■沖縄慰霊の日
わたしが生まれるずっとずっと前のはなしをしましょう。しかしそれは昔話ではなく今にも続くとても重要な歴史というものの忘れてはならないはなしを。
本日は沖縄慰霊の日、79年前の今日、沖縄本島南部に司令部を遷して徹底抗戦をつづけていた陸軍第32軍の軍司令官牛島大将と参謀長長中将が自決、第32軍による組織的戦闘は終結しました。ただ、残存部隊による戦闘はポツダム宣言受諾後まで継続され、この戦闘に巻き込まれ、沖縄では県民の四人に一人が死亡する恐るべき地上戦となっています。
沖縄戦が如何に激しい戦いであったかを示す単純な数字として米軍戦死者の多さが上げられ、米軍は54万8000名を沖縄戦に投入していますが、戦死者や戦病死者が2万0195名となっています。そしてこれは、連合軍が経験した戦いとしては沖縄戦の四か月前に始まったバルジの戦い、ドイツ軍のアルデンヌ冬季攻勢による戦死者が最大で19477名です。
バルジの戦いは米軍84万名に対してドイツ軍50万名が機甲師団を中心に大攻勢をかけ第二次世界大戦でも屈指の激戦となり、結果米軍など連合国軍に二万近い戦死者が出たものですが、沖縄戦は11万6000名の日本軍とアメリカ軍が戦い、装備面ではティーガー2戦車のような重装備こそ持たない日本軍との戦いでこれほどの戦死者が出ているという。
特攻作戦も沖縄戦の航空作戦を象徴する事と成り、日本軍は九州から特攻機はもちろん通常の航空優勢確保へ膨大な航空戦力を注ぎ込み、沖縄戦における日本軍航空機喪失数は3100機以上、連合国軍も航空機768機を喪失、あのバトルオブブリテンでも枢軸航空機喪失は最大1918機とイギリス空軍喪失は915機、これほどの航空戦はなかなか想像できない。
しかしなによりも、県民の四人に一人が死亡するという状況は、これほどの被害は東日本大震災の津波に襲われた市町村でさえ想像できないものでした。そして忘れてはならないのは、沖縄県以外の都道府県が地上戦の災禍を回避できたのは、この犠牲により本土決戦が遅れた事、台風シーズンまで連合国軍に本土進攻を着手させなかったことにもある、と。
決して主張しない事として、日本軍が強かったというような自画自賛ではなく、直視しなければならないのは沖縄県の犠牲の上にほかの都道府県に住む同胞が地上戦に巻き込まれず生き延びる事が出来たという一点から発した、決してこれを他人事としてはならない、という現実なのかもしれません。そしてこの歴史を過去の忘却に任せてはならないという。
歴史とともに忘れてはならないのは、今も沖縄は中国海洋進出の正面に曝され、懸念される台湾有事においては確実に影響を被る地政学上の要衝に今日も位置しているということです。それは同時に在日米軍基地負担ともなり、言い換えれば台湾有事を含めた周辺事態の沖縄への影響を日本独自で抑止する枠組み構築を放棄してきた結果を被っているとも。
沖縄戦を繰り返してはならない、けれども現実には、日本国憲法の本土決戦主義ともとれる、国土が戦場となるまでは具体的な抑止手段を限定するという現状をそのまま、その懸念要素を検証する事無く堅持し続けている政治の怠慢が続いています。そしてその政治家を選んでいるのも、民主主義国家では国民です。平和とは、今一度考える機会としたい。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
わたしが生まれるずっとずっと前のはなしをしましょう。しかしそれは昔話ではなく今にも続くとても重要な歴史というものの忘れてはならないはなしを。
本日は沖縄慰霊の日、79年前の今日、沖縄本島南部に司令部を遷して徹底抗戦をつづけていた陸軍第32軍の軍司令官牛島大将と参謀長長中将が自決、第32軍による組織的戦闘は終結しました。ただ、残存部隊による戦闘はポツダム宣言受諾後まで継続され、この戦闘に巻き込まれ、沖縄では県民の四人に一人が死亡する恐るべき地上戦となっています。
沖縄戦が如何に激しい戦いであったかを示す単純な数字として米軍戦死者の多さが上げられ、米軍は54万8000名を沖縄戦に投入していますが、戦死者や戦病死者が2万0195名となっています。そしてこれは、連合軍が経験した戦いとしては沖縄戦の四か月前に始まったバルジの戦い、ドイツ軍のアルデンヌ冬季攻勢による戦死者が最大で19477名です。
バルジの戦いは米軍84万名に対してドイツ軍50万名が機甲師団を中心に大攻勢をかけ第二次世界大戦でも屈指の激戦となり、結果米軍など連合国軍に二万近い戦死者が出たものですが、沖縄戦は11万6000名の日本軍とアメリカ軍が戦い、装備面ではティーガー2戦車のような重装備こそ持たない日本軍との戦いでこれほどの戦死者が出ているという。
特攻作戦も沖縄戦の航空作戦を象徴する事と成り、日本軍は九州から特攻機はもちろん通常の航空優勢確保へ膨大な航空戦力を注ぎ込み、沖縄戦における日本軍航空機喪失数は3100機以上、連合国軍も航空機768機を喪失、あのバトルオブブリテンでも枢軸航空機喪失は最大1918機とイギリス空軍喪失は915機、これほどの航空戦はなかなか想像できない。
しかしなによりも、県民の四人に一人が死亡するという状況は、これほどの被害は東日本大震災の津波に襲われた市町村でさえ想像できないものでした。そして忘れてはならないのは、沖縄県以外の都道府県が地上戦の災禍を回避できたのは、この犠牲により本土決戦が遅れた事、台風シーズンまで連合国軍に本土進攻を着手させなかったことにもある、と。
決して主張しない事として、日本軍が強かったというような自画自賛ではなく、直視しなければならないのは沖縄県の犠牲の上にほかの都道府県に住む同胞が地上戦に巻き込まれず生き延びる事が出来たという一点から発した、決してこれを他人事としてはならない、という現実なのかもしれません。そしてこの歴史を過去の忘却に任せてはならないという。
歴史とともに忘れてはならないのは、今も沖縄は中国海洋進出の正面に曝され、懸念される台湾有事においては確実に影響を被る地政学上の要衝に今日も位置しているということです。それは同時に在日米軍基地負担ともなり、言い換えれば台湾有事を含めた周辺事態の沖縄への影響を日本独自で抑止する枠組み構築を放棄してきた結果を被っているとも。
沖縄戦を繰り返してはならない、けれども現実には、日本国憲法の本土決戦主義ともとれる、国土が戦場となるまでは具体的な抑止手段を限定するという現状をそのまま、その懸念要素を検証する事無く堅持し続けている政治の怠慢が続いています。そしてその政治家を選んでいるのも、民主主義国家では国民です。平和とは、今一度考える機会としたい。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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