自公提出方針ヘイトスピーチ規制法案は憎悪表現を憲法保障の表現の自由に当たる言動の一類型と見ているのか

2016-04-09 07:46:07 | 政治

 自民、公明両党が4月〈5日、特定の人種や民族に対する差別的言動を街頭で繰り返すヘイトスピーチの解消に向けた法案をまとめた。憲法が保障する表現の自由の重要性に配慮し、禁止や罰則の規定は盛り込まない理念法にとどめた。近く国会に提出する方針だ。〉――

 4月5日付「毎日jp」記事が冒頭このように伝えている。

 在日コリアンを対象としたヘイトスピーチを「日本以外の国または地域の出身者で適法に居住するものを、排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義したと法案内容を解説している。

 「排除」とは本質的にその存在を認めないとする意志表示でり、存在抹殺願望そのものを意味する。

 「仇(かたき)なす敵は皆殺し」

 「朝鮮人皆殺し」

 「朝鮮人、首吊れ、毒飲め、飛び降りろ」

 ヘイトスピーチデモでプラカードに書いたこれらの言葉やこれらの言葉を口々に叫ぶシュプレヒコールは存在抹殺願望そのものを示していて、その最たる意志表示であろう。

 記事は法案を取り纏めた公明党の遠山清彦座長代理の禁止・罰則規定を見送ったことについての記者団への会合後の発言を伝えている。

 遠山清彦「公権力が特定言動を取り締まることは、憲法との整合性に疑義があるため」――

 要するに記事が冒頭で解説しているように〈憲法が保障する表現の自由の重要性に配慮し〉たということであろう。禁止したり、罰則を与えたりしたら、表現の自由を保障した憲法との整合性が取れなくなると言うわけである。

 と言うことは、ヘイトスピーチ(=憎悪表現)を憲法が保障している表現の自由に当たる言動の一類型と見ていることになる。

 一類型と見ているから、禁止・罰則は憲法が保障する表現の自由に抵触しかねないことになって、それはできませんから、理念法が限度だとしていることになる。

 日本では在日コリアンに対する存在抹殺願望の意志表示としてのヘイトスピーチ(=憎悪表現)を日本国憲法保障の表現の自由に当たる言動の一類型と見て、禁止・罰則を避ける。

 一度ブログに書いたが、2014年10月の各国の見所やグルメ等を混ぜこぜにして海外旅行を紹介するテレビ番組がドイツでは店を訪れたりなどして何かを注文するために右手を肩のところに上げて、その平を前に向けるのはナチスの敬礼を連想させるために法律で禁止されていると海外知識を披露していた。

 サヨナラをするときも、指を5本とも閉じた状態で手の平を相手に向けて振るのは禁止されていて、指を開いた状態で振らなければならないのだという。

 手をどう振ろうと、ドイツ憲法が保障している表現の自由の一つであるはずだが、ナチスを連想させる仕草や表現が禁止されている。

 「Wikipedia」には次のような記述がある。

 〈ドイツの憲法であるドイツ連邦共和国基本法は、基礎としている自由主義・民主主義を防衛する義務を国民に課し、表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対するために濫用した場合は、これらの基本権を喪失する旨の規定が置かれている。〉

 ドイツではナチスに支配された経験から、このように表現の自由に反する言動に厳しいタガをはめて、それを守る強い意志を示しているが、自公与党はヘイトスピーチ(=憎悪表現)を憲法が保障している表現の自由に当たる言動の一類型と見て、禁止・罰則を免除する程々の規制で済ませようとしている。

 ドイツと比べてこのように表現の自由に対して毅然とした対決姿勢を取り得ない緩い姿勢は表現なるものに対する馴れ合いを示していないだろうか。

 もし示しているとしたら、それは在特会への馴れ合いから発している姿勢であろう。なぜなら、安倍晋三のような戦前回帰の国家主義者は自由主義・民主主義を厳格に奉じる者の表現に対しては常に規制・抑圧したい衝動を抱えていて、その反動としてある見逃しだろうからである。

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自衛隊の情報処理体制、大丈夫なのか 空自点検機不明 心肺停止1人発見を6人発見とした誤伝達を検証せよ

2016-04-08 08:10:18 | 政治

 埼玉県航空自衛隊入間基地所属航空自衛隊「U125」点検機が鹿児島県海上自衛隊鹿屋基地を2016年4月6日午後1時15分頃離陸後、約1時間15分後の6日午後2時35分頃、基地北方約10キロ先の高隈山周辺飛行中にレーダーから機影が消えた。

 4月6日付「NHK NEWS WEB」記事によると、点検機は鹿屋基地を飛び立ち、上空から空港施設の点検作業に当たっていたという。乗員は6名。点検後に再び鹿屋基地に戻る予定だったと記事は書いているが、上空からの空港施設の点検作業のために10キロ先まで飛行しなければならないのだろうか。  

 まさか、ついでに遊覧飛行と洒落たわけではなるまい。

 4月7日午後1時15分頃、防衛省は鹿児島県御岳山頂の東約500メートル付近で心肺停止状態の6名と機体の一部と見られる破片が捜索隊に発見されたと発表。

 ところが後に6名発見を1名発見に訂正した。

 極く当たり前のことを言うが、捜索対象の人物が心肺停止状態となっているかどうかは先ず目でその人物の所在を確認してから、胸に耳を当てて心音を確かめたり、手首を握って脈拍を確かめたり、鼻に耳を近づけて、呼吸をしているかどうかを確かめたり、いわばそこに横たわっている人物の身体に触れることになる。

 当然、心肺停止状態の6名発見と言うことは捜索隊員の何人かが6名の身体にそれぞれ触れていて、それ以上の捜索隊員が6名の所在を目で確認していたことになる。

 ところが当初の発見は1名だった。1名の乗員のみを目撃し、1名のみの身体に触れたに過ぎなかった。

 それを6名と間違えることはあり得ない。発見が1名であること、心肺停止状態であることの捜索現場からの情報は直ちに鹿屋市高隈山中腹の鳴之尾牧場に置いた捜索本部に連絡され、捜査本部から一定の経路を辿ってか、あるいは直接にか防衛省に報告されたはずだ。

 だが、防衛省の発表は心肺停止状態の6名発見となっていた。そして程なくして1名への訂正を余儀なくされた。

 自衛隊の情報処理体制は一体どうなっているのだろう。

 このことは決して小さなことではない。自衛隊が海外活動に派遣されて有事に遭遇し、見えない敵から攻撃を受けた場合、銃声やその数から敵兵器の種類や攻撃人数、敵の位置等の大体を判断、味方部隊に無線で報告しなければならないが、現場の判断ミスならまだしも、報告したことが報告先で今回の行方不明とは逆に少ない攻撃人数で伝わったなら、あるいは少ない攻撃人数で取り違えることになったなら、応援部隊の人数にも影響することになって、小さなミスが大きなミスに繋がらない保証はない。

 2015年10月3日に米空軍がアフガニスタン北部の都市にある国際医療NGO「国境なき医師団」の病院を誤爆、3人の子供を含む患者・スタッフ計22人を死亡させた事件も、情報処理体制が満足に機能せず、杜撰(ずさん)であったことが原因であるはずである。

 情報処理は常に的確さと速度が求められる。兵士の生き死にに関係していく軍に於いては尚更であろう。いつ如何なる場合であっても、そのように処理できる体制を構築していなければならない。

