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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【17】艦隊は東京湾へ向う(2009.10.23)

2020-08-23 20:12:57 | 海上自衛隊 催事
■ちはや艦内旅行と艦隊
 全ての展示を完了した観艦式参加部隊は一路帰港へ東京湾へと向かいます。

 あぶくま、まきなみ、ぶんご、続航し上空を2機のSHー60哨戒ヘリコプターが飛行して行きます。こうした変化ある構図は、毛布に寝転がる、退屈な、周りの情景は凄いのだが、時間を過ごす方々にはおもしろい出来事のようで艦尾周辺にもわずかに混雑が戻ってきた。

 あぶくま、まきなみ、ぶんご、上空を接近するSH-60K。SH-60K哨戒ヘリコプターはSH-60J哨戒ヘリコプターの改良型なのですが胴体が大型に再設計され、ヘルファイア空対艦ミサイルの運用能力が付与、かなりの能力向上となりました、機内の天井も高く立って歩ける。

 SH-60K哨戒ヘリコプター、2機編隊で。そういえばアメリカ製P-2Vネプチューン対潜哨戒機を川崎重工が改良型のP-2J対潜哨戒機として再設計した際にも天井を高くしていました、小柄という我が国民身体ですが、やっぱり窮屈姿勢連続はいやなのかもしれませんね。

 SH-60Kは32号機。SH-60Kといえば2002年度予算から調達が開始された新しい航空機、という印象なのですが機体にかかれた32号機という番号をみますと、もうここまで量産が進んだのか、と驚かされました。もしかして飛ばし番号なのでは、とか訝ってみたくなる。

 SH-60Kの31号機が続く。いや32号機は飛ばし機番ではないです、はい。前型のSH-60J哨戒ヘリコプターは92機が量産されています。ただ2020年代今日はSH-60Kの改良型も開発が進められているとともにMQ-8無人ヘリコプター配備計画が進められているところ。

 ちはや後部甲板に広がる風景と右舷てんりゅう左舷こんごう。後部甲板は飛行甲板となっていますが、広がるのは太平洋ではなく毛布の海、観艦式は八時間から九時間を洋上にいまして、こうして毛布の上で寝ころび過ごすというのも一つの時間の過ごしかたなのかも。

 くらま、水平線上に浮かびその奥に試験艦くりはま。時間は有効に活用したいといいますか、次の観艦式は三年後ですので、撮影できるモノは全て撮影しておこう、というのが当方の流儀でもあります。270度全部、周辺の艦艇を撮れるものは撮れるだけ撮影して行こう。

 水平線上に広がる艦隊と大空。自衛隊観艦式らしい情景、といえるのでしょうか。しかし周りの方々はなぜにこの凄い情景を撮影しないのか、と思っていますと電池切れが多い。いや、人間の電池が切れたのではなく、デジカメの電池やCFカードがいっぱい、だとか。

 水平線上に広がる艦隊と大空。2006年観艦式の頃はフィルムの銀塩カメラが多数現役でしたが2009年となるとデジカメが優勢、2012年は銀塩カメラをほとんど見かけず、2015年観艦式、くらま艦上では全てデジタルカメラで、2019年観艦式は、台風で中止でした、ね。

 あぶくま、ぶんご、そして浦賀水道に入り奥に、おおすみ、まきなみ。こうして艦隊を撮影していて気づいたのですが、この乗っている潜水艦救難艦ちはや、艦内旅行をまだすませていないのですね。艦内旅行、海軍用語です。せっかくですから旅行をしなければ、ね。

 DSRV深海救難艇,艦内旅行を進める。昔はレスキューチェンバーという釣鐘状の救難装置を母艦からかく座潜水艦の救助に充てていたのですが、ハッチが水平でなければ接続できず、障害物が乗っていた場合も救助できない、しかしDSRVならば1000m以上まで可能だ。

 ちはや艦内の食堂、薬物乱用防止のポスターがなぜか目立つ。食堂は休憩室として提供されていました、アイスクリームなどのほか艦内ではマグカップやタオルにTシャツといった自衛隊グッズや識別帽なども、なども、なども。売られていたはずですが売り切れだ。

