北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

榛名備防録:みなさんにとってT-72とは?,シリア内戦の猛獣かウクライナ戦争と湾岸戦争のヤラレメカなのか

2022-04-23 14:41:17 | 先端軍事テクノロジー
■湾岸戦争の悪夢は再び
 T-72戦車といえば自衛隊の74式戦車が量産されていた時代のソ連戦車であり好敵手やT-62戦車を超える戦車と目されていましたが今や昔の話なのでしょうか。74式戦車の写真と共に語りたい。

 T-72戦車はまたしてもヤラレメカ、という話題を尊敬する軍事評論家の方がWeb記事として配信したところ、インターネット掲示板では"そんな印象はない"という反論が少なくない数に及びまして、ううむこれが世代差というものか、という印象を受けてしまいました。最近の若い方はシリア内戦のT-72B3の踏ん張りが印象強いのでしょう、一時期そう思った。

 九五式軽戦車が第二次世界大戦中にアメリカのM-4シャーマン戦車にまったく太刀打ちができなかったように、過去の歴史を見ますとアメリカのM-1A1エイブラムス戦車に対してソ連製T-72戦車が一方的に完敗する事例がありまして、名の由来はエイブラムス将軍、かのパットン将軍がもっとも信頼した戦車部隊指揮官の名は間違いではないと示した事例が。

 湾岸戦争。このM-1A1戦車とT-72戦車との戦いは、当時中東最強の戦車大国と考えられていましたイラク軍の戦車軍団とアメリカ軍を中心とした多国籍軍とのあいだで戦われました。当時のイラク軍戦車保有数は実に4800両、なかでも最新とされソ連が特に友好国に限定して供与していたものが、125mm戦車砲を備えたT-72の1000両でした。しかし。

 多国籍軍は当初こそ、概ね1万2000名は戦死するのではないか、遺体袋準備、戦争は長期化する。開戦前はこう囁かれていましたが、地上戦が始まると100時間でイラク軍は戦力崩壊し、クウェート国外に撤退することとなる。そして思いの外T-72が弱かったのです、1981年のイスラエル軍レバノン侵攻ではメルカヴァ戦車に在る程度対抗できたのですが。

 1000:4、当時のイラク軍戦車はこの割合で破壊されたと当時誇示されまして、つまり多国籍軍のM-1戦車は4両破壊されたが、イラク軍は1000両の戦車を失った、という。もちろんこの数には航空攻撃や戦車以外からの攻撃により破壊されたものも含みます。しかし、1000:4、沖縄戦の嘉数高地の戦いだってこれより一桁多く日本軍は撃破した程ですからね。

 ヤラレメカ、こういう印象が高まったのは、T-72戦車は分離式弾薬自動装填装置という独特の設計を採用、メリーゴーランドを意味するカセトカ式を搭載していまして、要するに砲塔の根本、車体に弾薬をメリーゴーランドのように並べて配置しロボット装填装置により装填する方式を採用していたのが、致命的と言えました、なにしろ可燃物がむき出しだ。

 90式戦車やフランスのルクレルク戦車は自動装填装置を採用していますが、弾薬は砲塔後部の弾薬庫と、燃えにくい車体前部弾薬庫に配置している、燃えにくいというのは車体前部複合装甲と緩衝材の役割を果たす軽油内蔵の燃料タンクに車体隔壁が守るためで、弾薬も分離式でなく薬莢式、対してT-72は装薬全てが露出し燃えやすい場所に並んでいます。

 イラク輸出仕様のT-72は鋳造式砲塔にチタン装甲が内蔵されていない廉価版であったのも一因といわれていますが、M-1A1戦車は4km先から、イギリスのチャレンジャー戦車では5km先から120mm砲で射撃し貫徹できました、中には73イースティングの戦いという、反斜面陣地での必殺の完璧な待ち伏せを行ったが逆に全滅させられた事例もあったのです。

 砲塔が吹き飛ぶ。湾岸戦争では砲塔や車体装甲を貫通させられたT-72戦車はむき出しの弾薬が一瞬で全て誘爆し、10km先からでも見えるほど派手に爆発し砲塔が宙を舞って吹き飛ばされました。これがヤラレメカの要因、一説にはB3改造の車体は火災対策が行われた、シリア内戦では頑張っていたのですが、そのT-72B3もウクライナでは現状の通りでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-関ヶ原,国道沿いのダイナーで頂く天下分け目のミックスカツ

2022-04-23 07:00:34 | グルメ
■榛名さんの総監部グルメ日誌
 関ヶ原といいますと天下分け目の合戦が有名ですがツーリングに歴史散歩にと愉しみ方は数多いようです。

 榛名さんの総監部グルメ日誌、こう銘打っているのですがこんかいは飛行開発実験団司令部はあるものの総監部は無い、岐阜県の話題です。岐阜県と愛知県の喫茶店は凄い、とはいわれるところですが、賑やかすぎる印象が無いでもない、こう云われるものなのですが。

 岐阜基地へ向かう道路は国道一号線を琵琶湖沿いの国道八号線へ、そして米原市から国道二十一号線に進んでゆきますと岐阜市を経て各務原市の岐阜基地へと至ります、これが小牧基地となりますと、その途中で国道二十二号線を経由して名古屋空港へ向かうのですね。

 関ヶ原地峡、自転車愛好家には道々に喫茶店や休息と美しい自然を愉しめるツーリング名所となっているようですし、歴史愛好家には何しろあのセキガハラなのですから一歩進めば偉人武人が辿った名所、鉄道愛好家には東海道本線と東海道新幹線の撮影名所でもある。

 ランチか珈琲でも、こう思いまして広い駐車場を探していました、いや広々とした、というべきでしょうか、こんな時代ですのでCOVID-19感染対策の観点から広めの駐車場に自動車の少ない所、そんな中で美味しそうな雰囲気を探したい、ここなどわくわくしないか。

