「日本は明治維新ができ、近代化したが、中国や朝鮮半島は近代化できなかった。日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だった」
行政刷新相時代の3月27日に松江市で講演、政権交代を契機に「新しい政治をつくらないと大変になる」といった演説趣旨で講演、民主党の新しい政治への転換を明治維新になぞらえる中でアジアの歴史を新転換させる、歴史家顔負けの立派な歴史観を述べた民主党枝野幹事長が6月27日日曜日のフジテレビ「新報道2001」で、自身の歴史認識に劣らない政党と労働組合の現状認識を示したらしい。
《舌禍…枝野氏“炎上” 与党、野党、連合までも けんか売りすぎた果て》(MSN産経/2010年7月3日08:00)
記事は一つは労働組合とは関係ないが、以下の二つの発言を失言として挙げている。
枝野「公務員制度改革はみんなの党と考え方は基本的に一緒だ」
枝野「国家公務員の労働組合が支持している大部分は共産党だ。民主党を支持しているのはほとんどない」
それぞれの発言に対する反対論。
みんなの党渡辺代表(6月28日)「みんなの党の支持者の引っぱがしじゃないか。悪質な選挙妨害にしか見えない。顔を洗って出直しなさい!」
同じ番組に出席していた共産党の市田忠義書記局長が色をなして反論。
市田「嘘だ。取り消しなさい」――
記事は労働組合と政党との支持関係を次のように解説している。
〈■労組も「白い目」
民主党最大の支持団体である連合傘下の公務員労組も枝野氏の言動に眉をひそめる。
国家公務員労組には連合傘下の国公関連労働組合連合会(国公連合)と、共産党系の全労連傘下の日本国家公務員労働組合連合会(国公労連)とがある。枝野氏の「国家公務員労組」発言は、連合から見れば傘下の国公連合を無視した見解となるからだ。
労組の反発は参院選候補を直撃しており、候補者の不満は募る一方だ。ある連合組織内議員は「幹事長のくせに支持団体のことも知らないのか」と不快感を露わにした。〉――
失言とされた枝野幹事長は産経新聞のインタビューに答えている。記事は、〈こう胸を張った〉と答えたときの様子を表現している。
枝野「誤解をされないようにメッセージを発することも政治の責任だ」
何とも感じないカエルのツラにショウベンのいつもの顔が思い浮かぶ。
発言に対する記事の解説。
〈どうやら自らの発言が不信を招き、敵を増やしているとの自覚はないようだ。〉――
要するに「国家公務員の労働組合が支持している大部分は共産党だ。民主党を支持しているのはほとんどない」は間違った発言ではないと言っていることになる。
「Wikipedia」によると、民主党支持の国公連合の組合員数約12万2000人。共産党支持の国公労連は約12万人。国家公務員の労働組合から支持を受けているという点では両党共ほぼ肩を並べていると言える。
記事が書いている〈民主党最大の支持団体である連合〉は組合員数約670万人。連合傘下の日本教職員組合(日教組)も、全日本自動車産業労働組合総連合会も、日本郵政グループ労働組合(JP労組)も、日本鉄道労働組合連合会(JR連合)も民主党の支持母体に名前を連ねている。
6月27日のフジテレビ「新報道2001」でどんな遣り取りがあったのか、一方の当事者である《民主こそ労組に支持押しつけ》(2010年6月28日(月)「しんぶん赤旗」)がより詳しく伝えている。
労働組合の支持を受けていて公務員削減ができるのかとの指摘に対して――
枝野「国家公務員の労働組合が支持しているのは大部分が共産党さんです。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどありません」
「赤旗」はこの発言を当然と言えば当然だが、〈デタラメな日本共産党攻撃を行いました。〉と書いている。
市田共産党書記局長「日本共産党は、労働組合であろうとどんな団体であろうと特定政党の支持を押し付けたことは一度もない。国家公務員の労働組合が共産党支持というのはうそですよ。枝野さん、取り消しなさい」
枝野「うそじゃない」
これを以て記事は、開き直りと書いている。
市田「政権党の幹事長が公共の電波を使ってうそをついたらだめですよ。労働組合に支持を押し付けているのは民主党じゃないですか」
記事は最後まで憤懣やる方なしの様子で次のように締めくくっている。
〈民主党が連合加盟の国家公務員労組から支援を受けているのは紛れもない事実です。
そもそも枝野氏は17日、連合本部に自ら出向いて、参院選で支持を受ける協定を取り交わしたばかり。労働組合に特定政党支持を押し付けている張本人です。参院選では公務員労組の自治労出身候補者を公認するなど人も組織も丸抱えで支援を受けています。
特定政党支持押し付けの害悪が露呈したのが、同党の小林千代美前衆院議員陣営の1600万円にものぼる違法献金事件です。組合員から半強制的に集めた資金を違法献金などに充てたとして連合加盟の北教組や自治労北海道、連合札幌幹部に有罪判決が出たばかりです。でたらめな攻撃をする前に、枝野氏自身と民主党のあり方こそただすべきです。〉――
政党はどの階層、どの団体の利害を代弁するかで成り立っているのだから、労働組合の利害を代弁すること自体が間違っているわけではない。労働組合の利害代弁は労働者の利害代弁に通じる。
また、民主党は社会主義政党だと批判する勢力が存在するが、社会主義政党であっても、全体的な国民の全体的な利益に適いさえすれば、問題はないはずだ。いくら民主主義政党を名乗っても、国全体の一部を占めるに過ぎない大企業や富裕層の利害を優先的に代弁する政党であっては、一般国民の利害に反する不公平な状況が生じる。
