じゅんち・馴れさせること)するに至つた>と明治以降に移入された欧米文化に利己主義発生の責任を帰し、やはり「横領・着服」といった利己主義が日本の伝統文化ではないことを主張している。(語訳・「大辞林」三省堂)
1998年放送のNHKテレビ『敗戦、そのとき日本人は』は、「本土決戦に備えて蓄えられていた軍需物資はアメリカ軍の調査によれば、全部で2400億円にのぼる。敗戦と同時に放出された軍需物資をめぐる不正は内務省に報告されている。軍やその関係者が物資を隠匿・流用していた。東京の陸軍の工場では、ダイヤモンドが2億4000万円程度紛失した。滋賀県では、特攻隊員が特攻機に物資を満載し、自宅に運んだあと、機体を焼却。不正に流失した軍需物資は闇市に溢れた――」
ダイヤモンドの2億4000万円をだけを取っても、昭和20年12月時点で米10Kが6円だというから、現在5000円としても、2億4000万円の833倍、現在の貨幣価値に換算すると、2兆円近くの自分さえよければいいの個人主義・利己主義の見事な発揮である。
これらの美しいばかりの個人主義・利己主義は「横領・着服」があって初めて可能となる「隠匿・流用」であろう。天皇の兵士たる大日本帝国軍隊の面々が殆ど敗戦と同時に、いわば戦後のアメリカ文化に触れる暇もない、当然アメリカナイズされていない皇民化教育を受けてそれがまだ剥がれるはずはない純粋な美しい日本人そのままであった時期に「横領・着服」という自分さえよければの個人主義・利己主義に走った。
それとも明治以降の欧化主義に毒された利己主義がなさしめた「隠匿・流用」だとでも言うのだろうか。
支配的地位にいて命令を権力慣習としていただけではなく、軍の機密をより知り得る機会に恵まれてもいただろうから、「横領・着服」にしても「隠匿・流用」にしても下級兵士よりも上官の方が行うに有利な立場にいたに違いない関係を考えると、職務的にも社会的にも優越セル日本の優越セル伝統・文化を説く側に立たなければならない人間がその立場と責任を裏切って不正を働いていたと見なければならない。当然そのような地位が上の者がいくら欧化主義に悪影響を受けた利己主義だといっても、利己主義に毒されていいはずはなく、社会的地位及び社会的責任という点でモラルとの間に矛盾が生じる。どのような事情があろうと、欧化主義からの利己主義に責任を帰していいわけはない。
地位・責任の上の者が下の者よりも不正をよりよく行う。この逆説の起因はどこにあり、どのような理由からなのだろうか。
いずれにしても戦後の自分さえよければいいという個人主義・利己主義がアメリカ文化にどっぷりと馴染むアメリカナイズによって生起された性格傾向とは限らないということを証明することになり、日本の保守政治家の主張はアメリカ的なるものに対する名誉毀損で訴えられても仕方のない薄汚い濡れ衣、根拠もない冤罪となろう。
桝添厚労相は社会保険庁職員や市区町村職員の年金保険料着服を「こんなこと許される?ないですよ。泥棒でしょ?盗っ人なわけですよ」と憤っているが、厚生労働省という所管官庁の長に座った関係から当然見せなければならない憤りとも言える。着服は何も社会保険庁職員や市区町村の年金課の職員に限った専門行為ではなく、殆どの省庁、地方自治体がホテル代金やタクシー代金の水増しさせ、その水増し分を業者や内部でプールして飲み食いなどに使う、パンフレット等の出版物を高値で随意契約して、その高値分から監修料と称してキックバックさせ、それを職員で分配したり、飲み食いに使う、格安の航空運賃で視察や出張に出かけながら、当たり前の航空運賃を請求して、その水増し分を懐する、ヤミ残業手当、ヤミ給与等々、これらはすべて「横領・着服」に当たる卑しいコジキ行為であって、年金保険料着服もそのような「横領・着服」の一環に過ぎない。しかも管理・監督の立場にある自民党政府はそれを放置し、「横領・着服」を官僚・役人の伝統・文化とするに任せてきた。
外務省を例に取ると、1980年代に複数部署でホテル代金をホテル側と共謀して、水増しして不正請求し、水増し分をプールして裏ガネとして管理、私的流用する「横領・着服」を、多分喉元通れば暑さ忘れるで世間の噂が収まった頃を見計らってまたぞろ卑しいコジキ根性が頭をもたげてきたのだろう、懲りもせずにホテル代金の水増し請求を通した裏ガネ作り、ノンキャリアによる官房機密費の不正流用(競走馬を14頭も所有して大尽気分を満喫していた)、その他外国派遣の大使や大使館員の公金着服や流用(パラオ大使館の会計担当館員が公金1500万円を不正流用したにも関わらず、1年間の停職処分という軽い罰則で済ませている。しかも月初めに処分を発令していたが、一旦公表しないことを決め、処分を2週間近く隠す身内庇いをやらかしている。2001・8.14.『朝日』朝刊)≪「外務省、不祥事隠蔽」≫)等の新たな「横領・着服」が2001年に発覚している。
