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安倍晋三日本大震災3年目記者会見、「高齢者や子供の心のケア」、「心の復興」は今さら言うことなのか

2014-03-11 09:13:56 | Weblog

 


      《生活の党PR》

      《3月11日(火) 東日本大震災から3年を迎えて 小沢一郎代表談話発表》

 安倍晋三が昨日3月10日、2011年3月11日東日本大震災3年目に当たって、首相官邸で記者会見し、物理的・経済的復興のみならず、高齢者や子どもの心のケア――「心の復興」にも今後重点的に取り組んでいくと宣言した。

 今さら言うことなのか。

 発言は、安倍晋三記者会見(首相官邸/2014年3月10日)による。  

 安倍晋三「インフラや住宅の復興が幾ら進んでも、被災者が心に受けた傷が癒されるわけではありません。震災から3年、長期にわたる避難生活が大きな精神的な負担ともなっています。人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置いてまいります。

 特に子供たちへのケアは欠かせません。従来から、カウンセラーの学校への派遣を行ってきましたが、仮設住宅への巡回訪問も実施することとし、子育て世帯も含めてバックアップしてまいります。さらに、仮設住宅の空き部屋を遊び場や、学習スペースとすることで、子供たちが安心して過ごせる場所をつくってまいります。これからは、ハード面の復興のみならず、心の復興に一層力を入れていきます」

 「地域の見守り体制」の構築、「仮設住宅への保健師などの定期巡回」、「仮設住宅の空き部屋」の遊び場と学習スペースへの転換。「心の復興」だと、いわば叫んでいる。

 「カウンセラーの学校への派遣を行って」きたが、それを「仮設住宅への巡回訪問」にまで広げるということは、学校への派遣のみでは追いつかないことを受けた措置であろう。追いついていれば、仮設住宅まで広げることはない。

 但し、東日本大震災3年目にして学校のみでは追いつかないからと行うことなのだろうか。

 大体が人と人との関係維持、特に高齢者の孤立化防止・心のケア、子どもに対する心のケアと十全なる活動の保障は「インフラや住宅の復興」と併行させて行うべき政策であったはずだ。

 東日本大震災の発災は民主党政権時代のことだが、民主党政権が行ってこなかったとは批判する資格はない。当時野党の立場として政権に求めなければならなかった被災者の精神面に対する施策であったはずだからだ。そうでなければ、「与野党の垣根を超えて」とか、「日本が一つとなって」といった言葉をウソにすることになる。

 少なくとも第2次安倍政権発足と同時に取りかからなければならなかったにも関わらず、1年以上も経って、これから重点化すると今さらながらに言っている。後手に過ぎないのではないのか。

 「毎日官邸で福島産のお米を食べてパワーをもらっています」と言っている場合ではないはずだ。極楽トンボ(=気楽者)め。

 「人と人のつながりを守り、被災者が孤立することのないよう、地域の見守り体制をつくります。仮設住宅への保健師などの定期巡回を進め、被災者の心に寄り添った支援に重点を置 いてまいります」――

 2013年9月時点の復興庁調査震災関連死者数。

 ▽岩手県417人
 ▽宮城県873人
 ▽山形県2人
 ▽福島県1572人
 ▽茨城県41人
 ▽埼玉県1人
 ▽千葉県4人
 ▽東京で1 人
 ▽神奈川県2人
 ▽長野県3人
  
  合計2916人(「NHK NEWS WEB」2014年2 月10日 20時59分)から。

 これはあくまでも把握できた人数であって、把握できなかった震災関連死の存在は否定できない。

 この2916人は進行形の形を取った“死の数”であり、次第に増えていていって2013年9月時点で2916人に到達、そしてさらに時間の経過と共に増加率を減少させたとしても、全体数を増やしていく構造を取っていることは最初から分かっていたはずだし、死者数の把握だけではなく、その構造自体をも把握していなければならなかった。

 当然、被災者孤立化防止の仮設住宅への保健師などの定期巡回等の「被災者の心に寄り添った支援」策としての「地域の見守り体制」は遥かに早い時点で取り組まなければならなかったはずだが、それを3年経ちました、心を砕いていますとばかりに得々と打ち出す。

 復興庁調査の東日本大震災発災から2年後の2013年3月31日現在の関連死者数は合計2688人となっていて、2013年9月までの半年で228人増えている。1カ月38人の震災関連死全体数の増加である。

 2013年9月時点の関連死者数2916人のうち2599人は66歳以上の高齢者で、89%を占める。これは2013年3月31日現在の関連死者数の割合と殆ど変わらない。

 家や家族や財産を失ったショック、避難生活の不便による心身の疲労困憊からの身体と精神の衰弱が医者の技術とクスリでどうにか保つことができたとしても、そのことが命の保ちの永久の保障とはならない。それが2013年3月31日から2013年9月時点までの半年間の228人の増加となって現れたという一面もあるはずだ。そして今後もその一面が覗くことになる。

 福島県の1572人という突出した関連死者数はどのような理由によるのだろうか。放射能に対する一時的で終わらない、年数を限ることができない不安が関連しているのだろうか。そういった不安は精神的に人間をどこに身を置いていいのか分からない拠り所のない宙ぶらりんな不安定な状態に置く。

 そして福島県では2014年2月19日現在で震災関連死が震災直接死を上回ることとなった。《福島、震災関連死が直接死上回る 避難長期化でストレス》47NEWS/2014/02/19 17:36 【共同通信】)

 〈東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による住民避難が続く福島県で、体調悪化などが原因で亡くなる「震災関連死」の死者が19日現在で1656人となり、津波など震災を直接の原因とする死者1607人(10日の警察庁集計)を上回ったことが、県などのまとめで分かった。〉――

 県外避難者は約13万6千人。

 福島県担当者「それまでの生活が一変した上、帰還など将来の見通しが立たずにストレスが増していることが要因」――

 安倍晋三は首相就任後在任約1年3カ月で被災地を13回、福島県のみでは3月8日の訪問で6回の訪問を行っている。この回数は在任約1年4カ月の野田前首相の10回を上回るということだが、回数を誇る単細胞だから、これからも頻繁に訪問することを計算に入れて訪問回数は突出することになったとしても、何が問題となっているのか自身では自覚的に認識していなかったようだ。

 もし自覚的に認識していたなら、とっくの昔に必要としていたことを今さらながらに「地域の見守り体制」の構築だ、「心の復興」だ云々などと、言葉そのものは立派だが、記者会見の場でさも素晴らしい政策であるかのように得意気に喋ることはなかったはずだ。

 自覚的に認識していなかったから、3年も経つのに喋ることができた。

 福島の子どもたちの発育状況を見てみる。

 《放射能恐れ? 外遊び減り、乳幼児にビタミンD欠乏性くる病…》MSN産経/2013.9.24 11:30)

 記事は放射能汚染を恐れて外出を控え、乳児の食べ物も栄養のバランスが取れた離乳食を放射能混入を疑って与えずに栄養不足の母乳で育児を続ける母親の出てきたために子どもが日光を浴びる機会が極端に減少、紫外線を浴びることで皮膚でビタミンDを生成する機会を奪うことになってビタミンD欠乏性によるくる病になる事例が報告されていると伝えている。

 〈栃木県下野市の自治医科大付属病院とちぎ子ども医療センターには一昨年8月から昨年3月にかけて、日照不足とみられるビタミンD欠乏性くる病の乳幼児3人(1歳2カ月~1歳9カ月)が来院した。1人はカルシウム不足によるけいれん、2人はO脚。3人のうち2人が1歳以降も母乳を続け、離乳食をほとんど食べていなかった。〉――

 この母親たちは放射能汚染を恐れて、子どもたちを屋外に出さない生活をしていた。
 
 八木正樹とちぎ子ども医療センター医師「乳幼児の保護者らは日照不足がくる病を起こすという認識が少な かったようだ。離乳食にいつから切り替えなければならないということはないが、母乳だけでは栄養が不足する。骨や筋肉の発育にはビタミンDが多く含まれる食品も食べさせるよう指導した」――

 2013年9月24日の記事である。「心の復興」は被災者や被災地で暮らす生活者にはこれ以前から必要としていた。

 大自然災害は子どもたちの外で遊ぶ機会を奪った。《被災地の子ども 極端な運動不足》NHK NEWS WEB/2012年6月10日 19時57分)

 東北学院大学鈴木宏哉准教授グループによる宮城県女川町小学4年生以上・中学生全員合計431人対象調査。

 1周間の学外活動1時間未満

 全国平均――18.5%
  女川町――33.8%

 全国平均
  男子――10.4%
  女子――25.0%

 女川町
  男子――15.4%
  女子――50.3%

 鈴木准教授復旧工事が本格化するなか、トラックなどの車両が頻繁に通行して危険なため、元の市街地の大半で子どもたちの移動が制限され、遊び場もなくなっていることや、仮設住宅に入ってバス通学になったため、歩いて登下校したり、放課後に活動したりすることがなくなってしまったことが大きいのではないか。

 子どもの健全な発育には週に7時間の活動が目安とされていて、現在の運動不足は、成人期における生活習慣病に影響を及ぼすことが考えられる。体育の授業の充実など学内の活動量の増加に向けて現場の教員をサポートする活動を進めていきたい」(下線部分は解説体を会話体に直す。)――

 2012年6月10日の記事が震災の子どもの発育に対する影響をこのように伝えていた。

 外で遊ばない子どもは、また肥満傾向を必然化する。外で遊ばない分、部屋にいる時間を増やし、外で身体を動かさない代償としてスナック菓子を摘む動作や咀嚼するために口を動かす動作、さらにはテレビゲームで指を動かす動作で肩代わりさせるからだ。

 《肥満傾向の子ども 福島で増加》NHK NEWS WEB/2013年12月13日 17時8分)

 文科省の全国5歳~17歳70万人対象調査。全国的に減少している肥満傾向の子どもの割合が福島県ではほぼすべての年齢で震災前よりも増えている。

 中学3年生の平均身長
  男子――1メートル65センチ
  女子――1メートル56.5センチ

 この10年、ほぼ横ばい。

 中学3年生の平均体重
  男子――54キロ
  女子――49.9キロ

 男女共に減少傾向が続いているため、標準的体重を20%以上上回る「肥満傾向」の子どもの割合は現在の調査方法になった平成18年度に比べて、すべての年齢で減少しているとのこと。

 但し、〈福島県で震災前に行われた平成22年度の調査と比べるとほぼすべての年齢で増えていて、なかでも6歳の女子と10歳の男子は1.8 倍。

 8歳と10歳、13歳、14歳、それに15歳の男子、16歳と17歳の女子は肥満傾向の割合が全国で最も高い〉――

 文部科学省「原発事故の影響で外で運動する機会が減ったことや、環境の変化による生活リズムの乱れが原因ではないか」――

 2013年12月13日付けの記事である。

 戸外の広々とした空間で身体を無心に伸び伸びと動かすことによって、身体の躍動ばかりか、精神の羽根を十全に広げ、それが喜びとなって身体中を満たして、知らず知らずのうちに健全な発育が促されていく。

 だが、震災や放射能漏洩が子どもから無心な身体と精神の躍動を奪った。そしてその悪影響は震災関連死も含めて2011年3月11日から始まっていたのである。

 当然、インフラ復旧等の物理的・経済的復興だけではなく、「仮設住宅への巡回訪問」等の高齢者ケア、子どもたちのための広々とした遊び場の確保等の「子供たちへのケア」、「地域の見守り体制」は2011年3月11日をスタートとしなければならなかった。少なくとも安倍晋三はこのような「被災者の心に寄り添った支援」を安倍第2次発足の2012年12月26日をスタートの日としなければならなかったはずだが、あたかも震災3年目の日をスタートの日としている。

 そうしてこそ、真に「被災者の心に寄り添った支援」と言うことができる。 

 この今さらに言うことではないことを今さらに言うこの距離感は、真に被災者のことを考えていない、実際には「被災者の心に寄り添っ」ていない不誠実さから来ているはずだ。

 もし真に被災者に誠実であったなら、このような距離感は生まれはしない。

 そしてこの距離感は安倍晋三が国家主義者であることが原因を成している。国家主義者は国民よりも国家そのものを優先させる。国家主義は日本国家の大震災からの経済の回復を果たすことが第一義とする。

 このことは今さらながらの高齢者や子どもへの視線が証明している。そしてその視線は高齢者や子どもを無視した場合、内閣支持率を失って、国家主義優先の政治を動かすことができなくなるための止むを得ない配慮に過ぎない。

 そのための今さらながらなのである。

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安倍晋三の災害公営住宅「用地確保のメドを今月中に付けたい」 は人をたぶらかす類いの虚偽情報