 それが今回、的確さの点に於いて情報処理体制に綻びが生じ、誤伝達という形で現れた。このことが例え新たな生き死にに関係していく事柄ではなくても、新たな生き死死に関係する場面で生じない保証はない。

 当然、どのような場面でも綻びが生じない情報処理体制の構築のためにも、どこでどう間違えたのか、今回の誤伝達を検証しなければならないはずだ。

 どうってことのない情報伝達を大きく取り違えたことに危機感を持ってこそ、間違えてはならない情報の誤伝達を正すことの備えとなる。

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安倍晋三は国家公務員合同初任研修開講式訓示で求めた能力の全てが縦割りによって失われることに気づかない

2016-04-07 11:22:11 | 政治

 安倍晋三が2016年4月6日、第50回国家公務員合同初任研修開講式で訓示を行い、国家公務員たる者かくあるべしと、自らが思い描いたのか、スピーチライターが書き上げたものなのか、理想の能力を求めた。  

 どのような能力が国家公務員としての理想なのか、先ず第一に「国家公務員の務めとは何か。 それは、一人ひとりの国民の人生、日々の暮らしと向き合うことであります」と、「一人一人の国民と向き合う『感受性』」を求め、それを以て理想の能力としている。

 「一人一人の国民と向き合う」一例として安倍晋三は中学卒業後、経済的理由で高校進学を断念したものの、21歳で通信制の高校に進学、それも結婚、2人の子どもの育児に追われて学業を断念、70歳を前に再び入学して卒業した73歳の女性をエピソードとして取り上げ、「どんな感想を抱いたのか」を聞いて、感想の例も自分から挙げて示した。

 安倍晋三「家庭の経済事情に左右されることなく、意欲さえあれば、誰もが高校にも、大学、専修学校にも進学できる。教育を受けられる社会を創らなければならない。

 結婚、子育て、更には介護といった事情に関わりなく、学んだり、仕事したり、自分のやりたいことができる。誰もが活躍できる日本にしなければならない」

 そして「感想は、様々であると思います」と前置きして、抱いた感想を「仕事にぶつけて貰いたい」、「ほとばしるような情熱なくして、政策を実行していくことはできません」と、理想とする能力の発揮を求めているが、要するに自身の「一人一人の国民と向き合う『感受性』」が求めることとなった自身が抱いた感想を例示して、それを仕事に変える能力を求めた。

 但し安倍晋三が言っている経済格差=教育格差はそれを放置してきた政治側の課題であって、国家公務員がどうこうできる問題ではない。政治側の経済格差=教育格差是正の大まかな設計図を受けて、それをより精密な設計図に仕上げるのが国家公務員側の能力であり、責任である。

 このことは昨日ブログに書いた返還不要の給付型とするのか、従来どおりの利子付き返還型とするのか、あるいは卒業後の収入に応じた所得連動返還型とするのか、全て政治側の設計図ににかかっている奨学金制度を一つ見れば理解できる。

 安倍晋三はこの後触れる自身の「1億総活躍プラン」をついつい宣伝したくなったのだろう、国家公務員に求めても仕方のない能力を求めるトンチンカンを仕出かしたに過ぎない。

 例え安倍晋三が自身の「一人一人の国民と向き合う『感受性』」をどのように宣伝しようとも、自らの経済政策アベノミクスが金持ミクスとなっていること、格差ミクスとなっていることは「一人一人の国民と向き合う『感受性』」を欠いていることの証明以外の何ものでもない。

 自身が欠いている能力を国家公務員に求めた。滑稽な限りである。

 安倍晋三はまた現場に足を運び、現場の声を聞く能力を求めた。

 安倍晋三「皆さんも、『現場』に足を運んでください。そして、『現場』の声に耳を傾けてもらいたいと思います。『現場』も知らずに、机の上で資料作成の『技術』だけを磨いても、何の意味もありません。ゼロは、いくら積んでも、ゼロであります。
 
 『現場』にこそ、『答』がある。私は、そう確信しています。私自身も、『現場』の声を活かしていきたい。一番「現場」に近い場所で仕事をしている皆さんもそうでしょうが、そういう方々の声を、是非聞きたいと考えていますし、そういう声に耳を傾ける柔軟性を持ち続けていきたいと考えています」

 自身の「現場主義」を念頭に置いた発言に違いない。

 2016年3月10日、東日本大震災5年目を翌日に控えた前日の記者会見で述べている。

 安倍晋三「何としても、復興を加速する。その決意のもと、総理就任以来、3年余りで30回近く、被災地に足を運んでまいりました」

 「3年余りで30回近く」被災の現場に足を運んで、現場の声に耳を傾けた。

 だが、会計検査院の4月6日(2016年)公表の東日本大震災の復興予算との関連で公共施設などの復旧事業の完成状況を調査した報告書は約6.6兆円の計画中、2014年度末までに完成したのは4分の1の約1.6兆円分にとどまり、工事の進捗率を示す予算の執行割合も約34%止まりだと「時事ドットコム」記事は復旧事業の遅れを伝えている。  

 記事は末尾で報告書の内容を次のように取り上げている。

 〈14年度末までの復興予算総額は29兆3946億円。うち復興交付金による基金は2兆412億円で執行率は48.5%、その他の国の補助金による「復興関連基金」は3兆8167億円で執行率51.5%だった。同院は厚生労働省が被災児童支援で地方に配った基金の残額計約2億円が、9県で別目的に回されていたと指摘。事業終了で余った基金は返還するよう求めた。〉――

 予算に応じた厳格な執行が行われていないばかりか、復興予算の別目的への流用まで行われている。

 ここからは安倍晋三の「3年余りで30回近く、被災地に足を運んだ」と言う現場主義は見えてこない。「一人一人の国民と向き合う『感受性』」とも違う。

 安倍晋三は復興と再建が進んだ企業や施設のみを訪問して彼らの声に耳を傾けているのだから、そもそもからして「現場主義」でも何でもない。

 如何に復興と再建が進んでいるか、そうと見せかけるための足の運び方にしか見えない。

 安倍晋三はその他にもグローバル化時代を見据えた、内向きの発想ではない、「如何なる困難な課題にも敢然と挑戦し、しっかりと『答え』を出していく」判断能力や「前例にとらわれない柔軟な発想力」と「『若さ』という特権」を原資とした「失敗を恐れない行動力」を国家公務員として欠かすことができない能力に挙げて、そのような能力の発揮を求めている。

 但しこれらの能力に期待し、その発揮を求めるには例えこれらの能力を有していても、その発揮を阻害する特に日本の官僚組織に於ける構造上の弊害となっている“タテ割り”を取り上げて、先ずはその打破・根絶に言及しなければならないはずだが、一言も触れていない。

 「失敗を恐れない行動力」は自身の意見や主張を上のそれと闘わせ合うことによってよりよく発揮し得る。だが、“タテ割り”とは上下関係で結び合い、上に慣れ、上の意見・主張に従うことを意味する。如何なる優れた能力も“タテ割り”に組み込まれたら、その力を失い、タテマエと化す。

 安倍晋三はこれまで散々に“タテ割り”の弊害を口にしてきた。だが、今回の国家公務員合同初任研修開講式では触れるべき“タテ割り”の弊害を口にせずに理想とする能力のみを求めた。