 G-Gダイナー、ダイナーと云うのは食堂を意味するのですが、一つ休憩しようではないか、という気分でランチタイムに探訪しました、天下分け目のミックスカツ、という関ヶ原らしい逸品を注文しましたら、まず茶碗蒸しが届けられた、ダイナーで茶碗蒸しを頂きます。

 伊吹山を見上げる関ヶ原、此処までは理解していたのですが、ランチタイムにお皿の上で伊吹山が聳えるなんて誰が思っていたでしょうか、てきとうにこのあたりの雰囲気が良いね、と立ち寄ったのですがこれは凄い迫力ですよ、このあと凄く散歩を決意しましたね。

 天下分け目のミックスカツ。西軍がヒレカツにデミグラスソースであり東軍がトンカツの味噌カツという。北が何処か書いていませんでしたし西軍と東軍が逆なのかも、テーブルは右側が南方で左側が北方ですのでこれでは南北軍事境界線だが北に美味い豊かさは無い。

 味噌カツは、徳川家康最初の居城岡崎城が八丁味噌発祥の地ですので、これが東軍なのだろうなあ、デミグラスソースは、毛利にも石田三成にも洋食のイメージは無いのですが、問題なのはこのボリュームです、巨大な東西のカツ、その真下にはご飯が湛えられている。

 カツライス劇場、市川雷蔵も勝新太郎も所縁はないダイナーですが、文字通り見応えも食べ応えもある、ちょっと自転車で関ヶ原超えないと、というような迫力のメニューで、やるなG-Gダイナー、美味しさといいますか、甘みのある辛さの味噌は、ご飯に合うような。

 珈琲を食後に頂きます。ふう、と一息いれると事です。恐らく自転車でツーリングする方のダイナミックなパワーを支える為のメニューなのでしょうか、軽くランチでも、という当方には、いやはや、関ヶ原の戦いはお皿の上でも凄いのですよ、と痛感するほどのもの。

 賑やかな時には凄いのでしょう、店内は落ち着いた調度品、古過ぎませんが、建物が建てられた当時と比べればモダナイズといいますか入れ替えられている、それも今風に、つまり古さに媚びる事無く機能的に洗練されていて、空いているこの時が奇跡の様に心地よい。

 東海道新幹線と国道がほぼ重なる当たりにこのお店はあります、そしてカツレツまで天下分け目の戦いとなっていましたけれども、この当たりは昆布出汁か醤油出汁、鰹出汁ではなく醤油出汁的な文化の境界線だともいう方が居まして、お隣は“あの”天下茶屋という。

 天下茶屋、なにか遠い場所の地名のようなところですが、お蕎麦やおうどん、有名な関西風の出汁と関東風の出汁を食べ比べる事が出来るという、関ヶ原合戦グルメ的なテレビ番組では定番です、店を出ると国道向いを新幹線が丁度すごい勢いで通り過ぎてゆきました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和四年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2022.04.23-2022.04.24)

2022-04-22 20:19:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 この時を待っていました、ようやく北大路機関広報が毎週のコロナ対策情報特集から自衛隊行事予定特集へと返り咲く瞬間という。

 多賀城駐屯地創設68周年記念行事、4月24日に執り行われます。多賀城駐屯地広報の航海しました行事予定では、事前応募や招待者限定戸の記載はありませんので自由見学、つまり2019年以来の全面公開される自衛隊行事となります。先月の地震被害から東北新幹線も復旧していますので、感染対策を充分に多賀城へ歩み進めるのも良いかもしれません。

 第22即応機動連隊、第6師団隷下の即応機動連隊が駐屯していて、そして東北方面混成団第38普通科連隊の主力と第119教育大隊などが駐屯しています。なお、第22即応機動連隊の機動戦闘車隊については、多賀城ではなく大和駐屯地に駐屯、こちらは原隊となった第6戦車大隊の駐屯地で、16式機動戦闘車がどのくらい式典参加するかは関心事という。

 仙石線のJR多賀城駅からは徒歩30分ほど、仙台東部道路からは仙台港北から5kmほど離れているとのこと。どの程度混雑するのかは想像できません、招待者限定行事は全国の部隊で細々とおこなわれていましたし、非常に混雑する可能性もある。ただ、あの東日本大震災後に初めて行われた行事、美唄駐屯地祭に行った経験では特段混雑はしませんでした。

 即応機動連隊とは。もともとは第22普通科連隊となっていますが2019年に第6戦車大隊と第6特科連隊などが廃止され、この第22普通科連隊と統合再編し創設された部隊です。ただ、師団普通科連隊は定員1200名ですので、戦車大隊廃止とともに即応機動連隊定員は850名、元々を考えれば、定員割れを差し引いてもちょっと少なくなった印象はあります。

 第6戦車大隊は74式戦車を運用していた部隊でもともとの師団改編により乙師団が即応近代化師団と改編の際、戦車大隊が大幅に縮小され戦車は2個中隊基幹の30両となっていました、これが即応機動連隊統合に際し、第22即応機動連隊機動戦闘車隊へ改編されているのですが、こちらも2個中隊基幹です、ただ、小隊規模が小さく縮小中隊ともなっている。

 16式機動戦闘車とともに、しかし即応機動連隊には3個普通科中隊が置かれていますが、こちらは96式装輪装甲車で充足されていて、その分北部方面隊に配備されていた装輪装甲車がかなり引抜かれているのは大問題ですが、加えて重迫撃砲中隊も装備は120mm重迫撃砲のままながら指揮系統を強化し火力支援中隊に改編、機械化され相応に強力な編成です。

 再開される行事、基本的に最新情報をWebなどで確認の上でお出かけください。行事の空白期間が長いものですが、Webでは駐車場の有無を確認します、多賀城駐屯地祭では駐車場は用意されているとのことですが、万一の満車に備えて民間有料駐車場の位置などを確認しておくのも選択肢です。入場に際しては手荷物検査が行われる為、現着時間に余裕を。

