■一眼レフを片手に巡る
CANONとは観音カメラが由来というのでCANONのカメラは寺社仏閣と相性がいいのだ、という訳でも無うのですけれども。
宝塔寺の拝観へ歩み進めつつ、先日久々にEF300mmF2.8ISレンズという重いレンズにEF100-400mmISⅡとかEF28-300mmISレンズとか予備のカメラに一眼レフに一脚、という重装備で右往左往する撮影環境に身を挺し、やっぱり体力を使うなあと実感しました。
京都散歩、寺社仏閣の拝観と参拝は歴史との出会いではあるのですが、例えば醍醐寺、例えば平野神社、例えば災害などに見舞われる実情とその被災前後の写真を見比べますと、いま採っているものも歴史なのだと実感するところで、カメラと共に巡る意義を感じる。
平成の大修理や令和の大修理、その前後の様子を記録しておきますのも備忘録的な意味がありますし、例えばここ宝塔寺から南へ下りました宇治の平等院なんかも平成の大修理で一新した、されてしまったために、写真に残す事には意義と心入れを強く思うのですよね。
EOS-7Dシリーズは遂にmarkⅡの生産が終了し、北大路機関では予備機こそ確保しているのですが将来的に一眼レフはミラーレス機にとってかわられるのだろう、という寂寥感を感じつつ、たいせつに使っているというところです。ミラーレス機種はバッテリーが。
寺院拝観ではEF300mmF2.8ISレンズなんていう巨大なレンズは使わないのですが、兎に角お散歩の際に至った美しい寺院を巡るという視座で撮影しますと、歩く距離は凄い事になります。するとバッテリーさえ続くならば、機材は軽くなるといいのかもしれません。
EOS-R7,ミラーレス機種なのですがなかなか良いらしい、一番の弱点でした撮影枚数、つまりミラーレス機種全般に当てはまった燃費の悪さが解消されているといい、実質1500枚ほどは、もちろん使う環境やレンズの大きさにもよるが、連続して撮影できるという。
お散歩機種として有る程度使えるのか、それとも観艦式や総火演のような厳しい第一線へ投入できるのか、このあたりは発売されて、として運用実績が積まれて行かなければ何ともいえません。ただ、各社の初期のミラーレスの悪評は改良によりほぼ払拭されつつある。
京都でお散歩カメラとして。二線級のカメラですとこういう扱いになりますが、変な話使用性能に満たずと、総火演で烙印となりましたEOS-M3はお散歩カメラとして本領を発揮しています。ただ、EOS-Rはレンズ規格別なので、お散歩に一揃いレンズを買うのもなあ。
北大路機関のカメラへの要求は過酷です、なにしろカメラバック一つで何日も被写体と向き合うこともある、充電する余裕は少ないしカメラバックには着替えに資料にPOMERA電子端末なども、そして複数のカメラ、主力機に予備と支援機種、レンズも数多い。
撮影は被写体を待って半日ということも多いし、丸一日本命の被写体を待つこともある、それだけにカメラは望遠鏡の代わりに被写体を探し、撮影しないまでも使う時間は十数時間なんてことも多い。もちろん異常に暑い日もあれば寒過ぎる日も、雨天も雪もあります。
EOS-7D,PowerShotG7X,KissX7,少しだけ期待するのは7を冠したCANONの製品ははずれが今のところ有りませんので、使える性能に達しているのではないかと。期待しつつ、しかし一眼レフのEOS-90Dについて、やはりまだまだ気になる今日この頃だったりします。
宝塔寺の拝観、その手にはカメラが常にあります。考えてみれば使っているカメラも十年前とはかなり変わりました、十年後は何となく想像はつくのですけれども、二十年後となると、どんな器材で撮影しているのか、ちょっと想像がつかず、楽しみではあるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
CANONとは観音カメラが由来というのでCANONのカメラは寺社仏閣と相性がいいのだ、という訳でも無うのですけれども。
宝塔寺の拝観へ歩み進めつつ、先日久々にEF300mmF2.8ISレンズという重いレンズにEF100-400mmISⅡとかEF28-300mmISレンズとか予備のカメラに一眼レフに一脚、という重装備で右往左往する撮影環境に身を挺し、やっぱり体力を使うなあと実感しました。
京都散歩、寺社仏閣の拝観と参拝は歴史との出会いではあるのですが、例えば醍醐寺、例えば平野神社、例えば災害などに見舞われる実情とその被災前後の写真を見比べますと、いま採っているものも歴史なのだと実感するところで、カメラと共に巡る意義を感じる。
平成の大修理や令和の大修理、その前後の様子を記録しておきますのも備忘録的な意味がありますし、例えばここ宝塔寺から南へ下りました宇治の平等院なんかも平成の大修理で一新した、されてしまったために、写真に残す事には意義と心入れを強く思うのですよね。
EOS-7Dシリーズは遂にmarkⅡの生産が終了し、北大路機関では予備機こそ確保しているのですが将来的に一眼レフはミラーレス機にとってかわられるのだろう、という寂寥感を感じつつ、たいせつに使っているというところです。ミラーレス機種はバッテリーが。
寺院拝観ではEF300mmF2.8ISレンズなんていう巨大なレンズは使わないのですが、兎に角お散歩の際に至った美しい寺院を巡るという視座で撮影しますと、歩く距離は凄い事になります。するとバッテリーさえ続くならば、機材は軽くなるといいのかもしれません。
EOS-R7,ミラーレス機種なのですがなかなか良いらしい、一番の弱点でした撮影枚数、つまりミラーレス機種全般に当てはまった燃費の悪さが解消されているといい、実質1500枚ほどは、もちろん使う環境やレンズの大きさにもよるが、連続して撮影できるという。
お散歩機種として有る程度使えるのか、それとも観艦式や総火演のような厳しい第一線へ投入できるのか、このあたりは発売されて、として運用実績が積まれて行かなければ何ともいえません。ただ、各社の初期のミラーレスの悪評は改良によりほぼ払拭されつつある。
京都でお散歩カメラとして。二線級のカメラですとこういう扱いになりますが、変な話使用性能に満たずと、総火演で烙印となりましたEOS-M3はお散歩カメラとして本領を発揮しています。ただ、EOS-Rはレンズ規格別なので、お散歩に一揃いレンズを買うのもなあ。
北大路機関のカメラへの要求は過酷です、なにしろカメラバック一つで何日も被写体と向き合うこともある、充電する余裕は少ないしカメラバックには着替えに資料にPOMERA電子端末なども、そして複数のカメラ、主力機に予備と支援機種、レンズも数多い。
撮影は被写体を待って半日ということも多いし、丸一日本命の被写体を待つこともある、それだけにカメラは望遠鏡の代わりに被写体を探し、撮影しないまでも使う時間は十数時間なんてことも多い。もちろん異常に暑い日もあれば寒過ぎる日も、雨天も雪もあります。
EOS-7D,PowerShotG7X,KissX7,少しだけ期待するのは7を冠したCANONの製品ははずれが今のところ有りませんので、使える性能に達しているのではないかと。期待しつつ、しかし一眼レフのEOS-90Dについて、やはりまだまだ気になる今日この頃だったりします。
宝塔寺の拝観、その手にはカメラが常にあります。考えてみれば使っているカメラも十年前とはかなり変わりました、十年後は何となく想像はつくのですけれども、二十年後となると、どんな器材で撮影しているのか、ちょっと想像がつかず、楽しみではあるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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