 と言うことは日本の官僚組織に於いて“タテ割り”の弊害を完全に根絶できたと見ていることになる。

 安倍晋三は前々回の第48回国家公務員合同初任研修開講式訓示では“タテ割り”に触れている。

 安倍晋三「しばしば、霞が関は、『タテ割りだ』との批判を受けます。

 しかし、それでは、困難な課題に立ち向かうことはできません」――

 この通り、「タテ割りでは困難な課題に立ち向かうことはできない」と言っている。当然、「前例にとらわれない柔軟な発想力」も、「『若さ』という特権」も、「失敗を恐れない行動力」も“タテ割り”を前にしては十分に発揮出来ないことになる。

 果たして安倍晋三は日本の官僚組織に悪弊として巣食っている“タテ割り”を打破することができたのだろうか。

 2012年10月31日、安倍晋三は自民党総裁として野田民主党首相の所信表明演説に対して衆院本会議で代表質問を行い、民主党の被災地復旧・復興に関して総括している。

 安倍晋三「私は10月3日、自民党総裁就任後直ちに福島県を訪れました。そこで耳にしたことは、前面に出てこようとしない政府への憤りであり、縦割りのまま現場の声に応えられていない復興庁への不信であり、責任を被災地の市町村に押し付ける民主党の無責任な姿勢に対する失望でした」――

 “タテ割り”に雁字搦めとなっていて、復旧・復興が進んでいないと痛烈に批判している。

 当然、安倍政権は安倍晋三の指導力のもと、このような“タテ割り”の打破に動くことになる。

 2013年1月1日の安倍晋三年頭所感。

 安倍晋三「除染や生活再建など課題は山積していますが、これまでは縦割り行政の弊害や現場感覚の欠如によって対応が滞っていると多くの指摘を聞きました。

 安倍内閣では政府内の縦割りを廃するため、東電福島原発事故からの再生を福島再生総括大臣の下に一元化し、被災地の現場でスピーディに決定し、実行できる体制を整えます。これにより、早期の帰還、復興を実現してまいります。これからまとめる経済対策でも、復旧・復興に思い切って予算を投じ、被災地の復興を加速させます」

 改めてタテ割り”打破の決意を述べた。

 2013年3月11日、東日本大震災から2度目の3月11日を迎えて安倍晋三は記者会見を行っている。

 安倍晋三「現場では手続が障害となっています。農地の買取りなど、手続の一つ一つが高台移転の遅れにつながっています。復興は時間勝負です。平時では当然の手続であっても、現場の状況に即して復興第一で見直しを行います。既に農地の買取りについては簡素化を実現しました。

 今後、高台移転を加速できるよう、手続を大胆に簡素化していきます。これからも課題が明らかになるたびに行政の縦割りを排して一つ一つきめ細かく手続の見直しを進めてまいります」

 同じく“タテ割り”打破の決意表明であり、その排除こそが復興加速化唯一の有効な方法だと言っている。

 だが、2014年になっても2015年になっても、“タテ割り”打破を言い続けている。

 2014年11月19日全国町村長大会安倍晋三挨拶。

 安倍晋三「元気で豊かな『地方の創生』は、安倍内閣の最重要課題であります 。今後、長期ビジョン、総合戦略を取りまとめることとしておりますが、まさに、『知恵は現場にあり』です。創意工夫を凝らして成果を上げている自治体や、困難な状況を打開しようと努力している現場に、私どもがどんどん足を運び、地方の声に徹底して耳を傾けてまいります。

 国主導のやり方ではなく、地域の発想や創意工夫を生かし、個性と魅力あふれる取組を、国がしっかりと後押しをしてまいります。その際、各省の縦割りを排し、ワンストップで支援する、地域にとって本当に使い勝手の良い仕組みにしてまいります」――

 2015年10月15日、一億総活躍推進室看板掛け及び訓示。

 安倍晋三「我々は『一億総活躍社会』という大きな目標を掲げました。少子高齢化、この現実にしっかりと目を据えながら、この現実から逃れずに、この現実を克服していかなければ、日本の輝ける未来を描いていくことはできないわけであります。

 若者も高齢者も、男性も女性も、困難な問題を抱えている人も、また難病や障害を持った方々も、みんなにとってチャンスのある社会をつくっていく。みんながもう一歩前に出ることができるような、そういう日本に変えていかなければならないわけであります。

 そのために今日から、この『一億総活躍推進室』がスタートしたわけでございます。皆様方には、その一員としての未来を創っていくとの自覚を持って、省庁の縦割りを排し、加藤大臣の下に一丸となって、正に未来に向けてのチームジャパンとして頑張っていただきたいと思います」――

 そして先に挙げた2016年3月10日の東日本大震災発災から5年目を迎える前日の記者会見。

 安倍晋三「『手続に時間がかかる。』

 『人材も資材も足りない。』

 『用地取得が進まない。』

 現場で耳にしたこうした声に一つひとつ対応するところから、3年前、私たちはスタートしました。復興庁のもと霞が関の『縦割り』を打ち破る。そして、『現場主義』を徹底する。それまでの復興行政を一新し、復興を加速してまいりました」――

 “タテ割り”打破がかなり進捗していることを示す言葉となっている。

 だが、この記者会見の最後の方で次のように述べている。

 安倍晋三「あわせてもう一点、いまだにやはり被災地へ行きますと、どうしても省庁の縦割りというような話も聞かされております。私たちは復興庁、正に復興の司令塔でございます。それぞれの省庁は一生懸命取り組 んでいただいておるわけでございますけれども、被災地において、やはり縦割りだなというようなことのないように、しっかりとその辺は、正に私たちが横串を刺していくというような考え方も引き続き必要だと いうふうに思います。   

 しっかりと現場主義に徹する、そしてまた、被災地に寄り添う、そして、省庁の縦割りを排除する、そして、私たち復興庁はしっかりと復興の司令塔だというその使命を持って今年1年、そして、今年1年は 正に新しい5年の初年度でございますから、この1年を頑張っていただきたいと、そのように思うところでございます」

 現実には“タテ割り”打破は左程進んでいないことを示す言葉となっている。

 被災地の復興に限らず、その他の場面でも、あれ程“タテ割り”打破を言い続けながら、それを実現し得ないでいる。

 上下関係に縛られて上の意思が優先され、上下・左右別なく縦横・柔軟な意思の疎通を阻むことになる“タテ割り”が被災地の公共工事進捗率の低さや予算執行率の低さの原因の一つとなっているはずだ。 

 大体が封建時代の昔から明治・大正・昭和・平成と続いてきて、日本のありとあらゆる組織を動かす人間関係の血肉化したエンジンとも言うべき“タテ割り”が2年や3年で打破できるわけがない。

 であるなら、安倍晋三は今回の国家公務員合同初任研修開講式の訓示では“タテ割り”が「前例にとらわれない柔軟な発想力」や、「『若さ』という特権」、あるいは「失敗を恐れない行動力」をも阻害する要件として立ちはだかることを前以て予想して、先ずはこれらの能力を求める前に“タテ割り”打破の能力を求めるべきだったはずだ。

 だが、求めなかった。“タテ割り”打破に何度も触れながら、それが上下関係で結び合い、下が上に慣れ、上の意見・主張に従うという構造の人間関係を指すことに気づいていなからであろう。

 気づいていたなら、下がしっかりしていなければ“タテ割り”にたちまち巻き込まれ、次第に上下関係に無自覚となっていくのだから、何を差し置いても触れなければならなかったはずだ。

