1/17NHK日曜討論「“18歳選挙権”政治はどう変わるか」を「利害」をキーワードに独断と偏見で考察

2016-01-19 12:29:54 | 政治

 最初の独断と偏見。当たり前のことであるが、人間は利害の生き物ではあるが、年収や年代、あるいは性別、あるいは地域等々の国民各階層毎、各集団毎、各地域毎の差異によって利害を異にしている。

 人間がすべての人間の利害を一致させ、満足させることはできない。そこに人類の限界があり、万能ではない。このことによって利害の対立や利害の相違が起こり、社会の様々な矛盾となって現れる。

 政治は対立し、社会の相違する様々な利害を調整して、社会の統一を図ることを役目の一つとしているが、人間がすべての人間の利害を一致させ、満足させることはできない能力の限界を反映させて、性別の違い、年齢の違い、年収の違い、地域の違い等々を超えて、全ての階層、全ての集団、全ての国民に亘って、それぞれの利害を平等に代弁する政策を構築するだけの能力は持たず、国民各階層毎、各集団毎、各地域毎の利害を代弁する形でしか構築し得ない。

 一見すると、国民全般に亘って一致した利害を与える政策のように見えても、それぞれが受ける恩恵に違いや差が出ない政策は存在しない。

 この限界が異なる利害をそれぞれに代弁して政策に反映する政治集団が生じることになる。

 極言すると、政策とは何らかの存在のためにする利害そのものであると言うこともできる。

 当然、政治集団毎に政権を獲得して、自らの政策を実現しようとする政策集団毎の利害の戦いが生じる。

 いわば政策の実現は利害の実現をも意味する。

 断るまでもなく、政権の実現は獲得する議席の数によって決定する。数の力が絶対要件となる利害の実現ともなる。

 数は選挙によって決まる。いわばそれぞれの利害に結びついていくそれぞれの政策の実現は数の力に頼らなければならないために安倍晋三が2014年の総選挙で使ったように国民の大多数が反対する新安保法制は争点から隠して、国民の多くから受入れられた消費税10%への増税を先送りして、8%のままの消費動向下でのアベノミクスの成否を問うことを争点の真正面に据えて勝利を獲得したように多数の、あるいは大多数の国民の利害と一致しない不人気な政策は争点隠しという方法で国民の目・国民の関心から遠ざけるか、あるいは多くの国民の利害と一致する支持率の高い政策と抱き合わせて、一致する利害を争点の正面に掲げて戦うといったことが起きる。

 みかんをビニール袋に入れて売るとき、一定の大きさで形の揃ったみかんは表面に並べて、形がそれよりも小さなみかんは内側に隠して見えなくするようにである。

 利害という言葉をキーワードにすると、政治は理解しやすくなる。

 政策という利害の実現が数の力が有力となり得るゆえに利害をほぼ同じくする政治集団が一度大きな組織となると、数を恃む(たのむ・「それを力として、たよる」)力が組織の内側からだけではなく、外からも働いて、政策の利害を同じくしていなくても、同じを装い、あるいは類似を以って同じだとして、その集団に取り入ってくる現象も起きる。

 選挙に有利だからと党員となり、公認を得て選挙を戦って勝ち、国会議員になる人間も出現することになる。

 2016年1月17日放送のNHK総合放送「日曜討論「“18歳選挙権”政治はどう変わるか」を観た。放送概要は、〈夏の参院選で導入される“18歳選挙権”。有権者に加わるのは約240万人。若者の政治参加は進むか?若者と政治の距離をどう縮めるか?若者の本音に専門家はどう答える?〉と紹介されている。 

 出演者をネットと番組から見てみる。顔写真は「日曜討論」サイトからのもので、左上から順にお笑いタレント、上智大学文学部新聞学科生の春香クリスティーン(23歳)。若者の声を政治に届ける団体を立ち上げた「日本若者協議会代表大学1年生富樫泰良(とがし・たいら)。高校3年生、マーケティング会社社長の椎木里佳(しいき・りか)、下段は左が元東大総長、政治学者の佐々木毅(73歳)、右側が専門は公共政策、情報社会論、東京工業大学大学マネジメントセンター准教授の西田亮介(32歳)の面々。

 司会は島田敏男と中川緑。

 春香クリスティーンをお笑いタレントと侮るなかれ。お笑いタレントのピース又吉直樹が芥川賞受賞作家に大バケしたように春香クリスティーンもなかなかの政治評論家に大バケしている。

 全部の発言を取り上げない。私自身が独断と偏見で的確な判断の発言となっているのか否かを基準に取り上げてみた。

 司会者島田「今年6月からスタートする18歳選挙権、この意義について」

 佐々木毅「煎じ詰めれば、日本の政治が若者へと軸足を動かすという、そういうメッセージと受け止めるべきだろうと。あとはそれがどのように成長するか、どのような効果を生むかということを考えますと、これは大変大きな出来事ではないかと、こんなふうに思っています」

 政治が利害の営みである以上、「日本の政治が若者へと軸足を動かす」と言うことはない。軸足を外された世代・集団が反発することになるだろう。少なくとも表面上は軸足はそれぞれに置かなければならないし、利害の大小に応じて軸足の置き方が違ってくる。

 但し若者の歓心を買うために若者の利害を取り入れた政策を打ち出す可能性は否定できない。若者の票を取り込むことが政権維持、あるいは党勢の拡大の利害と一致するからだ。

 尤もそれが真剣に若者の利害を取り入れた政策であったとしても、政治の側は他の利害との兼ね合いがあるから、それぞれに優劣をつけることはあっても、他の利害と並立させることになり、どの利害を優先的に選択するか、あるいは若者の利害のみを優先させるか、若者の側の利害の選択に移ることになって、利害をどう判断するかということから逃れることができるわけではない。

 後で大学に進学する若者には有利な利害となる給付型の奨学金の話が出てくるが、憲法9条改正の政策を同時に掲げられたら、大学に進学する若者に有利な利害だけを考えて1票を投じる若者と、有利な利害を敢えて無視して、認めることができない利害を拒絶する形でその政党に1票を投じない若者とに別れるはずだ。

 全てに一致する利害なるものは存在しないことは既に書いた。利害の一致こそが自身にとっての理想の政策となる。利害と無縁の理想の政治など存在しない。

 安倍晋三という国家主義の政治家に危険な臭いを感じていたとしても消費税増税先送りという一点で自身の利害と一致させ、自民党に投票した国民は多いはずだ。

 司会者島田「富樫さん、この新しい仕組みの導入、これによって日本の政治は変わって行くと思いますか」

 富樫泰良「そうですね、私は変わっていくというふうに思っています。それよりですね、既に変わり始めているのではないかと思っています。私が所属する『日本若者協議会』では、各政党と政策協議というのを行ってきました。

 その中で各政党がですね、今まで以上に若者に声を傾けているなという印象を強く持っています。それと同時にですね、世間で政治家だけではなく、世間の中でも多くの大人が若者はどう感じているのだろうということを気にするようになってきなのかなというふうに感じます。

 ですから、私たちはやはり若者の政治参加へ政治は変わるというふうに思っています」

 政治家が自らの選挙区の企業や業界団体を訪ねて支持や協力をお願いするとき、企業毎、業界団体毎によく耳を傾ける。これ以上ないという愛想のよい低姿勢で要望を受け止める約束をする。企業や業界の利害が1票の積み重ねという自身の利害に直結していくからだ。

 また、企業、業界の利害を代弁する努力をしたとしても、優劣が生じる。そして企業や業界の利害を優先的に代弁することで多くの個人の利害が阻害される事態が生じることになる。すべての利害を平等に代弁することはできる能力を人間は持っていないからなのは勿論のことである。

 当然、若者の集まりに出たとき、「今まで以上に若者に声を傾け」ることになる。票がかかっていることは何でもする。政策の実現とは別問題である。

 「世間の中でも多くの大人が若者はどう感じているのだろうということを気にするようになってき」たとしても、大人たちが自身の利害を手放して若者の利害に代える保証はない。

 代えさせるためには戦わなければならない。戦いは数が力を発揮することになる。利害をほぼ同じくする若者を集めて、数を以って力と成し、若者の(と言っても、若者全てではない)利害に結びつく政策を提示し、その実現を求めるしかない。

 若者でも大学に進学する者、進学している者、中卒だけの若者、裕福な家に育った若者、貧乏人の息子という立場の若者、それぞれに利害は異なる。当然、望む政策も違ってくる。

 司会者島田「でも、高校生とお話してみると、必ずしもみんな政治に積極的ということはないように私は感じるのですけど」

 椎木里佳「私達が選挙に行ったところで政治家の人たちが変わるのかなっていうのかな、そこが凄く疑問で、みんなと話してても、『選挙行く?』みたいな。

 そもそも選挙行く方法もみんな分かっていないですし、投票所に行って、どうするのみたいな。お爺ちゃん、お婆ちゃんしかいないでしょ、私達アウエイでしょみたいな。

 そういった固定観念があるので、すぐに変わるのは難しいんじゃないかないかなとすごく思います」

 政治家は国会議員の経歴が長くなる程、複数の一定の個人・複数の一定の組織との利害関係が強化され、そこから離れることの自由が利かない状態に閉じ込められている。すぐに他の利害よりも若者の利害を優先的に代弁して、尚且つ広い層の国民が従来の利害を無視して、そのことだけに1票を投じたくなる若者ためだけの政策を構築することは難しいだろう。

 だとすると、やはり利害をほぼ同じくする若者の政治集団をつくって、自らの利害の実現に結びつく政策を世に問う道が有力な方法となる。

 司会者島田「春香さんはこの18歳選挙権導入によって、どんなことが生じると思いますか」

 春香クリスティーン「大きく変わるチャンスだと思っていますね。やはり18歳と20歳(はたち)って大きく違うなと感じたのは私が20歳の時に(大学の)同級生がやっぱり東京に上京してしまって、住民票が地元にあって、それで最初の選挙をやっぱ、行けない、行かない、ということで伸ばして、それで初めての投票のチャンスを逃してしまって、そっから後、ずっと行かなくなってしまう。

 そういうことがあるんで、18歳だとまだ高校生で、まだ地元にいたり、家族と一緒に過ごしているていう期間の人がかなり多いと思うので、家族と話す機会が増えたり、地元にいて、家族と(投票に)行くかもしれない。

 そういうチャンスがあると思うので、18歳と20歳でそういう違いがあるのかなと、たかが2歳ですけど、大きく違いますし、今回注目される初めての18歳選挙権ということは注目されていることが大きなチャンスであると思います」

  確かに注目されることが下手な行動はできないという思いを駆り立てるチャンスとはなる。マスコミは18歳から20歳までの有権者の投票率をこれまでの20代の低投票率と比較して大々的に報じることになるだろう。

 18歳で地元にいる若者が選挙のことで家族と話す機会が増えるかどうかは普段の親子のコミュニケーションの質と量がモノを言う。親子のコミュニケーションが少なく、友達とスマホのラインで他愛もないお喋りで1日の多くの持間を過ごしているようでは親子の間で政治の話が飛び交う機会は期待できないことになる。

 若者が何に関心を持つか持たないかは親が子どもに対して幼い頃から日常的に提供している話題も影響するが、学校教育も教え方次第で関心の向け方に大きな影響を与える。

 上の世代と若者世代の考え方・物の見方の議論となった。

 富樫泰良「上の世代と私達の世代は決して敵ではない。お孫さんの方々の未来を考えている方々だと思いますので、お孫さんの未来を考えていない方はいらっしゃらない。

 私たちの意見と上の世代の意見とそこで先ず、シルバーデモクラシー(高齢者多数の状況により、若者よりも高齢者の利害がより多く投票に現れる現象)ということもありますけれども、確かに数は私たちは負けるかもしれません。

