イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の心が容認する程度に・・・

2007-12-20 | 第一章「意識と知覚」

 心理療法の本とか、心理学関係の本を今まである程度読んだ。ただ、今心に浮かぶのは、いったいどの程度まで本当に理解したのだろうかという反省の念である。

 最近、たまたま少しずつ読み始めていた本の序文に、次のような言葉があった。

 「この本は、読者自身の心が容認する程度しか役に立たないでしょう。人は自分の個人的な心の動きを通して受容できた程度に応じてのみ、他者の心の動きを共感と尊敬をもって認識することができるのです。・・・」(パーソナリティ障害の診断と治療 ナンシー・マックウィリアムズ著 創元社 ページ)

 本当にそうだなと思う。例えばこの数年何回も読んだ、植村高雄先生の「生き甲斐の心理学」がある。読むたびに何かを発見し、今まで何を読んでいたのかと愕然とすることもしばしばである。

 振り返れば、A先生から学生時代に読書のいろいろな読み方について教わった。何回も読む本についても素晴らしい見識で話されていたと思う。ただ、その時は一度読んだ本を何回も?暇だな・・と思ったりした。

 そして、今、人間の認識の特性をだんだん理解してきたのだろう。いろいろ謙虚に反省することが多くなった。

 話は変わるが、朝起きてから寝るまでの感情の流れ。そのどの程度を自分は把握できているのだろうかと時々反省する。恐らく、これも自分の心が容認する程度に・・・ということかもしれない。

 受容や容認は、人間観にも深くかかわる。心の世界は奥が深い!

<感情の観察2/6>

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