正義感ヅラした世界のマスコミが当初イラクのテロをジハードと正当化させ、イラクの治安回復を困難にさせた

2010-08-21 04:39:33 | Weblog

 
 2003年3月20日、イラク攻撃開始から7年5ヶ月、8月19日未明、隣国クウェートへ向けて最後の米戦闘部隊が撤退を完了した。《最後の米戦闘部隊、イラク撤退完了 オバマ政権計画通り》asahi.com/2010年8月19日11時9分)

 オバマ大統領(18日のフロリダ州マイアミでの政治集会)「(大統領就任から)今月末までに、計10万人の米兵をイラクから撤退させ、戦闘任務を終えることになる」

 クローリー米国務省次官補(NBCに)「歴史的な瞬間だ。我々は戦争を終えつつあるが、イラクでの任務は終わらない。我々は長期的な関与を続ける」

 残留米軍5万人はイラク軍の訓練などを主な任務とするという。

 〈イラク戦争で当時のブッシュ政権は増派を重ね、駐留米軍は一時17万人規模になった。アフガニスタンでのテロ組織掃討に力を入れるオバマ大統領は、就任以来、イラクからの撤退を進める一方、アフガン駐留米軍を約5万人増員した。イラクでの米軍の死者は開戦以来約4400人に達した。アフガンでの開戦以来の死者も今月、国際治安部隊を含め2千人を超えた。〉

 アメリカはサダム・フセイン独裁体制を葬り、イラクに民主主義をもたらすために多大な犠牲を払った。だが、民主主義獲得は未だ中途過程にある。

 これ程までに多くの犠牲を払い、イラク駐留が長期に亘り、治安回復が困難を極めたのはブッシュ前大統領がイラクを攻撃し、サダム・フセイン独裁体制を崩壊させた当初、反戦平和の正義感ヅラした世界の多くのマスコミが反米・反ブッシュの正当性を証明するために、それがアメリカの試みが失敗することで可能となるために、敵の敵であるイスラム原理主義過激派の指導者へのインタビューや彼らの主張を紙面に掲載・報道することで彼らがジハード、聖戦と名付けたテロとテロ集団の存在に正当化の口実を与えて跳梁跋扈を許したことが大きな原因となっていたはずだ。

 そのようなマスコミの活動はアメリカ軍のイラク駐留後も続けられた。反戦平和団体や反戦平和主義者を紙面に多く登場させ、アメリカのイラク攻撃と駐留に対する彼らの批判を載せることで間接的に批判し続けた。

 多分、彼ら反戦平和の正義感ヅラしたマスコミと反戦平和団体にとって、イラクはサダム・フセインの独裁体制であり続けた方がよかったのだろう。サダム・フセイン亡き後、二人の息子の内の一人が独裁体制を継承して、サダム・フセインの国民統治と同様にイラク国民の自由と人権を抑圧する国家であり続けた方がブッシュの攻撃よりも善と看做していたに違いない。

 その癖面と向かってサダム・フセイン独裁体制への支持表明は避けた。

 イラク攻撃時、人間の楯を志願してイラク入りした平和主義者もいた。彼らが守ろうとしたのは意図していようと意図していなかろうと、アメリカが攻撃するイラクだけではなく、イラクを守ることによってサダム・フセインのイラク国民に対する自由と人権の抑圧まで守ろうとしたのである。

 多くのイラク国民も犠牲となった。反戦平和の正義感ヅラした世界のマスコミがテロ正当化の口実を与えたために制御が利かなくなり、そのことによって犠牲者数を不必要に膨らませたはずだ。

 もし彼らマスコミがアメリカの攻撃は許せない、だが、それ以上にどのような口実を以てしてもテロは許せないとした断固たる態度を統一して取ったなら、これ程までに治安回復が長期に亘って困難を極めることはなかったろうし、アメリカ軍の犠牲にしてもイラク国民の犠牲にしても、これ程までに多く上ることはなかったに違いない。

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菅首相に自衛隊制服組トップとの意見交換会での発言から改めて指導力欠如の潜在性をみた

2010-08-20 08:52:07 | Weblog

 菅首相が昨8月19日、自衛隊の統合・陸海空4幕僚長と首相官邸で初めて意見交換を行った。この実現は菅首相自身の発案ではなく、今月2日の衆院予算委員会で質問に立った自民党の石破元防衛相に「制服組から意見を聞いたことがあるのか」と聞かれて、首相が「機会を見つけて話を聞きたい」と答弁、実現の運びとなった追従性の意見交換会だそうだ。

 現役自衛隊制服組幹部とのこのような意見交換会が一国の指導者として安全保障面に於ける重大な必要事項であるなら、自発性からではなく、他人からこうしろと言われて行う追従性からの実現であること自体が、素直であるということよりも、自発性、あるいは能動性を基本条件とする指導力に微妙に関係してくる問題点となる。

 また、現役自衛隊制服組幹部の意見のみが常に絶対であるわけではないし、その意見が日本の安全保障のすべての問題を捕捉可能なわけではない。絶対、あるいは捕捉可能としたなら、軍に動かされ危険性を抱えることになる。

 防衛大臣が政務官や事務次官を交えて自衛隊幹部と意見交換を行い、そこに現れた問題点を防衛大臣を通して総理大臣に具申してもいいわけであるし、総理大臣はこのような経緯を踏んだ意見と防衛問題に関わる各識者との議論等と比較検証して、これらを参考材料に基本としている自らの防衛観、安全保障観に従って防衛大臣等を指揮監督して日本の安全保障政策を遂行することで自らの責任を履行可能とすることもできる点を考えると、他人からこうしろと言われて行う追従性自体が主体性の欠如そのものの証明となり、自発性、あるいは能動性は主体性が深く関わる資質であるゆえに、このことも指導力有無の問題となって撥ね返ってくる。

 参考のために「主体性」の言葉の意味を「大辞林」(三省堂)から引くと、「自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度のあること」と出ている。まさしく指導力=リーダシップそのものを言い表している言葉の意味となっている。

 意見交換会を開いたという記事に触れたとき、主体性がないなというのが最初の印象だった。石破元防衛相の指摘に単純に従うのではなく、何か工夫した別の形で実現させ、そこに自分なりの独自性を演出する手もあったはずである。

 多分そこまで考える判断能力を欠いていたのだろう。言われたからやるでは、内閣のトップとしては余りにも隷属的である。

 この意見交換会でいくつかの記事が菅首相の総理大臣及び防衛大臣の役目に関わる認識不足を指摘している。

 《菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」》asahi.com/2010年8月19日20時36分)

 最初は制服組幹部との意見交換会の前に北澤防衛大臣との雑談の中で飛び出した発言だそうだ。

 菅首相「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」

 記事解説。〈憲法66条は「大臣は文民でなければならない」と規定しており、これを知らなかったかのような発言は、シビリアンコントロール(文民統制)への理解の浅さを露呈したと批判されそうだ。 〉・・・・

 次が本番の意見交換会での挨拶。

 菅首相「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」

 記事解説。〈これまで、そうした自覚がなかったと受け取られかねない発言だ。 〉・・・・

 折木統幕長が意見交換会を終えたところで記者団に捕まって、一連の発言について聞かれる。多分、待ってましたとばかりに。

 折木統幕長「本当に冗談だと思う。指揮官としての立場は十分自覚されている上での話だと、私は認識している」

 「ちょっと昨日予習をしたら」、「改めて法律を調べてみたら」の言葉は鳩山前首相の「このことを学べば学ぶにつけて」を連想させた。

 沖縄の海兵隊は抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にならないと思っていたが、「このことを学べば学ぶにつけて」抑止力維持のために必要であることに思い至ったといった趣旨の発言をして有名となった例の枕詞(まくらことば)である。

 今更ながらの「学べば学ぶにつけて」の余りの遅さ、余りの時宜不適合に首相としての資質に大いなる疑問符をつけることとなった。

 《菅首相:自衛隊4幕僚長と会談 民主政権で初めて》毎日jp/2010年8月19日 21時25分)

 どのような意見を拝聴したのか、その一端を記事は触れている。 

 〈首相は「制服組の皆さんと意見交換する機会が少なく、国会でも指摘された」と会談に至った経緯を説明。PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助隊の派遣手続きなどに関心を示し、「最高指揮官の私と現場の最高幹部が頻繁にこういう機会を持つのは非常に有意義だ」と語った。〉

 〈PKO(国連平和維持活動)や国際緊急援助隊の派遣手続き〉等がわざわざ時間を割いて会談をセットし、制服組トップに直接尋ねなければならない問題なのだろうか。派遣先現地に飛んで、各隊員が直接肌に触れたり、見聞きしたりした活動の状況、あるいは困難性、地元治安状況等を聞くことの方がより有意義であろう。なぜなら、現地で活動する隊員以外には知り得ない、第三者から聞いた場合は間接情報と化す、現地の知識・情報だからだ。

 問題発言。

 菅首相「昨日予習したら防衛相は自衛官ではないそうだ」

 菅首相「改めて法律を調べたら首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有すると規定されている」

 記事解説。〈認識不足ともとられかねない発言をしたため、会談終了後に折木幕僚長が「冗談で、指揮官の立場は十分自覚されている」とフォローする一幕もあった。【横田愛】〉・・・・

 《「防衛大臣は自衛官ではないんですね」と首相》YOMIURI ONLINE/2010年8月19日20時35分)

 菅首相(同席した北澤防衛相に)「昨日予習したら、大臣は自衛官ではないんですね」

 菅首相(意見交換会の席で)「改めて調べてみたら、首相は自衛隊の最高の指揮監督権を有している」

 記事解説。〈首相の発言について折木氏は記者団に、「冗談だと思う。(首相は)最高指揮官なので、意見交換が出来たことは非常に意義があり、大変ありがたい」と述べたが、政府内からは「首相は文民統制を理解していないのではないか」との声も出た。憲法は66条で「国務大臣は文民でなければならない」としている。〉・・・・

 改めて法律を調べてみたら、内閣総理大臣が就任と同時に自動的に自衛隊の最高の指揮監督権者となることを知った。自衛隊を管轄する防衛省の長として自衛隊を直接指揮・監督する防衛大臣も自衛隊と直接結びつく何らかの役職を自動的に割り当てられると勘違いして、昨日予習してみたが、そんなことはないことを知ったといったところではないだろうか。

 副総理時代の2009年10月25日に当時の鳩山首相の代理として神奈川県相模湾で行われた海上自衛隊観艦式に出席している。自衛隊の最高の指揮監督権者である内閣総理大臣の代理出席だという認識ではなく、単に首相の代理といった認識で出席していたことになる。

 いずれにしても「総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と規定していたことと、「大臣は文民でなければならない」とする憲法66条の規定を前以て心得ていなかった認識不足は内閣の長たる総理大臣の指導力に深く関わってくる。基本的認識は合理的判断能力発動の基礎を成す認識である。基本的認識が不足していて、そこから合理的判断を発動させようとも、不備を伴うからだ。

 総理大臣に就任と同時に国民の生命・財産と国土を外敵から守る軍事的手段としての自衛隊3軍の最高指揮官をも担ったという責任の重大さの自覚を持たないままの安全保障に関わる認識の構築は総理大臣としての役目上の義務、底の浅い通り一遍の構築で終わりかねない。