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安倍内閣の卒業後返還免除判断の給付型奨学金は受給大学生を国家好みの人間に飼い慣らそうとするもの

2016-04-06 08:40:07 | 政治

 自民党の教育再生実行本部(渡海紀三朗本部長)と公明党の教育改革推進本部(富田茂之本部長)が4月4日、教育格差の克服に向けた提言をそれぞれ纏めて首相官邸で安倍晋三に手渡したと「時事ドットコム」記事が伝えている。

 提言内容は共に大学進学者を対象とした返済不要の給付型奨学金の創設を盛り込んでいるという。

 給付型奨学金にしても同一労働・同一賃金にしても、野党が先に言い出していることだが、ここに来て自民党及び安倍晋三が言い出したのは明らかに参院選対策以外の何ものでもない。アベノミクスが社会的平等とは反対の格差ミクス、あるいは金持ミクスを実態とした社会的不公正そのものの政策であって、そのことが露わになっていることからの選挙不利回避の実態隠しといったところだろう。

 民主、維新、みんな、生活の野党4党は2014年衆院選挙公示前の11月6日、「労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律案」(通称「同一労働同一賃金推進法案」)を衆院に提出している。

 この提出に応じて生活の党の小沢一郎代表が2014年衆院選挙公示日の12月2日にNHKのニュース7に出演、「安倍政権は非正規雇用をさらに多くしようとしているが、これでは将来の身分の保障がない。非正規雇用には制限を加え、同一労働・同一賃金を目指すべきだ」(NHK NEWS WEB)と発言している。

 一方の安倍晋三が同一労働・同一賃金を政策として掲げたのは今年に入った2016年1月22日の施政方針が初めてである。それ以前は掲げてはいない。2016年1月1日安倍年頭所感で掲げた「ニッポン一億総活躍プラン」で後から目玉の一つとすることになった。

 後のことだから、この年頭所感では同一労働・同一賃金については一言も触れていない。2016年1月22日の施政方針演説から7日後の2016年1月29日の首相官邸開催の「1億総活躍国民会議」で「同一労働・同一賃金」の施策を具体的に検討するよう指示した。

 奨学金に関しては民主党はこの3月19日(2016年)、「共生社会創造本部」が給付型奨学金である「渡し切り奨学金」制度を提案し、今夏の参院選の公約にする方針を打ち出している。

 一方馳浩の文科省が考えていた2017年度採用生から適用の「所得連動返還型奨学金制度」は、貸与額に応じ返還額を固定していた現行制度に対して卒業後の所得に応じて返還額が変わる制度で、文部科学省の有識者会議は3月24日、所得に占める返還月額の割合を9%とする制度を決定、最低返還月額を2千円と定めて、年収ゼロでも返還可能だが、年収300万円以下の場合は最長10年の返還猶予も申請できるとしたと、「47NEWS」記事が伝えている。   

 要するに所得の増減に応じて9%の固定割合で返還する。職を失って所得がゼロとなった場合でも、余裕があれば申請して最低返還月額2千円の返還で済ますことができるし、余裕がなければ、返還猶予も申請できることになる。

 記事は最後に次のように解説している。

 〈現行制度は貸与額に応じ返還額を固定。大学生の無利子奨学金は月3万~6万4千円が貸与され、4年間借りると返還月額は9230~1万4400円となっている。
 2017年度に新規で無利子奨学金を借りる学生から、所得連動制か固定制のどちらかを選ぶ。〉――

 誰がどう見ても明らかに民主党の渡し切り奨学金(=完全給付型)とは異なる。

 このような制度にしようと3月24日に文部科学省の有識者会議が決定したばかりなのに10日後の4月4日、自公の教育関係本部が安倍晋三に返済不要の給付型奨学金の創設を提言した。

 民主党が渡し切り奨学金を提案し、参院選の公約とする方針を決めたことの背景には経済格差と連動した教育格差が無視できない形で存在するからだろう。安倍晋三にしたら現在各種の格差を作り出している張本人として選挙対策のためにもその印象を隠さなければならない。

 同一労働・同一賃金を打ち出したように給付型奨学金を打ち出さざるを得なかったはずだ。

 但し安倍晋三、あるいは安倍政権が狙っている給付型奨学金は一筋縄ではいかない制度に持っていこうとしている。

 2016年4月5日の閣議後記者会見。

 馳浩「給付型奨学金を巡る明確な提言が安倍総理大臣に出されたことは重く受け止めたい。政府内で合意を取りながら、水面下で煮詰めるところは煮詰めていきたい。

 給付の在り方を考えた場合、最初から4年間分の奨学金をどうぞというのは課題が大きい。進学や単位の取得を踏まえて判断される必要があり、返済免除型の方が理屈に合い、モラルにも沿っているのではないか」(NHK NEWS WEB/2016年4月5日 10時53分)  

 記事が解説しているように入学前に支給するのではなく、卒業後に奨学金の返還を免除する仕組みとした方がモラルに合致するとしている。

 当然、免除に条件がつくことになる。学業中心ではなく、音楽や演劇に打ち込んだり、あるいは登山やその他の活動に自分自身が今存在していることの意味を見い出そうとしている、あるいはそれぞれの意味を刻々と表現しようとしている若者がそこから人間としても社会的にも多くを学ぶことができるはずだが、そのことが学業(=テストの点数)にそのまま反映されずに単位をどうにか取ることができたり、ときには取ることができず、どうにか進学し、どうにか卒業した学生にとって、しかもまともな会社に就職せずにアルバイトで活動に専念しようという場合、果たして返済免除のテストに合格することができるだろうか。

 大学4年間をしっかりと勉強してそれなりの会社に就職したいと考えている大学生にとっても、卒業後返済免除されるかどうか不安な状態に置かれるだろうから、勢い用心深い生活態度を心がけなければならなくなる。

 いわば4年後の返還免除の判断をエサに関係者が色々と発言することで、その4年間を安倍晋三が、あるいは安倍政権が好む学生像にコントロールすることも可能となる。

 例えば「学生の本業は学業である」と、そのことを信念とすることを求める発言が繰返された場合、如何にその信念通りに4年間を過ごすことができたかどうかが判断基準となるだろうし、学生側は余程学業が優秀でない限り、4年間どのような成績を取るのかも、卒業後の進路にしてもそのときになってからでなくてははっきりしたことが分からないから、返還に確たる自信が持てず、返還を免れるために無難に生きることを選択することにもなりかねない。

 当然、貧しい学生は学業そっちのけで何かの活動に打ち込むといった冒険もできないことになる。例え打ち込んだとしても、4年後の返還か返還免除かを考えると、少なくともそのことに気を取られた腰の座らない活動とならざるを得ないはずだ。

 結果、国家権力にとっては好都合な、危険とは程遠い無難で事勿れな人間を育てることになる。

 現在もその傾向にあるが、親が裕福で、そのお蔭で大学生活を伸び伸びと生活ができる学業優秀な大学生のみが頭角を現す時代がより色濃く訪れるに違いない。

 馳浩はそれらの役を担おうしている。

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自衛隊員医療行為の法改正の動きが暴く安倍晋三の国民に説明せずに隠してきた自衛隊員の戦傷・戦死のリスク

2016-04-05 09:02:52 | 政治

 〈防衛省が、有事の際に最前線で負傷した自衛隊員の治療の拡充策について、有識者会議を設置して検討を進めている。〉と、《自衛隊、有事の治療拡充を検討 戦傷リスクに現実味TOKYO Web/2016年4月4日 朝刊)が伝えている。  