不公平な状況を一般国民自体が長い間許してきた。
「MSN産経」記事は枝野発言を失言とし、「しんぶん赤旗」はデタラメ、いわば事実誤認だとしている。
それだけだろうか。
労働組合の支持を受けていて公務員削減ができるのかとの指摘に対して、枝野はこう発言した。
枝野「国家公務員の労働組合が支持しているのは大部分が共産党さんです。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどありません」――
国家公務員改革をデザインする中で国家公務員側の様々な立場からの様々な賛成・反対、あるいは異議申し立ての雑音が入ってきているだろうし、その様々な立場の中には政党が自分たちを支持する階層、あるいは団体の利害を優先的に代弁する関係から民主党支持ゆえになるべく利害を一致させなければならない国公連合もあれば、共産党支持ゆえに利害をさして一致させなくても済む国公労連もあったろうから、自身は発言どおりにそう思っていて、勘違いだということは先ず考えられない。
だが、「国家公務員の労働組合が支持しているのは大部分が共産党さんです。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどありません」と言った。
考えられる理由は民主党は国家公務員の支持を殆んど受けていないと隠すことにあったということではないだろうか。
労働組合は労働者を所属構成員としていながら、日教組の支持を受けることを一般国民の間では悪と見がちなのと同じ構図で、労働組合の支持をある意味悪とする風潮があるからだ。
少なくとも世間にあからさまな姿となる形で支持を受けていることを控えるような意識に流されている。民主党は労働者の政党だと一度でも胸を張って言ったことがあったろうか。
この風潮を流している自民党は逆にこの風潮を利用して、悪者視するニュアンスで日教組やその他の労働組合を攻撃して、間接的にその支持政党を批判するといったことをやらかす。
枝野幹事長発言にしても、世間の労働組合悪者視の風潮を受けて、その支持を隠したい意図があったのではなかったろうか。
隠したい意図が民主党支持の国公連合の存在を知っていながら、「誤解をされないようにメッセージを発することも政治の責任だ」と、自分の発言を事実誤認だとすることができず、間違っていないメッセージだとしたということのように思えて仕方がない。
少なくとも「国家公務員の労働組合が支持しているのは大部分が共産党さんです。国家公務員の組合で民主党を支持しているところはほとんどありません」の発言には労働組合悪者視を反映させた共産党悪者視、その逆の民主党善人視のニュアンスを感じざるを得ない。
菅首相が消費税発言にブレて叩かれ、野党申入れのテレビ党首討論から逃げて叩かれ、記者会見を避けて叩かれている。叩く相手は勿論野党だが、マスコミも商売柄、一緒になって叩いて回る。
野党にしてもマスコミにしても、与党を叩いて何ぼの世界に住んでいる。
精神的には相当イライラしているに違いない。前内閣が20%以下にまで下げた支持率を就任早々に60%半ば前後にまで“吊るし上げ”たものの、不用意・無計算な消費税発言が祟って2週間足らずで50%台にまで一挙に吊るし下げてしまって、参院選の序盤情勢では現有議席の維持さえ難しいと出ている。
内心のウップンを晴らそうと街頭演説でついつい言葉に力を入れてしまうからか、勢い余って行く先々で違う発言となり、野党とマスコミに叩く格好の材料を次々と与えてしまう。叩く相手が追加注文しないうちに、どうぞ叩いてくださいと注文の品を自分の方から出してしまう念入りな早さだ。
「asahi.com」記事――《「攻め菅」一転「逃げ菅」?TV討論回避、批判集中懸念》(2010年7月3日3時0分)によると、〈2日夜になってようやく2局の党首討論会への出演が決まった〉と書いてあるが、それがどういった形式の党首討論かまでは書いてないが、これまで党首討論から逃げていたのは相次ぐ新党発足で政党数が9政党となり、1対8の多勢に無勢の不利な状況に陥れられるのを恐れていたからだと書いている。
〈新党が次々に誕生し、野党は7党を数える。唯一の連立与党の国民新党にしても、亀井静香代表は消費税問題で「首相は寝言を言っている」と手厳しい。党首が一堂に会せば、一方的に攻め立てられる展開になるのは確実だ。短気な「イラ菅」ぶりがあらわになれば、イメージダウンにもつながりかねない――首相側にはそんな懸念がある。 〉――
2日、富山市のJR富山駅前――
菅首相「1対1の真剣勝負ならいつでもやるが、1対8の議論は議論ではない。下手をすれば吊るし上げだ」
「1対1」は大歓迎を記事は以下のように描写している。
〈6月24日の公示日にNHKのニュース番組に、1日にはテレビ朝日の「報道ステーション」に出演したが、いずれも単独でキャスターとの質疑に応じる形式だった。民放関係者によると「番組での党首討論を要請したら、逆に首相側から単独出演できないかと持ちかけられた」という。 〉――
2日程前のブログで、世論調査を睨んで参院選の当選ラインを現有議席の54に置いている菅首相の姿勢を、高いところに目標を置いて、そこに達しなかった場合の自身に降りかかる責任を回避できる安全地帯に当初から退避させたものだと書いたが、「真剣勝負」だと称しているこの「1対1」も、安全地帯志向の現われであろう。
「1対1」以外は強迫観念化しているようにさえ見える。
当選ライン目標が現有議席54の安全地帯に相応した「1対1」の安全地帯志向とも言える。
裏返すなら、菅首相にとっては現在の世論動向からしたら過半数60議席目標は危険地帯に属し、その意識の反映としてある「1対8」の危険地帯ということである。
