■二〇二〇年代の"日本沈没論"
日本沈没、この作品が広く受け入れられ幾度も映像化の機会に恵まれるのは膨大な検証を背景とした描写から成る世界観と説得力に在るように思う。
日本沈没。ある意味で高度経済成長の最中に第二次世界大戦の歴史を省みず延々と拡大してゆく日本、日本経済だけではなく世界におけるポテンシャルという意味での日本、ここへの警鐘というものも含めていたのかもしれません。いそぎすぎるな、ゆっくり、ゆっくり。大阪万博に際して豪州がこう伝えた、と作中で豪州首相が思い浮かべる描写もあった。
エコノミックアニマル、とも作中で揶揄されている日本、これは日本沈没が災害パニックにとどまらず、一つの文明論として小松左京氏が試みた命題であるのは、災害により日本プレートが日本海溝に沈む、ここが動機付けであって、主題は脱出する、しかし一億一千万の膨大な日本国民を受け入れられる地域が物理的にない、という部分に収斂しています。
世界へ脱出する日本国民ですが、当時中国は文化大革命からの経済後退から避難先とできず、先ず沿岸部に農民に限定して受け入れる希望、つまり中国政府としては日本からの難民により農業を高度化させたい、という要望を示す一方、当時日本では中国に文化大革命や第二次世界大戦から逃げ帰った記憶から、中国への脱出を希望しない、という流れも。
オーストラリアやカナダにヨーロッパ、アジア太平洋地域ではハワイやグアムとニューカレドニア、という、脱出希望先では観光で探訪したことのある地域が大半を占める、こうした描写もありまして、そして日本沈没執筆当時はまだ、フィリピンとの戦後講和条約が未締結、インドネシアとの戦後処理の問題も今とは比較にならない程で、ここも描かれる。
2020年代に日本沈没を描く難しさというのは、1960年代に、つまり我々が現在から2001年のアメリカ本土同時多発テロを思い返すくらいの、若しくは2003年イラク戦争開戦の頃の記憶と同じくらいに第二次世界大戦の記憶が鮮やかな1960年代に執筆した日本沈没の世界観と2020年代、戦後75年を経て日本の平和政策が理解されている時点との違いです。
日本沈没2020の作中には原作に登場する人物が全く出てこないとの側聞を、前回に非常に残念である旨を示しましたが、1960年代に日本から世界に脱出する、それも日本の対外拡張時代の記憶を残す時代に一億の人口が移動する難しさと、2020年代にこれを再現する意味とでは随分と違う印象があります、また受け入れる国の生産能力も随分と違うでしょう。
作品世界の比較は簡単ではありませんが、抜本的な再構築が必要となります。そして原作当時は東西冷戦の真っ只中でしたので、日本を救出するという事は西太平洋地域の戦略的プレゼンスが当然影響するのですね。アメリカがプレゼンスを失えばソ連太平洋艦隊は直接朝鮮半島を含め西太平洋沿岸地域を拠点と出来る、このパワーバランスの問題もあった。
朝鮮半島。戦後処理と言いますと韓国との問題ですが、韓国の場合は日本本土が消滅することで甚大な影響を被ります、日本沈没の原作発表は日韓国交正常化から五年後でした、朝鮮戦争休戦からがちょうど20年という時代です。つまり、朝鮮半島情勢はきわめて深刻な時代であり、実際に原作では韓国は日本政府の沈没発表と同時に戒厳令を出したのです。
韓国戒厳令、これは日本本土が消滅することは、韓国にとって重要な後方拠点、国連軍と在韓米軍の巨大な戦略兵站基地が消滅することを意味しますので、韓国軍の兵站線はグアム島などマリアナ諸島まで後退、九州とマリアナ諸島では韓国から根本的に距離が違います。実際、日本沈没第二部、谷甲州完結編では北朝鮮だけで韓国は国として出てきません。