 しかし話し合いをしているし、それこそ家庭内の議論とかあれば、若者の政治参加というのも進むのではないかと思います。お互いが歩み寄るということが大事だと思いますね」

 上の世代は当然、存在すれば孫の未来を考える。その孫が若者世代と年齢的に一致すれは、相互の利害は一致するかもしれないが、上の世代の立場や地位に応じてそれぞれに利害を異にしているから、その利害の相違がそのまま孫世代・若者世代に反映することになって、必ずしも若者全般に一致する利害となる保証はない。

 自分が言っているシルバーデモクラシー自体が高齢者の利害が優先的に現れることになる民主主義の欠陥の一つと指摘されている不平等現象であって、当然、利害次第で常に若者が上の世代と「敵ではない」関係を築くとは限らないことになる。
 
 春香クリスティーン「街頭演説を見に行ったときに、お孫さんがなかなか興味を示さないから、私が聞いているっていうお婆ちゃんに出会ったことがあるんですけど、それじゃあダメじゃない?という・・・・。

 お婆ちゃん有り難うと思いつつ、自分たちが考えて発信していかないといけないのにと思うところで、教育っていうのがスイスと日本の違いって凄く感じる部分があって、日本は割りと黒板を写したり、吸収する。板書する(教師が板書した内容をそのままノートに書き写す)という教育だと思うんですけど、主に違うなと思っているのは、スイスでは資料だけ渡されて、これについて、じゃあ思ったことを後になって発表しなさいという授業が非常に多くて、自ら(考えて)発信する機会が割りと多かったと思うんですが、自ら発信する癖をつければ、政治だけに限らず、色々なことを発信する癖をつければ、政治に関しても発信しやすくなるのかなあというふうに思います。

 中川緑「受け身じゃなくて、貴方自身がどう思うんですかという意見が求められ、それを発信することを――」
 
 春香クリスティーン「そうですね、歴史の授業であれ、数学の授業であれ、どんな授業に関しても、そんなふうだった」

 日本の教育は暗記教育で生徒それぞれに考えさせ、考えたことを言葉にして発信する、あるいは生徒それぞれが発信した言葉の妥当性を生徒同士で相互に議論・判断させて、自らの判断の参考にして、その力をつけていく授業を習慣づけていないから、政治に関心を持つ若者が少ないということなのだろう。このあと、20歳で選挙権を獲得するといった政治の制度は学校で暗記式に習うことはあっても、政治の文化を自分たちの考えとして習うことの少なさが政治に対する関心の程度となって現れるといった趣旨の議論が行われた。

 富樫泰良「若者の歓心を高めることができると思っていることは若者政策がマニフェストに入ることです。私たちから提案した政策が政党のマニフェストに載って選挙が始まれば、これは若者の投票率もガクンと上がっていくのではないかなというふうに思っています。

 また、2年前にスウェーデンでは若者担当大臣というものができました。それ以降、若者の政策をEUの中でもリードしてきたわけですけども、日本でも、シルバーデモクラシーと言われてしまっている状態を打破するためにも若者の意見や若者の課題を解決できるような省庁や担当大臣の課題も重要になってくると思います」

 司会者島田「少なくとも奨学金制度の拡充なんてことがいの一番に出てくるでしょう」

 富樫泰良「そうです。返さなくていい奨学金で、どなたでも努力すれば学校に行くことができる、そういった制度も必要ではないかと思っています」

 多くの若者にとって重要な利害となる給付型の奨学金は財源を守ることの利害との関係で決まってくる。どちらの利害を重視することによって票をより多く獲得することができるか、あるいは逆に票離れを少なく済ませることができるかが判断の分かれ目となる。

 前者の利害を重視するために無理をして財源にかかっている利害を無視することもあるだろうし、逆のこともある。

 またどちらであっても、1票を投じるかどうかは奨学金だけの利害に掛けるか、他の利害との兼ね合いで修学金の利害を無視して1票を投じないことにするかは、若者それぞれの利害・判断にかかることになる。当然、給付型奨学金を掲げた政策だけで若者の人数だけの票を集める保証はない。

 当然、若者政策がマニフェストに入っていたとしても、決定権は利害に応じることができるかどうかにかかっていることになる。

 インターネットの利用に話が移った。

 西田亮介「2013年に公職選挙法の改正があって、インターネットを使った選挙運動が可能になって、各政党、若者の団体等始め、様々な情報がネットにも出されるようになりました。

 ただ、インターネットというメディアの性質というものもあるけど、インターネットを自分から検索して探していかないと(情報が)見えない。だとすると、先に政治を見たいなと思っていないと、情報が発信してこないという難しさがある。

 もう一つ、情報を受けたとき、それを咀嚼して理解するためには知識や道具立て持っていることが前提となって、そうでないと、政治と有権者の側で政治の方で有権者を取り込みたいという動機もあるわけですから、そっちの側の動機に流されていってしまうことも懸念されます」

 インターネットに限らず、紙媒体でもテレビ媒体でも、自分からアクセスしていく姿勢を持たないとそれぞれの情報に接することはできないから、「情報が見えない」という状況が続く。例えばテレビの視聴がお笑い番組か、恋愛物、あるいは刑事物といったドラマに限られていて、ニュースや国会中継は見ない習慣なら、政治に関わる情報を咀嚼して理解する知識や道具立は持ちようがない。

 政治問題に触れる媒体が問題ではなく、媒体如何に関わらず、如何に政治に関心を持つかの姿勢が問題となっている。若者の多くはラインで繋がってカレシやカノジョや美味しい食べ物、ファッション等の身の回りのことについてお喋りすることにより多くの興味・関心を持ち、より多くの持間を割いている。そういったことがより切実な生活上の関心事となっている。

 政治の側が有権者を取り込む政治作用も発信媒体が何であっても、今に始まったことではない。既に触れたように国民の利害に適さない不人気な政策を争点から隠す、あるいは国民の利害に適合していることから人気がある政策を釣り針の餌にして抱き合わせで不人気な政策を釣り上げる。前々からよく見てきた政治の姿・選挙の姿であるはずである。

 消費税増税とか、あるいは最悪徴兵制とか戦争開始といった、最大公約数の国民に切実な利害となって降りかかってくる問題が生じない限り、政治に無関心な層は永遠に続く。

 国家指導者が内心にいざとなった場合には徴兵制の発動や戦争を開始する衝動を抱えていたとしても、その姿を露わにしない限り、国民の多くは自身の現状としてある生活上の利害を優先させて、それが阻害されない限り、自らの利害に照らし合わせて考えるすことはしないだろう。

 以上、2016年1月17日放送のNHK「日曜討論」――「“18歳選挙権”政治はどう変わるか」を「違い」という言葉をキーワードにして書く出演者の発言を独断と偏見で眺めてみた。

 18歳選挙権が実現したなら、実現したなりに政治の側のそれぞれの利害と、その利害に対応した18歳から20歳までの若者を含めた国民それぞれの利害が同時に、あるいは別々に作用し合って、その強弱に従って従来どおりに政治及び政策は決定されていくことになるはずだ。

 投票率に関しては大人と言われる世代の投票率も常に高いとは決して言えない。自分たちの総体的な利害に応じて増減が生じているはずだ。人間が様々な利害の生き物である以上、その傾向を若者も引き継ぐことになるだろう。

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沖縄県豊見城市での小4男児自殺の学校長に教育者の姿よりも政治家の姿が見える

2016-01-18 09:28:37 | 教育
 

 ここで言う「政治家」とはいずれの分野の職業であっても、その職業の専門の知識や技術によってではなく、あるいは良好誠実な人柄や人格によってではなく、ハッタリや駆引き、立ち回り上手、馴れ合い、保身、自身を前面に出す、これらの能力を巧妙に発揮して地位をのし上がっていく者を言う。

 「コトバンク」が「ブリタニカ国際大百科事典」を引用して政治家を、「政治活動に従事する人間。政治家はしばしば politicianと statesmanとに分けられる。イタリアの政治学者 G.モスカは,前者を『統治システムにおける最高の地位に達するのに必要な能力をもち,それを維持する仕方を心得ている人物』と定義し,後者を『その知識の広さと洞察力の深さによって,自分が生きている社会の欲求をはっきりと正確に感じ取り,できるだけ衝撃や苦痛を避けて,社会の到達すべき目標に導く最善の手段を発見する方法を知っている人』と定義して,両者を区別している」と解説しているが、ここで言う「政治家」とは、後者であるよりも前者に近い。

 「彼はなかなかの政治家だ」という言葉は、当然、その職業の専門の知識や技術に長けているという意味ではなく、立ち回りや駆引きが長けていることを言う。

 政治の世界ではこの言葉が意味する人間はザラにいる。それでも政治家をしていくことができるのは必要な知識・情報は役人が必要に応じてその都度その都度与えてくれるから、ハッタリや駆引き、立ち回りだけで副大臣だ、大臣だと地位をのし上がっていくことができる。

 昨年、2015年10月12日夜、沖縄県豊見城(とみぐすく)市の小学4年の男児(当時9)が首を吊って自殺を図り、病院に搬送され、7日後の10月19日に死亡した。

 男児は、学校が9月29日に実施したイジメに関する無記名の定期アンケートの自由記述欄に「消しゴムを盗まれた。いじめられていて転校したい」(琉球新報)と書いていたという。  

 だが、担任の男性教諭は読んでいなかった。自殺を図った翌日の10月13日、担任はアンケートを読み、記述に気づき、筆跡などから男児の記述だと判明したという。

 担任がアンケートを実施した9月29日から約2週間、それに目を通すのを放っておいて、自殺の翌日に初めて目を通したということは、自殺の動機となる何らかの訴えが記述されていないか疑ったからであり、急いで目を通したということであろう。

 と言うことは、イジメのアンケートにはイジメを知らせる何らかのサインがあり得ることの知識を持っていたことになる。

 実際にはアンケート実施から早い時間に目を通していて、イジメを訴える記述に気づいていたが、どうってことはないだろうと軽く見て放っておいたところ、自殺を図った、気づいていたことが知れるとヤバイことになるからと、読んでいなかったことにして、自殺を図った翌日に初めて目を通したことにしたのではと疑うこともできるが、事実そうだとしたら、相当な政治家で、行くゆくは出世間違いないだろう。

 事実は今のところ分からない。今後共分からないかもしれない。少なくともアンケートでイジメを訴え、「転校したい」と居場所を失って孤立している状況のSOSを発信し、約2週間、助けを待ったに違いないと推測することは決して間違っていないと言うことができるはずだ。

 男児通学の小学校校長が1月10日、市役所で記者会見している。

 校長「いじめへの対応には注意していたが、男児から相談はなく、事実を把握できなかった。

 (担任がアンケートの内容を2週間読んでいなかったことについて)もう少し早く読んでいたらとも思うが、1学期の終わりで、成績表を一から作らなければならない時期。そちらの業務を優先したのだと思う」(asahi.com) 

 9歳という余りにも若過ぎる年齢の自殺死に対する切実さは言葉のどこからも微塵も感じ取ることができない。「男児から相談はなく、事実を把握できなかった」と言って、そのことを以ってイジメを認知できなかったことの理由としているが、生徒側からの直接の相談のみをイジメの把握手段としているなら、何のためにアンケートを行っているのだろうか。