「1対1」が安全地帯であることは、「1対8」の危険地帯となる党首討論で、その危険な状況を撥ね返して議論を優勢に進めた場合、議席を現有54を上回って大幅に伸ばすチャンスとなり得る可能性を秘めているにも関わらず、その可能性に挑戦する意志さえ持たずに固執していることによって証明される。
要するに首相は野党、マスコミに叩かれて何ぼの世界に立脚していると言える。にも関わらず、そのことを何ら自覚せず、率先垂範して回避に回避を重ねていた。
また政権を担当している以上、野党に対して議論を優勢に進める責任を負っているはずである。与党の政策は野党の政策よりも優れていなければならないからだ。少なくとも野党の政策よりも優れた政策を目指す責任を負う。
政権を担当している与党でありながら、与党の政策が野党の政策よりも劣るという逆説は国民に対する裏切り・侮辱の類に相当する。常に野党の政策よりも優れた政策を創造しなければならない責務を負う。そのためには自らの政治思想に信を置き、その忠実な具体化に務めなければならない。それが不可能となったとき、国民の審判を受けることになる。
あるいは与党は野党よりもより優れた政策を打ち出し、打ち出したより優れたその政策を国民に提示し、説明する責任を負う。国民に対する提示し、説明する方法はテレビや新聞、インターネットを通じて直接提示し、説明する方法と、記者会見で記者からの質問に答える形や国会やテレビでの党首討論、野党議員からの批判・追及に対する応答の形で間接的に提示し、説明する方法とがある。
大衆に迎合し、右顧左眄すると、見栄えだけ素晴らしい、見せ掛けの政策となる。
こういった条件を考えると、「1対8」であっても、政権党を占めている以上、議論を優勢に進める責任を負っているはずである。
だが、実際には野党やマスコミから「逃げている」と、「1対1」の安全地帯に自身を退避させたままでいた。〈最近の国政選挙では選挙期間中、各党首がテレビ各局の党首討論会に出演するのが通例となっている。昨年の総選挙では、低支持率に苦しむ麻生太郎首相(自民党)でさえ、NHKをはじめ、民放の討論番組に出演〉してきたこれまでの慣例を無視、〈首相はテレビでの討論会だけでなく、選挙時に報道各社が行う党首としてのインタビューにも応じていない。 〉状況にあった。
結果、多分業を煮やして、〈こんな首相の姿勢に、「見せ場」を奪われた格好の自民、公明、共産、みんなの党の野党4党の国会対策委員長は6月30日、首相がテレビでの党首討論に応じるよう求める申入書を民主党に送〉ることとなり、〈2日夜になってようやく2局の党首討論会への出演が決まった〉ということなのだろう。
野党党首にしても、菅首相の「1対1」はいいが、「1対8」は「下手をすれば吊るし上げだ」の尻込みを自分から手の内をさらけ出した弱みと見て、何としてでも「1対8」の党首討論に引きずり出してやろうと勢いづかせた面もあったに違いない。言いたい放題のことを言わせることになっている。
谷垣禎一自民党総裁「「首相たるもの、野党党首がどんなに攻めようと、ばったばったと切り捨てるぐらいの覚悟がなくてどうする」
「ばったばったと切り捨てる」剣豪の勢いある能力を心にもなく求めている。菅首相の逃げの姿勢からないものねだりとわかっていてねだった「ばったばった」の勢いに違いない。
山口那津男公明党代表「逃げるな菅、出てこい菅、山口那津男は『カンカン』だぞ」――
一方的な気勢となっていて、一方的な気勢を菅首相は許していることになる。
味方は与党のみ・・・と言いたいが、与党内でも主義主張を異にする勢力が存在すれば、政権を失わない範囲内で足を引っ張る動きが出てくる。参議院選挙は政権選択選挙ではないために例え与党が敗北しても連立もしくは閣外協力の形で政権を維持できるから、足の引っ張り合いがいささかエゲツなくなることもあるに違いない。
それに政権を失わない範囲内で失脚してくれれば、党内反対勢力にとっては政権担当のチャンスがまわってくる。
菅首相の味方の一人、仙谷官房長官。自分が任命した閣僚が味方でなくなったらお仕舞いだ。2日の記者会見。
仙谷「他党は全部、民主党批判を展開する。民主党批判一色にならないか」
当たり前のことを言っている。野党は与党を叩いて何ぼの世界であり、与党にしても野党に叩かれて何ぼの世界だということを何ら自覚していない。
この仙谷発言のより詳しい内容を《仙谷氏:テレビ党首討論の「1対8」は平等か?-反論時間確保を》(ブルームバーグ/2010/07/02 12:50)が伝えている。
仙谷「1対8で民主党批判一色になる。民主党一党だけが孤塁を守るという形になるとすれば、本来的な意味での実質的な平等なのかどうなのか。・・・・9党であっても反論の時間を与えるという話であれば、なんとかいいのかなと思う」
「反論の時間」を与えない党首討論などかつて存在しただろうか。
仙谷が言っている「平等」論は、情けなくも発言の量、発言の時間といった物理的な量を基準とした「平等」論に過ぎない。
日本の国を形作っていく与党政権党の政治・政策を検証するに発言の量、発言の時間を物理的に把えて、それでよしとすることができるとでも言うのだろうか。議論の中身は発言量や発言時間では計れないはずだ。中身の優劣のみによってこそ、計ることができる。
「孤塁を守る」という発想も貧しいばかりである。日本の国を形作っていく与党の政治・政策であるからには、胸を張って堂々と批判に、あるいは吊るし上げに応えるべきだろう。
平野官房長官が政権の舞台から消えて国益に適うと思ったが、また一人国益に反する官房長官の登場となったようだ。
