北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

9.11米本土同時多発テロから12年 我が国防衛とテロとの戦いからの転換点を考える

2013-09-11 23:55:34 | 北大路機関特別企画

◆我が国安全保障情勢も劇的な転換

 2001年9月11日の米本土同時多発テロより本日で12年となりました。

Uimg_0282 当時の小泉内閣は、アメリカに対する支持を表明し、二週間後、米軍は同時多発テロの首謀者が潜伏し、これを匿うアフガニスタンの武装勢力拠点への空爆を開始、海上自衛隊は11月12日、米海軍を中心とした有志連合によるインド洋対テロ海上阻止行動給油支援へ、ヘリコプター搭載護衛艦くらま、を旗艦とした三隻の給油部隊を派遣しています。

Yimg_1442 ここからの我が国防衛政策の転換、奇しくも本日は二年半前の東日本大震災も思い出す日々ですが、この任務への対応、そして更に奇妙な偶然で、一年前の中国圧力に起因する尖閣諸島国有化以降更に激化した日中関係が及ぼす将来脅威への対応という意味で、日本の安全保障環境と危機対処能力は大きく転換し、向上したといえるのかもしれません。

Uimg_1295 さて、9.11からの続く2003年のイラク戦争では、政権崩壊後の混乱状態にあったイラクへ陸上自衛隊は連隊規模の復興人道支援部隊を派遣、有志連合への支持に躊躇していた諸国も、特に我が国平和外交を理解する識者を中心に、あの日本が派遣したのだから少なくとも復興支援の必要性は高い、という一つの転換点ともなったもので、規模以上に世界と日米関係に及ぼした影響は大きい。

Uimg_9650 同時多発テロを契機として、世界の安全保障上の課題は、冷戦期の超大国間における軍事的緊張と冷戦後の地域紛争への人道的対応から、新たにテロとの戦い、交戦対象が不明確な戦いへと転換しましたが、先に我が国ではオウム真理教による地下鉄サリン事件などの一連のテロ事件により、この種の事態への関心は深く、これは少なくとも自衛隊の任務という意味で転換点となったといえるでしょう。

Uimg_8713 他方、同時多発テロ以前より、北朝鮮の弾道ミサイル脅威や、武装工作員と特殊部隊による日本海側沿岸部への浸透の脅威が指摘されており、実際に武装工作船の日本海沿岸部領海侵犯事案に対し、海上警備行動命令が発令されたこともありました。

Yimg_7529 しかし、我が国への脅威という視点からはそこまで切迫したものではなく、工作員が上陸したらどう対処するか、自衛隊は能力的に対処する十分な能力を有していても、法的に対処が難しい、それならば有事の際にどう対処するのか、という程度の認識程度しか国民議論の舞台には上がっていません。

Uimg_2274 こうした流れはありましたが、脅威が切迫し、超法規を検討しなければならないような状況に陥る前に、小泉内閣時代には有事法制の議論が明確化し、武力攻撃事態法などの有事法制が漸く成立し、暫時超法規で対処するほかないという戦後からの異常な状態からは脱却を果たしましたが、その背景にも9.11以降の状況変化が影響しています。

Simg_1857 インド洋海上阻止行動給油支援は僅か五隻の補給艦お家一隻を展開させ、一隻を体躯させ、訓練などを併せて進めるという任務であったのですが、NATO諸国との連携を高めることが出来、更に日米関係の強化と情報交換を当事者の一人として進めることが出来ました。

Uimg_9028 こうしたのち、インド洋海上阻止行動給油支援は、自民党政権から民主党政権への政権交代を以て中止へと交代しますが、その後にソマリア沖海賊対処任務が自衛隊に付与され、自衛隊は国際平和維持活動とともに一定の艦艇部隊をアフリカ方面へ展開する態勢が恒常化し、今に至りました。

Yimg_6585 9.11からの情勢変化への我が国の対応は、特に防衛力のあり方と脅威の転換を以て、万一にもないだろうが有事に備える、という抑止力の視点に依拠しつつ、実任務に耐える防衛力のあり方模索、日米関係の意味合いの再認識、こうした意味で自衛隊と法体系、国民意識と世界での認識を転換させたといえます。