 2013年9月28日施行の「いじめ防止対策推進法」に基づいて文科省はイジメの早期発見とその防止等を内容とした「いじめの防止等のための対策の内容に関する事項」を2013年10月11日策定、各学校に通知している。文飾は当方。

早期発見  

 いじめは大人の目に付きにくい時間や場所で行われたり、遊びやふざけあいを装って行われたりするなど、大人が気付きにくく判断しにくい形で行われることが多いことを教職員は認識し、ささいな兆候であっても、いじめではないかとの疑いを持って、早い段階から的確に関わりを持ち、いじめを隠したり軽視したりすることなく、いじめを積極的に認知することが必要である。

 このため、日頃から児童生徒の見守りや信頼関係の構築等に努め、児童生徒が示す変化や危険信号を見逃さないようアンテナを高く保つ。あわせて、学校は定期的なアンケート調査や教育相談の実施等により、児童生徒がいじめを訴えやすい体制を整え、いじめの実態把握に取り組む。〉――

 当該小学校が9月29日に実施したアンケートもマスコミは「イジメに関する無記名の定期アンケート」と伝えているが、文科省通知に基づいたイジメ早期発見を目的に定期的に行っているアンケート調査だったはずだ。

 校長というその学校での一番の責任者の立場で子どもの知・育・徳の教育に携わりながら、生徒側からの直接の相談のみをイジメ把握の手段とすることができる。とても教育に詳しく、同時に教育に誠実な態度・人柄が可能とした校長職とは考えることはできない。

 であるなら、ハッタリや駆引きといった資質のみで出世を望み、目指した政治家の体質がこの男を校長にまで上り詰めさせたと見るしかない。

 文科省通知にあるように〈いじめは大人の目に付きにくい時間や場所で行われたり、遊びやふざけあいを装って行われたりするなど、大人が気付きにくく判断しにくい形で行われることが多い〉人権侵害行為であって、教師たちがそのことを常に強く認識していたなら、いわばイジメとはそのような性格のものだとする切迫した危機管理意識を持っていたなら、担任している子どもたちの様子が何事もないように見えたとしても、万が一ということを考えて、万が一ということを考えて備えることが危機管理なのだが、何はさておいても、例え他の用事が忙しくても、第一番に目を通さなければならないアンケート調査であったはずであり、担任自身にしてもイジメのアンケートにはイジメを知らせる何らかのサインがあり得ることの知識を持っていたはずだから、目を通すことは緊急性を要していたとしなければならない。

 例え結果的にイジメに関する記述もなく、自殺を選択する子どもが出てこなかったとしてもである。
 
 だが、担任は、自身の証言が正しければ、そうはしなかった。自殺を図ってから目を通したということは、児童が自殺を図らなければ、永遠に目を通さなかった可能性が強いことになる。

 このことは何事がなくてもイジメの万が一の存在を疑い、自分から進んでそのことに備えようとする危機管理意識を持ち合わせていないことの証明でもある。

 当然、校長は教師管理の全責任を負う者として担任が何事にも優先させて目を通さなかった行為を認めることができない態度とし、担任としてのそのような責任不履行を学校自体の責任、校長の教師管理の不行き届き・怠慢の責任としなければならない。

 校長がいわゆる政治家タイプの教育者ではなく、専門の知識や技術共に備えた人柄や人格が自ずと校長職に導いた教育者であるなら、担任の責任を自らの管理責任としたはずである。

 だが、「もう少し早く読んでいたらとも思うが、1学期の終わりで、成績表を一から作らなければならない時期。そちらの業務を優先したのだと思う」と、担任の何事にも優先させて目を通さなかったことの責任を免除している。

 担任への責任免除は校長の管理責任免除へと自ずと繋がっていく。

 市教委が11月下旬に男児の自殺を伏せて4、5年生全員対象に無記名アンケートを行ったところ、9人が「意地悪されているのを見た」と回答していたとマスコミが伝えている。

 例え調査の結果、イジメが自殺の直接の原因ではなかったことが判明したとしても、担任が9月29日実施のイジメに関する無記名の定期アンケートに早期に目を通していたなら、約2週間後の自殺行為を止めることができた可能性は否定できないし、止めることができたなら、自殺死を背景とした2回めのアンケート調査を行うこともなかったはずだ。

 一度の責任不履行・怠慢が人の生き死にに関係していく。校長・教師は子どもたちの学校教育を預かっているだけではなく、生物学的な命を預かり、同時にそのような命と連動している喜怒哀楽の生きて在る存在性を預かり、そのような存在性が生物学的な命と共に他の生徒による物理的、あるいは精神的暴力によって損なわれないよう極力防止する責任を負っているはずだ。

 だが、校長だけではなく、担任からもそういった責任を感じ取ることはできない。この担任がゆくゆくは校長に出世していくのかどうか分からないが、校長がこのような責任感なくして、あるいは責任意識なくして既にその地位に就いているということは、やはり政治家であることが幸いした校長職ということなのだろう。

 学校校長にとどまらずに、教育力ではなく政治力を益々発揮して教育委員長や学校教育に関する諮問機関等の有識者メンバーとして出世の階段を登って行くに違いない。

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安倍晋三の国民に正直な姿を見せているとは言えないアベノミクス効果としているパート給与増と倒産件数減

2016-01-17 06:50:32 | Weblog


 2016年1月13日の衆院予算委で民主党の山尾志桜里議員が、安倍晋三が被雇用者の賃金の増減は景気回復局面では初期的には賃金の低いパート雇用が増えて、それが母数として加えられることになって全体の賃金が減るから実質賃金で見るのではなく、全体の合計賃金である総雇用者所得で判断すべきだとするその合理性の理由に、金額が変わることはあるが、趣旨自体はバカの一つ覚えで、「私は50万円、妻は25万円。安倍家の収入は合計75万円に増える」と言っていることに対して[パートの実態が分かっていないんじゃないか。女性が働いている環境をご存知じゃない」と追及した。

 この追及に安倍晋三は次のように答弁している。

 安倍晋三「まさに本質を見ない枝葉末節の議論でしてね、本質を見ないと経済は良くなりませんよ。――」

 安倍晋三は総雇用者所得説を譲らず、「私が50万円、妻が25万円」の譬え話は賃金の増減を総雇用者所得で説明することの合理性の例示であって、「私は妻がパートで働き始めたなどと言っていない」と、過去の国会答弁とは異なる強弁を押し通し、いつものことだが、民主党政権時代よりも安倍政権になって各経済指標が良くなっていることをあげつらう伝家の宝刀(いざというときに出す、とっておきの切り札)を抜いて、自己正当化を謀った。

 安倍晋三「大切なことはそんな枝葉末節なことで揚げ足を取っているよりはパートの時間給を上げることですよ。我々はね、パートの時間給を上げてるんじゃないですか(拍手が起こる)。

 これはですね、今まで統計を取っても、高い水準で上がりつつあるわけですよ。大切なことはそうであって、そしてちゃんと仕事を作っていくことですよ。仕事を私たちは作っています。110万作っているという現実を見た方がいいですよ。

 倒産件数は皆さんの時代よりも2割も減っているんですよ。2割倒産件数が減って、翌年はさらにそこから10%も倒産件数が減っている。1万件を減ったということは20年振りのことですよ。

 そういうことが私達政治家に求められていて、そうするためにはどういう指数が見ていかなければならないかということを私は単に説明しただけであって、それをですね、この大切な予算員会の場でですね、延々とこうやって議論しているようでは、これが本来なのかと国民の皆さんは心配しているのではないかと思いますよ」

 質問にまともに答えることに不利になると、民主党政権と比較したプラスの統計値を持ち出して反撃に出る。

 だが、このプラスの統計値はあくまでも全体を一括りした成果・実績であって、個々のケースに何ら矛盾が存在しなければ何も問題はないが、もしそこに無視できない矛盾が存在した場合、それを隠すという情報操作を介した成果・実績の情報提示ということになって、当然、正確性を欠いたゴマカシの説明となる。

 既に安倍晋三は自身に都合のいい統計のみを言い立てて、都合の悪い統計には触れない、隠すと言われているが、「パートの時間給を上げてる」と言っている、あるいは「倒産件数を1万件減らしている」と言っている全体的に一括りしたプラスの統計値の中に個々のケースに関して果たして何ら矛盾が存在しないのだろうか。

 「パートの時間給を上げてる」と言っていることに対してそれ以上に正社員の、特に大企業の正社員の給与が上がっていて、格差が拡大していることを殆どが承知していて、国会でも追及を受けているが、安倍晋三は決して都合の悪い統計は出さない。

 パートの時間給が上がっていると言っていることにもプラスの統計と異なる矛盾が存在する一例を挙げてみる。『「非正規雇用」の現状と課題』(厚生労働省) 

 先ず2014年6月分の所定内給与額からみた8持間労働者の賃金格差を見てみる。正社員・正職員の時給ベースでの平均賃金は1,937円。対して正社員・正職員以外の時給ベースでの平均賃金は1,229円。

 その差は約700円。1日8持間働いて、5600円の差。1カ月22日働いたとして、約12万3千円。1年に換算すると、150万円近くの格差となる。

 この賃金格差はボーナスや残業代にも響いて、格差をより広げることになる。

 次に短時間労働者、いわばパートの正規と非正規の賃金格差は次のようになっている。パートの正社員・正職員の時給ベースでの平均賃金は1,393円。パートの正社員・正職員以外の、いわば非正規のパートの時給ベースでの平均賃金は1,027円。

 その差は366円。労働時間がそれぞれ異なるだろうから、1日、あるいは1ヶ月の正確な差は出てこないが、8持間労働の正社員とパートの正社員の時給のみの差を見てみると、1,937円に対して1,393円。8持間労働の正規と非正規との賃金格差700円より縮まるが、544円の差がある。

 だが、安倍晋三は「安倍政権になって110万人の雇用を増やした」とか、「我々はね、パートの時間給を上げてるんじゃないですか」とプラスの統計値のみを見てその成果、実績を誇るだけで、個々のケースに於ける賃金格差等の矛盾には触れない。

 さらにパートという職種の固定化、少しぐらい上がっても正社員と比較した場合の低賃金であることに変わらないことの固定化にも触れない。

 果たしてこれでは国民に正しい説明を行っていると言えるだろうか。

 では、倒産件数を減らしたと言っていることを見てみる。

 2014年12月14日投開票の衆院選挙を控えた11月30日のNHK総合テレビ「日曜討論」でも同じ趣旨の発言をしていて、《6. 廃業 - 中小企業庁》の記事が掲げていた左の統計画像を用いて、休廃業・解散を含めない自己都合な情報提示を『ブログ』で批判したが、今度は別の記事から見てみる。 

 《全国企業倒産集計・2015年報》帝国データーバンク/2016年1月13日)には次のような記述がある。 

〈倒産件数は8517件、6年連続の前年比減少も2015年第4四半期は増加に転じる。負債総額は2兆108億800万円、3年ぶりの前年比増加〉――

 具体的には2014年の9180件倒産に対して2015年7.2%減の8517件で、確かに安倍晋三が誇っているように倒産件数はアベノミクス効果なのだろう、減っている。だが、2015年7~9月第3四半期倒産件数1,999に対して2015年10~12月の第4四半期は2,118の倒産件数、前月比6.0%の増加、他の四半期は前年比で全てマイナスであったのが、僅かながら0.3%と増加に転じている。