 指導力とは関係ない要素である、1年前後で首相をコロコロ代えることの日本の政治の不手際を避ける理由で首相を選択すべきなのか、例え1年前後で首相がコロコロ代ることになろうとも、純粋に指導力を基準として首相を選ぶべきなのか、国民もそこに自覚を置いて見守るべきではないだろうか。

 殆んどの世論調査が菅内閣支持少数派、続投支持多数派のねじれ現象を起している。不支持の大部分を実行力の欠如、あるいは指導力の欠如が占めている。1年前後で首相をコロコロ交代させることの忌避感が指導力とは関係なしに続投支持の理由となっている。

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菅首相の「1期生議員は国民の声に最も近い」の反比例関係をベテラン議員に当てはめると

2010-08-19 06:56:32 | Weblog

 菅首相が8月23日から25日にかけて民主党当選1回の新人議員と7月の参議院選で初当選した新人議員に懇談の案内状を送ったという。衆議院新人は144人、参議院新人は13人だそうだ。この157人は党所属議員413人の38%に相当する。新人議員はその多くが小沢前幹事長によって立候補の擁立を受けていて、前幹事長の影響力が強いことから、9月の代表選に向けた菅首相の新人議員の取り込み、囲い込みではないかとマスコミは憶測している。

 例え前幹事長の影響力が強くても、各個人は次の選挙で当選を果たす身分維持を最大・最優先の利害としているだろうから、その利害実現に都合のいい相手なら、誰とでも協力するに違いない。

 インターネット記事の中で《代表選を前に民主党1回生議員に面談強要》日刊ゲンダイ/2010年8月18日)が案内状の内容を一番詳しく書いてあったから、この記事を取り上げるのだが、反菅も露、“反感”を通り越して、菅憎しの感情さえ窺うことのできる記事内容となっていて、なかなか面白いと言うか、なかなか楽しい言ったらいいか、なかなかのセンセーショナリズム根性が溢れた記事となっている。

 副題が、「そこまでやるか、菅直人」「手紙で踏み絵を迫る露骨な中身」となかなか手厳しい。

 〈9月の代表選に向けて、党内が俄然、ざわついている民主党。中でも焦りまくっているのが首相の菅だ。それを象徴するような出来事があった。〉と案内状送付をそのように形容している。

 〈その手紙にはこうある。〉として一部抜粋の内容を紹介している。

 〈私にとって、本当に激動の一年間でしたが、ふと振り返れば、この間に初当選された衆院議員の皆さんと直接話す機会をほとんど持つことが出来ませんでした。私は、一期生の皆さんの声こそが、一番国民に近い声だと思っており、お盆も開け(ママ)た来週にでも直接お目にかかって意見交換させて頂きたく、ご案内申し上げます〉・・・・

 「(ママ)」と書いてある箇所は、〈菅はよほど、慌てたのだろう。お盆が「明ける」のを「開ける」と書き間違えた。漢字が読めなかった麻生元首相を思い出す。いずれにしても、ヒートアップする代表選。菅が焦り、もがけばもがくほど、国民には醜態に見える。円高がここまで進んでいるのに、困った権力亡者である。〉と、結びで漢字の間違いまで丁寧に取り上げた上に、「困った権力亡者である」とまでコケにしている。

 各新人議員の日程に関しては、〈強制的に選挙区を振り分け、23~25日の間で面談日程を作成。(1)この日程で参加します(2)都合がつかないので○日に参加します(3)参加できません――の三択から選んで返信せよ、と迫っている。〉と紹介している。
 
 そして案内状を次のように解説している。

 〈要するに内閣総理大臣の名前で、代表選に向けた切り崩し面談を強要した手紙なのである。〉・・・・

 菅首相のこの企て(?)についての民主党関係者の話も取ってある。

 「この手紙をもらって、(3)の参加できませんと答えるのはプレッシャーでしょう。なにしろ、総理大臣名ですからね。しかし、これが代表選に向けた選挙運動であり、1回生議員に踏み絵を迫る面談であることは明らかです。そこまで露骨にやるのか。民主党議員の中にも驚きが広がっています」――

 いくら自分が撒いた種とは言え、前門の小沢前幹事長、後門のねじれ国会、取り敢えずは9月の代表選を乗り切らなければならない。乗り切ることができれば、暫くの間は前門のトラは取り除くことができる。菅首相も必死なのだろう。

 だが、どうでもいいことのようだが、ここでも菅首相の合理的判断能力を問題にしないわけにはいかない。リーダーシップ(指導力)は何事も的確な合理的判断能力を基本とする以上、その欠如は首相としての資格に関わってくるからだ。

 「日刊ゲンダイ」記事に載せてあった案内状の写真はパソコン文字の印刷なのか直筆なのか分からないが、毛筆で書いてあり、最後に内閣総理大臣と書き、その下に二回り程の大きさの書き方で「菅直人」とサインしてあった。まさか秘書や内閣官房の役人に書かせたとは思えない。 

 「一期生の皆さんの声こそが、一番国民に近い声」としている。

 本来なら国会議員を務める期間に比例して、国民の声を的確に掬(すく)い上げる能力は高まっていいはずだ。逆であるなら、ムダに国会議員を務めていることになる。

 だが、菅首相は国会議員を務める期間と国民の声を掬い上げる能力を反比例の関係に置いた。この合理的判断能力は問題としないで済ますことができるだろうか。
 
 菅首相が使った言葉で説明すると、議員歴が長くなるベテラン程、そのことに比例して、「一番国民に近い声」の持主となっていいはずだが、「一期生の皆さんの声こそが、一番国民に近い声」だと、議員歴と国民の声を掬い上げる能力を反比例の関係に置くことで議員歴を無効とした。ベテラン否定ともなる。いや、10期生だという菅首相自身による自己存在否定ともなる。

 議員歴が長くなればなる程に“国民に遠い声”の持主となっていくなら、何回も国民の選択を受けて自らが長年置かれることとなった状況に対する倒錯そのもので、これ程の国民に対する裏切りはない。

 もし菅首相の言っていることが的確な合理的判断に基づいた真正な事実とするなら、国会議員の任期は一回限り、再選は禁止すべきだろう。何しろ国会議員を長く務めれば務める程、ベテランになればなる程、“国民に遠い声”の持主となっていくのだから、税金をドブに捨てるようなものだということになる。

 菅首相は10期も長く務めたお陰さまで、“国民に遠い声”の持主となっていたから、いわば国民の切実な声を敏感に聞き取れない難聴状態のベテラン議員になっていたから、消費税問題で満足な準備もせずに不用意に発言し、参議院選挙で国民からお叱りの声を受けたのだろう。

 国会議員は「一番国民に近い声」の持主でいるためには2期目からは賞味期限が切れると言うことである。 

 新人議員と懇談会を開いて、新人議員の声を通して、“国民の声”を聞き取ろうとする。的確な合理的判断能力に基づいた見事な倒錯図ではないだろうか。こういった合理的判断能力の持主を一国のリーダーであり続けるべくあれこれとした駆引きに血眼になっている。その一つに新人議員との懇談を位置づけている。

 民主党の蓮舫行政刷新担当相が18日午前、神奈川県小田原市内で開かれた野田佳彦財務相を支持するグループの研修会で挨拶したという。《首相交代なら解散が筋=「反菅」の動きけん制-蓮舫氏》時事ドットコム/2010/08/18-11:09)

 蓮舫「9月に代表選があること自体は歓迎したいが、もしここでまた代表・首相が代わるなら、(解散)総選挙が筋だ」

 民主党は野党時代、自民党政権が安倍、福田、麻生と民意を問う選挙を経ないで首相を交代させていったとき、「民意を問うべきだ」、「タライ回しだ」と批判した。だが、鳩山首相から菅首相に代ったとき、野党時代の自分たちの批判の論理に則らずに民意を問う選挙を行わず首相を交代させた。その埋め合わせに菅首相は6月の代表質問で、「参院選で国民に信を問う」と答弁、参院選を菅内閣の信任を問う選挙と位置づけた。その信任の結果に対して菅首相は自らの発言を裏切って、何ら責任を取らず首相であり続けた。

 鳩山首相から菅首相に代ったときは解散・総選挙しないことは許されて、菅首相から新たな首相に代るなら、解散・総選挙が筋だと言う。合理的判断からではなく、自分たちのその時々のご都合主義で解散・総選挙を持ち出して弄んでいないだろうか。

 マニフェストについても言えることだが、自らがつくり上げた原理原則を無視して、“ご都合主義”を基準に動かす政治は長続きしない。長続きさせたなら、益々日本は傾いていく。

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他宗教に対する信教の自由の否定は自宗教の他宗教による信教の自由の否定を相互価値としなければならない

2010-08-18 08:15:35 | Weblog

自分の住む国がどんな国であっても、その国のために戦っていいわけではない。軍部ファシズム・天皇を神とした独裁国家のために戦うのは愚かな国民のすることで、戦前の日本がそうであった。

 そうでないなら、キム・ジョンイル独裁体制の北朝鮮国家のために戦争した場合の北朝鮮国民を我々日本人にしても「国のために戦った」と、「正しいことをした」と価値づけなければならなくなる。

 同じ戦うなら、国を基準とするのではなく、自由と民主主義の普遍的価値観のために戦うべきである。

 同時多発テロ事件で崩壊したビル跡地近くに建設計画のイスラム教礼拝施設「モスク」でアメリカが揺れている。《同時テロ跡地のモスク建設にゴーサイン 計画始動へ》CNN/2010.08.04)

 イスラム系事業者が世界貿易センタービル近接地の1858年建築のビルを建て替えてイスラム礼拝所(モスク)を含むコミュニティー施設を建設するプロジェクトを立ち上げ、建て替え許可を求めたことに対してニューヨーク市の歴史的建造物保存委員会がそのビルを歴史的建造物に指定するかどうかを審議。

 〈ビルが指定を受けた場合は取り壊しや外観の大幅な変更が禁じられ、施設建設のプロジェクトも見直しを迫られる。しかしこの日の採決では、全会一致で「指定せず」の結論が出た。これを受け、建設を計画するイスラム系事業者はただちにプロジェクトの始動を宣言した。〉

 但し、〈プロジェクトに対しては、同時テロ犠牲者の遺族らへの配慮などから反対の声が続出。〉

 その代表格が2008年大統領選で共和党副大統領候補だったペイリン前アラスカ州知事。

 〈ツイッターで、ここにモスクを建てることは「不必要な挑発」であり、癒しの妨げになると呼び掛けた。一方、ブルームバーグ市長らは支持を表明していた。〉・・・・

 オバマ大統領も建設支持を打ち出した。《米大統領:モスク建設支持 グラウンドゼロ近く》毎日jp/2010年8月14日 18時52分)

 ホワイトハウスでイスラム教徒のラマダン(断食)明けの夕食会を開催。席上、〈テロ犠牲者の遺族の苦しみは「想像を絶する」とし、モスク建設に反発が起きていることへの理解を示〉しつつ――

 オバマ「宗教の自由に対する米国の誓約に揺るぎがあってはならない」
 
 オバマ「米国では他のすべての人々と同じく、イスラム教徒にも宗教(の教え)を実践する権利がある」

 但し記事はCNNの8月11日公表の世論調査を引用して、〈米国民の68%がモスク建設に反対し、賛成の29%を大きく上回っている。〉と書いていて、その反撥の強さを窺わせている。

