北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】岐阜基地航空祭2024総合予行.快晴一転の曇天と雨雲迫る鉛色の各務原上空(2024-11-14)

2024-11-17 20:23:02 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■異機種大編隊
 順光も逆光もこの天候だと関係が無いという事を痛感しつつただただ雨が降り始めないかだけが心配という中で。しかし一歩間違えれば本番がこうなっていたのだ。

 岐阜基地航空祭名物の異機種大編隊が頭上を、というには若干離れていますか、大空を往く。ちょっと前まではF-4ファントムもこの大編隊に加わっていましたが規模が小さくなった、とおもう。それでも昨今自衛隊行事全般から大編隊の規模縮小が相次ぐ。

 F-15戦闘機とF-2戦闘機、F-35戦闘機もいずれはここに加わることを期待したいのですが、何しろF-35は秘密保持の資格保有者以外は近づけず、先日護衛艦かが艦上でF-35B発着試験を行った際は航空自衛官一部は機体に近寄れても海上自衛官は禁止とか。

 GCAP次期戦闘機、開発がどうなるのかが非常に不安で、これを逃せば欧州もまともな次世代戦闘機開発計画は、というよりも第五世代戦闘機も独自開発している事例は欧州単独ではないため困ることになるのですが、GCAPはここに加わるのかなあ。

 輸送機同士の編隊飛行、C-1FTBとC-2輸送機が編隊を組んでこちらに戻ってきました、一応滑走路に沿って基地の周りを旋回するので、本番でも機体の下面だけを見上げる、という状況にはならないのかなあ、とこの飛行を眺めつつ考えるのですけれど。

 航空祭本番でどのような軌道を撮るのかが予行で見極めるのだけれども、航空祭は全国で幾つもあって、予行をしっかり撮影できる航空祭というのは限られている、北大路機関ではほぼほぼ予行を撮影できるのは岐阜基地航空祭だけ、というかんじ。

 総合予行、ということになるのか、通常航空祭というのは総合予行を土曜日に、地元住民を招待して特別開放日というものを兼ねて総合予行を行うのですが、岐阜基地航空祭の場合は土曜日は基地にない機種の予行と、あとは外来機の着陸があるのみ。

 70周年の異機種大編隊、今度は18mm広角に固定して撮影、背景の峰々も構図に含めて、そしてもちろん今にも降り出しそうな雲と共に。降り出しそうを振り出しそうとばかり変換するこのPCだが、振り出しそう、というのはどんな日本語なのだろう。

 異機種大編隊、東海自然遊歩道という基地の機体側にある、かなり標高が高い遊歩道の展望台から撮影するとこの大編隊の背景に名古屋駅の高層ビル群を収められるという、興味ある構図なのですが、登山に一時間以上かかると聞いてちょっと断念する。

 三井山、朝一番に三井山に登ってそこから撮影するという方も多いそうだけれども、かなり考えた末、三井山は快適に撮影する収容力は15名程度、目一杯つめて35名、それ以上すると殺伐とした撮影環境、カメラレンズが振り回せない状況になるのだ。

 C-1FTB着陸へ。三井山から撮影するという選択肢、考えてみたけれども混雑しそうだし無理だなあ、と。近くの佛眼山という三町に寺院のある山は基地から東方が高い木々に囲まれているので撮影環境としては厳しく、結果、木曽川堤防に上ることに。

 C-2輸送機着陸へ。事前訓練と予行に総合予行、と一通り撮影したのだけれども、曇天だと機動飛行も慎重になっているようで、安全第一なのは当然だけれど、ここまで自衛隊が航空祭を準備しているのに、いよいよ風も湿っぽく、天候がこれでは、本番の天気予報はこの時点でこれよりきびしかった。

 滑走路へと大きく旋回して高度を下ろしてゆくC-2輸送機を眺めつつ、遂に小雨降り始める。予行と事前訓練の青空を思い出し、これが、空の青さを知る人よ、というなにかアニメーション映画のタイトルのような感じで青空で撮影できた写真を思い返すのでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【M-5撮影特報】岐阜基地航空祭2024総合予行,快晴一転の曇天と雨雲迫る鉛色の各務原上空(2024-11-14)

2024-11-17 20:00:52 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■曇天と雨雲迫る
 まったく天候というものは読めないものですよ一日で本当に一変するほどに。もっともその真逆が一日で好転した日曜日なのだが。

 C-1FTBの離陸、総合予行の様子は非常に残念なことにここまで事前訓練やよこうの段階では快晴、多少雲が出ていて撮影した日にちの違いが判る程度の秋晴れや冬晴れという気象条件であったのが、この日ばかりはどうなったのかなあ、という状況に。

 C-2輸送機の離陸がC-1FTBと編隊離陸のようにローパスするC-1FTBとともにC-2輸送機が離陸してゆきます、天気も悪いのですがこの話題を掲載するPCの調子も悪くなり、東芝時代のDynabookなのですけれども、変なところで変換が止まったり。

