北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】平野神社-初詣二〇二五,人工知能はさくら吹雪の夢を見るか-再考AIとの関係性

2025-01-15 20:25:08 | 写真
■さくら吹雪の夢を見るか
 平野神社にて昨年と同じ話題を敢えて。

 初詣とともに、まあ、理非曲直とかいろいろな願いが浮かぶのですけれども、本心から考えますと平穏無事、というところと上昇志向みたいなものを願うとおりなのですが、昨年ここ平野神社の話題に接しました当時に扱いましたのは、AI,人工知能との付き合い型ということでした、あれから一年だ。

 人工知能はさくら吹雪の夢を見るか、という視座ですね。人間同士のあり方や社会的相互行為の歴史は社会学がそうとうに蓄積と研究を進めていますが、人間とAIの関係は社会学や心理学の分野ではまだ草創期であり、研究を進めてもそれ以上にAIの技術に冠する発達が急速に進んでいる印象です。

 AI,北大路機関では勝手にアイちゃんと読んでいます、近所のワンコのあいちゃんのようで可愛らしいのですが、機械学習の対象として、北大路機関の写真や文も使われているのだろうなあ、という指摘を受けていますと、AI学習への応用を禁止する旨を、無断転載禁止について追記すべき時代なのか、と。

 人工知能について、AIという丹後は既に1950年代に誕生していますし、AIという単語を使わないまでも例えばSH-60K哨戒ヘリコプターに搭載されていますプロフェッショナル判断機能という対潜戦闘システムは明らかに人工学習を応用したAI人工知能を示しているものですので、日常のものではあります。

 ただ、機械学習に写真などを使われることについては、これは、なにしろAIはデジタルデータとしての0101010101010の羅列として画像を見ているだけなのかもしれませんが、例えば観艦式の写真一つとって簡単に撮影できるものでは無いことをAIが認識しているのかな、という問題です。

 盗作といわれる問題は既に2010年代後半期から指摘されているものです、そしてAIの倫理観といいますか、その教育についても、つまりAIが倫理観と法遵守の精神を畜養することについて、その解答が模範解答的な文章の発出なのか、精神的な到達まで勝ち得た結果なのかについては、まだ研究は及ばない。

 SNSのTwitter、最近はもうXと呼ぶのが主流のようですが、こちらについては人工知能の機械学習に用いるという。ただ、その約款がXの社会的影響性や広汎性と比較した場合にどの程度有効であるかはまだ議論の余地があり、一方で北大路機関についてはWeblogという過疎の始まった分野がその活動の中枢だ。

 Weblogは過疎が始まっているからこそ、その人工学習の対象とする場所としては充分活用されていないために、考えすぎではないかと言われるのかもしれませんが、一方で、かなりの苦労と努力というものをAI機械学習の際に斟酌されているとは考えないのですよね、故に世界中で盗作が問題となっていて。

 広告などでは、一方でWeblogの自動執筆を売り込む内容が示されています、ただ、内容としては個性を反映させるものでは無く、注目される内容というものを自動執筆してアクセス数向上に役立てるという。ただ、この流れに、AIが個性と首尾一貫性をもった文章を執筆できるようになるのか、という危惧も。

 AIの技術が進歩したならばデジタルツインのように個性を獲得してにた文章をえがけるようになるのだろうかと考えますと、AIは人工学習ですので過去の事例をみてまねることは出来るのでしょうけれども、新しいものを埋めるような水準に達するのは果たして何年後なのだろうか、という段階でもある。

 すると、やはりAIにたいしての姿勢は、人工知能はさくら吹雪の夢を見るか、という最初の問題が解決されていません。これはもしかすると、AIが自立型となり、いいかえれば自己実現を満足できるような筐体を保持できるようになるまでは成り立たない概念なのかもしれない、こうも考えてしまうのですが。

 AIに期待するのは、玉石混淆のAIにあって、もう少し使えるAI管制式のデジタルカメラ、三脚上に置くことで過去の自分が撮影して高評価としている写真と違いを見つけ出して自動で操砲して撮影できるようなカメラ、いまの使い道の内AI管制CANONカメラ以上のものが販売されるのを待つ、という感じですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平野神社-初詣二〇二五,振る舞い酒も異常気象も無い平穏無事な正月過ぎに詣でたこの社殿

2025-01-15 20:00:11 | 写真
■平野神社-初詣二〇二五
 平野神社、初詣となりますとなんとなくですが数多ある神社の中からここ平野神社に参拝しています。

 謹賀新年、というわりには初詣はもの凄く遅くなりまして、年末色々ありました関係で結局そのしわ寄せは年始以降にも及びまして、日本からはまた軍事雑誌が一つ消えました。閑話休題ですが、私事ながら謹賀新年の年賀状も返せていませんので、なんとか寒中見舞いの挨拶の手配をせねば、と。

 初詣は、ちょっと時節を外しましたのでお楽しみの振る舞い酒などは既に神話の世界、というと言い過ぎですがまあ、遅かったねえ、となりました。そして、さすがに異常気象という最中でも平野の桜は満開、なんてことはなく、神社の境内をゆっくりと西大路通から参拝へと向かうのです。