 ちはや艦内の通路、軍艦らしい情景を探して。先行して建造された潜水艦救難母艦ちよだ、は自衛隊潜水艦の外洋作戦能力が太平洋の隅々まで達しておらず、魚雷補給能力や乗員80名宿泊など母艦能力が付与されていましたがいまや潜水艦は大きく、母艦能力は省かれた。

 ちはや艦内の減圧室。多数の水中処分員やスタンキーフードのような簡易脱出器具を用いてかく座潜水艦から乗員が脱出した場合は強烈な水圧が急激変化することで血液酸素濃度など致命的な潜水病に陥る危険があり、艦では充分な減圧室を準備して危険に備えている。

 水平線上に、ぶんご、あぶくま、あしがら、おおすみ、はたかぜ、遠く。水平線に艦隊が広がる様子は勇壮ですが、ここで艦内旅行が終了した、のではなくこれから艦橋構造物へと上る最中のスナップです。艦のもっとも高い場所、観艦式を艦橋から撮影する方も多い。

 ちはや舷側通路を行く、高い上部構造物と白波を眼下に。印象的な一枚でして、後日もう少しこの風景を撮影しておけば良かったという、この瞬間は日常で今は非日常、太平洋を航行している艦隊の一員という風景。実際にはもう浦賀水道に入っているのですけれども。

 ちはや艦橋、操艦している情景と手前の見学者の列。観艦式は自衛隊の能力の一端を主権者樽国民に広く公開するという目的があるのですが、この過密海域を事故無く航行するというだけでもすごい技量です。横須賀鎮守府開府の頃、即ち明治時代はもっと静かでした。

 こんごう、いよいよ横須賀へ、奥に補給艦ましゅう、タンカーと貨物船が続く。東京湾は人口密集地であり工業集積地であり軍港もあり造船もあるとともに漁業も盛ん、ヨットから遊覧船まで運行していまして困ったことに航行や操舵の特性が違い、動きが読みにくい。

 艦橋からタンカーそして浦賀水道を窓越しに眺める。星条旗、アメリカ軍機関紙には、横須賀は世界一の船舶が密集する東京湾に位置し、世界一入港が難しい、とも。アメリカならば鹿島灘沿岸に軍港を造ると表現されています。ただ、津波の危険を無視している。

 いかづち先頭に、あすか、てんりゅう、こんごう、後ろから眺める。そろそろ横須賀も近づいてきました頃合いです。2009年といえば原油高がものすごい時代であり、これだけの艦艇を集めることもそれだけ多くの燃料を要しますので難しい、広報重視の姿勢の現れ。

 ちはやマストを見上げる。艦橋のトップに到達。登頂成功を記念して日の丸でも上げたいところですが、既に自衛艦旗があがっている。さてこの折りに前の方から識別帽が飛んでくる椿事がありました、みてみれば第12旅団、と。落とし物を管理する隊員さん首傾げた。

 くらま、ぶんご、まきなみ、はたかぜ、おおすみ、浦賀水道の単縦陣とともに、隊員さんがこの12旅団って何処の部隊でしょう、と聞かれましたので、司令部は榛名山の麓は群馬県榛東村で北関東信越地方の部隊です、と。するとまさか群馬から飛んできたのか、と。

 くらま以下5隻の単縦陣から少し後方に、あしがら、さざなみ、ゆうべつ。艦隊の雄大な景色とともに、しかし識別帽が群馬から飛んできたりはしないでしょう、周りとともに爆笑、しかしそれならば先行する艦上から飛来したのか、観艦式に一つ不思議が生まれた。

 くらま以下8隻が浦賀水道に長く単縦陣を構成している。さてさて、この第12旅団識別帽、その後の顛末はさすがに伝え聞きません。もし観艦式2009にて潜水艦救難艦ちはや艦上で第12旅団識別帽の行方をご存じの方いましたらばコメント欄までご一報いただければ幸い。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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