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【映画講評】日本沈没2020(2020)【2】未完の”第一部完”と謎解きの鍵は”歴史と文明の旅”

2020-08-10 20:01:45 | 映画
■日本沈没,本日NHK-BSで放送
 原作に登場した護衛艦はるな既に除籍後十年であり完結編登場の護衛艦くらま、その除籍からも久しい2020年代の日本沈没リメイクです。

 1973年版映画“日本沈没”が本日NHKBSプレミアムにて放映されまして、原作発表の同年に映像化、東宝が本作にかける情熱が垣間見えるところです。日中国交正常化翌年であり沖縄本土復帰翌年、そして映画公開の年は永い高度経済成長が第四次中東戦争に伴う石油危機により終焉を迎え戦後初の経済での敗北感を感じた、1973年というのはそんな年で。

 映画と違い原作ではどのように一億以上の国民を退避させるのかという難題で、自衛隊と米軍が保有するLST戦車揚陸艦が大量に投入されたり、各国空母が集まったり世界の旅客機の30%を日本国内に集中させ、伊丹空港が“大阪万博以来の狂気じみた突貫工事”により滑走路四本体制となったりで移住先を探すと共に脱出する物理的な苦悩も描かれてゆく。

 戦後の南方からの引き上げという一千万規模の人口移動、この経験を活かせないか、という視点に、中国は大量の邦人を受け入れたいが当時は中国も食糧難の時代であり受け容れようにも食料が無く日本の農民移住を希望する、また豪州は大陸横断鉄道に日本で建設不能となったリニア新幹線の資材と建設要員を受け入れる等、時代を反映する原作でした。

 映画では脱出できた国民は3400万とのことですが、原作では7000万の大台に乗せていまして、考えてみるとこの原作で生き残った人口というのは第二次世界大戦終戦時の日本本土人口がこの規模だったのですね。蛇足ながら映画の東京巨大地震での死者360万、第二次世界大戦の日本軍戦死者と日本国内死者の合計数であり、ここは意識したのでしょうか。

 日本沈没2020、インターネット配信ということで実況掲示板などを通じての世界観を共有しにくく、しかも広報が地上波も衛星放送でも全く為されておらず、関連特番も組まれていませんので反応しにくく、しかし伝わるところでは相当に出来が悪いといいますか、小松左京の世界観というよりも小松左京の名を騙る題名詐欺という悪評までは伝わってきた。

東京五輪直後に破局が、というものが日本沈没2020の舞台といいますので、東京五輪が延期となった世界では少々説得力に欠けるといいますか、その上で田所博士も小野寺さんも玲子さんも摩耶子さんも片岡氏も邦枝氏も中田さんも出てこないのであれば、確かにタイトル詐欺となってしまうのですが、まあ、敢えてここでは評価しなせん、それより原作だ。

 日本沈没。第一部完。小松左京は日本沈没を最終的に日本列島を失った後の日本民族の行く末までを網羅する超大作とする構想はあったようです。しかし、出版社としては執筆十年、これ以上待てない事情もあった。実際、第一部完、直後にジャンボ機で世界中飛び回りその世界の風土や民族習慣価値観を、歴史と文明の旅、上中下三巻にまとめています。

 もはや戦後ではない。この言葉は1956年に経済企画庁が経済白書に記した言葉ですが、流行語ともなりまして、ここへの一つの違和感、高度経済成長とともに経済戦争という単語、経済戦争には勝利した、という空気、この空気に、やぶれかぶれ青春記、ここで記されているような、それではあの戦争のことをどう考えるかへの放棄を感じたのではないか、と。

 歴史と文明の旅。エッセイ本へ世界を回る方は多いですが、それこそソ連からブラジルまで世界一周して一人の価値観から、1970年代に一気にまとめた、というのは大きな価値があります。そして明らかに、日本沈没後の日本人、原作では七千万しか脱出できませんでした、行く末を未成の、日本沈没第二部、ここに記す為の綿密な下調べだったのでしょう。

 高度経済成長、もはや戦後ではない。ここでいう戦後とは敗戦とともに主要都市は京都以外全て焼かれ、配給も遅配、ヤミ物資で命を繋ぐという状況から、一応は自分たちの生活が成り立つようには経済力が回復した、という意味も含む程度のことなのでしょう。しかし流行語となった時点で、経済戦争への勝利、と空気が変わっていったように回顧できる。

 世界第二位の経済大国。日本のGNP,今風に言えばGNIは1968年に西ドイツを抜き世界第二位となります、ここまで毎年10%の経済成長、つまり10%というと七年でGDPが倍増するのですが、ここでアメリカに次ぐ経済大国としての地位を培うとともに、なにか、太平洋戦争というものを再考する機会、その散逸が日本沈没に反映されているのでは、と。

 牙の時代、短編ですが空気というか価値観というか、その急変というものを描いています。夢からの脱走、これは今風に言えば異世界ファンタジーなのか。猫の首、ここでも戦争というか闘争、人間の正気と良心の基盤となる価値観の変容を扱っています。なにかあの八月十五日、そこで切り替わった空気のようなものの違和感を残そうとしているように思う。

 2020年。しかし、小松左京が存命であったならば、2020年に日本沈没をリメイクするならばどう描くのでしょうか。いや、先行する作品に基づいて小松左京氏が兆円を描く事があるのですね、物体O、アメリカの壁、この二つの作品が長編で映画化もされた“首都消失”へと繋がってゆくのですし、日本沈没に似たような、日本漂流、なんてのがありますから。

 阪神大震災。1995年に発生した巨大災害に小松左京氏は大阪の箕面で被災し、自宅倒壊は免れますが日本沈没発表の際に土木工学者から日本の高架が倒壊する様な描写は有り得ないので民心を惑わすべきではない、と抗議を受けた事を思い出し、もう一度聞きに行ったらば、いやあれば地震が想定外だったからですよ、と開き直られ唖然とした事があるとも。

 日本沈没1999。松竹映画と共に再度映画化の話題が出た際には、実は阪神大震災の頃に出始めていたインターネット、当時未だパソコン通信といった頃か、この行方不明者問い合わせにテレビ中継と連携させよう、という試みが技術的と倫理的問題から頓挫したと氏がエッセイにて述べていますが、日本沈没1999にてそうした描写を描こうとしたと伝わる。

 未来からのウインク。小松左京氏の著書に至る様々な視点を回顧したエッセイなのですけれども、ここに阪神大震災を契機とした認識の転換が含まれているのですね。要するに日本沈没の時代に在ったような、日本の空気、第二次世界大戦へ進んだ際の空気の様なものが払拭された、しかし、という視点で未来に問い明ける意味でのSFへ昇華したといえます。

 3.11東日本大震災。2011年の東日本大震災。考えさせられるのは、小松左京氏が健在であれば、日本沈没の再映像化を前に東日本大震災に打ちひしがれた日本、続いて存在が現実視される南海トラフ連動地震、この脅威の前に敢えて日本沈没をそのまま映像化することをどう考えるのだろうか、という視点です。実際社会も価値観も国際情勢もかわっている。

 日本沈没。全てを示している作品ではあるのですが、上下巻の最後に明示されている“第一部完”というもの、虚無回廊や敢えて完結を避けたこちらニッポン、見知らぬ明日もその終章は読者にゆだねているのですが、第一部完、と明示した日本沈没、ここを敢えて触るのは、なかなかに度胸の要るもの、といえるのかもしれません。ある種愉しみではある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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