 自衛隊行事は久しぶりと云う方も多いでしょう、一般公開とともに、観閲行進を正面から撮影するか模擬戦第一か、観閲行進の経路や模擬戦ではどのような状況で展開するのか、これは前日に予行が行われていれば轍が残っていますし、警備の隊員さんなどに大まかな方向、仮設敵陣地の位置を聞いておきますと、撮影位置を考える際に一助となるでしょう。

 混雑する事もあるのでしょうが、混雑している場所が最良の場所とは限りません、駐屯地は広く、もちろん戦車や装甲車が行き来する場所ですので立ち入り禁止の場所に入ってはなりませんが、例えば行進は式典会場付近がいっぱいの時には少し離れた資料館や厚生会館前が撮影適地の場合もありますし、人が少ない木陰の方が長時間撮影しやすいことも。

 訓練展示では、16式機動戦闘車の空包射撃は思いのほか音が大きい、ほぼ74式戦車の空包射撃と同じ迫力がありますが、なれていないと特に正面から撮影する際には、耳と云うよりも空包射撃の衝撃波に反射神経の方が反応してしまいます、耳栓か無ければイヤホンやバンダナなどで耳周りを保護するのも良いかもしれません。衝撃波が水平に来ますからね。

 自衛隊関連行事、一般公開される行事の再開は2020年と2021年とCOVID-19感染拡大により、その時機を逸しまして、行事の無い時代が続いてしまいました、実際問題として自衛隊行事に関心がありましたコロナ最初の年に大学に入学しました大学生などは就職活動最中の三回生、これほど空白が生じるのはまさに自衛隊創設以来といえるかもしれません。

 ただ、陸上自衛隊では広報を“平時の実戦”といいまして、平時だからこそ存在意義を示すと共に募集広報は自衛隊を維持するうえで不可欠となっています、だからこそ、多少、オミクロン株とB.A.2株が多少のリスクを、しかし危険なリスクを、示している中でも行事は執り行われます、撮影に行かれる方は是非このあたりを見て、一日を愉しんでほしいですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・多賀城駐屯地創設68周年記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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極東着弾!ロシアRS-28サーマット大陸間弾道弾発射試験とマリウポリ製鉄所攻略断念-空虚な一方的勝利宣言

2022-04-22 07:00:25 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ウクライナ情勢
 世界はロシアの核恫喝による核戦争への危機に次の一歩が進められたことに驚愕している状況です。日本の防衛もこうした隣国を相応に考慮すべきでしょう。

 ロシア軍はRS-28サーマット大陸間弾道弾の発射試験を成功させました。これは射程が1万1000km以上であり弾頭重量は100t以上、所謂多核弾頭方式の大陸間弾道弾です、これは旧ソ連が主力大陸間弾道弾として運用していたR-36サタン大陸間弾道弾の後継であり、ソ連崩壊により量産が少数にとどまった改良型のR-36M2大陸間弾道弾の後継ミサイルだ。

 RS-28サーマット大陸間弾道弾の発射試験、サーマットのほかにサルマトとも呼ばれるミサイル試験は、モスクワ北方のプレセツク基地より発射、ミサイルは5700km飛翔し極東のカムチャツカ半島に設定された着弾地域へ命中したとのこと。実験であり核弾頭は搭載していません、ロシア政府は新型ミサイルをロシア国内部品により製造と誇示しました。

 サーマットはロシア国産部品により製造した、こう主張する背景には旧型のR-36ミサイルはソビエト連邦時代の製造である為、かなりの部品の比率が現在のウクライナ国内で製造していたため、R-36の予備部品が枯渇している状況にありました。今回RS-28を発射した事は、ウクライナの工業施設を破壊した場合でも核抑止力を誇示できる事を示しています。

 そのロシアは、ウクライナ侵攻に際し南部の要衝マリウポリの占領を宣言しました。マリウポリでは欧州最大とされるアゾフスタリ製鉄所にウクライナ軍部隊などが立て籠もっており、この製鉄所は核戦争の懸念が高かったソ連時代に造営されていた事から施設自体が地下陣地のように整備されており、包囲するロシア軍と大規模戦闘が懸念されていました。

 マリウポリ占領は、しかし、アゾフスタリ製鉄所へのロシア軍が毎日行った最後通告の後に行うとされた大規模攻撃等は行われず、プーチン大統領はアゾフスタリ製鉄所での作戦終了を命じ、製鉄所は攻略を断念し包囲に切替える方針としています。ただ、製鉄所内には戦闘部隊だけで2000名規模の部隊が展開しており、解囲へ今後の展開が関心事となる。

 マリウポリは人口40万名、市内にまだ非戦闘員10万名が残っており、ウクライナ政府は非戦闘員退去への人道回廊設置と人道回廊での一時停戦を求めていますが実現していません、百数十名程度の退去は実現したようですが、ロシア軍が一方的に勝利宣言を行ったものの、アゾフスタリ製鉄所解囲や市街地外縁の戦闘はまだまだ継続するのかもしれません。

 ドンバス地域、つまりウクライナ東部、ロシアと国境を接している地域、このドンバス地域へロシア軍は重点攻略を目指していますが、このマリウポリの攻略は重要な意味を持ちます、それはマリウポリから見た場合にドンバスはウクライナ国内の真北に位置し、ドンバス地域を南側から攻略できるということです。一見迂回するような経路ではあるのだが。

 ドンバス地域は2014年からウクライナが八年かけ要塞化しました、しかしウクライナ軍陣地は東方にあるロシア国境からの侵攻を想定した配置であり、マリウポリ経由の経路はウクライナ軍陣地が、少なくとも開戦前の段階ではそれ程重視されていませんでした。だからこそロシア軍は攻略に注力、前線指揮していたロシア黒海艦隊副司令官は戦死しました。

 クラマトルスク、ウクライナ東部にある人口15万の都市ですが、こちらもハリコフ近郊から南下したロシア軍部隊の猛攻を受け陥落の危機に在ります、ロシア軍は18日からの正面突破で大打撃を受け撃退されたようですが、正面突破ではなくウクライナ国内を迂回機動する事でドンバス地域を占領しようとしており、いまこの瞬間にもウクライナ軍との間で激戦が続いています。

