北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】第10師団創設62周年記念行事(2)大久保第10混成団から守山第10師団へ(2024-10-13)

2025-01-23 20:23:27 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■第10師団祭
 年末年始の多忙から掲載が伸びてしまいましたが。

 第10師団長酒井秀典陸将の敬礼、酒井師団長は前の補職が中部方面隊幕僚長として上番されていまして、伊丹駐屯地司令を務められていました。ただ、師団長は2024年12月19日に退官され、今現在は垂水達雄陸将が第36代第10師団長として上番されています。

 金鯱師団、驚かれるかもしれませんが現在の師団人員規模は4500名規模と、5000名を切っています。それは方面隊に多数の部隊を移管し、即応部隊のみを手元に置き、重要であるのは司令部機能を維持し、有事の際に人員を戦闘加入させる方式への転換だ、と。

 しかし、自衛隊をそこそこの長い時間観てきましたみのうえからしますと、即応を考えるならば、即応機動連隊の様な、初動から戦闘加入できる戦闘団型の戦力パッケージ、自己完結型に転換しない以上、単に予算不足の方便にしか聞こえないように思うのだけれど。

 第10師団、しかしそのはじまりは、名古屋市の守山駐屯地ではなく、はじまりの地は京都となっていました。1958年、第10師団のもととなる第10混成団本部が大久保駐屯地において編成完結となりまして、それは管区隊と混成団という時代から始まっているのです。

 混成団、といいますと最近では聞きなれない方も多いようですが、陸上自衛隊は1万4000名規模のアメリカ歩兵師団型の管区隊を置き、この管区隊が防衛線に敵部隊を拘束している状況で投入する決戦兵力として、5900名規模の機械化混成団を置く方針を立てましたが。

 機械化混成団、60式装甲車などを潤沢に装備する部隊として構想したものの、それはニッポン、人命よりも平時の予算を絞って有事の事は有事に考える的な論理で機械化装備を揃えられず、結果、気合化旅団というべき軽装備の部隊だけが揃う残念な結果となりました。

 1959年6月3日、第10混成団が編成の地である京都の大久保駐屯地から名古屋の守山駐屯地に移駐しまして、同月21日には守山駐屯地開庁式が実現します。それは同時に第3管区隊から将来的に隊区を持つ師団編成を見越したものであったとも言われるのですけれど。

 伊勢湾台風、混成団は移駐後巨大災害に立ち向かう事となります、それは同年9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風で、伊勢湾台風災害派遣は1995年の阪神大震災が発災するまで、死者数5900名という戦後最大の巨大災害となり、部隊は手探りで災害派遣に臨んだ。

 方面管区制施行、混成団はしかし自衛隊の大きな改編と共に大きく育つ事となります、それはいまから65年前の1960年、防衛庁の方面管区制施行により中部方面隊が創隊されることとなりまして、第10混成団は管区隊の支援という位置から方面隊の隷下となります。

 1962年1月18日、そして自衛隊は混成団編成から全国へ基盤的防衛力として師団を置くこととなり、第10師団編成完結が実現しました。それは同時に全国に大型師団編成を採用していた管区隊が廃止される事を意味していましたが、独特の防衛力整備が完成している。

 戦略機動師団、この後の翁改編は2004年3月29日に行われた師団の戦略機動師団への改編となっていまして、師団定員は7000名から8700名に増強され、戦車や火砲とともに普通科連隊も即応予備自衛官基幹の編成ではあるのですが、4個連隊編成となりました。

 この時代の編成を見ますと、戦車大隊廃止や特科連隊の廃止改編により大幅に戦力が低下している第10師団というものは、もう少し考えて欲しいものだ、問うところなのですが、減ったものの司令部があるという事は将来の拡大改編もあり得るのか、こう思うのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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ウクライナ情勢-ロシア軍ウクライナ投射無人機の53%が撃墜,12月発射自爆用無人機は1700機

2025-01-23 07:01:41 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 無人機という新しい脅威と装備についての日本の対応が今一つ遅すぎるようで気になるのです。

 ロシア軍が2024年12月に発射した自爆用無人機は1700機で減少傾向にある、1月13日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告によれば、2024年12月の一ヶ月間にウクライナへ撃ちこんだ無人機の数は1700機、対して2024年11月にウクライナへ撃ちこんだ自爆用無人機の数は2300機となっていて、数の上では減少傾向となったことがわかります。

 自爆用無人機の運用が低調となった背景には、12月の悪天候が自爆用無人機の運用を阻んだとみられており、事実、悪天候により無人機を発信できなかったた場合、天候回復を待って100機単位の無人機攻撃が行われている事から、天候の影響を裏付けていると見る事が出来るでしょう。一方、自爆用無人機の能力が限界となっている事が指摘されている。

 53%、ウクライナ空軍の発表として、ロシア軍はウクライナへ投射した無人機の内、53%が撃墜されていて、また撃墜を免れた無人機も電子妨害などにより飛行経路を逸脱する事が多くなり、当初運用を開始した当時ほど、自爆用無人機は脅威にならないようになっているとしています。一方、ロシア軍は同時に巡航ミサイル等も発射していますが。

 無人機製造能力について。ロシア政府はイラン製シャヘド自爆用無人機のライセンス生産基盤を構築していて、ロシアはこれまでに少なくとも月産1500機の無人機を製造する能力を維持しているとの事。一方、自爆用無人機にも都市攻撃に用いられる比較的大型のものから、歩兵に対して直接攻撃を加える小型無人機まで多種多様とはなっているのですが。

 イギリス国防省はこうした事実のみを伝えていますが所感として、無人航空機は平時に備蓄したものでは対応できないという事です、それは電子妨害など対抗手段が開発されやすく、寧ろ平時には民生用を中心に無人機整備基盤を国内に整備し、有事の際に泥縄式でもいいから改良する、こうした備蓄よりも製造基盤の方が、重要なのかもしれません。

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