社会保険庁にしても、「横領・着服」が年金保険料に限った行為ではなく、それ以外にも予算の不正流用、随意契約、便宜供与等々を通じて間接的・直接的な「横領・着服」を伝統・文化としてきているのである。
そのような各省庁に亘る、あるいは多くの自治体に亘る倫理欠如(モラルの破綻)の卑しい体質を自民党内閣は放置してきて、「こんなこと許される?ないですよ。泥棒でしょ?盗っ人なわけですよ」の憤りは今さらながらのものに過ぎず、外局である社会保険庁を管理・監督する厚労省の責任者の立場に立ったことと、参議院与野党逆転の状況下で生ぬるい対応したなら即内閣支持率に撥ね返ってくる関係からの、そうせざるを得ない憤りと見ないわけにはいかない。
もしも参議院も自民党圧倒多数という状況にあったなら、国民の怒りが収まるまで低姿勢という従来どおりの生ぬるい対応に終始したに違いない。そのようなナアナアの事勿れな態度が官僚・役人だけではなく、政治家の倫理欠如(モラルの破綻)を助長させてきた一因ともなってきたのは事実なのだから、そのことから判断すると、そう考えざるを得ない。
同じ憤るなら、官僚・役人に対して管理・監督の責任を負う歴代自民党内閣の官僚・役人の「横領・着服」等のモラル破綻を跡を絶たない伝統・文化とさせるに至った事勿れな対応と不始末・無責任をこそ憤るべきだろう。自民党政治の総合制作とも言うべき官僚・役人のモラル破綻なのである。もし桝添要一が自分は利口な政治家だと思うなら、こういった客観的事実に立って行動を起こすべきだろう。間違った事実の上に正しい目標を築くことはできない。
安倍信三は自らの偉大な著書『美しい国へ』の「第7章 教育再生」で、<学力回復より時間がかかるモラルの回復>なる一読どころか二読、三読にも値する貴重な主張を展開している。
<じつをいえば、日本の子どもたちの学力の低下については、わたしはそれほど心配していない。もともと高い学力があった国だし、事実いまでも、小学生が九九をそらんじていえるというのは、世界のトップレベルに近い。したがって、前述したような大胆な教育改革(ダメ教師はやめさせる、年功序列の昇進・給与システムの見直しによるやる気と能力のある教師の優遇、学校評価制度の導入、校長の権限拡大と保護者の参加、地元住民や地元企業の学校運営への参加等権威主義の強化にしかならない主張を前述している。)を導入すれば、学力の回復は、比較的短期期間にはかれるのではないか。
問題はモラルの低下のほうである。とりわけ気がかりなのは、若者たちが刹那的なことだ。前述した日本青少年研究所の意識調査(2004年)では、「若いときは将来のことを思い悩むよりも、そのときを大いに楽しむべきだ」と考えている高校生が、アメリカの39・7パーセントにたいし、50・7パーセントもいた。若者が未来を信じなくなれば、、社会は活力を失い、秩序はおのずから崩壊していく。
教育は学校だけで全うできるものではない。何よりも大切なのは、家庭である。だからモラルの回復には時間がかかる。ある世代に成果があらわれたとしても、その世代が親になり次の世代が育つころにならなければ、社会のモラルは回復したことにならないからである。
かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた。人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきたのである。>
<かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた。>の<かつて>とはいつの時代を指すのだろうか。戦前なのか。だとしたら、戦争中から自分の立場がそれなりに備えていた権威・権力を利用して配給品の横流し受けたり、それを転売して利益を得たりの役得行為に走った大人たちのモラルと子ども時代に<家庭と地域社会>によって<助成>されたモラルとの辻褄はどう説明したらいいのだろうか。
すべての人間に教えが行き渡るわけではない。いつの時代も一部の不心得者は存在するのだから、言っていることに間違いがあるわけではないとでも言うのだろうか。
だが、「世の中は星に碇に闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」と、陸(星)海(碇)軍人や闇屋や裏世界の人間(闇)、隣組長や町内会長、あるいは医者・官吏といった地域の有力者(顔)は物資配給の行列に並ぶ必要なく、特別な横流しで手に入れることができ、一般市民(馬鹿者)だけがバカッ正直に長時間並ばなければならなかった不公平が戦争中戯れ歌として人口に膾炙されていたということは、地位の上の者が社会ルールを無視しても許され、そのようなルール無視が不当な利益を保証する不公正の横行を一般風景化していたことの証明以外の何ものでもなく、そのことはそのままほんの一部の不心得者の出来事ではないことを物語っているだけではなく、<人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきた>といった風景はどこにも見受けることができないことを示している。