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陸上自衛隊に海兵航空団型部隊が必要だ!独自戦闘機は南西脅威加え北方脅威再燃の今-究極の多次元統合防衛力

2022-04-21 20:07:37 | 防衛・安全保障
■究極の多次元統合防衛力
 戦闘ヘリコプターだけではなく戦闘機も必要だ、要するに自分の事は自分でできる領域を増やすにはどうすれば良いかという視点から考えた提案です。

 多次元統合防衛力、この発想は南西地域の防衛という観点に対応する統合機動防衛力整備に加え、サイバー空間と宇宙空間を加えたものとなっています。しかし、現代の脅威は、その前提として冷戦時代にソ連軍北海道侵攻に備え整備した北部方面隊の重戦力を如何に南西方面へ転用するかとい部分にあり、ポスト冷戦、北海道への脅威は度外視されていた。

 統合機動防衛力、この原点に立ち返りますと、実のところ陸上自衛隊はもっとも機動力の高い打撃力を整備するほか無いのではないか、具体的にな南西方面への脅威は依然として顕在化したままであり、要するに二方面の脅威に備える必要性と、水陸機動能力を高く維持する必要性があるのです、そして努めて財政的配慮が必要だ、こうした視点が浮かぶ。

 ヘリコプターだけではなく航空団を陸上自衛隊も整備するほかないのではないか、具体的にはアメリカ海兵隊の海兵航空団を参考とした独自の航空戦力が考えられます。南西有事や北方有事、従来別々に発生すると考えられていた脅威がロシア軍ウクライナ侵攻を受け、南西有事に呼応して北方緊張が増す懸念を認識する必要が出てきましたので即座に移動できる打撃力が必要となる。

 航空自衛隊の負担と云う視点も考えねばなりません、何故ならば航空自衛隊は数年内に導入するF-35B戦闘機を海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦での艦上運用に充てる必要があり、無論、陸上自衛隊の掩護も陸空作戦協定により維持される事にはなるのでしょうが、航空自衛隊の戦闘機は有限であり打ち出の小槌ではない、自分の支援は自分で担う必要が。

 海兵隊方式、独自の航空部隊があるならば、例えば有事の際に戦車やヘリコプターを九州から北海道へ、或いは逆に北海道から九州へ移動させるよりも、戦闘機ならば一時間強で実現可能です、日本列島は戦車の視点からは非常に長いのですけれども戦闘機の速度を考えればそれほど無茶苦茶な大きさではありません、そして打撃力は非常に大きいのです。

 近接航空支援と航空阻止任務、航空自衛隊がかつて支援戦闘機に専従させていました運用を念頭に、運用する方式が妥当でしょう。もちろん、ここで思い浮かべればアメリカ海兵隊のF/A-18C戦闘機やAV-8B攻撃機、その前がA-4攻撃機が挙げられます。A-4攻撃機以外は相応の制空戦闘に対し資する装備で、AV-8BもAMRAAMは撃てますから相応に強い。

 機種は、例えばF-2戦闘機と同程度の機体でも十分すぎるでしょう。ただ、ジャギュア攻撃機やアルファジェット攻撃機のような攻撃に特化した機体ですと、想定される敵航空部隊の妨害を排除し任務に当たることはできませんが。もっとも、ジャギュアならば東富士演習場からでも発着できるという、野戦運用など滑走路外運用能力があるのですけれども。

 エアランドバトル、戦車部隊も近接航空支援を常に受けられるならば、それほど損耗を考えず対応することが可能です。特科部隊は現在冷戦時代と比較して大きく削減されていますが、近接航空支援はこれを補うことが可能です。もちろん航空優勢確保は航空自衛隊の主幹であることに変わりない、なぜならば流石に早期警戒機までは装備が難しいのだから。

 海兵航空団は近接航空支援と空中機動や航空阻止を任務としています、そして多数の航空機を搭載する強襲揚陸艦の艦載機は海兵航空部隊となっていますし、海軍空母航空団へも海兵戦闘攻撃飛行隊を派遣しています。空中機動だけならば陸上自衛隊のヘリコプター保有数は、かなり減ってきています危機的状況ではあるものの、CH-47JAなどまだまだ多い。

 陸上自衛隊の独自戦闘機部隊というには、第1ヘリコプター団のような航空科部隊を念頭に戦闘飛行隊を置く、MV-22可動翼輸送機が今後配備されるのですから、西部方面隊などにも第2ヘリコプター団のような新部隊を新編し、団隷下に戦闘飛行隊を置き、航空阻止はもちろん、空中機動部隊の制空支援、空中機動部隊と一体化した近接航空支援を行う。

 現実として可能なのか、こう問われますと、これは陸上自衛隊の師団や旅団と云うものの考え方を大幅に転換する、1962年に管区隊と混成団を廃止し師団を置いた陸上自衛隊改革に匹敵する大きな改編を行う必要はあります。また、戦闘機を運用するには、整備員や操縦士を養成せねばなりません、辛うじて航空管制は固定翼を運用する為に応用は効くが。

 独自戦闘機部隊を保持するならば、これは近接航空支援や航空阻止任務での航空自衛隊負担が軽減する事となるだけでなく、陸空作戦協定がありますので、航空阻止がひと段落した際には航空自衛隊へ陸上自衛隊が戦闘機を派遣する事が、恰も海兵航空部隊が空母航空団を支援する様に可能となります。これは一例ですが2020年代、自衛隊は変らねば周辺情勢緊迫化に生き残れないよう思うのです。

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ウクライナ戦争-ロシア軍東部ドンバス総攻撃開始とウクライナ軍奮戦,アメリカは更に追加8億ドル軍事支援表明

2022-04-21 07:00:51 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 北部方面隊に関する有事の際に南西方面へ引抜けるのかという先日掲載の記事が話題となっているようで幸いです、しかし現実はそれ以上に厳しい。