2014-03-10 08:43:04 | Weblog



 安倍晋三が首相就任後6回目となる原発事故被災地福島を訪問した。外交では、これだけの国を訪問した、これだけの首脳会談数をしたと回数を誇って、それを以て自身の外交能力の説明としている男である。首相執務室の壁に取り付けたボードには「正」の字を用いて数えた外国訪問回数と首脳会談数だけではなく、福島訪問回数も書き入れているに違いない。

 その回数を見ては自身の政治・外交能力を誇り、国会答弁や記者会見で間違えずに言えるように常に回数を確認しておく。

 《「月内に5000戸用地確保」 災害公営住宅 首相、整備急ぐ考え強調》福島民報/2014/03/09 08:46)

 いわき市、大熊町、田村市都路町視察後の対記者団発言。

 安倍晋三(災害公営住宅について)「5000戸分の用地確保のメドを今月中に付けたい。避難生活を余儀なくされている多くの人が災害公営住宅の移転を希望している」――

 記事解説はこの発言を整備を急ぐ考えを強調し、県や市町村の整備加速に向けて支援する姿勢を示したものだそうだ。発言自体は災害公営住宅の入居を望み、入居の日を首を長くして待っている被災者に希望を与えるものとなっている。

 「MSN産経」記事は安倍晋三の次の発言を伝えている。

 安倍晋三「福島の復興なくして日本の再生はない。復興が前に進み始めたと実感した」――

 インターネットで調べたところ、東日本大震災被災地の災害公営住宅建設にかかる費用は国の復興交付金から8分の7が賄われるが、用地確保から入札・建設管理・入居手続き・維持管理まで県以下の自治体の責任となっている。

 要するに国が8分の7のカネだけ出すのではなく、「5000戸分の用地確保のメド」 が3月中に付く予定が立ったということだから、入札以下の事務加速に向けて国が支援するということなのだろう。

 但し記事は次のように解説している。〈県がまとめた原発事故による長期避難者向けの災害公営住宅整備計画(第1次、第2次) では、県営と市町村営合わせて4890戸を13市町村程度に建設する。2月末までに用地を確保できたのは880戸で、計画全体の2割弱にとどまっている。〉――

 建設予定の4890戸のうち、2月末までの用地確保が880戸だとすると、残り8割の4010戸が3月一杯で用地確保のメドがつくことになる。この急激な進捗は何を意味するのだろう。

 あるいは3月以前の遅滞は何を意味するのだろうか。特別な理由でもあるのだろうか。

 尤も1個所の用地で5階建て40戸×5棟の公営住宅建設を計画しているなら、20個所の用地確保で済むことになって、あながち安倍晋三がハッタリをかませていることにはならない。

 だとしても、問題は「5000戸分の用地確保のメド」をつけるだけで片付く問題ではない。別の「福島民報」記事が、〈設計から土地の造成、完成まで2年近くかかり、27年度中に入居するには今年3月までに用地を選定する必要があるという。〉点は安倍晋三の発言を信じるとしても、建設ラッシュを受けた建築費と人件費の高騰や資材不足、長引いた建設不況による離職・転職からの土木作業員不足、特に熟練工不足、そして高齢化等による生産性低下などが原因した入札不調・工事の長期間化の広範囲化が伝えられている。

 要するに3月中に「5000戸分の用地確保のメド」が付いたからといって、全てが全て直ちに建設に向かうとは限らないということであって、発言が示す情報自体が情報としての完成度を欠いた説明責任不足の一種の虚偽情報と言ことができる。

 被災者に希望を与えるような語調に関して言うと、詐欺にも相当する虚偽情報の部類に入る。

 但し人材不足の障害を予想して政府は手を打っている。作業員不足をアジア諸国からの技能実習生受け入れ人数拡大と受け入れ期間の現在の3年から5年への拡充、現在1度しか認められていない制度利用を2度とする利用拡大等を検討しているという。

 菅官房長官「建設業は、担い手の急速な高齢化や若年労働者の減少といった構造問題に直面している。即戦力となり得る外国人の活用の拡大が極めて重要だ」(時事ドットコム/2014/02/28-14:42)――

 記事は、政府は3月末までに緊急対策を決定し、2015年春の実施を目指していると書いている。

 と言うことは、建設人材の確保・充足は来年の3月以降を待たなければならないのだから、安倍晋三が言っている今年3月中の「5000戸分の用地確保のメド」 だけではやはり済まないことになって、依然として虚偽情報の類いであることから免れることができるわけではない。

 また、建設人材の確保・充足のみで建築費高騰と資材不足の問題が片付くわけではないし、今年4月からの消費税増税と円安が続いた場合のなお一層の資材の高騰と建設費の高騰を避けることはできない。

 さらに言うと、外国人技能実習制度の規制緩和にしても、問題がないわけではない。現在、同制度に基づく建設業の実習生は中国や東南アジアの出身者を中心に約1万5000人だと「時事ドットコム」が伝えているが、制度緩和によって不法滞在者が増えたり、日本人労働者の賃金の抑制につながる懸念材料が指摘されている。

 建設現場では工事監督以外は外国人労働者といった光景も出現するかもしれない。私自身は外国人労働者受入れに賛成だが、政府は賃金抑制につながらない政策を打ち出してからではないと、実習制度の規制緩和は国民を裏切ることになる。

 ここに来て賃金上昇を見ることができると言っても、長年かけて低下してきたあとを受けての上昇なのだから、差し引き不足と物価上昇、さらに消費税増税を考えた場合、外国人労働者受入れによる賃金低下は許されるはずはない。

 安倍政権は外国人技能実習制度以外の方法による単純労働者解禁には否定的だという。実習制度は期限が来れば、本国に帰すことができる。単純労働者解禁の場合、期限付きの制度としたら、国際的な批判を受ける。無期限とした場合、定住化が促進される。

 安倍晋三の日本人に拘るあまりの日本人優越意識から抜け出ることができない国家主義からの外国人単純労働者拒絶反応であるはずだ。

 だから、外国人単純労働者受け入れはこれまで日本人の血を少しでも持った日系人にほぼ限った。

 安倍晋三の福島訪問「復興が前に進み始めたと実感した」にしても、《【NHK NEWS WEB震災特集】 震災3年 被災地1200人の声》(2014年3月8日 0時25分)のアンケート調査を見てみると、虚偽情報そのものである。   

 「地域の復興について」

 「進んでいる実感が持てない」44%
 「想定よりも遅れている」36% 

 合計80%。

 復興のスピードに不安を感じていると回答した福島県被災者の93%が具体的には「原子力災害や被ばくへ備え」が「遅い」「やや遅い」と回答。

 この93%と安倍晋三の「復興が前に進み始めたと実感」の乖離は93%を虚偽情報とすることによって解消することができる。

 但し93%の虚偽情報化は国民の判断を疑うことになり、国民を愚弄する行為となる。安倍晋三の回数を誇るだけの6回目の福島訪問の「復興が前に進み始めたと実感」の発言自体も、情報としての完成度を欠いた説明責任不足の虚偽情報としなければ正当性を得ることはできないはずだ。

 誠意ある政治家は情報の完成度を欠いた説明責任不足を見せることはないだろう。

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ケネディ在日米大使の浅田真央評価に欧米式褒める教育を見、森喜朗の浅田評価に日本式叱る教育を見た

2014-03-09 10:14:54 | Weblog

 

 キャロライン・ケネディ駐日米国大使の3月7日のツイッターに、〈浅田真央 ―「真のチャンピオン」です。〉と書き込んである。「NHK NEWS WEB」 記事によると、3月8日の「国際女性の日」に合わせた書き込みだそうだ。

 もし浅田真央がこの投稿を知ったなら、この上なく勇気づけられるだろうなと思った。今後氷上を滑るとき、この短い言葉を思い出してスタートを切ったなら、滑る自身の存在、あるいは自らの存在性に確かな手応えを感じることができるのではないだろうか。

 ケネディ女史のこの言葉は反射的に「神の国」森喜朗の浅田真央を評価した発言を想起させ、対置させることになる。

 スケート競技に無学ゆえ、インターネットで調べて、既に広く知られていることを書き記すことにする。間違っているかもしれないが、悪しからず。

 浅田真央はソチ冬季オリンピック・フィギュアスケートに日本の金メダル候補のエース として出場したが、2月8日(日本時間9日)の団体戦ショートプログラムで演技冒頭のトリプルアクセルに失敗して転倒、その後持ち直して浅田真央は3位につけものの、総合で日本は5位、どうにか個人戦に進むことができた。

 そして2月19日(日本時間20日未明)個人戦のショートプログラムでも転倒、そのことが尾を引いたのか、その後も会心の演技に程遠く、16位発進となった。団体戦に続く初っ端の転倒はショックが大きかったに違いない。

 だが、翌日のフリーの演技でショートプログラムとは打って変わったほぼ完璧な会心の演技で自己最高の142・ 71点をマーク、最終成績6位、メダルには届かなかったものの、ショックを切り変えて見事名誉回復を果たした。

 団体戦から11日後の個人戦ショートプログラムではショックの切り替えはできなかったが、ショートプログラムから翌日のショックの切り替えである。これを大きな進歩と評価するかどうかである。

 成績至上主義=金メダル主義に囚われていたなら、到底進歩とは評価できないに違いない。人間としての存在性・在り様(ありよう)を人間評価の基準とする立場からすると、進歩と把えることができる。

 森喜朗は2月20日の福岡市での講演で、最終結果を待たずに浅田真央ショートプログラム転倒16位の成績を以って彼女に対する評価とした。 きっと2020東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長の自負があったに違いない。会長として一言言わなければならないというお節介に過ぎない愚かしい自負が。

 否応もなしに成績至上主義=金メダル主義の悪臭を嗅がないわけにはいかない。

 その時の森発言はインターネットで詳しい発言を探して出会った記事を冒頭個所を除いて参考にする。

 《森 喜朗 元総理・東京五輪組織委員会会長の発言書き起し》
荻 上チキ/Session-22/2014 年2月21日)

 〈あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。 僕もソチ行って、開会式の翌日に団体戦がありましてね、あれはね、出なきゃよかったんですよ日本は。あれは色んな種目があって、それを団体戦で。 特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。あれ日本にできる人はいないんですね。あのご兄弟は、アメ リカに住んでおられるんだと思います確か。 ハーフ。お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。

 そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。 あともう皆ダメで、せめて浅田さんが出れば3回転半をすると、3回転半をする女性がいないというので、彼女が出て3回転半をすると、ひょっとすると3位になれるかもしれないという淡い気持ちでね。

 浅田さんを出したんですが。また見事にひっくり返っちゃいまして、結局、団体戦も惨敗を喫したという。その傷が浅田さんに残ってたとしたら、ものすごく可哀想な話なんですね。団体戦負けるとわかってる、団体戦に何も浅田さんを出して、恥かかせることなかったと思うんですよね。その、転んだということが心にやっぱ残ってますから、今度自分の本番のきのうの夜はですね、昨日というか今朝の明け方は、なんとしても転んじゃいかんという気持ちが強く出てたんだと思いますね。いい回転をされてましたけど、ちょっと勢いが強すぎたでしょうかね。ちょっと転んで手をついてしまいました。だからそういうふうにちょっと運が悪かったなと思って見ております。〉

 自身が言っていることの矛盾 に気づかない頭の持ち主であることを曝している。

 〈彼女が出て3回転半をすると、ひょっとすると3位になれるかもしれないという淡い気持ち〉が日本チームの団体戦に於ける作戦だったとすると、彼女を出場させて3位狙いに行ったということで、〈団体戦負けるとわかってる〉とすることは矛盾以外の何ものでもない。浅田真央に3位を賭けたが、それが外れたに過ぎないことになる。

 前々から頭の悪い男だと思っていたが、治らないままに相変わらず頭の悪い男でいるらしい。

 日本チームが森喜朗の言うとおりに浅田真央の演技に賭けて団体戦で3位狙いに行く作戦であったかどうかは知るべくもないが、浅田真央は失敗を重ねながら、最後の最後にある意味自身を最大限に復活させた。

 メダルを獲得できなかった点からすると、成績至上主義=金メダル主義からは評価できない、否定すべき結果となるが、人間としての存在性・在り様(ありよう)を尊重する場合、十分に評価できる、肯定すべき結果と言うことができるはずだ。

 キャロライン・ケネディ女史の〈浅田真央 ―「真のチャンピオン」です。〉という「国際女性の日」に合わせた書き込みは浅田真央の人間としての存在性・在り様(ありよう)を最大限に賞賛した言葉・評価であろう。

  森喜朗が頭の悪い人間だけあって、最初のショートプ ログラム転倒16位という目先の成績のみで浅田真央という一個の人間を、「あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね」 と否定的に評価できたのは、人間としての存在性・在り様(ありよう)、特にその将来性には目を向けず、成績至上主義=金メダル主義にのみ目を向け、それに囚われていたからであろう。

