Cさんが亡くなられ、Cさんと懇意にされていた方々が、寄稿された文集を読んでいると、Cさん自身の思い出もこころを打つが、それぞれの方のCさんの解釈のしかたも興味深い。
確かに言われてみればという一面にスポットを当てる人。自分が気にも留めなかった一面を、思い出深く語る人。・・・恐らく、人それぞれ、一番思い出深いところを書いているのだろうが。
知覚・解釈というのは、本当に人それぞれ、個性の反映なのだ・・・と、あらためて想う。
人は生まれてから死ぬまで、独自の生育史を築いていく。先日カウンセリング勉強会で、Dさんが、人はフィルターそのもの、という名言を言われていたが、本当にそうだ。
私は、以前勉強会で一枚の写真を示し、好きか嫌いか、何故そうなのかを語ってもらったことがある。参加者の方々のお話をじっくり傾聴しながら、その多様な・解釈のしかたをお聴きしていると、それだけで、なにか豊かな気持ちになった。
知覚・解釈はひとそれぞれ違うが、自分自身の知覚・解釈も変わるものだ。固定概念でこれしかないと解釈し、暗い生活を送っていたのに、ある日突然解釈が変わり、世界が明るく変わる。そういう強烈な思い出もあった。
写真は府中の森公園の桜並木のところの眼のようなオブジェ。いつも何か不思議な気持ちにさせられるオブジェ。皆さまはどう感じ、どう思いますか?
(こころを鍛える⑤(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 26/60)
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