◆本日は終戦記念日
本日は八月十五日、太平洋戦争が終わった終戦記念日です。終戦と現在の安全保障問題を兼ねた記事を予定していたのですが、少々逸脱する内容となり、転換しました。
終戦、というのですが終戦後六十五周年ともなれば、先の大戦に参加していた方は本当に少なく、六十五年という時の長さを感じさせるというところでしょうか。BBCによればイギリス国内で第一次世界大戦に従軍経験のある方で生存しているのは今年の時点で僅かに三名、とのことでした。
日本の場合、第二次大戦から戦後の年数を数えた場合、あと二十数年も経てば日本でも第二次世界大戦に従軍経験のある語り部、という方は相当少なくなっているやもしれません。他方で、この事実を掲げたうえで日本にとって戦争は遠い過去のものである、とする考えがあるとすれば同委は出来ません。
さて、戦後六十五年、日本は国家として戦争を経験していないのですけれども、戦後六十五年ということで日本国民の間で戦争を完全に過去のものとしようとしているような論調が報道にあるわけなのですが、難民認定を受けたうえで日本に帰化された方の中には、第二次世界大戦以降の戦争を経験された方も多くいる訳です。
太平洋戦争が最後の戦争ではありません、戦争の悲惨さ、というものを報じたいならば、いの一番に尋ねるべき方々の話がメディアに報じられない、ということには少々違和感がありまして、そもそも戦争を過去のものとすることで同胞の方々の多くは諸国での現実問題としての武力紛争には目を瞑っているようにも。
現在の戦争を諸国民の自己責任としてその犠牲を必然視しようとしているようにもみえるのですが、例えばカナダ、スウェーデン、フィンランドのように世界平和の実現へ積極的に乗り出す国々と、世界から軍事安全保障の面で鎖国を試みて在日米軍基地を出島とする選択肢を選んだ日本、諸外国は日本の姿勢を御都合主義的で打算的、とみられているのではないか、とも思う次第です。
戦争を解決するために日本はどうするべきか、という論調はここ二十年ほどで多く出ているのですが他方で、積極的に紛争調停に自衛隊を、という論調にもどうしてもなれないのですよね。人道的介入という概念もあることは念頭に置いた上で、部隊や人員、装備という以前の問題で違和感がある訳です。
そういいますのも我が国は志願制で徴兵制ではありません。徴兵制を勧める訳ではないのですけれども、選挙民である主権者の中で直接海外へ武力紛争調停の為に足を進める任を負う方の割合は非常に少なく、一種他人事として政治に反映されてしまうのでは、と危惧する訳です。
そもそも、日本周辺情勢でさえも積極的に情報を集めない方とそうでない方とでは事実関係の把握からして、どうも個々人の間にかなりの隔たりがあるようなので、如何とも言い難いのですが、しかし、戦争というものを過去のもの、非日常と割り切ってしまっている日本では、こうした問題も出てくるのだろう、と。
もうひとつ、戦争という問題を考えてゆきますと、しかし、今後日本が巻き込まれないという証拠はどこにもないのだ、という事実を無視するわけにはいきません。欧州では第一次世界大戦の苦しい教訓から極力戦争や対立を避けようとした宥和政策のなかでドイツが台頭して、結果的に破綻点を超えてしまい、第二次世界大戦へと発展しました。
日本がどれだけ平和を望んでいたとしても、フランスやイギリスがドイツに対して望んだ平和の希求が歴史でどうなったのか証明しているのです。諸国家には護るべき諸国民とその利益があり、この為に日本にとり非常に絶望的な対応を採る場合もあるのだ、という事は一つの現実です。
無抵抗を掲げれば戦争にはならないのではないか、という考え方や問いも日本ではあるかもしれません。非武装平和主義や無抵抗主義という論調が日本ではこれにあたります。額面通り行うならば、この問いに対する答え、実はその通りですが、視点を切り替えるととんでもない事になります。
一つのたとえです。日中戦争で日本は中国大陸へ侵攻しましたが、あの時に中国で今の日本と同じような非武装平和主義運動が盛んに展開されて政府がこれに応じ、日本軍に対して無抵抗を行った場合はどうなったでしょうか、戦争は起きないでしょうが中国大陸は日本に占領されていたでしょう。
再び視点を日本に戻して、日本が無防備無抵抗を掲げれば戦争は起きないのでしょうけれども、日本国土を占領する意図、日本周辺の海域に価値を見出す思念を諸国の何れかが持てば、戦争は起きなくとも蹂躙はされ、占領はされてしまう訳です、外国に占領されても命さえあれば、という視点もあるかもしれませんが、日本が国家として消滅して併合されてしまえば、その併合した国が徴兵制を採っていた場合否応なく編入されますのでこれもナンセンスな議論です。
太平洋戦争での戦没者への祈念とともに、他方で日本が今後戦争に巻き込まれないようにするためにはどのような外交政策と安全保障政策、防衛政策が必要なのか、という議論も必要でしょう。終戦というと様々な考えが去来するのですけれども、今年の終戦記念日は、特にこうした事が思い浮かびましたので長々と書いてみました。
HARUNA
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)