北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

戦後から震災後、防衛大綱再検討の必要性 第一回:師団・旅団区分の再検討

2011-08-04 23:31:13 | 北大路機関特別企画

◆8.15特集:動的防衛力整備無き師団の縮小

今回の東日本大震災を契機に表面化している事例の一つは災害派遣、というものを想定した場合師団と旅団、というものはどう違うのだろうか、という事です。

Img_0_4367 師団に対して旅団は部隊編成が小さく、小回りが利く部隊、という位置づけで陸上自衛隊では冷戦以後、一部の師団を旅団に格下げするという形で新編を行ってきました。しかし、旅団は小回りが利く、という前提であっても小回りを利かせるには機械化等の機動力強化と、管区に囚われない機動運用というものを考えなければならないのですが、ついにそうした施策は為される事なく、東日本大震災では小型師団として扱われたにすぎませんでした。

Img_1_330 陸上自衛隊は1962年以降全国を13の管区に区分し、各管区に師団を配置してきました。これはその地域を専ら防衛する座布団師団、ということでそもそもその管区から移動を行わない為、機械化の妨げに、優先順位が低く抑えられているようになっているのでは、という批判は識者から為されてきました。

Img_0018 東西冷戦を考えた場合航空優勢確保が困難であることは必至でしたから、航空攻撃の目標となる機械化部隊よりは徒歩部隊に重点を置いた、という事を考えたならば一つの説得力はあったのですが、一方でやはり想定される脅威が速度と打撃力という衝撃力に重点を置いて一点突破を図る運用を行っていた機械化偏重の脅威でしたので、野戦防空能力を重視してその支援下での機械化を重視するべきだったのでは、ともいえるのですが。

Img_0193_1 さて、こうした観点から陸上自衛隊の師団編成は冷戦事例にあって普通科連隊四個を基本とする基幹四単位編成の甲師団、そして普通科連隊三個を基本として基幹三単位編成を基本とする乙師団に分け、師団の能力を極力均一化するという試みが為されてきました。

Img_0401 しかし東西冷戦が終結したのち、欧米諸国の軍事力縮小が行われ、日本もこれに続く事となりました。もっとも、これらは欧米諸国がデタント期以来の緊張緩和政策の一つの成果として、欧州地域の通常戦力を具体的に上限を設ける欧州通常戦力削減条約、そして通常戦力を支える戦域核を廃止する中距離核戦力全廃条約が締結された事を背景とするものでした。

Img_1431 北東アジア通常戦力削減条約、というものの努力でもなされているならば話は別なのですが、憲法九条を盾に自衛隊が戦力ではないという建前と核軍縮以外の軍縮外交へのレジーム形成や規範形成について主体的参加を忌避してきた日本ですので、通常戦力の拡大が放置され、戦域核が維持される北東アジア地域において日本がこれに続いた、というのは非常に無意味で抑止力の均衡を破綻させる危険があった施策なのですが。

Img_1377 これら流れの中で、同時に90年代のバブル崩壊を契機とした緊縮財政とともに軍縮というかたちで陸上自衛隊の定員を削減する事が世界的趨勢と国内要請との一致を見たことで提示されたのが師団の旅団化でした。自衛官定数は陸上だけで四万以上の減益要因が削減される事となり、北方では道東道南地区、東方では北関東甲信越地区、中方では山陽山陰地区の師団が旅団化され、一方で冷戦時代にあって誕生した沖縄と四国の混成団は旅団へ格上げとなっています。

Img_1049 その一方で当初は旅団を全国への機動支援に充てる、という発想があり、同時に残っている師団についても機動力を充実させた編成へ、重装備で重要地域を防護する沿岸配備師団と全国へ機動展開する戦略機動師団という単語が当時は提示されており、空中機動や海上機動能力を重視する、という言葉も飛び交っていました。

Img_0801 民主党政権への政権交代後はさらに顕著となり、全国へ均一に部隊が配備され、どの地域に有事、直接武力侵攻から大災害までが生じたとしても地元部隊が即座に対応できる、という体制を解消させ、少数の機動力を有する部隊が自由に移動させる動的防衛力整備へ、という言葉が後に出てくる事にもなったのは記憶に新しいところ。

Img_0615 緊急展開できるように、例えばアメリカ海兵隊、くしくも規模は陸上自衛隊と同程度の人員数なのですが、例えば百機単位で大型輸送ヘリコプター、数百機単位で中型輸送用航空機を配備し、打撃力を戦闘攻撃機等で補い、多数の装輪装甲車を広範に配置するのならば戦車や火砲が最小限度でも問題ないのですが、当然本来の目的が歳出削減ですので防衛費ごと削減され航空機増強などは実現しませんでした。

Img_1627 海上機動ならば十隻単位での輸送艦を必要な方面に、航空機動ならば百機単位での輸送機が必要なのですが、そもそも最初こそ沿岸配備師団戦略機動師団という単語が使われていたものの何時の間にか用語が消えてしまい、ヘリコプター整備数は高性能化とともに機体価格が高騰した事で機数調達も縮減、どうにもならなくなっています。

Img_1946 一応車両化だけは高機動車、軽装甲機動車と進んだのですけれども、しかしこれは戦闘防弾チョッキの普及と対戦車火力の大型化により人力搬送が困難となった事が背景ですから、動的防衛力、というものは達成できません。そして国際平和維持活動への日本参加が拡大した事を踏まえれば、軽装甲車両ではなく重装甲車両の不足が顕著となっていますから、これはこれで問題ではないでしょうか。