 この森発言の成績至上主義=金メダル主義とキャロライン・ケネディ女史の人間としての存在性・在り様(ありよう)重視の姿勢を比較したとき、思い出したのは日本式の叱ることで能力を伸ばそうとする教育方法と褒めることで能力を伸ばそうとする欧米式の教育方法である。

 勿論、森発言が前者を成し、キャロライン・ケネディ女史のツイッター文が後者を成す。

 人間としての存在性・在り様(ありよう)はいずれの人間にとっても一生涯に関わることであるゆえに教育する立場にある者は教育対象者それぞれの将来に亘る長いスパンを見据えて、進歩や改善をキーワードとする必要が生じる。常に将来を見据えて進歩や改善を望むには目先の結果よりも次の結果を重視することになる。

 目先よりも次という構図は教育する立場にある者自身が教育対象者の何らかの能力に希望を持たなければ成り立たない構図を取る。自身が希望を持つためには教育対象者自身もまた、自身の何らかの能力に希望を持つという相互反映の形式を取らなければならない。

 教育する立場にある者と教育対象者がそれぞれに自らに希望を持ち、両者共に相手に対しても希望を持つという相互反映である。

 勿論、全てがうまくいくはずではないが、人間としての存在性、その在り様(ありよう)を重視して、褒めて希望を与え、勇気づけることが構造としては欧米式の褒める教育の本質を成しているはずだ。

 一方日本式の叱る教育は目先目先の成績を評価対象とする成績主義に立っているために目先の成績が悪いとその成績のみを取り上げて必然的に叱ることを本質的な構造の形とすることになる。

 例を挙げると、学校の運動部の選手の誰かが対外試合でプレーをヘマすると、顧問、あるいは監督の立場にある者が怒鳴りつけたり、最悪、観客の目や相手チームの目があるにも関わらず、自分のところに呼びつけて罵倒して平手打ちしたり、その選手の存在自体を否定するような行動を取る。

 選手が発奮して素晴らしいプレーに目覚めると、体罰を用いた日本式叱る教育はその場では成功したことになる。

 だが、顧問や監督の言葉や身体性の恫喝に対する従属から発した能力発揮であって、選手の自覚や主体性から生まれた能力発揮ではないから、人間としての存在性・在り様(ありよう)の教育となるかは極めて疑問となる。

 体罰が常態化する傾向にあることから考えると、教育とはなっていない証明としかならない。

 新聞記事が伝えていた3月7日のキャロライン・ケネディ駐日米国大使のツイッター、〈浅田真央 ―「真のチャンピオン」です。〉の書き込みに刺激を受けて、その発言と比較した頭の相変わらず悪い「神の国」森喜朗の浅田真央目先評価「あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね」から、西欧式の褒める教育と日本式の叱る教育を考えてみた。

 少なくとも森発言の言葉をどれ一つ取っても、浅田真央にどのような希望も与えなかったことは断言できる。当然、どのようにも勇気づける言葉とはならなかった。叱る気持を底に置いた発言となっていた。

 妥当な考察かどうかは読者に委ねるしかない。

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オバマ大統領は靖国神社参拝にひき続いて「失望する」ことになった安倍晋三との電話会談

2014-03-08 09:09:57 | Weblog

 

 プーチン・ロシアがウクライナのクリミア自治共和国に軍事侵攻し、軍事制圧したウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する国際法違反に対して我が日本の歴史修正主義者・国家主義者安倍晋三は欧米諸国の対露制裁姿勢に反して自国利益を優先、対露友好関係維持の姿勢を示したことを以って一国平和主義、原理・原則なきご都合主義・横並び主義の日和見主義外交だとブログに書いてきたが、今回の電話会談がアメリカ側からの要請だということから考えると、安倍晋三の一国平和主義外交・日和見主義外交の暴走・対ロシア抜け駆け姿勢への牽制の役目も担っていたはずだ。

 プーチン・ロシアのクリミア軍事行動が不可避な状況となった3月3日参議院予算委員会の時点で既に安倍晋三は欧米の対ロシア制裁をちらつかせた警告とは一線を画して、自国国益だけを考えた一国平和主義的な答弁を行っている。

 安倍晋三「平和的な手段で解決されることに期待したい。すべての当事者が国際法を順守し、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重するよう求める。

 ロシアとの2国間の関係については、プーチ ン大統領との個人的信頼関係を梃子に、外相や外務次官級の政治対話を推進し、北方領土問題の解決に向けて平和条約の締結交渉を加速したい」――

 プーチン・ロシアのクリミアに対する軍事行動が不可避な状況となっていたのだから、何ら制裁をちらつかせたわけでもない「ウクライナの主権と領土の一体性」の尊重は体裁上必要とした単なる前置きの言葉――枕詞(まくらことば)に過ぎないばかりか、後半の発言は欧米の対ロシア制裁戦線には日本は加わりませんよというシグナルをプーチン・ロシアに送った等しい。

 その証拠に欧米がソチ・パ ラリンピック開会式への政府関係者出席を見送る意向を示していたのに反して、日本政府は3月5日の時点で早くも桜田義孝文部科学副の(大臣まで付けるのは勿体無い)派遣を決めていた。

 安倍晋三の積極的平和主義外交はプーチン・ロシアのクリミア軍事制圧によるウクライナの領土と主権と国民分断・侵害の国際法違反に対して異議申立ての意思表示としては現れず、逆に国際法違反を侵したプーチン・ロシアに対して友好と信頼の意思表示として現れることになった。

 オバマ大統領にしても、安倍晋三がロシアに対して直接的に何らの警告も、何らの牽制も行っていないばかりか、逆にプーチン・ロシアのクリミア軍事制圧に重大な関心も重大な危機感も抱かずに従来どおり以上の友好関係推進の姿勢でいることの情報を把握していたに違いない。

 当然、日本がプーチン・ロシアとの間にいくら北方四島問題を抱えていたとしても、領土と主権と国民分断・侵害の国際法違反は日本の身に降りかからないとは断言できない危険な問題でもあるのだから、日本自身の問題として同一に扱わなければならないばかりか、その一体性保持は民主国家の原理・原則として守らなければならない重大な問題なのだから、北方四島問題に優先させるべきを、自国国益優先の一国平和主義に囚われて逆の優先に陥っている。

 この優先姿勢が3月7日正午から約40分間のオバマ・安倍電話会談の発言となって現れた。

 菅官房長官の3月7日(金)午後記者会見。

 菅官房長官「ウクライナ情勢の改善のためのオバマ大統領の努力を支持している。 日本も情勢の早期改善を期待しているという趣旨を述べたということです」

 記者「努力を支持する中に制裁措置というものも含まれるのか」

 菅官房長官「全体としての努力への支持と私は受け止めました。一致したということはウクライナの主権と領土の一体性を尊重することが重要だという認識で一致したということで、G7の重要性を確認して、日米首脳が緊密に連携を取っていこうと。そして政治改革と経済改革の姿勢を確認をした、そういうことです」(首相官邸動画から)

 要するに「オバマ大統領の努力を支持」するが、自らは制裁に関して何ら言及していないのだから、日本として制裁に向けた努力はしないとする趣旨の言葉を伝えたのである。

 このことは菅官房長官が「全体としての努力への支持と私は受け止めました」と解釈しているところに現れている。あくまでも「全体としての努力への支持」であって、制裁自体を個別的に把えた支持ではないというわけである。

 だが、オバマ大統領は対露制裁に対して安倍晋三から明確な支持は受けることができなくても、安倍晋三の対露友好関係推進に一定のブレーキをかけることはできたはずだ。

 このことは3月7日の9時17分から行われた小野寺防衛省の閣議後記者会見の発言が証明している。オバマ・安倍電話会談に先んじた記者会見であるが、正午丁度から行われたということは双方の時間の調整とその準備のために前以てアメリカ政府から要請を受けていたはずだし、要請を受けた時点で会談内容の説明を受けていたはずだし、受けていないとしても、相手側の意図を読み取っていただろうから、閣議でどう対応するか話し合った可能性と小野寺が内閣の一員であることから、安倍内閣の姿勢を既に固めていたことを受けた発言であるはずである。(関連個所だけを抜粋)

 《小野寺防衛大臣会見概要》(防衛省/平成26年3月7日09時17分~09時24分)

 記者「ウクライナ情勢に関連して、ロシアのゲラシモフ参謀総長が3月中に来日するという情報もあるのですけれども、今現在の防衛省とロシア政府との調整状況を教えてください」

 小野寺「これは昨年、防衛省の統合幕僚長がロシアを訪問したということの返礼ということで、従前から、今年ゲラシモフ参謀総長が訪日するという調整をしております。日程については現在も調整中ということで、まだ日程が固まったわけではありません」

 記者「その関連で、ロシアとアメリカとの対立が続く中で、ロシア政府への対応というのもなかなか反対するのが難しいのではないかというような指摘もあるのですけれども、日本政府としては来日するのであれば迎え入れるということでよろしいのですか」

 小野寺「いずれにしてもまだ日程が固まったわけではありませんので、固まっていく中での議論だと思っています」

 記者「日程については当初来週辺りを予定していたかと思うのですけれども」

 小野寺「様々な日程調整を進めている中というふうにご理解いただければと思います」

 記者「日本政府の方から訪日延期という打診はされたのか、されるのかというそこのところはどうなのでしょうか」

 小野寺「そのような方針も含めてまだ何か決定したわけではないということであります」

 記者「関連しまして、来週来る可能性もあるということだったのですけれども、先送りを検討しているということですか」

 小野寺「まだ当初から具体的な日程が固まったわけではありません。来週という日程が固まったわけでもありませんし、今、日程を調整中だということだと思います」

 記者「関連ですけれども、現在のウクライナ情勢をどう見ていらっしゃるかということと、アメリカが制裁をやるということで、EUも制裁を検討ということですけれども、これについて日本政府はどのように対応するべきだと思いますか」

 小野寺「すでにG7の中で日本も含めた声明を出していて、今回やはりしっかりとした平和裏な解決、そして当事者の話合いが重要だというようなメッセージは出し ていると思います。現在もウクライナ情勢というのは、様々な情報を私どもとしても収集をしておりますし、またNSCの事務局の中で日々分析をするというこ とであります。私どもとしましては、やはり一日も早い対話による解決が重要だと思っております。今日午前中にEUの軍事委員会議長、日本でいえばEUの統 合幕僚長にあたる方だと聞いておりますが、その方が来られますので、私の方からも直接EU全体としてのこの問題についての対応の仕方を含めて意見を交わし たいと思っております」

 記者「ロシアとは先の「2+2」で防衛交流を活発にしていくことを確認していると思うのですけれども、今回の事案が日露の防衛当局の防衛交流に与える影響というのはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。

 小野寺「私どもとしては、このウクライナ問題については、まず平和裏な一刻も早い解決をしていただきたいということであります。その問題が解決し、国際社会の 中でまたアメリカとロシアの間の関係も修復されれば、私どもとしては従前通りロシアとの防衛交流を推進していきたいと思っています。現時点で国際社会の中 でどのような方向が出るかというのは注視をしていきたいと思っています」

 記者「ということは現在、防衛交流は止まっているということでしょうか」

 小野寺「当然私どもとして何か現在のウクライナ情勢に合わせて防衛交流について制限をするというようなことは、特に今行っているわけではありません」(以上)

 「ロシアのゲラシモフ参謀総長が3月中に来日するという情報」が既に存在していながら、小野寺防衛相は「まだ当初から具体的な日程が固まったわけではありません。来週という日程が固まったわけでもありませんし、今、日程を調整中だということだと思います」と言っている。

 そして、「私どもとしては、このウクライナ問題については、まず平和裏な一刻も早い解決をしていただきたいということであります。その問題が解決し、国際社会の 中でまたアメリカとロシアの間の関係も修復されれば、私どもとしては従前通りロシアとの防衛交流を推進していきたいと思っています」
 
 「アメリカとロシアの間の関係」修復を条件として従前通りの「ロシアとの防衛交流」推進を掲げている。日本自らは対露制裁を実施しないが、米露関係修復を待たずに日ロ防衛交流の推進はしないと。

 このような日ロ関係推進の構図は先に触れた3月3日参議院予算委員会の安倍晋三発言に見ることができる日ロ関係推進の構図とは逆の方向を取っている。

 安倍晋三「ロシアとの2国間の関係については、プーチン大統領との個人的信頼関係を梃子に、外相や外務次官級の政治対話を推進し、北方領土問題の解決に向けて平和条約の締結交渉を加速したい」――