 負債総額で見ると、2014年1兆8678億円の負債に対して2015年7.7%増の2兆108億800万円の負債で、3年ぶりの前年比増となっている。

 負債総額を〈四半期ベースでみると、第2四半期を除く3四半期で前年同期を上回り、とくに第3四半期以降は、2四半期連続で前年同期比2ケタの大幅増加となった。〉と解説している。

 問題点として、「不況型倒産」の合計が2014年7593 件に対して2015年7149 件と減っているものの、「放漫経営」や「設備投資の失敗」、「その他の経営計画の失敗」等の構成比で見ると、2014年82.7%であったのに対して2015年83.9%と、1.2 ポイント上回って、2年連続の前年比増加となっていることを挙げている。

 安倍晋三が「アベノミクスの効果が出てきた」、「足許の景気は良くなっている」、あるいは「デフレは脱却しつつある」と言っていることに対して、「不況型倒産」が割合では2年連続の前年比増加ということは明らかに言っていることと正反対の矛盾を描いていることになる。安倍晋三の言っていることが正しければ、「不況型倒産」は漸減傾向になければならない。

 だが、逆の傾向を辿っている。

 にも関わらず、全体を一括りしたプラスの統計値だけを持ち出して、「倒産件数は皆さんの時代よりも2割も減っているんですよ。2割倒産件数が減って、翌年はさらにそこから10%も倒産件数が減っている。1万件を減ったということは20年振りのことですよ」と、それを以て経済の実態だとしてアベノミクスの成果・業績とする。

 もう一つ安倍晋三が言っている安倍政権下の倒産件数の減少に関して個々のケースで見た場合の無視できない矛盾が存在する。

 新アベノミクスで「1億総活躍社会」のバラ色の夢を描き、そのような社会から遮られている集団である年間10万人を超える介護離職者を介護と離職から解放する「介護離職ゼロ」を掲げているが、その実現の重要な方策として特別養護老人ホーム等の介護施設の整備――受入れ入居者数の増加を進めている。

 要するに家族の介護から施設の介護への転換によって家族を介護から解放して介護のための離職者をゼロに持っていく。

 つまり「介護離職ゼロ」は介護施設の整備・入居者の拡充を必要不可欠の絶対条件としている。

 これは自民党小渕恵三内閣末期2000年4月1日発足の介護保険制度が当時謳い、せっせと進めてきた「施設介護から在宅介護へ」からの、この期に及んでからの大転換である。

 塩崎厚労相が「介護離職ゼロ」を受けて厚労省の役人たちが練り上げたのだろう、第2回国民会議に提出した『計画書』は2020年度までに約34万人分、2020年代初頭までに40万人分の受入れ枠の拡充、この拡充で介護離職者を6万人減としていたが、安倍晋三の「十分ではない」の声に、2020年度までに+4万人の約38万人分、2020年代初頭までに+10万人の50万人分の大計画に見直している。 

 この大々拡充で年間10万人を超える介護離職者をゼロに持って行き、残りを約15万人いる特別養護老人ホーム入居希望の自宅待機者に当て、合計で「+約12万人分」の解消としている。

 大いに結構、猫灰だらけだが、2015年1年間の介護サービス事業者の倒産件数は過去最多の76件だと報道しているマスコミ記事を水先案内として《東京商工リサーチ》(2016.1.13)のサイトにアクセスして見た。 

 記事冒頭で、〈介護報酬が2015年4月から9年ぶりに引き下げられたが、2015年(1-12月)の「老人福祉・介護事業」の倒産は76件に達した。前年に比べて4割増になり、介護保険法が施行された2000年以降では過去最多になった。介護職員の深刻な人手不足という難題を抱えながら、業界には厳しい淘汰の波が押し寄せている。〉

 この過去最多の倒産件数を伝えている『47NEWS』記事は、〈景気回復で他業種に人材が流れ、人手不足が深刻化している。〉ことを倒産の要因の一つに挙げている。

 介護職員の1カ月の給与が全産業平均よりも10万円低い20万円程度の安さであることは知られていて、加えて何日か置きに夜勤を行わなければならない不規則な勤務の大変さから、景気が良くなって求人が増えると他産業に流れていくことはよく指摘されていることだが、アベノミクスが景気回復を目指し、一方で介護事業所の職員がその職にとどまるには不景気である方が好都合でよく人が集まるということなら、両者は見事なパラドックスを描くことになる。

 東京商工リサーチのこの統計の発表は1月13日で、安倍晋三が山尾志桜里民主党議員と遣り合ったのと同じ日だが、介護事業所の2012年倒産33件に対して2013年と2014年が共に54件と急激に増え、2015年に入って増えていることを「介護離職ゼロ」との関係で、あるいは「1億総活躍社会」達成との関係で把握していなければならなかった必要最重要な情報であったはずだ。

 だが、民主党政権時代よりも倒産件数が減っただ何だと全体を一括りしたプラスの統計値だけを持ち出して、自らの政策とは矛盾した個々のケースには目もくれずにアベノミクスの成果を誇り、実績だとする。

 果たして一国の首相として国民に対して正直な姿を見せていると言うことができるだろうか。

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自民櫻田義孝の慰安婦は「職業としての娼婦、ビジネスだ」発言は歴史認識の誤認と女性蔑視を含んでいる

2016-01-15 12:07:33 | Weblog


 自民党の櫻田義孝が党の外交部会などの合同会議で次のように発言したと「NHK NEWS WEB」が伝えている。  

 櫻田義孝「(従軍慰安婦は)職業としての娼婦、ビジネスだ。犠牲者のような宣伝工作に惑わされすぎている。仕事をしていたんだ」

 ネットで調べてみると、櫻田義孝は千葉県柏市生れの66歳。選挙区は千葉8区で6選を果たしている。元文部科学副大臣。現在2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。

 なかなかの経歴である。

 記事は櫻田が午後に衆議院本会議を出席したあと記者団から発言の真意を質問されたが、何も答えなかったというが、別の「NHK NEWS WEB」記事が、「発言には誤解を招くところがあったので、撤回させていただく。ご迷惑をおかけした関係者の皆様に心よりおわび申し上げる」とのコメントを発表したと伝えている。

 どのように撤回しようと、最初の発言がホンネの歴史認識であることに変わりはない。そのホンネの歴史認識を内心に持ち続けて、料亭などに飲みに行った際、席で飲食のサービスをしている女性に酔った勢いで、「本当は職業としての娼婦、ビジネスとしてやっていたんだ」と自らの歴史認識を、俺が言っていることが正しんだ、批判する奴らが間違っているという憤懣遣る方ない思いで喋ることになるに違いない。

 確かに生活のため、カネを稼ぐために日本軍が行っていた従軍慰安婦募集に自発的に応じた女性も存在していただろう。 

 だが、そういった自発的慰安婦ばかりではなかった。日本軍占領下のインドネシアでは未成年の15、16歳の少女までが何人かで家の前や近くで遊んでいたところへ10人近くの日本軍兵士が日本軍の幌付きの軍用トラックに乗って突然現れ、力ずくで荷台に放り込み、走り去って、少女たちを慰安所に閉じ込めて1日二十何人もの日本兵相手に強制的に売春を強いられたいう何人もの元慰安婦の証言が存在するし、同じく占領インドネシアで日本軍設置の軍政の中枢機構である「日本軍政監部」が市役所や町役場等々に当たるインドネシアの下部行政機関に現在の中高生に当たる年齢の男女に対する口頭の日本への留学募集を行い、そのうち未成年の女性を慰安所に連れて行って監禁、強制売春に従事させられたという何人もの証言も存在する。

 日本軍政監部が文書ではなく、口頭で留学を募集したのは証拠を残さないためなのは誰にもで理解できる。当時の日本軍はどこにいても恐ろしい程の威嚇性を備えていた。日本国内でも軍、あるいは憲兵に睨まれることは自由な社会的活動の喪失、あるいは停滞を意味していた。

 そのようにも恐ろしい存在である日本軍の命令あるいは指示は文書でなくても、口頭であっても、十分に従属させるだけの力を発揮したはずである。

 いや、口頭である方が、「世界一優秀な日本の学校への留学を断る者がいると思えない。我々のメンツをよもや潰しはすまい」等々、文書と違って威したりすかしたりの自由が効くから、効果的かもしれない。

 フィリピンでも台湾でも、日本軍が看護婦募集や事務職募集で若い女性を応募させて、無理やり従軍慰安婦に仕立てられたとする元慰安婦の何人もの証言が存在する。

 証拠が残らないように口頭で留学話をデッチ上げて、集まった少女たちを慰安婦に仕立てた歴史の事実は、2007年3月8日に辻元清美が提出した《安倍晋三の「慰安婦」問題への認識に関する質問書》に対する2007年3月16日閣議決定の政府答弁書の、〈政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。〉とする旧日本軍の従軍慰安婦強制連行否定根拠が如何に歴史の事実に則っていないかが分かる。

 旧日本軍が行ったことは日本の刑法で犯罪だとして禁止している未成年者略取誘拐罪であり、猥褻姦淫罪であった。


 旧刑法

 第10節 幼者ヲ略取誘拐スル罪

 第342条 十二歳以上二十歳ニ満サル幼者ヲ略取シテ自ラ蔵匿シ 若クハ他人ニ交付シタル者ハ一年以上三年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス其誘拐シテ自ラ蔵匿シ若クハ他人ニ交付シタル者ハ六月以上二 年以下ノ重禁錮ニ処シ二円以上二十円以下ノ罰金ヲ附加ス

 第11節 猥褻姦淫重婚ノ罪

 第348条 十二歳以上ノ婦女ヲ強姦シタル者ハ軽懲役ニ処ス薬酒 等ヲ用ヒ人ヲ昏睡セシメ又ハ精神ヲ錯乱セシメテ姦淫シタル者ハ強姦ヲ以テ論ス 
 証言が存在する以上、事実を記述した資料がないからと、その事実を即否定すること自体が土台無理な話である。

 悪事は証拠を残さない。例え記録することはあっても、二重帳簿等を作成、非正規の帳簿等は巧妙に隠して秘密にする。そして悪事が露見したとき、いち早く非正規の帳簿等を焼却処分にしたり、廃棄処分にしたりして証拠隠滅を図って、罪から逃れようとする。

 また職業として自発的に従軍慰安婦に志願した女性であったとしても、全てを好き好んだ職業選択だとすることはできない。

 江戸時代やそれを遡る封建時代、食えない農民は妊娠すると、口減らしのために強制的に堕胎し、子どもが居て食えなくなった場合、間引きと称して子どもを殺し、あるいは娘を女郎に、男の子は商家に売った。

 女の子を商家に売らなかったのは売買の仲介業者である女衒(ぜげん)を介して売った方が商家に売るよりもカネになったからである。ネット上に、〈『世事見聞録』(文化13年)には、「越中・越後・出羽の貧農が生活に困り、3~5両で娘を売っている」という意味の記述がある。〉との解説がある。

 江戸時代の1両は大金である。同じくネット上に〈江戸時代の1両で1日23人の大工が雇えたという事例がある。〉との記述も存在する。現在、大工は1万5千円程度稼いでいるから、23人で34万5千円が1両の値段になる。これが3両だとしても、100万を3万5千円超える大金となる。