Img_2070 さてさて、上記のとおり機動運用、というものの達成が不可能になり、日本では実質的に貼り付けとなった師団のうち、一部が旅団になり、防衛上手薄な地域が残りました。ここを意図的に狙った訳ではないのでしょうが、新潟中越地震は師団を旅団とした地域で発生しており、そもそも防衛上の立地以外に災害派遣を考えた場合の問題が軽視されていたことを表面化させてしまった訳です。

Img_2084 そして東日本大震災。被災地に管区を持つ東北方面隊の第9師団、第6師団、そして近傍の第12旅団は対応しましたが、旅団の中で実質的に派遣部隊に名前が挙げられながらも部隊に対する派遣規模が比較的小さな旅団があり、戦略機動という言葉そのものも実は実行されなかった事を表してしまいました。

Img_2332 この点で、師団と旅団の区分が非常に不明確になっている事を示しており、それならばいっそのこと旅団を師団に戻してはどうか、と考えるのです。もちろん、南西諸島だけは島嶼部ですから従来編成の師団を配置しても対処できませんので、南西諸島防衛集団、というような中央即応集団的な部隊を配置する必要がありますけれども、それ以外の地域では師団であったほうが、対処できる災害、つまり想定外の域を局限できる事になるのではないでしょうか。

Img_2381 この点で、確かに動的防衛力、というものを有する部隊は必要とも思うのですが、それは師団を改編して、という位置づけであっては無意味です。そういうのも師団は自分の管区があり、動的、とは言われても結局は管区に縛られてしまう訳です。従って、動的防衛力を担保する部隊は方面隊直轄部隊などから、完全に新編するほかないと考える次第。

Img_2728 そこで旅団、というものがあり得るのだろうか、と。実は陸上自衛隊には1962年の師団編成以前に、管区隊・混成団編成高層というものがありました。管区隊は一万人以上の歩兵師団編成、混成団は機械化旅団という編成で、有事に際しては管区隊が防衛線を構築し戦域の拡大を阻止、混成団が機動打撃を行い戦車により敵を追い落とす、という構想でした。

Img_3624  しかし、混成団すべてを機械化する予算が出せず第七混成団のみ機械化、結局混成団はその後に師団に改編されています。既に失敗事例がある訳なのですよ。予算的なめどが立って実現していれば、機械化された普通科連隊、今の第七師団のように改編されれば機甲師団重視の編成となっていたのでしょうけれども。

Img_3741 現実の分水嶺で考えてみます。陸上自衛隊には現在、機械化大隊という編成があります。富士の評価支援隊に配置されている部隊で、戦車一個中隊と二個装甲化普通科中隊で大隊が編成されている訳です。この機械化大隊を五個ほど集めて特科大隊と高射特科や施設とともに方面隊直轄として機械化旅団を編成する、ならばと考えます。装甲化普通科中隊に装甲戦闘車を配置し、特科大隊に自走榴弾砲を配置すれば、まあこれも相当の取得費用が必要ですが、戦略予備として運用可能。

Img_4710 また、方面隊には多用途ヘリコプター隊と対戦車ヘリコプター隊を基幹とする方面航空隊がありますので、西部方面隊が西部方面普通科連隊とともに機動運用しているように方面航空隊と方面普通科連隊を二つほど編成して運用を統合させ、可能ならば偵察隊と特科大隊とを集め、方面空中機動旅団を編成する、という手法もあるでしょう。

Img_8173 こうしたならば方面機械化旅団、方面空中機動旅団は師団管区に縛られず機動運用が可能です。方面隊間協力という事で大規模災害時や直接武力侵攻では全国展開が可能ですし、この規模の部隊では第一空挺団のように一か所の駐屯地に駐屯できますから即応性も高くなります。国際平和維持活動へも迅速に投入可能でしょう。しかし、管区を持つ部隊は旅団から師団に戻すべきなのでは、と。

Img_6050 師団は、特に陸上自衛隊の師団は伝統的に普通科連隊を基本としてきました。普通科連隊長は連隊戦闘団として、特科大隊一個、戦車中隊一個、施設小隊と救急車班等の配属を受け実質2000名の旅団的な運用を行う事を基本としてきました。防衛大綱改訂に次ぐ改訂で戦車や火砲定数が縮減され、連隊戦闘団を編成できないほどに戦車と火砲が縮小されているのですけれども。だからこそ、戻すべき、戦車定数や火砲定数は90年代の水準に戻すべきと考える訳です。

Img_6145 災害派遣を考えれば、この方式には利点があります。全国の普通科連隊が戦車中隊を支援するだけの後方支援能力を求められるのであれば、その余剰整備能力がそのまま大規模災害時の輸送能力や後方支援能力に転用させることも可能になります。日本全国、何処で直下型地震が発生してもおかしくないのですし、日本の海岸線は何処であっても海溝型地震の津波脅威に曝されています、全国に均一な防衛力を配置する事が防災能力にも影響するという事。

Img_9320 以上の点から、師団を旅団に改編する、という冷戦後、90年代の防衛大綱改定以降の一連の陸上自衛隊縮減政策は、東日本大震災を含めた安全保障環境の激変によりその歴史的役割を終えた、と考えるべきであり旅団を再度師団に戻すことは喫緊の課題と提言します。

Img_9660  無論、人件費という一点、装備調達も必要になりますし連隊戦闘団の再建に鑑み戦車や火砲は1000体制を再建しなければならなくなりますので、防衛費という面では日本の財政状況でどの程度可能なのか、という命題は議論が必要でしょう。しかし、動的防衛力整備を欠いた師団の旅団改編は、この地域は手薄で良い、という非常に大きなリスクを国民に強いているという状況は、あまりに公正を欠いているのではないでしょうか、そう考える次第です。

北大路機関:はるな

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コメント (9)
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