野党としては与党から政権奪取して日本の国を形作っていく自らの政治を実現することを役目としているのだから、あるいは最も多く議席を獲得している与党から1議席でも奪ってこそ、日本の国を形作っていく自らの政治の実現に一歩でも近づくことになり、野党の中でも特に少数野党としては一歩でも近づくための自身の名と価値を高める絶好の機会であり、そのための勢力の趨勢を国民に知らしめることのできる絶好の場面でもあるのだから、野党は常に与党を叩くのが、あるいは吊るし上げることが商売だとも言える。
ゆえに野党は与党を叩いて何ぼとなる。
そういった勢力構図にあるなら、逆に政権を担っている総理大臣は叩かれて何ぼの世界に立脚していることの覚悟を明確に自覚すべきだろう。落語にあるように、「饅頭が怖い、饅頭が怖い」と言って饅頭にありついて、それをすっかりと平らげてしまう臆面のなさ、度胸を以ってして「1対8」に乗り込むべきを、その逆さ図となっている。
大体が野党時代は与党の首相や大臣を国会の場で散々吊るし上げたり、叩いたりしてきて、自分が与党の首相になってから、吊るし上げられるのも叩かれるのもイヤだは自分勝手が過ぎるし、甘えている。どこを探しても、指導力と言える何ものも見えない。
野党からのみならず、マスコミに批判されたり叩かれたりするのも政権党党首の宿命であり、受けるべき責任としてある。権力は常に見張られ、検証を受けなければならない。
党首討論の間、あるいは終わってからも暫くの間、野党とマスコミによるどんな菅叩きが展開されるのか、なかなかのお楽しみとなる。
6月30日公開の所得等報告書で判明したこととして、仙谷官房長官が行政刷新担当大臣就任の昨年9月以降も複数企業と顧問契約を交わし、顧問契約料を受け取っていたという。
《仙谷氏、閣僚就任後も弁護士所得 規範抵触の可能性》(asahi.com/2010年6月30日15時3分)
仙谷官房長官は「弁護士業」として約80万7千円を昨年1年間の事業所得に計上。このことは閣僚の自由業への従事を原則禁止した「大臣規範」に抵触する可能性があるが、仙谷氏の事務所は「問題はない」としているという。
その理由を仙谷氏側は、「実質的に法律事務所は開店休業状態で、事業所得は法律事務所の維持管理に必要な分だけ。在任中に弁護士業務はしていない」とした上で、「運用として認められている」と回答、大臣規範には抵触しないとの見解を示したとのこと。
いわば、事務所が「開店休業状態」で、「弁護士業務」を行わず、事務所の「維持管理」に必要な支払いを受けているのみのケースの場合は「運用上」許されるということになる。
記事は、〈顧問契約料を受け取っていた〉としているが、仙谷側の説明からすると、「在任中に弁護士業務はしていない」、「法律事務所の維持管理に必要な分だけ」受け取っていたこととしている。いわば事業所得に顧問契約料は入っていないこととしている。
在任中に弁護士業務はしていなくて、実質的に法律事務所は開店休業状態。顧問弁護士としての収入はゼロだった。ゼロでなければ、大臣業と同時に弁護士業を兼務していたことになって、閣僚の自由業への従事を原則禁止した「大臣規範」に抵触することになる。
にも関わらず、法律事務所の維持管理に必要な分だけの収入が入ってくる。
顧問契約会社にしても、「大臣規範」に抵触することになるから、顧問料を支払うことはできない。抵触以前の問題として弁護士の仕事をしていないのだから、顧問弁護士としての用を果たさない法律事務所に契約顧問料を支払う義務はなく、別に顧問弁護士を用意しなければならないはずだ。
尤も付き合い上の義理で顧問契約を結んでいた可能性は否定できないが、それが複数企業に及んでいたとしたら、別の疑問が沸く。
いずれにしても、法律事務所の維持管理に必要な分だけのカネを支払っていた。これも付き合い上の義理からだとしても、複数企業が義理に縛られていたことになる。
日本人は義理人情に厚いからか。
素人の素朴な疑問だが、普通は得た顧問料から人件費や、賃貸事務所なら、賃貸料等の事務所の維持管理費にまわすのだが、そういった形式を取らずに法律事務所の維持管理に必要な経費は、昨年1年間の事業所得は約80万7千円だということだから、ここに人件費は含まれていない可能性は高いが、顧問契約会社からの支払いとなっていた。
だとすると、顧問契約会社は、ハイ、これは顧問弁護士料、これは事務所維持費と別立てで支払う契約となっていたことになる。事務所が開店休業状態となったために、顧問契約料を支払う必要はなくなったが、事務所維持費のみの支払い義務は継続することとなった。
例えそれが義理からだとしても、どこかおかしくないだろうか。
《【所得公開】仙谷官房長官に弁護士報酬 複数企業「大臣規範」抵触も》(MSN産経/2010.6.30 12:59)になると、仙谷側の説明が少し違ってくる。
仙谷側「実質的に開店休業状態だった。・・・顧問料は受け取ったが、実質的な労働はなく問題はなかった」
顧問契約は維持したままの状態にあり、顧問料として受け取っていたが、「実質的な労働はなく問題はなかった」と正当化している。
この説明もおかしい。問題点を「実質的な労働」の有無に置いているからだ。
法律事務所が開店状態だったとしても、弁護を依頼したり、法律相談する事案が生じない場合も顧問料を支払い続けるのだから、「実質的な労働」の有無は支払いの理由とはならないはずだ。
支払いの理由は契約しているか契約していないかのみに従う。