また戦争中の天皇の軍隊であった大日本帝国軍隊兵士の強姦や略奪、理由なき殺害、捕虜虐待のモラルにしても<家庭と地域社会>によって<助成>されたモラルが何ら役に立ったなかったことの証明ではないだろうか。それとも<助成>されたモラルの忠実な実践がなさしめた行為の数々だとでも言うのだろうか。
戦争中の日本の大人たちの上記モラルの質と、敗戦を境に「軍やその関係者が物資を隠匿・流用していた」モラルの質、<新たに明らかになった年金保険料の横領や着服、その額3億4千万円余り。そのうち社会保険庁職員による昭和37年度から昨平成18年度まで50件。被害総額1億4200万円>ということは、<昭和37年度>には大人の年齢に達していて、家庭や地域の教育力の恩恵を受けた時代は戦前ということになるから、戦前の教育を受け戦後大人となった日本人のモラルを逸した行為の数々等を考え併せると、<かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた>ことが付け焼刃の<助成>に過ぎず、<かつて>の<家庭と地域社会>が何ら役に立たなかった、あると信じ、言い触らしている<かつて>の<家庭と地域社会>の教育力が幻想に過ぎないことを物語っていないだろうか。
<人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきた>にしても、人間が自己利害の生きものであることから免れることができないその存在性から考えたなら、願望の域を出ない念仏の類で、客観性を欠いた根拠のない美化に過ぎないのではないだろうか。
大体がモラルがきちんと確立していた時代などあったろうか。江戸時代の役人の地位にいた、あるいは人事選定の地位にいた武士たちのワイロで役目を左右し、依怙贔屓を働かすモラル、特に年貢徴収を預かる役人たちの自分たちからワイロを請求して百姓たちの応じ方次第で手心を加えるモラルが当たり前となっていた時代光景、時代が下り武士の生活が困窮していくと「斬り取り強盗は武士の習い」となっていくモラル放棄の時代状況は今の時代の政治家・官僚・役人のモラル破綻と同質の姿を映していると言える。
こういった経緯から導き出すことのできる答、あるいは結論はモラルが確立していた時代など存在しなかったという事実であろう。このことはモラルの確立を訴える宗教の有史以来の存在が何よりも証明している。キリスト教を例に取るなら、汝、殺すことなかれや汝、盗むことなかれ、汝、姦淫することなかれ等は殺す人間にしても盗む人間にしても姦淫する人間にしても無視できない数で存在する社会的なモラルの破綻に対応したモラル確立に向けた戒めであり、今以てその役目を担っていることがモラルの確立が未到の目標であることを示している。
安部流の言い方で裏返すとすると。<かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた>なら、宗教の戒めは無用の長物となり、道徳律としての宗教の存在意義は失われる。
<子どもたちのモラルを助成する役割を果た>すために<家庭と地域社会>は宗教を用いていたとするなら、宗教の戒めが持つ失われることのない非抹消な永遠性(例えばキリスト教の汝、人を殺すことなかれや仏教の悪いことをしたら地獄に落ちるのいつまでも抹消されることなく持ち続ける永遠性)によって、逆に宗教の役に立たないことの証明にしかならない。
年貢徴収に関してワイロに応じることのできる財力のある百姓は役人の受けもよく、それ相応の様々な便宜も与えられて勢力を拡大し、応じるだけの財力のない百姓は役人に疎まれ、権威主義社会であるゆえに学校や会社のいじめと同様の構図で上の者である役人と同じ態度を取らなければ自分まで疎まれることから地域全体から阻害されることとなって、ワイロが経済的格差ばかりか、生存上の格差まで広げる要因となったに違いない。
<かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた>とするそもそもの前提が既に意味を失っている。間違った事実の上に正しい目標を築くことはできないのと同様に意味を失った前提に立って、教育再生を果たせるとするのは安部晋三だからできる滑稽な倒錯を犯すことでしかない。如何なる時代も、如何なる社会も矛盾・格差・不公平を付き纏わせてきたのである。美しい時代とか美しい社会など存在しなかった。どのような時代もどのような社会もキレイゴトで規定したなら、スローガンを掲げただけといった不毛の結果に終わる。
