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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

鎮魂:兵庫県南部地震-阪神大震災発災23年,ポスト東日本大震災と危機管理の平時有事境界

2018-01-17 20:18:59 | 防災・災害派遣
■鎮魂:阪神大震災発災23年
 巨大災害は必ずやってくる、大陸外縁弧状列島である日本には宿命とさえ言えます。

 兵庫県南部地震阪神大震災から今日で23年となりました。淡路島北部から明石海峡にかけての震源に端を発するマグニチュード7.3の直下型地震は、当時世界最大の港湾機能を持つ神戸市を直撃、その自身は広く福島県から鹿児島県まで有感地震を観測しています。神戸市と淡路島では震度7、犠牲者は6435名に達し、東日本大震災まで戦後最悪の震災でした。

 神戸の東灘区を覆う大火災の空撮や長大な高速道路高架橋脚が一斉に倒壊している報道映像は今でも記憶に残り、特に当方は早朝の地震に起こされたものの、昼前には火災も鎮火するだろうと安穏と報道を視ていたのですが、実際は真逆、摩耶水害を契機に豪雨対策の進んだ家屋が多数倒壊し、圧死者と大火災の被害、当時は純粋に怖かった事だけを覚えています。

 阪神大震災は、日本が災害国家である事を強く認識させられるもので、特に危機管理の視点から課題を強く突き付けたものともいえましょう。特に我が国では1923年の関東大震災を筆頭に巨大災害が繰り返し襲来しているのですが、第二次世界大戦後、危機管理の認識と運用が新憲法により大きく転換した後には関東大震災規模の災害は僥倖にもありません。

 戦後の地震、1993年の北海道南西沖地震は戦後初めて地震被害で200名以上の犠牲者が出ており、1960年チリ地震津波被害、1983年の日本海中部地震、何れも百名以上の犠牲者が出ました。
M8.2の1952年十勝沖地震、M8.3の1968年十勝沖地震、1974年の伊豆半島沖地震、1978年伊豆半島近海地震と宮城県沖地震、1984年の長野県西部地震、何れも数十名の犠牲が。

 しかし、阪神大震災の被害は直下型地震として神戸市と淡路島に激震が集中し、そして文字通り桁違いの人命が、戦後最大の地震被害と称された北海道南西沖地震被害の30倍近い犠牲者が、と。この巨大災害ですが、戦前と戦後での災害を区切る重要な要素が一つあります、それは戦前とまた戦時中に明確であった法的な緊急事態と非常大権の位置づけです。

 次の巨大災害は必ずやってくる、残念ながら2011年3月11日に発災した東日本大震災は阪神大震災よりも一桁多い犠牲者、同胞が亡くなりました。ただ、日本が経験した歴史地震や地質学と火山学が地層に刻む災害を俯瞰しますと、阪神大震災を引き起こした兵庫県南部地震以上の都市直下型地震や東日本大震災以上の被害に繋がる海溝地震は発生し得る。

 危機管理の視点から、この命題はもう少し考える必要はないでしょうか。もちろん、消防団と水防団を更に広範に組織化して民間防衛まで拡大し巨大災害に備える、自治体の防災備蓄をより多く政策として定着させる、都市の強靭化へ耐震補強や指定公共事業者の強化を行う、という施策もあり得るのでしょうが、より深い意味で“危機管理”が要るだろう。

 憲法を改正して、と踏み込む論調は別の見解に繋がる可能性がありますが、戒厳令を含む国家非常大権の下で旧憲法下であれば国家が国民に対し責任を持つ枠組が存在していましたし、緊急事態であれば平時手続を省略し、被害局限化に特化した施策を法的手続きに則り行う事は出来、少なくとも超法規措置の決断を現場に押し付ける事はありませんでした。

 この命題を敢えてこの震災慰霊の日に提示しましたのは、阪神大震災での自衛隊人命救助は数十名であったが東日本大震災では一万九〇〇〇名規模の人命を救出した、その上で阪神大震災の反省から平時では問題があるものの違法性が無い範囲内で自発的に行動した結果である、文民統制上は問題という余地がある、とした論文を最近、目にしたためです。

 阪神大震災は歴史地震を振り返れば数多くの巨大地震が大阪湾沿岸北部を襲っているのに対し、経験的に神戸市は巨大地震の被害を受けにくいとの根拠の薄い認識に基づき、大震災を想定した防災訓練が充分行われず、労働組合や市民団体の要望から防災訓練に自衛隊を参加させず、しかし、自治体の防災能力が不充分である状況下で被害が拡大しました。

 危機管理という視点からは、上記視点は文民統制上の問題視するのではなく、平時から緊急事態には行政上の平時手続を省略する枠組みを文民統制の範疇で定めて置く事で回避できるものであり、平時と有事という概念を完全に同一視しています。平時に有事の手続き省略を行う事は問題が多いのですが、有事の際には時間こそが人命を多数左右しかねない。平時の内に有事の対応策を文民統制枠内で決めるべきだ。

 大規模災害、特に先進国では稀有な、20世紀以降数千の人命が災害で失われる事例、特に予報可能な気象災害ではなく突発的に生じる地震被害というものは日本が集中して多く、東日本大震災と阪神大震災の被害が突出しています。逆に言えば、この二つの災害程の人的被害は、先進国では戦災を含めて中々考えにくく、危機管理の軸に震災が妥当性がある。

 アメリカでは1965年のアリューシャン地震がマグニチュード8.7と巨大で津波も発生しましたが過疎地であり経済的被害に留まり、マグニチュード9.3という1964年のアラスカ大地震の犠牲者は131名、サンフランシスコを直撃の1989年ロマプリータ地震犠牲者が63名です。ハリケーンカトリーナ被害が2541名、アメリカではハリケーンが大きな脅威です。

 欧州では1980年のイタリアイルピニア地震の犠牲者が2400名、2016年のイタリア中部地震が300名以上、という巨大被害を及ぼしていますが、欧州最大の自然災害は1755年のリスボン地震、実にリスボン半分近い人命が失われましたが、過去千年を視た場合で、欧州での被害は長期的な農業被害と経済停滞に繋がる洪水被害の方が大きく認識されています。

 こう考えますと、勿論我が国では現行憲法下、危機管理というものは考えられつつも、有事と平時の境界線を無視した制度が多々残ります。次の災害を考えればこそ、阪神大震災の犠牲者、あの悲劇の根本が再来したその時に、人命被害を少しでも局限化出来る、表層ではなく深層に踏み込んだ危機管理の様式というものを、検討すべきではないでしょうか。犠牲者に冥福を祈りつつ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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