以前、幼いころから私を知っているAさんが、私が長年勤務していた会社を辞め、「生き甲斐の心理学」の教育事業をしたりしているのを知り、親しいBさんにその印象を言われた。それをBさんから間接的に聴く機会があった。
昔から、私はサラリーマンというより学者肌だったので、研究者になれば良いと思っていたというのである。
その言葉が、何処かに残り、大学院に残るなどで好きな勉強をしていたら、もっと早く、生き甲斐の心理学を勉強できたかなと、ふと思ったりした。
さて、この2-3日傾聴の「間」について考えていた。そして、ふと思いついて、自己否定や他者否定をすることなく、自分の人生を振り返ってみた。そして、先ほどのAさんの意見を聴いたときに感じたものと違った、自分の人生の軌跡が見えてきたようだった。
学生のころの自分は、親元から通学するなど、両親との関係は当然ながら濃密であった。ただ、子供が大人として独立して生きていくためには、必ずしも良いとは言えない。可愛い子供には旅をさせよという諺もある。両親も望んだが、私も、学生を早く辞め企業に入りたかった。
そして、会社に入ると、一年後に大阪に転勤。これは、自分にとって、今から考えると実に良い経験であった。両親との間合いが良くなり、仲が良いとは言えなかった父との関係は、その後不思議なほど良くなった。
不思議なものである。長い目でみると、ちょっと遠回りなようで、意外と最適な道を歩んだようだ。そして、様々な出会いや、両親を始めとする、周りの方の暖かい想いが見えてくる。
読者の皆さまも、何かの時に、自己否定や他者否定をすることなく、ご自分の人生の歩みを振り返ってみてはとお薦めする(余計なお世話か)。否定的な要素があると、こころの防衛機制が働くのか、人情の機微が見えなくなるようだ。また、試してみよう。
(こころの援助を考える⑯(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 17/60)
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