 ここではアメリカの制裁問題も米ロ関係の修復も考慮に入れていなかった。

 オバマ大統領は安倍晋三を対露制裁戦線に加えることはできなかったが、安倍晋三の積極的平和主義を騙った自国利益優先の対ロシア抜け駆け姿勢への牽制には役立ったはずで、また、最低限、その点を狙った電話会談であったはずだ。

 だとしても、オバマ大統領は安倍晋三の靖国参拝にひき続いて、安倍晋三に「失望する」ことになった電話会談であったと確実に言うことができる。

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安倍晋三のロシアのクリミア軍事制圧に見る原理・原則なきご都合主義・横並び主義の日和見主義外交

2014-03-07 08:19:47 | Weblog


 


      《生活の党PR》
     
       《3月3日鈴木代表代行・幹事長記者会見》

      【質疑要旨】
        石垣市長選挙結果について
        ウクライナ情勢、ロシアの軍事介入について

      《3月5日(水) 河野談話検証、集団的自衛権憲法解釈変更に関する鈴木代表代行・幹事長談話》

 3月5日のブログでプーチン・ロシアのウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害するクリミア軍事制圧に対する安倍晋三の外交対応が自身が掲げる積極的平和主義外交の正体が一国平和主義であることを露呈させたものだと書いたが、今度は横並び主義の日和見主義外交であることを露呈させた。

 《【ウクライナ情勢】首相、対応は「NSCで戦略的に決定する」》MSN産経/2014.3.5 12:02)

 3月5日午前参院予算委員会。ウクライナ情勢をめぐる政府対応について。

 安倍晋三「国家安全保障会議 (NSC)で、東アジアへの影響、日米同盟や日EUなどの観点のほか、ロシアとは隣国でもあるから日露関係も総合的に勘案し、わが国の立場を戦略的に決めている。

 連日、谷内正太郎国家安全保障局長が関連省庁幹部から情報収集し、対応の検討をしている。国家安全保障局を中心に事態の推移を注視し、適切に対応する。

 (冬季パラリンピック開会式などへの政府関係者の出席に関して)原則として、五輪やパラリンピックに政治状況を持ち込むのは慎重でなければならない。オーストリアやドイツは政府要人が出席することにしており、そうしたことを慎重に見極めて検討したい」 ――

 ご都合主義満載の発言となっている。

 先ず、プーチン・ロシアのクリミア軍事制圧・軍事支配がウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する国際法違反だとの認識を一切欠いた発言でしかない。プーチンがモスクワ郊外で記者会見してクリミアの軍事制圧を認めたのは3月4日である。

 既にプーチン・ロシアのクリミア制圧に向けた軍事行動が回避不可能な状況になっていた同じ日の3月 4日、菅官房長官が記者会見している。

 菅官房長官「武力行使そのものを回避し、国際法の完全な順守、 ウクライナの主権と領土の一体性を尊重することを強く求める」(MSN産経)――

 「MSN産経」記事はご丁寧にも、〈日本政府として 「武力行使の回避」を求めたのは初めて。〉 と解説している。

 プーチン・ロシアの軍事行動が不可避な状況となってからの“武力行使回避”、“国際法完全順守”、“ウクライナの主権と領土一体性尊重”の要請なのだから、その熱意の程を窺うことができる。

 だとしても、安倍政権は上記3項目の要請を口にした。

 そしてそれら3項目すべてをプーチン・ロシアは無視した。

 だとしたら、安倍政権の要請に対するプーチン・ロシアの無視を前提とした安倍晋三の3月5日午前参院予算委員会の国会答弁でなければならないはずだ。

 だが、プーチン・ロシアのクリミア軍事制圧・軍事支配がウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する、いわばそれらの一体性を毀損する国際法違反であることを前提とした発言とはならなかった。

 口にしたのは国際法違反であるという原理・原則ではなく、「東アジアへの影響」と、「日 同盟や日EUなどの観点」、隣国としての「日露関係」への配慮である。

 いわばウクライナの領土と主権と国民分断・侵害は国際法違反であるという原理・原則を判断基準とするのではなく、後者3項目を判断基準とした日本の立場の決定――と言うよりも、安倍晋三の立場の決定としている。

 この倒錯的な基準は日露関係を隣国と価値づけているところに象徴的に現れている。隣国がどのような国際法違反を侵そうと、隣国であることを基準に国際法違反を「勘案」するとしている倒錯性である。

 中国も日本の隣国である。安倍晋三が常々批判している、中国の 「力による現状変更の試み」にしても、中国が隣国であることを基準にして「勘案」しなければならないはずだが、こちらの隣国に対しては「勘案」なしとなっている。

 明らかに二重基準を為している。最初に安倍国会答弁をご都合主義満載だと書いたのは、国際法違反に対して原理・原則を持たないばかりか、ロシア のみを隣国特別待遇としている点にもある。

 またプーチン・ロシアを「隣国」とする、その価値づけの比較対象国は、安倍晋三の単細胞な頭には入れていなかったかもしれないが、当然、ウクライナということになる。

 要するに単細胞安倍晋三は隣国ではない、遠国であることを以ってウクライナを「勘案」 の対象から外したことになる。この「勘案」の対象外は同時にウクライナのプーチン・ロシアによる国際法違反の領土と主権と国民分断・侵害を対象外としたことを意味する。

 このこともご都合主義のうちに入る。

ここまで見てくると、プーチン・ロシアのウクライナの領土と主権と国民分断・侵害の国際法違反に対する安倍晋三による日本の立場の戦略的決定は原則・原則なきご都合主義によって成り立たせていることになる。

 最後に冬季パラリンピック開会式などへの政府関係者の出席問題である。安倍晋三は「原則として、五輪やパラリンピックに政治状況を持ち込むのは慎重でなければならない」と言っている。

 尤もらしく聞こえるが、国際法違反を侵して他国の領土と主権と国民を分断・侵害するプーチン・ロシアにオリンピックを開催する資格があるだろうか。《オリンピック憲章》「オリンピズムの根本原則」の2は、次のように記述している。

 〈オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。〉――

 「人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会」の推進に適うオリンピックの祭典こそがオリンピズム(オリンピック精神)だとする宣言であろう。

 そもそもからして性同一性障害者差別や政府批判者弾圧等の権行為によって「人類の調和」を阻害し、「平和な社会」を脅かすプーチン・ロシアにはオリンピックを開催する資格はなかった。

 そして今回のクリミア軍事制圧によってプーチン・ロシアが「人類の調和」や「平和な社会」をキーワードとするオリンピズム(オリンピック精神)を体現していないことが明確となった。

 政治・外交の思想であろうと、オリンピズム(オリンピック精神)と相互対応した原理・原則を欠かすことはできないということである。 

 安倍晋三はこのことに関する認識が一片もないどころか、「オーストリアやドイツは政府要人が出席することにしており、そうしたことを慎重に見極めて検討したい」と、他国の動向に追随する姿勢を基準としている。

 このような姿勢を原則・原則なき横並び主義の日和見主義外交と言わずに何と表現することができるだろうか。

 安倍晋三のこの手の原則・原則なきご都合主義・横並び主義の日和見主義外交にしても、基本は一国平和主義を土壌としているはずで、これが安倍積極平和主義外交の正体だと、やはり言わざるを得ない。

 この程度の日本の立場の戦略的決定に過ぎない。

 日本がウクライナと同様の境遇に立たされたとき(尖閣諸島の領有権を中国と争っている以上、決してないと断定はできない)、今回の安倍外交と同様の原理・原則なきご都合主義・横並び主義の日和見主義的な一国平和主義の外国が現れたとしても、日本は異議申立てをする資格を早くも失っていることを示す。

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再掲/初めに認めまいとする意志ありの従軍慰安婦認識

2014-03-06 06:41:44 | Weblog

 


      《生活の党PR》

      《平成25年度補正予算3案、畑浩治総合政策会議議長反対討論全文 》

 3月3日(2014年)当ブログ記事――《「河野談話」は「見直すべきだ」58.6%の世論調査は多層的もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応の証明 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、日本軍には何人ぐらいの従軍慰安婦が存在したのか、「Wikipedia」記事から、日本軍総数をパラメータ(母数)とし、交代率を加味した計算法から割り出した、日本軍の強制連行はなかったとの立場を取るゆえに少な目な計算になる可能性を考慮して、秦郁彦日本大学教授の推定総数約2万人を用いて、従軍慰安婦強制連行否定派の「河野談話」否定の非正当性を主張したが、実は2007年4月24日の当ブログ記事で秦郁彦の従軍慰安婦強制連行否定論を取り上げている。

 「河野談話」を「孫の代までの不名誉」だと国会答弁している歴史修正主義者安倍晋三主導の「河野談話」再検証の動きと、その動きに対する中韓の反発等、世間を騒がしていることから、秦郁彦の従軍慰安婦強制連行否定論の正当性の有無を問うために誤字以外は訂正せずにここに再度取り上げてみることにした。 

 既に一読している読者がいるかもしれないが、その点は悪しからずご容赦願いたい。

 《初めに認めまいとする意 志ありの従軍慰安婦認識‐『ニッポン情報解読』by手代木恕之》(2007年4月24日)    

 世の中の動きが慌しい今の時代で2週間も前の出来事となると、既に昔の部類に入るのだろうか。だが、問題自体は引き続いている。

 4月8日(07年)日曜日、フジテレビ朝7時半からの「報道2001」で従軍慰安婦問題を扱っていた。軍の強制があったとする立場となかったとする立場が相互に議論を闘わせる形式を取っている。

 なかったとする立場は初めから認めまいとする意志を基本姿勢とし、それを固定観念化させているから、最初から平行線を辿ることは分かっていた。 但し、否定の上に否定を重ねても、言っていることに矛盾がないわけではない。録画の関心があった一部分を文書化して、分析を試みることにした。

 <秦郁彦(現代史家)、縦書きの二つの従軍慰安婦募集広告文を纏めて写したフリップを見せる(向かって右側の広告は、「軍」慰安婦急募、とあり、左側が、慰安婦至急大募集、広告主に、今井紹介所とある)。

 「昭和、これは18年なんですが、今の韓国ですね、当時日本の統治下にあった京城、ソウルですね。その京城日報というですね、朝鮮じゃあ一番大きな新聞です。だから、首都と言うことを考えますとね、まあ、ワシントンポストのようなものと考えていいと思います。最大の新聞に堂々とこういう広告が出ていたわけです」

 小池アナ「慰安婦募集しますと。大募集――」

 秦「ええ、至急、大募集。こち側(左側)はハングルがちょっと、ちょこちょこと見えますけども、これは、ですから、その、もうちょっと小さい朝 鮮人向けの新聞でもあったわけです」

 小池「月収が書いてありますけど、これは当時かなり高いんですか?」

 秦「ええ、京城帝国大学のね、卒業生の初任給が75円と言うときで、300円で、前借が3000円ですから」

 小池「これで、じゃあ実際に応募した人がいるんでしょうね?」

 秦「これはもうたくさんいたと思いますよ。あの、こんな条件。但しこれは日本内地でも、それから朝鮮もですね、非常に多くの人は朝鮮の内部の、 中の慰安所じゃなくて、その遊郭で働いていた人――」

 小池「こうやって募集したんだから、強制連行じゃない?軍が連れてきたんじゃない」

 藍谷邦雄・弁護士「こうして広告したから、これで全部を否定するという、まず、ことが言えるのかということですね。それと、当時この、今慰安婦の募集というふうに出してあるのでね、今秦さんはその実証をなさらないけども、これによって応募があったのかどうなのかと。それからもう一つは当時、慰安婦と言う言葉がですね、どう市民の間で、いや京城なり、まあソウルですね、ソウルの市民の人たちにどう受け止められていたのかと。例えば 言葉をですね、どう受け止めるのかというのは、色々その後にもあります。例えば韓国では女子挺身隊というので、日本に連れてこられた工場で働いた女性たちがいます。で、これと慰安婦の問題を非常に混同してですね、女子挺身隊というのがイコール慰安婦であるように把えていた時代もある」

 小池アナ「こういう募集をして、応募した人たちもいる、だろうと。これは推定されますか?」

 藍谷「それは分かりません」

 小池アナ「分からない?」

 高嶋伸欣(のぶよし)・琉球大学教授「証拠があるかっていう話はここでは必ず出てくるんですけども、それに対してもう一つ大事な事実があって、 敗戦になったときですね、日本政府はそういう証拠類を焼けという指示を出しているわけですよ。 日本軍全軍に対してと、それから実は内務省。警察関係ですね。に対して、戦犯の追及をするという条項がポツダム宣言の中にしているということもあるから、特に捕虜虐待の件が焦点だったのですけど、それと付随するような、ええ、危険な記録はできるだけ焼けと、言うことを敗戦の混乱の中の交通事情の悪い中、内務省課長だった奥野さんがね、自分は全国を駆けまわって指示を出して、見事それをやったと、それを自慢話で繰り返し自身で――」