 F-15戦闘機の機動飛行、撮影はどうしても18-150mmSTMレンズを装着したEOS-M5,望遠に限界がある。もっといいレンズを買いなよ、と言われるかもしれないがCANON自身がEF-Mレンズを55-200mmまでしか出していないために、ほぼほぼ限界に。

 東芝のDynabookもCANONのEF-Mレンズも、日本の技術者軽視といいますか、ものづくりに適当なことをやっていますと、これから凋落が凄いことになるのだろうなあ、と。目が出なくとも防衛装備庁のように技術を絶やさないよう継続する必要が。

 異機種大編隊、そう、どうがんばってもこの曇天ではこれ以上映らないのですね、またレンズもEOS-7Dのほうに集中していますからどうしても11のようにしかみえないのですが、70という文字、航空自衛隊70周年を編隊で描いているものですが。

 撮影は失敗、というのが現実的なところか、EOS-7Dのほうは多少まともに映っていますが、まあ、これだけ曇天ですと撮影に失敗してもそれほど惜しくない、というところもあるのかもしれない、フレームをはみ出してしまっている感じで。

 F-2戦闘機機動飛行、この撮影位置は木曽川堤防で岐阜基地からは南に3㎞程の位置にあります、ですから背後から陽光が差して順光の撮影環境となるはずなのだけれども、曇天では逆光とさほど変わらない、この時点で本番はもっと悪天候だという。

 飛行開発実験団特別編隊、山頂の寺院と共に進入する航空機の編隊を撮影した構図ですが、これ、先週まではC-1FTBが担っていた編隊を今しゅうのよこうからC-2輸送機が担うようになりまして、此処でおぼろげながら当日の編隊の順番が見えてきました。

 航空自衛隊70周年の記念マーキングが、C-2輸送機とF-15戦闘機とF-2初号機にも描かれている、この距離ではT-7練習機の尾翼にも描かれているのかは見えないのですが、なによりもF-15なんかが目一杯速度を落としている様子が、凄い編隊なのだ。

 T-7練習機は目一杯速度を上げているのですが、フライバイワイヤで飛行しているF-2戦闘機や空挺降下の際に速度を落とすとともにSTOL性能を重視して設計されたC-2輸送機は兎も角として、このF-15がT-7の速度まで落とすのは大変だろうなあ。

 異機種大編隊その二が飛来しました、通常の航空祭では大編隊というのは一かい航過飛行をしたらそれまで、なのですが岐阜基地航空祭の異機種大編隊は幾度か編隊を組みなおして実施してくれますので、撮影に失敗した場合でも編隊は別の画が撮影できる。

 C-1FTBとC-2輸送機の編隊飛行、同じ編隊が入間基地航空祭でも見れるという事で期待していましたらば、C-1とC-2とU-4の3機編隊、非常に規模が小さくがっかりしたのを思い出す、しかしこちらの大編隊は大編隊の名そのものの規模となっています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【M-5撮影速報】岐阜基地航空祭2024予行.C-1FTB&C-2輸送機とF-15特別塗装機(2024-11-13)

2024-11-16 20:01:21 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■70周年大編隊
 明日の天気はどうなるのだろうか若干好転の予報もでているようだけれどもさてさて。

 C-1FTBとC-2輸送機、今年の岐阜基地航空祭は、こう、しっかりとC-2輸送機とC-1輸送機、まあC-1輸送機というよりはC-1FTBフライトテストベットという名のだけれども、この編隊飛行というのが、貴重な、変化を前にした情景といえるのかもしれない。

 C-2輸送機は、この試験機塗装は初号機、思い出せば例えばUS-2救難飛行艇は試作機も迷彩塗装となりまして第一線任務につき、先日退役しましたけれども、C-2輸送機の試験機と層のまま現役となって半世紀は飛び続けるのだろうか、迷彩となるのか。

 F-2戦闘機の試験機塗装のまま、エシュロン編隊で異機種大編隊に参加した戦闘機と練習機が岐阜基地上空へ展開して参りまして、エシュロン隊形を崩して大きく旋回してゆく、こう、滑走路へと着陸する機動をとってゆきました。

 機動飛行も好いけれども、編隊飛行というのは、数が多いだけあって、数の迫力というものがある、その編隊が一気に躍動する感じ、そんな情景を撮影できるのがこの瞬間なのだけれども、言い換えればこの後着陸してしまう寂しさもあるのだよなあ。

 エシュロン隊形で、まずどの機体が参加しているのか、特に今年しか見られないのはイーグルの試作機塗装、これは航空自衛隊創設70周年記念塗装という、是非撮影しておきたい塗装のイーグルがどこに来ているのか、という注目するてんが変わってきて。

