■あの大戦,唯一の遺産は平和
七十五年前の今日この日に日本史は大きく転換点を迎えた事はおおくの方が同意される事でしょう。

終戦七五年。本日は太平洋戦争が終戦してから七五年目の終戦記念日となります。死者実に350万、膨大な戦死者と空襲や地上戦被害とともに太平洋戦争は終戦となりました。しかし大平洋戦争は終戦が平和をもたらした、との認識が戦争放棄とともに実のところ旧日本軍の奮戦によりあらわれ、ここから得られた平和を享受できた僥倖はあります。

平和憲法により日本は戦争を、とはよく憲法に関する理解として示されるものではありますが、永世中立国や軍隊を持たない国などは、祈念するだけの平和ではなく中立を守るために並ならぬ努力を続けています。スイスや中立政策を緩めたとはいえ継続するスウェーデン、オーストリア、これらは未だ徴兵制を持続しています、国民皆兵国家なのですね。

NATO諸国を見ますと徴兵制はトルコとギリシャで継続されていますが、アメリカはもちろん、イギリスやイタリア、スペインまでもが徴兵制を志願制に切り替えており、市民の中の軍隊として軍部を復活させないために徴兵制を維持していたドイツも志願制に切り替わりました。フランスはマクロン政権が一ヶ月間の徴兵制を検討したが実現はしていない。

日本が戦後平和を享受できた背景には、自衛隊の存在と日米安保条約の存在は大きいですが、なにより日米安保条約は2000年代初頭まで"瓶の蓋理論"として日本に過度な防衛力を持たせないようアメリカが負担するという理論が大真面目に議論されていました、自由化するならば強大な日本軍が復活する、アメリカでは一部でも永らく真剣に考えられていた。

旧日本軍の遺産、というべきでしょうか、日本を追いつめると過去の歴史を繰り返しかねない、だからこそ日本に対する軍事攻撃は自制しよう、実際のところ戦後日本の平和は努力はもちろん存在するのですが、再度日本に軍事脅威を突きつけることで、かえって眠れる獅子を起こしかねない、という認識があったようにも思うのです。この平和が遺産だ。

日本軍は強かった。実際問題、マレー半島電撃戦では1000kmを踏破、インパール作戦は杜撰な兵站計画により山間部を300km前進する作戦で三個師団をすりつぶしビルマ戦線崩壊の一因を作りましたが、翌年には大陸打通作戦として1000km以遠の飛行場を占領し中国大陸を南方資源地帯と陸路で結ぶ、どう考えても成功しない作戦を一応成功させている。

航空母艦同士の海戦は歴史上行われたもの全てに日本が参加している、アメリカは日英の南雲艦隊とハーミーズの海戦に参加していないため、全ての空母間の海戦に参加しているのは日本だけ、地中海や大西洋では空母が参加した海戦は多くとも、双方が空母を展開させる海戦は生起していないし戦後もない。これも日本軍を示す一例といえるでしょう。

ハワイ海戦真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、これは日本にとって特に後半は悪夢の連続ではありましたが、アメリカ海軍も簡単に勝利を得られたわけではなく、特にミッドウェーでは飛行隊指揮官の戦死が続出し、悪夢の中の勝利でしかない、これも変な話、戦後に繋がる。

平和の遺産。現実問題として国力では軍事力への比重を経済力への比重に置き換え、その存在感を高めるとともに徐々に経済力と元々の軍事力により錬成されていた技術力が高まり、結果的に日本という国家の存在感は国力を投入する比重の偏差はあったものの、戦時中と戦後で大きく変わることはなかったように思う。偏差、そうこれは偏差、なのですね。

国力を経済力と技術力に偏差し、防衛力は経済発展を阻害しない程度に抑える、一方で周辺国もソ連はアフガニスタンや中欧諸国に掛けたような軍事圧力を日本に掛けることはなく一種の緊張感とともに推移し、北朝鮮も韓国に対するような武装工作員の浸透はせず、中国も沖縄トラフのこちら側までは進出しませんでした、少なくとも2000年代までは。

平和は双方の同意か合意によってのみ存続する。一方だけが平和を望んでも、善隣条約の締結を迫られ特定国家の陣営に寄与することを求められた際に断れない、一方が侵略の意志を持っていた際に平和を目的ではなく手段として用いれば単純に占領されるだけです。この点で、距離を置こうという、社会的距離、最近はやりの概念はあったのでしょう。

戦後七五年。痛感するのは旧日本軍の遺産というべき、お互いが距離を置いて共存する、伝統的な地政学に依拠すればハートランドを不可侵としつつリムランド同士も接近しすぎない、緩衝地帯を置くのではなくリムランドの距離を敢えて置く曖昧な緊張関係の背景、軍事力強化の口実を与えない環境が、大陸のリムランド膨張により破綻しつつある現状が。

七五年というものは平和という旧日本軍の遺産でさえも食いつぶしてしまうものなのでしょうか、確かに、視点を1945年に転じれば75年前といえば普仏戦争開戦、当時のフランスはナチスドイツ許すまじ、と団結していても、ナポレオン三世廃位の恨みでプロイセン許すまじ、とはなっていません、75年間というのはいつの世でも、本当に長いのですね。

