■核廃絶は必然ではない
核廃絶は必然ではない、核に関する禁忌意識は世界政治の地域差があり核軍縮には努力と覚悟が必要だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/68/64b434a2fea45f8154f4b82af84b10a9.jpg)
七十五年目の広島原爆祈念日。七十五年は長い月日ではありましたが、広島、そして長崎の原爆投下を経ての七十五年、しかしその後一度も戦争に核兵器が用いられなかったことは僥倖といえるでしょう。ただ、核兵器はその後洗練され数こそ冷戦時代の総数よりも減じたものの、安全保障の根幹に張り付くことで今なお世界に存在しているのも事実です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/7d/7abeaf0ef6fc26a1b74e4bb3221dc2c0.jpg)
北朝鮮核兵器の弾道ミサイル搭載用への小型化が既に実現している可能性、これは8月3日にロイター通信が国連報告書として独自報道したもので、核兵器を増産へ高濃縮ウランの生成を続けるとともに弾道ミサイル搭載用に小型化成功と複数の国が指摘している旨を国連専門家パネルが作成し、安全保障理事会北朝鮮制裁委員会へ、提出されたものでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/a3/81eacea684faa616852b404322e76b4e.jpg)
ミニットマンⅢ大陸間弾道弾発射実験成功。こちらは8月5日にAFP通信が報じたもので、カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地から発射された大陸間弾道弾ICBMは6700kmを飛翔し南太平洋マーシャル諸島近海に着弾したとのこと。AFP通信はミニットマンⅢを核兵器搭載の地対空ミサイルと説明していますが、大陸間弾道弾は戦略核運搬手段です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/a2/8df04eb1e4be8f89330821f96311d486.jpg)
広島慰霊の日を前に、なんといいますかいきりな印象ですが、忘れては成らない課題は戦略核は敵の戦略核に対して向けられると基本的に理解される一方、政経中枢への打撃手段として用いられない確証はなく、また冷戦時代に核兵器が実戦で用いられなかったメカニズム、核兵器不使用の保証にあたるようなものは充分分析されきっていません。重要です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/cb/56875822a460a8f575b6cbb168c52e48.jpg)
核兵器が冷戦時代に使われなかった国際政治上のメカニズムを理解し、その延長線上の核軍縮を検討しなければ、実のところ次にも核兵器は使われないという確証の延長線上に核廃絶を実現する事は難しいように思われます。時間がかかっても核兵器を使われない核廃絶を模索しなければ、全部使った結果の核廃絶より余程人道に資する帰結といえましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ee/470fa832ce5fc0754101a18d92990cbd.jpg)
マクロのミクロの混同と批判されるかもしれませんが、ダム環境破壊や脱原発と似たもので、ダムを急いで排除する為に濃尾平野の輪中のような治水事業を省き撤去すれば下流は鉄砲水に襲われ更地となります、原発を無くすことも吹飛ばしてしまえば即日全廃できますが、放射性降下物で北半球が更地同然となります、故に手順の模索が最も肝要と考える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3b/17dfea6f7f4679f00fb9465a26f22acd.jpg)
日本に大きな役割がある、こう考えるのは核兵器国以外では最大の経済大国が日本です、そして唯一の被曝国であり核廃絶を求める為の正統性と正当性を有していると共に、核不拡散条約即ち核拡散防止条約の構築に尽力し、また現実的な核攻撃の脅威に曝されているのは上掲の通りです。ただ、祈るような平和祈念ではなく平和構築への参画は必要と思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/59/60b280e290f3c6e7716d7f4c91d069d3.jpg)
核拡散防止条約。1970年にはじまった核兵器拡散防止の取り組みは、冷戦時代には大きく機能しており、スイスやスウェーデンの核論争に終止符を打つとともに南アフリカやイスラエルの核開発を大きく制約するとともに一時的ではありますがインドの核兵器を廃止、またポスト冷戦初期にあってもウクライナの核武装解除という大きな成果を残しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/5c/ca524d3c5a420a6a80973e3581efd05f.jpg)