そのことは安倍晋三の上記「九九論」に既に現れている。<小学生が九九をそらんじていえるというのは、世界のトップレベルに近い。>と学力の低下は心配していないようなことを言っているが、「九九」などは機械的訓練の積み重ねで取得可能な技術であって、暗記学力に役立っても、創造的学力には役立たないことに気づかない単細胞である。
小鳥だって訓練すれば模型の神社の扉を嘴で開けて、おみくじを嘴に挟み、指示した人間の手のひらに戻ってくるぐらいのことはする。犬にしたって訓練次第で簡単な足し算の問いかけに答が書いてある紙を口にくわえて戻ってくるぐらいのことはする。小学生の年齢で九九を知らない国の子どもたちは国も国民も貧しく、学校に行ける子どもが少数で九九の訓練を受ける機会のないことが寄与していることから比較した日本の<小学生が九九をそらんじていえるというのは、世界のトップレベルに近い>成績といったところだろう。
いわば就学の機会と集中的訓練が決定要因となる九九の技術に過ぎないのだが、日本の学力自体が暗記の積み重ねによる機械的技術となっている関係から、九九の技術を基準に学力を論ずる安倍式教育論は珍しく間違っていない。但し、九九を含めた機械的訓練の積み重ね学力は訓練の指示を受けた受身の学力であり、自発的判断の創造的要素を必要とせずに成り立たせ可能な知識であることから、受身の機械的思考を自らの習性としかねない。
安倍晋三は「第7章 教育再生」の<学力回復より時間がかかるモラルの回復>の後段でモラル確立方法としてボランティア活動を提案している。
<そこで考えられるのが、若者たちにボランティアを通して、人と人とのつながりの大切さを学んでもらう方法だ。人間は一人では生きていけないのだ、ということを知るうえで、また、自分が他人の役に立てる存在だったということを発見するうえでも、ボランティアは貴重な体験になる。
たとえば、大学入学の条件として、一定のボランティア活動を義務づける方法が考えられる。大学の入学時期を原則9月にあらため、高校卒業後、大学の合格決定があったなら、それから三ヶ月間をその活動にあてるのである。
ボランティアの義務付けというと、自発的にやるからボランティアなのであって、強制するのは意味がないとか、やる気のない若者がやってきても現場が迷惑する、というような批判が必ず出る。しかしみんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげるためには、たとえ最初は強制であっても、まず若者にそうした機会を与えることに大きな意味があるのではないか。>
言っていることは一見まともなことに見えるが、若者に強制的にボランティアの機会を与えることが<みんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげる>ことになるとする結論に合理的な根拠を読み取ることはできない。前提と結論を単純に結び付けているだけに見える。
<かつて家庭と地域社会は子どもたちのモラルを助成する役割を果たしていた。人と人との助け合いをとおして、道徳を学び、健全な地域社会が構成されてきた>が既に事実無根の前提に過ぎず、意味を失っているのである。そのようなキレイゴトに過ぎない前提に立ち、なおかつ暗記教育を通して受身の機械的思考を習性とさせている人間を相手に<みんなが助け合いながら共生する社会をつくりあげるためには、たとえ最初は強制であっても、まず若者にそうした機会を与えることに大きな意味がある>とないものねだりに過ぎない主体性を求めるのはキレイゴトの上にさらにキレイゴトを重ねるキレイゴトの屋上屋を架す無駄な努力で終わることになるだろう。
義務づけられたボランティア活動という一種の指示された訓練に対して機械的に従う非自発性をなおのこと重ね着させる機会になり得るだろうことは保証する。
安倍晋三は<モラルの回復には時間がかかる。ある世代に成果があらわれたとしても、その世代が親になり次の世代が育つころにならなければ、社会のモラルは回復したことにならない>、<何よりも大切なのは、家庭である>と、家庭を場としてモラルを植えつけられた子どもが親となって、その親から次の子へモラルが受け継がれていくことによって社会全般のモラルは確立すると言っているが、自己利害でどうとでも姿を変えるのが人間であり、安倍晋三自体も首相に就任以来支持率と求心力を維持・回復するために主義・主張もない千変万化の巧妙・狡猾な変身と変心を見せてきているのである、このような人間の現実の姿を抜きにモラルの確立をどう語ろうと、絵に描いたモチに終わるだろう。
まあ、「人と人とのつながりを大切にしよう」「人と人との助け合いをとおして、道徳を学ぼう」、「健全な地域社会をつくりあげよう」といったスローガンだけはよく見える。そういったスローガンを口にして、子ども・生徒に指示を出す教師の姿は既にはっきりと見ることができる。
安倍信三著『美しい国へ』
≪「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌≫
