■平和には広い視野と関心が必要
1941年12月8日、この日は日米開戦となった世界史の一つの転換点であり国民の記憶とされる大きな戦争の始った日でした。
本日は12月8日、真珠湾攻撃記念日です。1941年12月8日、日本海軍は空母6隻と戦艦2隻を主力とする機動部隊によりアメリカ海軍太平洋艦隊の拠点真珠湾軍港を攻撃、停泊中の戦艦部隊に大打撃を加え、第一戦艦戦隊の全滅など主力が不随、これにより第二次世界大戦が太平洋地域へ拡大、地球規模の未曾有という規模の世界大戦へと展開したわけです。
赤城を筆頭に航空母艦6隻による奇襲攻撃は、中国戦線の拡大を背景に既に激化していた欧州でのドイツなど当時日本にとり同盟国のイギリスフランスへの攻撃が欧州大戦の様相を呈しており、この中での中国への軍事侵略がイギリスやアメリカとオランダより対日強硬路線支持を生み、この経済制裁への反発が、結果的に真珠湾攻撃への導火線でした。
太平洋戦争。しかし歴史に学ぶには余りに私たちは当事者意識に視野狭窄となっているのではないか、という焦燥を感じないでもありません。歴史を学ぶ観点からは、太平洋戦争と第二次世界大戦を侵略への反省という機運が大きく、反省以上に開戦への支持基盤とその背景まで深層部分を認識し、次の戦争を避ける努力というものをしているでしょうか。
反戦、これは全否定こそしないものの、日本は周辺国に対し圧倒的な軍事優位を保持している状況を除けば、単に日本だけが反戦を国是として次の戦争を回避できるものではありません。反戦、言い換えれば1931年の満州事変の時点で、仮に中国が反戦を貫いたならば日本は大陸侵略を躊躇し断念したのでしょうか、1941年にアメリカがそうだったならば。
次の戦争を回避するには、結局は、反戦の価値観は多国間で共有されなければ、反戦の価値観を共有できない諸国に対し結果的な宥和の時間的余裕を与えてしまうものであり、もちろん、パクスブリタニカ時代のイギリスのような、仮に最大規模の軍事大国とでもならないかぎり、一国平和主義を国際公序まで昇華させることは現実的ではないのですね。
奇襲を受ける側の視点が必要ではないか、こうした危惧があるのです。故に反戦よりは危機管理、危機の克服と予防外交により次の戦争を危険を冒してでも分水嶺が開戦まで進まぬよう、時には防衛力を誇示する必要、時には交流を強化するため濁を呑み込む覚悟、均衡を以て戦争を防ぐ選択肢を、もう少し教養として共有すべきなのかもしれません。
経済制裁が日本にとり太平洋戦争を決断させる大きな背景となった、これは所謂"ABCD包囲網"などに代表される経済制裁から導き出すことはできるのですが、経済制裁は国際法上、"武力行使"に定義されているものであり、実のところ国際法上の武力行使は我が国も日常的に実施しているものです。勿論日本の外交政治に経済制裁をするなという意味では、ない。
しかし、太平洋戦争を決断した当事者の立場と、日本の周辺国が国際公序を大きく外れることにより経済制裁に見舞われる事例は、人道や侵略に核開発や人権を外れる事を無視するべきではありませんし、変革を強いる一つの選択肢でもあるのですが、日本が国際公序へ迎え入れるための変革の希望を示した結果、日本が軍事的に攻撃される懸念もあり得る。
防衛に関心を持つ必要はある、少なくとも日本の防衛力は日本一国が平和を望み反戦を貫くだけで周辺国がひれ伏すような卓越した戦力を有しているわけではありません。すると、防衛政策と外交政策の微妙な分水嶺を、少なくとも現在の防衛力整備の方向性を、憲法上国民主権の国であるために国民が浅くでも関心を持つ必要は、あるように思うのですよね。
軍事技術を俯瞰すれば、2010年代以降、世界各国の対艦ミサイルや地対地ロケットなどの打撃手段は年々長射程化を続けており、戦術兵器や戦域打撃力というものの長射程化が日本海や東シナ海を越えるものが多くなっています。またミサイル防衛技術が年々発達する反面、極超音速滑空兵器のような新しい装備体系が構築されているのも、また現実だ。
武力紛争の形態も年々変容しており、対外世論工作の方式はSNSを含む極めて多種多様なものとなり、また武力紛争の緒戦も私服の戦闘員集団によるグレーゾーン事態から小規模な特殊作戦の持続的な展開という手法も、従来の大規模な軍事攻撃と共に存在している一方、一方的な軍事行動正当化宣言に続く正規軍による大規模な奇襲攻撃という方式もある。
真珠湾攻撃と共に日本が繰り広げた戦争を当事者としての視点から知る事、関心を持つ事は勿論たいせつな歴史の継承です。しかし同じように、これを応用し、視点を多様化させることは、ある意味、“愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ”という格言、鉄血宰相ビスマルクの言葉ですが、歴史と誤解している国民の経験から歴史へ昇華させる方法論といえましょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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1941年12月8日、この日は日米開戦となった世界史の一つの転換点であり国民の記憶とされる大きな戦争の始った日でした。