 小池アナ「ちょっと待ってください。ちょっとコマーシャルいかせてください」

 ――CM――

 小池アナ「資料がないからと言って、それで証明することにならないんだということを高嶋さんはおっしゃってる。それについて一言」

 秦「最初はそういうことを言う人はいなかったんです。ところが色々と探してみてもですね、見つからないので、探し方が悪いと最初はそう言ってい た。で、やっぱり見つからない。最近になってですね、高嶋さんのようにね、いや、それは軍が意図的に滅失したからだと。しかしね、この世の中に一つしかない文書って、滅多にないんですよ。特に上から下へ流す文書っていうのは宛先が数百通も流れていくわけです。そのうちのどれか、残ってるんです。ですから戦後ですね、戦後防衛庁戦史室(?)で、その今数10万点の旧軍の資料ありますね。それはみな集めてきたんですよ。その焼け残ったやつを。それから命令出した場合、記憶によって覚えている人もいるわけです。さらに言えば、さっきこれ目撃証言についての話が出なかったんですけど、韓国の女性、元慰安婦たちですね、、出てきた一人たちの中で、身の上話がずっとあるわけです。誰一人証人がいないんです」

 小池アナ「自分で言ってるだけ?」

 秦「言ってるだけでね。普通はですね、そういうひどい目に遭ったとか近所の人だとか、友達だとか、家族だとか、連れてきて証言させますよね。そうしないともう法廷では取り上げてくれない。一人も出ていないです」>(以上)――
* * * * * * * *
 

「京城日報」を『日本史広辞典』(山川出版社)で調べてみると、次のように出ていた。<1906年(明治39)9月に創刊され、第2次大戦終戦 まで発行された統監府・朝鮮総督府の機関新聞。――>

 秦郁彦は巧妙にも「京城日報」を「ワシントンポスト」と同等と比較したが、当時の朝鮮が「日本の統治下にあった」は日本の植民地として統治下にあったのであって、当然体制内容は日本政府そのものであり、全体主義に彩られていたのである。「京城日報」はその機関紙、言ってみれば政府系御用新聞、政府の代弁者である。「ワシントンポスト」と比較できようがなく、当然「ワシントンポスト」を持ち出して「広告」を正当付けしようとすること自体狡猾に過ぎる。

 逆にそういった政府系御用新聞に「『軍』慰安婦急募」の広告が載ったと言うことは、朝鮮総督府(朝鮮支配の最高機関)公認の「広告」であり、政府が軍と一体となって軍慰安所を積極的に認知していたということを示す。

 また広告に記載されている慰安婦の給与だが、ただでさえ女性の地位が低かった戦前の日本で、慰安婦なる類の職業は社会的にまだ蔑まれていた場所に置かれていた。親によって自分たちが食うために売られた女性の場合は買主でもある雇い主の投資したカネの回収手段として寝る場所と着る物・食い 扶持を支給されるぐらいで男を取らされる搾取される存在でもあった。そういった社会的地位の低さから判断しても、社会的境遇の過酷さ・悲惨さから 判断しても、彼女たちが一般的には恵まれた報酬を受けていたとは常識的には考えにくい。そのような常識を覆す「京城帝国大学の卒業生の初任給が75円」に対して「300円」という、帝大卒業生の4倍の破格の月給であり、さらに40倍もの「3000円」の前借という、普通なら出さないに違いない金額状況の裏を返すなら、人件費は需要と供給の関係で決まっていくのだから、女性側の供給不足状況にあり、なかなか集まらなかったから、それだけの金額を提示しなければならなかったという募集事情にあったことの逆証明でもあろう。

 とすると、それだけの金額を出したのだから、「これはもうたくさんいたと思いますよ。あの、こんな条件」とストレートに推測するのは短絡的に過ぎる。

 当時の朝鮮と中国とでは国の違いはあるが、破格待遇の有効性を疑わせる記事がある。一度ブログで引用しているが、1944年日本軍天津防衛司令部が天津特別市政府警察局に<軍人慰労のため「妓女」を150人出す>よう <1944年5月30日>に通知、天津特別市政府警察局は 公娼業者の集りである<「天津特別市楽戸連合会」を招集し、勧誘させ た>ところ、<229人が「自発的に応募」して性病検査を受けたが、12人が塀を乗り越えて逃げ出>す「自発的」状況を曝した。<残った86人が 「慰安婦」として選ばれ、防衛指令部の曹長が兵士10人とともにトラック4台で迎えに来た>が、<86人のうち半数の42人も逃亡した>という事実。

 秦現代史家が示した「慰安婦募集広告」は昭和18年、1943年のことで、上記状況に限った額面上からの判断からすると、1年後の1944年の中国の天津では軍は「広告」という中間過程を省いた軍の指示による直接募集の形式を取っている。

 破格の待遇という条件は変わらないのだから、「広告」で応募があるなら、その条件も維持されるはずで(公娼業者への直接広告という手もある)、 それが取り除かれて警察を仲介者に仕立てた直接的な勧誘の形を取っているのは、やはり応募が少ないことを物語っているのではないだろうか。

 いわば軍や警察が正面に出なければならない程に集まらない状況にあった、秦の言う「これはもうたくさんいたと思いますよ」云々とは反対の状況にあったことを示していると言えるだろう。

 軍や警察が正面に出ることで、公娼業者は広告業者のように中間に位置するのではなく、一切の主導権もなく軍の指示に従うだけの立場に立たさる。

 「借金などはすべて取消して、自由の身にする」、本人に1カ月ごとに麦粉2袋。家族に月ごとに雑穀30キロ。慰安婦の衣食住・医薬品・化粧品は軍の無料配給。花代は兵士「一回十元」、下士官「二十元」、将校「三十元」と事細かく提示された条件はなかなか集まりにくい状況にあったことの反映としてある破格の待遇であり、事細かく条件を提示しなければならなかった応募確保のための丁寧さでもあろう。

 あるいは実行するつもりもない約束だから、逆に事細かな提示と破格の待遇とすることができたという疑いも可能となる。今で言う架空話でウソみたいな高利回りを(実際にはウソなのだが)約束する投資話同様にである。慰安所に閉じ込めるまでが勝負で、逃げ出せないだけの監視を設けさえすれ ば、いくらでも破格の待遇が提示可能となる。
 
 軍の強制を受けた警察当局の強制があって、「天津特別市楽戸連合会」は従わざるを得ない止む得なさから、表面は「自発的応募」を装いつつ、女たちを威したりすかしたりの強制で応募させた。そういった強制の段階を受けた「自発的」だからこそ、「229人」のうち「12人が塀を乗り越えて逃げ出し」、さらにトラックで輸送中に「86人のうち半数の42人も逃亡した」強制への拒絶があったのであり、そのことから判断できることは、「借金などはすべて取消して、自由の身にする」といった破格の待遇の有効性である。最初に逃げた12人に86人を足して、さらに逃げた合計を54人と計算して割り出すと、直接募集という強制を働かせても、半分に満たない45%の有効性しかなかった。この有効性が日本軍に対する印象のすべてを物語っている。

 朝鮮人の間に日本人・日本軍に対する印象を広くつくり出すことに大きく貢献したに違いないと思われる新聞記事がある。《朝鮮人 強制連行示す公文書 外務省外交史料館「目に余るものある」》 (『朝日』98.2.28)

 <アジア・太平洋戦争末期に、植民地だった朝鮮半島から日本へ動員された朝鮮人に対して、拉致同然の連行が繰返されていたことを示す旧内務省の公文書が、外務省外交史料館から発見された。「強制連行」についてはこれまで、被害者の証言が中心で、その実態が公式に裏付けられたのは初めてと見られる。 水野直樹・京都大学助教授が 発見、整理した。28日、「朝鮮人強制連行真相調査団」を主催して千葉市で開かれるシンポジウムで発表される。

 問題の文書は、内務省嘱託員が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況に ついて調査を命じられ、1944年7月31日付で内務省管理局に報告した「復命書」。

 その中で、動員された朝鮮人の家庭について「実に惨憺(さんたん)たる目に余るものがあるといっても過言ではない」と述べ、動員の方法に関しては、事前に知らせると逃亡してしまうため、「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例が多くなる」と分析。朝鮮人の民情に悪影響を及ぼし家計収入がなくなる家が続出した、などの実情を訴えている。また、留守家族の様子について、突然の死因不明の死亡電報が来て「家庭に対して言う言葉を知らないほど気の毒な状態」と記している。

 水野助教授によると、植民地に関する42年以降の大半の内務省文書は、自治省の倉庫にあると言われながら、存在は明らかにされていないという。 「植民地の実態を明らかにするためにも一連の内務省文書の公開を急ぐべきではないか」と指摘する。

 今回、水野教授らが集めた資料を東京都内の出版社が復刻出版しようとしている。だが、外交史料館は「外務省に著作権がある」と不許可にした。>――

 「外務省に著作権がある」と「復刻出版」を拒否したとは相変わらずの不誠実・不正直な歴史隠蔽の体質ぶりを示している。この隠蔽体質からして、 従軍慰安婦問題でも、その「狭義の意味での強制性」を示す文書・資料の類がありながら、隠蔽もしくは処分済みの疑いも可能となる。

 「復命書」の報告は「1944年7月31日付」、いわば昭和19年で、中国・天津の軍の慰安婦募集と同じ年となっている。秦郁彦氏が提示した広告は「昭和18年」とその1年前である。朝鮮人の強制連行はHP「強 連行」を参考にすると、1939年(昭和14)9月から「自由募集」の形で開始されたということだが、朝鮮総督府の地域ごとへの割り当てがあったということだから、強制力の働いた「自由募集」である。当然、「自由募集」の名前に反する 強制に初期状態から反発を生じせし めたはずである。

 それがその5年後の1944年には「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例が多くなる」といった飛躍の道を辿った。日本側の情け容赦のないそのような目覚しい飛躍に比例して、当然朝鮮人の反発も高まっていっただろう。

 いや、反発は反発の上に反発を重ねて、既に重層化していたのである。1919年(大正8)3月1日の朝鮮人の3・1運動に対する日本軍による死者7500人、負傷者4万5000人、検束者4万6000人の犠牲者を出すに至った過酷な弾圧、1940年(昭和15)の8月までの改名期限に <改名しない者には公的機関に採用しない、食糧の配給対象から除外するなどの圧力をかけた>(『日本史広辞典』)創氏改名の強制。

 こういった日本の有無を言わせない弾圧も、朝鮮人の反発の層を成す無視できない契機となっていっただろうことは容易に想像できる。日本人と結びついて経済的利益を貪ることができる朝鮮人を除いて、日本人は歓迎されざる存在だったことは疑いもない。

 いわば絶対多数の朝鮮人にとっては、最小限に見積っても、避けることができるなら、避けていたい日本人であったに違いない。当然、避けたい気持 を中和させ、差引きゼロとする破格の待遇を用意する必要が生じる。

 但し破格が避けたい気持を上回って、有効化するかが問題となる。

 となれば、業者が「広告」を出した募集の形だから強制はなかったとする主張は、破格の待遇が有効であった場合にのみその正当性が認められ、無効であった場合、正当性はかなり疑わしいものとなるだけではなく、無効が強制へ向かわない保証はない。

 有効でなかった証明の一つとして、国は違っていても、天津の半強制的な慰安婦募集が破格の待遇を用意しながら45%の有効性しかなかった例を挙げること ができるし、無効が強制へと向かった証明として、朝鮮人労働者の強制連行が「自由募集」の形から「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて 人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例」へと移行した例を挙げなければならない。

 またよ過ぎる待遇は、それが往々にして、これだけ出しているのだから文句はないだろうといった支配力を生じせしめ、敵意と憎悪増幅の悪循環を生まなかった保証はない。

 日本軍がポツダム宣言の受け入れ時に重要書類を焼却するよう全軍に命じたとする主張に対して、秦の「この世の中に一つしかない文書って、滅多に ないんですよ。特に上から下へ流す文書っていうのは宛先が数百通も流れていくわけです。そのうちのどれか、残ってるんです。ですから戦後ですね、 戦後防衛庁戦史室(?)で、その数10万点の旧軍の資料ありますね。それはみな集めてきたんですよ。その焼け残ったやつを。それから命令出した場合、記憶によって覚えている人もいるわけです。」に対する反論。

 確かに「上から下へ流す文書っていうのは宛先が数百通も流れていく」ケースもあるだろうが、各受取り先は1通か2通であろう。同じ書類を「数百通」も受け取ったとしても、ありがたくも何ともない。1通や2通なら、処分は簡単である。直接的に戦闘行為に関係のない、いかがわしい反道徳的な 「文書」なら、極秘文書ゆえ、内容を確認次第処分するよう追伸で指示して、その場で証拠隠滅を図ることもするだろう。