 記事が伝える米トリニティー大学の米国の宗教別人口推計(08年)は、成人のイスラム教徒人口は約135万人で、90年の約53万人に比べ倍以上に増加。全成人人口に占める割合は0.6%。一方、キリスト教徒の割合は86%から76%に低下というから、建設賛成の29%はイスラム教徒以外の者が大部分を占めることになる。

 大統領の建設支持表明態度を記事は、〈大統領は夕食会で、モスク建設が市の法律に触れていない点にあえて言及。秋の中間選挙を控え、政治問題化させないための予防線を張ったとも言える。〉と解説している。 

 宗教の自由を訴える一方、ニューヨーク市の法律を持ち出したのは68%のモスク建設反対の国民を頭に置いた発言だと見ているわけである。

 ニューヨークのブルームバーグ市長も建設支持の立場を取っている。《モスク建設 NY市長も支持》NHK/10年8月17日 10時8分)

 〈オバマ大統領の発言について「拍手を送りたい」と称賛したうえで〉――

 ブルームバーグ市長「反対派によって建設が阻止されれば、アメリカは悲しい日を迎えることになるだろう」

 それ程までに宗教の自由、思想・信教の自由は大切な価値観だとしている。

 記事は最後に次のように結んでいる。〈モスク建設をめぐっては、ニューヨークだけでなくアメリカ各地で対立が起きており、テロによる心の傷あとと宗教の自由という複雑な問題が絡んで高い関心が集まっています。〉・・・・

 建設反対が同時多発テロの跡地近くの建設であるために遺族の感情を刺激することが許せないということだけが理由ではなく、同時多発テロを起したイスラム教への元々の反撥が素地としてあることを窺わせる。

 NHKのニュースでやっていたが、件の建物の中では金曜日ごとにイスラム教の礼拝が既に行われていたと言うことである。だが、建て替えて、それを正式にイスラム教のモスクとすることを許さない。

 オバマ大統領は建設支持を打ち出したが、16日付の「毎日jp」記事は、《オバマ米大統領:NY・グラウンドゼロ近くのモスク建設計画、支持撤回》(2010年8月16日)と伝えている。

 記事副題が〈中間選挙苦戦予想、深入り回避〉となっている。

 やはり問題となったのは68%の建設反対の国民世論なのだろう。8月14日の発言だそうだ。

 オバマ大統領「モスク建設を決定した見識について論評したのではない。今後もしない。建国以来の米国民の権利を論評した」

 記事はこれを、〈一般論を述べただけだと支持を事実上撤回した。〉発言だと解説している。

 バートン大統領副報道官「大統領は前言を撤回したのではない。すべての地域での計画に評価を示すのは大統領の仕事ではない」

 「宗教の自由に対する米国の誓約に揺るぎがあってはならない」が「建国以来の米国民の権利を論評した」発言なら、イスラム教徒にも厳格に反映させて然るべき権利となる。

 記事は、〈大統領は13日に「イスラム教徒にも宗教を実践する権利がある」としたうえで、モスク計画に触れ「それは祈りの場所を建設する権利を含む」と支持を明言していた。〉が、〈11月に控えた中間選挙で与党・民主党の苦戦が予想され、イスラム教徒との共存が政治問題化するのを避けようとしたとみられる。〉と支持撤回の背景を解説している。

 オバマ大統領と同じ民主党に所属する米民主党のリード上院院内総務のモスク建設反対も一部のマスコミは選挙事情だとする見方をしている。

  《モスク建設問題、全米レベルの争点に拡大》MSN産経/(/2010.8.17 18:23)

 リード「信教の自由は尊重するが、モスクはどこか別の場所に建てられるべきだと考える」

 〈11月の中間選挙で再選を目指すリード氏は、民主党への支持が低迷する中で苦戦が伝えられており、選挙対策の面で大統領と一線を画すのが得策と判断した可能性もある。>・・・・

 「別の場所」はテロ犠牲者遺族への配慮とはなり得るが、しかしモスク建設反対はニューヨークだけの問題ではなく、全米各地で起きている。「宗教の自由に対する米国の誓約」を譲歩することにならないだろうか。

 他宗教に対する信教の自由の否定は自宗教の他宗教による信教の自由の否定を相互価値としなければならないはずだ。自らは許されるが、他は許されないとすることはできない。建設反対派はこのことを自覚すべきである。「宗教の自由に対する米国の誓約」を自ら放棄する行為であり、他宗教から同様の扱いを受けたとしても異議申し立てはできないことを承知しなければならない。

 自由の否定に対する否定を誘発して否定と否定が対立した場合、最悪衝突した場合、相互に不寛容な孤立化と相互不信・相互憎悪への道を開く危険性をもたらしかねない。

 これはビン・ラディンに代表されるイスラム過激派がキリスト教を含む西欧文明に対して自らを不寛容な状態に孤立化させて不信と憎悪を剥き出したことに西欧文明側がイスラム過激派を越えてイスラム文明一般に不信と憎悪を以って応える過剰な不寛容を示す。

 既にアメリカ国民の分裂は始まりつつあるように見えるが、それが決定的な分裂となる予感がしないでもない。その予感とは、オバマ大統領は大統領になる前に、「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン人のアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ」とかつて演説していたが、そこにイスラム教徒を想定していなかったわけはないだろうから、自分が意図した“アメリカ合衆国”に正反対に反した動きへ加速していく予感でもある。

 絶対譲ることのできない思想・信教の自由を否定しようとする分からず屋が68%もアメリカにもいるということのように思えるが、そういうことを示してもいるということではないだろうか。

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官房機密費と政務調査費は双子の状況にある

2010-08-17 07:03:25 | Weblog

 自分の住む国がどんな国であっても、その国のために戦っていいわけではない。戦前の日本がそうであったように軍部ファシズム・天皇を神とした独裁国家のために戦うのは愚かな国民のすることであろう。

 そうでないなら、キム・ジョンイル独裁体制の北朝鮮国家のために戦争した場合の北朝鮮国民を我々日本人にしても「国のために戦った」と、「正しいことをした」と価値づけなければならなくなる。

 同じ戦うなら、国を基準とするのではなく、自由と民主主義の普遍的価値観のために戦うべきである。

 政務調査費とは地方議会議員が政策に関わる調査・研究等の活動のために支給する費用のことを言う。政策とは世の中を良くするための政治上の各種プランのことを言うはずである。

 世の中を悪くするための政策と言うものは国政に於いても地方政治に於いても存在しない。存在したなら、政治は世の中を悪くすることが目的となってしまう。

 だが、実際は全体として見た場合、現在の日本の社会が示しているように政治は本来の唯一の目的である世の中を良くすることに役立っていない。結果的に世の中を悪くすることに役立ってきたとしか言いようがない程に矛盾と不公平、不公正に覆われた社会となっている。

 多分、政治家は国政に関わる者も地方政治に関わる者も悪戦苦闘の格闘を行っているに違いない。世の中を良くしようとする目的を出発点としながら、走り終えてみたら、世の中はちっとも良くなっていない、却って悪くなってしまっている。こんなはずではない、我々は責任を果たさなければならないと。

 日々悶々として、夜も満足に眠れないのではないのか。だから政治家はみな、ギョロギョロに痩せ、でっぷりと太っている者など一人としていない。

 当然、政務調査費に関しては世の中を良くするための政策づくりの調査・研究等の活動のために、いわば社会益を目的に使途を厳格に定め、そのような目的に外れない結果――真正なる社会益を導くべく、常に適正な支出を図るべく身を削るような努力をしているはずだ。

 この点については官房機密費に関しても同じことが言える。世の中を良くするため、国を良くするための、いわば国益を目的に情報収集、各種策動を行うために使途を厳格に定め、そのような目的に外れない結果――真正なる国益を導くべく、常に適正な支出を図る身を削るような努力をしているはずだ。

 その効果なのだろう、地方社会を良くするための政策づくりの調査・研究等の活動を目的に厳格なまでに適正な支出が行われていた政務調査費の一例を挙げている記事がある。

 《政務調査費ですし・うな丼… 佐賀・自民県議総会の昼食》asahi.com/2010年8月16日8時11分)

 〈佐賀県議会の自民党県議団(30人)が2009年度、議員団総会の昼食代として、政務調査費から計約60万円〉を支出していたという内容。

 記事は収支報告書に添付された領収書から割り出した昼食の種類と値段まで具体的に伝えている。

 ▽昨年4月3日、うなぎ屋からうな丼30人分(計4万5千円)
 ▽同5月21日、旅館から1500円の弁当30個
 ▽今年2月16日、すし屋から弁当23人分(計2万5080円)、日本料理屋から弁当7人分(計1万857
  円)など――

 但し、佐賀〈県議会事務局によると、議員団総会の昼食代は「会議費」に当たり、政務調査費でまかなうことが認められている。〉という。

 自民党県議団の堀田一治会長「公的な場所に来て、公的な話をした際の昼食代なので、常識、良識の範囲内だと思っている」

 それにしても1500円のうな丼が議員総会の昼食とは、パーティ、宴会の類なら理解できるが、一般常識を離れて豪勢である。

 堀田会長の話はどこかで聞いた。官房機密費を国益の名の下、議員の海外視察旅行の餞別に使ったり、背広代に使ったり、野党対策に使ったり、批判を封じてヨイショするだけの評論家づくりに評論家にカネを配ったりを“国益”とするのと同じ構図を成す正当化の弁ではないだろうか。
 
 「公的な場所に来て、公的な話をした」を口実に弁当だけ食べることも否定できないからだ。これまでも政務調査費は世の中を良くするためどころか、自分のためになるだけの推理小説、官能小説、マンガ、観光ガイド、戦車プラモデルのカタログ等々に使われているのである。弁当だけ食べることはないと言うなら、その証拠に会議録を残しておくべきだろう。選挙民に正しい使われ方をしたかどうかの判断に供するために。社会を良くするための政策づくりの調査・研究等の活動であったと理解して貰うために。

 官房機密費にしても、領収書がどうしても貰えないというなら、支出明細だけは残しておくべきである。正しい使われ方をした証拠を残しておくためにも。そして何年かのちの公表とする。国民に対して正しい使われ方をしたかどうかの判断の材料として提供するために。国益に添った使い方だったのかどうかの判定材料に。

 記事は同様のケースとして、福岡県議会での09年度の民主・県政クラブのすしやうな重に計約50万円、自民党県議団がうな重や料亭の弁当に計約44万円の政務調査費からの支出を伝えている。

 そして、自民党佐賀県議団堀田一治会長の「公的な場所に来て、公的な話をした際の昼食代なので、常識、良識の範囲内だと思っている」の正当化の弁に反して、名古屋地裁が昨年3月、名古屋市議会の自民党市議団が02年度に総会などの際に政務調査費から昼食代約57万円を支出したことを不当と訴えた裁判で、「公金を充てるべきではない」との判断を示し、名古屋高裁も支持。市議団は昨年10月、全額を自主返還した例を挙げている。

 不正を働く余地があり、それを政治家自らが断ち切ることができていない以上、疑わしき例は自ら無罪を証明すべきだろう。その一例が政務調査費で昼食代を賄った場合の議員団総会等の会議録の提出である。これだけ社会を良くする活動に適合した議論が行われていましたと証明するために。