日本沈没第二部では中国は経済発展に失敗したらしい。考えてみますと今でこそ中国は世界第二位の経済大国となっていますが、鄧小平時代荒の改革開放が、最も技術協力を行った日本とアメリカの関係が喪失するのです。原作では農民を中心に希望していた為、日本人技術者を招き入れて技術大国を目指すという選択肢が無かったのですね。この影響です。
在比米軍は残るが在日米軍の根拠地が喪失する、沖縄本土復帰が1972年ですので日本沈没の原作発表はその翌年ということですが、ただ、日本沈没の原作執筆にかんする知識の論拠が1960年代から1970年代にかけて、ということで、日本沈没の年度についてはX年、というような方式で当然ぼかされているのですが、まあ、そんな時代であったわけですね。
2020、日本沈没2020という視点でみますと、日本とフィリピンの問題やインドネシアの問題は根本から戦後問題は、なにしろ1940年代の命題を1960年代に回顧するのと2020年代に回顧するのは60年の開きがありますので、1960年代に欧州で独仏がモロッコ事件のことを回顧するくらい開きがある、といえるでしょう。文明論の根本が違う、ということ。
1960年代、日本沈没が執筆された時代は1960年、アフリカの年、百花繚乱の如くアフリカが独立国へと若返った瞬間から間もない、しかしローデシアの動乱や中東緊張の影響、米ソ対立に距離を置こうとする第三世界、こうしたものとの複雑な地政学の蠢動があったのですが、2020年代にはアフリカの開発がかなり進みまして60年で状況は一新している。
アフリカ問題は作中でモザンビーク、当時は南アと周辺国が互いに領土主張する係争地域でしたが、アフリカ諸国は当時の南アフリカがアパルトヘイトと拡張主義を示す中で、このモザンビークに日本難民を大量に入植させることで緩衝地帯を構築しようと、もちかける。日本代表に持ちかけるところで、作中では日本でまさに中央構造線地震が起きますが。
南米では日本軍が進駐してくると勘違いして、勝ち組、勝ち組というのは1940年代に日本の敗戦を受け入れられない日系移民一世が、実は日本は負けていないのだ勝ったのだ、と主張する動きですが、さすがにこうしたものはなく、そして1960年代には重要視されていたアマゾン開発がアマゾン保護、現政権では開発、と二転三転したのが現在であるのです。
植民地主義の残滓のこる1960年代は東西冷戦下であり世界が第三極をどのように構成するか、中立か離隔かをもさくしていた、そんな時代へ日本人が脱出することを真剣に描写したのが小松左京氏の努力というものでしたが、日本沈没2020は、ここを省きますと単なる災害パニック日本中大地震2020でたいへん!、という部分に留まるのが、難しいのです。
日本沈没が数多の災害小説の中にあって燦然と輝くのは、十全の災害パニックが、災害発生の直接的影響、地震ならば救助が来るまで、映画の地震列島やアメリカ映画の大地震などがそうだ、火山ならば火砕流や溶岩流から逃げるまで、ダンテスピークやボルケーノがこれにあたる、ここで逃げ切った助かったで終わっているのですが、日本沈没は違う。
しかし、1973年版の映画日本沈没は、ここまで踏み込めなかった、いや、続日本沈没、として東宝が続編を企画していまして、ここでもう少し踏み込んだ内容が盛り込まれたのかもしれませんが、1973年に東宝が制作を発表しての地実際の撮影には進まずたちきえとなっています。映像としてまとめるには、国際政治の朝夕効果予測は難しいのかもしれない。
日本沈没2020をこの視点から見ますと、まあ新型コロナウィルスCOVID-19は予測できなかったでしょうが、米中対立というものは日本沈没により失われる在日米軍施設によるアメリカポテンシャルの後退として描かなければ不自然でしょう。しかしなにより、日本沈没により生じる多大な津波被害と火山性降下物の被害は、中国本土を直撃するのですね。