<(前略)
世界中どこの国の観客もそうだが、自国の選手が表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになるものだ。ところがそうした素直な反応を、若者が示すと、特別な目で見る人たちがいる。ナショナリズムというと、すぐ反応する人たちだ。ようするに「日の丸」「君が代」に、よい思いを持っていないのだ。
(中略)
また、「日の丸」は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にいる。これには反論する気にもならないが、彼らはスポーツの表彰をどんな気持ちで眺めているのだろうか。
(中略)
歌詞はずいぶん格調高い。「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」という箇所は、自然の悠久の時間と悠久の歴史がうまくシンボライズされていて、いかにも日本的で、私は好きだ。そこには自然と調和し、共生することの重要性と、歴史の連続性が凝縮されている。
「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。
(中略)
戦意を高揚させる国歌は、世界にいくつもある。独立なり、権利を勝ちとった歴史を反映させようとするからだ。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、はじめから終わりまで「暴君の血に染まった旗が、われらに向かってかかげられている」「やつらがあなた方の息子や妻を殺しに来る」と、激しい言葉が並び、最後は「進め!進め!汚れた血がわれらの田畑を染めるまで!」というフレーズでしめくくられている。>
最初に言う。<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実>無根そのものである。まるきりのウソっぱちであるというだけではなく、粗雑な理解力なくしては展開できない歴史認識であろう。
天皇は実質的政治権力者に権力維持の都合上、その名前を利用された名目的権威、あるいは傀儡権威に過ぎなかった。戦争中は軍部の傀儡として利用された。利用された存在だったからこそ、天皇の希望は数々無視され、偽りの戦果の報告を受けることとなった。
古代の物部・蘇我・藤原の豪族、平安時代の平家の貴族、そして鎌倉時代の源氏から始まった北条・足利・織田・豊臣・徳川の武家たちは天皇の命令・指示によってではなく、前者は権力行使欲求から、後者は自らの天下平定の欲求に従って自分たちの武力を用いてそれぞれの目的を実現せしめ、その絶対的既成事実を背景として権力行使の、もしくは天下統治の権威を天皇の名に求めたに過ぎない。名目だけを必要としたのである。
明治に入ってからは長州・薩摩の藩閥が、昭和に入ってからは軍部が実質支配者として君臨した。その間にどれ程に国民の自由と人権を抑圧してきたことか。
<「日の丸」は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指>したのは<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実>無根のマヤカシであるのと違って、正真正銘の事実である。だがそのことは戦前という時代に於いての事実であって、戦後天皇が象徴天皇となることによって、<この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。>と姿を変えることが可能となった。
安倍晋三は別の場所で「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」と言いながら、巧妙・狡猾にも戦前と戦後を混同させて天皇を「象徴」なる戦後の価値観、戦後の「視点」で把え、天皇と共に日本の風景をなした戦前の軍国主義を薄める詐欺を働かせている。
このことは「君が代」の成り立ちを見てみれば簡単に理解できることである。
<【国歌(君が代)】
国家および国民の象徴として演奏される曲。国家的祭典や国際的行事に用いられる。日本では、1882年(明治15)1月文部卿〔当時の文部省の長官〕が音楽取調掛に国歌選定を命じたが、結論は得られなかった。これに先立つ1880年(明治13)11月、林広守作曲、エッケルト編曲の「君が代」が作られた。これが現行の「君が代」で、85年(明治18)制定「陸海軍喇叭(ラッパ)吹奏歌」の第一号と定められ、1888年(明治21)には吹奏楽譜が海軍省から諸外国へ「大日本礼式」として送付された。文部省でも93年(明治26)8月、小学校の祝日大祭日唱歌の一つとして告示した。1890年代(明治23~明治33)には「君が代」を国歌とみなす主張が表れ、日中戦争の始まる昭和初期には国歌と同一視されるようになった。>(『日本史広辞典』(山川出版社)とある。
