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陸上自衛隊 桂駐屯地納涼盆踊り2010詳報 (2010.08.04)

2010-08-13 22:08:09 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆桂駐屯地一般開放

陸上自衛隊の駐屯地では夏祭りや盆踊り大会が行われる、と掲載してきたのですが本日はこの話題。

Img_5216 陸上自衛隊の駐屯地でのこうした納涼行事は、地域との交流に重点を置いているので、戦車や装甲車に興味のあるかたには無縁、ともいえるのですが、祭り好きには規模も大きいですし、ビールを片手に楽しめる行事です。浴衣も多いのですが、近所かたこどもたちをつれて家族で訪れる方に紛れて仕事帰りに立ち寄ったような方も多く見受けられます。

Img_5085  来場者を迎える駐屯地司令、兼ねて中部方面後方支援隊隊長保坂收1佐。ロジスティクスこそが全ての任務を達成する上で不可欠な戦闘支援であるので、そうした意味ではこの駐屯地の重要性は非常に大きいといえますし、また京都市において大規模災害があった際には即応して対処するのもこの桂駐屯地の所在部隊です。

Img_5043  陸上自衛隊の駐屯地、こういう場所では、スリや置き引き、喧嘩などはありえないので安心ですね。しかも、迷子への対応も完璧です。盆踊り大会が行われた桂駐屯地ですが、聞いてみたところではこの地域では最大の盆踊り大会とのことで、駐屯地広報の発表では4500名もの人が集まったとのことです。

Img_5089  中部方面後方支援隊の本部が置かれる桂駐屯地は車両や火砲の重整備を行う駐屯地として知られ、師団や旅団での整備能力の限界を超えた大きな整備をにない、よって部隊全般の稼働率向上へ寄与することを目指します。また、中部方面輸送隊が駐屯している駐屯地としても知られ、JR東海道本線(京都線)の車窓から戦車輸送車が多数みることができる駐屯地でもあります。

Img_5090 桂駐屯地、中部方面隊管区でも有数の面積を誇る駐屯地として知られるのですが、一方で後方支援拠点ということもあり、戦闘部隊などは駐屯しておらず、駐屯地祭の規模もどちらかというと小規模な行事といえます。だからこそというべきでしょうか、あまり強い印象のない駐屯地なのですが、この日はどこもいっぱいです。

Img_5080 駐屯地司令が浴衣で来場者に挨拶します。背景に見えるノコギリ状の建物は1942年に建てられた格納庫で、現在の建築基準法では単一建造物として建設できる限界以上の大きさの建物ということですから、この種の倉庫としては日本最大級、ということになり、実はこの駐屯地の見所の一つだったりします。

Img_5098  中には補給品と用途廃止になった装備があふれていて、自衛隊の物量というものはいがいと大きい、ということを伝えてくれます。駐屯地司令は、迷彩服というイメージの強い陸上自衛隊ですが、こういう時は浴衣です。京都市唯一の駐屯地として災害の際に備えている隊員を代表して、来場者の方との交流を通じてお互いを知り合いたい、と挨拶を行い、いよいよ盆踊り大会の始まりです。

Img_5126京都は大学の街として知られていることもあり、盆踊り大会では中央の櫓を舞台に地元大学(桂だとどこだろう?)の演舞が行われます、続いて部隊付最上級曹長の音頭とともに盆踊りが始まりました。総務部、という看板も掲げられていましたが、このあとでほかの部署もでてくるのかと少し期待してみたりしました。

Img_5167 それにしても行事は混雑しています。ビール片手に一杯、というつもりできたのですが、行列行列行列。ううむ、屋台焼きそば、屋台唐揚げ、その他をもりもり頬張りながらこの地域の盆踊りを堪能しようとも思っていたのですけれども、ここまで混雑しているとちょっと並んで買うのはためらってしまいます。

Img_5129 会場を歩いてみますとさすがは自衛隊駐屯地の納涼行事といいますが、並んでいるテントが全部オリーブドラブ、使われている調理器具には野外調理器具も出ていまして、そこここで行われている夏祭りや盆踊り行事とは、このあたりが全然違うというのがこうした駐屯地の雰囲気というか醍醐味というか。

Img_5173  桂駐屯地は、ポプラ並木とサクラ大路が有名な駐屯地でして、阪急京都本線から木々に隠れているあたりにグラウンドがあって、そこが会場となっています。JR東海道本線京都線から見える桂駐屯地とは倉庫や整備区画、資材置き場、モータープールとを挟んで反対側のところなのですね。