 社民党福岡市議が2009年度の政務調査費で推理小説や観光ガイド本などを購入していた事例を伝えている《政務調査費で推理小説や観光ガイド 福岡市議が出馬断念》asahi.com/2010年7月24日5時5分)は本人の反省の弁と具体的に何を購入したかを載せている。

 木村幾久議員(58)「以前から政務調査に関係ない本を買っていた。市民に申し訳ない」
 
 〈■木村議員が購入した本

 松本清張「棲息分布―長篇ミステリー傑作選」上下巻▽西村京太郎「韓国新幹線を追え」「急行もがみ殺人事件」▽森村誠一「海の斜光」「路」▽北方謙三「そして彼が死んだ」▽城山三郎「硫黄島に死す」▽森川哲郎「秘録 帝銀事件」▽「山陰 鳥取・松江・萩 ’10(マップルマガジン)」 〉
 
 木村議員の反省の弁と購入本から浮かんでくることは、例え政務調査に関する著作物を何冊か購入していたとしても、政務調査費支出の本来の目的である、社会を良くするための政策づくりの調査・研究等の活動を如何に怠っていたか、その姿であろう。
 
 怠っていなかったなら、否応もなしにその方面の活動のためにのみ支出されていたはずだからだ。政務調査に関する著作物を何冊か購入していたとしても、何冊か購入しないと格好が悪いからという体裁上の購入で、読みもしないで放置してあると疑われても仕方あるまい。

 如何に政務調査に必要な本の購入と見せかけたか、その手口がまた心憎い。

 〈09年度、政調費1万6765円を使って23冊を購入〉、〈添付した15枚の領収書はいずれもレジから打ち出されたレシートで書名は記されていない。代わりに8枚に「教育関係」、3枚に「経済関係」、別の3枚に「福祉関係」、1枚に「環境関係」と手書きで添えていた。 〉――

 木村市議は小学校教諭出身で3期目だという。

 木村市議「子どもたちにうそをつくなと教えてきたが、自らが守れなかった。来春も立候補する予定で支援者と話を進めてきていたが、責任を取って取りやめる。残された任期は全うしたい」

 元教育者であった。元教師ではなくても、大人は人格の一部に子どもに対する教育者としての一面を抱えているはずである。その一面まで、教師を辞めて市議に転出した時点で元教師であることまで忘れて、捨て去ってしまったのだろうか。

 社会を良くするため、国を良くするためを口実とした政治家たちの社会益行為、国益行為に不正が入り込む余地を潜ませている。いわば官房機密費と政務調査費はその使途に関して双子の状況にあると言える。

 如何に不正がないか。正しい支出が行われているか、国民に示す責任は政治家側にあるはずである。

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内閣官房機密費は国益が使途目的、バラ撒くカネには「国益」とスタンプが押してある

2010-08-16 05:53:39 | Weblog

 自分の住む国がどんな国であっても、その国のために戦っていいわけではない。軍部ファシズム・天皇を神とした独裁国家のために戦うのは愚かな国民のすることで、戦前の日本がそうであった。

 そうでないなら、キム・ジョンイル独裁体制の北朝鮮国家のために戦争した場合の北朝鮮国民を我々日本人にしても「国のために戦った」と、「正しいことをした」と価値づけなければならなくなる。

 同じ戦うなら、国を基準とするのではなく、自由と民主主義の普遍的価値観のために戦うべきである。


 大阪の市民グループ「政治資金オンブズマン」のメンバーが小泉政権時の平成17年(2005年)から18年(2006年)にかけて支出された官房機密費の使い道を示す領収書などを公開するよう国に求める訴えを大阪地裁に起している。

 《“使途の公開は国益害する”》NHK/10年8月13日 18時35分)

 平成18年から官房機密費の事務を取り扱う内閣現職の責任者千代(ちしろ)幹也内閣総務官が8月13日証人として出廷。

 千代証人「裁判長、国内外の難しい政策課題を解決するために情報を収集したり、協力を依頼したりするための必要経費であって、日付や金額も含めて領収書などが公開されると相手が類推されてしまい、信頼関係が崩れる可能性があり、国益を害することになります。情報を公開しない国の判断は正しいものと信じております」(少々脚色)

 「情報を公開しない国の判断」も脚色すると、「情報を隠す国の判断」となる。

 原告の上脇博之神戸学院大学大学院教授がインタビューに答えている。

 上脇教授「日付や金額を公開することが国益を害するとは常識的に考えられない。全面非開示とした国の判断を裁判所が認めるとは思えず、勝訴が出ると思う」

 《機密費「公開あり得ない」 現職官僚、異例の法廷証言》47NEWS/2010/08/13 18:10 【共同通信】)

 〈千代氏は安倍晋三官房長官時代の2006年7月から長官を補佐する内閣総務官を務め、機密費の管理などを担当。機密費をめぐり現職官僚が法廷で証言するのは異例。〉

 〈千代氏は事前に提出した陳述書の内容に沿って質問に答えた。〉

 千代「裁判長、重要政策に適切に対処するには各方面の『生きた情報』が不可欠なのです。生きた政治には生きた情報。日本社会には本音と建前があり、相手の体面を保ちながら本音を理解するのが何が何でも重要なんです。裁判長、そのためには、氏名などの情報が将来明らかにされないことが保障されなくてはなりません。裁判長、個別の支払額が明らかになれば、他人と比較して金額が低かった協力者が内閣を見限って情報を暴露する恐れがあります。これは絶対避けなければなりません」(少々脚色)

 「個別の支払額が明らかになれば、他人と比較して金額が低かった協力者が内閣を見限って情報を暴露する恐れがあります」とは、情報提供者には「国益のため」の口実は通じず、カネの額しか通じないということを言っていることになる。

 国益の体現者が国益をクスリにもしていない手合いを相手にしているとは何とも情けない図である。

 いわば情報提供者は国益のために情報を売るのではなく、純粋にカネのために情報を売る。国益を目的に情報提供を求めているのに対して相手はカネが目的で情報提供する。「国益のためだ、金の多い少ないではない」とタンカを切る類の人間が相手ではない。

 一方は国益を旗印とし、一方はカネを旗印としている。そのミスマッチのご苦労は絶えないに違いない。

 国益の重要性を知っている者にとっては、金額・使途を含めた官房機密費の非公開性・秘匿性は理解できるはずだ。何と言っても国益のためなのだから。戦前、国民のためと言って、国民を散々に戦場に駆り立てた。官房機密費の場合、国益のためと言って、年間億単位のカネを惜しげもなく駆り出していく。

 官房機密費の性格を端的に言うと、国益になること以外には使わない、国益になることにのみ使うと言うことになる。情報提供者に渡すとき目には見えないが、万札の一枚一枚に「国益」というスタンプが押してあるといっても過言ではない、そう譬えてもいい程に“国益のため”を染み付かせた支払い行為となっているに違いない。

 但し、相手はカネの額、札束の厚さを問題とする。

 今年の4月30日に小渕内閣で1998年から99年にかけて官房長官を務め、現在議員を引退している野中広務が官房機密費の国益性について話している。

 野中広務「首相の部屋に月1千万円、野党工作などのため自民党の国会対策委員長に月500万円、参院幹事長にも月500万円程度、評論家や当時の野党議員らにも配っていた。毎月5千万~7千万円くらいは使っていた」

 野中広務「前の官房長官から引き継いだノートに、政治評論家も含め、ここにはこれだけ持って行けと書いてあった。持って行って断られたのは、田原総一朗さん1人。与野党問わず、何かにつけて機密費を無心されたこともあった。政治家から評論家になった人が、『家を新築したから3千万円、祝いをくれ』と小渕(恵三)総理に電話してきたこともあった。野党議員に多かったが、『北朝鮮に行くからあいさつに行きたい』というのもあった。やはり(官房機密費を渡して)おかねばという人と、こんな悪い癖がついているのは絶対ダメだと断った人もいる」

 新党大地代表であり、衆院外務委員長の鈴木宗男が7月21日の民放番組のインタビューで野中広務と同様に官房機密費の国益性について語っている。

 《「沖縄知事選に機密費使用」 “宗男証言”に官房長官「ノーコメント」》MSN産経/2010.7.22 12:20)

 記事は、小渕内閣の官房副長官を務めていた〈平成10年(1998年)の沖縄県知事選で、現職・大田昌秀氏を破った稲嶺恵一氏の陣営に機密費から3億円が渡されたと語っている。〉と書いている。

 対して仙谷官房長官が7月20日の記者会見で記者から、〈「事実確認をするか」と問われたのに対し、「ノーコメント」と明言を避けた。〉という。

 官房機密費の絶対外れることのない国益性を信じて、「ノーコメント」と答えたに違いない。

 大田昌秀氏は米軍基地反対派に属していて、普天間基地移設問題では県外移設を主張していた。当時の自民党政権にとっては都合の悪い存在だった。都合の悪い奴は排除しろとばかりに対抗馬に3億円を渡して、知事選の資金援助とした。そして成功した。

 もうかなり以前からマスコミによって海外に出張する政治家への餞別、与野党議員に対する背広代やパーティー券購入等の国会対策に充てられていたことが報道されていたことと野中広務や鈴木宗男の機密費の国益性についての話からすると、国益のためと言うよりも、「国益のため」を口実に時の政権維持のためにカネをバラ撒いているように見えてくる。

 尤も政権担当者にしたら、自分の政権が維持されることが国益と信じているのだろうが、実質は政権維持が目的のカネのバラ撒きに過ぎない。

 特に知事選勝敗の帰趨にまで億のカネを使って関与するのは、その実効性の如何に関わらず、政権自らにとっては国益かもしれないが、国益の名を以てしても許すことはできない民主主義を歪める行過ぎたカネのバラ撒きであろう。

 要するに国益の名の下に国益に相当しないカネのバラ撒きもあり得るということである。それを国益と名前をつけた口実で隠す。「公開すると国益を害する」ことになるわけだ。

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エントリー済み記事――《なぜ靖国神社でなければならないか》を再度掲載する(1)

2010-08-15 08:04:49 | Weblog

 今日8月15日、65回目の終戦の日(実質は敗戦の日)を迎えた。与野党議員を交えた「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が雁首揃えて「お国のために戦った」と国家を体現し、それを世界に向けて誇示するために、こういったことでしか自らは日本を優越民族国家として世界に誇示できないのだが、ぞろぞろと厳粛な顔を装って参拝することだろう。

 《追悼施設「議論見たい」=菅首相》時事ドットコム/2010/08/14-19:04)

 菅首相が靖国神社とは別の新たな戦没者追悼施設を建設する構想が与野党内にあることに関して、14日夕方、静養先の長野県軽井沢町のホテルで記者団の質問に次のように答えたという。

 菅首相「かなり昔から党内外で議論のあること。今すぐ結論(を出すの)ではなく、議論の在り方を見ておきたい」

 記事はこの発言を、〈2011年度予算への調査費計上などには慎重な考えを示した。〉ものだとしている。

 戦没者追悼施設建設話は古くて新しい問題として、売れなくなったテレビタレントがテレビに出なくなったと思ったら、ひょっこりと顔を出し、また消えるように8月15日を境に出たり消えたり長年繰返し話題とされてきた。