「君が代」が国歌へと姿を変えていく明治時代は国民の自由・人権が制限されていた時代であり、昭和の時代に入ると、その制限は強まり、国体に反する書物の発禁、新聞・ラジオ、信書の検閲等の言論の弾圧にまで進んでいる。そういった時代の「君が代」=天皇の代が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と永遠であることを願い、謳っているのである。
言葉は「石」とか「苔」とか自然物を用いているが、決して<自然と調和し、共生することの重要性>を謳っているわけではなく、また歌詞に<凝縮されている>のは<歴史の連続性>ではなく、天皇の御代(「御世」ではなく、御代であろう)の<連続性>であって、その連続性を意識の底に植えつけ、固定観念化しようと欲求していたに過ぎない。
安倍晋三の「君が代」解釈は天皇主義・国家主義の立場からの自己都合のみによって成り立っている。
より正確に説明すると、天皇の絶対性は日本国民の天皇への絶対従順と対となっていた思想であって、単に天皇の御代が「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と永遠であって欲しい願って、その想いのみで歌詞が成り立っていたわけではない。歌詞はその背後に天皇の絶対性とその<連続性>(=永遠性)の成立要件としていた国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧の無限性を常に対置していたのである。
逆説するなら、国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧を天皇の御代の絶対性の背後に永遠に閉じ込めておくことによって、「君が代」=天皇の代が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」とする永遠性・御世の<連続性>を可能とする構造となっていた。そのような画策を「君が代」は象徴的に表現していた。
そのことが何よりも問題なのである。確かに天皇は敗戦を境にその絶対性を失い、象徴的存在と化した。だが、日本人自らがそうすべく望んでしたことではなく、軍部や政治権力者たちは逆の天皇絶対の国体を残そうと画策し、その答が2発の原爆投下であったのだが、それに懲りずに戦後も憲法の改正を通して陰謀したが、GHQの反対によって実現しなかった。
そのことが不満で、GHQに強制された天皇制に関わる「戦後レジームからの脱却」を願い、天皇絶対主義への回帰は時代的に不可能事項ではあっても、〝象徴〟を離れて確かな形で国民の上に持っていき、より具体的に文化・道徳・精神の善導者に据えたい欲求を抱えた天皇主義者・国家主義者の蠢きが跡を絶たない。教育勅語の復活の動きや天皇元首論の動きはその代表例であろう。安倍晋三もこの中に含まれる。<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。>は天皇中心主義意識が言わしめた上記欲求へのバックボーンをなす主張であろう。
「日本は神の国」発言の森元首相の場合は天皇を戦前と変わらぬ現人神と位置づけるところまでいかなくても、日本が神によって建国を受けた(=天孫降臨)特別な国だとする意識が思わず言葉の形を取ってしまった特殊な例に違いない。当然現在の天皇は神ではなくても、建国の神性を万世一系の形で受け継ぎ、精神化した特別な存在であると見ているに違いない。
果たしてこういった考えに取り憑かれている人間が一人の問題かどうかである。口には出さなくても、無視できない多くの日本人が天孫降臨という形で国の成り立ちに関わった神々の子孫として天皇を見、天皇に至高・至純の価値を置く。そしてこれは江戸時代末期は一部国学者の、明治以降からは国家権力者側の価値観として成り立たせてきたに過ぎない。
日本の建国に関しては『国体の本義 第一 大日本国体 一、肇国』の冒頭に<大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。>と宣言しているが、このような宣言に倣って、道徳面や精神面、文化面に於いては至高・至純の天皇を国家の中心に据えて、それを<万古不易の国体>とし、国民の精神と文化を統一したい衝動を内心に疼かせている。このことこそが「戦後レジームからの脱却」であり、その完結体が「規律を知る凛とした美しい」日本というわけなのだろう。
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肇国(ちょうこく)=「建国)
神勅=「天照大神が皇孫瓊瓊杵噂(ににぎのみこと)を下界に降ろす際に
八咫鏡(やたのかがみ)と共に授けた神のお告げ)