 70周年の記念マーキングは、実はF-2初号機の垂直尾翼にも描かれているのだけれども、この機動では確認しているところはそんな暇はないよ、となってしまう。もう考えるよりもシャッターを押して撮影しておく、写真の出来は後で確認しよう。

 スペマ機、スペシャルマーキングのF-15戦闘機も、滑走路に進入するときはこの撮影位置よりも南側の、つまり逆光の位置を飛行してしまうので、ちょっと見分けがつかなくなってしまうけれども、イーグルだ、というシルエットは鮮明にわかるのだ。

 異機種大編隊。異機種大編隊。あれ、エシュロンは、と思われるかもしれないけれども、実はこの日木曽川堤防でも、あれ、タッチアンドゴーでまた離陸したぞ、と困惑だった、70の文字を描いて再度飛来してきました、やり直し、なのかな。

 航空自衛隊70周年記念の70を大空に描くこの異機種大編隊、基地から3km近くはなれた木曽川堤防でこの大きさだから、当日は魚眼レンズ、とまではいかずとも、しかしかなりの広角レンズが無いと画角からはみ出してしまうのでは、と思うもの。

 EOS-M5に18-150mmSTMレンズという新装備で撮影しているのだけれども、メインカメラではないので適当にカメラ任せで撮影していましたならば、もうこの70の数字を構成する航空機が何機かフレームを出てしまった、大空に描かれたこの数字が。

 18-150mmSTMレンズから出てしまった、と思ってよくよく数えてみるとこれ、70の”0”という数字を3機編隊で描いているので、はみでてしまったのではなく機数が足りていないのか、まあ、そうだこれが予行なのだよね、と妙に納得してしまう。

 異機種大編隊を完了して、しかし予定として岐阜基地が発表していた機動飛行の時間を超過していたのでエシュロン隊形は組まずにそのまま順次着陸してゆきました。けれども二度も70の大編隊をみることができましたので、ちょっと好い大団円でしたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【M-5撮影速報】岐阜基地航空祭2024予行,C-1FTB&C-2輸送機とF-15特別塗装機(2024-11-13)

2024-11-14 20:06:31 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■自衛隊70周年
 2024年は1954年に自衛隊創設を迎えてから70周年を迎え航空自衛隊も創設70周年を迎えました。

 岐阜基地航空祭予行です。先週までが事前訓練、今週からが予行、という感じなのかなあ、と思いつつ見ていますが。今回撮影しましたのはEOS-7DとかPowerShotG3XとともにEOS-M5と加えまして、レンズも多種多様となってもはや動くカメラ屋さん。

 飛行開発実験団は様々な機種が配備されていて、機数全体で見ればそれほど多い訳では無いのだけれども、保有航空機のかなりの割合を飛行展示に参加させてくれますので、みていて迫力があるのです。そして試験機塗装も複数有り、こんな編隊も。

 EOS-M5,今回の飛行展示はM-5速報ということで、EOS-M5を使っています。EOS-7DMark2で撮影した写真はもう少しあとに掲載することとしましょう、なにしろあればCFカード方式なのでSDカードのようにPCに直挿しできないものなのですから、ね。

 異機種大編隊、C-1FTBを先鋒に殿をC-2が固めるという、昨年はC-1FTBが川崎重工にて定期整備中に航空祭となりましたので、見れなかった編成の異機種大編隊が、今年行われるという。これも事前訓練から予行に航空祭準備が進んだ証、といえるのかな。

 M-5,これはCANONが最初に出した、数年で規格廃番になった、ミラーレスシリーズの後期に出されたもので、CANONはこのミラーレスに本気で取り組まなかった性なのかまともな望遠レンズが出ず、基本的にわたしも軽いレンズ扱いで扱っていて。

 18-150mmSTMレンズ、遂に購入しました、迷いに迷ってまもなく十年、とは行かないまでも時間がかかりました、が、やはり航空機をEFレンズにアダプターを取り付けてミラーレスのEOS-Mシリーズで撮影するのは無理がありました、ピント合わない。

 15-45mmレンズを主に使っていましたが、地上展示航空機ならばまあこのレンズで撮影できるのだけれども、飛行展示は500mm望遠林立する中、やはり45mmというのは歯が立たないものでして、従来はこういう状況ではG3Xの独壇場となっていた。

 150mmまで伸ばせる、となりますとずいぶん撮影領域がかわってくるものです、これはEOS-7DMark2に300mmF2.8という大げさなレンズとその根元に2倍テレコンを取り付けて実質600mmで撮影していて、その写真と比較してもなんとかなる、という。

 青空、カメラの話をしましたが、何よりもかによりも、結局のところ航空機を撮影するというのは天候に左右されるものだ、という認識もないではない、機材も重要ですが、天候がもっとも大事で、しかしながら今週末の天気予報、それほどよくない。