顧問料として受け取っている以上、顧問活動はしていたことになる。顧問契約会社から弁護を依頼されたが、顧問料を受け取っていながら、「現在仙谷は大臣業中であり、弁護士業を行った場合、『大臣規範』に抵触する恐れが生じるため、依頼に応ずることはできません」と応対することは可能だろうか。応対したなら、顧問契約会社からしたら、顧問料を支払う意味を失う。
仙谷側は一旦、顧問料として受けとていたこととしながら、〈開店休業中であっても事務所の維持費がかかるため〉という理由で、上記「asahi.com」記事が触れていると同様の弁解を口にしている。
仙谷側「顧問契約を結んでいた数社から必要最低限のものを支払ってもらった。内閣総務官室と相談し、問題ないとの回答を得ている」
事務所の維持費がかかるため、「顧問契約を結んでいた数社から必要最低限のものを支払ってもらった」ということなら、相手は弁護士活動が開店休業中だということを承知していた上で、顧問料としてではなく、事務所の維持のために「必要最低限のものを支払って」いたことになる。
これは政治団体事務所ではなくても、事務所費の肩代わりに当たらないだろうか。これが政治団体事務所の場合は政治資金規正法では寄付として記載するよう義務付けられているが、政治団体事務所ではなくても、顧問料ではなく、事務所の維持費としての費目であるなら、それが付き合い上の義理からであろうがなかろうが、寄付に当たるように思えるが、それを「事業所得」としている。
記事も“政治とカネ”に詳しい岩井奉信(ともあき)日本大学法学部教授を登場させて、寄付説を打ち出している。
岩井奉信日本大学法学部教授「弁護士業を行わないのに、企業から顧問料を受け取ったとの説明は極めて不可解で、事実上の寄付だった可能性がある。企業側がどんなサービスへの対価として、報酬を支払ったのかを明らかにする必要がある」
記事は「大臣規範」について次のように解説している。
〈平成13年に閣議決定された大臣規範では、閣僚らの在任期間中の「自由業」への従事を原則禁じている。内閣総務官室によると、弁護士業はこの「自由業」に該当し、やむを得ず従事する場合は首相の許可が必要とされるが、仙谷氏は許可を取っていなかった。〉――
仙谷側は「内閣総務官室と相談し、問題ないとの回答を得ている」から、「許可を取っていなかった」としても、整合性ある措置とも言える。
だが、この「許可を取っていなかった」が1日にして、「口頭で許可が出ていた」となる。
《【社会部発】仙谷氏の弁護報酬問題 内閣官房の説明一転「口頭で許可、問題ない」》(MSN産経/2010.7.1 14:35)
〈30日の所得公開に伴う仙谷氏の記事をインターネットに掲載した数時間後、官邸サイドから非公式な形で電話連絡が入った。〉という。
官邸サイド「何を持って『大臣規範』に抵触すると言っているのか」
「大臣規範は法律ではない。(首相の)許可と言っても緩いものだ。もう少し慎重になったほうがいい」
「内閣総務官室にきちんと取材はしたのか。いましてみろ。抵触だなんて言えなくなる」
言葉の調子は記事からでは判定不能だが、文字面だけから見ると、穏便を装った暴力団の威し風の言い方に見えないことはない。
〈大臣規範を所管する内閣総務官室への取材は当然に行っていた。〉、〈同室への確認事項は、仙谷氏が兼職に関する首相の許可を得ていたかどうかだった。〉と記事は自分たちがどう対応してきたかを書いている。
と言うことなら、官邸サイド自体が内閣総務官室にどういう取材があったか予め問い質してから、そこに曲解・誤解の類を見い出した場合は、産経新聞社側に電話を入れて、その辺の指摘を行い、正すよう要求するのが順序であろう。
それをいきなり、「内閣総務官室にきちんと取材はしたのか。いましてみろ。抵触だなんて言えなくなる」と要求する。
〈首相の許可が出ていれば「問題なし」。出ていなければ、大臣規範に反する行為にあたることになる。〉という趣旨で産経新聞は内閣総務官室に取材を行い、その上で記事にした。
どのような取材経緯があったかを書いている。
〈内閣総務官室ではこれまで、首相の許可の有無を文書で管理してきた。それにより、許可の降りた経緯が文字通り「明文化」されるためだ。同室に確認してもらったところ、仙谷氏に関する書類は提出されておらず、「兼職は認められていない」(同室)と回答があった。仙谷氏側の説明もふまえ、最終的に「大臣規範に抵触の恐れあり」と記事化した。〉――
要するに許可の有無を文書化することによって、それが正しい判断であったか、正しくない判断であったか、あるいは縁故や情実からの判断であったか否か等々の事後の裁定の機会提供を成す証拠・記録として残すことができる。
職務を正しい判断の元、従事しているか否かの必要不可欠な証拠情報・記録情報として、「文書で管理」は重要な手続きとして位置づけられていた。
産経新聞はそこに仙谷官房長官の昨年1年間計80万6746円の事業所得が大臣規範に触れているのかいないのかの判断を求めたが、書類は提出はなかったとの回答を得た。
〈ところが官邸サイドからの連絡を受け、記事配信後に再度、内閣総務官室に確認すると状況は一変していた。〉――
ジャジャジャ、ジャーン・・・・。
内閣総務官室「官房長官室から連絡があり、総理と直接話して了解を取っているとのことです。条文には文書でなければいけないという決まりはなく、了承をもらったのがいつとは聞いていないが、了承を得たという以上は問題ない」
〈なぜ最初の取材の際にそう答えなかったのかとの問いには答えず、官房長官室から連絡を受けた時期については「いつだったか…」と間を開けた上で、「記憶にない」と話した。〉――
さらに続けて、次のように説明している。
〈大臣規範が閣議決定された平成13年以降、自公政権時から続けてきた文書による管理だったが、「口頭による了承」が認められたのは仙谷氏が初めてのケースだったという。〉