勿論逃げ切ってセーフ、という単純な作品とするのでしたら、そこまで考える必要はありません、例えば日本沈没の大変動に外国人観光客が巻き込まれ、観光客の視点から描く日本沈没見聞録、というような構図ならば別なのですが、小松左京の世界観というのは此処まで単純ではありません、また上海や天津等沿岸都市が日本からの津波影響を確実に被る。
2020年の時点で日本沈没を描く難しさ、これは何しろ執筆時代が大きく違う為に背景が根本から異なっているという部分です。唯一の救いは日本の地形や標高はそれ程違っていないという部分ですが、国際政治の一例を見ても相当違うのですね。そして地学研究も相当進みました。反映する必要はあるのかと問われると、日本沈没、作品の特殊性から必要に。
地学の修士論文に匹敵すると称賛された日本沈没の科学検証、当時は日本が日本海溝に沈没するという作品に現実味を持たせるために小松左京氏はかなり広い分野から研究者や理論研究を独自に行い、実際に起こり得るという説得力を持たせています、それゆえに多くの作品同時並行で執筆した訳ではありますが膨大な執筆時間を要しているのですけれども。
SFは娯楽なのだから最新の研究を反映させる必要はないのでは、と反論されるならば、これを行わないのであれば日本沈没という作品に拘らずとも良いのではないか、となります。そして日本沈没の執筆時点では今ほど巨大火山噴火による地球への気候変動の影響というものが研究が進んでいませんでした。しかし今日ではこの部分を意識しなければ片手落ち。
カルデラ噴火と地球氷河期。火山噴火は日本沈没執筆当時には日本国内の火山規模が今ほど認識されていませんでしたが、今日ではこの部分を描かねばなりません、特に日本のカルデラ噴火は威力が大きい。日本に複数存在する巨大火山が噴火した場合は氷河期が到来する 世界を描いた“死都日本”“日本沈没第二部”という先行作があるのですから、ね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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日本沈没、この作品が広く受け入れられ幾度も映像化の機会に恵まれるのは膨大な検証を背景とした描写から成る世界観と説得力に在るように思う。
日本沈没。ある意味で高度経済成長の最中に第二次世界大戦の歴史を省みず延々と拡大してゆく日本、日本経済だけではなく世界におけるポテンシャルという意味での日本、ここへの警鐘というものも含めていたのかもしれません。いそぎすぎるな、ゆっくり、ゆっくり。大阪万博に際して豪州がこう伝えた、と作中で豪州首相が思い浮かべる描写もあった。
エコノミックアニマル、とも作中で揶揄されている日本、これは日本沈没が災害パニックにとどまらず、一つの文明論として小松左京氏が試みた命題であるのは、災害により日本プレートが日本海溝に沈む、ここが動機付けであって、主題は脱出する、しかし一億一千万の膨大な日本国民を受け入れられる地域が物理的にない、という部分に収斂しています。
世界へ脱出する日本国民ですが、当時中国は文化大革命からの経済後退から避難先とできず、先ず沿岸部に農民に限定して受け入れる希望、つまり中国政府としては日本からの難民により農業を高度化させたい、という要望を示す一方、当時日本では中国に文化大革命や第二次世界大戦から逃げ帰った記憶から、中国への脱出を希望しない、という流れも。
オーストラリアやカナダにヨーロッパ、アジア太平洋地域ではハワイやグアムとニューカレドニア、という、脱出希望先では観光で探訪したことのある地域が大半を占める、こうした描写もありまして、そして日本沈没執筆当時はまだ、フィリピンとの戦後講和条約が未締結、インドネシアとの戦後処理の問題も今とは比較にならない程で、ここも描かれる。