 菅首相は「かなり昔から党内外で議論のあること」と言っているが、手っ取り早く言うと、戦没者追悼施設は靖国神社でなければならないとして、別施設の建設に反対する勢力が与野党に無視できない数で存在するということである。

 「MSN産経」記事――《【主張】靖国と菅内閣 戦没者を悼む心はどこ に》(2010.8.12 03:14)によると、菅首相は、〈靖国神社に代わる無宗教の国立追悼施設の設置を主張している。〉ということだが、自分の信じる道を自らのリーダーシップで遣り遂げるといった気概は菅首相にはない。情勢を見て、不利・有利を計算して自らの信念・主張を背後に隠したり、前に出したりする。

 記事題名の「再度掲載する」は4年前の2006年6月12日のエントリー記事――《なぜ靖国神社でなければならないか》が、靖国神社に代る国立追悼施設建設問題を通して、反対派の「なぜ靖国神社でなければならないか」を考察した内容となっていて、今日65回目の終戦記念日を迎えて、靖国参拝の是非、それとの関連で再び靖国神社に代る追悼施設の話題が上っているのを見て、参考になるかどうか、一度読んだ読者には面白くもないかもしれないが、再度掲載することにしてみた。

 エントリー済み記事――《なぜ靖国神社でなければならないか》を再度掲載する(2)に続く
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エントリー済み記事――《なぜ靖国神社でなければならないか》を再度掲載する(2)

2010-08-15 07:55:43 | Weblog

 
 《なぜ靖国神社でなければならないか》

 「国立追悼施設は靖国神社に代わるものではない」

 森前首相(当時)のテレビ朝日・サンデーモーニングでの国立戦没者追悼施設建設に関しての発言。「私は出来ないと思っている。靖国神社に対する日本人の気持がある」(06年5月28日)

 これは森前首相一人だけの考えではない。国立追悼施設の話が持ち上がっては消える状況の繰返しから判断すると、多数派を形成した考えであろう。反対派が反対の姿勢を明確に表さないのは、新施設建設の話がある中で、それを無視する形で首相や閣僚の参拝が行われている経緯を踏まえた意思表示となるから、そのことが靖国神社信奉と取られることへの批判を恐れるからで、参拝自体に後ろめたいところを感じているからこその自制であろう。森前首相にしても「出来ないと思っている」理由を一般論に帰すのみで、自身の立場を明確に示しているわけではない。

 「靖国神社に対する日本人の気持」とはどんな「気持」なのか検証する前に建設が決定しない理由として〝世論の熟成〟如何を挙げている状況を見てみる。

 安倍官房長官は「政府が検討している新たな戦没者追悼施設については、『国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討していきたい』」(05.11.2.朝日朝刊)としながら、「『靖国神社を代替する概念で検討しているわけではない』」(同)と発言しているが、「国民世論の動向を見つつ」は永遠に続くのではないかと思える前々からの反復表明であって、建設するつもりはない口実に「世論の動向」を持ち出しているに過ぎない。すべての政策が「国民世論の動向」に対応しているわけではないからだ。小泉首相自身、自らのアメリカのイラク攻撃支持に反してマスコミの各種世論調査が反対を示している「世論動向」に関して、「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治を行うと間違っていることもある。それは歴史の事実が証明している」と、政治が必ずしも世論に従うわけではないことを意思表示している。

 世論が追悼施設反対の姿勢を示していたとしても、その世論に逆らって、あるいは小泉首相が言うように「世論が正しいこともあるが、世論に従って政治を行うと間違っていることもある。それは歴史の事実が証明している」と建設を強行してもいいわけである。だがそういった方法を採らない。自分たちにその気がないからだ。

 選挙を直近に控えていて、議席獲得に悪影響を及ぼす消費税の税率アップといった政策でない限り、「世論の動向」よりも内閣及び政権党の政治意志に従って政策は決定される。〝世論〟は政治決定の絶対的要素を占めているわけではない。ときには政策遂行に都合が良いように世論を誘導することもあるし、世論に反して政策を強行することもある。小泉構造改革のうちの社会保障関連の改革は「国民世論の動向を見つつ」進めただろうか。進めたとしたら、財政削減最優先・中低所得者負担増無視の改革とはならなかっただろ。新しいビールの開発のたびに繰返される酒税の引き上げにしても、「国民世論の動向」に反する政策であったはずである。

国立追悼施設建設に関しても、少なくとも政策に関しては政府及び政権党が必要とするかどうかに決定はかかっている。政治意志が必要としたなら、例え世論が反対意志を示していても、政策遂行を可能とする環境整備に向けた世論のリードが次の展開としてあって然るべきであるが、それが全然ない。世論ではなく、自民党内に反対派議員が多数派を占めているに過ぎないから、党及び内閣としての政策決定まで行かず、当然世論に働きかけるところまで行かない。それは新施設が出来上がってから、いくら靖国神社に代わるものではないとしたとしても、世論やマスコミによって、あるいは中国や韓国からの働きかけもあって、靖国神社参拝の手足を縛られることになるかもしれない危険を避けるためであろう。参拝行為自体を政治及び政策とは無関係の政治家それぞれの姿勢の問題だとしてきた手前、新施設が出来上がってからでは世論の動向は完全には無視できなくなる。世論が新施設があるから、中国や韓国との関係改善を最優先すべきだといつ豹変するか判断不能という点もある。

安倍官房長官の「靖国神社を代替する概念で検討しているわけではない」は目下のところ建設するつもりはないが、建設された場合の国立追悼施設が「代替する」施設であってはならないと前以てクギを指したものだろう。それが本音なのはミエミエで、政策決定が「国民世論の動向」に従うとするなら、政治に関わる意志決定を洞ヶ峠に貶めることとなるだけではなく、政治自らは責任を持たないシステムとすることを意味する。

尤も自ら決定した政策であっても、その失敗した場合であっても責任を取らないのが日本の政治における歴史・伝統・文化とはなっている。

 これまでに〝世論〟を口実に機会あるごとに「国立追悼施設は靖国神社に代わるものではない」、あるいは「代わることはあってはならない」とする態度を示してきた政治家たちの言動を日本遺族会が建設反対の立場から作成したHPに発表してある〝資料〟やその他から拾い出してみる。

 福田官房長官当時の主催による「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」に対して、古賀誠は「『懇談会』では、表面上は新施設は靖国神社に代わる施設ではないことが強調されていますが、そこに現われた意見には戦歿者遺族の感情を無視し、靖国神社の存在意義を形骸化するものが少なくない。最終的には、遺族をはじめとする多くの国民が『戦歿者追悼の中心的施設』と考えている靖国神社の根底を揺るがす施設との懸念を抱かざるを得ない」といったことを言って、「遺族をはじめとする多くの国民」の意向を〝世論〟と位置づけて「新施設」が「靖国神社に代わる施設」であってはならないことを強調している。

 古賀誠が財団法人日本遺族会会長名で2002(平成14)年11月19日付けで福田氏の「懇談会」に出した『要請書』には、「戦没者遺族の感情を無視し、戦没者追悼の中心施設と考えている靖国神社の存在意義を形骸化する」とか、「国家は国のために散華された方々を靖国神社に手厚く祀り、末永く慰霊の誠を捧げることを戦没者と国民に固く約束している」とかの文言が並んでいて、今度は〝国民との固い約束〟が世論として形成されているかのように装って、「『国立戦没者追悼施設新設構想』を断じて容認できない。その撤回を要請する」と結んで、「戦歿者追悼の中心的施設」が新施設へと代わる恐れを訴えて、靖国神社を「形骸化」しかねないから建設は断念すべきであると主張している。

 中曽根康弘の参謀を任じていた後藤田正晴は「分祀したとしても、神として祀られたままでいるわけだ。戦争の結果責任はどうなるのか、という問題は残る。一番いいのは合祀されているA級戦犯のご遺族が、それぞれの家庭に引き取って静かに慰霊なされることだろう。どれもダメだというなら、新施設をつくるのもやむを得ないかもしれない」(05.7.13.朝日朝刊)と、あくまでも「やむを得ない」を条件としつつ、「国民の多くは、戦死者を祀る中心的施設は靖国神社だと考えている。戦死者自身、靖国神社に祀られたことで安らぎを感じているはずだ。新施設ができると、そうした安らぎが壊れ、遺族に対し申し訳ないとことになるのではないか」(同記事)と、「国民の多く」の「考え」を〝世論〟と見なして、「新施設」が靖国神社に代わる恐れを訴えている。

 小泉首相を見てみると、02(平成14)年8月に官邸記者団から「懇談会」で検討中の新追悼施設ができた場合の対応を聞かれ、「靖国は別ですから」と答え、同02(平成14)年11月の「懇談会」の骨格発表翌日は、官邸記者団の質問に「靖国に代わる施設じゃないから。靖国は靖国ですから」と言い、施設ができても靖国参拝を続けるのかの問いに「ええ、時期を見て判断します」とここでは直接的には〝世論〟を持ち出してはいないが、暗に多くの日本人がそういう〝世論〟を形成しているとして、「新施設」が決して靖国に代わる施設ではないこと――裏を返すと、代わってはならないことへの拘りを見せている。

 04(平成16)年1月には政府は当分の間、新たな戦没者追悼施設の具体化に着手しない方針を固め、同年1月6日、小泉首相は官邸記者団の質問に、「施設整備への意欲は『今も変わりません』と述べる一方で、『どういう施設がいいか、時期がいいかはよく考えないといけない』と語り、幅広い国民の理解を得られるまで具体化は慎重に時期を見定める考えを示した」(朝日新聞・06.1.7)と、いわゆる安倍長官の「国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討していきたい」と同じ姿勢を2年近く前に既に小泉首相は示している。新施設が靖国に代わるものではなく、それができたとしても、靖国神社参拝は続けるとしたなら、新施設は単なるダミーでしかなくなる。但し現状は「国民世論」を建設しないための第1ダミーとしていて、施設そのものをダミーとするまでには至っていない。

 例えば郵政民営化政策に関して、「郵政民営化なくして構造改革なし」と国民世論に自分の方から訴えたのに反して、追悼施設に関しては自分の方から国民世論に訴えることは一度もしていないのだから、小泉首相や安倍晋三が言っている〝検討〟が如何に口先だけのことで終わっているか、また「国民世論」が如何に建設しないためのダミーでしかないかがよく分かる。

 04(平成16)年10月。衆院予算委員会で「首相の靖国参拝が日中首脳交流を途絶えさせている」との質問に対して、小泉首相は新施設建設について、「仮に建設されたとしても靖国神社に代わるべき施設ではない」と答弁している。

 小泉首相の靖国神社参拝を中止させたい韓国は05(平成17)年6月20日の小泉・盧武鉉日韓首脳会談決定後、韓国の外交通商相が「(新しい追悼施設の)建設検討を首脳会談で強く促す」との方針を決めていると発言したのに対して、小泉首相は首脳会談3日前の6月17日に官邸記者団の質問に、「わだかまりなく追悼できる施設は検討してもいいと思うが、いかなる施設をつくっても、靖国に代わる施設はありませんよ」と明言している。