 要するに今年3月29日施行の安全保障関連法によって自衛隊の海外での有事発生時の軍事活動が解禁されるのに伴い(PKO活動ではない)、最前線で負傷した場合の自衛隊員(=兵士)に対する処置をどうするのか、今から備えておくということなのだろう。

 具体的には医師免許はないものの救急救命士と准看護師の両方の資格を持つ隊員に一定の専門の救護に関する講習を受けさせて「第一線救護衛生員」(仮称)に指定、気管切開等の医療行為ができるよう、法改正を視野に議論しているのだという。

 しかもこのような議論を行っている有識者会議が設置されたのは自民、公明両党間で安保法の法案化作業が大詰めを迎えていた昨年4月のことだと記事は書いている。

 会議のメンバーは医師、救急救命士団体の代表、自衛官OBらで、これまでに4回の会合が開かれたという。

 安全保障関連法が成立したのは2015年9月19日。この成立に遡る約5カ月前から、兵士の戦傷に備えた救命措置の議論が開始されていた。

 攻撃を受けた場合の兵士のダメージが常に負傷にとどまる保証はないから、手当が手遅れな兵士やその場で戦死した兵士を除いた、手当て可能な兵士のみを医療行為の対象とした有識者会議での議論ということになる。

 どのような戦傷を対象としているのか、大量出血や顔面の外傷・熱傷による気道閉塞(へいそく)、胸部外傷による緊張性気胸((肺から空気が漏れて、胸腔(きょうくう)にたまっている状態)といった致死性の高い戦傷だと記事は伝えている。

 (1)出血時の骨髄への輸液投与
 (2)気道確保のための気管切開
 (3)胸にたまった空気や水を抜く胸腔穿刺(きょうくうせんし)

 これら医師にしか許されない医療行為を救急救命士と准看護師の両方の資格しかない隊員に一定の講習で許可するというのだから、かなりの緊急性を要する戦傷に対する救命措置・治療を想定していることになる。

 緊急性を要する程に致死性は高くなる。 

 当然、両状況を計算に入れて、医師の手を借りなくても一定の資格を与えた自衛隊員のみで救命は可能にしようという有識者会議での議論ということになる。

 記事は二つの発言を伝えている。

 防衛省「国内有事を想定したもの。安保法制定とは別に、以前から省内で検討の必要性が言われていた」

 自衛隊兵士が戦傷を受けるのは国内有事のみで、海外有事ではあり得ないと言っているのと同じで、事実と受け止めることはできない。

 前田哲男氏(軍事評論家)「駆け付け警護や他国軍への後方支援など、危険性の高い任務を見据えた動きだろう。政府が隊員のリスクは高くならないと言う裏で、リスクを意識した議論が進んでいる。こういう現実に直面することがもっと広く知られるべきだ」

 軍事評論家の前田哲男が言っているように安倍晋三も防衛相の中谷元にしても、「PKO派遣でも自衛隊のリスクはあった。実地訓練(理論や説明だけでなく、実際にそのことを行うこと。また、そういう場面「goo国語辞書」)や教育訓練でどのような危機的状況にも対応できる対処能力を身につけることができるから、PKO以上にリスクは高まることはない」といった趣旨の「訓練絶対安全神話」を国会答弁やその他を通して国民への説明としてきたが、実際には自衛隊海外派遣で有事に遭遇した場合の救命措置・治療が極めて緊急性を要する致死性の高い戦傷のリスクを想定していながら、国民には説明せずに隠していたことになる。

 また攻撃を受けた場合の兵士のダメージが常に戦傷にとどまる保証はない以上、安倍晋三も中谷元も、自衛隊兵士の戦死のリスクも同時に国民に説明せずに隠していたことになる。

 想定される危険性ある情報を国民に説明せずに隠す一国のリーダーとはどのような存在だろうか。国民にとって安心できるリーダーとすることができるだろうか。

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アベノミクスが“金持ちミクス”であることを改めて教えてくれるロイター記事

2016-04-04 08:23:38 | 政治

 出だしで、〈4月1日、国内消費を支えてきた富裕層と訪日観光客の動きが鈍り始めている。〉と書いている、清水律子氏、編集北松克朗氏の手による《アングル:動き鈍る消費エンジン、「プチ富裕層」と「爆買い」変調》を読むと、安倍晋三の経済政策『アベノミクス」が“金持ミクス”を正体としていることがよく理解できる。   

 富裕層と訪日観光客は消費拡大の原動力になってきた二つのエンジンとして扱っている。アベノミクス推進の主要なエンジンでもある。

 但しここにきてその“金持ミクス”にしてもプチ富裕層と実際の富裕層の間にスタミナの違いが出てきて、異変を生じさせているようだ。両者間の元々の金銭的体力の格差が景気後退による収入の壁に当って、前者がスタミナ切れとまでいかなくても、相当に消費の速度を落とさなければならなくなったということなのだろう。

 記事をなぞってみる。

 〈年初からの株価下落が高級時計の売れ行きなどに影響、「プチ富裕層」の慎重な消費姿勢が顕著になってきた。〉と記事は解説している。

 安倍晋三が再び政治の舞台に踊り出て、その経済政策であるアベノミクスにより富裕層(金持層)が一手にその恩恵を独占状態にすることができ、当初からアベノミクスは“金持ミクス”であることの正体を露わにした。それがここに来ての株価下落や円高となって現れている景気後退の風当たりが先ず最初に金銭的体力の劣るプチ富裕層を直撃することになった。

 この現象は当然、アベノミクスが“金持ミクス”であったことの反動である。その反動が先ずプチ富裕層に訪れた。

 4月1日発表の3月の百貨店売上高速報。

 J.フロント リテイリング宝飾・時計売上高21%減
 高島屋 宝飾売上高6.5%減
     時計売上高4%減
 三越伊勢丹ホールディングス伊勢丹新宿本店・三越日本橋本店・三越銀座店宝飾・時計売上高3%減

 高島屋広報担当者「百貨店の高額品販売は、株価に対して2―3カ月遅れで連動する。年初からの株価下落により高額品の販売に影響が出ている」

 三越伊勢丹ホールディングス三越日本橋本店時計500万円以上販売個数 前年同月と同水準
                     時計100~500万円販売個数2桁減

 この時計の金額別販売個数にアベノミクスが“金持ミクス”であったにも関わらず、富裕層とプチ富裕層の消費動向に於けるスタミナの差を顕著に示すことになっている。、

 記事は消費拡大の原動力になってきた二つのエンジン のうちのもう一方のエンジンである訪日観光客の消費動向を免税売上高から見ている。

 〈高額品のまとめ買いから、化粧品を中心とした消耗品へと購買対象が移り、客単価が下落している。〉としている。

 三越伊勢丹3月客単価前年同月比17%減・客数30%増

 但し客数増加が免税店売上高を9.1%と逆に伸ばしている。

 高島屋「中国の景気減速の影響が懸念されていたが、中国の富裕層は1億人、そのうちパスポート保有は5%と言われている。まだまだポテンシャルは高い」

 日本の富裕層頼みの消費がプチ富裕層の間で少々息切れが生じている。中国人観光客に於けるプチ富裕層にしても同じ傾向が見られる。そこで訪日観光客の消費を数でこなす方向により傾斜することになっているといったところなのだろう。

