◆青春18きっぷ の旅
4月4日、青春18きっぷを利用して、一つ、京都駅から東海道本線、そして北陸本線の敦賀を通り、小浜線を東舞鶴へ、そして舞鶴線を綾部へ、さらに嵯峨野山陰線にて京都の二条駅に向かう大回りの旅を楽しんだ。今回はその際に撮影した国鉄の情景を特集。
485系特急雷鳥、敦賀駅に到着の情景。485系は、1964年に導入、東京~神戸直通特急こだま号として1958年に導入された181系電車を交流直流併用型として開発され、国鉄特急車体系の基盤を創り上げた車両。こだま色として親しまれ、今日では稀有となった国鉄の血統を受け継ぐ車両。
長距離特急用として開発された485系は、大阪と金沢、一部は富山までを結ぶ特急で、富山までは327kmに達する。かつては485系で大阪から新潟までの581kmを結んでいた。雷鳥は、立山
連邦連峰に生息するライチョウを意味し、ヘッドマークには夏毛のライチョウが描かれている。
雷鳥と並んでいるのは、国鉄急行形455系電車。敦賀を起点として、福井・金沢方面への普通電車として用いられている。485系と455系、特急形と急行形、この瞬間、敦賀駅は国鉄時代に戻ったようだ。特急と急行、ともに特別料金を必要とする列車だが、速度をサービスとする急行と、加えて車両アコモデーションも含む特急との風格の違いが見えるようだ
455系急行形。大阪と九州を結ぶ急行や、このあたりでは特に北陸本線の急行として用いられた。ただ、急行形は比較的早い時期から普通電車として運行されており、特に阪急や京阪、阪神との競合区間では、新快速として私鉄特急を相手に活躍し、後に117系が導入されるまで新快速としても運行されていた。
419系電車が、敦賀駅に隣接する車庫に停車していた。もともと、寝台電車として導入された583系を元に普通電車としたものだ。プルマン式の三段式寝台を有しているが、現在は対面式固定クロスシート車として普通電車運行に使われており、寝台を引き出すことはできない。ただ、リネン類無しの指定席券で利用できる区間寝台車として、敦賀と新潟を結ぶ夜行快速運用を行えば、人気は出そうな気がする。
EF-81電気機関車も停車していた。トワイライトエクスプレス用の塗装が施されており、よく見たらヘッドマークも取り付けられているのが見える。敦賀駅の車庫は、珍しい車両が多く、写真は小浜線の普通電車車内から撮影したのだが、カメラを準備しておいて損はない情景が待っている。
113系。1962年にデビューし、まだまだJR西日本では現役の車両で、ボックスシートから転換式クロスシートとした改造車両も運行されている。京都周辺では、写真の福知山線、舞鶴線はもちろん、嵯峨野山陰線、果ては京都駅から草津線乗り入れのために一部東海道本線でも利用されている。
113系を東舞鶴駅で撮影。113系といっても、上の113系とは形状がかなり異なるように思われるかもしれない。これは、福知山線や舞鶴線で運行されているもので、中間車などを他の線区に移動させるなどの施策が行われ、ワンマン運転などに対応させるべく数々の改良を行った結果、このような前面形状となった。
113系の割には、正面がすっきりしているのを端的に示す写真。ただ、これ以外にも福知山線には貫通扉を持たない、103系電車そっくりの113系3800番台というものがあり、113系のバリエーションの多さを印象付ける。かなり旧式化は進んでいるものの、代替車両製造の予算に限りがあるJR西日本では、113系の頑丈さは頼りになるだろう。
183系特急きのさき。こちらは綾部駅で撮影した写真だ。城崎温泉と京都駅を結ぶ特急。無理して貫通扉を配置したため、シンボルマークはプレートではなく書き割になっているのが印象的だ、183系は、JR西日本塗装となっているものが少なくないが、こだま色にて運行されている183系もいる。
HARUNA
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