 れまでの態度から言って、言外に国民がそう望んでいる〝世論〟であることを前提として、例え内外からの圧力によって建設せざるを得ないケースに立ち至ったとしても、あくまでも「靖国は靖国だ」が〝世論〟だとの態度を固持して、靖国擁護にまわったのだろう。

 片山自民党参院幹事長が「小泉首相の靖国に代わる施設ではない」発言に対して、記者会見で、「国のために亡くなった方を祀るのは靖国神社だけという一種のコンセンサスがある。(新たな追悼施設は)国民が受け入れるとは思えない」とはっきりと国民の「コンセンサス」という形で形成された〝世論〟を計画停滞の理由としている。

 小泉首相、は6月20日、日韓首脳会談への出発前に官邸記者団に、「(新しい追悼施設について)靖国神社に代わる施設と誤解されている面もある。どのような施設が仮に建設されるにしても、靖国神社は存在しているし、靖国神社がなくなるもんじゃない」

 これは一般論(=〝世論〟)の形を借りて、代替論の否定と靖国擁護論を改めて示し、靖国神社参拝の手足を縛られることを前以て警戒した発言だろう。

 日韓首脳会談後の共同記者会見で韓国大統領が新しい追悼施設について、「会談前の両国の事務当局の調整による合意」であると断り、「首相が、日本の国民世論など諸般の事情を考慮し、検討していく」ことが合意されたと発言したが、小泉首相は共同会見後の同行記者団の質問に「建設するかどうかも含めて検討する。つくるからプラスとか、つくらないからマイナスという問題じゃない。日本人自身の問題だ」と、“日本の世論が決めることだ”と言い直し可能な「日本人自身の問題」という言葉を使って、それを楯に「合意」したわけではない、「検討」を約束しただけであることを表明して、「官房長官のところでいろんな意見を検討すると思う」と、安倍晋三が言った言葉で説明するなら、「国民世論の動向を見つつ、諸般の状況を見ながら、検討する」と同じことを言い、首脳会談だから話に応じないわけにはいかなかったから応じただけのその場しのぎでしかないことを語るに落ちる形で自ら暴露している。いわば、全然ヤル気なしなのである。靖国こそ絶対だと、靖国絶対論者ぶりを示したと言ったところだろう。

 6月21日麻生総務相は「(戦没者は)靖国で会おうという前提で命を亡くしている。追悼施設をつくることは、靖国をなくすこととは一緒ではないのではないか」と、「靖国で会おう」を〝世論〟だとしている。

 一方戦没者遺族や一般人の追悼施設建設に反対する者たちの意見を集約してみると、

 「国に命を捧げた肉親の御霊は靖国神社に祀られているのに、戦争で亡くなった人々を追憶し、思いをめぐらす場所だけの施設が、いま、なぜ必要なのか」

 「無宗教の追悼施設の御霊に参拝して追悼といえるのか。『靖国神社で会おう』と散っていった戦友たちは、どこに行けばいいのか」

 「靖国の英霊の殆どは、万一不幸にも戦死を遂げた場合、靖国で永久に祀られるとの言わば国家との約束を信じて戦地に赴いたのである。この英霊との約束を守るのか国家の義務である」

 以上は麻生総務相当時の「靖国で会おうという前提で命を亡くしている」との発言に対応する考えであり、それを〝世論〟とすると同時に戦没者追悼は宗教施設でなければならないという2つの意見に集約される。

 靖国神社は1869(明治2)年に明治天皇の発議により招魂社として創建され、19879年に靖国神社と改名されている。「『靖国』には『国を平安にし(「安」の字は〝靖〟に通ずる)、平和な国をつくり上げる』という明治天皇の気持ちが込められているといわれている」(『靖国神社』) と言う。

 靖国神社は戦前まで別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)で、国家神道の時期には陸海軍所管の特殊な神社として位置づけらていた。別格官幣社とは「1871(明治4)年、国家神道の元で改めて官国弊社(かんこくへいしゃ)の制が定められ、歴代の天皇・皇族を祀る神社と皇室の崇敬の厚い神社が官幣社に指定されて、太・中・小3等級にわけられた。1872年には別格官幣社が設けられ、国家のために特に功労があった人臣を祀る神社がこれに指定された」(『大辞林』三省堂)ものだという。

 いわば靖国神社は「皇室の崇敬の厚い神社」であり、それも皇室から「別格」扱いを受けていた神社だと言うことが先ず分かる。

 明治天皇の発議により創建された招魂社を前身としていて、戦没者を祭神(=英霊)として祀る〝国家神道〟に則った神社形式の特殊な宗教施設であることと言い、「靖国」という名前の由来と言い、別格官幣社の地位を与えられていたことと言い、戦前の天皇制に深く関わった、言ってみれば天皇の神社であろう。天皇の神社であるからこそ、「靖国で会おういう前提で」「国に命を捧げ」ることができた。その褒賞として英霊の名誉を与えられて御祭神として祀られる――ということは天皇の懐に抱かれるということを意味せずに、他の何を意味するのだろうか。戦前は国民は天皇を父とし、自らを天皇の赤子(せきし)としていたのである。

 戦前天皇は例えそれがタテマエであったとしても、国家の上に位置していた。少なくとも国民はそう教え込まれ、そう信じていた。そして天皇のため・国のために命を捧げた(靖国神社参拝理由に「国のために命を捧げた戦没者の追悼」を言うが、まずは天皇のために命を捧げたのであって、それを言わないのは歴史の事実を誤魔化すものだろう。最初に天皇陛下バンザイを叫んだのである)。何よりも天皇は神であった。日本国家は天皇という神によって支配された二次的存在でしかなかった。

 国家は抽象的な存在ではあるが、天皇は現人神として人間の姿を取った目に見える具体的存在であり、崇拝の具体的な対象となり得た。明治の政治権力は天皇の力を借りて国民を支配統合するために天皇を国家の上に位置させただけではなく、「国体の本義」等を通じてその神であること・絶対的存在であることを証明してみせ、現在の北朝鮮が金日成・金正日親子の写真をあらゆる場所に掲げさせているように、具体的崇拝の対象として天皇と皇后の写真(御真影)を全国すべての学校・役所・各家庭、その他あらゆる場所に額入りで掲げさせ、天皇の神格化とその偶像崇拝化に成功を収めた。

 「関東大震災のときに『御真影』を燃えさかる炎のなかから取りだそうとして多くの学校長が命を失った事件」(『近代天皇像の形成』安丸良夫著・岩波書店)が起きるほどに天皇崇拝は、それが不条理なことだと認識することもできずに不条理を極め、その際「『御真影』を学校から遠ざけるほうがよいという意見はだされたが、学校長が焼死するよりも『御真影』が焼けるほうがよいということはまったく問題にならなかったという事実」(同)は、それぞれの命を絶対とするよりも、それを犠牲にしてまで一枚の写真でしかないモノを救い出そうとするほどまでに天皇への崇拝が日本人の中に如何に絶対的な位置を占めていたかを物語るものだろう。

 そのような天皇意識を戦前の日本人は内面に抱えていた。天皇に命を捧げ、国に命を捧げる忠義の褒賞に、その魂は天皇の神社である靖国神社に御祭神(=英霊」として祀られる。いわば神である天皇の懐に自身も神となってその他の英霊と共にいだかれ、安らぎを得る。これ程の名誉はあるだろうか。神である天皇のための犠牲となり、神である天皇に神として祭られるのである。当然「戦歿者追悼の中心的施設」は靖国神社でなければならない。他の如何なる施設にも天皇は存在しないし、もはや存在させることは不可能なのだから。

 いわば日本人の心の中には靖国神社には見えない姿で天皇が存在すると意識していたはずである。常に存在しなければならない。英霊を胸にいだき続けるために。靖国神社がそのような構図を持っていたからこそ、兵士それぞれが天皇陛下バンザイと叫んで喜んで名誉の死に赴く姿を演ずることができたと言うことだろう。戦争に関わるこういった意志決定をつくり出していた総体が日本人の死生観にまで影響を与えていた天皇崇拝を土台とした日本人の靖国観、あるいは靖国思想であろう。少なくとも戦前までは。

 森元首相が「靖国神社に対する日本人の気持がある」と言っているのは、その言葉が肯定的な意味合いを持つものであるから、このような靖国観・靖国思想を指すのだろう。

 しかし、それは戦後は否定されなければならない靖国観・靖国思想のはずである。戦前の日中戦争、日韓併合、太平洋戦争等が否定されるべき植民地戦争であるなら(否定されるべきだから天皇や歴代首相が外国に対して謝罪を繰返しているのだろう)、戦前の靖国神社思想もを否定することによって整合性を獲ち得る。戦争は否定するが、靖国神社思想は肯定してもいいでは矛盾する。

 「英霊たちは万一不幸にも戦死を遂げた場合、靖国で永久に祀られるという国家との約束を信じて戦地に赴き、その約束どおりに靖国に祀られている」としているが、そこには戦前と戦後を画する意識を些かでも窺うことはできない。

 つまるところ、否定されるべき戦前を否定せずに戦後も引きずっているからこそ、「靖国神社に対する日本人の気持」にしても、「靖国神社で会おう」という合言葉も、「国家と国民との約束」も反故を受けずに生き続け、履行されるべきものと考えているのだろう。

 だとしたら、「靖国は靖国だ」、「靖国に代わるものではない」とする立場の人間の意識の中には、戦前の国家観ばかりか、戦前の天皇観までが生きていることになる。少なくてもその影を引きずっていると言える。

 それはなぜなのだろうかと考えた場合、“国のために命を捧げて犠牲となった戦没者を祀った”靖国神社への参拝を通すことでしか、戦前の戦争を否定され、極東裁判を通して悪とされた日本の存在そのものの名誉を維持し、自らの矜持を示す口実が残されていないからなのではないだろうか。

 極東裁判をいくら否定したとしても、ゴマメの歯軋り程度の効果しかなく、その歴史事実は抹消不可能であるし、侵略戦争否定史観も反撥を受けるだけで力を持ち得ないし、強制連行・従軍慰安婦・南京虐殺等の否定もその事実があったことを示す証拠資料の発見で否定の否定を受け、残されたものは靖国神社に祀られている戦没者を「国のために戦った」、「国のために殉じた」と参拝・顕彰する形式を借りて、「戦った」対象・「殉じた」対象である「国」そのものを肯定し、それと同時に「国」という存在に絶対性を与えて名誉回復を図る。

 このこと自体も戦前の「国」と戦後の「国」を画せずに、一連のもの、連続するものとして把える意識の働きからの合理化に過ぎない。

 この手の合理化は戦前の侵略戦争等の日本国家の誤謬・日本の負の歴史を認めがたいとする意識の裏返しとしてあるそれらの肯定化ではないだろうか。そうであるなら、首相の靖国参拝を過去の戦争の肯定と取られるのは当然の受け止めとなる。

 かくして、「戦没者追悼の中心的施設」は「靖国神社でなければなら」ず、他にどのような施設を建設したとしても、「靖国に代わるものではな」く、「靖国は靖国」であり続けなければならないこととなる。

 最後に小泉首相が「靖国は靖国」だとか「いかなる施設をつくっても、靖国に代わる施設はありませんよ」と言っていることに対して、マスメディアは単にあった事実をあったままの事実として伝えるだけではなく、事実を事実としている由来を解き明かして伝えることも情報伝達者の役目であろうから、現在の靖国神社をどう把え、どう位置づけているのか、小泉首相自身の靖国観を問うことも自らの守備範囲としなければならないのではないだろうか。