 その場合は秦が言うように「記憶によって覚えている人もいる」だろうが、重要書類・極秘文書を先に目を通すのは上官と決まっている。上官となれ ば、地位に応じた期待を担う。反道徳的命令を自らが仲介して実行したとなれば、期待を裏切ることとなって、自らの人間性に絡んでくる。当然そのことは名誉の問題へと発展する。中身はいくら薄汚くても、名誉という体裁だけは維持しなければならない。そういった自己利害上、あるいは自己保身上、自分から進んで告白したいと思う人間はそうはいまい。

 さらに言えば、下の者は上の者に従う権威性を日本人は行動様式としているだけではなく、上が命令したことに忠実に従っただけだを口実に、自らの責任を回 避する無責任性を多くが日本人性としている。今でも会社のためにしたことで、俺には責任はないといったふうに。そういった罪悪感を持てない人間は取調べといった強制力が働かない限り、自ら申し出るだろうか。

 また、軍中央の命令ではなく、出先部隊が勝手にした強制的な従軍慰安婦募集であったなら、「文書」などは上官が余程の文書マニアでなければ、最初から存在しないだろう。インドネシアのオランダ人抑留所で起きたオランダ人女性の強制的従軍慰安婦狩りは「2カ月後、事件は軍の中央の知るところとな り、慰安所は直ちに閉鎖された」(NHKスペシャル・「ソニアの日記」)ということだから、インドネシア日本軍という出先部隊が勝手にした強制行為であろう。

 07年4月号発行の『文藝春秋』・「『小倉庫次侍従日記』昭和天皇戦時下の肉声」(解説・半藤一利)の<昭和15年9月26日(木)>日付の記述中に、 <后四・四○軍令部次長、后五・○○参謀総長、河内(ハノイ)に於いて中央よりの命令に違反し、出先陸軍に於いて重大事件ありたる模様なり>とある。

 半藤氏は<注>で次のように解説している。<軍令部次長、参謀総長の上奏は、この日に行われた北部仏印進駐に関するものである。国策となった南進政策の実行で、はじめはフランスとの交渉妥結を見てからの平和進駐の予定であった。そこへ参謀本部作戦課が割り込んでくる。時間のムダであるというのである。結 果、強引に陸軍部隊を越境させ、フランス軍との交戦という失態を招いた。平和交渉のため苦心していた現地の責任者は窮地に立ち、 東京に打たれた電報「統帥乱れて信を中外に失う」は、昭和史に残る名言となっている。日本の武力進駐に対抗して、アメリカは屑鉄の全面禁輸という 強硬政策を断行した。>

 統帥権は天皇にあり、その統帥を無視する程に<出先陸軍>は傲慢・放縦であった。その傲慢・放縦が陸軍内部でも、各出先部隊で演じられていなかった保証はない。インドネシアのオランダ人女性狩りは、その傲慢・放縦の典型例であろう。

 <秦郁彦「さらに言えば、さっきこれ目撃証言についての話が出なかったんですけど、韓国の女性、元慰安婦たちですね、出てきた一人たちの中で、 身の上話がずっとあるわけです。誰一人証人がいないんです」

 小池アナ「自分で言ってるだけ?」

 秦「言ってるだけでね。普通はですね、そういうひどい目に遭ったとか近所の人だとか、友達だとか、家族だとか、連れてきて証言させますよね。そ しないともう法廷では取り上げてくれない。一人も出ていないです」>

 『日本史広辞典』(山川出版社)で【従軍慰安婦】の項目を見てみると、<昭和初期の戦地で日本軍将兵の性的慰安をさせられた女性。軍慰安所は 1932年(昭和7)上海事変時に存在していたが、南京大虐殺直後の37年末から軍の政策として本格化した。占領地女性への強姦防止、性病罹患による戦力低下防止を目的とし、若く性病の心配のない植民地下の朝鮮人女性が大量に連行され、占領地では現地女性も駆り出された。91年(平成3) に元慰安婦の証言や補償請求裁判が行われ、92年に軍の全面関与を示す公文書が発見されて日本政府は公式に謝罪したが、補償は解決済みとしたため、国際的 な議論をよんでいる。>

 1937年から本格的に<若く性病の心配のない植民地下の朝鮮人女性が大量に連行され>た。そして54年後の1991年に<元慰安婦の証言や補償請求裁判が行われ>た。15歳で従軍慰安婦にされたとしても、69歳となっている。敗戦の年の1945年の15歳だったとしても、1991年は46年後で、61歳である。

 本人がそういった年齢にあるというだけではなく、平均年齢が現在程には高くない時代だったのだから、「近所の人だとか、友達だとか、家族だとか」がどれ程生き残っているというのだろうか。例え生き残っていたとしても、年老いた者がどれ程に4~50年前のことを記憶しているだろうか。平和な時代の 平和な土地で起きたことではなく、植民地下の日本兵が好き勝手をやっていた混乱状況での出来事であるし、狩り出すについても、目的を正直には伝えなかっただろう。 「お前ら、素っ裸になって天皇の大日本帝国軍人を相手に日本兵の士気を高めるんだ。有難く思っておとなしくついてこい」と追い回しはしなかったはずだ。

 大体が売春を職業としていた女性でも、恥ずべき職業としてひた隠に隠さなければならなかった時代だったのだから、ましてやそういったことに無関係な一般女性であったなら、後で知ることとなった役柄は誰にも知られたくなかっただろうし、隠すだけが精一杯で、あとになって裁判で訴えることになるかもしれないといった心の準備は当時の一般生活者の意識にあったとは考えにくく、それらを総合的に考慮すると、秦郁彦の「証人」云々は、権利意識がまだ薄かった二昔も三昔も前に強姦被害にあった若い女性に裁判を起こしてやるから証人を出せと求めるのと等しい無理難題ではないだろうか。 現在でも泣き寝入りする強姦被害者が存在するくらいである。

 いずれにしても秦郁彦の主張に誠実さを些かも感じなかったが、「広義」でも「狭義」でも従軍慰安婦強制性肯定派に属することからの色眼鏡がなさしめた印象なのだろうか。

 かくこのようにこの番組から取り上げた秦郁彦の主張からでは従軍慰安婦の強制連行はなかったとすることはできないとの趣旨で記事は書いたが、どんなものだろうか。

 ここでお断りしておかなければならないが、秦郁彦が番組の最初の方で従軍慰安婦の月収を「ええ、京城帝国大学のね、卒業生の初任給が75円と言うときで、300円で、前借が3000円ですから」とさも高給取りのように言っていることに対して、〈また広告に記載されている慰安婦の給与だが、ただでさえ女性の地位が低かった戦前の日本で、慰安婦なる類の職業は社会的にまだ蔑まれていた場所に置かれていた。親によって自分たちが食うために売られた女性の場合は買主でもある雇い主の投資したカネの回収手段として寝る場所と着る物・食い 扶持を支給されるぐらいで男を取らされる搾取される存在でもあった。そういった社会的地位の低さから判断しても、社会的境遇の過酷さ・悲惨さから 判断しても、彼女たちが一般的には恵まれた報酬を受けていたとは常識的には考えにくい。そのような常識を覆す「京城帝国大学の卒業生の初任給が75円」に対して「300円」という、帝大卒業生の4倍の破格の月給であり、さらに40倍もの「3000円」の前借という、普通なら出さないに違いない金額状況の裏を返すなら、人件費は需要と供給の関係で決まっていくのだから、女性側の供給不足状況にあり、なかなか集まらなかったから、それだけの金額を提示しなければならなかったという募集事情にあったことの逆証明でもあろう。

 とすると、それだけの金額を出したのだから、「これはもうたくさんいたと思いますよ。あの、こんな条件」とストレートに推測するのは短絡的に過ぎる。〉と解説した。

 鈍感だから、記事にした当時は気づかず、読み直して気づいたが、一般的には「前借が3000円」は無利子というわけではない。江戸時代もそうだったが、明治・大正・昭和と法外な利子を課して返済できないようにして使うことができる間、その身を縛りつけて遊女・売春婦の類いから抜け出すことができないようにしておくのが慣例となっていたはずだ。

 また、月収300円から法外な利子を引いた上に食事代やら衣服代を取り上げるから、300円が丸々手に入るわけではなく、月収の300円という金額だけで京城帝国大学卒業生の初任給75円と比較すること自体に無理があることになるし、これを破格の待遇だと解釈して、たくさんの応募があったと推測、全てが自発的慰安婦だとすることにも無理が生じることになる。

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安倍晋三の積極的平和主義外交の正体が一国平和主義であることを露呈させた露クリミア軍事介入

2014-03-05 06:41:26 | Weblog



 《謝罪と訂正》

 昨日のブログ――《安倍晋三の「侵略や植民地支配を否定したことはない」は肯定しないための狡賢い言葉の詐術 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の最後の方で、「決して否定=肯定とはならない」と書きましたが、「決して否定しない=肯定とはならない」の間違いでした。謝罪します。

 ――ウクライナの領土と主権と国民の分断・侵害に目をつぶることができる安倍日本の対ロシア経済・資源外交継続――

 今回の2月下旬親露派ヤヌコビッチ政権崩壊のウクライナ政変を受けて、ロシアが3月4日、ウクライナのクリミア自治共和国を軍事制圧したマスコミが伝えている。2月下旬にロシアに亡命したヤヌコビッチ大統領が3月1日付の書簡でロシアに軍事介入要請をしていたが、欧米諸国の強い警告を無視した軍事行動である。

 本人は解任を認めていないものの、解任され、ロシアに逃れた大統領の亡命地での要請はロシアの管轄権が及ばないクリミアでの如何なる行動に対しても効力を与えるはずはない。
 
 だが、ロシアは軍事行動を起こして、クリミアを制圧した。クリミアがいくらロシア系住民が6割を占めていて、クリミア住民を保護する名目を掲げたとしても、ウクライナの暫定政権の要請を受けた行動ではない以上、その正当性はなく、ウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する国際法違反に他ならない。

 ヤヌコビッチには報道弾圧や多数の市民殺害、国費乱費の疑いも出ている。

 欧米諸国は3月7日(日本時間8日)開幕ソチ冬季パラリンピック式典への政府代表者非出席、6月ソチ開催予定G8サミット準備作業への参加中断の方針等の外交的制裁やロシア経済に打撃を与える経済的制裁、あるいは政治的制裁を検討している。

 では、我が日本の安倍晋三積極的平和主義外交の対応策を見てみる。

 3月3日昼の政府・与党連絡会議。

 安倍晋三「平和的解決を期待する。ウクライナの主権と領土の一体性を強く求めている」(時事ドットコム

 ロシアに対して自制するよう呼び掛けを強める方針だと同記事は伝えている。

 同じ3月3日昼の政府・与党連絡会議の安倍晋三の発言を伝える記事。

 安倍晋三「全当事者が自制と責任を持って慎重に行動し、関連国際法を順守すること、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重することを強く期待する」(ロイター)(下線個所解説体を会話体に治す)

  だが、次の記事を見ると、「ウクライナの主権と領土の一体性」の尊重は言葉だけで、我が日本の安倍晋三積極的平和主義の政治哲学からしたら、ロシアのクリミア自治共和国への軍事介入はウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する国際法違反だとは映っていないようだ。

 《政府 ロシア非難の足並みそろえるも対話は継続》NHK NEWS WEB/2014年3月4日 5時43分)

 記事冒頭解説。〈緊迫するウクライナ情勢を巡り、政府は、ロシアを非難する 欧米諸国と足並みをそろえる一方、北方領土交渉の進展などをにらんで、経済面での協力をはじめとしたロシアとの2国間の対話は引き続き継続したいとしています。〉――

 〈政府は3日、アメリカなどと足並みをそろえ、G7=先進7か国の枠組みで、ロシアがウクライナの主権を侵害していると非難したうえで、ロシアのソチで予定されているG8サミット=主要国首脳会議の準備作業を当面中断するとした首脳声明を発表しました。〉

 3月3日参議院予算委員会。

 安倍晋三平和的な手段で解決されることに期待したい。すべての当事者が国際法を順守し、ウクライナの主権と領土の一体性を尊重するよう求める。

 ロシアとの2国間の関係については、プーチ ン大統領との個人的信頼関係をてこに、外相や外務次官級の政治対話を推進し、北方領土問題の解決に向けて平和条約の締結交渉を加速したい」(下線個所解説体を会話体に直す)

 記事末尾解説。〈政府は、日ロ双方の閣僚や企業経営者らが出席して今月東京で開かれる「日ロ投資フォーラム」を予定どおり開催する方向で準備を進めるとともに、来月に予定されている岸田外務大臣のロシア訪問も今の時点で変更はないとしています。

