2016年3月18日の参院予算員会。
横畠裕介内閣法制局長官「憲法上、あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない。(但し)核兵器に限らず、武器の使用には国内法、国際法上の制約がある」(時事ドットコム)
ここで言っている「国内法」とは一般武器使用に関わる今回改定された自衛隊法などを指しているのだろうが、核兵器保有に関わる国際法とは核拡散防止条約を指している。
但し核拡散防止条約は第10条第1項で、〈 各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。〉と規定している。
要するに核拡散防止条約よりも国家の安全保障を上に置いている。
と言うことは、国家の安全保障を必要に応じて核拡散防止条約と取り替えることができることを意味していることになる。
例え日本が核拡散防止条約の締結国であったとしても、条約よりも国家の安全保障の優越性が認められている以上、安倍晋三のように手段を選ばない国家の安全保障を金科玉条としている政治家にとっては核保有の制約は最終的には核拡散防止条約ではなく、日本国憲法が唯一カギを握っていることになる。
その憲法が「あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」と、保有の制約を取り外している。
行く末はこれまでの経験から言っても、日本を取り巻くことになる安全保障環境に先手先手を打つ形になることは目に見えているはずだ。
憲法や法律についての内閣の統一解釈は内閣法制局が行い、その長である内閣法制局長官の見解は憲法や法律についての内閣の見解を代弁している。
以上見てきたことから考えて、この日の午後の官房長官の記者会見で菅義偉は「日本が核兵器を使用することはあり得ない」といった趣旨の発言をしているが、核拡散防止条約が国家の安全保障の優越性が認めている以上、横畠長官の「禁止されているとは考えていない」は将来に対する備えを言ったはずだ。対立関係にある核兵器を所有する外国に対する安全保障上の対抗の必要可能性に備えて、現在から憲法は禁止していないことを国民に知らしめておくということであろう。
アメリカだって、核兵器はなかなか使用できない。ましてや日本が核兵器を保有したとしても、使用はかなりの決断がいる。だが、核兵器を保有していると同時に国の安全保障にとって脅威となっている国が存在する以上、日本も核兵器を保有して相手が攻撃してきた場合の報復の手段としておくことが目には目の最善の抑止力となると考える政治家はゴマンといる。
そして横畠長官の日本国憲法は核兵器の使用を禁止していない発言は安倍内閣の統一解釈だということである。
このことは2016年4月の鈴木貴子の質問主意書に対して「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない。しかし核拡散防止条約及び非核三原則に基づき、一切の核兵器を保有し得ない」(Wikipedia)とする答弁書を閣議決定していることが何よりの証明となる。
この閣議決定にしても、核拡散防止条約や非核三原則よりも国家の安全保障を優先させていることを承知の禁止事項と見なければならない。
これまで散々日本国憲法は個別的自衛権を認めているが、集団的自衛権までは認めていないと発言してきたのである。だが、安倍晋三は日本国憲法が禁止しているとしていた集団的自衛権行使を安全保障環境の急変を理由に行使容認に持っていくことに成功したように核拡散防止条約や非核三原則が核兵器の保有を禁止していたとしても、核拡散防止条約に対しての国家の安全保障の優位性を利用して同じ安全保障環境の急変を理由に憲法は禁じていないのだからと、保有に走らない保証はない。
いずれにしても安倍内閣は核保有を安全保障政策の必要項目に、少なくとも頭の中では入れている。
岸田外務大臣は4月10日から広島市で始まったG7=主要7カ国外相会合の歓迎行事で挨拶したとマスコミ記事が伝えていたから、外務省のサイトにアクセスしてその挨拶を詳しく見てみた。
岸田文雄は実現という趣旨で「核兵器のない世界」という言葉を冒頭発言で4回、記者との質疑で1回の合計5回も使っている。
「世界の指導者に被爆地を訪問して貰い、被曝の実相に触れて貰うということ、これは核兵器のない世界を目指そうという国際的な気運を盛り上げるうえで大変重要なことであると考えています」
伊勢志摩サミット参加国の「指導者に核兵器のない世界を目指して貰うために被爆地を訪問して貰い、被爆の実相に触れて貰うことは大切なことと思っています」等々。
二つの発言共に「各国首脳に被爆地を訪問して貰い、被爆の実相に触れて貰うことで核兵器のない世界を目指す国際的な機運を高める機会としたい」といった趣旨となっている。
安倍内閣は、何よりも安倍晋三自身が核保有を安全保障政策の備えとしている。岸田文雄はそのような安倍内閣の重要な一員である。
にも関わらず、「核兵器のない世界」実現の音頭を取っている。しかも前者を肯定すれば、後者は否定しなければならない相矛盾する関係にある。このように同時に相反する二つの目的を意思することも「二股をかける」と言う。
前者を否定してこそ、後者の音頭を取る資格が出てくる。
岸田文雄は「核兵器のない世界」実現の音頭を取っていることが安倍内閣が意思している安全保障政策に矛盾することに気づいていないのだろうか。気づいていてしていることなら、確信犯となって、醜悪そのものである。
安倍晋三自身は矛盾に気づいていて、本心とは異なる核忌避の態度を見せているはずだ。
これらのことは今回のG7外相会合で議長国・日本が取り纏める「広島宣言」に「核兵器の非人道性」が盛り込まれない見通しとなったことが一つの回答となるはずだ。