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<観客>にしても<自国の選手>にしても、<表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになる>のは何ら都合の悪いことではない。天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に位置させる国体を意識の底に願望しているかどうかにかかっている。スポーツ選手がそのような意識を持って<表彰台に上がり>、君が代・日の丸に向き合ったとしたら、やはり問題だろう。<観客>が掲揚される日の丸を見、吹奏される君が代を聞いて選手と同じような意識に囚われたとしたら、同じく問題としなければならない。
天皇を日本の文化・精神・道徳の中心に置きたい天皇主義者・国家主義者たちにとっては<この「君」は、日本国の象徴としての天皇>で終わるはずはなく、「君が代」の「君」は象徴の裏に常に国体の道徳的・文化的・精神的中心者の姿をひそかに纏わせた「君」なのである。
いわば、戦後遅くに生まれまだ若いスポーツ選手が天皇への意識もなく<表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになる>、あるいは<観客>がそれを見て<ごく自然に荘重な気持ちになる>ケースと天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に位置させる国家・国体(=「美しい国」)を願望して止まない安倍晋三のような天皇主義者・国家主義者たちが日の丸・君が代に対するケースとは自ずと違う。そこに常に戦前回帰意識があるからである。
天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に置くということは日本国民に個人の精神的独立を許さず、戦前のように天皇の名でつくり出した日本の伝統文化と称する、あるいは日本の伝統精神と称する精神性を画一的、一律的に強制し、そのような精神性で支配・統一し、縛り付けることであろう。
その行き着く先は戦前のようにアメリカ的なもの、あるいはの欧米的なものへの忌避・排除である。このことは戦後の日本人の精神がアメリカナイズされ過ぎたとか欧米的な個人主義が横行しているとかの批判によって既に始まっている。
≪国体の本義≫から、戦前の英米思想排斥の動きを見てみる。
<我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し(かだし=確かに)極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡(節度がなく、みだらで崩れていること)せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発(詔勅を広く発布すること)せられるに至つて、国民は皇祖(天皇の先祖・天照、神武)皇宗(第2代から前代までの天皇)の肇国樹徳の聖業とその履践(りせん=実際に行うこと)すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。>
いわゆる<西洋個人本位の思想>の排斥欲求と伝統回帰・国粋回帰の欲求である。
日本の文化・精神によって統一・支配したい企みを意識下に置いているからこそ、歌詞の背後に個人の権利の抑圧を隠していた戦前の事実を無視して、世界各国の国歌と比較して<「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌>、いわば平和な国歌だとする論を必要事項とすることになる。平和のシンボルだと君が代・日の丸を国民すべてに親しませることが天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に置く第一歩とすることになるからに他ならない。そのような国体実現の契機とすることができるからに他ならない。
「君が代」が一見「非戦闘的な歌詞」であっても、天皇の絶対性を国民に洗脳する役目を持たせ、そのことによって暗黙裡に国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧を自然体とさせようとしたのと同じ構図で、平和を象徴する君が代・日の丸だからと、天皇が体現する精神・文化を国民に馴染ませ、自然体とさせようとしている。
個人の自由・権利の抑圧を背後に隠していた「君が代」は個人の自由・権利に対する常なる挑戦状であったという点で「非戦闘性」を装ってはいるが、決して<非戦闘的な国歌>ではなかった。個人の自由・権利を抑圧・否定すべく戦闘的な国家権力意志を裏打ちしていたからである。