産経新聞側は、口頭での了承を初めて認めたことについて尋ねる。
内閣総務官室「大臣が『話したんだからそれでいい』とおっしゃられるなかで、それでもなお紙で出してもらうことは事務方としては厳しいものがある」
ここに上の指示に、それが正しいか否かの判断を排除して無条件に下が従う権威主義の人間関係を見ることができる。上の指示だからそうしたんだという、自身の判断を関与させる責任を省いた無責任な非主体性がある。
だが、記事は、〈内閣総務官室は内閣官房長官の組織下にある。大臣への反論は立場上、難しいことは理解はできる。〉と、その権威主義性を擁護している。その無責任性に目をつぶっている。
同じ権威主義性を体現しているからこそ、同情できるのだろう。
その一方で、仙谷官房長官に対する平成13年以降初の快挙となる“口頭了承”の危険性をも指摘している。
〈今回の「特例」をもって口頭による了承が一般化されれば、意思決定の経緯は“密室化”する。文書として存在しなければ、情報公開請求の対象にもならず、国民の監視の対象から外れることになり、「公職にある者の清廉さ」「国民の信頼」「政治的中立性」の確保を目的とした同規範の意義が瓦解する。
そもそも「首相から口頭で了承を得た」という話は、それまでの仙谷事務所や官房長官室への取材でも一切触れられていなかった。
内閣総務官室が記事配信後になぜ前言を翻したのか。疑問は募る一方だ。〉――
“口頭了承”を得ていたが正しいということなら、弁護士と大臣の兼業は「大臣規範」の例外規定となり、許される。では、仙谷側が最初に言っていた「法律事務所は開店休業状態」だったとか、「在任中に弁護士業務はしていない」の口実はどこから出てきたものなのだろうか。
「鳩山前首相から、“口頭了承”を受けています」の一言で済んだはずだ。「法律事務所の維持管理に必要な分だけ」の支払いだとまでしている。
もしも「大臣規範」に抵触しないとしていた最初の理由が通用しない恐れが出たために首相の“口頭了承”にすり替えたのだとしたら、決して大袈裟ではなく、恐ろしい陰謀となる。どんな些細なゴマカシも不正もあってはならないからだ。ゴマカシ・不正の通用は責任を取らない姿勢によって生じる。
例え責任を取ることになったとしても、自分から進んで取るのではなく、追及を受け、追いつめられて仕方がなく取るパターンが相場となっている。
例えこのことで官房長官の職を棒に振ったとしても、不正・ゴマカシは小さくても、身分上、その責任は高くつく。
摩り替え疑惑は具体的には次のように推理できる。
先ず官房長官室から内閣総務官室に電話を入れたか、直接出向いてかして、「総理と直接話して“口頭了解”を取った形にしろ」と命じる。
命じた上で官邸サイドは産経新聞に非公式な形で電話連絡を入れ、「内閣総務官室にきちんと取材はしたのか。いましてみろ。抵触だなんて言えなくなる」と、内閣総務官室への再度の取材を命じる。
内閣総務官室には“口頭了解”の答を用意してある。その用意が産経やその他の新聞社が件の記事を配信したあとの最近のことだから、〈官房長官室から連絡を受けた時期については「いつだったか…」と間を開けた上で、「記憶にない」と話〉すしかなかった。
確実に言えることは、参院選後の国会の場で仙谷官房長官と鳩山首相はこの件で追及を受けることになるだろう。
「なぜ例外的に“口頭了承”としたのか」
「“口頭了承”を受けていたなら、なぜ開店休業中だ、事務所維持費としての支払いしか受けていないと言ったのか」
仙谷官房長官は、「事務所に“口頭了承”を受けていたことを知らせていなかった」とでも言うのだろうか。
それがもしゴマカシ・不正の類となったなら、任命責任者の菅首相にも責任は及ぶ
菅首相は6月11日の総理大臣所信表明演説で、「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」と言っている。内閣に少しでもゴマカシや不正があるようでは、その情報隠蔽に遮られて、「国民の積極的な政治参加」も、「国民の統治による国政の実現」も国民は拒絶されることになるだろう。
民主党2010年参院選マニフェスト「元気な日本を復活させる。民主党の政権政策 Manifesto」には消費税に関して次のように記してある。
「早期に結論を得ることをめざして、消費税を含む税制の抜本改革に関する協議を超党派で開始します」
これ以外に「消費税」に関する言及はない。
6月17日のマニフェスト発表記者会見でも、菅首相は当然この点に触れて、「超党派の幅広い合意を目指す努力を行っていきたいと思います」と発言している。
このことに加えて問題発言とされた、「当面の税率については自由民主党のが提案されている10%というこの数字、10%を一つの参考とさせていただきたいと考えております」と税率にまで踏み込んだ。
但し、「超党派」を言いながら、マニフェストにも書いてあり、本人も「早期に」と言っているが、具体的な開始時期については一切触れていない。
だが、この消費税発言が響いたのだろう、4日後、6月21日の大手新聞2社の世論調査では菅新内閣発足で折角V字回復した内閣支持率を4ポイントから9ポイント下げている。
同じ6月21日の夕方、菅首相は首相官邸で記者会見を開催。発言で違う点はマニフェスト発表記者会見では自分からは口にしなかった「超党派協議」の時期について初めて具体的に触れている。
「私が申し上げたのは早期にこの問題について超党派で議論を始めたい。その場合に参考にすべきこととして、自民党が提案されている10%というものを一つの参考にしたい。こう申し上げたわけであります。そういった意味で、そのこと自体は公約と受け止めていただいて結構ですが、それはあくまでこのマニフェストに申し上げたように、こういう方向での議論を始めたい。そのことについて、その努力は当然のこととして参議院の選挙後にはやってまいります」