 だとしても、全体としてプチ富裕層の消費額が落ち込んでいることに変わりはないし、そのことは今年3月の〈大手デパート5社の売り上げは、衣料品の販売不振に加え、これまで好調だった高級時計や宝飾品などの高額商品の販売が落ちこみ、5社のうち4社で去年の同じ月を下回る厳しい結果となった。〉と「NHK NEWS WEB」の報道にも現れている。  

 グループ全体の売り上げ

 阪急阪神百貨店昨年同月比1.6%増加
 大丸松坂屋同7.1%減少
 そごう・西武同5.7%減少
 三越伊勢丹同2.9%減少
 高島屋同1.2%減少

 この消費減の理由を、〈薄手のコートやセーターなど衣料品の販売不振が続いていることに加えて、これまで好調が続いていた高級時計や宝飾品などの高額商品の売り上げが落ちこんだことが主な要因〉と伝えている。

 デパート担当者「年明けからの株式市場の混乱の影響が出始めたとみている。いわゆる中間層の消費も厳しく、今後もマイナス傾向が続くか慎重に見極めたい」

 ロイター記事を合わせて読むと、高額商品に関してプチ富裕層が消費金額を押さえていると見るほかない。

 このように内外の富裕層が百貨店や免税店の売上(=消費)を支えてきた。

 消費の殆どを食品が占めている低所得層は収入が少しくらい減っても、あるいは食品の値段が上がっても、元々ギリギリの食費を大幅に切り詰めることはできないから、支出に大きな違いは見られない。

 このことは販売側の売上と連動して、売上自体も大きな違いは見られないことになる。

 だが、百貨店や免税店の高額商品の売上が落ち込んでいる。このように大きな動きが出るだけでも、“金持ミクス”内の動きであると同時にアベノミクスが“金持ミクス”であることの証明となる。

 ロイター記事を読んで改めてそのことを認識した。



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安倍政権の「必要最小限度」をキーワードに安全保障政策を拡大、核兵器所有と使用に広げようとするマジック

2016-04-03 10:54:09 | 政治

 無所属の鈴木貴子衆院議員が2月18日の参議院予算委員会での横畠内閣法制局長官の「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」との発言に関して核兵器の保有や使用についての政府見解を質す質問主意書を提出し、政府は4月1日の閣議で答弁書を決定した。

 政府答弁書「純法理的な問題として、憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではないと解されるが、保有や使用を義務付けているものでないことは当然である。

 核兵器の保有や使用をしないとする政策的選択を行うことは憲法上何ら否定されていない。現に、わが国は、そうした政策的選択のもとに非核三原則を堅持し、原子力基本法やNPT=核拡散防止条約により一切の核兵器を保有し得ないこととしている」(NHK NEWS WEB/2016年4月1日 16時01分)   

 憲法のどこをどう読めば憲法9条が一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではないと解釈できるのか皆目見当がつかないが、「必要最小限度」というキーワードをマジックに使っているから、そのように解釈可能とさせることができるのだろう。

 横畠内閣法制局長官は2月18日の参議院予算委員会で次のように答弁している。
 
 横畠裕介内閣法制局長官「憲法上、あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない。(但し)核兵器に限らず、武器の使用には国内法、国際法上の制約がある」

 白真勲議員「集団的自衛権行使の一環として日本が海外で核兵器を使用することは可能か」(解説体を会話体に直す)

 横畠裕介内閣法制局長官「そうならないと思う。我が国を防衛するための必要最小限度を超える海外派兵は許されないという考え方は変わらない」(時事ドットコム)   

 要するに自衛隊の海外での核兵器使用は「必要最小限度」を超える武力の行使に当たるから、核兵器を使用することには「ならないと思う」と推測している。断定ではない。

 2014年7月1日に安倍内閣が閣議決定した憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の閣議決定にしても、「必要最小限度」を集団的自衛権行使のキーワードとしている。


 《自衛の措置としての武力の行使の新3要件》(2016年7月1日閣議 決定)

 ①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

 ②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

 ③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 「必要最小限度」の武器使用であれば集団的自衛権であろう憲法には違反しないとする趣旨となっている。

 日本国憲法は必要な自衛の措置としての個別的自衛権までは禁じていはいないが、集団的自衛権までは認めていないとする《1972年自衛権に関する政府見解》にしても、個別的自衛権は〈外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。〉としている。

 つまり「必要最小限度」の武力行使にとどまる限り、日本国憲法は個別的自衛権を禁じていないとしている。

 そして安倍政権は同じ「必要最小限度」という枠をはめて、集団的自衛権の行使容認に走った。

 要するに「必要最小限度」をキーワードにして個別的自衛権を集団的自衛権にまで広げるマジックを見事成功させた。

 と言うことは、今回の政府答弁書が「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない」と閣議決定している以上、横畠長官の国会答弁で既に明らかになっているのだが、「必要最小限度」をキーワードににすれば、非核三原則や、原子力基本法、NPT=核拡散防止条約等の政府政策や国内法、あるいは国際法上の制約を取り払って核兵器の保有や使用に向かうことも可能とすることができることになる。

 だから、横畠長官は核兵器を使用することには「ならないと思う」と推測にとどめたのだろう。

 推測ではなく断定した場合、核兵器を使用する状況に迫られたとき困ることになる。

 核兵器の使用は保有を前提とする。

 では、「必要最小限度」の武器使用とはどの程度の範囲としているのだろうか。

 「必要最小限度」という言葉の意味自体は「必要とする最小の範囲」を言うが、「必要」という言葉は周囲に対応させる意味を含むから、相手の武力攻撃の規模・態様に対して武器使用の範囲を“最小”に限定するのではなく、対応させて変化させていくケースバイケースの可変性を構造とした、その範囲内の「必要最小限度」ということになる。

 相手がライフル銃で攻撃してこれば、こちらはライフル銃かそれ以上の武器を必要とすることになる。相手が機関銃で攻撃してこれば、こちらは機関銃か、それ以上に威力のある武器を必要とすることになる。

 いわば相手が行使する武力の規模・態様に対応させてより優位な地位の確保に動くことになる。

 ここで注意しなければならないことは、敵勢力の武力行使の縮小に合わせてこちらも段階的に縮小していく逆の構造の「必要最小限度」は敵勢力が降伏か撤退しない限り存在しないということである。

 相手の使用武器の縮小に合わせてこちらも縮小した場合、相手が突然使用武器を元に戻した場合、素早い対応で応えることができなければ、混乱を招くことになる。常に相手の勢力に対して優位な地位を取ることが得策となる。相手も優位性の確保に動くだろうから、双方共に使用武器や兵力を相互にエスカレートしていく。

 最終的には国力・経済力の戦いとなる。

 「必要最小限度」が相手の武力攻撃の規模・態様に対応させて変化を余儀なくされるケースバイケースの可変性を構造としていることは今夏参院選で自民党の推薦を受けて神奈川選挙区から立候補予定の元みんなの党、現在無所属の中西健治(52)が2015年6月9日、質問主意書で政府が言う「必要最小限度」は国際法上の範囲・内容を指すのか問い質したのに対する2015年6月16日閣議決定の政府答弁書が明らかにしている。

