■湾岸戦争の悪夢は再び
T-72戦車といえば自衛隊の74式戦車が量産されていた時代のソ連戦車であり好敵手やT-62戦車を超える戦車と目されていましたが今や昔の話なのでしょうか。74式戦車の写真と共に語りたい。
T-72戦車はまたしてもヤラレメカ、という話題を尊敬する軍事評論家の方がWeb記事として配信したところ、インターネット掲示板では"そんな印象はない"という反論が少なくない数に及びまして、ううむこれが世代差というものか、という印象を受けてしまいました。最近の若い方はシリア内戦のT-72B3の踏ん張りが印象強いのでしょう、一時期そう思った。
九五式軽戦車が第二次世界大戦中にアメリカのM-4シャーマン戦車にまったく太刀打ちができなかったように、過去の歴史を見ますとアメリカのM-1A1エイブラムス戦車に対してソ連製T-72戦車が一方的に完敗する事例がありまして、名の由来はエイブラムス将軍、かのパットン将軍がもっとも信頼した戦車部隊指揮官の名は間違いではないと示した事例が。
湾岸戦争。このM-1A1戦車とT-72戦車との戦いは、当時中東最強の戦車大国と考えられていましたイラク軍の戦車軍団とアメリカ軍を中心とした多国籍軍とのあいだで戦われました。当時のイラク軍戦車保有数は実に4800両、なかでも最新とされソ連が特に友好国に限定して供与していたものが、125mm戦車砲を備えたT-72の1000両でした。しかし。
多国籍軍は当初こそ、概ね1万2000名は戦死するのではないか、遺体袋準備、戦争は長期化する。開戦前はこう囁かれていましたが、地上戦が始まると100時間でイラク軍は戦力崩壊し、クウェート国外に撤退することとなる。そして思いの外T-72が弱かったのです、1981年のイスラエル軍レバノン侵攻ではメルカヴァ戦車に在る程度対抗できたのですが。
1000:4、当時のイラク軍戦車はこの割合で破壊されたと当時誇示されまして、つまり多国籍軍のM-1戦車は4両破壊されたが、イラク軍は1000両の戦車を失った、という。もちろんこの数には航空攻撃や戦車以外からの攻撃により破壊されたものも含みます。しかし、1000:4、沖縄戦の嘉数高地の戦いだってこれより一桁多く日本軍は撃破した程ですからね。
ヤラレメカ、こういう印象が高まったのは、T-72戦車は分離式弾薬自動装填装置という独特の設計を採用、メリーゴーランドを意味するカセトカ式を搭載していまして、要するに砲塔の根本、車体に弾薬をメリーゴーランドのように並べて配置しロボット装填装置により装填する方式を採用していたのが、致命的と言えました、なにしろ可燃物がむき出しだ。
90式戦車やフランスのルクレルク戦車は自動装填装置を採用していますが、弾薬は砲塔後部の弾薬庫と、燃えにくい車体前部弾薬庫に配置している、燃えにくいというのは車体前部複合装甲と緩衝材の役割を果たす軽油内蔵の燃料タンクに車体隔壁が守るためで、弾薬も分離式でなく薬莢式、対してT-72は装薬全てが露出し燃えやすい場所に並んでいます。
イラク輸出仕様のT-72は鋳造式砲塔にチタン装甲が内蔵されていない廉価版であったのも一因といわれていますが、M-1A1戦車は4km先から、イギリスのチャレンジャー戦車では5km先から120mm砲で射撃し貫徹できました、中には73イースティングの戦いという、反斜面陣地での必殺の完璧な待ち伏せを行ったが逆に全滅させられた事例もあったのです。
砲塔が吹き飛ぶ。湾岸戦争では砲塔や車体装甲を貫通させられたT-72戦車はむき出しの弾薬が一瞬で全て誘爆し、10km先からでも見えるほど派手に爆発し砲塔が宙を舞って吹き飛ばされました。これがヤラレメカの要因、一説にはB3改造の車体は火災対策が行われた、シリア内戦では頑張っていたのですが、そのT-72B3もウクライナでは現状の通りでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
