A先生に教えていただいた、韓国歴史ドラマ「朱蒙」(チュモン)。レンタルショップで借りて見始めている。時代は西暦BC100年くらいである。鋼鉄の技術を持つ漢が、力を伸ばし殺戮をする時代である。鋼鉄技術を持つ漢の戦闘力は凄い、持たない戦士は簡単に殺されてしまう。しかし、こうした西暦BC100年のころにも私の祖先達も確実に地球上に生きていた。ドラマのように、殺戮の現場を祖先はくぐり抜けてきたかもしれない。
ドラマは現在から2100年前である。一世代30年と計算すると70世代前である。祖先の数は2の70階乗なので、10の21乗となりゼタという単位になる(因みにディスク容量で目に付くテラ(兆)は10の12乗)。もちろん世界累計人口が800億人と言われるので、理論的に膨大な数になっても実際は重なっている。日本だけでなく大陸にも祖先がいた可能性も当然高い。
鉄の技術は西暦BC3000年ごろから始まったようであるが、日本にはBC300年?とかに青銅器とともに入ってきたようだ。写真の箸墓古墳は、卑弥呼の時代の古墳の原型と言われているが、このころには日本でも鉄器の争奪戦が華々しかっただろう(出雲や吉備、北九州・・・)。鉄は農耕技術等の平和利用もあるが、凄惨な殺戮の兵器にも利用される。技術の二律背反は今でも当然あるが、昔から時代時代にでてくる。
箸墓は、壬申の乱の激戦の場としても有名である。持統天皇はどのように箸墓に想いを巡らしていたのだろう。今では消失した歴史や事実を当然しっていただろうが。
他者(時には自分)の命を奪う暴力。生き甲斐の心理学の中では、自己肯定ー他者肯定のスタンスが大事にされるが、それは狭い道で他者否定、自己否定に傾くのは日常の中では頻繁である(自戒を含め)。BC100の祖先の時も、今の私たちも、そういった眼でみれば大差ない。
ただ、「生き甲斐の心理学」でも引用される、現象学に基盤をおいたロジャースの性格形成理論などから、平和構築というか、そういう思想が形成される可能性は高い。ロジャースは晩年、ノーベル平和賞にもノミネートされたといわれているが、その根本には人間愛があったようだ。ロジャースはプロテスタントの牧師の子供であったというのも、関係がある気がする。
飛鳥を想う 6/10