しかし、ポスト冷戦時代の核開発は、インドの核兵器再実験とパキスタン核実験、続く北朝鮮の核実験とともに水爆実験の強行と、実のところ核兵器拡散防止の枠組みは大きく停滞していることも否めません。査察制度も雅楽へ行き禁止条約のようなチャレンジ査察は枠組みとして定着せず、そして2003年にはこの制度の大きな限界が枠組みを無力化した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/7d/f1383648b17f6cd8fc9c3108e42b8b05.jpg)
イラク戦争、2003年の米英有志連合によるイラク進攻では、イラクの核関連査察拒否に対して核開発を確実に行っていない確証を得られないことが結果的に大規模な地上軍進攻、それまでの限定空爆に留まらずイラク政権瓦解までを含めた軍事作戦に発展しましたが、結果として核開発が現実的な核兵器に至るまでの進捗証拠を発見するに至っていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/f8/6883aecdd8e0127e2457141c4306f9bf.jpg)
核拡散防止条約は1968年の時点で公然と核兵器を開発し保有していた国と例外的に核兵器国とした上で、これ以外の新しい核開発国家による核保有国を認めない、という一種の不平等条約ではあるのですが、この枠組みには核兵器国の核軍縮義務を盛り込んでいます。しかしこの核軍縮義務は、米英仏ロでは履行されるも、中国だけはこの流れに反している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/76/ae0bbc997f3dcf37ef54cf82cdb2a183.jpg)
中国は核弾頭がもともと多数保有せず、特に最小核抑止という毛沢東時代の核戦略を2000年代まで維持しており、最小限の核弾頭であっても大都市を狙うという姿勢により多数の核兵器に対する抑止力を構成するという視点から、アメリカ本土や欧州を射程とする核戦力を30発程度に留めてきましたが、これが戦略転換により現在増強に転じているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/08/fab94521e4f59df39467db42ce53d453.jpg)
新しい枠組み構築が必要だ。こうかんがえるのですが、そもそも核不拡散条約の枠組み自体が、東西冷戦の極めて死活的な緊張状態、実際に核不拡散条約が成立した1968年までに1956年スエズ危機では英仏軍のスエズ進攻に対してソ連が真剣に限定的な核攻撃を検討し、1962年キューバ危機でもアメリカは核兵器を限定的に使用する一歩手前にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/f9/0bfdaf4ca47c617c290bf2e951239401.jpg)
核不拡散条約を成立させた背景の劇的な緊張、特にそれまで使用されなかったのが奇跡的という極度の緊張、限定核は使う側の言い分であり、容易に戦略核の限定使用を経て全面核戦争に拡大する狂気の理論、これに対する各国世論の嫌核感というべきものの共有があって初めて成り立ったものであり、だからこそ各国は正当性を賭け参画したという事情が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/60/a198cc43947df82e8a7a99f4b9ae8bd4.jpg)
ソ連の反核兵器運動を思い浮かべれば度を超した核開発が嫌核感を醸成した好例といえるかもしれません、ツアーリボンバと称された世界最大の核爆弾、AN-602核爆弾の核実験が1961年10月30日に北極圏のノヴァヤゼムリャにて実施され、これがソ連反核運動の文字通り火付けとなっています。AN-602は100メガトン、実験は半分に爆発を抑えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/db/e0034d2df2a75f29088d4f29688cc745.jpg)
AN-602の核爆発は米ソがともに強力な核爆発を誇示し抑止力とする思惑の最中にあった威力ですが、核爆発の火球が1000km以遠でも目視できるほど威力が大きく、遙か遠いモスクワへも爆音が轟き核実験をモスクワ市民が知るところとなります。すると、核物理学者や経済学者、文学者や芸術家を巻き込む反核運動が自然発生的にソ連で巻き起こります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/cf/f6083c19be8e319985c156f3a05f2520.jpg)
100メガトンの核兵器、こうしたものを相互に応酬する世界では勝者はあり得ず、第三次世界大戦の次に文明は何も残らない、と危機感が醸成した運動ではあるのですが、要するに誇示ではなく国を越えた危機感の連帯が萌芽するのですね。もっともその時点を顧みれば唯一の被曝国である日本では原水禁と原水協が共産圏の核兵器正当性巡り分裂中でしたが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/85/8aa9aed341a26eb04f2fcd5d6d83bba3.jpg)
