■大津駐屯地の観閲行進
大津駐屯地祭は天候が何とか雨天とならずすすんでいるところ。
第109教育大隊の本田大隊長、戦車乗りの方だったりするのですが。高校時代の友人が大卒で陸上自衛隊に志願入隊しました際、不思議なことがあったもので伊丹駐屯地祭での式典案内をしていてくれた方が教育大隊長だった、ということがありまして。
自衛隊というのは狭い世界なので一つの縁が二つ三つと重なってゆきますと絹織物のように広がってゆくという、そういえばあの時の、という事柄が多いようです。わたしの仕事の世界はもっと狭いのですが、業界が狭いところなのである意味納得しつつ。
しかし自衛隊といいますと陸海空自衛隊でかなりの人員規模がある、つまりひろい世界なものですから、しかし不思議なものだよねえ、と語り合ったことがありまして。ただ、これはいろいろなところでこういう事は多いようで、それは例えば路線バスにて。
大きな駐屯地に向かう路線バスを利用していますと、わたしに声をかけられることは稀有、だけどない訳では無いのが凄い、私服ではあるのですが、おお俺だよ俺、と電話ならば即切るような会話の入り口で、教育隊で一緒だった、とか前の中隊で、とか。
今しごと何やってるの、と聞かれて、狙撃手、と返るあたりシャバの会話じゃないよなあ、と傍耳に、別に聞き耳建てていた訳じゃない、そう思いつつ、前に遭った駐屯地が100㎞程先の地名が聞こえてきたので、ふうんそういうこともあるのかあ、と。
観閲行進準備の号令とともに第3音楽隊の入場です。指揮官訓示と来賓あいさつに祝電疲労と感謝状贈呈、この行事が五月中旬に行われていた頃には熱中症で昏倒する方が少なからず出ていまして、しかし四月下旬だと大津の暑さはまだ暖かさの延長で。
大津駐屯地観閲行進、中部方面混成団の観閲行進の始まりだ。撮影位置はこの、やや正面という。この角度から撮影できる場所は、大久保や伊丹と千僧や守山、あとは真駒内もこの角度から撮影が可能、富士と豊川にあとは大津、いや大津はここだ。
中部方面隊がMIDDL EARMYという単語で紹介されるのが実のところ不満で、公式な訳語だ。これでは中規模な方面軍という意味になってしまわないか、ということ。CENTRAL ARMY、と英訳を改めてはどうなのかなあ、とおもうのですね。
MIDDLE ARMYをCENTRAL ARMYに!、という市民運動でも初めて視ようか、と思うのは中部方面隊管区にくらす当方としての思い出もある、米軍だって中央軍はCentralCommand,そして例え小規模編成でも2個師団と2個旅団があるのだ。
CENTRAL ARMY、陸上総隊創設で方面隊を整理するという話があるようですが、いっそのこと第1師団を中部方面隊に移管して伊丹駐屯地にCENTRAL ARMYを置き、第12旅団を東北方面隊に移管して仙台の総監部を東部方面隊に改めては、とも。
教育大隊の観閲行進、今年は、父母の参加が若干少ない、のか、父母参加数が少なかったからなのか、スタンド席が設置されていなくて、これではわが子の晴れ姿を見るのに最前列以外は苦しいのではないかなあ、と危惧してしまうものなのですが。
スタンド席の設置は大変だとは聞きます、なにしろ輸送から設置まで全部行ったうえで次の使用する部隊まで輸送しなければならない、けれどもスタンド席があると驚くほどに大勢の人が行事をしっかり見られるのですよね、父母席は重要だとおもう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
大津駐屯地祭は天候が何とか雨天とならずすすんでいるところ。
第109教育大隊の本田大隊長、戦車乗りの方だったりするのですが。高校時代の友人が大卒で陸上自衛隊に志願入隊しました際、不思議なことがあったもので伊丹駐屯地祭での式典案内をしていてくれた方が教育大隊長だった、ということがありまして。
自衛隊というのは狭い世界なので一つの縁が二つ三つと重なってゆきますと絹織物のように広がってゆくという、そういえばあの時の、という事柄が多いようです。わたしの仕事の世界はもっと狭いのですが、業界が狭いところなのである意味納得しつつ。
しかし自衛隊といいますと陸海空自衛隊でかなりの人員規模がある、つまりひろい世界なものですから、しかし不思議なものだよねえ、と語り合ったことがありまして。ただ、これはいろいろなところでこういう事は多いようで、それは例えば路線バスにて。
大きな駐屯地に向かう路線バスを利用していますと、わたしに声をかけられることは稀有、だけどない訳では無いのが凄い、私服ではあるのですが、おお俺だよ俺、と電話ならば即切るような会話の入り口で、教育隊で一緒だった、とか前の中隊で、とか。
今しごと何やってるの、と聞かれて、狙撃手、と返るあたりシャバの会話じゃないよなあ、と傍耳に、別に聞き耳建てていた訳じゃない、そう思いつつ、前に遭った駐屯地が100㎞程先の地名が聞こえてきたので、ふうんそういうこともあるのかあ、と。
観閲行進準備の号令とともに第3音楽隊の入場です。指揮官訓示と来賓あいさつに祝電疲労と感謝状贈呈、この行事が五月中旬に行われていた頃には熱中症で昏倒する方が少なからず出ていまして、しかし四月下旬だと大津の暑さはまだ暖かさの延長で。
大津駐屯地観閲行進、中部方面混成団の観閲行進の始まりだ。撮影位置はこの、やや正面という。この角度から撮影できる場所は、大久保や伊丹と千僧や守山、あとは真駒内もこの角度から撮影が可能、富士と豊川にあとは大津、いや大津はここだ。
中部方面隊がMIDDL EARMYという単語で紹介されるのが実のところ不満で、公式な訳語だ。これでは中規模な方面軍という意味になってしまわないか、ということ。CENTRAL ARMY、と英訳を改めてはどうなのかなあ、とおもうのですね。
MIDDLE ARMYをCENTRAL ARMYに!、という市民運動でも初めて視ようか、と思うのは中部方面隊管区にくらす当方としての思い出もある、米軍だって中央軍はCentralCommand,そして例え小規模編成でも2個師団と2個旅団があるのだ。
CENTRAL ARMY、陸上総隊創設で方面隊を整理するという話があるようですが、いっそのこと第1師団を中部方面隊に移管して伊丹駐屯地にCENTRAL ARMYを置き、第12旅団を東北方面隊に移管して仙台の総監部を東部方面隊に改めては、とも。
教育大隊の観閲行進、今年は、父母の参加が若干少ない、のか、父母参加数が少なかったからなのか、スタンド席が設置されていなくて、これではわが子の晴れ姿を見るのに最前列以外は苦しいのではないかなあ、と危惧してしまうものなのですが。
スタンド席の設置は大変だとは聞きます、なにしろ輸送から設置まで全部行ったうえで次の使用する部隊まで輸送しなければならない、けれどもスタンド席があると驚くほどに大勢の人が行事をしっかり見られるのですよね、父母席は重要だとおもう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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