本日は12月8日、真珠湾攻撃記念日です。1941年12月8日、日本海軍は空母6隻と戦艦2隻を主力とする機動部隊によりアメリカ海軍太平洋艦隊の拠点真珠湾軍港を攻撃、停泊中の戦艦部隊に大打撃を加え、第一戦艦戦隊の全滅など主力が不随、これにより第二次世界大戦が太平洋地域へ拡大、地球規模の未曾有という規模の世界大戦へと展開したわけです。
赤城を筆頭に航空母艦6隻による奇襲攻撃は、中国戦線の拡大を背景に既に激化していた欧州でのドイツなど当時日本にとり同盟国のイギリスフランスへの攻撃が欧州大戦の様相を呈しており、この中での中国への軍事侵略がイギリスやアメリカとオランダより対日強硬路線支持を生み、この経済制裁への反発が、結果的に真珠湾攻撃への導火線でした。
太平洋戦争。しかし歴史に学ぶには余りに私たちは当事者意識に視野狭窄となっているのではないか、という焦燥を感じないでもありません。歴史を学ぶ観点からは、太平洋戦争と第二次世界大戦を侵略への反省という機運が大きく、反省以上に開戦への支持基盤とその背景まで深層部分を認識し、次の戦争を避ける努力というものをしているでしょうか。
反戦、これは全否定こそしないものの、日本は周辺国に対し圧倒的な軍事優位を保持している状況を除けば、単に日本だけが反戦を国是として次の戦争を回避できるものではありません。反戦、言い換えれば1931年の満州事変の時点で、仮に中国が反戦を貫いたならば日本は大陸侵略を躊躇し断念したのでしょうか、1941年にアメリカがそうだったならば。
次の戦争を回避するには、結局は、反戦の価値観は多国間で共有されなければ、反戦の価値観を共有できない諸国に対し結果的な宥和の時間的余裕を与えてしまうものであり、もちろん、パクスブリタニカ時代のイギリスのような、仮に最大規模の軍事大国とでもならないかぎり、一国平和主義を国際公序まで昇華させることは現実的ではないのですね。
奇襲を受ける側の視点が必要ではないか、こうした危惧があるのです。故に反戦よりは危機管理、危機の克服と予防外交により次の戦争を危険を冒してでも分水嶺が開戦まで進まぬよう、時には防衛力を誇示する必要、時には交流を強化するため濁を呑み込む覚悟、均衡を以て戦争を防ぐ選択肢を、もう少し教養として共有すべきなのかもしれません。
経済制裁が日本にとり太平洋戦争を決断させる大きな背景となった、これは所謂"ABCD包囲網"などに代表される経済制裁から導き出すことはできるのですが、経済制裁は国際法上、"武力行使"に定義されているものであり、実のところ国際法上の武力行使は我が国も日常的に実施しているものです。勿論日本の外交政治に経済制裁をするなという意味では、ない。
しかし、太平洋戦争を決断した当事者の立場と、日本の周辺国が国際公序を大きく外れることにより経済制裁に見舞われる事例は、人道や侵略に核開発や人権を外れる事を無視するべきではありませんし、変革を強いる一つの選択肢でもあるのですが、日本が国際公序へ迎え入れるための変革の希望を示した結果、日本が軍事的に攻撃される懸念もあり得る。
防衛に関心を持つ必要はある、少なくとも日本の防衛力は日本一国が平和を望み反戦を貫くだけで周辺国がひれ伏すような卓越した戦力を有しているわけではありません。すると、防衛政策と外交政策の微妙な分水嶺を、少なくとも現在の防衛力整備の方向性を、憲法上国民主権の国であるために国民が浅くでも関心を持つ必要は、あるように思うのですよね。
軍事技術を俯瞰すれば、2010年代以降、世界各国の対艦ミサイルや地対地ロケットなどの打撃手段は年々長射程化を続けており、戦術兵器や戦域打撃力というものの長射程化が日本海や東シナ海を越えるものが多くなっています。またミサイル防衛技術が年々発達する反面、極超音速滑空兵器のような新しい装備体系が構築されているのも、また現実だ。
武力紛争の形態も年々変容しており、対外世論工作の方式はSNSを含む極めて多種多様なものとなり、また武力紛争の緒戦も私服の戦闘員集団によるグレーゾーン事態から小規模な特殊作戦の持続的な展開という手法も、従来の大規模な軍事攻撃と共に存在している一方、一方的な軍事行動正当化宣言に続く正規軍による大規模な奇襲攻撃という方式もある。
真珠湾攻撃と共に日本が繰り広げた戦争を当事者としての視点から知る事、関心を持つ事は勿論たいせつな歴史の継承です。しかし同じように、これを応用し、視点を多様化させることは、ある意味、“愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ”という格言、鉄血宰相ビスマルクの言葉ですが、歴史と誤解している国民の経験から歴史へ昇華させる方法論といえましょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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