歴史認識と歴史事実を継承する必要があると思う、特に日中間で。歴史認識と歴史事実は表裏一体で乖離すればそれはプロパガンダとなります。もちろん難しさはあるでしょう、一例を挙げれば南京事件、当時の市内人口の三倍を虐殺できるわけはないのですが、プロパガンダとして定着している、それだけに歴史事実の共有は簡単ではない、のではないか。

しかし、大陸打通作戦や上海渡洋爆撃に武漢作戦、黄河決壊作戦や長沙作戦に拉孟戦、慰霊祭を同じ日に行うことは可能な筈です。もちろん、ラングーン攻略やイナンジョン攻防戦、シンガポール攻略やアキャブ作戦、インパール作戦、フィリピンではコレヒドール要塞攻略にマニラ市街戦やレイテの戦い、もう少し公式の場で慰霊祭をやるべきだとおもう。

旧軍の遺産としての平和、反論はあるでしょうが、要するに危険な国、という認識を共有してこその戦争経験が、周辺国との摩擦を回避する、これをもって平和という遺産を享受できるのであれば、この風化が、今日の中国海洋進出や西日本沖までミサイル爆撃機が飛来する緊張状態を現出しているといえる。賛美ではなく慰霊を通じた継承が要るのですね。

慰霊祭を行えば、大陸としては例えば大陸打通作戦一つとっても無謀ではあるがしかし内陸部へ1000kmを短期間で占領したという事実は継承できます、すると慰霊するとともに、こうした災厄を再発させないために、距離を置く、という認識を日中間で維持することができるかもしれません。復仇とさせず、そのためにも慰霊祭を通じたその継承が必要だ。

自衛隊が旧軍の慰霊式、違和感を受け留めるかもしれませんが海上自衛隊は日本海海戦やミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などの慰霊式を毎年実施しています。練習艦隊や護衛艦隊の訓練を通じてかつての戦跡ちかくを航行する際には慰霊式を甲板で開き弔砲を放ち花束を投じる。こうした慰霊を広めて行く、そうでなければ風化は避けられないでしょう。

また、継承を行う事で過去の歴史を周辺国と、これは戦争となれば日本軍の存在感とともに継承できるように思うのです。戦争の記憶が風化する、これは平和な時代が長く続いた証左、こういいかえる事も出来なくはないのですが、あれだけの規模の戦争から勝ち得た平和です、旧軍の記憶を継承する事で持続できるならば平和の継承を努力すべきでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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七十五年前の今日この日に日本史は大きく転換点を迎えた事はおおくの方が同意される事でしょう。

終戦七五年。本日は太平洋戦争が終戦してから七五年目の終戦記念日となります。死者実に350万、膨大な戦死者と空襲や地上戦被害とともに太平洋戦争は終戦となりました。しかし大平洋戦争は終戦が平和をもたらした、との認識が戦争放棄とともに実のところ旧日本軍の奮戦によりあらわれ、ここから得られた平和を享受できた僥倖はあります。

平和憲法により日本は戦争を、とはよく憲法に関する理解として示されるものではありますが、永世中立国や軍隊を持たない国などは、祈念するだけの平和ではなく中立を守るために並ならぬ努力を続けています。スイスや中立政策を緩めたとはいえ継続するスウェーデン、オーストリア、これらは未だ徴兵制を持続しています、国民皆兵国家なのですね。

NATO諸国を見ますと徴兵制はトルコとギリシャで継続されていますが、アメリカはもちろん、イギリスやイタリア、スペインまでもが徴兵制を志願制に切り替えており、市民の中の軍隊として軍部を復活させないために徴兵制を維持していたドイツも志願制に切り替わりました。フランスはマクロン政権が一ヶ月間の徴兵制を検討したが実現はしていない。

日本が戦後平和を享受できた背景には、自衛隊の存在と日米安保条約の存在は大きいですが、なにより日米安保条約は2000年代初頭まで"瓶の蓋理論"として日本に過度な防衛力を持たせないようアメリカが負担するという理論が大真面目に議論されていました、自由化するならば強大な日本軍が復活する、アメリカでは一部でも永らく真剣に考えられていた。

旧日本軍の遺産、というべきでしょうか、日本を追いつめると過去の歴史を繰り返しかねない、だからこそ日本に対する軍事攻撃は自制しよう、実際のところ戦後日本の平和は努力はもちろん存在するのですが、再度日本に軍事脅威を突きつけることで、かえって眠れる獅子を起こしかねない、という認識があったようにも思うのです。この平和が遺産だ。

日本軍は強かった。実際問題、マレー半島電撃戦では1000kmを踏破、インパール作戦は杜撰な兵站計画により山間部を300km前進する作戦で三個師団をすりつぶしビルマ戦線崩壊の一因を作りましたが、翌年には大陸打通作戦として1000km以遠の飛行場を占領し中国大陸を南方資源地帯と陸路で結ぶ、どう考えても成功しない作戦を一応成功させている。