 器量が良ければ、売れっ子となる将来性を見込まれて、5両という値段になったのだろう。

 このような貧困からの遊郭、あるいは売春宿への娘の身売りは江戸時代で幕を閉じたわけではなく、明治・大正・戦前昭和と続き、そして戦後昭和でも暫くは続くことになった。

 東北地方の寒村や北陸等の裏日本の寒村がその供給地となったという。
 
 書籍『戦後日本の人身売買』藤野豊著)の、その下巻のネット上の内容紹介には〈人身売買はどのような論理で維持されてきたのか。

 超インフレ、ドッジ不況、農地改革、北海道・東北冷害、炭鉱合理化…目まぐるしく変動する戦後の日本で、女性・子どもの人身売買は「暗黙の了解」としてまかり通っていた。

 敗戦まもない1940年代後半から高度経済成長に向かう1950年代を中心に、全国各地の史資料を渉猟、現代につながる問題の実態を明らかにする。研究史の空白を埋める貴重な成果。〉との記述がある。

 手許にある『売春』神崎清著・現代史出版会)には戦後の人身売買について次のように記述している。文飾は当方。

 〈戦後の人身売買については、労働省婦人少年局が、継続事業として、既に前後5回に亘って調査報告の結果を公表している。ここでは第5回(昭和26年7月~同27年6月)の報告書に基いて、人身売買の現状と動向を明らかにしてみたい。

 ――(中略)――

 1.被害者の数――第3回が674名。第4回が1489名。第5回が1883名というふうに増加する一方である。

 2.性別と年齢別――男女別に見ると、男が6.7%。女が93.3%で、売春関係が圧倒的に多い。年齢別では、16歳の24.2%、17歳の40.1%が年齢曲線の高い山を描いている。

 ――(中略)――

 3 身売りの動機

 経済的に圧迫された貧困な家庭がその犠牲を子どもの口減らしや出稼ぎに転化することが原因である。特に悪質な親は子どもを収入の源泉と考え、芸者置屋や赤線区域に売り渡しさらに転売しながら恥としていない。親孝行のつもりで、身売りする哀れな子どもがまだ跡を断たない。仲介の人の甘言に、親子して惑わされる者、貧しい家庭への不満から家出して、人身売買ブローカーの手にかかる者。無知と欲望の悲劇が報道機関の度々の警告にもかかわらず拡大再生産されていくのである。〉・・・・・・・

 これは警察に発見されたり、警察や行政機関に逃げ込んだりして発見された人数であって、警察が見回りに来たら店の者がいち早く隠すか、あるいはワイロを使って、見回りの日を前以て教えて貰って、その日は未成年者を店に出さなかったりして隠しただろうから、氷山の一角と見なければならない。

 売春をさせる目的の身売りだから、女性のうちでも若い年齢が利用価値が高く、値段も高い。そのために16、17歳をピークに93.3%も女性が占めることになっているこういった方面の価値を弁えていて、その日の暮らしに困っている親が手っ取り早い現金収入として娘を売る。

 娘の中には未成年ながら、家のため、親孝行のためだからと観念して自ら進んで売春婦として身売りされていく。

 こういった状況が1950年6月25日(昭和25年)に朝鮮戦争が始まって(休戦は1953年(昭和28年)7月27日)、その特需で日本の景気が良くなりつつあった昭和26年7月~同27年6月まで日本の社会に存在していた。

 これ以後も少なからず存在していたに違いない。

 こう見てくると、旧日本軍兵士に直接略取誘拐される形で従軍慰安婦とされた女性を除いて、一見して職業として自発的に従軍慰安婦に志願したと見える女性の中にも、親が娘を仲介業者に身売りし、仲介業者がその娘を軍慰安所に送り込んで慰安婦とした女性がかなりの数で存在していたと見なければならない。

 2007年4月8日日曜日の朝7時半からのフジテレビ「報道2001」で従軍慰安婦の強制連行を否定している歴史家の秦郁彦秦が出演、従軍慰安婦の給与について発言している。

 「(日本植民以下の韓国の)京城帝国大学のね、卒業生の初任給が75円と言うときで、300円で、前借(前借)が3000円ですから」

 つまり高額のカネに釣られて慰安婦に志願したのだとしている。

 仲介業者は娘を身売りする親に多額のカネを払っているから、京城帝国大学卒業生初任給75円の40倍近くする前借3000円は自身の利益として懐しただろうし、京城帝国大学卒業生初任給75円の4倍もする給料の300円からも、かなりの額を月々ピンハネしたはずだ。

 こういう遣り方が娘を売春婦として売り込む仲介業者の通常の斡旋方法となっている。

 つまり、例え従軍慰安婦が自発的な職業選択に見えても、「職業としての娼婦、ビジネスだ」とは決して一概には言えないということである。

 その多くが親や仲介業者といった幼い娘よりもより大きな力を持った権威主義の強制力を受けた、その犠牲の側面を持った売春行為と見なければならない。

 だが、櫻田義孝は何もかも一緒くたにして幸福にも「職業としての娼婦、ビジネスだ」と言い切ることができる。

 人間を見ないで職業だけを見て、その価値を決める、何もかも一緒くたの扱いは慰安婦という職業に対する職業蔑視、あるいは慰安婦という女性存在に対する女性蔑視を介在させた感受性のみが発信できる統一的な固定観念としての姿を取っているはずだ。

 こういった女性蔑視・職業蔑視は人権意識を欠いているからこそできる。

 このような人間が教育行政に関わる文部科学副大臣をかつて務め、現在2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事を務めている。

 決して看過できない発言であり、役目の適格性を問わなければならない。

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安倍晋三の「私は50万円、妻は25万円。安倍家の収入は合計75万円に増える」の譬話に見る現状認識能力

2016-01-14 12:08:58 | 政治


     

















 民主党山井議員が2016年1月8日の衆院予算委員会で、民主党政権よりも安倍政権3年間の方が実質賃金も実質賃金増加率も下がっていると追及したのに対して安倍晋三が答弁した内容から窺うことのできるパート女性の雇用に関する現状認識能力を1月12日に民主党の西村智奈美議員が、翌1月13日に同じ民主党の山尾志桜里議員が問い質している。

 上記画像は1月8日に山井議員に対して安倍晋三が答弁した内容を1月13日の山尾志桜里女史がフリップにして提示したものである。

 最初に断っておくが、ある事実を何らかの例で説明する場合、極く稀な特殊な例や、普通に見ることができる例、あるいは一部の集団に見られる例等々、様々に用いるが、どのような例であっても一般的に理解を得ることができる例でなければ、説明とならない。

 ましてや一国の政治を司るリーダーが議会の答弁や記者会見、その他で用いてメディアを通して情報伝達される例は出席議員ばかりか、一般国民にも理解できる例でなければ、例としての役目を果たさないことになる。

 つまり一般国民の理解可能な内容であることが例示の最低限の条件となる。そして用いる例が常に一般国民の理解を得るためには優れた現状認識能力が必要となる。

 西村智奈美女史も山尾志桜里女史もほぼ同じ趣旨の追及となっている。「安倍晋三はパート雇用の女性就業者がどのくらいの給与を得ているのか心得ているのか」の一点に尽きる。

 心得ていれば、安倍晋三の現状認識能力は機能していることになり、現実から離れた給与水準を頭に描いているということなら、首相としての資質に疑いが出る現状認識能力ということになる。

 勿論、フリップに示してある山井議員に対する安倍晋三の答弁から、二人共安倍晋三の現状認識能力の欠陥を疑っている。だから、2日の続けて追及することになったのだろう。

 1月12日の西村智奈美女史は発言冒頭近くで、安倍晋三のパート女性の雇用に関する現状認識能力への疑いから、「閣僚の席を今見ておりましても、失礼ながら、2世、3世の大臣が非常に多い。総理自らも3世でいらっしゃいます」と、安倍晋三の現状認識能力の欠如を一般的な2世、3世が否応もなしに抱えることになる庶民感覚の欠如と相互に関連付けて批判し、最後に「総理、パートの平均の月収、大体のどのくらいだと、幾ら貰えると思っていらっしゃるのか」と現状認識の程度を尋ねている。

 安倍晋三「先ず私の答弁を正確に聞いて、答えて頂きたい。私、パートと言っておりません。ちゃんと見て頂きたいと思います。私は私が50万円で、そして家庭で、私が50万のときは安倍家の平均は50万円になります。しかし妻が働き始める。例えば25万円頂いていたら、安倍家の収入は75万円になりますが、平均は75割る2になるわけですから、これは50を下回って、そうなりますと、平均賃金は下がったが如くに見られるけれども、そうではなくて、大切なことは安倍家の収入は75万円に増えたわけであります。

 ですから、これは総雇用者所得でみなければならないと、こういうことであります。これを私は(山井議員に)申し上げたわけであります。50プラス25を足して、それを2で割ったところが、平均になりますが、パートであれば、8万か9万払うと、こう思うわけでありますが、まさに私が例として申し上げたのは、いわば平均賃金という見方ですね、その一つ一つに割り戻していくのが果たしてその時の経済の現状を正しく見るのかと例で申し上げたわけでございます。

 そこのところをちゃんと申し上げた次第でございます」

 安倍晋三は以後もパート女性雇用の現状認識能力を問われる度に、「妻がパートで働きに出るとは言っていない」ことと、雇用の現状は実質賃金で見るのではなく、総雇用者所得で見るべきだとの同じ内容の答弁を繰返す。

 衆議院のインターネット中継で確かめてみたが、確かに安倍晋三は妻がパートで働きに出ているとは言っていない。フリップに書いてあるとおりに答弁をしている。

 だが、翌1月13日の衆院予算委で山尾志桜里女史が2015年2月4日の衆院予算委員会で安倍晋三が「私の妻がパートで」と発言していることを取り上げ、私自身も当ブログ(2015年3月17日記事 )で3月13日の衆院予算委で前原誠司が実質賃金の統計の取り方を追及する中で2月4日の「私の妻がパートで」の答弁を取り上げ、その答弁に対する安倍晋三の答弁について色々と書いてみたが、過去の発言と照合すると、例え「私の妻がパートで」と言っていなくても、過去の発言を訂正していないのだから、文脈上は「私の妻がパートで」ということになる。

 参考までに2015年2月4日の安倍晋三の答弁を掲げておく。文飾は当方。

 安倍晋三「そこで、実質賃金について言えば、この国会でも何回も議論したわけでございますが、景気が回復局面になりますと、人々は仕事が得やすくなるわけであります。しかし一方、スタートする時点においては、短時間のパートから始める人も多いと思いますし、また企業側も、なかなか正規の雇用はしない、慎重な姿勢がまだ残っているのも事実であります。その中で、働く人の数はふえている。しかし、働く人の数はふえていきますが、いきなり1千万円とか50万円という収入にはならない、パートからスタートする。

 例えば、安倍家において、私がそれまで30万円の収入を得ていて、しかし、女房がどこかで仕事をする、残念ながらそういう経済状況ではない中において、しかし、私が30万円の収入であれば、いわば平均すれば30万円なんですが、では、景気がよくなって、女房がパートで10万円の収入を得たとすると、安倍家としては40万円なんですが、平均すれば20万円に減ってしまうという現象がまさに今起こっているのがこの実質賃金の説明であって、ですから、総雇用者所得で見なければいけない」――

 私の30万円が50万円に変わった以外、1月8日に山井議員に答弁した内容と何ら変わりはない。

 但し私の給与の額と妻のパート収入の額に関しては2015年2月4日の答弁内容の方が遙かに現実に近い現状認識能力を示している。だが、夫と妻の収入を合わせた総雇用者所得で収入の現状を見るのはシングルマザーやシングルファザー、若者を含めて未婚の男女合わせた単身者が多く存在するするのだから、一般的に理解を得ることができる例と言うことはできないし、夫と妻共に低収入の非正規雇用という例も多く存在することを考えると、「私が50万円で妻が25万円」という例も国民一般に理解を得ることは決してできない例であって、指導者としての現状認識能力に疑いが出てくる。