 C-1FTBとC-2輸送機初号機、いつかこの初号機はC-2FTBとして様々な機材のフライトテストベットになるのだろうなあ、とおもいつつ。C-1輸送機は初飛行が1970年、FTBがその初号機だから初飛行から54年を経てもこんなに元気に飛行できることに驚く。

 C-2輸送機という出来の良い後輩を導くような飛行は青空を背景に、なんとも気持ちよさそうに見える、そのC-1輸送機は実戦部隊では入間と美保に配備されていましたが、美保はもう何年も前にC-2機種転換完了、そして入間でももうまもなくなのだ。

 飛行開発実験団でのC-1FTB任務はもう少し続く、のだけれどもまもなくといって過言では無い、川崎重工での最後の定期整備は完了しているし、なにより50年以上前の、54年も前の航空機そのものなのだから、こういう風景は非常に貴重な記録となる。

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【M-5撮影特報】岐阜基地航空祭2024事前訓練-70周年祝う飛行開発実験団大編隊(2024-11-08)

2024-11-12 20:05:06 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■C-1FTBを先頭に
 岐阜基地航空祭2024事前訓練の様子を。頑張ってみてもEOS-M5には22mmSTMと15-45mmSTMしか手元にないのですが広角レンズでもこんな感じで撮れるよ、と。

 飛行開発実験団の異機種大編隊がこちらへと向かってきました、こういうのは予行出ないと撮影できない構図、というのもこういう編隊は真下から見上げるように考えているものの、少し離れた場所から真横に見上げた方が圧縮効果で凄い写真となる。

 圧縮効果で、圧縮効果、圧縮、ううむ。今回の写真はEOS-7DではなくEOS-M5に15-45mmSTMレンズを装着して、いわば、景観景況を撮影できるようにして、このレンズも駐屯地祭では多少なんとかなるのだけれども、航空祭では厳しいのかもしれぬ。

 C-1FTBを先頭に異機種大編隊、銀悪露のC-1FTBが際立つとともに、今年の航空祭の低調ぶり、浜松基地がT-4の機動飛行を行わなかったり入間基地が外来の戦闘機による機動飛行を行わず輸送機も2機までしか飛行させなかったことを考えると岐阜が。

 岐阜が、というよりも雲が、少し前までの鮮やかな試験機塗装が急にどんよりと、いうまでもない、機体が日陰に。曇天ではないこの岐阜の空ですが、叢雲と太陽が重なりますと、青空を背景にしていても、まあ。この逆光で撮影したのではないかと。

 太陽が戻った、金色のC-1FTBとともに随伴する特別塗装のF-15や試験機塗装のままのF-2初号機やなんかがそれらしい色合いを見せている、そして改めて思うのがサブカメラにしてもこの15-45mmSTMの、45mm焦点距離で航空機を撮るむずかしさ。

 斜線編隊、エシュロン隊形で岐阜基地上空へ戻ってきた異機種大編隊事前訓練参加航空機たち、この基地からかなり離れた場所で撮影するのは圧縮効果で撮影するとともに、エシュロン隊形もまた圧縮効果で狭まった陣容のように映るという利点があるのだ。

 エシュロン隊形からブレイクターンへ。F-2初号機が旋回を始めた、ブルーインパルスのコンバットローリングピッチのような感じで、ブレイクターンが開始されるのは着陸の準備、航空祭でもこの軌道が見え始めましたら、その飛行展示はいよいよ大団円だ。

 ブレイクターン、広角といいうる45mmでほぼほぼテキトーに撮影したようなこの構図ですが、まあ、これはこれで、岐阜基地が住宅街の中にある基地、というところの一端が分るような構図、望遠レンズで狙いこむその瞬間が広角レンズだとこんなかんじ。

 18-150mmSTMレンズを新しく購入しようかなあ、いい構図なのだけれども、45mmの限界というところか、EOS-Mレンズそのものが先が無い機種で、EF55-250mmを変換アタッチメントとともに使っていましたが、航空機だとまともに動かない。

 EF55-250mmはいいレンズ、なのかもしれないけれどもAFがEFレンズでありEF-Mではないことからカメラに装着するとAFが滅茶苦茶な動きをして、被写体にピントが合う時にはすでに通過している、初期の全自動運転車並みにつかいみちがないのだ。

 構図は良く、そしてEOS-Mについても、ここまでCANONのミラーレスが初歩的となっていると、備蓄してある一眼レフを使い続けるほかないのかなあ、と思う。もっとも、玄人の意見をくださる方曰く、消耗品としてEOS-R7というのはいい、とも。

 EOS-R7、本命のカメラを延命させるための使い捨てには付けえるよ、とは玄人の方の場合、家電と割り切るための発言でして、ううむ、私が欲しいのはカメラなんだよなあ、と思いつつ。18-150mmSTMをどうするか何度目かですが、考えたのでした。