Img_5180  このグラウンドが、駐屯地祭が行われる場所で、晴天行事はここで、雨天行事の場合は、1942年に建てられた倉庫の中で行われます。観閲行進はさすがに倉庫内では行えないのですけれども、装備品展示は倉庫内で行えるので、屋内の装備品展示という非常に稀有なものを見れたのもこの桂駐屯地です。

Img_5185 この日の一般公開では、もう少し早い時間にいけば野外で軽音楽の演奏のようなものを行っていたのでしょうか、舞台は撤収中でしたがマイケルジャクソン風の格好をした隊員が子供たちに人気を集めていました。帽子を取られたり、引っ張ったり、いろいろされていたようなのですけれども、いや、人気でしたよ。

Img_5161 歩いていても混雑は変わらず、水分補給が必要になってきました。そこで、会場端の方をみてみますとなるほど、駐屯地祭の時と同じ場所に同じ自販機が稼働していました。コーラは売り切れでしたが、こういうときはミネラル分を補給です、ということで麦茶を購入、一気に飲み干します。

Img_5153 一通りまわってみたので、今度は保存車両地区に足を運びました。かつては、61式戦車と74式戦車が並んでいたのですけれど、非常に残念なことに61式戦車の方は撤去されていて、代わりに75式自走榴弾砲が74式戦車とともに、夜の駐屯地にゲートガードとして並んでいました。

Img_5160  保存車両でも解体しなければならないほどに老朽化が酷かったということなのでしょうか、それともどこかほかの分屯地あたりに余生を送っているのでしょうか。日本が戦後初めて開発した国産戦車の生き残りの一両が消えてしまったのは少々残念ですが、しかし、新しい75式を歓迎です。

Img_5198  北部方面隊に配備されていたこの自走榴弾砲は、リボルバー式弾庫を備えていて、非常に素早い連続射撃が可能となっている陸上自衛隊自慢の装備なのですが、その分取得費用が高く、ソ連にもっとも近く、自走火砲の必要性が高かった北部方面隊の専用装備となっていました。

Img_5219 砲の射程というのは火薬の燃焼効率と装薬の強度が大きく影響しまして、燃焼効率を向上させるには砲身の長さを、強力な装薬を用いるには砲身を頑強なものとすることで対応します。75式の制式化は1975年で、当時としてはこの30口径の155mm砲は長砲身、射程も大きかったのです。

Img_5211  しかし本土部隊に39口径のFH70が採用されていることからわかるように、世界の主流は39口径砲の時代になり、陸上自衛隊は新しくより砲身が長い52口径の99式自走榴弾砲を制式化するにいたり、北部方面隊から交代で除籍された75式自走榴弾砲がこちらに展示車両として回ってくるようになった、というわけです。一部光学照準器は取り外されていますが、こちらではなかなかみれなかった車両です。

Img_5204  74式とともに、70年代の陸上自衛隊を代表する装備ですが、なるほど、こういう盆踊り行事では、普段駐屯地祭に足を運ばないような方もいらっしゃるようで、並ぶ74式戦車をみて、ああ、いまの戦車は昔の戦車よりも大きくて本当に強そうだ、ということを呟かれているご老人もいらっしゃいました。

Img_5201  昔の戦車とは、61式でしょうか、M4でしょうか、まさか97式や95式かな?と思ったりもしたのですが、そういう野暮なことは聞いたりは出来ませんめ。これを撮りに来たのが目的の一つといえるほど夜の闇に照らし出された74式や75式は、日中の駐屯地祭とはまた違った精悍な面持ちを見せてくれます。

Img_5189  もう一度まつり会場に足を運んだのですが依然として混雑しているので、夕食は別のところで、と駐屯地を出ました。桂駐屯地へは、最寄り駅が阪急洛西口駅で、高架化工事の準備が進む、今しかみれない風景を歩いて正門へ向かったのですが、東海道本線に新しくJR桂川駅が開業しているので、ちょっと行ってみました。

Img_5229  学研都市線で踏切安全確認があった影響で東海道本線京都線も遅れていたのですが、通過する223系新快速を撮影していると、やや遅れて221系がやってきました。夜風とともに新駅の雰囲気を堪能していたそのときにも、駐屯地からは祭り囃子が風に乗ってホームを流れ、真夏の冷涼感を味わうことができました次第です。

HARUNA

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