 要するに本質的にはパートと言った言わなかったの問題ではない。あくまでも一国の首相の現状認識能力の問題である。安倍晋三はそこのところを最初から最後まで履き違えている。

 アベノミクスの成功を謳うために現状を無視して50万円と25万円という高額の収入を持ち出したとしか見えない。現状を無視できる現状認識能力はその能力の否定以外の何ものでもない。

 その後似たような両者の応酬があってから、安倍晋三の執念深さを見る思いがするが、西村智奈美女史の「2世、3世の大臣が非常に多い」という先程の発言を捉えて、しっぺ返しのつもりなのだろう、同じ現状認識能力を欠いた発言を得意気に発信している。

 安倍晋三「西村智奈美議員はですね、ここにいるメンバーにですね、経歴等についてお話をされたけれども、大切なことはですね、経歴ではないんですよ。結果を出すことですよ。(与党議員席からだろう、拍手が起きる。)

 私たちはね、110万人雇用を増やしたんですよ。そして高校生については今までに24年振りの内定率を確保ししているんですよ。若い人たちが心配しなくても済むようになったんですよ」

 そして現状認識能力が問われていることに気づかずに、有効求人倍率がどうのこうのと、見当違いにも統計上の数字だけをあげつらった。

 安倍晋三がここで言ったことは一見正論に見える。だが、経済格差と教育格差の連鎖という現状に対する認識能力を欠いているからこそできる発言でしかない。

 政治の世界に限ったことではないが、確かに結果が全てではある。だが、一定の、あるいは一定以上の学歴を必要として、結果に挑戦できる地位に就くためには一般的に親の収入がより有利な条件として働くという社会の現状は無視できない。

 特に政治家に関しては親の収入が学歴獲得に有利に働くのみならず、親が政治家であるなら、そのジバン・カンバン・カバンをも引き継ぐことのできる有利な条件が結果挑戦への端緒として働く。だからこその国会議員や閣僚に2世、3世が多いということであろう。

 このことを無視して、結果だけを言う。安倍晋三の現状認識能力はどうなっているのだろうか。

 1月13日衆院予算委でも山尾志桜里女史は、「パートの実態が分かっていないんじゃないか」と安倍晋三の現状認識能力を問い質した。

 安倍晋三は「まさに本質を見ない枝葉末節な議論でしてね、本質を見なければ経済は良くなりませんよ」と自らの現状認識能力の欠如を棚に上げて立派なことを言い、あとは同じ内容の繰返し、一国の首相でありながら、高額所得者に限っては普遍化できても、国民一般には普遍化できない総雇用者所得を振りかざして国民の収入の話とし、あるいはアベノミクスの成功譚とし、「私は妻がパートで働き始めたなどと言ってはいないんじゃないですか」と最後まで言い張り、一国の首相である以上、より大切であるはずのパート雇用についての現状認識を詳らかにすることをしないままに延々と同じ内容の答弁を繰返した。

 パート雇用についての現状を認識するだけの能力を満足に持ち合わせていないから、以上のような譬え話になったのであり、だから詳らかにすることができないのであって、そうである以上、パート雇用対策は安倍晋三とは関係のない場所で動かしていることになる。

 元々国民の在り様よりも国家の在り様を優先させる国家主義者である。足許の政策は役人に教えられて進めているだけで、頭の中は偉大な日本国家の姿しかないはずだ。

 そうであることによって現状認識能力を欠如させた姿と釣り合いが取れる。

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消費税15%・軽減税率0%→低所得者の可処分所得を増やし、軽減税率高所得者有利性をクリアする案

2016-01-13 09:39:45 | 政治


 2017年4月1日に消費税を8%から10%へ増税する際、酒類と外食を除く食品全般その他に税率を8%に据え置く2%分の軽減税率を掛けることを自公与党が決めたことに関して1月4日から開催された190回国会で野党が軽減税率は高所得者程有利になると反対している。

 民主党幹事長枝野幸男も1月8日の衆院予算委員会でこの問題を取り上げていた。

 枝野幸男「財務省に試算させたら、年収200万未満の世帯がこれ(軽減税率)によって受ける恩恵は(年間)8000円余りです。ところが年収1500万円を超える世帯では、恩恵は(年間)1万9千円になります。

 つまり高額所得者程恩恵をたくさん受ける。当たり前ですね、沢山買い物をしますから。しかもですね、1兆円の財源のうちですね、年収300万未満の世帯の使われる1兆円の中の財源は11%程度です。

 年収500万未満に迄広げても、全体の43%。つまり(財源の)5千億円は年収500万円以上の方なんです。これがなんで低所得者対策なのか」

 安倍晋三は勿論答弁を用意している。「NHK NEWS WEB」記事を利用する。 

 安倍晋三「制度上、高所得者のみを除外するのは困難だが、所得の低い方ほど収入に占める消費税負担の割合が高いという消費税の逆進性を緩和することができ、日々の生活のなかで、買い物のつど、痛税感の緩和を実感していただける。

 2人以上世帯の1人当たりの負担軽減額は年収200万円未満の世帯は年間3600円程度。1500万円以上の世帯は、1人当たり5100円程度と見込まれる。消費税の負担軽減額を見れば高所得者が大きいが、消費税負担の絶対額ではなくて、収入に占める消費税負担の割合で計るべきだ」

 枝野が挙げた軽減税率を設けた場合の年収毎の税負担額を取り出してみる。

 年収200万未満世帯――年間8000円の負担軽減
 年収1500万円超世帯――年間1万9千円の負担軽減 

 安倍晋三が挙げた年収毎の税負担額。
 
 年収200万円未満2人以上世帯世帯――1人当たり年間3600円程度の負担軽減
 年収1500万円超世帯2人以上世帯世帯――1人当たり年間5100円程度の負担軽減

 安倍晋三の情報提示は間違っているわけではないが、1人当りで計算して、少ない金額に見せた。夫婦共に高額所得者で、それぞれの収入でそれぞれの生活費を賄っているといった世帯なら、それぞれの支出額は1人当たりの金銭感覚で片付けることができるが、特にギリギリの生活を余儀なくされている低所得者の場合は常に問題となるのは全体の支出額であって、1人当たりの金銭感覚で片付けることができないにも関わらず国家の税負担を少なく感じさせるための策を用いたということなのだろう。

 なかなか巧妙である。

 野党、特に民主党は今後も軽減税率が低所得者よりも高額所得者により多くの恩恵、利益を与えるバラマキだと批判し、安倍晋三は同じ趣旨の答弁を繰返してバラマキを否定することになるはずだ。

 民主党は消費税の低所得者対策として基礎的生活費の消費税率部分を所得税額から控除し、控除しきれない部分については現金を給付する「給付付き税額控除」を掲げている。

 例えば、収入が給与のみの単身世帯の場合、収入が年間100万円を超えると住民税、103万円を超えると所得税がかかるが、所得税を支払っていない103万円以下の単身世帯の場合は支払った消費税分から2%引いた分、現金で補填されることになる。

 年間所得103万円以上で支払った消費税分は所得税額から控除するが、支払った消費税額>所得税額の場合は、その差額が現金給付される。

 但し支払った消費税額をどう把握するかである。年収分布帯に応じた統計上の基礎的生活費から算出するのか、レシートを保存させておいて、そこから消費税額を算出するかで正確さに違いが出てくる。

 少なくとも低所得者にとっての軽減税率はその対象品目に関しては支払った消費税額と軽減された金額が正確に計算されることになって、それなりに安心感が与えられることになる。

 だが、たったの2%分の軽減である。年収200万未満世帯の可処分所得増加は年間8000円程度に過ぎない。1カ月に直して666円に過ぎない。低額の高齢年金生活者にとっては低所得になる程にいくらギリギリの生活を心掛けたとしても家計に占める食品購入額の割合が大きくなるのだから、残る8%の消費税分の支払いはやはり重くのしかかることになるだろう。

 尤も枝野幸男が言っているように軽減税率導入によって2%免除に必要な1兆円の財源のうち半分の5千億円が年収500万円以上の世帯に消費税の負担を軽くする形で国が負担するというのも見過ごすことのできない大きな問題だろう。

 そのことに目をつぶって、低所得者の負担軽減のみを考えるべきか、難しい選択となる。

 この二つの問題をクリアして、なおかつ軽減税率を0%に持っていき、低所得者の可処分所得を大幅に増やす方法がある。

 2015年11月12日付のNHK NEWS WEB記事に消費税率を10%に引き上げると、税収は5%のときと比べて14兆円増えると見込まれるとの記述がある。つまり5%増で14兆円増えるということは1%で2.8兆円の税収があることになる。

 しかしネット上には1%=2兆円の税収という記述が大勢を占めている。少なく見積もって2兆円で計算すると、2.8兆円で計算して多額の税収と比較するよりも、より可能性が確実になるから、前者で計算することにする。

 自公が掲げた対象品目の全ての軽減税率を0%にしてみる。

 10%を8%に据え置いた場合の軽減税率は税収1兆円の負担ということは2%で1兆円の税収減といいうことになる。いわば1%で5千億円の税収減。

 この消費税10%を15%に増税して、軽減税率を年収別なく0%にしたらどうだろう。

 15兆円✕2兆円(1%)=30兆円の税収。

 軽減税率0%の場合は15%✕5千億円(1%)=7.5兆円

 30兆円-7.5兆円=22.5兆円

 10%で軽減税率導入なしの場合の税収20兆円よりも2.5兆円の増収が見込むことができる。

 低所得者程家計に占める食品購入額の割合が大きくなる分、中・低所得層にとって軽減税率0%はかなりの可処分所得の増加となって返ってくる。

 勿論、軽減税率対象品目のみに限ったとしても中低所得者よりも購入額が多いはずの中以上の高額所得者の税負担をより軽くし、可処分所得の増加という点で中低所得者よりもより有利となるが、対象品目外の高額商品の購入額の割合も大きいはずだから、軽減税率0%にすることに税負担の7.5兆円の半分以上が高額所得者の利益にまわったとしても、それらの品目に15%の消費税がかかることになり、10%時よりも負担を大きくすることである程度のプラス・マイナスが可能となるはずだ。

 また、低所得者程家計に占める食品購入額の割合が大きいということは軽減税率の対象品目以外の購入の機会は少ないことになって、例え対象品目以外15%でも、それ程の影響は受けないことになる。

 2.5兆円の増収は他の品目を軽減税率対象品目に加えるのもよし、社会保障費にまわすのもよし。

 果たして低所得者の可処分所得を大幅に増やして、軽減税率に於ける高所得者の有利性をクリアするこの案はどうだろうか。

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浦安市長の成人式挨拶、人口減危機からの出産奨励に“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令を見る

2016-01-12 09:17:32 | Weblog


 1月11日に東京ディズニーランドで成人式を行った千葉県浦安市の市長が新成人たちへの挨拶で時代的抑制を掛けているものの、本質的には“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる出産奨励の欲求を披露したらしい。

 勿論、その挨拶の言葉を伝えている「NHK NEWS WEB」にはそんなことは書いていない。こういった国家的な欲求を抱えた政治家は第1次安倍政権2007年1月の「女性は子どもを産む機械」発言した柳沢伯夫厚生労働相を代表格として国会議員も含めて何人もいることだから、どうでもいいことなのだが、それが如何に国家の号令の色合いを持つか、一応説明してみることにする。

 記事の解説文も含めて会話体に直した。

 松崎秀樹市長「日本産科婦人科学会のデータによると出産適齢期は18歳から26歳を指すそうだ。人口減少のままで今の日本の社会、地域社会は成り立たない。若い皆さん方に大いに期待したい」――

