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【京都幕間旅情】京福電鉄モボ101形,藤永田造船で製造されたこの電車は隣に駆逐艦曙建造中に製造されていた

2024-11-16 07:00:33 | コラム
■曙と同じ藤永田生まれ
 京都というのは不思議な縁が頻繁に佇んでいる街なのですがまさか駆逐艦が来るとはなあ。

 京福電鉄モボ101形、そろそろ新型車両に置き換わる為に撮影しておかなければ、と思うものの、旧塗装の内にもう少し撮影しておくべきだったかもしれないものですが、この丸っこい電車がそろそろ嵐電から新型車両に切り替わってしまうというのは、やはり。

 モボ101形は古い、と表現するのは簡単ですが古さは半端ではなく、なんと戦前、1929年から運用されつづけている、車体を更新して運用が継続されています。そして製造したのが、そんな事もやっていたのか、というメーカーによって製造されているのですね。

 藤永田造船所、陽炎型駆逐艦の黒潮や浦風や谷風とか、白露型駆逐艦の村雨とか江風とか、朝潮型駆逐艦の満潮とか山雲とか峯雲とか、吹雪型駆逐艦の曙とか電とか。101系電車の製造開始された1929年というのは、駆逐艦曙が起工式を行った1929年とおなじ。

 曙と同じ藤永田造船所、というのも藤永田造船所が海軍艦艇の建造を開始したのは1919年からなのですが、海軍指定工場に列記されるとともに経営多角化を進めるべく1921年に鉄道車両の製造を開始、鋼管や工業製造機器まで製造する様になっているのですね。

 昭和初期の鉄道車両、外見も古都にふさわしいといいますか、いつから走っているのだろう、というくらいに最早京都の風景に一体化しているところなのですが、工業製品としては、確かに昭和初期の車両というものは寿命を迎えているといえるのかもしれない。

 北野白梅町駅とかに休憩所としてモボ101形をホームの片隅に維持する事は出来ないものかなあ、と想ったり、鞍馬駅のデナ21のような中途半端な保存はしてくれないようにおもったりするのですが、一番あり得るのはそのまま解体なのだろうなあ、と思うのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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