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中井拉致担当大臣の成果ゼロの金賢姫来日

2010-08-14 08:24:30 | Weblog

 菅内閣が8月10日の閣議で中井拉致担当相演出の金賢姫来日劇に関して、「十分な成果があった」との答弁書を決定している。

 《「大臣独特の皮肉」 金元死刑囚めぐる中井担当相発言》asahi.com/2010年8月10日23時50分)

 記事が触れている答弁書の内容は二つあって、一つは記事題名が示している「大臣独特の皮肉」――

 中井拉致担当相が8月10日、金賢姫訪日の菅首相への報告の際、記者団に次のように発言したという。

 中井「あなたたちが『何も成果がなかった』と言っていることの報告に来た」

 この発言を何人の記者か、聞いた記者すべてか書いてないが、報道した。
 
 「中井氏が『何ら成果のなかったことの報告に来た』と発言した」――

 この報道を自民党の佐藤正久参院議員が国会の場で糾(ただ)すのではなく、文書(質問主意書)を用いて糾した。この質問趣意書に対して、菅内閣は「大臣独特の皮肉である」との内容の答弁書を閣議決定したということである。

 つまり実際には成果があったことになる。記事はこれを二つ目の内容として取り上げている。

 「日韓両政府が拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ、十分な成果があった」

 そのように答弁書に答えていると。 

 しかしこの二つ目の内容を裏返すと、日韓両政府は拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢をこれまで示すことができなかったが、金賢姫来日によって、その姿勢を示すことができたということになる。

 実際には韓国はいざ知らず、少なくとも日本政府は拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示してきたはずである。にも関わらず、金賢姫来日で、その姿勢を示すことができたとし、そのことを以って、「十分な成果があった」とする。

 一から十まで間違っていないだろうか。

 「拉致問題の真相究明、被害者の救出」に於ける「成果」とは、単に努力する姿勢を示すことではなく、最終的な成果である真相究明、被害者救出を含めた全面解決であり、そのことに結びつくと確信できる段階的な進展の一つ一つを以ってそれぞれに成果とすべきであって、「努める姿勢」は成果の対象とすることはできないはずだ。

 だが、成果の対象としている。もし成果の対象とすることができるなら、拉致被害者家族は、見事な倒錯意識としかならないが、「政府の努力している姿勢だけは買える」と大いに評価し、満足しなければならないことになる。

 要するに5人の拉致被害者とその家族の帰国以後、拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すだけで終わっていた。そのような姿勢を示すことを「十分な成果」としているようでは、今後とも姿勢を示すだけで終わる可能性は高い。

 但し当の中井拉致担当相一人だけは張り切っている。《生存情報を調査と中井担当相 田口さんとめぐみさん》47NEWS/2010/08/06 19:43【共同通信】)

 金賢姫元北朝鮮工作員が田口さんと横田めぐみさんは「生きている」と重ねて主張したとして、

 中井「彼女の発言を追跡する作業に入っている」

 記事は、〈6日、共同通信とのインタビューで、北朝鮮による拉致被害者田口八重子さんの生存情報に関し、信ぴょう性が高いとして調査していることを明らかにした。〉と書いているが、「追跡する作業に入」る以上、単に信憑性が高いと言うだけではなく、確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報と判断したからだろう。

 中井拉致担当相の3日の衆院拉致問題特別委員会での発言。

 中井「2003年まで元気で平壌に住んでいたという情報があったのは事実だ」

 中井「死亡した証拠を(北朝鮮側に)求めるのと、生きている証拠を持って交渉するのではまったく中身が違ってくる」

 生きていることは事実であるとすることのできる物的証拠を交渉のカードとしなければならない。「彼女の発言を追跡する作業に入っ」たばかりで、そのような物的証拠をまだ手に入れない段階であるにも関わらず、「十分な成果があった」とする。

 《「横田さんと田口さん生存、金元死刑囚が明言」中井大臣》asahi.com/2010年8月4日13時34分)も同じ内容を伝えている。

 8月4日の参院予算委員会で自民党の山本一太の質問に答えた発言――

 中井「あえて踏み込んで申し上げると、『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた。このことは横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」

 二人の生存情報を信憑性が高いとする中井拉致担当相の確信は次の二つの記事を読むと頼りなくなる。

 《北朝鮮・拉致問題:「6、7年前まで田口さんは元気」--中井担当相》毎日jp/2010年7月22日)

 7月22日の記者会見で田口八重子さんついて。――

 中井「6、7年前まで元気でいたという情報に接している。(但し)今どこにいるというところまで、情報を追跡できているとは聞いていない」

 田口八重子さんに関しては既に追跡作業に入っていた。「6、7年前まで元気でいたという情報」を確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報だと分析したからだろう。だが、確度の高い、且つ解決に向けて利用価値の高い情報と看做したにも関わらず、そのことを裏切って場所の確定まで追跡できていない。
 
 何とも頼りない話ではないか。

 《めぐみさんの両親 記者会見》NHK/10年7月22日 8時54分)

 〈キム・ヒョンヒ元死刑囚との面会を終えた拉致被害者の横田めぐみさんの両親は、記者会見し、初めての面会の様子について明らかにし〉たことを伝える記事となっている。

 父親の滋さん「特別新しい情報はなかったが、彼女は、めぐみが日本語を教えていたスクヒという女性工作員を通じて1回だけ直接めぐみに会い、しょっちゅう顔を見たわけではないとのことだった」

 母親の早紀江さん「スクヒさんが中国かどこかに出かけて戻ってきたときに、『めぐみさんのところにいっしょに行かないか』と言われ、1回だけ会ったとのことだった」

 但し、〈そのときのキム元死刑囚とめぐみさんの具体的なやりとりについては話はなかった〉と記事は書いている。

 具体的な直接の目撃情報は何も話さず、〈仲間の工作員を通じて聞いた北朝鮮でのめぐみさんの暮らしぶりについて〉の間接情報を具体的に披露した。

 「1回だけ会った」と言っているように、直接情報よりも間接情報の方が遥かに上まわることが分かる。

 だが、中井大臣は信憑性高い生存情報だと言っている。

 母親の早紀江さん「私たちと暮らしていたころのめぐみは面白くてにぎやかでしたが、彼女は、あちらでのめぐみの印象についておとなしくて控えめで優しい人だったと話してくれました。北朝鮮ではおとなしく従順な女性が好まれるということで、その点ではよかったのではないでしょうか」

 「めぐみは猫が好きで言葉の表現がものすごくおもしろくて、みんなをわっと笑わせていたということで、日本で私たちといっしょにいたときもおもしろい話をしていたのを思い出しました。どこに行ってもそうしているのかなとほっとしました」

 〈キム元死刑囚の印象について〉――

 「彼女も私たちもお互いものすごい人生を歩んできたが、時間を経て会ったときに表現しようのない懐かしさを感じた。今、私たちがいちばん知りたいと思っていることはご存じないと思うし、私たちも知ることができなかったのは残念だが、絶対生きていると言ってもらって、勇気をもらった気がします」

 中井拉致担当相が金賢姫に「『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた。このことは横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」はずだが、「私たちがいちばん知りたいと思っていることはご存じないと思うし、私たちも知ることができなかった」と言っている。

 この矛盾は生存情報が北朝鮮に洩れた場合、何らかの危害を加えられる等の異変が生じることを恐れて秘密に付していたか、あるいは中井大臣の生存情報にしても、「横田家と他の家族の方々に勇気と元気と希望を与えた」にしても、単なるハッタリに過ぎないかのどちらかによって生じたのではないだろうか。

 前者だとすると、中井大臣自身が「あえて踏み込んで申し上げると」と前置きまでして、当事者に何らかの異変が生じせしめる危険性ある生存情報を自ら進んで洩らした新たな矛盾が生じるだけではなく、「彼女の発言を追跡する作業」に着手したなら、その結果を待って成果とすべきを、「拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ」たことを以って「十分な成果があった」とする矛盾も出てくる。

 早紀江さんの言葉を言葉通りに解釈すると、一番知りたいと思っていた、どこそこに生きているとする生存情報に接することはできなかった。ただ、「言ってもらっ」た「絶対生きている」は相手に希望を与える意味の励ましの言葉、希望的観測であって、直接・間接のいずれかを含めた生存情報の類とは決して言えない。

 中井大臣が言うように、「『横田めぐみさんと田口八重子さんが生きている』とはっきりお答えいただいた」なら、金賢姫は早紀江さんに対しても、「横田めぐみさんと田口八重子さんが生きているという確かな情報を持っています。中井大臣にもそうお伝えしました」と言ってもよさそうだが、この生存情報が北朝鮮に洩れた場合のことを考えて秘密にしているなら、中井大臣と示し合わせて秘密とすることで口裏を合わせるべきだが、中井大臣は国会で堂々と「あえて踏み込んで申し上げ」ている。

 生存情報なるものが「絶対生きていると言ってもらっ」た程度の相手に希望を与える励ましの言葉、希望的観測が成果だったとすると、「拉致問題の真相究明、被害者の救出に努める姿勢を示すことができ」たことを以って「十分な成果があった」としたことが頷ける正当性を帯びてくる。

 このことしか成果とするネタがなかったということである。

 何ら成果がなかったことを決定的に裏づける記事がある。《拉致から32年 救出呼 びかけ》NHK/10年8月12日 18時51分))

 市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(同24歳)が北朝鮮に拉致されてから32年が経過した8月12日に拉致された鹿児島県日置市の吹上浜で親族や警察官ら約30人が現場近くを通りかかった人たちに情報提供を呼びかけたという。

 32年経過していく中で有力な情報提供がなかったことを考えると、新たな情報提供の呼びかけに有力な新情報が出る可能性は限りなく低く、何かしないではいられない気持がそうさせてもいるのだろうが、横田めぐみさんと田口八重子さの生存情報が中井の言うとおりに信憑性が高く、追跡作業に入ったことが事実なら、拉致解決の突破口となる一縷の望みをそこに込めて追跡作業を見守る姿勢を見せてもよさそうだが、情報提供の呼びかけからはそのような姿勢を窺うことはできない。

 一方同じ日に東京の千代田区で増元るみ子さんの弟の照明さんなど10人余りが、通行人に呼びかけたという。

 増元照明さん「同じ日の同じ時間帯に、2組の男女と親子(曽我さん親子)が同時に連れ去られたという、この大きな出来事を、皆さん忘れないでください。姉たち被害者は、今も北朝鮮で、声を上げることもできずに日本からの救いの手を待っています。政府は責任を持って私たちの家族を取り戻してもらわなければならない。国民の皆さんは、この国が自分たちを守ってくれるのか、拉致問題を通して考えていただきたい

 横田めぐみさんと田口八重子さの生存情報と追跡作業に現在のところ一縷の望みをつなぐしかない状況を考えると、「国民の皆さんは、この国が自分たちを守ってくれるのか、拉致問題を通して考えていただきたい」とまでは言わないはずだ。