 ロシア軍はドンバス地域へ重点を置いた総攻撃を開始しました。これは18日より砲兵射撃を実施しておりこの砲兵射撃は1kmあたり10門という火砲の規模となっています。ドンバス地域はロシア軍ウクライナ侵攻直前にプーチン大統領がこの地域の独立を承認すると発言しておりキエフもハリコフもオデッサも占領できないロシア軍の次の標的となります。

 ドンバスとは、ウクライナの産業中心地であり、19世紀から石炭発掘なども行われています、地形は開けていまして、これはロシア軍侵攻を食い止めたキエフ北方のような森林地帯ではありません。ドネツクとルガンスクの二つの州が在り、もともとロシアはこの地域のロシア系住民を保護する事が目的として侵攻を開始しており、割譲をめざしていました。

 この地域ではロシア語が話されていますが、ウクライナ系住民も多くロシアの一部と云うには無理があります。ウクライナ軍は、八年間にわたりこの地域を要塞化しており、正面攻撃は無理があります。この為ロシア軍はマリウポリ、ドンバスの南方を先に制圧する事で、要塞化されていない地域を踏破しようとした構図ですが、まだマリウポリは健在です。

 ドンバス地域複数の箇所においてロシア軍が撃退されている、これはイギリス国防省の情報分析最新情報として20日に発表されたものです、具体的には今回のドンバス再侵攻に際してロシア軍は長時間に渡り攻撃準備射撃を実施してきましたが、これでもウクライナ軍防御陣地を粉砕出来ず、また、またしてもというべきか、ロシア軍は補給に難渋している。

 ドンバス再侵攻に際して、ロシア軍はBTG大隊戦術群を15個程度集中していると伝えられています。もっとも、二月の時点でBTGは80個以上を集中していた為、今回ウクライナへ侵攻したロシア軍は大打撃を被り後方にて再編成を強いられた部隊が多いとされる情報の裏付けといえるのでしょうか。他方、次の梯団が侵攻準備中とも懸念されています。

 ドンバス地域の激戦ですが、ロシア語を母国語とする住民全てが親ロシア派と云う意味ではありません、つまり言語だけでアイディンティティ的にロシアの一部であるかと問われれば、それは歴史的と文化的にロシア語を話すだけであり、ロシアの統治、特に自由選挙や民主主義よりもプーチン主義を歓迎する土壌はありません、ここが誤認の一つといえる。

 軍事支援の追加、アメリカのバイデン政権は19日にウクライナへ新たな軍事支援として追加の8億ドル規模の軍事援助を行う方針を表明している、邦貨換算1000億円、これは20日にCNNが報じたもので政権高官と情報筋からの情報として、まだ追加パッケージは非公開で議論の最中であるが、アメリカから兵器を直接追加でウクライナへ送る方針とのこと。

 軍事支援は先週にも8億ドル規模の援助が行われており、此処には榴弾砲と対砲レーダーが含まれています、対砲レーダーは砲弾を追尾し敵砲兵陣地を標定する装備であり、これが有ればロシア軍砲兵陣地は数分おきに陣地変換せねばウクライナ軍砲兵の反撃を受ける事となる。ただ、この際に供与される火砲は18門といい、ロシア軍に対抗するには少ない。

 軍事支援としては戦闘機が追加で供与されているとのこと、これはウクライナ政府が切望しつつ実現に時間を要していたものです。これは国防総省のカービー報道官が発表したもので、第三国の装備をウクライナへ供給する仲介を行い、アメリカから直接ではないとのこと。恐らくMiG-29戦闘機などウクライナ空軍が使用している戦闘機の機種が提供されたのでしょう。

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【京都幕間旅情】清水寺,平安遷都前に造営された観音寺院と徳政相論-桓武天皇行政史の最後の評定と京都誕生

2022-04-20 20:22:53 | 写真
■そして千年の都が生まれた
 徳政相論、この地に京都という千年の都が在る事は今日から顧みれば必然のように思われるのかもしれませんが、一つの政治的分水嶺がなければ歴史はこう進まなかったのかもしれない。

 清水寺には京都が京都たり得る壮大な歴史の一要素があるのではないか、もちろん発掘に向かうのではありませんし北大路機関は歴史学者の集まりでもありませんので、歩きつつ思い巡らせる程度ではあるのですが、なにか仮説を補強する情景を求めて音羽山をのぼっている。

 桓武天皇の繰り返す遷都、これは奈良仏教の勢力から免れる為との背景は前述しましたが、もう一つ、御霊信仰も背景に在りました、この御霊信仰とは志半ばに散った方や無念を抱いて亡くなった方は御霊となり祟りを呼び寄せるという、長い日本の価値観のひとつ。

 早良親王の御霊、桓武天皇の皇太弟である早良親王を桓武天皇がのちの平城天皇即位を確実とする為に造長岡宮使藤原種継暗殺事件に連座しているとして排斥、これに抗議する早良親王は抗議の絶食を経て没した事件です。その後の疫病などを御霊によるものと畏れた。

 藤原京に平城京と長岡京を経て平安京、この連続する遷都はもちろん御霊怖しという単純なものではないのですが、仏教勢力台頭始め複合的な要因で繰り返していたものです。しかし側近和気清麻呂や藤原小黒麻呂、坂上田村麻呂から見るならば経済破綻を危惧させる。

 延暦24年こと西暦805年、坂上田村麻呂は蝦夷討伐の勲功を以て参議に列せられます、その際に清水寺を坂上氏の氏寺とする太政官符を願い出まして受け入れられる、そして当地は東下りの、つまり蝦夷討伐に際しての平安京からの進発点であるのは偶然なのだろうか。

 西寺造営。坂上田村麻呂は平安遷都に際して寺院造営を命じられています、なにしろ平安遷都は奈良仏教の影響力からの逃避も桓武天皇の一つの認識ですから、官寺以外は洛中に造営を許さない指針であり、東寺と西寺、この二つのみを造営する方針となっていました。