Yimg_9363 この点で、前述の北朝鮮からの脅威という面に対しては、法整備が進み、一時期皮肉られていた、能力がありつつも法的にその能力を行使できないために対処は難しくなっている、という非常に意味不明な状況から脱却し、例えば仮に武装工作員が浸透した際にも、即座に洋上を封鎖し、普通科部隊による重要施設警備と掃討任務を遂行できる程度には、防衛上の問題への取り組みを進めることが出来ました。

Yimg_2740 もちろん、ここまでの時点で自衛隊の能力に疑念がったわけでは決してありません、冷戦時代に北海道へのソ連軍着上陸を徹底して拒否していたのは北海道の四個師団と支援に当たった本土九個師団であり、全部隊を以てソ連太平洋艦隊と刺し違えを覚悟した自衛艦隊と、本土防空を担った航空自衛隊ではあったので、これを忘れてはならないのですが。

Img_8441 自衛隊の能力と法的整備が進むとともに、自衛隊の日本国家存続の上での高い役割を国民が深く認識することとなったのは、東日本大震災、この一点に他なりません。自衛隊であったからこそ、即座に通信基盤を再建し、情報基盤を構築し、輸送と整備体制を展開し、巨大災害へ立ち向かうことが出来、逆に自衛隊でなければ対応できなかった初動100時間の任務はかなり大きかったでしょう。

Uimg_6647 東日本大震災災害派遣は、同時に僅か数十時間という猶予をもって全自衛隊の半数に当たる10万の部隊を展開させ集中させる機動力と後方支援能力、即時に対応する指揮能力と維持する幕僚能力の高さを日本国民へ強く印象付けるとともに、これは諸外国へ必要ならば自衛隊は即座に10万の部隊を集結させ得る、ということを示しています。

Img_8912 これは海外の、特に我が国への軍事的野心を持つ国々に対しては、着上陸時の攻勢側三倍兵力の原則、上陸を行う側は防御側の三倍の兵力が無ければ勝てないという一般理論に依拠すれば、数十時間で10万の防衛側を三倍上回る兵力を上陸させる必要がある。

Simg_1978 これは同時に武力攻撃事態法と情報本部創設など、攻撃の兆候を悟られないように準備しなければならない、本土侵攻を非常に難しくさせる能力を示した、という意味も大きいのです。内には頼れる自衛隊の認識、外には精強な防衛力、巨大災害とともに絆はこうしたところにも、というところでしょうか。

Yimg_8192_1 法的面と実任務対応に日米関係の強化という9.11以降の転換を経て、東日本大震災では自衛隊に関する国民全体の共通意識が大きく変わり、加えて大震災とともに万単位の兵員を展開させた米軍とともに、日米関係は併せて強化されています。そこに、もう一つの転換点、日中関係の緊迫化が出てきた、というもの。

Uimg_1184 尖閣諸島は沖縄と台湾の中間線上にあり、台湾への武力侵攻を大陸側より考える勢力に対しては絶対に確保しなければならない要衝で、仮に台湾海峡有事を平和裏に抑止したいのであれば、最初の一歩は我が国土を戦争に利用されることを絶対に阻止しなければならない。

Simg_2275 こうして考えますと、仮に現在の日中関係の緊張、これを9.11以降の一連の法整備と防衛力整備、日米関係増進と多国間協力強化を経ずして直面していた場合、我が国は未曽有の国難を迎えたことでしょう。しかし、その後の東日本大震災を経ての我が国の現状は、単なる装備数という意味を越えて、実能力として対処能力を有するに至りました。

Img_4518 特に将来的に台湾への国共内戦の再開の序段としての我が国島嶼部侵攻蓋然性の現実化は、少なくとも現時点で北京政府が台湾との関係を、一国二制度の建前から一国二政府制度へ柔軟化させない限り、非常に厳しい問題ではありますが、回避できません。わが国としてはもちろん、この方向で台湾問題の平和解決を図るべきとは考えるところですが。

Gimg_6436 それはさておき、9.11以降、テロとの戦いから我が国への脅威が従来型脅威へと転換したなかで、これまでの様ざまな9.11以降の施策は、今後の我が国の安全保障と防衛に重要な意味を持つこととなるのでしょう。我が国を取り巻く安全保障情勢は劇的に転換しましたが、これへの備えも劇的に強化向上し、以て将来の脅威を抑止し、対応することが出来るのではないか、そう考える次第です。

北大路機関:はるな

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