1958年の7歳の夏、羽田空港を両親と妹で飛び立ち、一度給油して、再度アンカレッジにむけて飛び立った。いつの間にか眠り眼を覚ますと、窓の外に巨大な氷山がいくつも浮かんでいた。
青い氷山は想像もしなかったため、ただぼんやりと巨大な氷山を見続けた記憶がある。
アラスカの古い街シトカでほんの1年弱過ごし、予定よりずい分早く日本に戻ったが、この一年は私の人生で貴重な一年であった。
その中で、今でも意識上で重要なことがある。アラスカで私と同じモンゴロイドのネイティブの人々とあったこと。そしてもう一つは、ロシアの影響の強かった土地であったことである。
シトカの町の中央にあった、ロシア正教の教会は、異質でかつ何か忘れがたい教会であった。
今考えると、1万年以上前に別れて移り住んだ、祖先の子孫との出会いであり、もうひとつは、私が信じている西欧経由のキリスト教、カトリックと異なる、東方正教会との出会いであったと思う。
幼い頃の日常の中で、別に大袈裟な出会いではないが、自分のアイデンティティ、人間観をより良く築いていくのに今の自分には重要だと思っている。
人はそれぞれ、死ぬ運命であるが、生きがいをもって生きるために、宗教・哲学に活路を求める。さらに、固有の成育史の中から、それを受容するためだろうか、何かを求める欲求があると思う。例えばルーツ探しのように。
<人間観2/2>
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