「何かこの選挙が終わったら、すぐに消費税を引き上げるようなですね、そういう間違ったメッセージがもし国民の皆さんに伝わっているとすれば、それは全く間違いでありまして、まさに参議院選挙が終わった段階から、この問題を本格的な形で議論をスタートさせたい。それを公約という言い方をされるなら、まさに公約とおとらえいただいても結構であります」
要するに消費税に関わる「超党派協議」は参院選挙後に開始することを考えているのであって、参院選が終わったらすぐ消費税を上げるわけではないということを強調している。
「超党派協議」と「自民党案10%参考」と議論開始時期の「参院選後」は公約とされてもいいとまで言っている。
これらの意図の裏を返すと、参院選挙で消費税問題を問うているわけではない、選挙の争点としているわけではないということの強調となる。
しかし自民党の谷垣総裁が、民主党が目玉政策に掲げている諸政策が消費税増税の前提としているムダの削減のそもそもの阻害要因を成すという立場から、バラマキ政策となっている民主党の衆院選マニフェストを撤回しない限り応じられないと一貫して「超党派協議」に反対していることや他の野党も反対姿勢でいることも影響しているのだろう、菅首相が参院選後の「公約」とまでした必死の“強調”も虚しく、民主党が参院選で過半数獲得微妙とか困難の各種世論調査の結果が出ることとなった。
大勢不利に苛立ったのか、26日夜(日本時間27日昼)、カナダ・トロントのG8閉幕後の記者会見で次のように発言している。《菅首相:発言要旨》(毎日jp2010年6月28日)
菅首相「財政再建の第一の柱は無駄の徹底的削減。同時に成長戦略によって雇用、需要拡大の中でのデフレからの脱却が大きな柱。その二つに加え、税制抜本改正を議論すべきだ。消費税を含む議論をスタートさせようと提案していることを公約と言われるなら、その通りだ。
(税制議論の時期は)参院選が終わった段階で、改めて各党に呼び掛けたい。オープンで参加されるかは、呼び掛ける中で決まってくる。今から時期を言うのは適当ではない。
消費税は所得の低い人が相対的に重い負担になるという性格があり、そこはしっかり考えないといけない。消費税を含む税制改革の議論を始めようと提案しているわけで、呼び掛けるところまでが私の提案であり、理解を頂けるのではないか」――
一見、6月21日夕方の首相官邸での記者会見で言っていたことと殆んど変化がないように見えるが、消費税率10%に触れていなかったことと、「呼び掛けるところまでが私の提案」と言ったことがマスコミにトーンダウンと受け止められて批判され、野党もこのトーンダウン批判に参戦して、批判の上塗りを謀った。
呼びかけに応じて開かれることになった場合の「超党派協議」には自分は加わらないということなのだろうか。だとしたら、「超党派協議」が開催される頃には既に首相を退陣していると予想したのかもしれない。
人によってはこの予想を妥当な予想と受け止めるかもしれない。
政治は結果責任である以上、消費税を含む税制抜本改革を「超党派協議」を通じて纏めた上で法律として成立させ、税制面から国の建て直しを図るところまでを公約としなければならないはずだ。それを、「呼び掛けるところまでが私の提案」だとした。
あるいは消費税増税も「税率自民案10%」参考も「私の提案」でないとした。
「超党派協議」はあくまでも税制の抜本改革のための一つの手段であって、目的は税制の抜本改革そのものでありながら、「呼び掛けるところまでが私の提案」だとすることで、「超党派協議」そのものを目的とした。
マスコミにトーンダウンしたと叩かれたから、トーンアップを図る必要に迫られたのか、昨6月30日、選挙の遊説先で消費税増税の場合の逆進性緩和策として具体的年収を挙げ、それら年収に応じた税還付方式と、さらに食料品などの生活必需品にかかる消費税率を低く抑える軽減税率の導入に言及した。
《消費税、年収300万円以下は全額還付も検討 菅首相》(asahi.com/2010年6月30日20時59分)
記事は、〈税金還付方式を検討する考えを打ち出しているが、対象の年収の目安を示したのは初めて〉だとしている。
山形市内の演説――
菅首相「例えば年収300万、400万以下の人にはかかる税金分だけ全部還付するという方式、あるいは食料品などの税率を低い形にする方式で、負担が過大にかからないようにする」
青森市内の演説――
菅首相「年収200万円とか300万円とか少ない人」
秋田市内の演説――
菅首相「年収300万とか350万円以下の人」」
これは地域によって対象年収を違えるということなのだろうか。あるいは大まかに言っているに過ぎないことから、年収額がコロコロ違ったということなのだろうか。
演説先々で年収額が違っていても、記事は、〈所得税の課税最低限(夫婦と子ども2人の世帯で年収325万円)が念頭にあるとみられる。〉と最後に解説を加えている。
併せて「超党派協議」も呼びかけているが、「asahi.com」は触れていない。
《低所得者 消費税分全額還付も》(NHK/10年6月30日 17時10分)
青森市での街頭演説――
菅首相「あの総理大臣も、この総理大臣も、消費税を言って選挙で負けたので、選挙が終わってからにしたほうがいいと言う人もいる。しかし、ギリシャのように、財政破綻したら、まずいちばん弱い立場の人に被害が出る。・・・・消費税の話をしないで済むなら、話をしないまま、選挙に入りたいと思ったが、選挙が終わってから『いや実は』と言ったら、やっぱりおかしい。選挙が終わったら、正面からほかの党の人たちとも話をしようと言っている」