 このように政府はウクライナ情勢を巡って、アメリカなど欧米諸国と足並みをそろえる一方で、ロシアとの2国間の対話は引き続き継続したいとしています。〉――

 要するにロシア非難の足並みは欧米諸国と揃えるものの、経済制裁や政治的制裁は一切行わないことを早々と宣言した。

 当然、欧米諸国と足並みを揃えたロシア非難は実体を伴わない言葉だけとなる。

 ウクライナの領土と主権と国民の分断と侵害の危険性を考えない自国国益だけを考えた安倍晋三の積極的平和主義外交は一国平和主義を正体としていることになる。

 この安倍晋三の積極主義的平和外交が正体としている一国平和主義に内閣の一員として茂木経産相が同一歩調を示している。3月4日閣議後記者会見。

 茂木経産省 「これからも事態を注視するが、今のところロシアとの間における経済外交や資源外交に方針変更はない。現時点でウクライナで邦人や日本企業に何らかの被害が出ているという報告は受けていない」(MSN産経

 ウクライナ在住の日本人や日本企業しか視野に入っていないらしい。

 この記者会見がロシアがクリミアを軍事制圧する前に行われたとしても、既に見せていたロシアの軍事介入の構えがウクライナの領土と主権と国民を分断・侵害する危険性を日本の閣僚として予測していなければならなかったことを考えると、安倍晋三の積極的平和主義外交と同様に自国のことだけを頭に入れた一国平和主義の観点に立った発言としか映らない。

 安倍晋三はいくら北方四島問題を抱えていたとしても、日本は制裁グループには属さないよ、制裁の実体化は行わないよとロシアに対してシグナルを早々と送ったのである。

 当然、ロシアのクリミアに対する軍事行動も、ウクライナの領土と主権と国民の分断・侵害の危険性も考慮していなかったことになる。

 安倍晋三「自由や民主主義、人権、法の支配の原則こそが、世界に繁栄をもたらす基盤である、と信じます。日本が、そして世界が、これからも 成長していくために、こうした基本的な価値を共有する国々と、連携を深めてまいります。

  ・・・・・・・・・・

 国際協調主義に基づく積極的平和主義の下、日本は、米国と手を携え、世界の平和と 安定のために、より一層積極的な役割を果たしてまいります」(186回国会安倍晋三施政方針演説/2014年1月24日)――

 何と虚しく響く一国平和主義だろうか。

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安倍晋三の「侵略や植民地支配を否定したことはない」は肯定しないための狡賢い言葉の詐術

2014-03-04 09:55:08 | Weblog



 昨日(2014年3月3日)午後の参議院予算委で那谷屋正義(なたにや まさよし)民主党議員が「村山談話」の一部分を抜粋したパネルを示して、その部分の歴史認識について安倍晋三に質問した。下線は赤色となっている。

  「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)より抜粋

 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を臨んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。

 私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 先に質問の主眼を言うと、「村山談話」が、〈わが国は、遠くない 過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。〉と言っているところの「植民地支配と侵略」 を日本は侵したと歴史認識しているかどうかの追及である。

 那谷屋議員「昨年11月の参議院の外交防衛委員会で我が会派の白眞勲(はく しんくん)議員への答弁でですね、この岸田アジア外交の真骨頂として村山談話をしっかり継承する意志を、まあ、明確にされたのではないかと思っておりますが、そのように理解してよろしいでしょうか。外務大臣、お願いします」
 
 岸田外相「いわゆる歴史認識につきましては、累次申し上げておりますが、えー、『我が国は過去、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対しまして、多大の損害、そして苦痛を与えてきた』

 こうした認識に於いては、安部内閣は同じであり、えー、歴代内閣を、立場を引き継いでいます。そして、これも度々申し上げておりますように、 えー、この我が内閣としましては、ま、歴代内閣を、歴史認識全体を引き継いでおります。

 ま、こういった立場に立って、ご指摘の昨年の参議院外務安全保障委員会、あるいは他の委員会に於いても、答弁をさせて頂いている次第であります」

 岸田は安部内閣として歴史認識全体を引き継いでいるとは言っているが、日本の戦前の戦争が「植民地支配と侵略」であったと、直接的に言及しているわけではない。過去に於いて多大の損害と苦痛を与えたと言ったに過ぎない。

 だが、那谷屋議員はそうとは解釈しなかった。

 那谷屋議員「つまり、この談話をしっかりと継承するという意志と、本当に理解してよろしいでしょうか。イエスかノーかで」

 岸田外相「えー、歴代内閣の歴史認識全体を引き継いでいるわけですので、その中の一つの歴史認識、あるいはその一部分を当然引き継いでいると認識しております」 

 「その中の一つの歴史認識、あるいはその一部分」とは、当然、日本の戦前の戦争が「植民地支配と侵略」だったとしていることを指すはずだ。だが、「その中の一つの歴史認識、あるいはその一部分を当然引き継いでいると認識しております」と言いはするが、安倍晋三と同様に日本の戦前の戦争が「植民地支配と侵略だった」とは決して言わない。

 いわば間接的・婉曲的言い回しで片付けている。ここが歴史修正主義者安倍晋三とその一派の歴史認識の胡散臭いところである。

 那谷屋議員「それではパネルの方にありますけれども、赤い線、そして黄色く塗った部分ですけれども、『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって』ここまで黄色の部分。

 『多くの国々、と りわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』という部分でございます。

 えー総理、色々な場面で質問があったときですね、総理は『わが国は』から黄色い部分を省略されて、『かつて』というふうに言葉を置き替えられております。そして『多くの国々、とりわけ』云々というふうに言われているわけですけれども、今の外務大臣の答弁を踏まえてですね、総理の同じであるというふうに認識してよろしいでしょうか」

 那谷屋議員が安倍晋三が「『わが国は』から黄色い部分を省略されて、『かつて』というふうに言葉を置き替え」たと言っていることは、2013年5月23日都内開催の第19回国際交流会議「アジアの未来」晩餐会での安倍晋三のスピーチ等を指すのだろう。

 安倍晋三「わが国は、かつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と、苦痛を与えました。そのことに対する痛切な反省が、戦後日本の原点でした」 

 村山談話の「わが国は」以下の「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」までの文言を省略して、「かつて」という言葉に置き替えことを国会で何度か追及されたとして追及しているのだろう。

 安倍晋三「ま、これは、その累次、答弁させて頂いておりますように、累次の機会に申し上げてきたとおりでありますが、『我が国が多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対しまして、多大の損害、そして苦痛を与えてきた』、その認識に於いては安部内閣としても同じであり、これまでの歴代内閣の立場を引き継いでいるわけであります。

 戦後我が国は深刻な反省の上に立って、自由で民主的で基本的人権や法の支配を尊ぶ国を造り、戦後の68年に亘り平和国家として歩んできた。この歩みは今も変わらない。

 これが累次申し上げてきた私の考えであります」

 那谷屋正義議員「累次考えられたことじゃなくて、そこのですね、『かつて』と言われたんですが、ここに書いてある『遠くない 過去の一時期、国策を誤り』云々、ここの同じ認識だと考えてよろしいでしょうか」

 なぜもっと端的に、「日本の戦前の戦争は植民地支配と侵略だったと歴史認識しているのかどうなのか」と追及できないのだろうか。

 安倍晋三「今申し上げたとおりですね、これまでの歴代内閣の立場を引き継いでいるわけであります」

 那谷屋議員「まあ、この際ですから、『かつて』と言われたんですから、そうじゃなくて、この黄色い部分を含めて、どういうふうなことか、ちょっと言って頂くと、なる程なと思うのですけど、如何ですか」

 まわりくどいだけで、的を得ない、曖昧な言い方に終始している。村山談話が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」云々と言っている部分を省略して、「かつて」という言葉に置き替えたが、なぜ省略したのかと単刀直入に質問できないのだろうか。

 「省いたままなら、村山談話の歴史認識を引き継いでいることにはならない」と。

 安倍晋三「あの、今まで、これは何回も、答弁させて頂いていますが、この答弁で確定させて頂いているわけでありますが、えー、誤解があるといけませんので、フクチョウ(としか聞こえなかった。「復唱」のことか?)させて頂きますと、安部内閣としてはですね、侵略や植民地支配を否定してきたことは、勿論、一度もないわけでありまして、その上に於いて、累次の機会に申し上げてきたとおりですね、『わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた』、その認識に於いては、安部内閣としても同じであり、これまでの歴代内閣の立場を引き継いでいるということであります」

 与野党委員が一人ずつ委員長席に近づいて、何か話しかけている間中断。片山さつきが近づく。すぐに再開。

 那谷屋議員「一度言った答弁は変えられないという、まあ、堅い話があるのかもしれませんが、しかし外務大臣がその都度質問によって変えられたんです、委員会の中で(岸田外相が自席で否定するよう首を振り、苦笑いする。)。そして最初はですね、今みたいな感じで全体を踏襲するというふうに言われた。

 いや、議事録を見て頂ければ、お分かりになると思いますけど。その中で最後の最後までですね、黄色い部分についてもしっかりと踏襲するんですねと、いうお話をしたときに、全体的にも部分的にも踏襲するというお答を頂いたわけです。

 この黄色い部分も踏襲するということを是非、あの、するんであれば、答えて頂ければと思います」

 言葉の使い方に首を傾げたくなる個所がいくつかある。那谷屋議員は岸田外相が「侵略や植民地支配」という言葉を使わないで、「歴史認識全体を引き継いでいる」と言い、「その中の一つ」、「一部分」を引き継いでいると言うことで、明らかに曖昧さを残している。

 安倍晋三「岸田外務大臣は勿論、安部内閣の一員としての、外務大臣としての答弁をしているわけでございます。そして、ま、この、答弁、として、今まで、いわば事実上確定している、安部内閣の答弁としては、この問題について確定をしておりますので、もう一度、お答えさせて頂きますと、安部内閣として、侵略や植民地支配を否定してきたことは一度もないということでございます。

 累次の機会に申し上げてきたとおり、『わが国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えてきた』、その認識に於いては、安部内閣としても同じであり、これまでの歴代内閣の立場を引き継いでいる。

 戦後我が国はこの深刻な反省の上に立って、自由で民主的で基本的人権や法の支配を尊ぶ国を造り、戦後の68年に亘り平和国家として歩んできた。この歩みは今も変わらない、であります」

 那谷屋議員「まあ、あの、黄色い部分を『かつて』というふうに要約されたのかな、というふうに理解をしますけども、要約していい部分と悪い部分があると思うんです。あれだけ立派な見解をお持ちなんですから、ここんところを一字一句しっかりと入れて頂くことは、私は大事だということを指摘して置きたいと思います」

 安倍晋三の靖国神社参拝問題に移る。

 安倍晋三は「村山談話」が認めている「植民地支配と侵略」を要約したわけではなく、無視したに過ぎない。勿論、安倍晋三自身、日本の戦前の戦争を「植民地支配と侵略」を目的としたものだと認めていなからに他ならない。

 那谷屋議員は「あれだけ立派な見解をお持ちなんですから」と、盗人に追い銭みたいな賛辞を安倍晋三に贈っているが、その見解とは、「戦後我が国は深刻な反省の上に立って、自由で民主的で基本的人権や法の支配を尊ぶ国を造り、戦後の68年に亘り平和国家として歩んできた。この歩みは今も変わらない」と言っていることを指す。

 だが、「植民地支配と侵略」を認めていない上での見解であるなら、見せかけの「立派」となる。

 安倍晋三は「安部内閣として、侵略や植民地支配を否定してきたことは一度もない」と二度言い、安部内閣としての確定した歴史認識だとしているが、否定しない=肯定とは限らない。

 自身の妻を、「美しくはないと、その容貌を否定したことは一度もない」としても、「美しい」と肯定したことがなければ、決して否しない定=肯定とはならない。

 安倍晋三が言っている「否定してきたことは一度もない」が事実だとしても、戦前の日本の戦争を「侵略と植民地支配を目的とした戦争だった」と認めることで、肯定することもしていない。肯定はしない否定に過ぎない。

 ここが侵略と植民地支配を明確に肯定している「村山談話」と歴史認識を180度異にしている、見逃してはならない点である。

 要するに歴史修正主義者安倍晋三の「侵略や植民地支配を否定してきたことは一度もない」は、肯定しないための狡賢い言葉の詐術――狡猾なレトリックに過ぎない。

 安倍晋三が「侵略や植民地支配を一度も否定してきたことはない」と答弁したなら、「では、侵略や植民地支配だったということを肯定するということなのか」と単刀直入、シンプルに再質問すればいいものを、聞くことすらしない。

