■終戦,弔意へ半旗の自衛艦旗
終戦七十五年目の舞鶴、終戦記念日という事でひとつ日本海守りの要衝は舞鶴へと行って参りました。

あたご、ましゅう、ひゅうが艦橋も望見できます。海上自衛隊舞鶴基地に停泊する護衛艦と補給艦です、ここは京都府北部の舞鶴基地、海上自衛隊唯一の日本海側における護衛艦の基地であり哨戒ヘリコプター部隊の展開する日本海防衛の要衝、撮影は15日です。

七十五年目の終戦記念日。COVID-19新型コロナウィルス感染症の猛威は留まるところを知らず、日本国内の感染者数は5万を超え、しかし太平洋の対岸アメリカでは死者数が17万に達し、インドとブラジルに南アフリカにて爆発的感染が続く中での終戦記念日でした。

あたご、ひゅうが。ご覧いただきますと分かります通り艦首旗が半旗となっています、あの膨大な死者数を出しました太平洋戦争、海上自衛隊は旧海軍の海上防衛任務を継ぐ所縁から半旗で弔意を示しています、時は正に正午、七五年前に陛下の玉音放送がありました。

うみたか。はやぶさ型ミサイル艇の一隻で艦首旗とともに自衛艦旗も半旗になっているのがご覧いただけるでしょうか。旧海軍に空母海鷹という艦がありましたが、かいよう、と読みまして旧海軍艦名の継承ではありません、しかし背景の赤煉瓦建造物は旧海軍のもの。

舞鶴警備隊も半旗を掲げ弔意を示しています。舞鶴といいますと大規模なクラスターこそありませんが、しかし、この撮影をしましたのは新日本海フェリーターミナルのある前島埠頭、結構な釣り人が居まして西舞鶴はとれとれ市場が満車状態、嗚呼成程、とおもった。

あたご、ましゅう、ひゅうが、ふゆづき、みょうこう、せとぎり、まつゆき。舞鶴基地にこれだけの護衛艦が入港している様子は中々貴重です。停泊していますのは母港は舞鶴の護衛艦と補給艦でして、終戦記念日であると共に盆休み、帰港出来るだけ昨今は平和です。

ひうち、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場に定期整備中、報道によればここは今治造船に合併されるとの事ですが業務再編により造船所としての役割を終え、艦艇整備施設に一本化されるという。造船不況と同時に旧海軍舞鶴工廠の伝統が絶たれるのはさびしい。

ひゅうが先代は航空戦艦として活躍し瀬戸内海にて大破状態で終戦を迎えた戦艦日向、あたご先代はレイテ沖海戦で沈んだ重巡洋艦愛宕、みょうこう先代はシンガポールで終戦を迎え戦後英海軍に海没処分となった重巡洋艦妙高、自衛隊の艦名にはそれぞれ思いが残る。

ふゆづき先代は防空艦として期待された駆逐艦冬月で天一号作戦として大和沖縄特攻に参加し帰還の後に現在も北九州市に船体が防波堤として現存している強運艦の名前です。ただ、せとゆき、まつゆき、に関しては旧海軍艦名にはなく二隻はこちらが初代というもの。

あたご。ファンネル部分を視ますと陽炎が出ていますのでガスタービンエンジンが運転中である事が分ります、待機状態にあるのでしょうか、あたご、イージス艦である為に万一弾道ミサイル飛来の徴候がある際には即座にミサイル防衛という重責に当る護衛艦です。

ひゅうが。満載排水量19000tと舞鶴では最大の護衛艦となっています、海上自衛隊初の全通飛行甲板型護衛艦として、護衛艦はるな後継として建造されています。あたご自衛艦旗が半旗となっている所が明瞭だ。戦後75年を経ても、我が国への脅威は存在、平和は儚い。

みょうこう、手前が、ふゆづき。舞鶴では赤煉瓦倉庫群の一般開放や軍港めぐり遊覧船の運航など、ウィズコロナ時代の模索が続いています、こうした中ですが当方一行は象徴的な七十五年目の終戦記念日正午に静かな黙祷ささげ、前島埠頭を後にする事としました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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終戦七十五年目の舞鶴、終戦記念日という事でひとつ日本海守りの要衝は舞鶴へと行って参りました。