 この発言には国の対応に対する苛立ちが見える。その苛立ちには生存情報と追跡作業に対する一縷の望みはどこにも見い出し難い。

 またこの苛立ちは鹿児島県日置市の吹上浜で情報提供を呼びかけた市川修一さんと増元るみ子さんの親族も共有しているはずだ。片方だけの苛立ちということはあり得ない。

 こういった苛立ちの蔓延(はびこ)りが生存情報の信憑性が高い云々も、追跡作業に入った云々も中井大臣のハッタリ、金賢姫来日の成果ゼロであることを何よりも物語っているのではないだろうか。

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新しい参拝形式で靖国神社を参拝しよう

2010-08-13 07:39:27 | Weblog

 菅内閣は全閣僚が8月15日の敗戦の日に靖国神社に参拝しない方針だそうだ。閣議でそう申し合わせたのかと思ったが、仙谷官房長官がそうではないようなことを言っている。

 《全閣僚が靖国参拝見送りへ=菅内閣、終戦記念日に》時事ドットコム/2010/08/10-13:27)

 先ずは記事の解説。

 〈今月15日は、昨年9月の政権交代後、民主党政権として初めて迎える終戦記念日となる。自民党政権ではほぼ例年、現職閣僚が参拝してきたが、首相は就任後、閣僚の靖国参拝は好ましくないとの見解を示している。全閣僚の不参拝には、民主党政権の「アジア重視」の姿勢を印象付ける狙いがあるとみられる。 〉・・・・

 仙谷官房長官「閣僚の正式参拝は自粛しようというのが従来の日本政府の考え方だ。(参拝自粛の)この議論は閣僚間でしたことは一切ない」

 参拝自粛は閣僚間の申し合わせ行動ではなく、「閣僚の正式参拝は自粛しようというのが従来の日本政府の考え方」であり、そのような考えに添った個別決定行動だと言っているが、記事の解説の〈自民党政権ではほぼ例年、現職閣僚が参拝してきた〉と矛盾する。例えそれが正式参拝ではなくても、個人参拝を装った正式参拝が殆んどのゴマカシに過ぎず、このこともアジアから信用されない一つの要素となっているのだろうが、仙谷官房長官の発言はそのようなゴマカシに加担することになる。

 首相が6月15日の参院本会議で述べた考え。――

 菅首相「靖国神社にはA級戦犯が合祀(ごうし)されている。首相や閣僚の公式参拝は問題がある。首相在任中に参拝するつもりはない」

 首相でなくなれば、参拝もあり得ると受け取れる。

 岡田外相(8月6日の記者会見)「閣僚、特に外相が参拝することは不適切だ」

 これも閣僚の立場を離れた場合は参拝ありの発言と受け取ることができる。

 この記事では仙谷官房長官は、「(参拝自粛の)この議論は閣僚間でしたことは一切ない」と発言しているが、そうではないことが川端文科相の8月10日の定例会見での発言から窺うことができる。

 《8月15日の靖国参拝「内閣の申し合わせで…」「予定ない」と川端文科相》MSN産経/2010.8.10 12:03)

 川端文科相「内閣の申し合わせとして行くのはやめているので、それに沿って行動したい」

 参拝自粛は閣僚間の申し合わせ決定行動だと言っている。

 菅首相は3日前の8月10日の首相官邸での臨時国会終了後の記者会見でも、記者の問いに答えて参拝しない発言をしている。

 ――毎日新聞の平田と申します。今回、民主党政権になって最初の終戦記念日を迎えるということで、その前に日韓併合の談話を発表されて、閣僚の皆さんも全員靖国に参拝されないような話をされておられます。この辺について菅総理の思い、考え方というのを御説明いただけないでしょうか。

菅首相「私は総理在任中に靖国神社にお参りをすることはしないということを就任のときにも申し上げたところです。戦後65年経つ中で、この問題での長い議論がありますけれども、それをこの場で繰り返すことはいたしません。私の姿勢として明確な姿勢を最初からお示しをしておりますし、そういう姿勢について御理解をいただけるものと思っております」(首相官邸HP

 やはり在任中に限っての自粛と受け取れる。

 一方の野党第一党の自民党谷垣総裁は8月11日に党本部で記者団に対して参拝を宣言している。《谷垣自民党総裁:15日に靖国神社参拝》毎日jp/2010年8月11日 23時12分)

 谷垣総裁「私は総裁選で終戦記念日に参拝すると言って戦った」

 ここで記者の誰かが、総理大臣になっても参拝するのかと聞くべきだったと思うが、聞かなかったようだ。

 民主党の全閣僚が参拝しない方針を決めたことについて。

 谷垣総裁「それぞれの党の考え方がある」

 仙谷官房長官の最初の発言からすると、「党の考え方」からの参拝自粛ではなく、個人の「考え方」からの自粛となるが。

 前原国交相、8月10日の記者会見。《【靖国参拝】前原国交相「閣僚でいる限り、しない」》MSN産経/2010.8.10 12:43)

 前原誠司国交相(A級戦犯合祀を理由に挙げ)「民主党の代表時代、閣僚になってからも参拝していないし、この立場でいる限りは参拝をするつもりはない」

 閣僚の立場を離れたなら、A級戦犯が合祀されていても参拝する可能性あることを言っている。但し、A級戦犯分祀の場合に関しては次のように発言している。

 前原誠司国交相「国のために亡くなられた方々の御霊にご冥福(めいふく)をお祈り申し上げるために、責任ある立場であってもお参りさせていただく」

 閣僚であっても、分祀の場合は参拝すると言っている。

 靖国神社参拝口実を集約した定番は、「国のために戦って尊い命を捧げた方々、英霊を尊崇の念を以って追悼するのは後世に生きる者、国を受け継いだ国民の務めだ」といったところだろう。このように言葉どおりに言わなくても、そういった思いを込めているはずだ。

 何度もブログやHPに書いてきたことだが、戦前の日本の兵士は「国のために」のみ戦ってきたのではない。「天皇陛下のために」も戦ってきた。「天皇陛下、バンザイ―」と叫んで戦死し、玉砕していった。

 だが、国を受け継いだ現在の国民、特に政治家はこのことを消し去っている。いわば歴史を改竄して、「国のために」のみ戦ってきたかのように装っている。

 天皇に対する価値観が戦前と戦後では百八十度違っているから、実際には第一番に天皇陛下のために戦ってきたことに反して戦後、「天皇陛下のために戦って尊い命を捧げた方々、英霊を尊崇の念を以って追悼する」云々とは言えないのだろう。

 だが、戦前と戦後の“国”に関しては双方に連続性を持たせて、一体とした価値観で扱う矛盾を犯している。そのことは「国のために戦って」という言葉そのものに集約されている。このように言えるのは、戦前の「国」の価値を現在も容認しているからに他ならない。

 大体が「国のために戦って尊い命を捧げた」は称賛の言葉であり、戦う義務対象としている戦前の「国」をも当然、称賛する言葉となる。戦前日本の肯定である。

 その「国」とは天皇絶対主義を装った軍部独裁国家であった。そのような国のために戦い、戦った戦争が侵略戦争でありながら、「国のために戦って尊い命を捧げた」と称賛し、戦前日本国家を肯定する。

 戦前の価値観、実体に忠実に添うなら、次のような表現とならなければならないはずだ。

 「天皇陛下と軍部独裁国家のために侵略戦争を戦って尊い命を捧げた方々、英霊を尊崇の念を以って追悼するのは後世に生きる者、国を受け継いだ国民の務めだ」と。

 だが、戦前と戦後の日本国家の価値観に連続性を持たせて一体とする矛盾が残る。

 戦前の天皇絶対主義の軍部独裁国家と違って、戦後の日本は民主国家に生まれ変わった。国の姿を一変させたのである。「天皇陛下と軍部独裁国家のために侵略戦争を戦って尊い命を捧げた」と称賛することはできない。「尊崇の念を以って追悼する」こともできない。できないはずだ。

 侵略戦争でありながら、そのことに気づかずに、総動員の掛け声に乗って正義の戦いだと価値づけ、「天皇陛下のために、お国のために」と信じて戦い、命を落とした。「天皇陛下のために、お国のために」が実際は侵略戦争の戦いだったのだから、戦前日本の国家の犠牲となったと言える。

 戦前の非民主的な軍部独裁とは異なる戦後の民主主義の価値観に忠実に則って戦前の戦争とその戦争で戦死した兵士を追悼するとしたら、次のような追悼の言葉としなければならないはずである。

 「天皇陛下のために命を捧げよ、お国のために命を捧げよと唆されて、軍部独裁国家日本が企てた侵略戦争に同調し、国と共にアジアの国々とアジアの国民を悲惨な戦禍に巻き込み、多くの人命を奪い、自らの命を落とすことになった。戦後の日本が二度とこのような侵略戦争を起こすことがないよう、また戦後の日本国民がこのような侵略戦争に唆され、加担させられることのないような国づくりを目指すことをあなた方への償いとして誓います」

 こういった参拝こそが戦没者と戦没者を作り出した日本の戦前の歴史に対する誠実な態度の提示ではないだろうか。これを以て新しい形式の参拝とすべであろう。 

 兵士一人ひとりにとっては、また近親者にとっては、「尊い命」だったとは確かに言えるが、戦前の軍部独裁国家日本は「尊い命」として扱わなかった。国を守る戦争の道具、捨石程度にしか扱わなかった。そのような命の軽視の延長線上に軍による民間人保護義務の放棄がある。

 菅内閣の全閣僚靖国参拝自粛を批判する記事がある。《【主張】靖国と菅内閣 戦没者を悼む心はどこに》MSN産経/2010.8.12 03:14)
 
 その批判の根拠を次に置いている。

 〈昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯とBC級戦犯を釈放した。刑死・獄死した戦犯の遺族にも年金が支給された。旧厚生省から靖国神社に送られる祭神名票にも戦犯が加えられ、合祀されたのである。〉・・・・

 いくら関係各国の同意を得た釈放であったとしても、日本自身が戦争を何ら検証・総括をしないままの、当然何ら責任を明らかにしない上での「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」の全会一致採択であり、そこに見ることができる光景は何ら検証・総括しない、何ら責任を問わない無責任性そのものの光景であろう。

 いわば既に触れたように戦前と戦後の日本国家の価値観に連続性を持たせて一体とした全会一致の採択に過ぎない。侵略戦争を起し、日本の国土を荒廃させ、多くの兵士のみならず、多くの日本国民の生命を犠牲にしたばかりか、アジアの国々の国土と国民の命を蹂躙した責任を何ら問わない“釈放”だったのだから、これ程の無責任性はない。責任感のない日本民族と言われる所以がここにある。

 戦前の軍部独裁の価値観との一体性を断ち切って、民主主義の価値観に則るなら、昭和28年8月の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」全会一致を歴史的な誤りとし、無効とする決議を新たに国会に問うべきであろう。

 記事は最後にこう書いている。

 〈自民党政権時代も、近隣諸国への配慮から、閣僚の靖国参拝は減る傾向にあった。以前は、首相が閣僚を率いて靖国参拝するのが恒例行事だった。このような光景を一日も早く取り戻したい。〉・・・・

 「国のために戦って尊い命を捧げた」と靖国神社で参拝するたびに戦前の軍部独裁国家日本の価値観、軍国主義を戦後の民主国家日本の価値観と連続性を持たせ、両者の価値観を一体とさせる。

 戦前の戦争を侵略戦争と認めたくない連中がゴマンといるということも頷ける。

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