 ムダな言葉ばかり使っている。ムダな言葉遣いは税金のムダ遣いに他ならない。

 安倍晋三は歴史修正主義者・戦前の日本回帰主義者である。日本の戦前の戦争を侵略と植民地支配だったと認めるようなことは決してしない。靖国神社参拝にしても、「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされた兵士に尊崇の念を捧げる」と、兵士の命の犠牲を尊いとする以上、兵士が自身の尊い命を捧げる対象とした戦前日本国家をも価値ある国家だと、兵士の尊い命の犠牲と等価値としなければ、安倍晋三が口実としている参拝は成り立たないことになり、参拝という儀式自体に侵略と植民地支配否定を秘めていると見なければならない。

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「河野談話」は「見直すべきだ」58.6%の世論調査は多層的もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応の証明

2014-03-03 07:38:12 | Weblog


 
 2月22、23両日実施の産経新聞社とFNN合同世論調査は日本軍の従軍慰安婦強制連行を認めた1993年の「河野洋平官房長官談話」の見直し可否と安部内閣の作成過程再検証の賛否を問いている。

 「見直すべきだ」――58.6%
 「見直すべきだと思わない」――23.8%

 「再検証すべきだ」――66.3%

 「再検証すべきではない」は出ていない。

 2月20日の河野談話作成に関わった石原信雄元官房副長官の「裏付け調査なし」、その他の国会証言と、その国会証言と多くの点で交錯する産経新聞の「河野談話」歴史捏造キャンペーンとでも言うべき運動が功を奏した世論調査数値に違いない。

 2月20日の石原信雄元官房副長官の国会証言の骨子は次の3点だと、「MSN産経」記事が伝えている。

 (1)日本軍や官憲が強制的に女性を募集したという客観的資料はない
 (2)談話は韓国での元慰安婦16人への聞き取り調査に基づくが、裏付け調査はしていない
 (3)談話は軍や官憲の直接的指示での募集(強制連行)を認めたわけではない

 何人の従軍慰安婦が存在したのだろうか。「Wikipedia」に次のような記述がある。

 日本軍総数をパラメータ(母数)とし、交代率を加味した計算法から割り出しだそうだ。

 日本軍の強制連行はなかったとの立場を取る秦郁彦日本大学教授は、総数約2万人と推定。
 日本軍の強制連行はあったとの立場を取る吉見義明歴史学者は、総数4万5000と推定。
 民主党は8 - 20万人と推定。
 『マンガ嫌韓流』の著者山野車輪等は、総数を4000人程度であり、また彼女らの中には、現在での何億円にもあたる報酬を受け取っているとしている。

 「河野談話」の元となった内閣官房内閣外政審議室による1993年の日本軍慰安所に関する調査報告書――《いわゆる従軍慰安婦問題につ いて》には慰安婦の人数と慰安所所在地は次のように記されている。

 慰安婦の人数について、〈発見されtら資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足る資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。〉とのみ述べて、具体的な数値は示していないが、〈上記のように長期に〉の意味は、「慰安所が設置された時期」として、〈昭和7年にいわゆる上海事変が勃発した頃から同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、その頃から終戦まで慰安所が存在していたとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりを見せた。〉、上海事変勃発の昭和7年1月から昭和20年8月までの13年間の長期間と、その広がりは同報告書にあるように外地に於ける日本軍慰安所は〈中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア(マラヤ)、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)〉と広範囲に亘っていて、《アジア各地における終戦時日本軍の兵数》社会実情データ図録 /2010年8月9日収録)によると、中国本土だけで終戦時に約112万人の日本軍兵士が駐留していて、未成年女子を含む現地インドネシア人女性を略取・ 誘拐同然で暴力的に連行して慰安婦に仕立てた、二番目に多いオランダ領インドネシアには約29万人の日本軍人が存在、外地総数で約334万5千人もいたのだから、マンガ家山野車輪等の総数4000人程度とした計算は日本軍の罪を限りなく軽くするための意図的な操作としか思えない。

 最低限に見積もったとしても、日本軍の強制連行はなかったとの立場を取る以上、どうしても少なく見積りたい気持が働くに違いな秦郁彦が推定した総数約2万人を止むを得ない順当な数字だと見做さないわけにはいかない。

 となると、日本政府が韓国で行った韓国人元慰安婦16人への聞き取り調査に対して裏付け調査は行っていなかったからと言って、従軍慰安婦総数約2万人-16人=約1万9984人全員が従軍慰安婦ではなかったと証拠立てることはできないし、また、日本軍や官憲が強制的に女性を連行したことを直接的に示す客観的資料は存在しなかったからと言って、そのことを以って日本軍占領インドネシアに於いてオランダ人未成年女子を含む若い女性をその収容所から日本軍兵士が強制的に連行し慰安婦とした罪に対してオランダ政府設立の裁判で死刑1人を含む判決を受けた歴史的事実や、インドネシア人元慰安婦に対する複数の聞き取り調査で暴力的な連行が立証されている事実が存在する以上、従軍慰安婦総数約2万人-16人=約1万9984人全員が日本軍の強制的関与なくして自発的意思のもと従軍慰安婦となったとする証拠とはならないはずだ。

 資料のみが事実を根拠立てるわけではない。資料が存在しなくても、事実が存在する場合もあるし、事実に反した資料というものも存在する。

 だとすると、2月22、23両日実施の産経新聞社とFNN合同世論調査での「河野談話」は「見直すべきだ」の58.6%は、2月20日の石原信雄元官房副長官国会証言の限られた事実を以って、あるいは石原証言の事実に加えて産経新聞の「河野談話」歴史捏造キャンペーンとでも言うべき運動が描き出した、それでも限られている事実を以って全体の事実とする多層的、もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応と言わざるを得ない。

 歴史修正主義者・国家主義者の安倍晋三はこのような58.6%の多層的もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応に応じて「河野談話」作成過程再検証の動きに出た。

 いわば安倍晋三自身が多層的もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応に陥ったことを示したことになる。

 このような多層的もしくは総体的思考を欠いた短絡的反応が一国のリーダーを筆頭として社会に支配的となったとき、戦前の日本のように右向け右といった単一価値が大手を振って罷り通る極めて危険な社会とならない保証はない。

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安倍政権は石破が河野談話検証は「真実の探求」だと言うなら、聞き取り対象を朝鮮人元慰安婦から他に広げよ

2014-03-02 09:33:09 | Weblog

 

 1993年の河野談話作成に関わった石原信雄元官房副長官が2月20日の衆院予算委で作成の基となった元慰安婦の証言の裏付け調査は行っていなかったと答弁したことで、慰安婦に対する強制連行はなかったとする主張が、今始まったことではなく、前々からの動きだが、一段と水を得た魚のように勢いを増してきている。

 歴史修正主義者の国家主義者でもある安倍晋三もその例に洩れず、気づかれぬように心の目を輝かしているはずだが、菅官房長官が有識者等による河野談話作成過程検証チームの設置方針を示した。

 この検証に石破茂自民党幹事長が発言している。《石破氏「河野 談話検証は真実の探究」》NHK NEWS WEB/2014年3月1日 18時19分)

 「真実」なる言葉を持ち出すとは、何と大袈裟な。名古屋市での記者団に対する発言である。

 石破茂「政府は河野談話の内容ではなく、作成過程を検証すると言っている。直接当事者から聞き取りをして確認したことにはいろいろな議論があり、さらに真実を探究するということだ。より客観的に、より正確にということだと認識しており、パク大統領の発言とそごがあるものではない」

 同記事はパク・クネ大統領の、独立運動が始まった1919年〈大正8年〉3月1日を記念する式典で演説した発言も伝えている。

 パク・クネ大統領「歴史の真実は生きている人たちの証言だ」――

 要するに裏付け調査はなくても、生きている人たちの証言こそが歴史の真実を伝えていると言っている。

 どちらに軍配を上げるかは別にして、石破が言っている、「河野談話の内容ではなく、作成過程を検証すると言っている」の発言には矛盾がある。作成過程に間違いがあるとなった場合、内容は否定されることになる。

 大体が、談話そのものの否定を前提の検証である。特に歴史修正主義者安倍晋三はそのように魂胆しているはずだ。「河野談話」は「孫の代までの不名誉」だとさえ国会で答弁していることが証明する。

 「河野談話」は韓国で行った韓国人元慰安婦16人への聞き取り調査に基づいた報告だという。だが、その聞き取り証言の裏付け調査は行わなかった。河野談話見直し派は警察が殺人事件の取調べで犯人が「私は殺してはいません」と言ったことを裏付け捜査もなしに言葉通りに信じて真犯人ではないと断定したようなものだと思っているのだろう。

 だがである、石破茂が「河野談話」の見直し検証が「真実の探求」だと大袈裟に言うなら、聞き取り再調査は未だ16人が存命かどうかは分からないが、16人と16人が証言した自分たちが連行されたとしている日本軍慰安所のみを再調査対象とするのではなく、政府が1993年〈平成5年〉に調査・確認した全ての地域の全ての慰安所と、生存していたならこのぐらいだと推定できる年齢層の全ての現地住民まで再調査対象を洩れなく大袈裟に広げて初めて、「真実の探求」と言えるはずだ。

 政府調査報告書の《いわゆる従軍慰安婦問題について》内閣官房内閣外政審議室/1993年〈平成5年〉8月4日)に、慰安所所在地は次のように記されている。

 〈日本軍慰安所は日本、沖縄、中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア(マラヤ)、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)に設置されていた。〉――
 
 既にブログに取り上げているが、インドネシアでは日本軍は現地未成年少女を暴力的に略取・誘拐して慰安婦に仕立ていることをインドネシア人作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏と日本人作家の鈴木隆史氏、東南アジア社会史研究者の倉沢愛子氏が聞き取り調査を行っていて、倉沢愛子氏の場合はその調査結果を、《インドネシアにおける慰安婦調査報告》に載せている。  

 プラムディア・アナンタ・トゥール氏は2006年に既に他界しているが、聞き取り調査を記した書物と鈴木隆史氏の聞き取り調査報告(プラムディア・アナンタ・トゥール氏著作の日本語訳『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』に収められている。)と倉沢愛子氏調査報告を「河野談話」と見立て、インドネシア人元慰安婦の存命を調査し、存命していた場合の元慰安婦に再聴取を行った上で、その証言が事実か虚偽かの裏付け調査を行うべきだろう。

 また、存命していなくても、親交のあった同年齢の存命者を探し出して、どのよう人生を歩んだのか聞き取りを行うことによって徹底的な裏付け調査――「真実の探求」とすることができる。

 インドネシアでは日本軍がオランダ人未成年者を含む成人女性を暴力的に連行して慰安婦にしていることは誰も否定することのできない歴史の事実として刻みつけられている。

 日本軍にこれらの暴力的な強制連行を許したのは日本軍が持つ暴力的な権威主義性であろう。法を無視し、人権を無視して占領地の原住民を一個の人間・一個の人格と認めなかった暴力的な権威主義性は自分たちを超越的立場に立たしめることによって可能となる。

 この超越的姿勢はインドネシア等を占領していた日本兵特有の傾向で、朝鮮半島ではなかった傾向だとすることはできない。労働力として徴用した韓国人男性に対する暴力的連行にしても、日本軍が背景に控えていて官憲等を使った発揮させた、自分たちを超越的立場に立たせた暴力的な権威主義性を力としていたからだ。

 上記《いわゆる従軍慰安婦問題について》には、〈慰安所設置の経緯〉として、次のように記述している。

 〈各地おける慰安所の解説は当時の軍当局の要請によるものだが、当時の政府内資料によれば、旧日本軍占領地域内において日本軍人が住民に対して強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。〉――

 どの戦争でも、占領地では占領軍兵士による原住民女性に対する強姦事件は存在し、跡を絶たない状況にあっただろうが、日本軍が慰安所設立を軍の制度とし、正規の募集以外に兵士が軍用トラックや将校が使用する軍乗用車を使って未成年女性であろうと構わずに数人単位で暴力的に略取・誘拐して軍設置の慰安所に連れ込み、強姦同様の扱いをした暴力的な権威主義性の発揮は日本軍以外に見ることができるだろうか。

 当然、韓国人元慰安婦16人への聞き取り調査に基づいた「河野談話」の否定は中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア(マラヤ)、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)のすべての地域での否定に対応していることによって、初めて正当性を得ることになる。

 否定の相互対応を証明して始めて、「真実の探求」だ、河野談話は歴史のマヤカシだと胸を張ることができる。

 石破茂さん、誰から見ても公平公正・不偏不党だと思うことのできる「真実の探求」を行ってください。歴史修正主義者安倍晋三とその一派だけが公平公正・不偏不党だと思うことのできる「真実の探求」は籾井勝人NHK会長の言う公平公正・不偏不党と同じく悪臭を放つことになる。

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