「超党派協議」はあくまでも「選挙が終わったら」であって、選挙中の話ではないと断ることを忘れない。
参考までに「asahi.com」記事と同じとなる秋田市の会合での挨拶――
菅首相「年収が300万円とか350万円以下の人は、かかった消費税分は全額還付をするというやり方もある。あるいは食料品などの税率は低いままにしておくというやり方もある」――
税還付の場合の具体的な対象年収額を挙げることで、消費税に対する抵抗感を和らげ、参院選挙への悪影響を少しでも抑えようとする意図を持った発言だろうが、演説の先々で年収額が違うことからも分かるように、関係閣僚と議論を重ね、詰めた案ではなく、自身の思いつき、と言って悪いなら、個人的なアイデアを述べた印象を免れることはできない。
このことは《菅首相:消費増税 低所得者、全額還付も 年収水準に言及》(毎日jp2010年7月1日 0時39分)が証明している。
首相周辺「今までの議論で年収水準の具体的な話は出ていない。これから詰める話だ」
記事は山形市の「年収300万円、400万円以下の人には」の発言を伝えた上で、〈還付対象となる年収水準は「200万~300万円以下」(青森市内の街頭演説)、「300万~350万円以下」(秋田市内の講演)と定まらなかった。〉と、他の記事同様のことを書いている。
「今までの議論で年収水準の具体的な話は出ていない」にも関わらず、「具体的な話」を出した。思いつきと見られても仕方のない唐突な言及だったことになる。
「超党派協議」は「呼び掛けるところまでが私の提案」だとしながら、あるいは参議院選挙が終わった段階からスタートさせたいと言っておきながら、選挙中であることを無視して、消費税率を挙げた場合の逆進性緩和策として軽減税率方式や税還付方式を挙げ、税還付方式の場合の、まちまちではあっても、具体的な対象年収額まで提示した。
これも発言のブレの内に入るはずだ。
これが菅首相個人の独断専行であっても、首相である以上、その言葉の重さからして、民主党政権の約束事、公約と看做される。税還付方式と決まった場合、対象年収額で低い方向に大きく違った結論を導いた場合、選挙中の発言であるだけに投票の基準とした有権者も少なからず存在しただろから、少なくとも言葉の軽さ、発言の責任を問われることになるだろう。
それよりも何よりも、いくつかの政党が政策を競い合い、その中から一つの政党が国民の選択を受けて、あるいは国民の選択を受けた一つの政党が中心となって連立を組み、政権を運営する形態の民主主義政治に於いて、「超党派協議」は民主主義政治の形態そのものを否定することにならないだろうか。
一つの政党として国民の選択を受けることができなかった政党は、あるいは連立相手とされなかった政党は野党として、政権奪取して自らの政治を実現することを役目とする。どういった政治を行うか、どういった政策を推し進めるか、常に掲げ続けて国民の選択を待つ。
こういった構図を民主主義政治がルールとしているなら、消費税を含めた税制の抜本改革政策にしても、各党がそれぞれにその政策を競い合い、各党とも最善と思える案を打ち出し、国の根幹に関わる重要問題であるゆえに、菅首相が6月17日のマニフェスト発表記者会見で、「大きな税制改革を行う場合は予め実施する前に国民のみなさんに信を問うことが本来あるべき道だ」と述べたように衆議院選挙で問うとすることをすべきではないだろうか。
それができないというのは、税制改革の面で政権運営するだけの能力を欠いているということにならないだろうか。
また、いくら国の根幹に関わる消費税問題を含めた抜本的な税制改革だからと言っても、消費税やその他の税制だけの問題で終わらず、各党それぞれの各政策は予算算定や予算配分と影響し合う財政及びその規律の問題等と相互に関連し合うことになる。
いわば同じ消費税率であっても、各党の政策の違いに応じて各予算算定や予算配分に異なる影響を与え、その影響は財政及びその規律の問題等に各党ごとに異なる波及を及ぼす。
例え消費税で得た財源を社会保障費に使途を限定したとしても、社会保障政策のすべての中身に亘って完全に一致しているということはないから、社会保障政策のどこにどう使われるかは党ごとに違ってくる。
当然、それは税率の算定に影響してくるはずだ。
だからと言って、社会保障政策を含めてすべての政策を同じにしたら、競い合いはなくなり、すべての党が与党化し、民主主義体制は壊れ意味を失う。
いわば厳密には、「超党派協議」は各党それぞれの政策の違いを無視することを前提としなければ成り立たない。
あるいは政策を競い合うという民主主義のルールを無視しなければ成り立たない。
このことは既に触れた、自民党の谷垣総裁がバラマキ政策となっている民主党の衆院選マニフェストを撤回しない限り応じられないと主張して「超党派協議」に一貫して反対していることが一つの証明となる。
谷垣総裁は妥当な批判かどうか分からないが、「民主党の政策では10%以上でなければならない」とさえ言っている。
年金制度改革でも超党派の議論を呼びかけたが、菅政権は政権党の責任に於いて年金制度改革であっても、消費税問題であっても、自らの能力で新たな制度を打ち立て、国民に信を問うべきではないだろうか。そうすることで初めて政権党としての責任を果たすことができるはずだ。
政権党云々を言う前に、それぞれの政治思想を持ち、それぞれの政策を持って一つの政党を組んでいる者としての責任放棄とつながるように思えて仕方がない。