 〈お尋ねの「我が国に対する武力攻撃が発生し、これを排除するために、個別的自衛権を行使する場合」「必要最小限度」とは、武力の行使の態様が相手の武力攻撃の態様と均衡がとれたものでなければならないことを内容とする国際法上の用語でいう均衡性に対応するものであるが、これと必ずしも「同一の範囲・内容」となるものではない。
新三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」については、その国際法上の根拠が集団的自衛権となる場合であれ、個別的自衛権となる場合であれ、お尋ねの「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」は、武力攻撃の規模、態様等に応ずるものであり、一概に述べることは困難である。〉(以上一部抜粋)

 前半では、言っているところの「必要最小限度」とは国際法上の用語で言う相手の武力攻撃の態様と均衡性の取ることのできる規模を言うが、〈必ずしも「同一の範囲・内容」となるものではない。〉とし、後半では、個別的自衛権と集団的自衛権とを問わず敵勢力の「武力攻撃の規模、態様等に応ずるものであり、一概に述べることは困難である」としている。

 全体を通すと、国際法の取り決め通りに相手の武力攻撃の態様との均衡性を必ずしも取るわけではなく、相手の武力攻撃の規模、態様等に応じるから、その「範囲・内容」については「一概に述べることは困難である」との趣旨となる。

 「必要最小限度」とは、いわば相手の武力攻撃の規模・態様等に対応させて決める武器使用の想定を構造としていることになる。

 だから、「国際法上の用語でいう均衡性」に「必ずしも『同一の範囲・内容』となるものではない」し、相手の武力攻撃の規模・態様等に合わせるから、どの程度の範囲・内容となるかは「一概に述べることは困難である」ということになる。

 これが「必要最小限度の実力行使」の実態である。

 安倍政権は自衛隊の武器使用ばかりか、自衛隊の武力攻撃の規模・態様等に関しても、さらには自衛隊の行動規模・行動態様・行動範囲を決める安全保障政策に関しても、「必要最小限度」を主たるキーワードとして憲法解釈まで変更し、それぞれを拡大させていくマジックを物の見事に成功させた。

 このマジックをいつ何時日本の核兵器の保有・使用にまで広げない保証はない。

 安倍政権は既に「純法理的な問題として、憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない」と政府答弁書を閣議決定しているのである。

 小さなハンカチの中から鳩を出すマジックのように日本の核兵器の保有・使用の現実が飛び出さないとも限らない。

 安倍政権のその危険性に気づかなければならない。

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山田宏元次世代が言うように子どもを生む親の責任の上に保育園整備等の行政の責任があるわけではない

2016-04-02 08:26:21 | 政治

 産経ニュース《【保育園落ちたブログ】炎上必至!? 自民から出馬予定の山田宏・元次世代の党幹事長が「ブログは落書き。生んだのはあなた。育児は親の責任》(2016.3.31 14:55)を読んだ。

 夏の参院選で自民党から比例代表候補として出馬する山田宏・元次世代の党幹事長(58歳)が、〈3月31日、自民党党東京都連の会合で、待機児童問題をめぐる「保育園落ちた日本死ね」ブログを「落書き」としたうえで「私にしてみれば、『生んだのはあなたでしょう。(育児は)親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ」と述べた。〉と記事冒頭で伝えている。

 そこに発言要旨が載っていた。

 山田宏「現在、保育園の問題が大きな問題になっている。私も杉並区長時代、相当苦労した。その結果、区議会の自民党の皆さまとも協力させていただいて、一時、待機児童がゼロになったこともあった。そのためには相当な費用がかかってまいる。行革をしつつ、その費用を子供が増える国に(充てる)、それが実現できるのは自由民主党だと考えている。

 『保育園落ちた日本死ね』というような、まぁ、落書きですね。こういうものを振りかざして国会で質問しているようでは、私は野党はだめだと思う。この言葉自体も、私にしてみれば『生んだのはあなたでしょう』と、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ。

 その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う。そういったことなども含めて、やはり相当費用がかかってまいるけれども、これはまさに東京都の問題だと思っている。どうか私も先頭に立って頑張りたいと思うので、皆様方のお力添えをよろしくお願いする。

 その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う。そういったことなども含めて、やはり相当費用がかかってまいるけれども、これはまさに東京都の問題だと思っている。どうか私も先頭に立って頑張りたいと思うので、皆様方のお力添えをよろしくお願いする」(以上)

 「Wikipedia」で山田宏の経歴その他を見てみた。

 〈東京都八王子市生まれ。国分寺市立第三中学校、東京都立国立高等学校、京都大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾した(第2期生)[要出典]。熊谷弘衆議院議員の秘書を経て、1985年の東京都議会議員選挙に新自由クラブ公認で出馬し当選。〉

 思想的には南京事件否定論者であり、従軍慰安婦の強制連行を否定する歴史修正主義者として紹介されている。いわば日本民族優越論に染まっているために自国の歴史の暗黒面を認めまいとしている。

 確かに子どもを生む・生まないは極めて個人的な問題であって、親の責任の範疇に入る。だが、生まれると同時に社会が関わる。この社会とは主として国や自治体が行政作用を通して行う育児や子育てへの関与の協同的空間を意味する。

 当然、生む・生まないは親の責任であるが、その責任は出産と共に育児・子育てに関しては社会の責任と交じり合う。

 その理由はわざわざ断るまでもなく、出産とその成長が国の人口維持や労働力確保――つまりは日本の社会の維持、その活性化と発展に必要不可欠な人材面での要素となるからであろう。

 この中に文化の維持や発展も入る。

 そしてそのような必要不可欠の要請に基づいた社会の側からの責任の一つが保育所の整備であろう。

 また社会的人材は妊娠から始まり、出産・成長という過程を踏んで見るべき形を取っていく。その出発点のための社会側の責任として出産手当金や産休・育休等の制度を設けている。

 出産・育児・子育ての親の責任に社会の責任を交じり合わせなくてもいいと言うのだったら、いわば国の人口維持や労働力確保のための人材視していないし、全て親の責任だとするなら、出産手当金も出産後何カ月健診とか何年健診とかはやめたらいい。保育所の整備も必要なくなる。

 だが、山田宏は出産を含めた育児・子育てに関わる親の責任と国や自治体の行政作用を通した社会の責任が妊娠以後同時進行性でなければならないのに、出産は「『生んだのはあなたでしょう』と、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ。その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う」との表現で、行政としては保育園等の整備はするが、育児・子育て、更に社会的人材への成長は全て親の責任だと、それぞれの責任を別個に見て、子どもを生む親の責任の上に保育園整備等の行政の責任を置いている。

 要するに子どもの成長過程の一時期に必要とする施設の整備・提供は行う、行政側のその責任は果たすとする、それだけの観点で出産・育児・子育てを見ているから、「生んだのはあなたでしょう」、「親の責任でしょ、まずは」と言うことになる。

 だからこそ、社会の責任を切実に求める「保育園落ちた日本死ね」のブログを親の責任とのみ切り捨てて「落書き」と貶すことができる。

 小学校からの義務教育にしても、高校教育にしても、更には大学教育にしても、子どもの社会的人材への成長に向けた親の責任に国や自治体の行政作用を通した社会の責任を交じり合わせているからこそ存在している教育制度であり、教育施設であるはずだが、育児・子育てを全て親の責任とするなら、これらの制度も施設も必要なくなる。

 但し国や社会が必要とし、期待する人材は望むことはできなくる。そのことを覚悟しなければならない。

 山田宏は東京大学と並んで日本の最高の大学の一つである京都大学を卒業し、その学びの上に58歳の今日まで社会から多くを知識することになったはずだが、国民個人と社会との関わりについては何も学習していない。いや、無知に等しいようだ。