T-72戦車といえば自衛隊の74式戦車が量産されていた時代のソ連戦車であり好敵手やT-62戦車を超える戦車と目されていましたが今や昔の話なのでしょうか。74式戦車の写真と共に語りたい。
T-72戦車はまたしてもヤラレメカ、という話題を尊敬する軍事評論家の方がWeb記事として配信したところ、インターネット掲示板では"そんな印象はない"という反論が少なくない数に及びまして、ううむこれが世代差というものか、という印象を受けてしまいました。最近の若い方はシリア内戦のT-72B3の踏ん張りが印象強いのでしょう、一時期そう思った。
九五式軽戦車が第二次世界大戦中にアメリカのM-4シャーマン戦車にまったく太刀打ちができなかったように、過去の歴史を見ますとアメリカのM-1A1エイブラムス戦車に対してソ連製T-72戦車が一方的に完敗する事例がありまして、名の由来はエイブラムス将軍、かのパットン将軍がもっとも信頼した戦車部隊指揮官の名は間違いではないと示した事例が。
湾岸戦争。このM-1A1戦車とT-72戦車との戦いは、当時中東最強の戦車大国と考えられていましたイラク軍の戦車軍団とアメリカ軍を中心とした多国籍軍とのあいだで戦われました。当時のイラク軍戦車保有数は実に4800両、なかでも最新とされソ連が特に友好国に限定して供与していたものが、125mm戦車砲を備えたT-72の1000両でした。しかし。
多国籍軍は当初こそ、概ね1万2000名は戦死するのではないか、遺体袋準備、戦争は長期化する。開戦前はこう囁かれていましたが、地上戦が始まると100時間でイラク軍は戦力崩壊し、クウェート国外に撤退することとなる。そして思いの外T-72が弱かったのです、1981年のイスラエル軍レバノン侵攻ではメルカヴァ戦車に在る程度対抗できたのですが。
1000:4、当時のイラク軍戦車はこの割合で破壊されたと当時誇示されまして、つまり多国籍軍のM-1戦車は4両破壊されたが、イラク軍は1000両の戦車を失った、という。もちろんこの数には航空攻撃や戦車以外からの攻撃により破壊されたものも含みます。しかし、1000:4、沖縄戦の嘉数高地の戦いだってこれより一桁多く日本軍は撃破した程ですからね。
ヤラレメカ、こういう印象が高まったのは、T-72戦車は分離式弾薬自動装填装置という独特の設計を採用、メリーゴーランドを意味するカセトカ式を搭載していまして、要するに砲塔の根本、車体に弾薬をメリーゴーランドのように並べて配置しロボット装填装置により装填する方式を採用していたのが、致命的と言えました、なにしろ可燃物がむき出しだ。
90式戦車やフランスのルクレルク戦車は自動装填装置を採用していますが、弾薬は砲塔後部の弾薬庫と、燃えにくい車体前部弾薬庫に配置している、燃えにくいというのは車体前部複合装甲と緩衝材の役割を果たす軽油内蔵の燃料タンクに車体隔壁が守るためで、弾薬も分離式でなく薬莢式、対してT-72は装薬全てが露出し燃えやすい場所に並んでいます。
イラク輸出仕様のT-72は鋳造式砲塔にチタン装甲が内蔵されていない廉価版であったのも一因といわれていますが、M-1A1戦車は4km先から、イギリスのチャレンジャー戦車では5km先から120mm砲で射撃し貫徹できました、中には73イースティングの戦いという、反斜面陣地での必殺の完璧な待ち伏せを行ったが逆に全滅させられた事例もあったのです。
砲塔が吹き飛ぶ。湾岸戦争では砲塔や車体装甲を貫通させられたT-72戦車はむき出しの弾薬が一瞬で全て誘爆し、10km先からでも見えるほど派手に爆発し砲塔が宙を舞って吹き飛ばされました。これがヤラレメカの要因、一説にはB3改造の車体は火災対策が行われた、シリア内戦では頑張っていたのですが、そのT-72B3もウクライナでは現状の通りでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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