2020年代に日本沈没を描く難しさというのは、1960年代に、つまり我々が現在から2001年のアメリカ本土同時多発テロを思い返すくらいの、若しくは2003年イラク戦争開戦の頃の記憶と同じくらいに第二次世界大戦の記憶が鮮やかな1960年代に執筆した日本沈没の世界観と2020年代、戦後75年を経て日本の平和政策が理解されている時点との違いです。
日本沈没2020の作中には原作に登場する人物が全く出てこないとの側聞を、前回に非常に残念である旨を示しましたが、1960年代に日本から世界に脱出する、それも日本の対外拡張時代の記憶を残す時代に一億の人口が移動する難しさと、2020年代にこれを再現する意味とでは随分と違う印象があります、また受け入れる国の生産能力も随分と違うでしょう。
作品世界の比較は簡単ではありませんが、抜本的な再構築が必要となります。そして原作当時は東西冷戦の真っ只中でしたので、日本を救出するという事は西太平洋地域の戦略的プレゼンスが当然影響するのですね。アメリカがプレゼンスを失えばソ連太平洋艦隊は直接朝鮮半島を含め西太平洋沿岸地域を拠点と出来る、このパワーバランスの問題もあった。
朝鮮半島。戦後処理と言いますと韓国との問題ですが、韓国の場合は日本本土が消滅することで甚大な影響を被ります、日本沈没の原作発表は日韓国交正常化から五年後でした、朝鮮戦争休戦からがちょうど20年という時代です。つまり、朝鮮半島情勢はきわめて深刻な時代であり、実際に原作では韓国は日本政府の沈没発表と同時に戒厳令を出したのです。
韓国戒厳令、これは日本本土が消滅することは、韓国にとって重要な後方拠点、国連軍と在韓米軍の巨大な戦略兵站基地が消滅することを意味しますので、韓国軍の兵站線はグアム島などマリアナ諸島まで後退、九州とマリアナ諸島では韓国から根本的に距離が違います。実際、日本沈没第二部、谷甲州完結編では北朝鮮だけで韓国は国として出てきません。
日本沈没第二部では中国は経済発展に失敗したらしい。考えてみますと今でこそ中国は世界第二位の経済大国となっていますが、鄧小平時代荒の改革開放が、最も技術協力を行った日本とアメリカの関係が喪失するのです。原作では農民を中心に希望していた為、日本人技術者を招き入れて技術大国を目指すという選択肢が無かったのですね。この影響です。
在比米軍は残るが在日米軍の根拠地が喪失する、沖縄本土復帰が1972年ですので日本沈没の原作発表はその翌年ということですが、ただ、日本沈没の原作執筆にかんする知識の論拠が1960年代から1970年代にかけて、ということで、日本沈没の年度についてはX年、というような方式で当然ぼかされているのですが、まあ、そんな時代であったわけですね。
2020、日本沈没2020という視点でみますと、日本とフィリピンの問題やインドネシアの問題は根本から戦後問題は、なにしろ1940年代の命題を1960年代に回顧するのと2020年代に回顧するのは60年の開きがありますので、1960年代に欧州で独仏がモロッコ事件のことを回顧するくらい開きがある、といえるでしょう。文明論の根本が違う、ということ。
1960年代、日本沈没が執筆された時代は1960年、アフリカの年、百花繚乱の如くアフリカが独立国へと若返った瞬間から間もない、しかしローデシアの動乱や中東緊張の影響、米ソ対立に距離を置こうとする第三世界、こうしたものとの複雑な地政学の蠢動があったのですが、2020年代にはアフリカの開発がかなり進みまして60年で状況は一新している。
アフリカ問題は作中でモザンビーク、当時は南アと周辺国が互いに領土主張する係争地域でしたが、アフリカ諸国は当時の南アフリカがアパルトヘイトと拡張主義を示す中で、このモザンビークに日本難民を大量に入植させることで緩衝地帯を構築しようと、もちかける。日本代表に持ちかけるところで、作中では日本でまさに中央構造線地震が起きますが。
