北大路機関

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【くらま】日本DDH物語 《第三四回》はるな誕生、殊勲の名艦戦艦榛名継ぐ護衛艦2401号

2018-01-27 20:07:26 | 先端軍事テクノロジー
■強運殊勲の戦艦榛名を継ぐ
 ヘリコプター搭載護衛艦はるな、この建造は海上自衛隊を大きく転換させることとなりました。

 はるな、は三菱重工長崎造船所において建造、旧海軍戦艦武蔵や高速戦艦として活躍した巡洋戦艦霧島を建造の三菱長崎での建造です。第三次防衛力整備計画にもとづき1968年に護衛艦2401号として建造決定、1970年3月19日に起工式を迎えました。進水式は1972年2月1日、公試を経て1973年2月22日に自衛艦旗を受領、護衛艦として竣工しました。

 はるな、という艦名は旧海軍の戦艦榛名を継承する二代目の艦名となりますが、戦艦榛名含む金剛型戦艦は巡洋戦艦として建造された。同時に海上自衛隊の護衛艦が初めて山岳名を冠名した瞬間でもあり、はるな、ひえい、しらね、くらま、こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら、と連綿と続く山岳名のはじまりでもあるのです。

 榛名、旧海軍の戦艦榛名は第二次大戦終戦時に呉軍港にて大破状態ではありますが戦没を免れており、緒戦の南方作戦、ミッドウェー海戦での空母護衛、ガダルカナル島米軍飛行場艦砲射撃、レイテ沖海戦主力部隊参加、巡洋戦艦として設計された為、空母部隊直衛等で太平洋戦争全般で第一線にて活躍しつつも、まれにみる強運艦として生き延びました。

 海上自衛隊が山岳名を護衛艦はるな型に冠した背景には、その大型艦としての設計が従来の護衛艦とは異なる点、また強運を誇る戦艦榛名の艦名について、機体を背負い、新生海軍を期す海上自衛隊が継承した構図にほかなりません。基準排水量は4700t、当時は旧海軍を知る海上自衛官も多く在職していましたが、久々の大型艦として羨望視されたようです。

 また、はるな最初の母港である横須賀は横須賀鎮守府庁舎がアメリカ海軍により接収されたままではありましたが、竣工の1973年はヴェトナム戦争中、艦艇稼働率が異常に増大しつつ整備が低下していた時機であり、ここに全長153m、全幅17.5m、新しい設計思想のもと美しい塗装と最新の航空機材を備えた護衛艦の到着は、新時代の到来を印象付けました。

 基準排水量は予算面から当初の5000tを4700tに抑えられました。ただ、将来発展性を残しており、後の近代化改修により基準排水量は4950tまで増大します。満載排水量は6800t、第二次大戦中の軽巡洋艦に匹敵する大型艦となりました。船体は遮浪甲板構造を採用し、そのうえで後部甲板は全通構造となり、文字通り、航空機の運用を最重要視した設計です。

 航空機重視の設計は船体動揺を最小限とするべく搭載したフィンスタビライザーにもあらわれており、海上自衛隊の護衛艦としては初の採用となりました。ヘリコプター搭載護衛艦として、航空機の運用能力が突出する護衛艦はるな、ですが海上自衛隊が初めて満載排水量5000tを越える護衛艦を建造したもので、機関部の面でも特筆すべきものがあります。

 機関には蒸気タービン方式を採用した護衛艦はるな、蒸気タービン方式は当時でも世界で主流の方式ですが、戦後初の国産護衛艦となった護衛艦はるかぜ以来の技術が応用されるとともに70000hpという強力な推力が採用されています。これは蒸気圧と機関蒸気温度に如実に反映されており、当時の護衛艦機関部の蒸気温度は400度程度となっていました。

 はるな、は機関部蒸気480度という高温の高圧蒸気を機関部に備え、速力は31ノット、先代となる戦艦榛名よりも優速です。この高圧蒸気構造の機関部開発実績は、第二次大戦中の技術水準を継承した事を示すと共に二番艦ひえい、1976年より竣工のミサイル護衛艦たちかぜ型、ヘリコプター搭載護衛艦しらね型と艦艇大型化を支える原動力ともなりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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