あたご、ましゅう、ひゅうが艦橋も望見できます。海上自衛隊舞鶴基地に停泊する護衛艦と補給艦です、ここは京都府北部の舞鶴基地、海上自衛隊唯一の日本海側における護衛艦の基地であり哨戒ヘリコプター部隊の展開する日本海防衛の要衝、撮影は15日です。

七十五年目の終戦記念日。COVID-19新型コロナウィルス感染症の猛威は留まるところを知らず、日本国内の感染者数は5万を超え、しかし太平洋の対岸アメリカでは死者数が17万に達し、インドとブラジルに南アフリカにて爆発的感染が続く中での終戦記念日でした。

あたご、ひゅうが。ご覧いただきますと分かります通り艦首旗が半旗となっています、あの膨大な死者数を出しました太平洋戦争、海上自衛隊は旧海軍の海上防衛任務を継ぐ所縁から半旗で弔意を示しています、時は正に正午、七五年前に陛下の玉音放送がありました。

うみたか。はやぶさ型ミサイル艇の一隻で艦首旗とともに自衛艦旗も半旗になっているのがご覧いただけるでしょうか。旧海軍に空母海鷹という艦がありましたが、かいよう、と読みまして旧海軍艦名の継承ではありません、しかし背景の赤煉瓦建造物は旧海軍のもの。

舞鶴警備隊も半旗を掲げ弔意を示しています。舞鶴といいますと大規模なクラスターこそありませんが、しかし、この撮影をしましたのは新日本海フェリーターミナルのある前島埠頭、結構な釣り人が居まして西舞鶴はとれとれ市場が満車状態、嗚呼成程、とおもった。

あたご、ましゅう、ひゅうが、ふゆづき、みょうこう、せとぎり、まつゆき。舞鶴基地にこれだけの護衛艦が入港している様子は中々貴重です。停泊していますのは母港は舞鶴の護衛艦と補給艦でして、終戦記念日であると共に盆休み、帰港出来るだけ昨今は平和です。

ひうち、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴工場に定期整備中、報道によればここは今治造船に合併されるとの事ですが業務再編により造船所としての役割を終え、艦艇整備施設に一本化されるという。造船不況と同時に旧海軍舞鶴工廠の伝統が絶たれるのはさびしい。

ひゅうが先代は航空戦艦として活躍し瀬戸内海にて大破状態で終戦を迎えた戦艦日向、あたご先代はレイテ沖海戦で沈んだ重巡洋艦愛宕、みょうこう先代はシンガポールで終戦を迎え戦後英海軍に海没処分となった重巡洋艦妙高、自衛隊の艦名にはそれぞれ思いが残る。

ふゆづき先代は防空艦として期待された駆逐艦冬月で天一号作戦として大和沖縄特攻に参加し帰還の後に現在も北九州市に船体が防波堤として現存している強運艦の名前です。ただ、せとゆき、まつゆき、に関しては旧海軍艦名にはなく二隻はこちらが初代というもの。

あたご。ファンネル部分を視ますと陽炎が出ていますのでガスタービンエンジンが運転中である事が分ります、待機状態にあるのでしょうか、あたご、イージス艦である為に万一弾道ミサイル飛来の徴候がある際には即座にミサイル防衛という重責に当る護衛艦です。

ひゅうが。満載排水量19000tと舞鶴では最大の護衛艦となっています、海上自衛隊初の全通飛行甲板型護衛艦として、護衛艦はるな後継として建造されています。あたご自衛艦旗が半旗となっている所が明瞭だ。戦後75年を経ても、我が国への脅威は存在、平和は儚い。

みょうこう、手前が、ふゆづき。舞鶴では赤煉瓦倉庫群の一般開放や軍港めぐり遊覧船の運航など、ウィズコロナ時代の模索が続いています、こうした中ですが当方一行は象徴的な七十五年目の終戦記念日正午に静かな黙祷ささげ、前島埠頭を後にする事としました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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