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【京都幕間旅情】西来院,経文と歴史は庭園美超える哲学との融合求められる寺院の庭園

2024-05-29 20:23:16 | 写真
■天井は近すぎた白龍
 物事には融合といいますかそれそのものとの調和こそが大事であり調和が無ければ均衡を欠いて物事は崩れてしまうのです。

 西来院には新しく白竜も描かれているのですが、天井が低すぎてちょっと見えない、押しかかってくるというよりも描く場所を間違えたという感じさえして、法堂で小泉画伯の双龍図を見上げた後だけに、拝観する順番を間違えたかなあ、と少し考えてみた。

 天井画については、ちょっと、考えているのかなあ、とも思いまして。いや考えた末ではあると思うのですが、絵画としては美しいといいますか素晴らしいものがあるのですけれども、ちょっと天井の高さを考えずに書いたのかなあ、という印象が否めない。

 龍の、雲龍でも蒼龍でも、今を生きる芸術家としてもっとも尊敬するとともに、京都の寺院にもたびたび壮大な龍の絵図を、多くは襖絵というかたちなのですけれども寄進してくれていますのは、元総理大臣で細川家当主の細川護熙氏、このひとにはかなわない。

 細川護熙さん、建仁寺にも襖絵を、こちらは龍ではないのですけれども本坊のほうに描かれていまして、ちょっと進歩的過ぎやしないか細川内閣のように、とおもえるのですがじっと腰を据えて新緑の季節に景色の一つとしてみていますと、不思議と調和していて。

 龍については龍安寺がもっとも印象深いところではあるのですが建仁寺も、新緑の季節はもちろんなのですが、紅葉の季節を超えて真冬の寒さの中に見ますと、同じ色彩だろうか季節により変えているのだろうかと思うほどに春夏秋冬、溶け込んでいます。

 小泉淳作画伯が法堂に描いた天井画などは息をのむような迫力とともに語り掛けるような、なにか人を超越したものを、こういうのを畏敬というのだろうなあ、知らせるような構図に感動しましたこともありまして、ゆえにわたしは新しいものがダメではない。

 小泉博氏の実兄というのも好感度を底上げしているのかもしれませんが、モスラとモスラ対ゴジラの印象が強いのですがサザエさんのマスオさんというイメージも何か懐かしく、日本のいちばん長い日では和田信賢アナウンサー役が印象深かったのですが。

 寺院の美術というのは難しいのですが、まず調和しているのか、ということが重要になるように思う。しかし、謂れと歴史と哲学に調和さえしているならば、意外と突飛なものであっても風景の一部に、つまりそれは歴史の一部なのだ、溶け込んでしまう。

 法堂に守るように描かれた双龍は、龍という存在が欧米でいうところのドラゴンではなく龍という人知の先にある畏敬の対象としての存在なのだ、という事を、信仰の守り手という印象で見せてくれるのですが西来院の白竜は何処まで行っても竜なのです。

 幡龍図、実はどの程度、迫真に行っているかよりも調和というものが重要だと学ばされたものがありまして、いっけん、こんなものかあ、と思いつつしかし華美を排して法堂の情感と寺院の立地に見事に調和している事例が、場所は妙興寺、名前で行った。

 妙興寺という、いきなり愛知県一宮市の話題なのですが、有名な画家の友人が天井に描画したという法堂の幡龍図があります、こちらは優美化といえば少し滑稽のような、しかし存在感のある天井画となっていて、調和とはこういう事なのだと前に感心して。

 みょうこう、という山号は妙高ではなく妙興寺なのですけれどもイージス艦のような名前だなあと遠く拝観に行きました際に、調和というものの大切さを学んだように思う。西来院の龍も、しかし時が場面と調和させてくれるのか、と願い拝観を了としました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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