南米では日本軍が進駐してくると勘違いして、勝ち組、勝ち組というのは1940年代に日本の敗戦を受け入れられない日系移民一世が、実は日本は負けていないのだ勝ったのだ、と主張する動きですが、さすがにこうしたものはなく、そして1960年代には重要視されていたアマゾン開発がアマゾン保護、現政権では開発、と二転三転したのが現在であるのです。
植民地主義の残滓のこる1960年代は東西冷戦下であり世界が第三極をどのように構成するか、中立か離隔かをもさくしていた、そんな時代へ日本人が脱出することを真剣に描写したのが小松左京氏の努力というものでしたが、日本沈没2020は、ここを省きますと単なる災害パニック日本中大地震2020でたいへん!、という部分に留まるのが、難しいのです。
日本沈没が数多の災害小説の中にあって燦然と輝くのは、十全の災害パニックが、災害発生の直接的影響、地震ならば救助が来るまで、映画の地震列島やアメリカ映画の大地震などがそうだ、火山ならば火砕流や溶岩流から逃げるまで、ダンテスピークやボルケーノがこれにあたる、ここで逃げ切った助かったで終わっているのですが、日本沈没は違う。
しかし、1973年版の映画日本沈没は、ここまで踏み込めなかった、いや、続日本沈没、として東宝が続編を企画していまして、ここでもう少し踏み込んだ内容が盛り込まれたのかもしれませんが、1973年に東宝が制作を発表しての地実際の撮影には進まずたちきえとなっています。映像としてまとめるには、国際政治の朝夕効果予測は難しいのかもしれない。
日本沈没2020をこの視点から見ますと、まあ新型コロナウィルスCOVID-19は予測できなかったでしょうが、米中対立というものは日本沈没により失われる在日米軍施設によるアメリカポテンシャルの後退として描かなければ不自然でしょう。しかしなにより、日本沈没により生じる多大な津波被害と火山性降下物の被害は、中国本土を直撃するのですね。
勿論逃げ切ってセーフ、という単純な作品とするのでしたら、そこまで考える必要はありません、例えば日本沈没の大変動に外国人観光客が巻き込まれ、観光客の視点から描く日本沈没見聞録、というような構図ならば別なのですが、小松左京の世界観というのは此処まで単純ではありません、また上海や天津等沿岸都市が日本からの津波影響を確実に被る。
2020年の時点で日本沈没を描く難しさ、これは何しろ執筆時代が大きく違う為に背景が根本から異なっているという部分です。唯一の救いは日本の地形や標高はそれ程違っていないという部分ですが、国際政治の一例を見ても相当違うのですね。そして地学研究も相当進みました。反映する必要はあるのかと問われると、日本沈没、作品の特殊性から必要に。
地学の修士論文に匹敵すると称賛された日本沈没の科学検証、当時は日本が日本海溝に沈没するという作品に現実味を持たせるために小松左京氏はかなり広い分野から研究者や理論研究を独自に行い、実際に起こり得るという説得力を持たせています、それゆえに多くの作品同時並行で執筆した訳ではありますが膨大な執筆時間を要しているのですけれども。
SFは娯楽なのだから最新の研究を反映させる必要はないのでは、と反論されるならば、これを行わないのであれば日本沈没という作品に拘らずとも良いのではないか、となります。そして日本沈没の執筆時点では今ほど巨大火山噴火による地球への気候変動の影響というものが研究が進んでいませんでした。しかし今日ではこの部分を意識しなければ片手落ち。
カルデラ噴火と地球氷河期。火山噴火は日本沈没執筆当時には日本国内の火山規模が今ほど認識されていませんでしたが、今日ではこの部分を描かねばなりません、特に日本のカルデラ噴火は威力が大きい。日本に複数存在する巨大火山が噴火した場合は氷河期が到来する 世界を描いた“死都日本”“日本沈没第二部”という先行作があるのですから、ね。
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