 大学に実際に入学し、卒業してそこそこの知識を獲得していたとしても、学ぶことについてのノウハウを身につけていなければ、あるいは逆に間違ったノウハウを身につけることになっていたなら、大学の学業そのものが意味を失い、これこれこの通り京都大学を卒業していると触れ回ったとしても、学業に見合わない卒業ということになって、ある種の学歴詐称となる。

 どうも山田宏は学歴詐称の人であるようだ。

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乙武洋匡は国会議員にならなくても既に十分に政治家の才能と資格を持っている

2016-04-01 06:55:15 | 政治

 2016年3月24日発売の「週刊新潮」が、「Wikipedia」によると、〈日本の文筆家、タレント、元NPO法人グリーンバード新宿代表、元東京都教育委員、元教職員、元スポーツライター〉の乙武洋匡氏39歳が5人の女性と不倫関係にあったと報じているといくつかの各マスコミが取り上げていた。

 第一印象は女性関係に関してはなかなかの発展家だったんだなであった。

 ネット辞書で「発展家」という言葉を確認してみると、「コトバンク」や「goo辞書」では「手広く盛んに活動する人。多く、酒色の方面についていう。」と解釈しているが、「Weblio辞書」では、「広い範囲で活躍する人。酒や異性関係にいうことが多い。」となっている。

 私の頭の中では「発展家」とは異性関係を対象とした言葉となっている。例え妻がいようが子供がいようが、あっちの女性、こっちの女性と関係を発展させていく男のことである。

 女性の場合は逆となる。

 夫がいて、子供も3人もいて、5人の男性と関係を持っていた。相当な発展家と見ないわけにはいかない。

 この週刊誌報道について乙武洋匡はその事実を認めて、夫婦で《『週刊新潮』の報道について》と題して謝罪のコメントをネット上に公開している。  

 この週刊誌は乙武洋匡が5人の女性とは別の女性とホストクラブに出掛け、そのVIPルームに入り込んで、「このままじゃ帰れない」と言い放ち、いきなりキスしたが、女性に拒否され、逃げられたということも報じていて、女性は取材に対して「(乙武氏とは)二度と会いたくありません」と言っていたということだが、この件を昨日3月31日のTBSテレビ「ひるおび!」が取り上げた際、作家の室井佑月が、「酔っ払ってキスしたっていうことが週刊誌のネタになるっていうのも、どうかなっていうふうに思うんですよね。酔っ払っちゃったら、ブチュブチュチューとかしちゃったりしません? ノリで」と発言、一瞬その場がシンと静まり返ったと「livedoor」が伝えている。  

 いわばマスコミがこの件について批判の文脈で取り上げることを暗黙の了解とした報道姿勢でいるところへ室井佑月が乙武洋匡の行為を擁護したから、一瞬シンと静まり返ってしまったということなのだろう。

 批判する人間がいてもいいし、擁護する人間もいてもいいわけである。

 但し酔って単にキスを迫ったのが事実なのか、次の肉体関係のターゲットにするつもりで、その手始めの行為としてキスから入ったといったところが事実なのか、それぞれの事実の解釈次第で見方が違ってくる。

 後者であるなら、新しいオモチャを買い与えられてもすぐに飽きてしまって、新しいオモチャを次々と欲しがる子供のように一人の女性との付き合いは、いっとき夢中になって遊んだオモチャが押し入れの中に放り込まれ、忘れられた存在となっているように関係は続いていたとしても、気持そのものが長く続かず飽きてしまっていて、いないと同じ存在となり、未知の女性を征服する形で肉体関係を結ぶのでなければ、その存在を感じ取ることも高揚感も出てこないタイプの持ち主かもしれない。

 となると、「失った信頼を回復するのは決してたやすいことではありませんが、いま一度、自分を見つめ直し、家族と向き合っていく所存です」と謝罪コメントで心決めている様子を見せていても、一度染まってしまった覚醒剤からなかなか逃れる事ができないように新しい女性でなけれが性的刺激を得ることができない性格傾向は簡単には治まらないかも知れない。

 乙武洋匡に関しては自民党が今夏の参議院選挙に障害がありながら執筆や講演を続ける姿が安倍政権の掲げる「1億総活躍」をアピールできる目玉候補として、東京選挙区(改選数6)への擁立を検討していたと、「産経ニュース」、その他が伝えていた。
 
 当然、週刊誌の不倫報道を受けて自民党が公認候補として擁立するかどうかに注目が集まった。敢えて火中の栗を拾うかどうか。

 擁立を計画していたのは自民党ばかりではなく、民主党も計画していたようだが、最近は自民党からの擁立に話題が集中していたということは乙武洋匡自身が自民党からの立候補を決めていたからだろう。

 だが、3月30日、自民党は擁立を見送る方針を決めた。自民党に関しては「育休宣言」をした若きホープ宮崎謙介前衆院議員35歳が不倫問題で 2月16日に議員を辞職したばかりである。立候補を強行して当選、それを以て不倫を正当化し、不倫文化を打ち立てることに成功したら、助かる自民党議員がワンサと出てくるのではないのかと思うのだが、安倍晋三が女性の活躍をアベノミクスの柱として掲げている手前、女性が主体的に活躍するのではなく、男性の性的活躍の道具と正当化されかねないことに警戒を示したのかもしれない。

 自民党乙武洋匡参議院選擁立断念を受けて同3月30日、乙武洋匡が報道各社にファクスを送ったという。そこには「さまざまなお話をいただいておりましたが、これまでもお答えしてきた通り、出馬の意向はございません」と書かれていた(「FNN」)という。  
 
 この文面を読む限り、幾つかの党から参院選擁立のお話は頂いていたが、出馬の意向は最初からなく、そのことをこれまでお答えしてきたという趣旨となる。

 このコメントが事実とすると、自民党が擁立を見送る方針を決めたとする事実が今度は矛盾を呈することになる。出馬を断ってきた者を擁立する方針でいたが、不倫報道を受けて擁立を見送ることになったという経緯を辿ったことになり、滑稽な紆余曲折を経たことになる。

 例え断られても、出馬の誘いを続けていたと言うことなら理解できる。但し不倫報道を受けて下手に擁立したなら、逆に有権者離れを引き起こしかねない危険性から擁立を断念したということなら、出馬の誘いを即中止するだけで事は片付く。擁立見送りの方針を決める手間をわざわざ持ってくる必要はないし、その方針をマスコミに伝える必要もない。

 上記「FNN」記事は、来週、東京都内のホテルで開く40歳の誕生日パーティーに約1,000人を招待、そこで正式に出馬表明をする段取りだったとされているとまで伝えている。

 つまり自民党は乙武洋匡から出馬の承諾を得ていた。得ていたからこそ、擁立見送りの方針を決めなければならなかった。乙武洋匡の方は不倫報道が出るまでは出馬に向けてやる気満々でいた。

 それを最初から出馬の意向はなかったかのように平然とすり替えることができる。このゴマカシだけでも、国会議員にならなくても、既に十分に政治家の才能と資格を持っていると言うことができる。

 なかなかの政治家である。もし不倫報道に勝って国会議員になれる機会を得たなら、さぞかし頭角を現すに違いない。

 但しさらなる不倫がバレない限り。

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