イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

建築家

2006-06-09 | 2006年度(1/13まで)
 祖父が建築家であり、父も建設会社に勤めていたため、自然に建築家になりたいと思うようになった。決定的にその思いが強くなったのは、小学校の5-6年ころ、よく隣の家に住む祖父に連れられて車でいろいろなところにいった為だと思う。ダム、デパート、劇場、など等。「アラビアのロレンス」を観た劇場は、祖父の設計した建物もあり、立替が予定されていた。「淋しいんじゃないの?」と家族のものが言ったとき、これも摂理であるというような意味のことを言い、淡々としていた。そんな姿がこころに沁みて、建築家になりたいと思った。
 高校のとき、建築家になりたいと思ったものの、父の卒業した大学を目指すようになった。祖父に影響されたなら、祖父の卒業した大学を目指しても良いものの、屈折したなにかがあったように思える。
 祖父は、高校1年の冬に亡くなった。そして、入試に失敗したこともあり、建築家の夢は萎んでしまった。

天文学者

2006-06-09 | 2006年度(1/13まで)
 小学校の好きな勉強は、体育と図工、音楽であった。この傾向は中学校でも同じであった。数学や理科が好きになったのは高校生になってからである。
 それとは関係なく、小学校の4年生ごろにはスカイウオッチングに興味を持ち、小学校5年の時には貯金をはたいて、天体望遠鏡を購入した。初めて土星の輪を確認したとき。金星が月のように欠けている姿を見たときの感激は忘れられない。
 そして、クラブ活動は地学部に入った。入ったが、天文関係は殆どやらず、気象観測などが殆どであった。しかし、不思議と肌があった。
 天文関係の勉強をしたいと思いつつ高校に入ったが、どういうわけか、高校には地学系のクラブもなく同士を見つけることはできなかった。そんなこともあったのだろうか、天文学者や理学系の勉強をする動機はしぼんでしまった。

パイロット

2006-06-09 | 2006年度(1/13まで)
 1957年にノースウェスト機のプロペラ機に乗って家族と共にアラスカに渡ったときだと思う。子供向けのサービスで父と一緒にコックピットに入らせて貰い、操縦かんを握らせて貰った。それを機に、パイロットにあこがれた。航空会社から貰った、バッチを胸に着けてパイロットになった気になったりした。
 その後、何回も飛行機にのった中には、視界が悪い揺れる恐ろしい水上飛行機の経験もあった。両親が同乗しており心細いことはなかったが、パイロットの夢は怖がりの自分には馴染めなかったように思う。その後、パイロットの夢はしぼんでゆく。家族、親戚にパイロットがいなかったこともありパイロットの話題が乏しかったのも一因だと思う。