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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

診断とは何だろう?(愛の領域①)

2010-04-29 | 第七章「光と復活体」

 年に一回の健康診断を受けたり、時に眼の診察を受けたりもする。様々な指標が並び、健康に関するの判定がされる。日本が世界的に、長寿になった背景にはこうした、診断の貢献が大きいと思う(精神医療は別にして)。

 さて、私は若いころから、さまざまな現象の中から真実をつかむということに、とても興味をもっている。学生のころは、お医者さんが、患者をどのように診断するか。その統計的なモデルを研究したりし卒論もその方面だった。

 ある病気に罹ると、その病気特有の症状が幾つか現れる。その症状を医者は逆に辿って、病名を診断する。それは、統計的なモデルになり、診断学で今でも研究されている。

 では、病気の裏には何が隠れているのだろうか。ある病気に罹る真の原因は何だろうか。こころの病気は、外部要因として遺伝、老化、環境がある。また、免疫、自律神経、内分泌とも関係するようだ。

 では、それらの背後には何があるのか?このへんになると、科学はお手上げで哲学や宗教の関心ごとになるのだろう。私は、どうも幼いころから、ひつこい性格なので、普通はこのあたりの問題は、考えても仕方がないとやめるのが現代風なのに、時どき考える。

 ちょっと前というか今でも、日本人の多くはは怨霊とか、因縁とかそういうものの存在を信じていたりする。キリスト教では、善良なヨブが病気で苦しむのは何故か、そういう大問題に取り組んだ歴史がある。マザーテレサの愛の活動も、その深いレベルでの一つの回答だったように私には思える。

 身体というのも不思議である。生まれた幼子は何故あそこまで愛くるしいのか。何もできない無力な身体は、愛そのものの魂を反映しているように思えてくる。こころも不思議である。こころの病に罹っている人の純粋な何かを感じ、愛とはこういうものなのだろうかと教えられたこともある。

 人という現象。そして、身体、生育史としてのこころ、魂という変数。魂を愛そのものの定数としてみると、いろいろ見えてくることがある。

(愛の領域①(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 41/60)

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