 確かに時代的抑制を効かしている。直接的には“産めよ増やせよ”的なことは言っていない。

 しかし都道府県を次ぐ地方自治体の長でありながら、「日本産科婦人科学会のデータ」を借りてはいるものの、「日本の社会、地域社会」の、いわば日本全体の人口危機を訴える国家的立場に立って、出産適齢期(=結婚適齢期)は「18歳から26歳」までだとの年限を設けて、その間に産むべきだとある意味強制的な奨励意思を働かせているのだから、言葉自体は時代的抑制を効かせていて穏健ではあっても、結婚・出産が極めて人権問題と関わる個人の問題であることに反した、“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる暗黙の意思がそこに関与していないとすることはできない。

 少なくとも出産適齢期(=結婚適齢期)「18歳から26歳」までを強制年限としたい願望を持たせた国家目線からの“産めよ増やせよ”だと確信を持って言うことができる。

 市長が戦前に生きていたなら、戦前の日本国家と同じ立場に立って、“産めよ増やせよ”の号令を率先して掛けていたに違いない。

 成人式後の記者会見。

 松崎市長「産まなければ人口は増えないし、率直な思いだ。超高齢化社会でどれだけ若い人たちが大変な時代を迎えるか、新成人が次の時代を考えていかないといけないということを率直に伝えた」――

 確かに言うとおりである。だからと言って、出産適齢期(=結婚適齢期)を掲げて、その間の結婚や出産を求めていいという理由にはならない。例えそこに“産めよ増やせよ”の戦前ばりの国家の号令に通じる人口増加欲求を潜ませていなくてもである。

 誰かが結婚した時がその人の結婚適齢期、子供が生まれた時がその人の出産適齢期だと言っていたと思うが、男女それぞれに年齢の目安は持っているとしても、その目安に合わせて相手を選ぶよりも、容貌・性格・職業・収入・身長・体格等々を考慮した、あるいは計算した相手の人物に合わて選ぶことの方が多いはずで、だからこそ極端に年収の低い若者が結婚にあぶれることになるのだが、それぞれに任せるべき結婚・出産に関わる個人の選択であり、人権問題だとしなければならないはずだ。

 そんなこと悠長なことを言っていたなら、いつまで経っても出生率はこのままの状況で推移することになると言うかもしれないが、結婚・出産はあくまでも個人の選択・人権問題と思い定めて、そこから踏み外していいはずはなく、このことを原則とすることは当然、国家は勿論、行政が関与してはならないことの言い替えとなる。

 結婚と出産の機会を適齢期に閉じ込めるよりも、何歳であっても安心して結婚でき、安心して出産することができ、安心して育児できる行政サービスの確立を約束すべきだったろう。

 実際にそういった発言をしたのかもしれないが、マスコミに紹介されたのは問題発言と見られた個所のみであった。

 自治体の長がこのようなことを口にすること自体が基本的に間違っていたことになる。国家や行政は国家や社会の幸福を優先的に考えるのではなく、個人の幸福を優先させるべきだろう。そうでなければ、国民主権とはならない。

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安倍晋三は中国と世界の景気減速+消費税10%増税をデフレ逆行要因として増税延期、衆参同日選挙を強行か

2016-01-10 10:55:46 | Weblog


 安倍晋三は「衆院解散は全く考えていない」と夏の参院選と同時に衆院選を行うことを否定している。だが、自民党の与党内でさえ、同日選挙の可能性の噂が絶えない。

 1月9日、二階派の親分であり、親分に相応しい風貌の自民党の二階総務会長が和歌山市で記者団に答えている。

 二階俊博「(衆参同日選挙を)参議院選挙が有利になると思って主張している人もいるし、憲法問題を含めた諸問題を、国民に理解してもらうチャンスだとして、いっぺんにやったらよいという声もある。政権幹部が、同時選挙をしたいと思っていることは間違いない。

 (但し)私は反対だ。選挙の最中に災害が発生したら、どうするのか」(NHK NEWS WEB) 

 ご存知のように2014年4月1日に消費税を5%から8%に増税以後、主として円安と3%分増税による生活必需品の値上がりよって実質賃金がマイナスの影響を受けて、個人消費が全体的に振るわなかったことなどからGDPは企業業績の勢いから見て、さしたる伸びを見せていない。

 そこで安倍晋三は2014年11月21日に衆議院解散を行った2014年11月18日の首相官邸記者会見で同時に2015年10月1日の消費税8%から10%への引き上げの2017年4月1日への延期を宣言し、その是非の民意を問うとして戦った2014年12月14日施行の衆院選挙で自民党は大勝している。

 増税延期の理由を次のように述べている。 

 安倍晋三「現時点では、3%分の消費税率引き上げが個人消費を押し下げる大きな重石となっています。本年4月の消費税率3%引き上げに続き、来年10月から2%引き上げることは個人消費を再び押し下げ、デフレ脱却も危うくなると判断いたしました」――

 この発言は2017年4月1日の消費税10%増税を控えたここに来て中国と世界の景気減速が伝えられ、特に中国の株の値下がりを受けてその影響が日本の株価に連動する方向を取っていることと円高圧力となって現れている経済全体への悪影響によって生きていることになる。

 但し同記者会見で再延期はないと明確に約束している。

 安倍晋三「来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています」――

 尤も後で条件をつけている。

 2015年9月24日の自民党両院議員総会後の「1億総活躍社会」発表の自民党総裁としての安倍晋三記者会見

 安倍晋三「今お話があった消費税の引き上げについてだが、再来年の4月の10%への引き上げについては、世界に冠たる社会保障制度を次の世代に引き渡していくという責任を果たしていかなければならなえいません。そして市場や国際社会の信認を確保するため、リーマン・ショックのようなことが起こらない限り、予定通り実施していくことは既に今まで申し上げてきている通りでございまして、その考え方に変わりはありません。その段階で10%に引き上げていくことができる、そういう経済状況をつくっていく考えでございます」――

 今年2016年1月6日午後の衆院本会議でも同じ趣旨の発言をしてることがマスコミ報道で分かる。

 安倍晋三「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り、確実に実施する」(時事ドットコム)――

 だがである、中国や世界の景気減速に加えて2017年4月1日の消費税10%増税が「個人消費を再び押し下げ、デフレ脱却も危うくする」直近の状況を色濃い既視感として蘇らせて立ち塞がらない保証はないし、当然、再延期の理由として生かすこともできる。

 残るはこのような理由づけの増税再延期と「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り、確実に実施する」、再延期はしないとした公約との整合性である。 

 20年近く続いたと安倍晋三が言っている日本のデフレが元の状態に逆戻りして、20年近くが25年、30年と続いて日本経済と世界に於ける日本の地位が最悪の状況で低迷した場合は「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態」に相当すると理由づけることも十分に可能であって、そうすることによって再延期しないとした公約との整合性を保つことができる。

 ただでさえパッとしない、海外からも終焉が囁かれている、元々体力・創造性共に持たなかったアベノミクスが中国や世界の景気減速や消費税10%増税によってトドメを刺されてからでは、例え参院選には間に合っても、同日選を行わなかった場合、行わなかったことが後の祭りとして衆院選に襲いかからない保証はないことを想定していなわけではないだろうことも、同日選に走る有力な根拠となる。

 もしアベノミクスが日本経済活性化と社会活性化に十分に力を発していたなら、例え中国や世界の景気減速に悪影響を受けたとしても、外部要因に過ぎないと逃げることができるが、格差拡大の負の面が大きくクローズアップされるだけで、大企業活性化は実現させているものの、日本の社会活性化とは裏腹の一般国民の生活状況となっていて、外部要因だけでは逃げることはできないことも、内閣支持率を一応保っている間にと同日選へと向かわせる衝動として否定できない。

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衆参本会議1月8日北朝鮮抗議決議の無意味と国連制裁決議の儀式化と山本太郎の参院抗議決議棄権

2016-01-09 10:58:33 | Weblog



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《11月10日(日)小沢一郎代表NHK『日曜討論』出演ご案内》    

      ◆番組名:NHK日曜討論『党首に問う 2016年 政治はどう動く』
      ◆日 時:平成28年1月10日(日)午前9:00~10:45
      ◆内 容:安倍政権の内政・外交をどう評価するか
           野党の連携強化に何が必要か
           参議院選挙にどう臨むか ほか

 1月8日の衆参本会議で北朝鮮による核実験は断じて容認できない暴挙だとして厳重に抗議すると共に政府に対して国際社会が結束して問題の早急な解決を図るために総力を挙げて取り組むよう求めるなどとした決議を全会一致で可決したと各マスコミが伝えていた。

 「生活の党と山本太郎となかまたち」の山本太郎共同代表が採決の際、参院本会議を退場、棄権したという。

 理由を自身の「ブログ」に書いている。 

 衆議院の決議文は国際社会との協調姿勢を示したもので賛成できるが、参議院の決議文は日本独自の「追加的制裁」を謳っていて挑発に乗った形になり、我が国との緊張状態を強めることになる。あくまでも国際的な合意と協力の形にするべきだとしていることが一点。

 もう一点は追加制裁を加えた場合、拉致問題の解決が遠のく恐れを挙げている。

 詳しくは氏のブログにアクセスして貰いたい。

 要するに山本太郎自身の主義主張に則って棄権した。抗議は当然だからと中身を吟味せずに機械的に賛成のボタンを押した類いと異なる。棄権を問題視するよりも、理由の妥当性を問題視とすべきだろう。

 採決の参院本会議欠席議員は30人に及び、そのうち22人は7月に任期満了を迎える「改選組」だそうだ。内訳は自民党10人、民主党11人全員、共産党1人。

 全員が全員そうではないだろうが、北朝鮮に対する抗議よりも地元の選挙運動を優先させたのではないかと疑われても仕方がない。つまり抗議決議採決よりも地元活動に価値を置いた。

 このことを裏返すと、地元活動に優先的な価値を置くことができる程度の抗議決議ということであるはずだ。

 逆なら、いくら選挙が大事でも、うかうかと欠席はできない。

 つまり抗議決議だろうと、非難決議だろうと、儀式の意味しか持っていないということである。
 
 このことは国連安保理が2006年の北朝鮮核実験以来、4回の制裁決議を採択し、金融制裁など様々な制裁を科していながら、今回の水爆爆発と称する核実験をやすやすと許したことが何よりも証明している。

 安保理決議さえ儀式化しているのである。にも関わらず、今回の核実験を受けて、安保理はより厳しい制裁を科す方向で動き出した。

 金正恩は自らの核実験が安保理の新たな厳しい制裁を招くことを予想していなかっただろうか。その日の暮らしに困らない余裕ある北朝鮮国民のスタンディングオベーションは予想しただろうが、中ソを除く世界各国の殆の首脳のスタンディングオベーションを予想するはずはない。

 新たな制裁を覚悟し、少しは北朝鮮経済に影響するだろうが、それを凌ぐ自信がなければ、核実験を行うことはできない。と言うことは、金正恩にとっては国連安保理制裁決議は儀式的な意味しか持たないことになる。

 儀式的な意味しかないから、新たな制裁を覚悟することができるし、それを凌ぐ自信を胸に実験を行うこともできた。

 金正恩の誕生日は1月8日、核実験はその2日前の1月6日。世界には直ぐにバレてしまうが、国民には信じ込ませることができる水素爆弾の実験と称する大型爆弾の北朝鮮初の成功を演出した。