 花見の季節には落ち着くのかもしれませんが、もう少し多忙と言いますか予定が詰まっている時期は続いてゆきそうでして、しかし、初詣くらいは心落ち着け静かに詣でることとしました。静かにというのは、まあここ、桜の季節と正月三日いがいは、こうした静かな世界が広がっている故なのですが。

 北野天満宮、平野神社の直ぐ地殻には天神信仰の聖地が広がり、すこし西大路通を歩み伸ばしますと直ぐにわら天神、ここから目の前に金閣寺道があり、少し急峻な、というには大げさか、坂道を車道にそって上るとそこは直ぐに鹿苑寺、金閣寺が多くの観光客を集める中、左大文字山には大文字がみえて。

 平野神社は皇室守護、皇太子守護の神殿として平城京の時代から信仰を湛えてきまして、平安遷都ともに当地へ遷座された歴史がありますが、同時に神紋に桜を掲げていますことから、梅花の花見主流の時代に在っても観桜という文化の源流にあるという一説があり、実際平野の桜は初の風物詩となっています。

 平安時代には平野祭は皇太子自らの奉幣がおこなわれていたといいます。もっとも、毎年四月の平野祭は当時の風俗を継承した歴史行列が執り行われるものの、このところの異常気象では祭事のころあいに、いちばん大事な桜花の花々がすべて葉桜となっているという残念な気風ではあるのですが。

 観桜とともに清和源氏の家紋にも桜を冠していることから、武家の信仰を集めた神社ともなっていますが、まあ、そうした歴史は別としまして平野神社には個人的ないろいろな出会いの源流がありましたので、神社としての歴史はもちろん、信仰云々関係なく参拝することの多い神社となっています。

 平野造という、この神社の本殿はまつる四柱の神々とともに不思議な形状となっていまして、実のところそろそろこの屋根も経年劣化が進んできたように見えまして、補修も近いのかなあ、と思うところです。他方、拝殿は十年近く前に台風被害により倒壊し、復興したという歴史があるのですけれども。

 四柱を奉じる社殿ですが、いまでこそ文化財としての価値とともに全面修復の際にもその当初の姿をそのまま継承できるように正確に補修され、新造時の棟をそのまま維持しているのですが、興味深いことに、江戸時代までは補修の都度にこの本殿は時々に合わせいろいろと形を変えていたらしい。

 本殿、もちろん皇室守護という歴史とともに、しかし延喜式には名を列せられた式内社ではあるのだけれども、二十二社はじめ多くの社殿が京都には並ぶ中においてすべての補修を行うことは出来ず、時代とともに平野神社は相当荒廃していた時代もあるという、その中で補修の際、本殿は姿を変えた、と。

 信仰が第一であって、そのための寄る辺はそこまで拘らない、勿論今の時代にテキトーに任せると鉄筋コンクリート建設で一階部分は商店と三階以上はマンション、とかありえるのですが、今の時代は別としましても、当時の信仰への寛容さというものが見えるようにも思えて、興味深いのですね。

 平野神社、その参拝とともに本殿のありかたというか様々な形があったのだという歴史に触れてみますと、今とは違う時代における神社のあり方について、冗長性といいますか寛容さというものを、信仰の本筋とは別の、信仰を支えた人々の生き方や価値観として感じるように思えるのです。

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南海レスキュー2024,C-2輸送機とC-130H輸送機の南紀白浜空港へ空輸訓練

2025-01-15 07:00:15 | 防災・災害派遣
■南海レスキュー2024
 南海レスキュー2024は本日、三日目となっています。

 C-2輸送機とC-130H輸送機が本日、南紀白浜空港へ空輸訓練を実施します。2024年能登半島地震におきまして、能登空港が被災し空輸拠点として活用することができませんでした、もっともC-2輸送機やC-130H輸送機は路外発着能力がありますので、能登空港の滑走路外で発着は出来たように思ったものですけれど。

 能登空港は自衛隊管理ではない民間空港でしたが、空港は滑走路のほかに燃料など備蓄が有り航空機の航空拠点として機能させた場合には、能登半島の物資不足をもう少し支えることが出来たように思うのです。ただ、管理者の問題は簡単に超えられない事も事実であり、今回の訓練は平時からこれを演練する。

 物量傘による空輸は、地上で受ける側にも訓練が必要ですが、空挺隊員であればこうした物量による補給を回収する訓練を受けていますし、輸送機の誘導も第1空挺団の降下誘導小隊が実施する場合は、その降下誘導小隊が輸送機により自由降下傘を用いて先行して空港まで展開することでも対応可能です。

 南紀白浜空港に物量傘を装着した物資を空輸するという訓練が本日行われます。この物量傘による投下は、美保基地航空祭などで定期的に実施されるものですが、自衛隊飛行場以外ではなかなか行われません。輸送機からの投下は物資は勿論、ブルドーザーのような車両を落下傘で降ろすことも可能という。

 南海トラフ地震では複数の空港が被害を受け、南紀白浜空港のような高台の空港も能登空港のように津波を免れても滑走路が破損する可能性があります、将来的には施設科車両の投下訓練が出来れば、破損した飛行場を空輸した施設科車両だけで復旧させ空輸拠点へ復旧することが出来るかもしれません。

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