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【M-5撮影特報】岐阜基地航空祭2024事前訓練,70周年祝う飛行開発実験団大編隊(2024-11-08)

2024-11-10 20:00:08 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■航空祭事前訓練
 岐阜基地航空祭までいよいよ一週間という事で事前訓練にも熱が入ります。

 岐阜基地航空祭2024事前訓練、行って参りました。今回は編隊飛行の様子を撮影するのですが、エシュロン隊形などを撮影するにはちょっと離れた方が良い、という構図上の観点からいろいろかんがえ、今回は木曽川堤防まで南下してみましたしだいです。

 70、そう、70だ。今年の岐阜基地航空祭では大編隊は70の数字を大空に描くという、まあ、70の数字を読み取るには限界に近いほど、機数の限界はあるのですが、しかしこれはどうみても70の数字を描いている、今年は自衛隊創設70周年なのだから。

 EOS7DMark2、今回のメインカメラはこちらなのですけれども、今回の撮影につかいましたのはEOS-M5,これに15-45mmSTMレンズという、基本的に広角で寺社仏閣を撮影するレンズを、この大編隊撮影に使ってみました、最低でも300mmは必要な状況なのだが。

 編隊飛行だと、45mmという望遠と謂うよりはポートレート用の焦点距離のものでも、なんとかなるのかなあ。こういうのも、いちおうEF55-250mmISレンズに変換アダプターを装着してEOS-M5用には準備しているのだけれども、航空機撮影にはとにかく愛称悪い。

 15-45mmSTM、焦点距離的にはもう不満も不満という水準の、せめて18-150mmでもあればとおもうものの、手元にはSTMレンズは22STMしかありませんので、これしかないのだ、と、まあ、証拠写真用でも目尾員はEOS7Dだし、ねえ、なんて気分で臨んだのだが。

 F-15の記念塗装、やはりこの焦点距離ではまさに証拠写真なのですが、この場面ではこれに輪を掛けて陽光はちょっと雲の中に行ってしまったようで、機体に太陽光があたっていない、角度の問題なのだけれども、ちょっと寂しい状況に仕上がっていて。

 C-1FTB,F-15記念塗装、FSX/F-2初号機、それに似た色のT-7練習機、よくぞまあここまで速度の違う航空機を見事に並べたものだ、凄い、という印象で。ちなみにEOS=7DについてはEF100-400mmISという航空祭の定番のようなレンズをとりつけている。

 太陽がもどってきた、ライジングサン、たいようサン、こうやってみると漸く機体の鮮やかな塗装の意味が見えてくるようで。しかしこのEOS-M用の望遠レンズ、55-200mmSTMというのが、もう生産中止ながら市場には残っていて、買ってみるべきかなあ。

 EOS-R7が凄い、という話は一部で聞くのですが連写時の使い勝手がEOS-7DMark2よりも厳しいところがあると謂いますから、どうせサブ機だよサブ機、と本気にならないカメラとして考えるならば、このM-5でもう何年か使ってみるというのも、ありかのか。

 一眼レフからミラーレス一眼カメラ時代に入るとはいわれるのですが、いちおう、一眼レフは予備の機種を買いそろえては、あります。だからメイン機種はもう少し余裕があるのだけれども、サブ機種、そのレンズはどうしたものか、こういう写真を見ると。

 大編隊はこういうことを考えている間に、やってきました。山頂に寺院を頂く仏眼山のとなりを大編隊、大編隊と謂うにはもう少し飛行機がほしいか、しかし中編隊というには充分以上の規模を誇って、輸送機と戦闘機と練習機が、やってきましたね。

 岐阜基地航空祭事前飛行はまもなく予行と総合予行へと進んでゆきます。本番の日のお天気がどうなるのか、ちょっと気になってしまうものですから、そうしますとこういう事前訓練を見ておくと、本番の日に天気図をにらまずに済むのかな、と思ったりします。

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【M-5撮影特報】入間基地航空祭2024.青空とC-1と来場者数25万日本最大の航空祭(2024-11-03)

2024-11-09 20:00:20 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■入間の青空
 先週の金曜日も荒れ模様でしたが本日も鹿児島へ大雨特別警報がでるほどという不思議な気候だ。

 C-1輸送機、入間基地航空祭へ久々に、総本当に久しぶりに行きましたのはこのC-1輸送機がいよいよ第一線部隊からの運用を退くところとなりまして、いわば第一線部隊のC-1輸送機、かつて岐阜航空祭でC-1FTBと並んだC-1輸送機2号機とお別れするためでした。

 入間基地航空祭、当初は曇天が懸念されるとともに前日にはかなりの雨量がありまして、東海道新幹線が断続的に運転見合わせとなるなど厳しい状況ではあったのですが、これほどの青空まさに快晴、この天候回復は奇跡的、というところでありました。

