イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛のDNA!

2008-08-09 | 第八章「魂と聖霊」

  1974年7月22日に書き上げた私の小説を、34年の歳月を経て読んでみた。当時はなんと23歳。心理学者のエリクソンの8つの人格形成論でいうと、23-34歳の主要分類としては「愛」、親密性や孤立感を体得する時期である。

 そして、不思議なことに、その短編小説も孤独と愛の問題を恐る恐る希求しているように思える。不勉強で科学的に確認したわけではないが、人間もある時期に成長すると、様々な感情等が育ち、その時期のテーマに挑戦するようになっているように思う。

 生きがいの心理学では孤独は、身体、こころ(成育史からなり、心理学の対象)、そして魂(宗教の領域)と分けて考える。私のこの短編小説もこの3つの孤独に向き合っていると思う。そして当時この3つの分類を知っていたら、それだけで問題の半分は解決していたのにと思う。

 特に成育史からの心の孤独。自己否定と他者否定に流れがちな当時の心のひずみを見ていくと、深層の成育史からなる心の問題を感じる。今思えば、幼いころの、それなりの物事の解釈が問題である。

 4歳のころの幼稚園入園当初の母との葛藤。6歳のころの、登校時の友達を交通事故で亡くした事件。10歳ころの夏の旅行での父との葛藤。今から考えれば、ちょっと視点を変えれば違って見えることが、変な呪縛となって解釈されてしまっていた。人間は簡単に自分で自己否定的になることができるといえる。

 そして、どこかで育った自己否定的側面が、投影されて他者否定的になってしまう。当時の時代は1972年の浅間山荘事件、1973年のオイルショック、1974年の田中元首相金脈問題と1960年代後半の時代とは大きく変わりつつあった。そんな時代であったからこそ、書けたのかもしれない。

 そして小説の中で、一切そんなことは書いてなかったが、愛をもとめ、自己肯定と他者肯定の道を歩み始めようとしていたのではないかと、今にして思う。確かに、その後の私は34歳までに、卒業し社会人となり結婚し、平凡ながら家庭を築いていく。

 丁度、読んでいる源氏物語「あさきゆめみし」の光源氏も23歳のころは、和解した葵の君を亡くし、六条の御息所をある意味で許していくのが23歳である。23歳は愛を深めるDNAが作動する時期なのかもしれない。

 桔梗が愛らしく咲いている。

<1974年のタイムカプセル 2/4>

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