では、単細胞な安倍晋三が余りにも単細胞に<非戦闘的な国歌>「君が代」と比較して<戦意を高揚させる国歌>としている、いわば平和的ではなく、戦闘的な国歌だとしているフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」の、国歌に制定されていく経緯を辿ると、<1792年対プロイセン・オーストリア戦争のためパリに向かうマルセーユ義勇兵に歌われて以来、革命時代の行進曲として普及。1795年に国歌に制定。>されたと『大辞林』(三省堂)は解説している。
「革命時代の行進曲として普及」ということなら、<【フランス革命】フランスでブルボン王朝の圧政下にあった市民が、啓蒙思想の影響、アメリカ合衆国の独立に刺激されて起こしたブルジョア革命。バスティーユ襲撃に始まり、人権宣言の公布、立憲君主制の成立を経て、1792年に第一共和国を樹立し、翌年ルイ16世を処刑>(『大辞林』三省堂)、その後紆余曲折を経ることになるフランス革命時代に「行進曲」から国歌へと形を整えていったことが分かる。
いわば国民の自由と人権、言論の自由を封じ込めた「君が代」と国民の抑圧されていた自由と人権、言論の自由等を解放・獲得すべく市民が立ち上がり、その願いを歌詞に込めた「ラ・マルセイエーズ」とは自由・人権に対する意識に関して相互に対極に位置していたと言える。
それを言葉面だけを把えて、「君が代」は非戦闘的だ、「ラ・マルセイエーズ」は戦闘的だとする粗雑さ、単細胞。だから「君が代」は価値があるとする短絡的感性。そんな人間がさも得意顔に一国の首相の座に鎮座している。どのような歴史も思想も語る資格があると言えるのだろうか。
「ラ・マルセイエーズ」の最後のフレーズだとする「進め!進め!汚れた血がわれらの田畑を染めるまで!」は、国民を圧制と弾圧で苦しめてきたのである。それを解き放とうと武装蜂起したとき、成功か失敗か、殺すか殺されるか、いずれかの場面に立たされるとしたら、殺すことで成功を獲ち得る激しい意志を奮い立たせなければならない。それが「汚れた血がわれらの田畑を染めるまで」の表現となり、それを目にするまで進軍を止めまいと相互に鼓舞する自由と人権への飽くなき欲求がなさしめた意思表示と見るべきであろう。そんな頭はないか。
安倍晋三は自分の脳が如何に粗雑に出来上がっているか、単細胞に仕上がっているか、一度脳ミソの出来具合を調べてもらった方がいいのではないか。
今朝の「朝日」に8月27日に内閣改造で起用されたばかりの≪遠藤農水相きょう辞任≫と一面トップに見出しが張り出してあった。<自ら組合理事長を務める「置賜農業共済組合」(山形県)が加入者を水増しするなどして、農業災害補償法に基づく共済掛け金115万円分を国から不正に受給していたことが発覚。遠藤氏は1日に記者会見し、不正受給を04年に把握していたことを認めたが、「農水相として最大限の努力をしていく」と述べ、辞任しない意向を示していた。>
せっかく手に入れた閣僚の席、そう簡単には手離せないというわけなのだろう。だが昨夕のTBSテレビのニュースでは、安倍首相は続投のダメージよりも辞任のダメージの方が小さくて済むと判断した模様だというふうな解説をしていたから、本人が辞任は厭だと言っても、詰め腹を切らせる予定でいたに違いない。
参議院で多数党を占めた民主党はもし辞任がなければ、参議院に問責決議案を出し、辞任に追い込むとの姿勢を示していたし、上記『朝日』記事も、<政府・与党内では問題を長引かせれば、臨時国会でテロ対策特別措置法案などの重要法案の審議が立ちゆかなくなるとの懸念が強まり、遠藤氏の早期辞任はやむをえないとの判断に傾いた。>としていることからも自発的な辞任ではなく、暗に要求されての辞任だということが分かる。
だが、このような辞任劇のウラを返すと、続投させた場合の安倍内閣に対するダメージがたいしたことはないと計算できたなら、辞任させずに続投させるということで、不正の有無、あった場合のその質・程度を基準とした出処進退ではなく、安倍内閣の損得計算からの自己都合を基準とした出処進退であることを物語っている。
言ってみれば遠藤農水相は自らの不正とその処理の不始末の責任を形の上では取る辞任となるだろうが、実質的には安倍内閣の損得計算からの自己都合の犠牲となった辞任ということになる。
郵政造反組の復党も参院選挙を有利に運ぼうという損得計算からの自己都合を基準として決定事項であろう。一次内閣の閣僚の不適切発言や事務所費疑惑でも、損得計算の自己都合から擁護する側にまわり、それらが合わさって参院選で裏目に出て、吉とならずに凶と出た自己都合となってしまった。
最近口にすることが少なくなったという「規律を知る凛とした美しい国づくり」なるアピール。言っている本人が社会的な「規律」を判断基準に「凛と」行動するのではではなく、自己都合の損得計算を判断基準として行動し、自らのアピールを裏切っていることに気づきもしない。気づかないまま、今後とも言える機会を選んで「規律を知る凛とした美しい国づくり」をアピールするに違いない。やはり単細胞のなせる技なのだろう。