 多賀城や胆沢城と蝦夷討伐に際し、築城の実績はあるのですから坂上田村麻呂には難しすぎる事業ではなかった筈です、西寺は残念ながら今日には記念碑が残るに限られている歴史上の寺院ですが、いまの東寺と左右対称に壮大な皇城鎮護を願う官寺であったという。

 軍事と造作、この二つの国家を疲弊させる巨大事業に終止符を打つには、蝦夷討伐を確実に行い長期化を避ける事と、次の首都造営に至らないように平安京造営を着実に行う、こうした視点で坂上田村麻呂は、桓武天皇の忠臣として施策を進めつつ諫言を試みたのかと。

 藤原緒嗣。桓武天皇は晩年に当時まだ若い参議であった藤原緒嗣を新しい側近として取り立てますが、天皇は晩年に次代への施策を問いました。藤原緒嗣は勇気を以て、万民は軍事と造作の重税に苦しんでいる、これ取りやめるならば国は長く安定するのでは、という。

 徳政相論という、桓武天皇行政史の最後の評定ともいわれる高官同士の議論は、藤原緒嗣の持論と参議の元老的な菅野真道による桓武施政支持の激論が交わされた結果、桓武天皇は藤原緒嗣の意見を取り入れ、次なる蝦夷討伐の中止と平安京遷都の完了を定めました。

 延暦25年3月17日、西暦では806年4月9日、桓武天皇は激動の時代を超えて崩御します。皇太子安殿親王は即位の礼を以て平城天皇へ、しかし軍事と造作の施策は継承されず、日本は安定期となりました。次なる遷都は明治時代の東京遷都、千年の都がうまれます。

 平安時代、日本は安定期となり摂関政治の時代を経て武家政治の時代へと次の流れを生むのですが、安定に至る桓武天皇の施策がまさに土台を形成しており、そして桓武天皇がその事業を自らの治世下で完結しました、その分水嶺に都の東を護る清水寺は有るのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】清水寺,音羽山の紫宸殿-桓武天皇が激賞した勲功収める征夷大将軍坂上田村麻呂観音信仰

2022-04-20 20:00:23 | 写真
■平安遷都前-音羽山の紫宸殿
 いまは必然ではない、日本史を顧みますと今の安定した日本の地位というものは安泰と云うよりも努力と偶然と幸運と犠牲が築き上げた一つの奇跡と気付かされるのです。

 京都が京都たり得る一つの分水嶺は、ここ清水寺に在るのではないか。今の日本に至る歴史は必然ではなく努力と偶然による、また偶然を安定着陸に転換する為の膨大な努力が在った為で、これはつまり現代日本が安穏と今の地位を維持出来ないという意味でもある。

 平安遷都、京都という地名は平安京の都と云う意味であり、平安京が千年以上に渡り首府となっていた為故の地名なのですが、桓武天皇の御世にあった藤原京も平城京も長岡京も、仮に千年首府を担っていれば、奈良の山間部や京阪境界の湿地帯に、京都は有得たのです。

 日本そのものも在ったのか疑わしい、桓武天皇の時代は後に千年の安定に繋がる国家転換となっているのですが、軍事と造作、桓武天皇御世の基本政策である首都造営と蝦夷討伐の繰り返しは膨大な国家予算を投じるものですし、なによりこれでは国家財政が持たない。

 坂上田村麻呂、忠臣の名将ですが実はこの危機的な状況に気付いていたのではないかと仮定します、なにしろ彼は二度目の蝦夷討伐に副将として従軍していますし、兵士の兵役負担と補給路沿いの重税による地方荒廃の様子は誰よりも現実として観ていた事でしょう。

 清水寺に話題を戻します。藤原明衡撰清水寺縁起によればお寺は、大和国は興福寺の僧延鎮が修行に励んでいた際、夢のお告げにて北に清らかな水の湧く山が在るのでそこへ行きなさい、こう承り実際赴くとこの音羽山で水が湧くところに確かにたどり着いたとされる。

 延鎮はここで行叡居士という修験者と逢い、あなたが此処へ来るのを待っていたので当地を託したい、こう告げられたという。延鎮は当地に庵を開く事を決意し、託された霊木に千手観音像を彫像し庵を開いた、このように伝わっています。そして当地で出会いが。

 坂上田村麻呂は丁度当地にて狩猟に勤しんでおり、その際に延鎮の目の前で鹿を射た、その様子に殺生をとがめる延鎮との間で出会いが在ったのです。説話的に射た鹿は身ごもっていて、目の前で命を絶たれた母鹿から小鹿が生まれる瞬間が心を動かしたともいわれる。

 音羽山では坂上田村麻呂が観音信仰に帰依する事を決意し、またその際に細君高子も帰依したという。もともと鹿狩りは細君の病気平癒を願い鹿の生血が良いと考えての事のようですが病気は大病では無かったらしい、坂上田村麻呂は自宅を解体し本堂として寄進する。

 宝亀11年こと西暦780年のことです。延暦十三年の討伐、延暦13年こと西暦794年に坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣した蝦夷討伐は、四年を掛けての兵站準備と10万の大兵力で実施し、延暦20年には蝦夷の将アテルイを京都へ連行する成果を上げていました。

 清水寺の本堂は、このアテルイ京都連行の勲功を桓武天皇が激賞し、長岡京の紫宸殿を坂上田村麻呂へ下賜します。そして賜った壮大な宮殿をそのまま音羽山へ移築し、清水寺を大きくしたのですね。延暦17年こと西暦798年の事、平安遷都の造営はまさに過渡期だ。

 紫宸殿の音羽山移築は、坂上田村麻呂の並成らぬ平安京への想いが透けて見えるようです、そして考える事なのですが、仮に桓武天皇の軍事と造作施策が更に堅持されていたならば、平安京の次に新しい首都へ遷都され、いまの京都は単なる地方都市に落ちていた可能性が。

 軍事と造作、終止符が必要であり延々と遷都と遠征を続ければ財政破綻し内戦となる、それでは皇統断絶さえ起こり得る。坂上田村麻呂の考えを推測しましたが、こんなことは和気清麻呂や藤原小黒麻呂も承知していたのでしょう。京都こそ、至高の遷都としました。