 そうまでしても行う必要性は誕生日を迎えるに当たって指導者としての自身の価値、その偉大さを高める。そのこと以外に考えることはできない。

 衆参も国連安保理も抗議決議だ、制裁決議だといった儀式化した意味のないことはやめて、何か実効性ある方法を創造する時がきたのではないだろうか。

 抗議や制裁が儀式化していることと、実効性ある方法法となり得ることを示唆している記事を挙げてみる。

 韓国与党の尹相現議員が中国税関統計等を分析して算出した北朝鮮の2014年の贅沢品輸入額が約8億ドル(約940億円)であることを「時事ドットコム」記事が伝えている。  

 金正恩体制発足直後の2012年は約6億4600万ドル、2013年は約6億4400万ドル。2014年は24%の増加率。

 電子製品(約4億2500万ドル)
 自動車(約2億3100万ドル)
 カーペット類、船舶類が2013年より大幅に増加――

 年々贅沢品の輸入額が増えていることは抗議や制裁がさしたる効果がないこと、いわば儀式としかなっていないことの何よりの証明であろう。

 尹相現議員「金正恩第1書記が海外の秘密口座に隠し持つ統治資金は最低でも40億~50億ドルに達するとみられる。北朝鮮の核開発を止めるには、これを見つけ出して凍結するしかない」――

 あくまでも想定だから、実際に秘密の隠し口座が海外に存在するかどうかは分からないし、存在したとしても、簡単に見つかる隠し方はしていないだろうから、見つけ出すことができるかどうかは分からないが、世界が一丸となって隠し口座を見つけ出して、その口座の凍結に力を注ぐと宣言したなら、金正恩側が見つけ出されたなら叶わないと何か動きを見せて、手掛かりを掴むことができるといった幸運に恵まれる可能性は否定できない。

 少なくとも儀式的な意味しか持たなくなった抗議決議だ、制裁決議だよりも試してみる価値はあるはずだ。

 また、韓国は1月8日正午から南北の軍事境界線の近くから大音量のスピーカーを使った北朝鮮向けの宣伝放送を再開した。宣伝放送は韓国がより発展していることをアピールする内容だとマスコミが伝えているが、その宣伝放送の届く範囲が軍事境界線近辺に限られることを考え併せると、一定程度の効果しか見込むことはできないはずで、北朝鮮国民に対する宣伝と言うよりも、金正恩に対する神経戦の意味を持たせた宣伝放送であろう。

 韓国の民間団体が2003年からなのか、ビニール製のビラを毎年200万~300万枚、水素ガスで膨らませた12~15メートルの大型のビニール風船に吊るして、北朝鮮に飛ばしていると「Wikipedia」に書いてある。

 ビラの内容は朝鮮戦争は北朝鮮の南侵だったことや金総書記の私生活を暴露するものだという。国家指導者の人物像の失墜を狙っているにしては内容がぬるい気がする。

 日本も特定失踪者問題調査会が北朝鮮向け短波放送(名称「しおかぜ」)を行っている。

 放送目的を次のように紹介している。

 (1)拉致被害者に対して日本で救出の努力をしていることを伝える。
 (2)北朝鮮当局に注意しつつ情報を外部に出してもらうよう伝える。
 (3)その他、北朝鮮に関わる事について、外部からを情報注入する。
 (4)北朝鮮の体制崩壊時など情勢に変化が起きた場合、避難場所や緊急情報を伝える。(金正日死亡時に実施)――

 2010年2月7日の当ブログ記事――《北朝鮮独裁者金正日の「トウモロコシ飯」から「白いご飯」への約束を阻む独裁政治のパラドックス - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。 

 〈国家指導者の為すべきことは満足のいく衣食住の保障を含めた国民の生命と財産と基本的人権の保障を確立し、維持することであるにも関わらず、独裁者の存在自体がその保障を蹂躙する元凶であり、国家指導者としての資格を失うなら、国際社会は独裁者を排除する行動を一致して取るべきだが、北朝鮮に限っては(6者協議という)テーブルに就く交渉によって却って独裁者の地位にとどまることを許している。

 さらには金正日が自身の独裁権力をその子ジョンウンに父子世襲すべく企み、北朝鮮国民の生命と財産と基本的人権の保障蹂躙の元凶である北朝鮮の独裁政治が維持されようとしていることに対しても手をこまねいている。

 そういうことなら、国際社会が最低限すべきことは北朝鮮に対して、「国家予算を国民を満足に食べさせる方向に有効に支出せずにその多くを核開発、ミサイル開発等の軍備増強にまわし、尚且つ外国からの食料援助をムダにし、国民生活の困窮を放置状態に置いて、結果として国民の生命・財産と基本的人権を保障せずにいるのは国家指導者としての責任の放棄に当たり、国家指導者としての資格がない」とするメッセージを常に発して、国民生活向上への政策へ転換させるせめてもの圧力とすべきではないだろうか。

 勿論簡単にはいかないことは分かる。だが、民主国家がこの手のメッセージを四六時中大合唱することによって、独裁体制下であっても国民を十分に食べさせること、基本的人権を保障することが国家指導者としての務めであり、その方向にに少しでも進む圧力とすべきではないだろうか。

 北朝鮮に多くの飢えに苦しむ者、食物がなく空腹の苦痛を抱えて息絶えていく者がいるにも関わらず、何ら有効な政策を打てないでいる無能な独裁者の存在に何ら憤りを感じないと言うなら話は別である。〉・・・・・・・・・

 要するに国民を過不足なく食べさせ、過不足のない生活を保障できない国家指導者は自らの責任は果たすことのできない無知・無能な指導者失格者であり、国家指導者の地位に就いている資格はないことを金正恩自身と北朝鮮国民にありとあらゆる手段を使って知らしめ、そのことを以って北朝鮮国民を過酷な独裁政治の軛(くびき)から解放することを名目とした実行を各国に求める制裁決議を国連安保理が行ったなら、決議に則った目的の宣伝ビラの撒布にしても、宣伝放送にしても、あるいは新たに加える手としてインターネットを経由して個人や企業のパソコンに侵入する不正アクセスにしても各国家の北朝鮮に対する制裁行為として正当化されて、より直接的でより強力な国家指導者の人物像の失墜に役立つように思えるが、どうだろうか。

 衆参の抗議決議が抗議としての役に立つと言うなら、国連安保理の制裁決議が制裁の役に立つと言うなら、今後共続ければいい。

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安倍・岸田・稲田の韓国への少女像撤去要求は譬えるなら、米国が原爆ドーム撤去を日本に求めるような無理筋

2016-01-08 09:16:36 | 政治


 日本と韓国の間で長年懸案となっていた従軍慰安婦問題が2015年12月28日の日韓外相会談で日本側が旧日本軍の関与を認めたことで一応の合意を見たが、その3日程前に安倍晋三が合意の条件に韓国の日本大使館前に設置の強制連行された従軍慰安婦を象徴する少女像の撤去を求めているとの報道に接して、12月25日の当ブログに安倍晋三が否定している旧日本軍の関与を歴史の事実として認めなければ従軍慰安婦問題は解決しないだろうが、少女像撤去要請は旧日本軍の関与を歴史の事実として認めていない証左となるといった趣旨のことを書いた。 

 ところが、安倍晋三は日韓外相会談で外相の岸田文雄をして旧日本軍の関与を認めた。そこにゴマカシがなければ、旧日本軍の関与による従軍慰安婦強制連行を「河野談話」同様に安倍政権も歴史の真正な事実と認めたことになる。

 当然、少女像にしても従軍慰安婦強制連行の歴史を証明する象徴としての正統性を日本政府からも与えられたことになる。戦没者慰霊碑を歴史の証明として建てるのと何ら変わりはない。特に旧日本軍が関与していたとなると、韓国ソウルの日本大使館前の少女像は何よりの歴史の証言者と見做し得る。

 残るのは旧日本軍の関与を認めながら、何故にそのような少女像の撤去を求めるのか、その矛盾である。

 この矛盾を解かないかぎり日韓双方共にメデタシ、メデタシですべてが解決する段取りとはならないはずだ。

 事態は矛盾を解く方向ではなく、矛盾を抱えたままの方向に突き進んでいった。

 2015年12月30日、31日付でマスコミが合意の一つである韓国政府設立元慰安婦支援の財団に日本政府が行うとした10億円の資金拠出に関して安倍晋三がソウル日本大使館前の少女像撤去が前提との意向を示していると報じた。

 このような意向の提示は少女像撤去要請と旧日本軍の関与を歴史の事実として認めたこととが矛盾することに安倍晋三自身が気づいていないか、旧日本軍の関与を認めたことがゴマカシに過ぎないか、いずれかを反映していることになる。

 但し撤去を前提としている理由は、国内世論の理解が得られないと判断しているからだと伝えている。

 国内世論は旧日本軍の関与を認めたことで従軍慰安婦強制連行に関して歴史の事実としての正統性を日本側からも付与したことになって、少女像は強制連行の歴史の証明としての、あるいはそのような歴史を証言する建造物としての正統性を同時に付与したことになると国民に説明し、納得を得さえすれば片付く問題であるはずである。

 だが、国民へのそのような手続きは取らずにあくまでも少女像の撤去を求めていくようだ。

 2016年1月4日午前の閣議後会見。

 岸田文雄「(少女像は)適切に移設されるものと私は認識している」(asahi.com

 2016年1月6日の自民党外交部会等の合同会議。

 稲田朋美「慰安婦問題は日韓の最大の懸案事項であると言って過言ではないが、今回の合意で最終的かつ不可逆的に解決をするということは、大変意義があることだ。

 謂れなき非難に対しては断固反論するのが、わが党の立場であり、大使館前の慰安婦像の撤去はこの問題の解決の大前提だ」(NHK NEWS WEB
 
 安倍晋三の国家主義、その歴史認識の代弁者である稲田朋美は韓国ソウルの日本大使館前の慰安婦像(=少女像)を日本に対する「謂れなき非難」だと激しく反発を示している。

 つまり稲田朋美は従軍慰安婦の強制連行を象徴している少女像を旧日本軍の関与を認めた日韓合意によって歴史の事実としての正統性を得た証明とすることも、歴史の証言者としての正当な地位を得た対象とすることも認めていないことになる。

 このことはやはり既に触れたように合理的判断能力を欠いていてその矛盾に気づいていないか、実際には旧日本軍の関与を認めたとするのはゴマカシか、いずれかということになる。

 前者であるなら、矛盾に気づかなければならない。後者であるなら、旧日本軍の関与は見せかけで、少女像撤去を交換条件に元従軍慰安婦支援資金拠出という体裁で10億円というカネで歴史の事実の抹消を企んでいることになる。

 例え前者・後者いずれであったとしても、さらには安倍晋三一派が頑強に否定したとしても、少女像は当初から歴史の証明としての地位を、あるいは歴史の証言者としての正統性を担っている。

 それを撤去せよと強要するのは、譬えるなら、米軍が原爆を投下し被爆した歴史を証明し、その証言者としての原爆ドームをアメリカが目障りだからと撤去しろと要求する無理筋に等しい。

 アメリカの歴代政府は原爆投下を正当だとする立場に立っているが、だからと言って、実際に目障りだといった難癖をつけて撤去を要求したことがあるだろうか。

 例えアメリカが要求したとしても日本は決して応じないのと同様に日本の少女像の撤去要求に対して韓国政府や韓国民が応じないのは正当性ある当然の態度である。

 にも関わらず、いつまでも撤去に拘っている。安倍晋三たちはよく考えるべきである。 

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