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【京都幕間旅情】廬山寺,慈恵大師良源の寺院は源氏物語著者紫式部邸宅跡地に天台宗の教えを紡ぐ

2024-11-13 20:00:11 | 写真
■源氏物語
 文学の時間だ。

 源氏物語、今回拝観しました廬山寺は源氏物語のゆかりある寺院として知られます。先日、寂光院と平家物語の話題とともに歴史を回想した際、平家物語と来たからには次は源氏物語だろう、と考えたわけではないのですが、大原の寂光院と違い、ここは街なか。

 廬山寺、慈恵大師良源により天慶元年こと西暦938年に開かれた天台宗の寺院です。その歴史は千年以上に上り幾つかの歴史を経て天台圓淨宗天台宗系単立寺院となっていまして、現在は御所東の一角、寺町通の涼やかな風吹く一画に鎮座しています。

 阿弥陀三尊をご本尊として奉じる寺院、このご本尊は重要文化財に列せられていまして、左脇侍観音菩薩、右脇侍勢至菩薩、ともども拝観者を温かく迎えてくれます。そしてご本尊の前には源氏庭、かの源氏物語の世界を印象付ける趣向となっている。

 紫式部邸宅跡、当地は慈恵大師良源が開山となりました寺院ですが、同時にこの一帯は世界最古の恋愛小説と言われる源氏物語、これを著した紫式部邸宅跡であることが、昭和に入り分かっています。当時の遺構はありませんが、場所がここなのは確か、と。

 京都散歩、と言えば有名な定番は名所旧跡が数多並ぶ東山や北山に嵐山とやまやまやま、という風光明媚な一角があり、これ、考えれば洛中はどうしても再開発、秀吉の京都大改造もそうだし、数多あった大火により再開発を強いられた一画が多いのも確か。

 上京区寺町通広小路上ル北之辺町、今回拝観しました寺院は廬山寺といい、いや昨今は誰でも知るような有名どころになり、此処にも観光客の波、という時代を迎え、これもオーバーツーリズムではないのだけれども時代の変化を迎えている一画という。

 寺町通、そうこの寺院の前の通りは寺町通という、秀吉の京都大改造により造営された寺社仏閣が集中している、本来の京都中心部を目指した通りであるとともに、しかし大寺は当地に遷座するには手狭過ぎ、難しい寺院の集中を生んでいる不思議な一角だ。

 船岡山の南麓にありました廬山寺、天台宗寺院であった寺院なのですが、京都大改造の際に区画整備の対象となり、秀吉が寄進という名の準備した一画に遷ったのが現在の廬山寺の位置でして、そして中心部を目指すも、どうしても御所周辺は手狭過ぎた。

 オーバーツーリズムの先例からこの廬山寺は長く遠い場所に在りまして、その背景には、秀吉により遷座した先は御所の隣、いやもともと寺町通は寺社仏閣を御所防衛の緩衝地帯とするために造営した一画であるためなのですが、それだけに土地が制限されて。

 伽藍の大きさこそが寺の風格、これも寄進や信徒の規模を示すのであながち間違ってはいないのですが、観光地となるのはこういう大伽藍と歴史を誇る寺院であり、どうしても寺町通、となりますと、南のアーケード街のほうが有名になっているのもたしか。

 新京極通とともにアーケード街の寺町は、そう、修学旅行の定番ともなっている場所、アーケードで区切られているために迷子の心配もなく、町衆、というかやくざな人たちも含めて、修学旅行生をまもってゆこうという不思議な風情を醸している。

 修学旅行の定番も御池通が北限という感じで、廬山寺はそこから遥か来た、御所東にあります。歴史は京都大改造とともに始まるこの寺町通ですが、一方で新しい歴史かといわれれば安土桃山時代、京都に在っては新興でも日本にとっては古い歴史なのです。

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