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防衛省ウクライナへ化学防護装備など追加供与決定!航空自衛隊C-2輸送機もUNHCR支援へ派遣方針

2022-04-20 07:00:24 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ウクライナ東部二州でのロシア軍攻勢が大規模準備砲撃と云う段階で継続しており次の段階が懸念されています。こうしたなかで。

 防衛省はウクライナ支援を行う国連のUNHCR国連難民高等弁務官事務所要請に応える形で航空自衛隊C-2輸送機の派遣を正式決定しました、今月下旬にも派遣しする方針です。この派遣は、ウクライナからの周辺国への避難民が既に493万人に上っており、難民キャンプなどは設営されず周辺国住民に受け入れられている状況ではあるのですが、問題が。

 UNHCRによれば生活用品などの不足が問題となっており、UNHCRが欧州周辺地域へ備蓄されている毛布などを含む日用品の輸送を行う為に輸送支援を求めているとのこと。政府は毎週一便程度、十回程度の輸送を計画しているとの事です。備蓄されている周辺地域とは、インドやUAEアラブ首長国連邦からウクライナ周辺のポーランドルーマニアなど。

 PKO協力法を根拠として実施されるとのことで、19日の自民党会合において実施計画が了承された事から、近く閣議決定をへて実施されるとのことです。毎週一便程度と云う事で、恐らくC-2輸送機は1機で対応できるでしょう、C-2輸送機は航続距離が長い、エンジンなどはボーイング767旅客機と同型であるため、整備に関してはそれ程問題となりません。

 自衛隊装備の新たな供与も行う、岸防衛大臣は19日の閣議後に行われた記者会見に応じ、自衛隊が装備する防護マスク及び化学防護服、そして無人機の供与を決定したと明らかにしました、これはC-2輸送機派遣とは別枠のものとなっていて、これらの装備については準備が整い次第、民間チャーター機により、ウクライナ周辺国へ輸送するとしています。

 防護マスク及び防護服について、海外への供与は今回が初めてですが、自衛隊以外への貸与については1995年の地下鉄サリン事件を受けてのオウム真理教警察強制捜査を行う際に大量に貸与した事例があります。今回こうした防護装備を供与する背景には、ロシア軍による大量破壊兵器、化学兵器や生物兵器は勿論、核兵器が使用される懸念がある為です。

 国際社会、というよりNATOとアメリカはこうした大量破壊兵器が大規模使用された際の、どの線を全面介入への分水嶺とするかを明確としていません、故にロシアに使う隙を与えている。こうした中で皮肉な事ですが、戦闘防護衣やガスマスクなどの自衛隊装備品は地下鉄サリン事件や福島第一原発事故対処などで実戦使用されたもので、信頼性は充分です。

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【防衛情報】モスクワ撃沈の衝撃!リデル級原子力駆逐艦計画と原子力巡洋艦アドミラルナヒモフ修理状況

2022-04-19 20:01:44 | 防衛・安全保障
■特報:世界の防衛,最新論点
 ロシア海軍の活動はウクライナ侵攻後顕著になっており特に日本周辺での演習や巡航ミサイル発射など続く、周辺事態ともいえる現状を前に先週世界を驚かせたモスクワ撃沈の衝撃を見てみましょう。

 2022年4月14日、ロシア海軍黒海艦隊旗艦であるミサイル巡洋艦モスクワが撃沈されました、ウクライナ海軍の地対艦ミサイル部隊がネプチューン対艦ミサイルを発射し2発が命中し撃沈したとしていますが、ロシア政府はウクライナ侵攻に伴う艦隊旗艦沈没、日露戦争日本海海戦以来という、その現実が及ぼす士気低下を懸念し、事故を主張している。

 事実関係を纏めましょう。ミサイルによる撃沈は、各種検証により確実とされています、これは紛争拡大を懸念し警戒監視中であったセンチネル電子偵察機が攻撃を遠距離から確認している点、そして沈没する巡洋艦モスクワの様子が曳船から撮影され、少なくとも黒海でスラヴァ級が沈んだ事は確かであり、黒海のスラヴァ級はモスクワ一隻だけでした。

 オデッサ沖合111kmから120kmの距離で攻撃を受けた、その直後にSOSをモールスで発進した事がバルト海沿岸でも傍受されています。命中により火災を引き起したが、即座にミサイルへの誘爆はしなかった模様、そして総員退去ののちに、セバストポリ軍港へ曳航中、少なくとも10km以上曳航できたようですが、浸水が進み転覆したとされています。
■次の黒海艦隊旗艦は?
 今後黒海艦隊旗艦はどうなるのでしょう、流石にボスポラス海峡をトルコが封鎖している今すぐに増援はおくれませんが転用できる艦は限られています。

 黒海艦隊旗艦モスクワが撃沈されましたが、今後黒海艦隊旗艦はどのようになるのでしょうか。元々ロシア海軍には巡洋艦は4隻のみであり、北方艦隊に原子力巡洋艦ピョートルヴェリーキイとマーシャルウスチーノフ、太平洋艦隊に巡洋艦ワリャーグ、そして黒海艦隊にモスクワが配備されていました、ロシア海軍に巡洋艦の余裕はもともとありません。

 艦隊に旗艦を充てている、ロシア海軍には北方艦隊と太平洋艦隊、バルチック艦隊と黒海艦隊、そして内海にカスピ小艦隊が置かれています。巡洋艦は旗艦に充てられ、ただ、バルチック艦隊だけはミサイル駆逐艦ナストーイチヴイが旗艦となっています。すると巡洋艦を二隻もつ北方艦隊のマーシャルウスチーノフを回せばよいようにもみえるのですが。