日本における核兵器をかかわる問題は、核兵器反対を広範に訴える原水爆禁止日本協議会、日米安保反対と共産圏の中国とソ連核兵器は必要という論点を掲げ協議会を離脱した原水爆禁止日本国民会議、ここに単純な核兵器廃絶では各論反対で分れるという一種イデオロギー的な対立が見い出せますが、戦後日本の核軍縮政策にもこの部分は大きな影が、ある。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
核廃絶は必然ではない、核に関する禁忌意識は世界政治の地域差があり核軍縮には努力と覚悟が必要だ。
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七十五年目の広島原爆祈念日。七十五年は長い月日ではありましたが、広島、そして長崎の原爆投下を経ての七十五年、しかしその後一度も戦争に核兵器が用いられなかったことは僥倖といえるでしょう。ただ、核兵器はその後洗練され数こそ冷戦時代の総数よりも減じたものの、安全保障の根幹に張り付くことで今なお世界に存在しているのも事実です。
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北朝鮮核兵器の弾道ミサイル搭載用への小型化が既に実現している可能性、これは8月3日にロイター通信が国連報告書として独自報道したもので、核兵器を増産へ高濃縮ウランの生成を続けるとともに弾道ミサイル搭載用に小型化成功と複数の国が指摘している旨を国連専門家パネルが作成し、安全保障理事会北朝鮮制裁委員会へ、提出されたものでした。
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ミニットマンⅢ大陸間弾道弾発射実験成功。こちらは8月5日にAFP通信が報じたもので、カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地から発射された大陸間弾道弾ICBMは6700kmを飛翔し南太平洋マーシャル諸島近海に着弾したとのこと。AFP通信はミニットマンⅢを核兵器搭載の地対空ミサイルと説明していますが、大陸間弾道弾は戦略核運搬手段です。
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広島慰霊の日を前に、なんといいますかいきりな印象ですが、忘れては成らない課題は戦略核は敵の戦略核に対して向けられると基本的に理解される一方、政経中枢への打撃手段として用いられない確証はなく、また冷戦時代に核兵器が実戦で用いられなかったメカニズム、核兵器不使用の保証にあたるようなものは充分分析されきっていません。重要です。
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核兵器が冷戦時代に使われなかった国際政治上のメカニズムを理解し、その延長線上の核軍縮を検討しなければ、実のところ次にも核兵器は使われないという確証の延長線上に核廃絶を実現する事は難しいように思われます。時間がかかっても核兵器を使われない核廃絶を模索しなければ、全部使った結果の核廃絶より余程人道に資する帰結といえましょう。
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マクロのミクロの混同と批判されるかもしれませんが、ダム環境破壊や脱原発と似たもので、ダムを急いで排除する為に濃尾平野の輪中のような治水事業を省き撤去すれば下流は鉄砲水に襲われ更地となります、原発を無くすことも吹飛ばしてしまえば即日全廃できますが、放射性降下物で北半球が更地同然となります、故に手順の模索が最も肝要と考える。
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日本に大きな役割がある、こう考えるのは核兵器国以外では最大の経済大国が日本です、そして唯一の被曝国であり核廃絶を求める為の正統性と正当性を有していると共に、核不拡散条約即ち核拡散防止条約の構築に尽力し、また現実的な核攻撃の脅威に曝されているのは上掲の通りです。ただ、祈るような平和祈念ではなく平和構築への参画は必要と思う。
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核拡散防止条約。1970年にはじまった核兵器拡散防止の取り組みは、冷戦時代には大きく機能しており、スイスやスウェーデンの核論争に終止符を打つとともに南アフリカやイスラエルの核開発を大きく制約するとともに一時的ではありますがインドの核兵器を廃止、またポスト冷戦初期にあってもウクライナの核武装解除という大きな成果を残しています。