 混雑するという印象の航空祭、入間基地は混雑が凄い、という話題は、わたしも同様の印象を受けていますし、敢えて家族が行きたいと謂っても、入間は危ないから、と単身で撮影に来ましたという方も少なからずいますのがこの航空祭なのですけれども。

 西武線の稲荷山公園駅からエプロン地区までの経路が一番混雑している、この混雑、人口密度の極端な偏重が、入間基地航空祭の混雑度合いを印象づけているのかな、と。実際わたしが初めて行ったのは2005年、航空祭のさなかに売店地区にいっていまして。

 ブルーインパルス、2005年の航空祭では合間の時間に売店地区へ行き食事を愉しみまして、そしてブルーインパルスの飛行展示にあわせて戻ろうと、いちばん混雑する経路を混雑する時間帯に移動したため、人口密度の威力を思い知らされた構図なのです。

 グレートウォール、友人はこうした表現をしましたけれども、西武線で航空祭に来る方と、西武線で航空祭から帰ろう、という方が、なにしろ基地の敷地に隣接して西武線が運行されていますのでどうしてもかち合ってしまい、人口密度が凄いこととなるのか。

 上り線と下り線を分けられれば良いのですが、結局いっせん中央線をラインで設定する程度では、なにしろ行き来する人数が違いますので滞留してしまい、このために人口密度が凄いことになる、グリッドギャップのようになっているという印象でして。

 早い時間に基地へ入り、最後の最後まで基地の中に留まり、駅の混雑が緩和することを待つ、これが入間基地航空祭の飛行展示を、それほど危険を感じずに愉しむ方法なのかな、と。お手洗いなどはブルーインパルス飛行展示の頃には混雑が無くなりますし。

 警備犬などの展示エリア、エプロン地区からは結構距離が開いてしまうのですけれども、家族で航空祭を愉しむならば基地にははいっても、エプロン地区を避けるというのも選択肢なのかもしれませんが、まあ、行けばC-1をみたいものですよね、C-2も。

 狭山市側の、滑走路の東側会場が設定されていまして、ペトリオットミサイルなどは東側会場に展示されているようで、あの配置は何か岐阜基地航空祭の南側会場を思い出しました、が、あちらはどうなっているのか、知人友人は行かなかったようなので。

 池袋線と新宿線、入間基地は西武線の二つの路線に囲まれている構図なのですが、帰路では新宿線側に誘導もあったのですが、新宿線側のほうが入場規制が厳しかったという。この点池袋線は、基地を出た時間が遅かったのもありますが混雑は最小限度でした。

 混雑を避ける方法はあるのだな、前回はブルーインパルス飛行展示の前に基地をでまして、少し離れた場所から撮影したものなのですけれども、稲荷山公園駅の直通経路を避ければ、それほど混雑を感じないのか、これが入間基地航空祭の新しい印象です。

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【M-5撮影特報】入間基地航空祭2024,青空とC-1と来場者数25万日本最大の航空祭(2024-11-03)

2024-11-04 20:01:52 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■入間基地2024
 十一月一日は自衛隊記念日ですが十一月三日の文化の日は入間基地航空祭の日となっていまして今年の航空祭は、基地広報によれば来場者は25万名だったという。

 入間基地航空祭へ行って参りました。驚くなかれ、入間航空祭に前回行ったのは2011年ですので13年ぶりです。そういうのも、ここ、混雑が凄いのですよね、初めて行ったのは2005年、自衛隊に興味は無いが音楽をやっている友人と行ったのが最初で。

 25万人。宇治市の人口が増えたわけでも京都市の一日あたりの外国人観光客人数でも無く、昨日の入間航空祭はこんなに多くの人が来場していたという。確かに混雑していた、けれども滅茶苦茶な混雑度合いでは無かった、というのが不思議な感じ。

 C-1輸送機の5機編隊飛行を友人ともども眺めたのです、と懐古趣味的に書きたいのですが見上げたよりも印象に残るのは、人ひとヒト、印象はそんな感じで、岐阜も浜松も小松も、こんなに人来ませんからねえ、人口密度は祇園祭の宵山なみ。

 C-1輸送機、いよいよ運用が終了するという節目、あえてさけていた入間基地航空祭なのですが、思い切って行ってみようか、と決意しました。誰ですか入間基地を人間基地とかいっているひとたちは、混雑も旨く避ければ祇園祭みたく上手くいくさ。

 レッドアローでも撮ろう。前回の入間基地航空祭は、もう気合い入れすぎても省が無いよね、撮れるものだけ撮れば良いさ、と開門待ちの行列に並ぶこと無く駅を出て入間基地とは反対側の沿線で西武特急レッドアローを撮影していたものですが。

 航空祭の話題でC-1輸送機の編隊飛行写真をよく掲載するものなのですが、あの航空祭のときは西武電車を撮っていたら開門の時間を迎えていて、あれよあれよと人の波に乗っていくとなぜか最前列にたどり着いて、あの写真を撮ったのですよね。