航空母艦同士の海戦は歴史上行われたもの全てに日本が参加している、アメリカは日英の南雲艦隊とハーミーズの海戦に参加していないため、全ての空母間の海戦に参加しているのは日本だけ、地中海や大西洋では空母が参加した海戦は多くとも、双方が空母を展開させる海戦は生起していないし戦後もない。これも日本軍を示す一例といえるでしょう。

ハワイ海戦真珠湾攻撃、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、これは日本にとって特に後半は悪夢の連続ではありましたが、アメリカ海軍も簡単に勝利を得られたわけではなく、特にミッドウェーでは飛行隊指揮官の戦死が続出し、悪夢の中の勝利でしかない、これも変な話、戦後に繋がる。

平和の遺産。現実問題として国力では軍事力への比重を経済力への比重に置き換え、その存在感を高めるとともに徐々に経済力と元々の軍事力により錬成されていた技術力が高まり、結果的に日本という国家の存在感は国力を投入する比重の偏差はあったものの、戦時中と戦後で大きく変わることはなかったように思う。偏差、そうこれは偏差、なのですね。

国力を経済力と技術力に偏差し、防衛力は経済発展を阻害しない程度に抑える、一方で周辺国もソ連はアフガニスタンや中欧諸国に掛けたような軍事圧力を日本に掛けることはなく一種の緊張感とともに推移し、北朝鮮も韓国に対するような武装工作員の浸透はせず、中国も沖縄トラフのこちら側までは進出しませんでした、少なくとも2000年代までは。

平和は双方の同意か合意によってのみ存続する。一方だけが平和を望んでも、善隣条約の締結を迫られ特定国家の陣営に寄与することを求められた際に断れない、一方が侵略の意志を持っていた際に平和を目的ではなく手段として用いれば単純に占領されるだけです。この点で、距離を置こうという、社会的距離、最近はやりの概念はあったのでしょう。

戦後七五年。痛感するのは旧日本軍の遺産というべき、お互いが距離を置いて共存する、伝統的な地政学に依拠すればハートランドを不可侵としつつリムランド同士も接近しすぎない、緩衝地帯を置くのではなくリムランドの距離を敢えて置く曖昧な緊張関係の背景、軍事力強化の口実を与えない環境が、大陸のリムランド膨張により破綻しつつある現状が。

七五年というものは平和という旧日本軍の遺産でさえも食いつぶしてしまうものなのでしょうか、確かに、視点を1945年に転じれば75年前といえば普仏戦争開戦、当時のフランスはナチスドイツ許すまじ、と団結していても、ナポレオン三世廃位の恨みでプロイセン許すまじ、とはなっていません、75年間というのはいつの世でも、本当に長いのですね。

歴史認識と歴史事実を継承する必要があると思う、特に日中間で。歴史認識と歴史事実は表裏一体で乖離すればそれはプロパガンダとなります。もちろん難しさはあるでしょう、一例を挙げれば南京事件、当時の市内人口の三倍を虐殺できるわけはないのですが、プロパガンダとして定着している、それだけに歴史事実の共有は簡単ではない、のではないか。

しかし、大陸打通作戦や上海渡洋爆撃に武漢作戦、黄河決壊作戦や長沙作戦に拉孟戦、慰霊祭を同じ日に行うことは可能な筈です。もちろん、ラングーン攻略やイナンジョン攻防戦、シンガポール攻略やアキャブ作戦、インパール作戦、フィリピンではコレヒドール要塞攻略にマニラ市街戦やレイテの戦い、もう少し公式の場で慰霊祭をやるべきだとおもう。

旧軍の遺産としての平和、反論はあるでしょうが、要するに危険な国、という認識を共有してこその戦争経験が、周辺国との摩擦を回避する、これをもって平和という遺産を享受できるのであれば、この風化が、今日の中国海洋進出や西日本沖までミサイル爆撃機が飛来する緊張状態を現出しているといえる。賛美ではなく慰霊を通じた継承が要るのですね。

慰霊祭を行えば、大陸としては例えば大陸打通作戦一つとっても無謀ではあるがしかし内陸部へ1000kmを短期間で占領したという事実は継承できます、すると慰霊するとともに、こうした災厄を再発させないために、距離を置く、という認識を日中間で維持することができるかもしれません。復仇とさせず、そのためにも慰霊祭を通じたその継承が必要だ。

自衛隊が旧軍の慰霊式、違和感を受け留めるかもしれませんが海上自衛隊は日本海海戦やミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などの慰霊式を毎年実施しています。練習艦隊や護衛艦隊の訓練を通じてかつての戦跡ちかくを航行する際には慰霊式を甲板で開き弔砲を放ち花束を投じる。こうした慰霊を広めて行く、そうでなければ風化は避けられないでしょう。

また、継承を行う事で過去の歴史を周辺国と、これは戦争となれば日本軍の存在感とともに継承できるように思うのです。戦争の記憶が風化する、これは平和な時代が長く続いた証左、こういいかえる事も出来なくはないのですが、あれだけの規模の戦争から勝ち得た平和です、旧軍の記憶を継承する事で持続できるならば平和の継承を努力すべきでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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