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しかし、ポスト冷戦時代の核開発は、インドの核兵器再実験とパキスタン核実験、続く北朝鮮の核実験とともに水爆実験の強行と、実のところ核兵器拡散防止の枠組みは大きく停滞していることも否めません。査察制度も雅楽へ行き禁止条約のようなチャレンジ査察は枠組みとして定着せず、そして2003年にはこの制度の大きな限界が枠組みを無力化した。
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イラク戦争、2003年の米英有志連合によるイラク進攻では、イラクの核関連査察拒否に対して核開発を確実に行っていない確証を得られないことが結果的に大規模な地上軍進攻、それまでの限定空爆に留まらずイラク政権瓦解までを含めた軍事作戦に発展しましたが、結果として核開発が現実的な核兵器に至るまでの進捗証拠を発見するに至っていません。
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核拡散防止条約は1968年の時点で公然と核兵器を開発し保有していた国と例外的に核兵器国とした上で、これ以外の新しい核開発国家による核保有国を認めない、という一種の不平等条約ではあるのですが、この枠組みには核兵器国の核軍縮義務を盛り込んでいます。しかしこの核軍縮義務は、米英仏ロでは履行されるも、中国だけはこの流れに反している。
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中国は核弾頭がもともと多数保有せず、特に最小核抑止という毛沢東時代の核戦略を2000年代まで維持しており、最小限の核弾頭であっても大都市を狙うという姿勢により多数の核兵器に対する抑止力を構成するという視点から、アメリカ本土や欧州を射程とする核戦力を30発程度に留めてきましたが、これが戦略転換により現在増強に転じているのです。
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新しい枠組み構築が必要だ。こうかんがえるのですが、そもそも核不拡散条約の枠組み自体が、東西冷戦の極めて死活的な緊張状態、実際に核不拡散条約が成立した1968年までに1956年スエズ危機では英仏軍のスエズ進攻に対してソ連が真剣に限定的な核攻撃を検討し、1962年キューバ危機でもアメリカは核兵器を限定的に使用する一歩手前にありました。
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核不拡散条約を成立させた背景の劇的な緊張、特にそれまで使用されなかったのが奇跡的という極度の緊張、限定核は使う側の言い分であり、容易に戦略核の限定使用を経て全面核戦争に拡大する狂気の理論、これに対する各国世論の嫌核感というべきものの共有があって初めて成り立ったものであり、だからこそ各国は正当性を賭け参画したという事情が。
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ソ連の反核兵器運動を思い浮かべれば度を超した核開発が嫌核感を醸成した好例といえるかもしれません、ツアーリボンバと称された世界最大の核爆弾、AN-602核爆弾の核実験が1961年10月30日に北極圏のノヴァヤゼムリャにて実施され、これがソ連反核運動の文字通り火付けとなっています。AN-602は100メガトン、実験は半分に爆発を抑えている。
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AN-602の核爆発は米ソがともに強力な核爆発を誇示し抑止力とする思惑の最中にあった威力ですが、核爆発の火球が1000km以遠でも目視できるほど威力が大きく、遙か遠いモスクワへも爆音が轟き核実験をモスクワ市民が知るところとなります。すると、核物理学者や経済学者、文学者や芸術家を巻き込む反核運動が自然発生的にソ連で巻き起こります。
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100メガトンの核兵器、こうしたものを相互に応酬する世界では勝者はあり得ず、第三次世界大戦の次に文明は何も残らない、と危機感が醸成した運動ではあるのですが、要するに誇示ではなく国を越えた危機感の連帯が萌芽するのですね。もっともその時点を顧みれば唯一の被曝国である日本では原水禁と原水協が共産圏の核兵器正当性巡り分裂中でしたが。
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日本における核兵器をかかわる問題は、核兵器反対を広範に訴える原水爆禁止日本協議会、日米安保反対と共産圏の中国とソ連核兵器は必要という論点を掲げ協議会を離脱した原水爆禁止日本国民会議、ここに単純な核兵器廃絶では各論反対で分れるという一種イデオロギー的な対立が見い出せますが、戦後日本の核軍縮政策にもこの部分は大きな影が、ある。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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