 C-1輸送機も交代の時代か、というまえに実はレッドアローが別の電車、銀色の1950年代アメリカSF映画の宇宙船みたいな電車にかわっていて、え、え、え、なにこれなにこれ、わたししらない、と、誰の声で脳内再生するかは別として驚いた次第です。

 2000系電車、同時に驚いたのは黄色い西武電車、西武電車といえば黄色、イギリスの救急車と同じ黄色、と認識していましたのでその風景を撮影しようと思ったらば、もう黄色い西武電車なんてほとんどはしっていないということにも、これまさに衝撃で。

 ラビューという新型特急に衝撃を受けつつ、航空祭始まる前からどん底のような電車世代交代を感じつつ地面を見て前の人について行くように無気力まやさん、という感じで前に前に行きますと、まあ、ご覧の通りですが、今年も気づけば最前列にいました。

 C-130輸送機の目の前、小牧基地の輸送機です。ちょっと最前列というには側面の最前列なのですが、小牧基地航空祭で入間のC-1輸送機の前に陣取って撮影しましたので、じゃあ入間航空祭ではC-130H輸送機の前に陣取ってやろうじゃないか、というだけ。

 飛行展示は、浜松航空祭がオープニングフライトが終わればE-767の飛行と後は岐阜からのリモート以外ほぼほぼ飛行展示が無く浜松基地所属航空機のやる気のなさに驚いて断念したのですが、入間は、工夫しているなあ、と豊富な展示に驚かされまして。

 東海道新幹線名何度も断続的に雨量規制に引っかかるような、そんな豪雨が前日予報で、新幹線が動いた瞬間に一気に東下りと勢い込んだところですけれども、伊勢物語もびっくり、それが嘘みたいな快晴にも恵まれまして、航空祭を堪能できました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【M-5撮影特報】琵琶湖飛行艇救難訓練,南海トラフ地震想定南海レスキュー事前訓練(2024-10-17)

2024-10-31 20:01:49 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■US-2琵琶湖に
 US-2飛行艇、むかし”あしやからの飛行”という九州の芦屋基地を舞台にした救難飛行艇部隊の映画が有りましたが今回は琵琶湖からの飛行、というべきでしょう。

 琵琶湖へのUS-2着陸、いや着水、こころなしか白波に緑がかっているような印象があるのだけれども、うまくいきました。海水を念頭に浮力計算しているということで、淡水に着水して大丈夫かは新明和が二日がかりで計算したとのことでしたが。

 南海レスキュー事前訓練、滋賀県警の警備船と会合し負傷者を輸送するという訓練、前ニューズウィークにて新宿が核攻撃を受けた場合の死者数は15万という数字が示されたことがありますが、南海トラフ地震の最大死者総定数は32万、核兵器二発分だ。

 津波の影響を受けないとともに、地滑りを別とするならば琵琶湖は飛行艇を運用するには南海トラフ地震においてほぼ安全が確保された発着点ということになるます。天正地震では琵琶湖も地滑り被害が多発したが、南海トラフは震源がかなり遠い。

 高島市に陸海自衛隊の統制所が設置され、けっこう大きな、折りたたむと担げるのだけれども通信アンテナを設置して天幕まで広げていました。が、安全を第一に、沖合7kmほどのところに降りていました、琵琶湖の中央、ということですね。

 統制所、実はこの発着は月曜日に予定されたもおが悪天候で二日延期されたという経緯があるのですが、延期された初日には通信アンテナや天幕などは無く、US-2だけがゆっくりと上空を飛行しただけと謂うことでした、本番は、本番らしい雰囲気になった。

 海抜85m、琵琶湖の水面その海抜は実は京都駅よりも高いところにありまして、すると海上自衛隊が慎重なのは、高い海抜に降りる初の経験と謂うこともあるのかなあ、と思ったりはします、海抜の高い飛行場はあっても湖面というとなにしろ淡水湖が初だ。

 彦根城と長浜城がみえるのかあ、と高島市からの風景に驚くとともにここは風車村という、
US-2飛行艇、琵琶湖に飛行艇、といいますと不思議な印象をうけるのですけれど、歴史を見ますと大津海軍航空隊、という戦時中に水上戦闘機強風などを運用していた部隊が。

 長浜城は、先代の長浜城が天正地震で倒壊し琵琶湖に沈んだ、ということを思い出しますと、ちょっと複雑な気分ではある。いまの長浜城は鉄筋コンクリート、雲仙普賢岳の島原城のように次回は長浜城に指揮所をおいては、とおもったりもするのですけれど。

 大津駐屯地、海軍航空隊はいまの大津駐屯地にいました。あの紫電改に繋がる水上戦闘機強風です。駐屯地には海鷲の石碑など、当時を思わせるものが資料館にありまして、F-1支援戦闘機やF-86D戦闘機なんかが並べられている。F-1戦闘機、か今は。

