◆日本は資源確保のために戦線を拡大した過去
本日は広島原爆投下記念日。こうした中でわが国の菅総理は脱原発、脱核エネルギーを演説したとのことですが、放射性物質をタンカー等に搭載することなく海洋に排出し、そして大気中に放出した日本は既に加害者の位置にあるという事を忘れている模様でした。
忘れている、といいますと日本は都市への核攻撃を受けた太平洋戦争に何故突入したのか、という事も忘れられているように思います。大東亜戦争という呼称がある通り日本は南方の資源地帯の確保を目的とし、特に満州事変以降の主要国からの経済封鎖を独力で突破する事を達成するべく日本は戦争の拡大へと踏切、アメリカへの真珠湾攻撃は手段でしか無かった、という事が忘れられているのではないでしょうか。脱原子力、といわれましても日本での原子力発電が大きく軌道に乗ったのは1973年の第四次中東戦争に起因する石油危機以降でして、エネルギーの安定供給を求める手段として選ばれたのが原子力発電でした。太平洋戦争のような武力によるエネルギーの獲得という方法に見切りをつけ、核エネルギーへ依存するという方式を日本は選んだ事を忘れてはなりません。
とはいえ、北大路機関では早くから福島第一原発の事故を起点として世論は原子力エネルギーからの脱却に向かうであろうこと、そして総論反省各論反対という位置づけから原子力エネルギーの重要性に理解を示しつつも、結局は地元に原子力発電所が存在する地域では相当の安全性の確認を求める住民の意見があるであろうこと、そして地震に対しては万全の安全性を強調してきた中で早い時期から停止を求める東海地震震源域に位置する浜岡原発の停止を容認すればそれは自動的い地震への脆弱性を認めた事になり、原発反対の住民意思へ理論的な反論が不可能となる事を記載したのち、首相の一声といいますか事実上の恫喝、記者会見を開き根拠なき危険性の明示により浜岡原発を停止させた事で原発は地震に耐えられない、という印象を日本中に示す事となりました。
結局は原子力発電からの脱却という潮流は、最早浜岡原発停止要請という失策、続いて玄海原発再稼働問題における耐震強度の不安に応えるストレステストの実施、この二つにより最早修正できないところに追い込まれてしまった、というのが実情です。すると、これは終戦記念特集の記事と広島原爆記念日の掲載とを重ねた当方の一つの結論なのですが、日本が今後も繁栄を勝ち取ってゆくためには、侵略、という方策は無いにしても産油地帯の安定のために、より具体的な行動を行う必要に強いられます。
具体的、これは簡単な言葉を使えばリビアへNATOが実施しているような、イラクへ米英有志連合が実施したような、具体的な方策を日本も参画し、日本への資源安定供給が滞りなく継続されるような行動を行わなければならない、という事です。そしてシーレーン防衛も日本にとり死活的要件となり、日中のシーレーンは重複していることから何らかの緊張緩和政策を行うか、抑止力を維持する、どちらにしろ日本は外交力を研磨しなければ生き残れなくなる訳です。これは明らかに日本国憲法の平和主義の精神に反する事になりますが、この問題を乗り越えなければ国民の生存権を国が担保出来ない、というところまでここ数ヶ月間で追い込まれた、いや首相が追い込んだ、というところでしょうか、そういう厳しい状況に陥ってしまった訳です。
個人的には原子力発電所のダメージコントロールを強化する方向で、例えば今回の福島第一原発の事故の最大の要因は電源喪失にありましたから、電源車を空輸できるような体制を構築し、加えて原子力発電所への想定される地震被害をもっと広い範囲で想定する事で想定外の状況を削減する、という方針を打ち立ててほしかったです。国民的コンセンサスが脱玄パ中で固まったとしてもその代替エネルギー核のへの具体的方策に国民的コンセンサスは皆無です。エネルギーは各国で収奪が行われ国際紛争の大きな要因となっている事を考えれば、日本が如何に哀願しようとも得られない状況があり、ここには軍事力に依存しなければならない状況がある、これを理解せずに脱原発の動きだけが加速してゆくことが非常に不安という事。
特に我々は”飢え”というものを忘れて久しい世代です。単純な”空腹”という事は経験があったとしても”飢え”というものには経験が無い、そんな中でこれを差し迫られるような状況に追い落とされたとしたら、これは自らつき進んだ、と表現する方が正しいのかもしれませんが、電力、エネルギーが不足する事で日本が想像できないところまで追いやられ、このまま”飢え”というものが生じるような状況に陥った場合、日本国民は理性を保てるでしょうか、自らの飢えにたえられつつも子供の飢えを見る事が耐えられるのか、そうした場合、無理に脱原子力を掲げた事により国力が低下すれば、国を保つ均衡の破綻がこうした器具を生む事が必然で、こうした危機に追い込まれないようにするべき選択肢を自ら狭めているように見えてしまいます。
これが、戦後から震災後へ、という論題の重要な部分です。戦後レジーム、これは少し前の流行語であったのですが、この観点では安全保障政策と通商以外の外交政策の多くをアメリカへ依存する事により日本は繁栄を極める事が出来ましたし、東西冷戦構造にあっては日本には一定の防衛力は必要でありながらも、こうした状況下での経済発展を行う事が西側において大きな利益となっていました。しかし、震災後という今日は東西冷戦構造は過去のものとなり、しかも脅威は日本周辺において多様化、そして資源争奪が大きな課題となっている今日、独力でエネルギー確保を行わなければならない道につきだされてしまっていますから、エネルギー政策の転換はそのまま安全保障政策の転換に反映されてしまうことにも気付かなければならない訳です。
一方で、安易に原子力発電の擁護を行う事は出来ないのが当方の意見です。福島第一原発は廃炉までの期間、避難区域住民への賠償や産業への補償金を含め40兆円を超える、といわれています。当方としては燃料棒がどれだけ蒸発しているのか未知数な状況下ですから推測になるのですが、長期化し一次産業に対する風評被害の大きさを考えれば40兆円に収まるのか、という危惧もあります。こうした状況に鑑みて、原子力発電を今後も維持して同程度の水準で推移させるべく説得できる論理的な、そして主観的な説得を行う自信が無い、ということは一つ挙げたいと思います。他方で同様に安易に原子力発電廃止を提言できるかと問われれば、日本がイラク戦争の英軍のように中東に機甲師団を派遣し、リビア空爆のフランスのように地中海に航空団を展開させ、そしてシーレーン防衛のために中国に対抗して空母を建造、という事は安易にこの方法が一番、とも言いきれない次第。
しかし、核軍縮について、日本は歴史的に核兵器と原子力発電を大きく区分してきたのですが、本日の菅首相の広島での発言はこれを覆してしまいました。結局のところ、これは首相の一言とこれまでの軽率な行動により主権者である国民が判断を行わなければならない状況になっています。ここで、判断を行うに当たって目をそむけたい分野、脱原発は安全保障上の大転換を必要とする点、原発維持はどうしても想定が居ん部分が残るという事、これを忌避することはかえって危険だ、という事を強調したいです。脱原発を掲げて再び歴史を顧みないのか、それとも、もしくは第三の道があるのか、広島原爆記念日という事で、どうしてもそういう事を考えてしまいました。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)