 しかし、簡単ではありません、原子力巡洋艦ピョートルヴェリーキイは複雑な機構から拠点であるバレンツ海を離れる事は余りありません、大西洋全域とバルト海や地中海へプレゼンスを発揮する為には、仮にマーシャルウスチーノフを黒海艦隊旗艦に充てますと空隙が生じるのです。ユーラシア大陸を横断するロシア海軍には、一隻の喪失でも痛いのです。
■乗員全員無事は本当か
 いままでは乗員全員無事が報じられていましたので色々と云えた話題ではあるのですが。

 ロシア国防省は事故による沈没であり乗員は全員無事であると発表しました、しかし、その後に艦長が艦と運命を共にしたとの未確認報道が行われており、その上で今度は映像として、艦と運命を共にしたはずの艦長が追悼式に整列している様子が報道公開されました。全員無事と発表しているにもかかわらず、何を目的とした追悼式であるのかは不明だ。

 乗員全員無事というのはどの程度信憑性のある情報なのでしょうか、こういいますのもモスクワの乗員は510名、黒海艦隊司令部要員を含めれば650名が乗艦可能とされています。黒海艦隊副司令官が既にマリウポリ攻略戦にて戦死していますので、司令部全員乗艦とは考えられませんが、戦闘中の火災から総員退去発令まで、戦死者皆無とは考えられません。

 追悼式に150名が整列している、これは19日にフランスF2ニュースが報じているのですが、この見方によっては整列できる乗員が150名であったと見る事も出見ます、もちろん、巡洋艦が沈む火災であるので火傷により入院中という見方もできるのでしょうが、モスクワ撃沈以降連絡の取れない乗員が居るとの家族の発言などもあり、事実は闇の向こうです。
■リデル級原子力駆逐艦
 ロシア海軍の増強はどの程度考えられるのでしょうか、此処でひとつ思い浮かべるのはロシアが計画している日本のDDHなみに巨大な駆逐艦の計画です。

 リデル級原子力駆逐艦建造が巡洋艦モスクワ撃沈により加速する事はあるのでしょうか。リデル級とはロシア海軍が、スラヴァ級ミサイル巡洋艦やソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦、ウダロイ級駆逐艦の代替として2013年より建造を計画している計画です。計画は大幅に遅れています、その背景はロシア軍のクリミア侵攻による経済制裁による影響が大きい。

 スラヴァ級ミサイル巡洋艦の後継を目指すリデル級は12隻の量産が計画されていました、2017年にロシア政府がロステック公社統一造船会社へ建造準備を下達しています、ただ、クリミア併合に伴う経済制裁などの影響から2027年までの建造計画には含まれていませんでした、2020年4月には一部ロシア報道で計画中止も包囲られましたが、転換の可能性が。

 原子力駆逐艦と有る通り、リデル級は満載排水量19000tと護衛艦ひゅうが型満載排水量に匹敵する巨大な駆逐艦です。武装も協力で、3S14型VLSを多数配置、ツイルコン極超音速滑空兵器とカリブル巡航ミサイルを100発以上、更に射程が400kmを超えるS-500艦対空ミサイルとS-350E艦対空ミサイルを72セル搭載する、巨大な水上戦闘艦を目指します。
■アドミラルナヒモフ
 ロシアには原子力巡洋艦も修理中ながら現役を維持しており今後はその修理がロシア海軍脅威度の一つの指針となるでしょう。

キーロフ級原子力ミサイル巡洋艦の予備役艦修理作業は、ミサイル巡洋艦モスクワ撃沈が加速させる可能性はあるのでしょうか。こういいますのも、4隻が建造されたキーロフ級は一番艦アドミラルウシャコフ、旧名キーロフと二番艦アドミラルラザレフ、旧名フルンゼは解体が決定していますが、三番艦アドミラルナヒモフ、旧名カリーニンは修理中です。

アドミラルナヒモフは竣工が1988年、一番艦フルンゼの1980年竣工よりは比較的艦齢が若いのです、もっとも現在現役である四番艦ピョートルヴェリーキイは1998年竣工であるので艦齢が10年違うともいえる、他方でアドミラルナヒモフの起工は1983年でピョートルヴェリーキイは起工が1986年ですので、ソ連時代に竣工しただけ建造が確実でもある。

ピョートルヴェリーキイは、アメリカが全て原子力巡洋艦を退役した為に世界最後の原子力巡洋艦となっていますが、満載排水量28000tと護衛艦いずも型と同じ大きさであり、そして水上打撃力や艦隊防空能力はモスクワを上回ります、無論、ロシア経済が破綻しなければの前提ですが、モスクワ代替艦の建造よりも修理は現実的選択肢ともいえましょう。
■プーチン政権の海軍戦略
ロシア海軍の全軍におけるポテンシャルが今後どのように変化するのかは関心事です、陸軍は大打撃を受けていますし限られた予算では再編に限度もありますから。

黒海艦隊旗艦撃沈の現実はプーチン政権の海軍戦略をどのように変化させるのでしょうか。現実問題として今回のウクライナ戦争では黒海艦隊は増援を受けられません、何故ならば戦争中はトルコがボスポラスダータネルス海峡の軍艦航行を禁止している為で、ウクライナ戦争で停戦し、その上でトルコはじめ各国経済制裁が終了して漸く航行できるのだ。

ウクライナ侵攻はウクライナ全土の占領とロシアの衛星国化、恰もソビエト連邦へ参加させた過去を再現する事、それが出来なければ黒海の制海権を握り、現在激戦続くマリウポリ、日本時間18日2000時頃から続く極めて顕著で大規模なロシア軍砲兵射撃の目的も黒海制海権を握る事でしたが、今の黒海艦隊は駆逐艦もなく沿岸のルーマニア海軍以下です。

しかし、今回の一件を背景に、プーチン大統領は海軍予算を増額し使える海軍力の増強を目指すのか、それともカスピ小艦隊のような、コルベットと潜水艦を中心とした海軍とし、大型水上戦闘艦は核抑止力である戦略ミサイル原潜部隊の護衛のみに専念するのか、ということです。ロシア海軍が拡大するか、大統領に見切りをつけられるか、これは重要です。


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