 強風の設計と生産は川西飛行機、いまの新明和工業です、するとUS-2飛行艇を製造している新明和工業ですので、琵琶湖とUS-2という関係も、まあ1940年代と2020年代というけっこうな期間が空いてしまったけれども、無関係、というほどではないのだなあ。

 大津駐屯地には強風のスロープがもう周りの建物はかわってしまっているのですが、考えるとあんな7km先に降ろすよりも、PS-1飛行艇なんかの時代は大村航空基地にスロープを活用していたのですから、そのまま大津にあげてしまえ、ともおもったりする。

 岩国から展開した今回の発着は来年の南海レスキューにおける本番に備えての発着と謂うことですので慎重さが求められたのでしょう、ただ、実績を積んでゆきますと、なにしろ大津海軍航空隊以来の所縁、案外思い切った運用が将来できるのかもしれません。

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【M-5撮影特報】琵琶湖飛行艇救難訓練-南海トラフ地震想定南海レスキュー事前訓練(2024-10-17)

2024-10-18 07:00:08 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■US-2,琵琶湖発着
 琵琶湖、淡水湖に飛行艇が発着するのは旧海軍時代を除けば自衛隊では史上初めての事となります。

 海上自衛隊のUS-2飛行艇が琵琶湖に訓練にて初めて離着水訓練を実施しました。これは中部方面隊により来年1月に予定されている南海レスキュー2025に備えての事前訓練として行われたものです。数日間悪天候をはさんで漸く実施できました。

 飛行艇、旧海軍では1942年に二式大型飛行艇が山中湖離着水を実施していますが海上自衛隊としては初めて、もちろんPS-1対潜飛行艇もUS-1救難飛行艇もUS-1A救難飛行艇も太平洋では厳しい訓練を積んでいますが、淡水の琵琶湖への発着は初めて。

 琵琶湖に飛行艇を降ろす、これは南海レスキューにおいて想定される現代日本最大の脅威、南海トラフ地震に備えるためのものです。南海トラフ地震においては想定されるだけでも梅田駅や大阪駅、名古屋駅などは、残念ながら津波により水没します。

 関西国際空港、神戸空港、中部国際空港、小松島飛行場、徳島空港、遺憾ながら西日本の飛行場は沿岸部もしくは海上を埋め立てて造成された空港が多く、その多くは2011年東日本大震災における仙台空港のように津波の直撃を受ける懸念があるのだ。

 US-2飛行艇の配備される岩国航空基地も沿岸にはあるのですが、東日本大震災における横須賀基地のように、津波の直撃を避けられる瀬戸内海に立地しているため、最悪の状況では飛行艇が重要な任務を担うことがある、具体的には負傷者の搬送だ。

 琵琶湖での発着訓練、この背景には仮に西日本全域の飛行場が機能不随に陥った場合でも海上は、もちろん浮遊物の懸念を解決する必要はおおきいのだけれども、高台の伊丹空港や八尾空港と南紀白浜空港を除いて空港空白地に唯一発着できる固定翼機だ。

 琵琶湖に発着するのは、例えば西日本の被災地において、数十分が左右する人命を救助するために、大津市が沿岸にある琵琶湖、大津市と京都市は地下鉄で繋がっているのですが、ここに降ろすことで救える人命があるかもしれない、という厳しい状況への備え。

 京阪神地域ひとつとっても、南海トラフ地震は全割れの最大規模の発災では大阪市や名古屋市で震度七という想定、すると大阪で引き受けられない負傷者を飛行艇を使い東京やいっそ日本海側、北海道など無事な地域へ搬送する必要性がでてきます。

 US-2飛行艇の現在の保有数は6機、定数は7機ということですが初号機が除籍されたことで現在定数われとなっています。飛行艇、新造される機体は関連企業の撤退などで部品の多くが特注となり、製造費用は700億円、戦車大隊2個分に相当するという。

 外海に発着できる飛行艇は、例えば概要におけるUUV無人潜水艇の運用母機としてなど、救難飛行艇に限られない幅広い運用が可能で、いや南西地域の防衛を含めると戦闘機搭乗員の救出を考えても、もう1個、飛行隊があってもいいとおもうのだけれども。

 救難飛行艇という人命救助、数時間で失われる人命を救う、その本来任務ひとつとっても、南海トラフ地震では、空港が使用不能となった際の最後の選択肢として存在感が大きいわけです。今回琵琶湖での発着訓練はこうした視点で行われました。

 南海トラフ地震、全割れ、想像はしたくないほどの被害が必至なのです、けれどももし、というよりも半割れによる複数の巨大地震で済むかは地学上の確率論になってしまうのですが、発災したとき、手のうちようのない状況を回避すべく、実施されたのですね。

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